鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

ババク・アンバリ&「アンダー・ザ・シャドウ」/イラン、母にかかる黒い影

さて、イラン=イラク戦争の勃発はイランという国に大いなる傷を刻むことになる。ミサイルの応酬によって互いの都市は破壊され、崩壊し、多大な被害を被ってしまう。そしてそこで生まれた傷は今にもまだ続いているのだ。ということで今回はそんな状況を背景として描かれるイラン産ホラー映画、ババク・アンバリ監督の初長編「アンダー・ザ・シャドウ」(Netflixで配信中)を紹介していこう。

ババク・アンバリ Babak Anvariは1982年イランのテヘランに生まれた。現在はイギリスのロンドンを拠点として活躍している。16歳の頃から短編映画やビデオアートの製作に携わるなど、精力的に活動していた。2005年の"What's up with Adam?"や2007年の"Solitary"を経て、2011年には短編"Two & Two"を製作する。権威主義的な学校を舞台に、今まで学んでいたことは全てが嘘であると伝えられた生徒たちの困惑を描き出した一種の寓話的短編で、BAFTA賞の短編部門でノミネートを果たすという快挙を達成する。そして5年後の2016年、彼は生まれ故郷のイランで初の長編である「アンダー・ザ・シャドウ」を監督する。

舞台は先述の通り1980年代、戦争が激化する最中のテヘラン、今作の主人公シーデ(ナーゲス・ラシディ)は夫のイラジャ(ボビー・ナデリ)や娘のドーサ(アヴィン・マンシャディ)と共にアパートの一室で身を寄せ合いながら暮らしていた。しかしイラクがミサイル攻撃を仕掛けてくるという噂が流れる頃、仕事の都合でイラジャが彼女たちの元から去り、二人だけで生活せざるを得なくなってしまう。戦争の恐怖、子育ての疲労感、シーデの神経は否応なしに磨り減っていく。

今作はまずシーデという人物のパーソナリティを通じて、80年代のイランという時代背景を描き出していく。シーデは元々医師になるため大学に通っていたが、イラン革命時に反体制派の団体に参加していた事から大学を辞めさせられ、同時期にドーサが産まれたことから子育てに専念せざるを得なくなる。そんな自分とは打って変わり、イラジャは仕事と勉学を両立しながら自由に生きている。そこには性差別的な社会構造も関わっているのだろう。彼女は家に閉じ込められ、息苦しい日々を送り続ける。戦争が終れば全て変わるかもしれないと思いながら、逆に激化の一途を辿っていた。

そんな中、いつもと同じように空襲警報が発令され、いつもと同じように地下のシェルターに向かおうとするシーデたちだったが、この日は様子が違った。轟音と共にマンションへと墜落したのは不発弾だ。弾はちょうどシーデの真上の部屋に突っ込み、この部屋の天井にも不気味な亀裂が入る。その日を境に、ドーサはある物を見たとシーデに話し始める。あの亀裂から精霊ジンが部屋にやってきて、自分を脅かすのだと。最初はその話を信じられないシーデだったが、ドーサの宝物である人形が消えた時から、何かが崩れ始める。

Kit Fraserによる撮影は終始陰鬱なトーンを保ち続ける。舞台の殆どは薄暗いアパートの一室であり、最初の頃はシーデによって手入れが行き届いていながら、空襲が激化するごとに部屋は陰影に染め上げられ、息苦しさを増す。そして部屋は埃臭い茶の色彩に満たされ始め、閉所恐怖症的な感触が世界に宿ることにもなる。つまりこの狭い部屋がシーデたちにとっての監獄となるのだ。しかしそれは肉体的という以上に、精神的な圧力を以て彼女たちに迫ってくる。

興味深いのはこの圧力の中にイランの文化的コンテクストが巧みに折り込まれている点だ。外出時、シーデは他の女性たちと同じように黒いチャドルを身に纏う。劇中そうしていない登場人物が警察によって一時拘留される場面も存在し、革命以後に服装の締め付けがキツくなった当時の状況(今もその状況は続いている)が反映されている訳だが、シーデは家に帰ると即それを脱ぎ捨て、キャミソールとズボンというかなりラフな格好になり、更にはジェーン・フォンダのエアロビビデオで汗を流す姿が描かれるのだ。

ここには二つの対立が見られる。まずは革命以前のイランと革命以後における文化の対立だ。白色革命の後はしばらく欧米文化を熱心に取り入れる体制を保っていたが、それに対する反動で1980年の革命が勃発、一転して保守体制が現在に至るまで続くこととなる。そしてもう1つがシーデという個人の価値観と当時のイランが宿す価値観の対立だ。大学で培われた知識や文化はシーデの中に国への懐疑を生み、逆に国は彼女を反体制的と見なして抑圧しようとする。シーデの服装に対する意識はこの対立を端的に指し示すものであり、ジェーン・フォンダを真似てエアロビに明け暮れることはガス抜きである同時に、抑圧への抵抗でもあるのだ。

そういったコンテクストが取り入れられながら、いつしか物語はホラー的な様相を呈することとなる。ジンに人形を奪われたというドーサは泣き叫び、いつまでも治ることのない高熱に冒されることとなる。彼女を看護しながら、ジンについては信じられないでいるシーデを、しかし不気味な超常現象が襲う。その度に親子間の確執は鬱々たるまでに深まっていくのだ。そういった意味で同じテーマを扱った豪産ホラー「ババドック」がレファレンスとして挙げられるのは当然と言えるが、監督の手捌きはまた異なる。前者は物語が進むにつれ恐怖と不安が爆発的に広がっていく姿が印象的だったが、今作はシーデの抱える負の感情が弾けることを許さない。とことん陰鬱に、まるで脳髄をゆっくりと万力で締めていくような筆致でシーデたちを追い詰めていく。

この展開の中、恐怖によってイランと母という2つの要素が繋がる瞬間がある。怪異であるジンの姿はそれを象徴していると言えるだろう。その姿はシーデや私たちにこう語りかける、イランという国に身を委ねなければ、個の価値観を捨てこの社会に身を捧げなければ、お前は母親失格だと。だからこそ「アンダー・ザ・シャドウ」はこういった社会的な圧力に対する抵抗の詩として機能する。シーデは埃臭い監獄の中でドーサを、そして他ならぬ自分を救うために命を懸ける。様々な対立を乗り越えようとする力強い意思が、そこには宿っている。

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