鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Luciana Mazeto&"Irmã"/姉と妹、世界の果てで

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今現在ブラジル映画界が空前の活気を見せていることはこのブログでも何度もお伝えしているが、その1つの動向としてジャンル映画的な要素を駆使しながらアートハウス映画を作るという技巧派の台頭がある。例えばホラー映画やSF映画などそういった要素を人間ドラマや社会派映画に組みこむことで、今までにない余韻を伴う作品ができあがる訳である。さて今回紹介するのは少女たちの思春期の揺れを、少し不思議なSF的筆致とともに描き出す作品、Luciana MazetoVinícius Lopesの共同監督作"Irmã"を紹介していこう。

今作の主人公はアナとジュリア(Maria Galant&Anaís Grala Wegner)という姉妹である。彼らは母と離婚して遠くに住んでいる父親に会うため、2人だけではるばる旅をしていた。そして彼女たちの目的は彼にただ会うだけではない。そこにはある痛切な秘密があった。

監督たちはまず姉妹の旅路を淡々と描きだしていく。例えばバスで会話をする、辿りついた喫茶店で水を頼む、近くで遊んでいた少年に連れられ滝を見にいく。そういった何気ない風景の数々が淡々と綴られていき、物語の雰囲気を築きあげていく。

そんな時に姉妹を取りかこむのが、ブラジルの田舎町に広がる雄大なる自然だ。鬱蒼たる深緑の色彩を湛える森は世界の果てまでも続き、美しい水飛沫をあげる滝は太陽の光のなかで煌めいていく。旅路の中で、私たちはブラジルの豊穣たる大地が輝く様を姉妹とともに目撃することになるだろう。

しかし同時に、観客はこの映画に何か現実離れした不思議な雰囲気をも感じることになるだろう。それを理解する一助となるのが、聞こえてくるラジオの音声だ。なんでも現在地球に隕石が近づいてきており、その影響かブラジルに限らず世界各地で異変が起こっているというのだ。

ここでこの隕石と関わってくる要素が妹であるアナの恐竜への愛着である。彼女は道中で首長竜の人形を持って遊んでいたり、恐竜について熱心に語ったりする。そこには恐竜という滅亡したものへの郷愁が存在しているが、その恐竜を滅亡させた存在こそが隕石な訳である。

こうして2つの要素が絡みあううちに、姉妹の現実が奇妙にズレ始めることとなる。ただの水のなかから猛烈に浮かびあがってくる泡、夜を歩く姉妹に吹きつける壮絶な嵐。これこそがラジオで言っていた異変というものなのだろうか。そんな疑問を持つ間にも、隕石は徐々に地球へと近づいてくる。

そしてこの小さいながらも確かな現実とのズレが作品を牽引していると言っても過言ではないだろう。その様は些かちっぽけで時おり可笑しみすらも感じさせるものでありながら、同時に現実が確かに歪んでいく不穏さをも感じさせるのである。

私たちはこの複雑微妙な現実の変貌を観察するうち、あることに気づくだろう。この変貌は思春期にある姉妹の心を反映しているのではないかと。彼女たちはしばらく会っていなかった父親と再会し、ぎこちなく交流を深めるのだが、彼女たちの間で事件が勃発する。ここに現れるのは高揚感や不安、悲しみであり、この感情が生み出す揺れがまた現実の変貌と共鳴しているのではないか。

ゆえに今作の核となるのはやはり姉妹の関係性の密さである。ある秘密を抱える彼女たちは融和と反抗を絶えず繰りかえしながら、運命の旅を続ける。そして不安定でありながらも印象的なこの姉妹同士の対峙が世界を少しずつ、しかし確実に変えるほどの力を宿しはじめるのである。この姉妹の心理模様を描くヒューマンドラマ的側面と、少し不思議なSF的な側面が今作においては巧みに組みあわさっているのである。"Irmã"は人が成長する時に抱くのだろう、微かな震えを独創的な視点で捉えた意欲作だ。そして姉妹が辿りつく終着点は彼女たちにとってだけでなく、世界にとっての始まりでもあるのだ。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その381 Fabio Meira&"As duas Irenes"/イレーニ、イレーニ、イレーニ
その382 2020年代、期待の新鋭映画監督100!
その383 Alexander Zolotukhin&"A Russian Youth"/あの戦争は今も続いている
その384 Jure Pavlović&"Mater"/クロアチア、母なる大地への帰還
その385 Marko Đorđević&"Moj jutarnji smeh"/理解されえぬ心の彷徨
その386 Matjaž Ivanišin&"Oroslan"/生きることへの小さな祝福
その387 Maria Clara Escobar&"Desterro"/ブラジル、彼女の黙示録
その388 Eduardo Morotó&"A Morte Habita à Noite"/ブコウスキーの魂、ブラジルへ
その389 Sebastián Lojo&"Los fantasmas"/グアテマラ、この弱肉強食の世界
その390 Juan Mónaco Cagni&"Ofrenda"/映画こそが人生を祝福する
その391 Arun Karthick&"Nasir"/インド、この地に広がる脅威
その392 Davit Pirtskhalava&"Sashleli"/ジョージア、現実を映す詩情
その393 Salomón Pérez&"En medio del laberinto"/ペルー、スケボー少年たちの青春
その394 Iris Elezi&"Bota"/アルバニア、世界の果てのカフェで
その395 Camilo Restrepo&"Los conductos"/コロンビア、その悍ましき黙示録
その396 José Luis Valle&"Uzi"/メキシコ、黄金時代はどこへ?
その397 Florenc Papas&"Derë e hapur"/アルバニア、姉妹の絆と家父長制
その398 Burak Çevik&"Aidiyet"/トルコ、過ぎ去りし夜に捧ぐ
その399 Radu Jude&"Tipografic majuscul"/ルーマニアに正義を、自由を!
その400 Radu Jude&"Iesirea trenurilor din gară"/ルーマニアより行く死の列車
その401 Jodie Mack&"The Grand Bizarre"/極彩色とともに旅をする
その402 Asli Özge&"Auf einmal"/悍ましき男性性の行く末
その403 Luciana Mazeto&"Irmã"/姉と妹、世界の果てで

Asli Özge&"Auf einmal"/悍ましき男性性の行く末

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今作の主人公であるカーステン(Sebastian Hülk)は前途有望な青年だ。彼はドイツの小さな町に住んでいるが、両親はこの町の権力者であるゆえに、多大なる恩恵を受けている。献身的な恋人ラウラ(Julia Jentsch)にも恵まれており、彼は仕事も私生活も順風満帆だった。

カーステンは誕生日に自身の部屋でパーティーを開くのだったが、彼はそこでアンナ(Natalia Belitski)という女性と出会う。彼女と会うのは初めてだったが、その謎めいた存在感にカーステンは否応なく惹かれてしまう。深夜、2人だけになった時、親密さを増していく中で、カーステンは彼女と一線を越えようとする。だが突然アンナは倒れ、そのまま息を引き取ってしまう。

この死のせいでカーステンは騒動に巻きこまれることになる。カーステンはアンナが倒れた時、救急車を呼ばずに、何故か走って近くの病院へと向かったのだが、これがアンナの救助を怠ったと見做されて、警察から厳しく尋問された挙句、アンナの家族から訴訟を起こされてしまうのだった。

今作はこの過程を通じて、主人公の心理模様を丹念に追っていく。彼は何故すぐさまアンナを助けようとしなかったのか自分でも理解できず、当惑のなかにいる。それでも厳しい現実に襲われて、カーステンは不安に呑みこまれそうになる。そうして逆に自分を追いつめる自己破壊的な行為に走っていくのだ。

それとともに恋人や両親との関係性も変化していく。そもそもアンナの死に触れたきっかけは彼女と浮気しようとしたことであり、この事実がラウラとの関係性に波紋を投げかけるのだ。そして両親も些か行動原理が曖昧で、自分でも理解できていないらしいカーステンに対して苛立ちを隠すことができない。周囲の全ての人物から、カーステンは不信の視線を向けられることになるのだ。そして先述した通り両親は町の権力者であるゆえに、否応なくカーステンの醜聞には町の政治すらも関わってくる。これ故に彼の問題は個人的なものでは有り得なくなっていくのだ。

監督であるAzliの演出は頗る遅い、英語で言う"slow-burn"的なものである。彼女は目前で起こる風景の数々に対して、いかなる個人的な思惟をも介在させることなく、ただただ静謐のなかで見据え続ける。ゆえに物事に生じるほんの些細な変化が、異様なリアリティと明晰さを以て迫ってくるのである。その鮮烈さも監督の指向する遅さによって形成されているのだろう。

更にEmre Erkmenによる撮影も先鋭なものだ。ロケーションはドイツの小さな町であり、そこに存在する歩道橋や病院が映し出されていく訳だが、Erkmenの視線は洗練され研ぎ澄まされているのと同時に、照明は濃厚な原色を湛えている。ビビッドな赤や青の灯は平凡な風景の数々を一種異様なものへと変えていく。そして私たちはこの風景がカーステンの心象風景でもあることに気がつくだろう。

この騒動のなかで、カーステンは自己を見据えざるを得なくなるのだが、監督はここで彼を安易な自己反省へと誘うことがない。むしろ逆の道へと突き進む彼の姿を見つめる。カーステンは反省するどころか、本性を見せはじめ、狡猾な保身を遂げることになる。そして彼は他人を傷つけようと構わない怪物へと変貌を遂げていく。

その道筋に浮かびあがるものは有害な男性性というものである。あるきっかけで男性性のタガが外れた時、それは容赦なく他者を傷つける刃となる。その暴力は肉体的なものならば様々な映画で描かれてきたが、精神的なものはそう多くない。監督はこの男性性が身体ではなく心に残酷な形で傷をつけていく深淵の光景を、静かに見つめるのだ。

"Auf einmal"は小さな町を舞台として、致命的な騒動に巻きこまれた1人の青年の姿を通じて、人間心理のミクロコスモスを描きだした作品だ。この男性中心主義的な社会では、有害な男性性こそを研ぎ澄まさなくては生き残れないということを、今作は語っている。

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コロンビア映画界の明日について~Interview with Pablo Roldán

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さて、日本の映画批評において不満なことはそれこそ塵の数ほど存在しているが、大きな不満の1つは批評界がいかにフランスに偏っているかである。蓮實御大を筆頭として、映画批評はフランスにしかないのかというほどに日本はフランス中心主義的であり、フランス語から翻訳された批評本やフランスで勉強した批評家の本には簡単に出会えるが、その他の国の批評については全く窺い知ることができない。よくてアメリカは英語だから知ることはできるが、それもまた英語中心主義的な陥穽におちいってしまう訳である(そのせいもあるだろうが、いわゆる日本未公開映画も、何とか日本で上映されることになった幸運な作品の数々はほぼフランス語か英語作品である)

この現状に"本当つまんねえ奴らだな、お前ら"と思うのだ。そして私は常に欲している。フランスや英語圏だけではない、例えばインドネシアブルガリア、アルゼンチンやエジプト、そういった周縁の国々に根づいた批評を紹介できる日本人はいないのか?と。そう言うと、こう言ってくる人もいるだろう。"じゃあお前がやれ"と。ということで今回の記事はその1つの達成である。

さて今回インタビューしたのはコロンビアの映画批評家Pablo Roldán パブロ・ロルダンだ。彼は新進気鋭の批評家であり、コロンビアにおける新興の批評雑誌Cero en conductaでは編集も務めている。正にコロンビア映画批評界を背負って立つ人物である。今回はそんな彼に個人的なコロンビア映画の思い出、Victror Gaviria ビクトル・ガビリアという作家の偉大さ、毀誉褒貶に満ちたCiro Guerra シーロ・ゲーラのキャリア、新鋭作家Lina Rodriguez リナ・ロドリゲスの存在感などなど、コロンビア映画史について縦横無尽に語ってもらった。何と12000字にも渡るボリュームである。この特大コロンビア映画インタビューをどうぞ楽しんでほしい。

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済藤鉄腸(TS):まずどうして映画批評家になりたいと思ったんでしょう? それをどのように成し遂げたんでしょう?

