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映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Salomé Jashi&"The Dazzling Light of Sunset"/ジョージア、ささやかな日常は世界を映す

たまに地方都市へと旅行に行く時、旅館の部屋でテレビなんか見ていると、何ともローカルとしか言い様がない平和でのどかなニュースが流れてくることがある。東京では殺人だとか詐欺だとかそういう不穏なニュースばかり流れてくるのになぁと、微笑みが自然と浮かんできたりする。さて、今回紹介する作品はそんな微笑ましいローカルニュースの裏側を追った、Salomé Jashi監督によるジョージア産ドキュメンタリー“The Dazzling Light of Sunset”を紹介していこう。

Salomé Jashiは1981年ジョージアトビリシに生まれた。映画監督としての活動の傍ら、製作会社Sakdoc Filmの経営、南コーカサス地方におけるドキュメンタリー制作を補助するプロジェクトCaucadocへの参加、ジョージアの身体性をテーマとしてダンス・パフォーマンスの監修を行うなど広く活躍している。

まず大学でジャーナリズムについて学んだ後、数年間ジョージアのTV局Rustavi 2でレポーターとして働く。2005年には彼女はロンドン大学ロイヤル・ホロウェイでドキュメンタリー制作を学び、映画製作を始める。2009年には南オセチア紛争を題材とした作品"Speechless"を、2010年には子供たちにジョージアへの愛国心を教育するを目的とするサマーキャンプがテーマの作品"The Leader is Always Right"を、2011年には現在は廃墟と化したとあるホテルを通じジョージアの現代史を描く"Bakhmaro"などを監督し、着実にキャリアを重ねていく。そして彼女は2016年に初の長編作品"The Dazzling Light of Sunset"を完成させることとなる。

ジョージアの西部に位置する小さな町ツァレンジハ、この場所でニュースキャスターとして働いている女性が今作の主人公であるダリコだ。だがこの場所にテレビ局なんてものは存在しないので、小さな家屋をスタジオ兼編集室にして頑張っている。そして同僚もカメラマンのカハ以外誰も居ないゆえ、彼女は記者として何かニュースのネタはないかとツァレンジハの町を日夜練り歩く。

今作は先述の作品とは全くかけ離れた、何とものほほんとしたドキュメンタリーとなっている。彼女が撮すニュースの数々は良い意味でローカル感しかない。村の片隅で珍しいフクロウが見つかったというちょっとした騒ぎを取材しに行ったかと思えば、公民館っぽい所で行われる小規模だがメチャ気合い入ったミスコンを撮影したりする。家に帰ったあとはカハとお喋りしながらニュース映像の編集をしたり中央局へ予算の申請書を書いたりして、また翌日になると“何かネタないかなぁ”と町をフラフラする。

Jashiのカメラはそんなダリコと彼女の周りに広がる他愛ない日常を、何というか微妙な距離感を以て眺めることになる。カメラは被写体に近くもなければ、遠くもない。どちらかと言えば彼らの後ろに広がる部屋の壁や自然を写し取ろうとしている風なのだ。つまり彼女たちは人物よりも空間に重点を置きながら、そこで思い思いに行動する人々をカメラに映り込ませていく。時々ニュースをビデオカメラで撮影するダリコたちまで映り込んでしまうのはご愛敬である。

この妙な距離感はある意味で動物学的な観察を思わせるものでもあり、観客と異化され提示される生態の数々は興味深い。特にミスコン関連の描写は、異様に気合いが入り怒号まで響かせる主催者側と着飾った少女たちの生気のなさが際立ち、どこか厭な感触を私たちに与える。更に選挙が近づく中で討論番組や殺風景な選挙会場が映し出される時間には、ジョージアの不安定な情勢もかいま見えてくる。ざわめきとそれでも突発的に降ってくるにやつきの平衡感覚は頗る絶妙だ。

そして距離感が映画にもたらすもう1つの効果として、現実の虚構化というものが挙げられるだろう。ドキュメンタリーな筈が目の前で繰り広げられている事態は仕立てられた嘘であり、現実ではないのでは?という疑念がフワフワと頭に浮かんでくる。こういった手法によっていわゆる2つの概念のあわいを行き交う作品としての“ドキュフィクション”という概念に至る訳だが、今のトレンドは正に散歩する惑星「さよなら、人類」などロイ・アンダーソンの直近の作品群に見られるカメラと被写体の妙な距離感覚にあるのではないだろうか。例えばSergio Oksmanの“O futebol”は同様の演出で以て、奇妙な感触を宿すことに成功した今作の先達だと言える。

劇中には、時おりダリコらの仕事へのスタンスが伺える場面がある。各地方テレビ局のスタッフの集まる会議では、ある男に”何で毎日ニュースやんないんだよ?”とどやされ、ダリコは“こっち来れば分かるけど、ニュースなんて毎日ある訳じゃない”とウンザリしたように語る。そしてカメラに向かっても、彼女はこんな仕事飽き飽きだし、何でやってるのか自分で解らないと心境を吐露したりもする。それでも彼女はこの仕事をやり続け、町を駆け回っていくのだ。

それは何故だろうかと考えた時、参考となるかもしれないのはJashi監督の言葉だ。"私の最初の仕事の1つがTVニュースのレポーターだった故に、加工された情報というのは私にとって興味の対象となってきました。何年か前、イングランドの小さな町の地方新聞を読んだんですが、そのトップ記事はスミスさん夫婦が下町で経営していたパブを閉めるというものでした。世界ではもっと大きな事件が起こっているのに、小さなコミュニティにとってはそんなものがニュースになるのかと驚きましたね。それから私の故郷ジョージアで地方のTV局について調べ始め、魅力的な舞台や人々、出来事と巡りあったんです。もちろんそのTV局が流すニュースはとてもローカルなものでした。でもそれらは同時に一般的でより大きな問題を反映してもいました"*1

ある場所で盛大な結婚式の準備が行われ、大成功を納める中で新婦も新郎も来賓客もみんな一緒になって“カンナム・スタイル”を踊りまくる。薄暗い公民館のホールで清らかに民謡が歌われ、人々はその美しい響きに耳を傾ける。今作で描かれるのはそんなどこにでも広がっているだろう何気ない日常の数々だ。だからこそ“”はとりとめもなく進んでいく。だがこの選び取られた“とりとめのなさ”によってこそが日常に根差したいとおしく美しい輝きを捉えられるのだと、監督は知っているのだ。そして私たちはこの愛おしさが、また別の意味を持ち始めることにも気づくはずだ。

参考文献
https://dokweb.net/database/persons/biography/a876b527-40d9-4908-bbba-bc65074eb222/salome-jashi(監督プロフィール)
https://mubi.com/notebook/posts/salome-jashi-introduces-her-film-the-dazzling-light-of-sunset(プロダクションノート)
https://eefb.org/countries/georgia/salome-jashi-on-the-dazzling-light-of-sunset/(監督インタビュー)