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映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Valentyn Vasyanovych&"Atlantis"/ウクライナ、荒廃の後にある希望

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2019年9月7日、ロシアとウクライナは収監していた相手国の国民を釈放、拘束者を交換することになった。その中にはテロ活動の罪で禁錮20年の判決を受けたウクライナの映画監督オレグ・センツォフがいた。ジャン・リュック・ゴダールなど世界中の映画監督は彼の解放を要求しており、この釈放は映画界にとっての悲願となった。そういった流れで、ウクライナ映画界に光が戻った訳であるが、ちょうどこの日、ヴェネチア国際映画祭オリゾンティ部門でウクライナ映画が最高賞を獲得することとなった。この素晴らしい偶然を彩った作品が、今回紹介するValentyn Vasyanovych監督作"Atlantis"である。

今作の舞台は2025年の東ウクライナである。度重なる緊迫の末に、ウクライナはロシアと戦争を始めていた。ウクライナは何とか勝利を収めたのであったが、その間に国土は荒廃し、経済も無残なものとなってしまった。勝利の果てに残ったのはただ絶望だけであったのである。そんな絶望に包まれたウクライナが舞台という訳である。

この映画の主人公はセルゲイという中年男性(Andriy Rymaruk)だ。彼は戦争において兵士として戦い、何とか生き抜いたという過去を持っている。しかし戦争の影響でPTSDを患い、苦しむ日々が続いていた。そんな日々に終りが見えることはない。それでも彼は絶望の中で生き続けるしかなかった。

まず監督はそんな男の日常を淡々と映し出していく。冒頭で描かれるのは射撃訓練をする男と仲間の姿である。未だその腕前は衰えてはいない。引鉄を引くごとに尖鋭な金属音が響き渡る。帰ると、彼は暗い部屋の中で何もしないで虚空を見つめ続ける。そんな時間が延々と続くのである。

撮影監督も兼任するVasyanovychは、この風景を長回しで描き出す。カメラは一か所に固定され、一切の編集なく目前の光景をレンズに焼き付け続ける。その長回しが持続するごとに、虚無が深まっていくのだ。例えばセルゲイがアイロンをかける場面。その準備をする様をカメラは淡々と捉えていくのだが、どこか不穏な印象を与える。そして虚無が深まっていき、最後にはそれが悍ましい暴力へと繋がることになる。

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彼はそんな日常を変えるために、トラックを駆って旅に出ることとなる。彼を包みこむ風景は荒廃の極みだ。都市部には工場の黒煙が充満しており、郊外には瓦礫と砂以外は何も存在していない。後者はまるで黙示録後の世界といった風だが、それはウクライナの現実を指し示しているのだと、

しばらくは何も起きることがないが、道中でセルゲイは1人の若い女性カーチャ(Liudmyla Bileka)と出会うことになる。彼女はボランティアとして"黒いチューリップ作戦"というものに従事していた。セルゲイは小さな興味から彼女を乗せ、旅をすることになる。

カーチャが従事する"黒いチューリップ作戦"とは以下のようなものだ。こ戦時中に殺害された兵士たちの死骸を掘り返し、身元を調べる。そして判明後、墓地にその死骸を埋め直していく。失意の中で死んでいったウクライナ人兵士たちへ最後に安らぎの時を与え、死後の平和を祈る作業である。それらは政府軍と分離独立派によるウクライナ内戦や、クリミア併合をめぐるロシアとの武力衝突などが否応なく想起されるだろう。

今作においてウクライナ現状とともに、テーマとなっているのは有害な男性性の行く末である。冒頭において銃撃訓練が繰り広げられると先述したが、この中で怒り興奮したセルゲイは仲間を銃撃するという凶行に出る。防弾チョッキを着ていた故に、相手の命には別状はなかったが、一歩間違えれば戦時中の如く命を奪っていたのであり、彼の男性性の有害さが極まっていることが分かる。

しかし"黒いチューリップ作戦"によって死者の魂に触れていくたびに、彼の男性性の緊張感が少しずつ緩まっていくのが分かる。それは彼が路上でお風呂に入る場面からも分かってくる。彼は大地に放置された重機のクレーンに水を投入し、それを温める。そして服を脱ぎ、静かにお湯に浸かる様をカメラはゆっくりと眺める。そこに先述した不穏さが現れることはない。ただ心地よさが存在している。

そしてそれは若い女性カーチャとの関係性にも表れている。最初、セルゲイは無口でいるのだが、段々と彼女に心を開き始める。そして終盤、暗い部屋に2人で過ごしながら、今まで生きてきた上で抱いてきた感情を彼女に吐露するのだ。誰にも語れなかった自分の真実を、誰かに語るということ。それは自分の中にある鎧のような防衛本能が崩れたことを意味しているだろう。

"Atlantis"は戦争によって傷ついた男がめぐる、静かな再生の旅路を描き出した作品だ。そしてその再生にこそまた、ウクライナ再生の希望が託されているのである。

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