パブロ・ロルダン(PR):私はトリュフォーが言った言葉を信じています。大人になったら何になりたいか聞かれた時、彼は"映画批評家!"と答えたんです。なので私としてはどうして批評家になりたかったについては正確に覚えていません。ただ映画の目録を積み重ねていって、友人や家族と映画について議論していたまでなんです。大学に入学した時、映画批評家でもあった素晴らしい教師たちと出会いました(Andrea Echeverri Jaramillo アンドレア・エチェベリ・ハラミロSantiago Andrés Gómez サンティアゴアンドレス・ゴメスらです)彼らの授業は私にとって天啓のようであり、その道を進もうと思ったんです。そしてブログでの執筆を始め、次から次へと記事を執筆しました。それは特定のラベルについて考えすぎないことにはできない作業でした。可能な限り映画に近づいていき、観たものについて書くことで自身の感情を表現できると分かりました。それは私が叶えるはずだった運命の中に存在する空間のようでした。

全ては映画についての素晴らしい本から培われました。鮮烈に覚えているのは私を形成してくれた本の数々です。トリュフォー「映画の夢 夢の批評」ロメール「美の味わい」それから文学と映画批評の間に存在したAlberto Fuguet アルベルト・フゲ"Las películas de mi vida"です。その頃はコロンビアの批評家の作品を見つけられる限り全て読んでいて(Andrés Caicedo アンドレス・カイセAlberto Aguirre アルベルト・アギーレは"最も偉大な人物"として記憶されています)少し後、セルジュ・ダネの作品全てを読み、それが今まで追い求めたかった批評家というキャリアを行くための最後の一押しになりました。大学を卒業した後、様々なメディアで執筆を始め、映画祭にも行くようになりました。基本的に映画批評家になりたかったのはそうすることで私の人生と映画が分かちがたいものになって欲しかったからです。何が映画かについて理解するための唯一の方法は観客としての自分の経験を書くことだと感じていました。それでこそ何の映画が好きか、それ以外に関してはあまり考えないかについて理解できる可能性がありました。言葉とは論理的なステップなんです。私を形成し、人生を変えた他の経験は映画祭の間に出席したワークショップです。2014年のカルタヘナ国際映画祭(残念ながらもう存在していないですが)と2017年のブエノスアイレス・インディペンデント国際映画祭でのことです。

TS:映画に興味を持った時、どんな映画を観ていましたか? 当時コロンビアではどんな映画を観ることができましたか?

PR:子供の頃、メデジン(私の故郷です)では特に刺激的な映画生活を送ることができました。覚えているのはルイ・マル「鬼火」を観て、戻れないとはどういうことかについて考えたことです。狂気の後に来るものは何か。それに耐えるためたくさんの映画を観ようとしたんです。それから当時、DVDが大きなシェアを誇っていました。何が観られるかについてのカタログは膨大で異質なものでした。それから大学の映画サークルでロッセリーニルノワールを発見したのは私にとってとても重要なことでしたね。メデジンでは世界が見ている風景を見ることができたと思います。小さな映画祭があって、熱心な映画サークルのオーガナイザーがいましたから。さらに大きな経験となったのは、ボゴタで勉強している時にアッバス・キアロスタミ本人に出会えたことです。彼とライク・サムワン・イン・ラブを観る素晴らしい経験に恵まれました。

TS:まず最初に観たコロンビア映画はなんでしょう? その感想もお聞きしたいです。

PR:正確には思い出せませんが、おそらくVictor Gaviria ビクトル・ガビリア"La vendedora de rosas""Rodrigo D: No Futuro"、それかSergio Cabrera セルヒオ・カブレラ"La estrategia del caracol"だと思います。私の小さな頃、コロンビア映画に対しては多くの誤解があり、観るのはゆっくりと恐る恐るでした。それでもコロンビア映画の探求を始めた時、Gaviria自身がとても素敵なコロンビア映画祭を開催していて、それが共同体にまつわる特別な感覚を持っていたんでした。覚えているのはそこで初めてWilliam Vega ウィリアム・ベガ"La sirga"Sebastián Cordero セバスティアン・コルデロ"Pescador"(今作はエクアドルとの共同制作でした)を観て、感銘を受けたことです。その後私はいつもコロンビア映画を探求するようになり、その歴史を知っていくことは義務のようになりました。そして自身の国を考えるにあたり、喜びと正確さを意味していました。そんな時Gaviriaはいつでも大きな存在でありました。彼の作品群は私にとっても他の人々にとっても常に参考元となりました。コロンビア映画に触れることは私にとって誤解を解き、映画がその内側に持つものを見定めることでもありました。それはまるで未知の惑星を見つけ、そこにこそ私たちの物語について考える手掛かりが、バラバラになった国とつながるための手段があると知るようなものでした。Lisandro Duque リサンドロ・デュケ"Los niños invisibles"もまた私にとってとても重要な作品です。それは解放と笑い、柔らかさを意味していました(今作はコロンビアの「大人はわかってくれない」というべき作品です)

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"Los niños invisibles"

TS:コロンビア映画の最も際立った特徴とは何だと思いますか? 例えばフランス映画は愛の哲学、ルーマニア映画は徹底したリアリズムにドス黒いユーモアです。なら、コロンビア映画に関してはどうでしょう?

PR:思うにコロンビア映画は2つの大きなグループに分かれます。1つ目のグループは常に家族、そして血のつながりという考えを描き続けています。コロンビア人として、それは世界で生きていく上でとても重要なんです。家族こそが。家族は全てなんです。それは全てのGaviria作品("Rodrigo D"は主人公と姉妹の荒れ狂う関係性と、母の死後もはや家は元の通りではないという事実を描いています。今作は母の死の後に生きることの嘆きと不可能性を描いているんです。"La vendedora de Rosas"は孤児についての寓話です。家のない人々が夜に溢れかえり、自分自身の何かを探すんです。主人公の少女は最後天国で祖母に迎えられることを期待します。"Sumas y Restasis"はドラッグ密売による家族の崩壊を描いた物語です)であり、さらに家族はDaniela Abad ダニエラ・アバドの2作品、近年でもとても重要なドキュメンタリーでも重要な役割を果たしています。"Amazona""Después de Norma"です。同じことはCiro Guerra シーロ・ゲーラCristina Gallego クリスティナ・ガジェゴ"Pájaros de verano"もそうですね。同じことは"Noche herida"にも言えますね。さらにRuben Mendoza ルーベン・メンドーサ"Tierra en la lengua""Niña errante"は全てが家族にまつわるものです。死によって新しい人生が約束されながら、この世を去ってしまった人々への深い後悔と悲しみを抱かざるを得ないと。家族という概念は常に循環しています。もう1人の"家族の映画作家"はFranco Lolli フランコ・ロジです。彼の作品は全て血の繋がりについて描いています。Lina Rodriguezは繋がりという考えやその繊細さについて映画を作っています。

映画作家たちは家族を受け入れるか、家族から逃げるかという選択を迫られているんです。"El vuelco del cangrejo""La playa D.C."(こちらは逃げることを選んだ作品です)"Los hongos""Todo comenzó por el fin""Virus Tropical"(家族と友人を近づけることは幸福の鍵になると)、"Alias Maria""Dos mujeres y una vaca"(家族の最も極端な形です)。"Los conductos"というディストピア的な寓話においても、最終的には家族についての映画なんです。それは"Matar a Jesús"(主人公の父親が殺されたことをきっかけに起こる復讐譚です)や"Los nadie"(今作はメランコリックで苦い故郷への帰還、母との再会で幕を閉じます)それからCatalina Arroyave カタリナ・アロヤベ"Los días de la ballena"(今作では娘が母のようになろうとできること全てをしていきます、それが人生を危険に晒そうとも)家族は自身によって積み上げられる何かなんです。"Pura sangre""La mansión de Araucaima""La estrategia del caracol"「大河の抱擁」"La sombra del caminante""Los colores de la montaña""Los niños invisibles"を見てみましょう。それから自分のきょうだいが嫌いで友人の方が好きなら"Apocalipsur""Estrella del sur""Silencio en el paraíso""La estrategia del dragón"を観ましょう。それから"Monos""Porfirio""Te prometo entusiasmo"、それから"Por ahora un cuento"は家族にまつわる別の考えをも描いています。最終的に、世界は家族から始まり家族に終わるようであり、家とは善と悪が隣りあって暮らす場所だということです。見ての通り、家族は私たちを国家として規定するんです。コロンビア人が家族に向ける愛や憎しみを過小評価してはいけません。家族がなければ、コロンビア映画というものは存在しません。

第2のグループは、もっとゴダール的なやり方で、イメージの問題と可能性を描いています。一般的に、こういった映画群は映画史の外と内における暴力の発露を注視しています。このグループは当時禁止され今では失われた最初のコロンビア映画"El drama del 15 de octubre"から始まっています。"Pirotecnia""Doble yo""El susurro del jaguar""Los abrazos del río""La selva inflada""Mambo Cool""Mariana"、それにCamilo Restrepo カミロ・レストレポLaura Huertas Millan ラウラ・ウエルタス・ミジャンらのほとんどの作品、さらにFelipe Guerrero フェリペ・ゲレロ"Paraíso""Oscuro animal"Juan Soto フアン・ソトの辛辣な一作"La parábola del retorno"Sebastián Múnera セバスティアン・ムネラ"La torre"Martín Mejía Rugeles マルティン・メヒア・ルヘレス"Nacimiento"Camila Rodríguez カミラ・ロドリゲス"Interior"などです。そしてLuis Ospina ルイス・オスピナの初期短編も入るでしょう。"El bombardeo de Washington""Cali: de película""Oiga""Vea""Acto de fe""Asunción"とそして彼の最も重要な映画"Agarrando Pueblo"ですね。それから美しい"En busca de María"、とても優れた一作"Mucho gusto"、折衷主義的な"Un tigre de papel"、メランコリックで観るのが辛い"Nuestra película"(私にとって"Agrrando pueblo"の次の傑作が今作です)

これらがどんなに素晴らしく大切だとしても、このグループにおいて最も重要な映画はMarta Rodriguez マルタ・ロドリゲスJorge Silva ホルヘ・シルバの映画、特に"Chircales"と素晴らしい傑作"Nuestra voz de tierra, memoria y futuro"でしょう。さらに論争的な作品"Gamín"(今作は孤児についての映画でもあります)やJairo Pinilla ハイロ・ピニージャDunav Kuzmanich ドゥナフ・クズマニッチの作品もあります。このグループにはジャーナリズムに極めて近づこうとした、弁証的で教育的な最初期の作品群も入ります(Acevedo兄弟の短編作品からPatricia Restrepo パトリシア・レストレポ"El alma del maíz"Enock Roldán エノク・ロルダン"Passing"(私たちは親類ではないですよ)、そしてCarlos Mayolo カルロス・マヨロの作品です)ほとんどが50年代60年代の映画で、この頃コロンビア映画は初期段階にありました。そしてもう1本、容易なカテゴリー化を拒む大切な作品があります。José María Arzuaga ホセ・マリア・アルスアガ(彼はスペインで生まれました)はもっと作品を作っていたなら、新しい潮流を作ることができただろう存在です。彼には自分自身の伝統を持っていました。コロンビア人についての自身の考え方があったんです。もちろんすべてのコロンビア映画には言及できませんよ。多すぎますからね。

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"La vendedora de Rosas"

TS:世界で最も有名なコロンビア人映画作家は間違いなくLuis Ospinaでしょう。 "Agarrando pueblo""Pura sangre"といった彼の作品は現代コロンビアの複雑さを描き出しています。しかし、コロンビアで彼と彼の作品はどのように評価されているんでしょう?

PR:Luis Ospinaの影響は大きく、彼の作品群は新しい映画作家にとって今でもとても存在感があります。彼の豪勢で天才的な言葉の使い方を思うと、彼はコロンビアのゴダールだと私は常に言いたくなります。ある意味でそれは真実で、何故なら彼は伝統というものを作り上げた2人の監督(もう1人はVictor Gaviriaです)の1人だからです。他の映画作家の中に、どう独立し不適切であるべきかについての考えやレッスンの源として彼を認識しているという人物もいます。Camilo RestrepoからJuan Sotoまで、彼らはOspinaと共通するものを持っています。彼は人生において祝福された映画作家であり、彼の遺産は今によく受け継がれています。さらに多くの映画監督が彼の作品を心に刻みながら現れることを確信しています。先に言った通り、私の最も好きな作品は"Nuestra película"です。今作は彼が映画において実践した全てを兼ね備えた、特別で小さな秘密のような映画です。暗い物語ですが、輝きと敬意に溢れています。今作こそLuis Ospina的な映画なんです。

TS:私の好きなコロンビア映画の1本はJaime Osorio ハイメ・オソリオ"Confesión a Laura"です。今作を観た時、いかに繊細で心を打つかには驚かされました。しかしIMDBによるとOsorio監督は死までにたった2本の作品しか残していないですね。彼に何が起こったんでしょう? 彼の作品と生涯について教えてください。

PR:私にとって"Confesión a Laura"は天啓とまでは行かなかったと言わざるを得ません。今作は正確な形でインテリアを撮影し、壁や内装から雰囲気を作りあげています。今作はとても文字的な映画で、コロンビアにおける文学の伝統を内包しています。歴史上の重要な瞬間に材を取り、それを背景として、その中間で起こる何かを物語るというものですね。最終的に彼の映画で革命的だったのはそうはならなかったことです。繊細なミザンセーヌは早くも忘れ去られ、コロンビア映画は外へと出たがりました。路地や公共の空間、空の質感や都市を撮影したがったんです。今では今作は誰かが正しい場所に置くのを忘れた、大きなパズルのピースのようです。Jaime Osorioの人生についてはあまり知りませんが、彼に起こったことは他の監督にも起こっていたことでしょう。コロンビアで1つ以上の作品を作るのはとても難しいことで、作品を作り続けるのは才能の問題だけではなく、運や他のコントロールできない要素の問題でもあるんです。

TS:あなたのここ10年で最も重要なコロンビア映画についてのリストを観た時、あなたがLina Rodríguezの2本の傑作"Señoritas""Mañana a esta hora"を入れていることに驚くとともに喜びを禁じ得ませんでした。私もLina Rodríguezは2010年代の最も偉大な映画作家の1人だと思っています。しかし彼女や彼女の作品はコロンビアでどう評価されているのでしょう?

PR:Lina Rodriguezコロンビア映画界の未来です。最も偉大な作家でしょう。才能があり優雅、省略を良しとし実験的、正確で圧倒的かつ感情に溢れています。コロンビアでは彼女の作品はあまり観られていませんし、それは恥でしょう。しかしながらボゴタシネマテークメデジン現代美術館で上映され始め、世界の映画祭が彼女を求めています。彼女は奇妙な状況にあります。彼女はカナダに住んでいるので、"コロンビア映画界"には属していません。しかし問題ではないでしょう。世界中の人々が彼女の才能を認めているんですから。私たちの雑誌Cero en conductaにおいて、彼女の作品を特集したんですが、その記事の名前は"未来の映画"といいます。彼女は正に素晴らしい映画だけしか期待できない存在です。

TS:おそらく世界のシネフィルたちにとっての、コロンビア映画に関する最も大きなニュースは、タイ人映画監督アピチャッポン・ウィラーセタクンがコロンビアで新作"Memoria"を作っているということでしょう。しかしこのニュースはあなた含めコロンビアのシネフィルにどう受け入れられているのでしょうか? 彼がコロンビアを選んだのはコロンビア映画を深く知っているからでしょうか?

ウィラーセタクンがコロンビアを撮影地に選んだのは素晴らしいことです。これを機に世界の映画作家がこの国に来てくれることを願っています。撮影の前、彼はマスタークラスを行い、"Memoria"の詳細について説明しました。そこから彼にコロンビア映画の知識がないのは明らかでしたね。彼は少しだけ"Violencia"(監督はJorge Forero ホルヘ・フォレロ、彼はグループ2の作家に入れるべきでしょう。それから彼は"Memoria"のプロデューサーの1人でもあるので、言及されるのは当然でしょうね)と"La ciénaga"(ルクレシア・マルテル作品とは関係ありません)というサンダンス出品作――おそらく彼はそこで観たんでしょう――に言及しました。後者は法的な問題があまりにも根深すぎて、私含めコロンビアの皆が観ていました。しかしこれらはウィラーセタクンが作りたい作品とは少し違うようです。彼の情熱はコロンビア映画にはなく、風景や武力抗争との関係性に魅了されているようです。思うにこの選択は純粋にビジュアル的でセンセーショナルなものです。ウィーラーセタクンはゲストとして、カルタヘナ国際映画祭で名誉賞を獲得しましたが、そこで既に撮影について考えていたんでしょう。次の年のゲストはティルダ・スウィントンだったので、もう既に全て決まっていたんでしょう。世界のシネフィルと同じように、私たちも期待しています。が、カンヌが不安定な状況にある以上、誰もいつ観られるかは分かりません。

TS:最も重要なコロンビア映画とは一体なんでしょう? その理由も知りたいです。

PR:1本だけですか? もしそうならVictor Gaviria"Sumas y restas"を選びますね。今作は私たちの映画における(そして世界の映画における)麻薬文化や麻薬密売の描き方としてベストです。今作が描くのは試練です。映画が自身の限界を押しあげ、そして当時誰も聞きたくはない事柄についての映画ができあがったんです。そして芸術家として、Gaviriaは私たちに内省を与えてくれました。とても力強いものです。彼の作品は超越し、私たちの歴史における最も暗い瞬間の1つとともに輝かしい離れ業を見せてくれるんです。そして階級差を描くにもとても直感的です。ショックなのはここにコロンビアの全てがあるからです。今作は全てについての映画なんです。

TS:もし1本好きなコロンビア映画を選ぶとするなら、それは何になりますか? その理由も知りたいです。何か個人的な思い出があるんですか?

PR:もう既に言及はしていますが2つほど挙げたいです。Victor Gaviria"Sumas y restas"Lisandro Duque"Los niños invisibles"です。両作とも自分の個人的な思い出に繋がっていて、映画が何をできるかについての天啓ともなりました。私たちを社会として描くだけではなく、私たちの不安がどこから燃えだすかを描き出しているんです。これらは"世界を観客に説明する"ということをしようとはしていません。それとは全く異なるものです。これが時代を読解するということでしょう。

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"Sumas y restas"

TS:2010年代における最も重要なコロンビア人作家は間違いなくCiro Guerraでしょう。「大河の抱擁」"Pajaros de verano"といった彼の作品は世界中の映画祭で批評的に称賛され、コロンビア映画界が世界に躍り出るきっかけを作りました。しかし彼と彼の達成はコロンビア国内でどのように評価されているんでしょう? あなたの自身の意見はどのようなものですか。

PR:Guerraに関しては意見が真っ二つに分かれています。一般大衆にとって、彼はコロンビア映画界が持つ最も素晴らしい功績です。彼の作品は議論を呼びます。そうして彼の映画のコンセプト周りで激しい論争が引き起こされる訳です。例えば「大河の抱擁」が公開された際、Guerraがアマゾンやそこに住む人々を描きだす方法についてかなり議論がありました。強く反応する人々もいました。私としては"Pájaros de verano"は完全な失敗作です。風景に関わりすぎて、崩壊についての物語が映画それ自体に成り代わってしまうんです。つまり全てが崩壊してしまったと。今作に関する議論はさらに激しいものとなりました。麻薬取引において、歴史の専門家たちは間違いなく大部分が間違っていると指摘したんです。今作が地獄行きを運命づけられた家族の退廃的な自画像であるとしてもです。Guerraは間違いなく才能がありますが、彼の作品に感動したことはあまりありません。Guerraの初めての英語映画もA級の俳優を揃えていますが、これもまた完全な失敗作です。彼は俳優を盗まれた装飾品のように撮り、全てが奇妙なペースで進んでいきます。この映画は四隅に追いやられた監督によって作られたんです。救えるものは何もありません。Guerraは観客からの注目を求め、彼らが作品に興奮することを期待しているんです。結局彼は些か有難迷惑すぎるやり方で映画を作っている訳です。

TS:2010年代も数か月前に過ぎました。聞きたいのは、2010年代の最も重要なコロンビア映画とは何かということです。例えばCiro Guerra「大河の抱擁」Franco Lolli"Litigante"Alejandro Landes"Monos"などがありますが、あなたの意見はどのようなものでしょう?

PR:2010年代は"El vuelco del cangrejo"というとても力強い作品で始まりました。ゼロ年代"Sumas y restas"が成し遂げたように、ある種の話題に対する見方を変えてしまったんです。今作は暴力と孤立についての映画で、慎み深い静謐と最も鋭い比喩表現から作られました。映画製作に新しいスタンダードを用意したんです。いち監督がコロンビアの最も遠い場所に蟠る感情をどう描き出すかを想像するうえで、今作は天啓のようでした。kの映画作家たちの独立した新しい潮流の始まりは、悲しいことに結実することはありませんでした。今作のエネルギーはすぐさま蒸発してしまったんです。それでもこの瞬間は10年のピークでした。

他方で、私が思うに"Señoritas"が趨勢を変えました。今作は今まで観たことのない作品だったんです。コロンビアに住んではいない監督が青春の生のビジョンを提示しえたのは初めてのことでした。彼女の作品は最初から特色がありました。彼女の世界が映画の中で完全に開かれていたんです。ここ10年でも本物の傑作でしょう。今作のエネルギーは未だに共鳴していて、特に若い作家たちは自身の友人たちを撮影したり、自身の困難だった時期についての作品を作ったりしています。"Señoritas"がなければ、 "Días extraños"や都市を描き出した作品群が作られるとは考えられなかったでしょう。"Señoritas"、コロンビアで最もフェミニスト的で、最もフェミニスト的視点を持った作品(主人公は夜の街を独りで歩くとともに、彼女のヒールの音が路地に響き渡るんです)は新しい世代の自画像であり、観られるべきものです。全ての素晴らしい芸術と同じく、今作は誤読されて十分に注目されてはいません。この状況が変わることを願っています。Lina RodriguezJuan Sebastián Quebrada フアン・セバスティアン・ケブラダSara Fernández サラ・フェルナンデス(彼らは"Los niños y las niñas""Los innombrables"の監督です)、それからJerónimo Atehortúa ヘロニモ・アテオルトゥア(短編映画"Becerra"の監督です)らとともに新しい伝統を作っていくでしょう。もっと時代と映画史に近づいた伝統です。どうなっていくかは追々分かります。

TS:コロンビア映画の現状はどういったものでしょう。外側からだと、とても良いものに思えます。シーロ・ゲーラ以降も、新しい才能が有名な映画祭にどんどん現れています。例えばトロントLaura Mora Ortega ラウラ・モーラ・オルテガ、ベルリンのSantiago Caicedo サンティアゴカイセ、そしてカンヌのFranco Lolliなどです。しかし内側からだと現状はどのように見えるでしょう?

PR:状況は不安定なものです。あなたの言う通り、新しい才能はいますが"古い"才能は脇に追いやられています(William Vega"Sal"は完璧な例です。素晴らしい映画だのに誰も注意を払わないんです)コロンビアは新しい才能だけに注目して、去年注目していた新しい才能の新作は追おうとしないという風です。しかし未来に期待できます。Laura Moraは8月に新作を撮影する予定です。他にもたくさんの待機策があります。誰も語らない事実にコロンビアの短編映画がいかに健康的かということがあります。Andrés Ramírez アンドレス・ラミレスという催眠的な傑作短編"El edén"の監督は現在初長編を準備しています。最高のものはもうまだ見つかっていませんが、監督たちの進歩に注目する必要があるんです。

TS:それからコロンビアの映画批評の現状はどうでしょう? 外側からだと批評に触れることはほぼできません。ですが内側からだと、現状はどのように見えてくるでしょう?

PR:現状は曖昧なものです(質というものが常に問題になります)新しい才能はどんどん現れ、彼らを読解する新しい手法もたくさんあります。同僚や友人たちとともに、私たちは映画雑誌を作り、映画に関するもっと長く多様性のある洞察を深めようとしています。簡単なことなどありません。この国において映画批評の健康というものは私たちがどう新たな議論を起こせるかに左右されています。映画批評家はメインの雑誌や新聞からは排除されているので、新しい何か現れる必要があります。だからこそ映画雑誌を刊行したんです。にも関わらず、コロンビアの映画批評の歴史は大きなもので、偉大な作家が多くいます。Andrés CaicedoAlberto Aguirreに加えて、Luis Alberto Alvarez ルイス・アルベルトアルバレスもとても重要な存在です。映画批評が止まったことはありませんが、需要を満たすためには常に深刻な問題の数々に直面してきたんです。

TS:コロンビア映画界において最も注目すべき才能は一体誰ですか? 例えば私としては独自の映画的言語を持っている意味でCarla Melo カルラ・メロLaura Huertas Millánを挙げたいです。しかしあなたのご意見は?

PR:もう1度Lina Rodriguezの名前を挙げてもいいですか? それから短編の分野からも新しい才能は現れていますね。MeloやMillán、それからMónica Bravo モニカ・ブラボーAndrés Ramírez アンドレス・ラミレスSara Fernández サラ・フェルナンデスJharol Mendoza ハロル・メンドーサ、そしてSebastián Abril セバスティアン・アブリルを挙げたいです。

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"Mañana a esta hora"

Jodie Mack&"The Grand Bizarre"/極彩色とともに旅をする

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さて、今はコロナウイルスによって前代未聞の隔離の時代がやってきている。満足に外に出ることもできず、それは映画館で映画を観ることすらままならないことを意味している。だがそんな時こそ配信で映画を観るにはうってつけの時とも言えるし、そんな時のために私は未公開映画を多数紹介してきた。そして今回はこの隔離の時代にこそ世界へと旅をすることのできる作品、気鋭の実験映画作家Jodie Mackによる初長編"The Grand Bizarre"を紹介していこう。

私たちはまずこの映画にいかに鮮烈な色彩が溢れているかに驚かされるだろう。色とりどりの布地が画面に現れては消えていき、私たちの瞳を楽しませていく。その光景はまるでおもちゃ箱をどしゃあんとひっくり返したかのような有様で、観ていると心がワクワクに満たされていく筈だ。それが"The Grand Bizarre"の鮮やかなる始まりである。

今作はストップモーションという手法を使うことによって、無数のカラフルな布が躍動する様を描きだした作品だ。布たちが命を得たかのように地面を歩くかと思えば、壁を動きまわり、空を漂っていく。赤い布、黒い布、青い布、黄色い布。その色彩は多岐に渡り、名前も知らない色彩さえもそこに存在し、その美しさを煌めかせているのだ。

監督であるMackは5年の歳月をかけ、15もの国を旅することでこの作品を完成させたのだという。それほどの時間と熱意を賭けて作り出された本作は正に意欲作というに相応しい作品であり、長年実験的な短編作品を作り続けてきた彼女にとっては集大成というべき作品ともなっているだろう。

15ヵ国を旅してきたというだけあって、この作品には様々な世界の風景が焼きついている。バスの窓から見えてくる青い空、船の甲板から見えてくる無限の広がりを持った海、建物の屋上から見えてくる喧騒と活力に満ちた雑踏。そしてそこに極彩色の布たちがまるで渡り鳥のように重なっていく。私たちはその渡り鳥たちとともに、世界を旅するのである。

Mackの紡ぐアニメーションは例えばヤン・シュヴァンクマイエルブルース・ビックフォードなどの奇妙で超現実的なアニメーションを彷彿とさせるものだ。それらは頗る奇妙なビジョンを作り上げることで、そこから生の眩いほどの美しさというものを掬いあげていくが、Mackも正にそんなアニメーションを紡いでいく。それが余りにも奇妙なまでに鮮やかすぎて、狂気にも似た熱意が感じられるのだ。

そして私たちはこの映画を観ているうち、この世界にはいかに多くの色彩と質感が存在しているかに思いを馳せることになるだろう。私たちが気づいていないだけで、それらはこの世界を輝かしく躍動しているのである。それをMackのアニメーションは教えてくれるのである。"The Grand Bizarre"という作品を観るのは、極彩色とともに世界を旅するようなものだ。この素晴らしい作品の後には、隔離の時代が終わった暁に、この広大な世界を再び旅しようと思えるだろう。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その371 Antoneta Kastrati&"Zana"/コソボ、彼女に刻まれた傷痕
その372 Tamar Shavgulidze&"Comets"/この大地で、私たちは再び愛しあう
その373 Gregor Božič&"Zgodbe iz kostanjevih gozdov"/スロヴェニア、黄昏色の郷愁
その374 Nils-Erik Ekblom&"Pihalla"/フィンランド、愛のこの瑞々しさ
その375 Atiq Rahimi&"Our Lady of Nile"/ルワンダ、昨日の優しさにはもう戻れない
その376 Dag Johan Haugerud&"Barn"/ノルウェーの今、優しさと罪
その377 Tomas Vengris&"Motherland"/母なる土地、リトアニア
その378 Dechen Roder&"Honeygiver among the Dogs"/ブータン、運命の女を追って
その379 Tashi Gyeltshen&"The Red Phallus"/ブータン、屹立する男性性
その380 Mohamed El Badaoui&"Lalla Aïcha"/モロッコ、母なる愛も枯れ果てる地で
その381 Fabio Meira&"As duas Irenes"/イレーニ、イレーニ、イレーニ
その382 2020年代、期待の新鋭映画監督100!
その383 Alexander Zolotukhin&"A Russian Youth"/あの戦争は今も続いている
その384 Jure Pavlović&"Mater"/クロアチア、母なる大地への帰還
その385 Marko Đorđević&"Moj jutarnji smeh"/理解されえぬ心の彷徨
その386 Matjaž Ivanišin&"Oroslan"/生きることへの小さな祝福
その387 Maria Clara Escobar&"Desterro"/ブラジル、彼女の黙示録
その388 Eduardo Morotó&"A Morte Habita à Noite"/ブコウスキーの魂、ブラジルへ
その389 Sebastián Lojo&"Los fantasmas"/グアテマラ、この弱肉強食の世界
その390 Juan Mónaco Cagni&"Ofrenda"/映画こそが人生を祝福する
その391 Arun Karthick&"Nasir"/インド、この地に広がる脅威
その392 Davit Pirtskhalava&"Sashleli"/ジョージア、現実を映す詩情
その393 Salomón Pérez&"En medio del laberinto"/ペルー、スケボー少年たちの青春
その394 Iris Elezi&"Bota"/アルバニア、世界の果てのカフェで
その395 Camilo Restrepo&"Los conductos"/コロンビア、その悍ましき黙示録
その396 José Luis Valle&"Uzi"/メキシコ、黄金時代はどこへ?
その397 Florenc Papas&"Derë e hapur"/アルバニア、姉妹の絆と家父長制
その398 Burak Çevik&"Aidiyet"/トルコ、過ぎ去りし夜に捧ぐ
その399 Radu Jude&"Tipografic majuscul"/ルーマニアに正義を、自由を!
その400 Radu Jude&"Iesirea trenurilor din gară"/ルーマニアより行く死の列車
その401 Jodie Mack&"The Grand Bizarre"/極彩色とともに旅をする

エストニア映画界に春は来るか?~Interview with Tristan Priimägi

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さて、日本の映画批評において不満なことはそれこそ塵の数ほど存在しているが、大きな不満の1つは批評界がいかにフランスに偏っているかである。蓮實御大を筆頭として、映画批評はフランスにしかないのかというほどに日本はフランス中心主義的であり、フランス語から翻訳された批評本やフランスで勉強した批評家の本には簡単に出会えるが、その他の国の批評については全く窺い知ることができない。よくてアメリカは英語だから知ることはできるが、それもまた英語中心主義的な陥穽におちいってしまう訳である(そのせいもあるだろうが、いわゆる日本未公開映画も、何とか日本で上映されることになった幸運な作品の数々はほぼフランス語か英語作品である)

この現状に"本当つまんねえ奴らだな、お前ら"と思うのだ。そして私は常に欲している。フランスや英語圏だけではない、例えばインドネシアブルガリア、アルゼンチンやエジプト、そういった周縁の国々に根づいた批評を紹介できる日本人はいないのか?と。そう言うと、こう言ってくる人もいるだろう。"じゃあお前がやれ"と。ということで今回の記事はその1つの達成である。

さて、今回インタビューしたのはエストニア映画批評家Tristan Priimägi トリスタン・プリーマギである。読者の方々はエストニア映画と聞いてどんな映画を思い浮かべるだろうか。何人かはこの前日本でも公開された「みかんの丘」を思い出す人もいるかもしれない。だが他の作品を思いつく人はそういないだろう。だからこそこの日本でエストニア映画史を紹介する必要がある訳である。ということで今回はエストニア気鋭の批評家にエストニア映画にまつわる個人的な思い出、エストニア映画史に残る傑作"Kevade"とそれに関連する逸話、エストニア映画のシビアな現状などなど様々な話題について聞いてみた。自国の映画史に対してなかなか厳しい見方をする人物で、答えもかなり興味深いものになった。それではどうぞ。

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済藤鉄腸:まずどうして映画批評家になりたいと思ったんですか? そしてどのようにそれを成し遂げましたか?

トリスタン・プリーマギ(TP):これは意識的な決断ではありませんでした。大学の後にタリンへ移住してから、2002年に"Agent Sinikael"("エージェント野鴨")という新作エストニア映画のレビューを頼まれました。徹夜して書き続けましたが、終わったのは締め切りギリギリでした。その頃にあったプレッシャーが好かなかったのもあると思いますし、長年取り組んでいた音楽批評ほどに敬意を感じていなかったからとも思います。しかし徐々に映画に関する執筆が人生に食いこんできて、2014年には真剣に取り組み始めました。そして職を変えて、週刊の文化誌であるSirpで映画分野のリーダーになりました。今はこの仕事を楽しめるようになりました。

TS:映画に興味を持った時、どんな映画を観ていましたか? 当時エストニアではどんな映画を観ることができましたか?

TP:小さな頃の強烈な映画体験を今でも覚えています。それはいつでもホラーとともにあるのですが、ショックな場面が思い出として焼きついているからだっと思いますね。ソ連産ではない映画は珍しい商品で、そのおかげでより強烈な衝撃を受けましたね。「食人族」は8歳の誕生日に観ました。父のセレクトですが、それ以上聞かないでください。タルトゥ天文台ではエクソシストを観ました(数週間夢に出ましたね)ポルターガイストⅡ」の違法上映から帰ってきた後、停電を経験したんですが、30分ソファーの上から動けなくなって、背後のドアが閉まってるか閉まっていないか狂ったように思い出そうとしてました。ランボー/怒りの脱出」は父の職場で彼の同僚と一緒に隠れて観ました。今作には反ソ連的な内容が含まれていたからです。

その後、高校では芸術映画に興味を抱くようになり、それは情報競争のような状況を呈しました。思い出せるのは6時間のテレビ版「ファニーとアレクサンデル」は同級生と徹夜で観たことですね。問題はそれがスウェーデン語音声・フィンランド語字幕だったことで、半分しか理解できませんでしたが、それでも最高の体験でした。エストニア映画だけが自由に観られる頃は、それらに嫌悪感を抱いていたんですが、それは若く馬鹿げた価値観において政権がそういうものに映ったからでしょう。またエストニア映画と深く関われるようになるには時間がかかったので、たくさんの映画を観る必要がありました。

TS:一番最初に観たエストニア映画は何でしょう? その感想も聞きたいです。

TP:覚えてないですね。とても小さな頃からたくさんのエストニア映画をTVで観てましたから。

TS:あなたにとってエストニア映画の最も際立った特徴は何でしょう? 例えばフランス映画は愛の哲学、ルーマニア映画は徹底したリアリズムとドス黒いユーモアなどです。では、エストニア映画はどうでしょう?

TP:それはおそらく苦悩を通じた贖罪でしょうね。伝統としてこれは世界的伝統における宗教的なテーマに属していますが、エストニアでは違います。何故ならソ連に宗教というものは存在しなかったからであり(共産党はこの立ち位置を消し去りました)その後に宗教は残らなかったからです。エストニア人は主に無神論者ですが(最終的に自分たちをそう考えるようになった訳です)ゲルマン民族プロテスタント的労働倫理を成功裏に受け継ぎました。エストニアにおいて勤勉さは宗教的褒章、来世として返ってはきません。もっと存在論的な愉悦として、ある種の哲学的理解として返ってくるのです。主として、結論は無意味でどこにも行きつくことはありません。

我々の映画は荒涼として、存在論的で、時おり極めて象徴的なものです。同様の伝統における新しい映画群について、私の友人である映画批評家Carmen Gray カルメン・グレイはそれを"エストニアン・ゴシック"と定義づけました。とても正確なものだと思います。新しい映画群は語りの手法として黒いユーモアを採用しました。ソ連時代、皮肉的な文脈でユーモアを駆使することはほとんど不可能でした。アニメーション以外は検閲を突破できなかったんです。

TS:最も重要なエストニア映画とは何でしょう? そしてそれは何故でしょう?

TP:答えるのは難しいですね。今日と明日で答えは変わってくるでしょうから。しかし無から生まれた完璧な傑作として"Georgica"(Sulev Keedus スレヴ・ケードゥス, 1998)を挙げたいです。90年代という10年間、エストニア映画は予算や一般的な方向性なしで何かを成し遂げようと必死でした。そして今作が天啓のように現れたんです。"Georgica"は全ての時代におけるトップクラスのヨーロッパの芸術映画に匹敵する作品です。今でも何が起こったのか理解できずにいます。今作1つで信仰は取り戻されたんです。全てが消え去った訳ではありませんでした。

それから、例えば"Triangle"などのPriit Pärn プリート・パルンの初期アニメーションを挙げたいと思います。彼の初期作はエストニアと世界のアニメーション両方に不朽の影響を与えています。今でもアニメーション映画の中に彼の痕跡を観ることができるでしょう。彼は世界の映画に影響を与えた唯一のエストニア映画作家と言えるでしょう。

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"Georgica"

TS:もし1本だけ好きなエストニア映画を選ぶなら、それは何でしょう? 理由はありますか、個人的な思い出などは?

TP:先の質問が答えの代わりですね。1本だけというのはないです。10から15本は挙げなくてはいけません。

TS:海外において世界のシネフィルに最も有名なエストニア人作家はArvo Kruusement アルヴォ・クルーセメントでしょう。彼の"Kevade"("春")がいかに豊穣で瑞々しいかには驚かされました。しかし実際に彼と彼の作品はエストニアでどのように評価されているでしょう?

TP:Kruusementは伝説です。未だに存命でとても尖鋭な人物でもあります。"Kevade""Viimne reliikvia"("最後の遺物")という作品と、最も重要で人気のエストニア映画の座を争っています。この2作が1969年という同じ年に作られたことを考えると、郷愁に呑みこまれそうな思いに駆られます。エストニア映画に関心のある批評家として、その思いとは戦う必要があるでしょう。世界は常に変わり続けており、批評家が時とともに変わるのを躊躇う様には心配になります。だからこそ私たちは60年代のヨーロッパの作家たちを偶像化しようとするのでしょう。もちろんその頃にも傑作は作られましたが、フェリーニベルイマンを到達できない存在として語るのは狭量だと思います。世界は動いているんです。留まるべきではありません。

TS:そしてとても興味深いのはKruusementが"Kevade" "Suvi" ("夏"), "Sügis" ("秋")というOskar Luts オスカル・ルッツによる三部作を同じスタッフとキャストで制作していることです。驚くべきはこの三部作がリチャード・リンクレイターによるビフォア三部作を先取りしていることです。どのようにこの三部作は作られたのですか。エストニアではどのように受け入れられているのですか?

TP:製作には多大な労力を要しました。何故ならスタジオであるTallinnfilmが第2部である"Suvi"を新しいキャストで作れとKruusementに迫ったからです。他のキャストでスクリーンテストが何度も行われましたが、最終的にKruusement側が勝ちました。最初の2作は紛れもない古典、10点中10点です。3作目である"Sügis"は郷愁に満ちた後知恵であり、不安定なスタイルとリズムに歪まされています。しかし作られる必要がありました。原作が存在したし、Kruusementによれば、彼は50年間禁止された青・黒・白のエストニア国旗が映る映画を作りたかったというんです。実際に国旗は映し出され、彼の願いは叶ったというべきでしょう。

ところで4作目である"Talve"が今年プレミア上映されました。何人かは同じ俳優が出演していますが、Kruusementが監督している訳ではなく、原作もOskar Lutsの思想が反映されているか怪しい、ほとんど他の人物によって書かれた作品です。魅力的な映画ですが、けばけばしさもあります。それでもリンクレイターに30年は先行している訳ですし、4部作のスパンは50年にも渡るんです。

TS:個人的に好きなエストニア人監督の1人はGrigori Kromanov グリゴリ・クロマノフです。彼のカルト的な傑作"Hukkunud alpinisti hotell"("死んだ登山者のホテル")は私含め世界のシネフィルの血に印象的に刻まれています。しかし彼は一体誰なのでしょう? 彼はカルト的な映画を頻繁に作っていたんですか?

TP:Grigori Kromanovは古いタイプの紳士であり賢者です。素晴らしいのは少しだけしか映画を作らなかったことです。彼は劇場でこそ頻繁に働いており、権威に作品の計画の数々を認められなかったこともあり、映画を作るのが難しかったんです。しかし大胆なまでに異なる映画の数々を作っています。"Hukkunud alpinisti hotell"は純粋なSF映画であり、原作を執筆したのはストルガツキー兄弟です(彼らの本の1つは「ストーカー」の原型でもあります)"Viimne reliikvia"は純粋な"剣とケープ"の冒険映画であり、エロール・フリンによく似合う作品ともなっています。最も人気なエストニア映画でもあり、1970年だけで4500万人を動員しました。

その前に製作した"Põrgupõhja uus vanapagan"("新たなサタンの災難", 1964)は重要な形而上学的寓話で、Jüri Müür ユーリ・ミュールと共同で監督しています。"Meie Artur"("我らがアルトゥル", 1968)はドキュメンタリー制作において新たな地平を切り開きました。新しいシネマ・ヴェリテ的様式でArtur Rinne アルトゥル・リンネを描き出し、そこにイデオロギー的重荷はありません。彼の短いフィルモグラフィには強烈な魅力があります。少なくとも世界的なレベルのものです。

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"Kevade"

TS:あなたは今"エストニア映画101本"という本を書いていると聞きました。この本について日本の読者に説明してくれませんか? そういった本が出版されることにとても興味を抱いています。

TP:この本はエストニア映画を代表する101本の作品を選び、それについて書いたエッセーを集めたものです。基本的に自分の好きな作品ですね。長編、ドキュメンタリー、アニメーション、短編。これらを年代順に並べています。願わくば今作がエストニア映画史への短いイントロダクションになればと思います。すぐに出版されればと願うとともに、日本語でも他の言語でも翻訳されることにはオープンでいようと思っています。エストニア映画やその文化はとても小さなものでありながら、特有の言語を持っているので、他の誰も私たちについて紹介することはできません。私たちが世界に向けて私たち自身を紹介する必要があるんです。

TS:2010年代も数か月前に過ぎ去りました。そこで聞きたいのは2010年代最も重要なエストニア映画は何かということです。例えばMartti Helde マルッティ・ヒル"Ristuules"("十字路")、Veiko Õunpuu ヴェイコ・オウンプー"Free Range"("放し飼い")、Rainer Sarnet ライネル・サルネット"Rehepapp"("11月")などがありますが。

TP:それらが最も重要でしょうか。いつも思っているのはこの10年は"0歳"という言葉が似合うということです(笑)何故なら文化的なシフトが少しの遅れとともにやってきたからです。当然、コロナウイルスが新しい10年と新しい年の幕開けを飾ったゆえ、何が起こるかには注視する必要がありますが。

とにかく最も重要な作品は「みかんの丘」でしょう。ジョージアエストニアの共同制作で、初めてアカデミー賞にノミネートされた作品であり、エストニア映画界において大きな影響を与えました。一般的に2010年代というのはエストニア人がエストニア映画に対する信条を回復するという年代でした。その一部は芸術的な勇気のための不愉快なトレードオフから起こったものでもあります。映画はより安全で、観客に友好的になってきています。この方向性を完全にサポートできるか定かではありません。ここ10年で個人的に好きな作品はアニメーションですね。"Body Memory""Villa Antropoff""Orpheus"や"Pilots on the Way Home""Toomas Beneath the Valley of the Wild Wolves"などです。

TS:エストニア映画界の現状はどういったものでしょう。外側からだと、良いもののように思えます。新しい才能がとても有名な映画祭に現れていますからね。例えばトライベッカのRainer Sarnet、釜山のMoonika Siimets モーニカ・シーメッツ、カルロヴィ・ヴァリのPriit Pääsuke プリート・パースケなどです。しかし内側から見ると、現状はどのように見えるでしょう?

TP:まあ……トライベッカと釜山はいいものですね。しかしカンヌやヴェネチアと同じではありません、もちろん悪口ではないですよ。エストニア映画はローカル的にとても人気で、2019年には23%の観客を占めました。これは前代未聞のことです。狂ってるとすら言えるでしょう。エストニア映画は脚本執筆や編集など技術的な面においてだと、高いレベルの職人性に達してきました。そのおかげで本物の映画に見えるし、恥ずかしさもなく簡単に観ることができます。しかし次のステップとして映画製作において独自のスタイルを追求することが必要です。おそらくもっと語りに頼らず、省略的であるべきなんです、よく分かりませんが。最近皆が適応しようとする、アングロ系アメリカ人たちによるエンターテイメントの巨大な手法以上のものを目指すべきです。ロシアや中国を見てください。強烈なヴィジョンとそれを見極める勇気が必要とされているんです。今、プロダクションにおいて、エストニアは最も大きな映画祭の"黄金の環"に居場所がありません。何故なら私たちは皆を喜ばせようと必死だからです。

TS:それから映画批評の現状はどういうものでしょう? 外側からだと、そこに触れる機会が全くありません。しかし内側からだと、現状はどのように見えてくるでしょう?

TP:映画批評には成長し発展していく可能性があります。現状を反映した映画についての執筆や分析を受け入れるためのメディア空間が存在していますからね。しかしほとんどの批評家が努力したり、真剣に働くことに乗り気ではありません。それを実践する貴重な数人は黄金のような価値があります。私は執筆を始めたばかりの若い人々を見つけ出そうとしてきましたし、執筆にもっと深く関わらせようと勇気づけようとしてきました。思うに興味深い考えを持つには、文化へのもっと広いセンスや感情が必要なんです。狭い映画の知識だけではダメです。それでは考えが制限されます。

TS:エストニア映画界で最も注目すべき新しい才能は誰でしょう? 例えば外側からだと独自の映画的声を持っている意味で、Anu-Laura Tuttelberg アヌ=ラウラ・トゥッテルベルグChintis Lundgren シンティス・ルンドグレンを挙げたいと思います。あなたのご意見は?

TP:難しいですね。彼らを必要以上に支持したくはありません。が、若い才能は確かに存在します。Moonika SiimetsやEeva Mägi エーヴァ・マギTanel Toom タネル・トームVallo Toomla ヴァッロ・トームラなどです。何人かは素晴らしい短編を作っているというだけで才能というには早すぎるかもしれませんが、希望を持っています。前衛的映画製作の強烈で新しい波が来ているように思われます。彼らが次の10年を形作っていくことを祈っています。

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"Toomas Beneath the Valley of the Wild Wolves"

コロンビア映画界に未来はあるか?~Interview with Juan Carlos Lemus Polania

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さて、日本の映画批評において不満なことはそれこそ塵の数ほど存在しているが、大きな不満の1つは批評界がいかにフランスに偏っているかである。蓮實御大を筆頭として、映画批評はフランスにしかないのかというほどに日本はフランス中心主義的であり、フランス語から翻訳された批評本やフランスで勉強した批評家の本には簡単に出会えるが、その他の国の批評については全く窺い知ることができない。よくてアメリカは英語だから知ることはできるが、それもまた英語中心主義的な陥穽におちいってしまう訳である(そのせいもあるだろうが、いわゆる日本未公開映画も、何とか日本で上映されることになった幸運な作品の数々はほぼフランス語か英語作品である)

この現状に"本当つまんねえ奴らだな、お前ら"と思うのだ。そして私は常に欲している。フランスや英語圏だけではない、例えばインドネシアブルガリア、アルゼンチンやエジプト、そういった周縁の国々に根づいた批評を紹介できる日本人はいないのか?と。そう言うと、こう言ってくる人もいるだろう。"じゃあお前がやれ"と。ということで今回の記事はその1つの達成である。

さて今回インタビューしたのはコロンビアの映画批評家Juan Carlos Lemus Polania フアン・カルロス・レムス・ポラニである。コロンビア映画界はラテンアメリカでも比較的影が薄かったが「大河の抱擁」によってこの国の若手作家Ciro Guerra シーロ・ゲーラがブレイクした後、続々と新しい才能が現れ始めた。という訳で2020年代に大躍進が期待される国であるが、今回はそんな国の批評家にコロンビア映画史について直撃してみた。それではどうぞ。

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済藤鉄腸(TS):まずどうして映画批評家になりたいと思いましたか? それをどのように成し遂げましたか? 

フアン・カルロス・レムス・ポラニア(JP):90年代、私はCine Arteという金曜の午前0時から始まるテレビ番組を通じてたくさんの映画を観ました。そして映画を観て、それについて話し、金を稼げたなら素晴らしいだろうなと思いました。しかしクリストファー・ウォーケンが言うように"人々は私の選択について尋ねてくる。しかし自分は選択などほとんどしたことがない、ほとんど。物事が起こり、それについて"はい"か"いいえ"かで答えるだけ。普通は"はい"だ。それは何かをやらないよりやる方がいいからだ"という訳です。そして6年前、私はEl Tiempo(コロンビアの最も大きな新聞社です)からベルリン国際映画祭に参加しないかと言われました。ここまで言えば答えは分かるでしょう。

TS:映画に興味を持ち始めた頃、どういった作品を観ていましたか。当時コロンビアではどのような作品を観ることができましたか?

JP:物心ついた頃から映画が好きでした。思い出すのは10代の頃、ネイバというボゴタの南にある小さな町の、私の家の角にあるビデオクラブに入り浸っていたことです。そして映画館はコミュニケーションの場でもありました。とても多くの良作が上映されていて、その幾つかは今では古典やカルトと呼ばれる類のものでした。「マッドマックス」「セックスと嘘とビデオテープ」「エイリアン」「ブルー・ベルベット」「ブレードランナー」「カラーパープルなどです。しかし最初に印象に残ったのはアニメマジンガーZでした。私がマジンガーZを探してどれほどの時間を秋葉原に費やしたか分かりますか。

TS:最初に観たコロンビア映画は何でしょう? その感想も聞かせてください。

JP:コロンビア映画に関して言うと、思い出せるのは"El taxista millonario"(1979)というヒットしたとてもベーシックなコメディ映画です。初めて映画館で観た作品もこれでした。しかし本当の意味で印象に残った作品は"Cóndores no entierran todos los días"(1984)でした。それから1990年の"Rodrigo D: No futuro"がありますね。

TS:コロンビア映画の最も際立った特徴とは一体なんでしょう? 例えばフランス映画は愛の哲学、ルーマニア映画は徹底したリアリズムと暗黒のユーモアです。それでは、コロンビア映画についてはどう言えるでしょう?

JP:私は映画を違う風に捉えています。ある地理学的視点から映画について考え、特徴を特定しようとする人もいますが、私は評論家としてそういった過度の単純化はしたくありません。加えて、私たちの映画は未だ自分自身の声や視点を探している途中であり、個別的にしても普遍的にしても何かを説明できるものを探しているんです。

TS:世界のシネフィルに最も有名なコロンビア人映画作家は間違いなくLuís Ospina ルイス・オスピナでしょう。"Agarrando pueblo""Pura sangre"など彼の作品は現代コロンビアの複雑さを描いています。しかし彼や彼の作品はコロンビアで実際どのように評価されているのでしょう?

JP:私たちの映画史における象徴的意味について考える時、Don Luís Ospinaはトーテムのような存在です。しかし彼の、私たちの、映画という芸術的表現の境界を越えて知られているというには程遠いです。思い出せる限り、彼の最後の作品であるドキュメンタリー"Todo comenzó por el fin"は商業的な形で公開されませんでした。

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"Pura sangre"

TS:そしてLuís OspinaはCaliwoodという映画団体を率いていましたね。これについて日本の読者に教えてくださいませんか? この団体はコロンビアの映画産業においてどのような意味を持っていたのでしょう?

JP:Caliwoodはカリというコロンビアで3番目に大きな都市から生まれた、映画にまつわる思想と批評についてのチームです。Caliwoodは決して叶わなかった夢でもありました。何故なら余りに多くのことが経済を中心に回っていたからです。ある時Ospinaは言いました。"コロンビアの映画作家たちは成功を運命づけられている"と。結果として私たちの映画は映画ごとに生まれ変わる赤子であり、失敗することは許されない。そして多くの新しい作家たちはデビュー作しか残せないんです。

TS:個人的に好きなコロンビア映画Victor Gaviria ビクトル・ガビリア"Rodrigo D: No Futuro"です。今作の提示する厳しい現実には心から打ちのめされました。そこで聞きたいのは、今作はコロンビアでどのように評価されているかということです。

JP:今作は私たちにとっての象徴です。初めてカンヌのコンペティション部門に選出されたコロンビア映画でもあります。不幸なことに、あなたの仰る"厳しい現実"は私たちの心には余りにも近すぎました。私の意見としては"Rodrigo D"の成功は私たちの現実において比喩的な逸話となっていたことです。カンヌでのプレミア上映は甘くも酸っぱいものでした。"これでは我が国の印象は良くならない"と言われたんです。メッセージの面で生の状態でそれ以上の結果を生みませんでした。

TS:あなたの意見として最も重要なコロンビア映画は何ですか? その理由もお聞きしたいです。

JP:私の意見としては2作あります。まずは"Rodrigo D"、何故なら初めてカンヌに出品された映画だからです。もう1作は"La Estrategia del caracol"、なぜなら深い物語とよくできた構成が興行において合致したからです。

TS:もし1作だけ好きなコロンビア映画を選ぶなら、どの作品を選びますか? その理由はなんでしょう。個人的な思い出がありますか?

JP:今日なら私は"Rodrigo D"と言いますね。10代の頃の思い出や郷愁が溢れてきます。しかし明日には他の映画の名前を挙げるでしょうね。

TS:2010年も数か月前に過ぎました。そこで聞きたいのは、2010年代において最も重要なコロンビア映画は何かということです。例えばCiro Guerra シーロ・ゲーラ「大河の抱擁」Franco Lolli フランコ・ロッリ"Litigante"Alejandro Landes アレハンドロ・ランデス「猿」などがあります。あなたの意見は?

JP:おそらくは「大河の抱擁」でしょう。2015年のカンヌにおいて批評家の反応がとても良かったのを覚えています。

TS:コロンビア映画界の現状はどういったものでしょう? 外側から見ると、とても良い状況にあるように思えます。Ciro Guerra以降、新しい才能が有名な映画祭に多く現れています。例えばトロントLaura Mora Ortega ラウラ・モラ・オルテガ、ベルリンのSantiago Caicedo サンティアゴカイセ、そしてカンヌのFranco Lolliです。しかし内側から見ると、現状はどのようなものでしょう?

JP:告白しなくてはならないのは、私は外国に移住して10年が経っていることです。それを念頭に入れて語ると、私たちの国は映画をその手に持ち始め、国民も映画とはマーケットという形態から遠く離れたものだと受け入れ始めています。文化的、社会的重要性において議論の余地はありません。この10年の始まりに、私たちが国として映画を統合できることを祈っています。

TS;コロンビアにおける映画批評の現状はどうなっていますか?外側からだとその批評に触れる機会がありません。しかし内側からだと、現状はどのように見えるでしょう?

JP:思うにコロンビアでは批評も映画と同じように建設中のようなものです。調べれば分かる通り、この国は国際批評家連盟(FIPRESCI)に加盟する団体がない数少ない国の1つなんです。それでも雑誌やウェブサイトは存在しますし、ドンキホーテ的な難行にも挑戦しています。

TS:今、コロンビア映画界で最も才能のある若い作家は誰だと思いますか? 例えば、独自の映画的なビジョンを持っている意味で、私はCarla Melo カルラ・メロLaura Huertas Millán ラウラ・ウエルタス・ミジャンを挙げたいです。あなたの意見はどうでしょう?

JP:水晶玉は持っていませんが、注目すべき才能について語るなら、過去について語るのと同じでしょう。しかし1回だけの奇跡を起こした例は枚挙に暇がないですが、デビュー作を越えられる映画作家はいません。それでも挙げるならCamilo Restrepo カミロ・レストレポNatalia Santa ナタリア・サンタIván Gaona イバン・ガオナでしょうか。

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"Rodrigo D: No Futuro"

世界の皆がチリ映画史を待っている~Interview with Héctor Lientur Oyarzún Galaz

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さて、日本の映画批評において不満なことはそれこそ塵の数ほど存在しているが、大きな不満の1つは批評界がいかにフランスに偏っているかである。蓮實御大を筆頭として、映画批評はフランスにしかないのかというほどに日本はフランス中心主義的であり、フランス語から翻訳された批評本やフランスで勉強した批評家の本には簡単に出会えるが、その他の国の批評については全く窺い知ることができない。よくてアメリカは英語だから知ることはできるが、それもまた英語中心主義的な陥穽におちいってしまう訳である(そのせいもあるだろうが、いわゆる日本未公開映画も、何とか日本で上映されることになった幸運な作品の数々はほぼフランス語か英語作品である)

この現状に"本当つまんねえ奴らだな、お前ら"と思うのだ。そして私は常に欲している。フランスや英語圏だけではない、例えばインドネシアブルガリア、アルゼンチンやエジプト、そういった周縁の国々に根づいた批評を紹介できる日本人はいないのか?と。そう言うと、こう言ってくる人もいるだろう。"じゃあお前がやれ"と。ということで今回の記事はその1つの達成である。

さて今回インタビューをしたのは、チリの映画評論家Héctor Oyarzún エクトル・オヤルスンである。2010年代においてチリ映画界は「NO」パブロ・ラライン「グロリアの青春」セバスティアン・レリオの台頭で一躍世界トップの座に躍り出たが、それ以前のチリ映画史について知っている人はどのくらいいるだろう。今回はチリ映画界の重鎮ラウル・ルイスを含めたチリ映画史、本国におけるパブロ・ララインの存在感、今後のチリ映画の展望などについて尋ねてみた。ラテンアメリカ映画に興味がある人はぜひ読んでほしい。それではどうぞ。

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済藤鉄腸(TS):まず、どうして映画評論家になろうと思ったんでしょう? それをどのように成し遂げたんでしょう?

エクトル・オヤルスン(HO):映画にのめりこんだのは小さな頃からです。正確にどんな映画がまず私に影響を与えたかは覚えてません。ですがその後の映画については完璧に思い出せます。母が私の趣味に気づいてから、ブロックバスターで映画を借りてくれるようになりました。そうしてたくさんのチャップリン映画やアメリカン・ニューシネマを観て、子供心に大きな影響を受けました。そこから映画を観ることを止められなくなりました。その後、ある教師に出会ったんですが、彼はたくさんの映画を見せてくれましたし、映画を批評するやり方も教えてくれました。それからは映画を分析的な距離を以て観るようになりました。Raúl Ruiz ラウル・ルイス言うところの"自身の情熱と競合しあわない距離感"です。

その後、映画製作について学んでいる時、私は映画批評家Iván Pinto イバン・ピントの元で学ぶことになりました。私は彼が運営する映画批評サイトEl Agente Cineで何か書けないか頼んでみました。最初、私は自分が何をしているか分かっていませんでしたが、今まで読んできた批評家の文体を模倣していくようになりました。覚えているのはその頃(ジョナサン・ローゼンバウムの)"Movie Mutation"に強い影響を受けたことです。今でもそこから何かをコピーしようとしていますね。

TS:映画に興味を持った頃、どんな映画を観ていましたか? 当時チリではどんな映画を観ることができましたか?

HO:チャップリンが何年も私にとって全てだった後、色んな方法を使って次に何を観るべきか知ろうとしました。そうして観たのはキューブリックやスコセッシ、子供時代において"重要な作家たち"として響くような作家や作品全てでした。ほぼ全てをブロックバスター経由で観ましたね。なのでほとんどはアメリカ映画でした。海賊版映画を売っている人物に会ってから、もっと広く映画を観られるようになりました。その人物は映画のリストを持っており、重要な作家とは知りながら1本も観ることができなかった作家の作品をそこで手に入れたんです。ゴダールフェリーニトリュフォー、クローネンバーグ、ラウル・ルイスetc。興奮しながらも当惑しながら、私は映画史に深く入りこんでいきました。11歳の時、私は「ソドムの市」ソラリスを観ました。それは素晴らしかったのか、するべきではなかったのか、今でも判断がつきません。

私は小さな町で育ったので、劇場で興味深い映画を何度も観ることはできませんでした。思うに私と同世代の人々は愛すべきシネフィル的記憶は必ずしも劇場で培われてきた訳ではなことに同意してくれると思います。だから映画への情熱を育むには劇場での経験が"正しい"ものだという考えには抵抗したいと思います。その頃のチリではたくさんの映画を観ることができましたが、それには"海賊版"やインターネットに頼るしかありませんでした。そうでなければ、サンティアゴにでも住んでいない限り、選択肢はほとんどありませんでした。

TS:あなたが最初に観たチリ映画は何でしょう? 感想もぜひ知りたいです。

HO:最初に観たのが何かは定かではありませんが「マチュカ 僕らの革命」(Andrés Wood アンドレス・ウッド, 2004)は自分に影響を与えた最初のチリ映画ですね。自分の人生は共産主義を背景としているので、家では政治が大きな問題でした。家族の一部はピノチェト独裁政権に直接影響を受けており、中でも祖父は亡命しました。この時代そういった話は別に珍しくはなく、両親は共産主義の若い活動家でした。なので「マチュカ 僕らの革命」で、私は初めてスクリーンでそういった精神的イメージが描かれるのを観たんです。今作はサルバドール・アジェンデ政権の転覆で終わりますが、彼は私の家族にとって英雄として語られていました。アジェンデが直接映画に出ることはなくとも、2人の子供が別離を経験する様には感動しました。それがアジェンデ政権の終りと意味していたからです。今は「マチュカ 僕らの革命」のファンではありませんが、自身の国の歴史を映画で観るのはとても力強い経験です。

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「マチュカ 僕らの革命」

TS:チリ映画において最も際立った特徴とは何でしょう? 例えばフランス映画は愛の哲学、ルーマニア映画は徹底したリアリズムや黒いユーモアなどです。では、チリ映画についてはどうでしょう?

HO:思うにそれは定義するのが難しいもので、狭いものに落としこみたくはありません。"チリ人のアイデンティティ"というものは何人かの社会学者が言うように、いかに把握するかが難しいかによって定義されているんです。際立った特徴というより、異なる時期によって異なる傾向があると思います。例えば、人民連合の短い時代には新しい政治的現実に適応しようとする作品が多かったです。ここで初めて、多くの映画作家が政府の公認プログラムに貢献しようとしたんです。それは彼らがアジェンデ政権を非難しなかったことを意味はしませんが。この時代は実験精神に溢れていて、後のチリ映画にも大きな影響を与えています。

最近になると、ドキュメンタリー制作が最も際立った特徴になっています。"ドキュメンタリー"とは言いますが、多くの作品がその境界線を曖昧にしています。もしあなたがIgnacio Agüero イグナシオ・アグエロJosé Luis Torres Leiva ホセ・ルイス・トレス・レイバCamila José Donoso カミラ・ホセ・ドノソの作品を観たなら、それらが"狭間"の空間にあるものだと気づくでしょう。それはフィクションとドキュメンタリーの違いは何かという問いにまつわるだけのものではなく――それは古い論争でもあるでしょう――コントロールを失うための計画でもあるんです。"El viento sabe que vuelvo a casa"(Torres Leiva,2016)のような映画は、人々に"嘘をつく"ことの力強さ、真実性を見せてくれます。

TS:チリ映画で最も重要な人物は間違いなくRaúl Ruizでしょう。"Tres tristes tigres""La Ville de Pirates"などの作品は世界のシネフィルに神のように崇められています。しかしチリ本国ではどのように評価されているのでしょう?

HO:Ruizが私たちにとって最も重要な映画作家であることは否定できませんし、彼の存在感は年を経るごとに大きくなってきています。チリにおいて彼の作品を観ることが難しかった期間は長かったので、人々が全貌を知ることはできない、ある種の伝説ともなっていました。しかし1992年に"Palomita blanca"が公開されて、人々が彼の作品に触れられるようになりました。今作は70年代に撮影されていましたが、1973年に起こったクーデターのせいで上映が中止になってしまいました。RuizとValeria Sarmiento バレリア・サルミエント――彼女はRuizの妻であり編集技師、そして素晴らしい映画監督でもあります――は亡命し、20年間本作は観られることがありませんでした。最終的に本作が上映された時には、興行的に成功しました。

最近、Ruizについての本の執筆や研究が日に日に深まっています。ある人はアカデミックな領域においてRuizの"オーバードーズ"を起こしていると言いますが、彼の作った作品はあまりにも多すぎて彼を発見するために多くのことをしなくてはならないのも真実です。先に"チリ人のアイデンティティー"は定義するのが不可能と語りましたが、Ruizはそれを定義しようとした映画作家であることは間違いありません。亡命する前、Ruizのチリ映画は"チリ人の行動"を構成する要素を真似て探し出そうとしていました。彼は私たちがいかに語るかに関して正確であり、それを多くのユーモアとともに描き出しました。

TS:個人的に好きなチリ映画はPatricio Kaulen パトリシオ・カウレン"Largo viaja"Miguel Littin ミゲル・リッティン"El chacal de nahueltoro"です。これらの力強い映画的言語には魅了されます。聞きたいのは、この2作がチリ映画史においてどういった存在であるかです。有名ですか?

HO:この2作は最も重要なチリ映画であり、とても有名です。製作年は2年しか離れていない(1967年と1969年)ですが、チリの映画史における全く異なる時期を体現してもいます。"Largo viaje"(1967)はイタリアのネオリアリズモに強い影響を受けると同時に、チリ特有の儀式を描いてもいます。"Velorio del Angelito"というのは3歳になる前に亡くなった子供のための長い夜番にまつわる古い伝統なんです。最初の場面はそれを描いたもので、主人公が亡くなった弟に彼の羽を返そうとするのは儀式の文字通りの解釈なんです。今作は"無邪気な"ロードムービーであり、個人的には「ともだちの家はどこ?」(アッバス・キアロスタミ, 1987)を思い出す。そして今作はいわゆる"新たなるチリ映画"に先行する映画なんです。

他方"El chacal de Nahueltoro"(1969)は"新たなるチリ映画"に欠けてはならない映画です。チリ映画の文化的モーメントはラテンアメリカの視点を含んでもいます。例えばブラジルの"シネマ・ノーヴォ"やアルゼンチンの"第三の映画"など反植民地主義的な映画やマニフェストに影響を受けながら、当時の社会的な闘争を描き出していた訳です。今作は"ドリームチーム"というべきだろう、当時の最も才能ある芸術家たちが集まっています。編集Pedro Chaskel ペドロ・チャスケル、撮影監督Héctor Ríos エクトル・リオス、作曲家Sergio Ortega セルヒオ・オルテガなど、映画の技術的側面が素晴らしいことは否定できません。それが今作が長年最も愛らしく創造的な映画であることの理由でもあります。Chaskelのラフカット、Ríosの影と光の使い方、それらによって今作は魅力的なものになっています。物語は国を震撼させた実際の出来事を基にしています。そして最も素晴らしいチリ映画として見做されています(映画サイトCinechileで行われた公式投票でも勝利しました)

TS:外側から2010年代最も重要なチリ人監督を選ぶとすれば、それはPablo Larraín パブロ・ララインになるでしょう。彼は"Post Mortem"ネルーダ 大いなる愛の逃亡者など数々の傑作を監督しただけでなく、重要なチリ映画、例えばMarialy Rivas マリアリー・リバス「ダニエラ 17歳の欲望」Sebastián Lelio セバスティアン・レリオ「グロリアの青春」などの製作を手掛けていますね。しかし彼の作品や功績はチリでどのように受け入れられているんでしょう?

HO:思うにこれはとても興味深い問題です。なぜなら私はチリ人以外の人々と何度もララインの映画について議論してきて、その反応は様々なものだったからです。彼については論争を呼ぶだけの理由があり、それは議論と切り離すことができません。ララインは2人のとても重要な右派政治家の息子ですが、彼らはSebastián Piñera セバスティアン・ピニェラ――彼は去年の暴動において殺人、拷問、レイプを主導した人物として罰されるべきでしょう――という現在の大統領の元で二期大臣を務めました。その前でもララインの名はチリにおいて権力と富と同義だったんです。

それがどう映画と繋がるのか。知っての通り、チリの現代史と政治的闘争を語るにあたり階級がどうでもいい要素な訳がありません。全員がララインを軽蔑しているということではないですが、議論を呼ぶ存在であることは間違いないです。彼の作品は複雑かつ曖昧なもので、議論を呼ぶには十分です。例えばネルーダ 大いなる愛の逃亡者は実在の人物という枠から遠く隔たった存在の神話や表象を分析する意味で興味深いものでした。ですが彼の最新作"Ema"は嫌いですね。

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"Largo viaje"

TS:あなたの意見において最も重要なチリ映画はなんでしょう。その理由も知りたいです。

HO:答えは"El chacal de Nahueltoro""Tres tristes tigres"の間になるでしょう。しかしこの2作については既に語りましたね。その他に選ぶならMarilú Mallet マリル・マレ"Journal inachevé"(1982)です。他に比べ最も重要という訳ではありませんが、それはただ観ている人が少ないからだけです。今作は虚構と自伝をとても複雑な形で組み合わせたドキュメンタリーで、亡命者についてのとても真摯な肖像でもあります。それから挙げたいのはIgnacio Agüero「100人の子供たちが列車を待っている」(1988)ですね。今作は独裁政権をそれとは分からない、賢い方法で批判した作品(Agüeroの他の作品は検閲を受けました)で、映画の力を見せてもくれます。チリにおいてとても重要なのは当時の状況を"側面から"批評してみせたからだけでなく、道具として、教育として映画の最も貴重な力を見せつけたからでもあります。

TS:もし1作だけ好きなチリ映画を選ぶなら、どの作品を選ぶでしょう? それは何故ですか、個人的な思い出でもあるのでしょうか?

HO:繰り返しになりますが「100人の子供たちが列車を待っている」ですね。個人的な思い出以上に、今作は私の映画に対する政治的な視点をシフトしてくれました。映画製作に関する他の作品と違い、彼の作品は映画を愛し、映画を知りたいと思うことは何も特別で特権的な知識ではなく、自然の本能なのだと教えてくれます。Alicia Vega アリシア・ベガの映画クラスは好奇心がどのように生まれるか、皆はそれをどのように持つこととなるのかについての完璧な例です。それが一般に言う知識というものなんでしょう。

TS:2010年代も数か月前に過ぎました。そこで聞きたいのは、2010年代において最も重要なチリ映画は何かということです。例えばTheo Court テオ・クールト"Blanco en Blanco"Malena Szlam マレーナ・ツラム"Altiplano"Dominga Sotomayor ドミンガ・ソトマヨール"Tarde para morir joven"などがあります。しかしあなたの意見はどうでしょう?

何度も繰り返しますが、私はIgnacio Agüeroの"El otro día"(2012)を挙げたいですね。今作は彼の映画とは何かという考えを尖鋭化したもので、文字通り家にある全てを撮影しているんです。彼のアプローチはほとんど解放のようであり、最初に目に入ったものについての映画を作ろうと叫ぶんです。もちろんそれは簡単なことではありませんが、そうできると思わせてくれるんです。それは私にとって、友人たちと「フガジ:インストゥルメント」(ジェム・コーエン, 1999)を観に行った時のようで、私たちは次の週からバンドを始めたんです。フガジの足元にも及びませんでしたが、やれると思えたんです。今作は「100人の子供たちが列車を待っている」と同様に、知識と芸術についての複雑な考えを描いた作品なんです。

TS:チリ映画の現状はどのようなものでしょう? 外部から見ると、状況はとても良いものに思えます。パブロ・ラライン以降も、新しい才能が有名な映画祭に現れています。例えばヴェニスTheo CourtトロントMaría Paz González マリア・パス・ゴンサレスロッテルダムCamila José Donoso カミラ・ホセ・ドノソなどです。しかし内側から見ると、現状はどのようなものなのでしょう?

HO:映画祭での存在感が増していることを考えると、状況は改善していると言ってもいいでしょう。いい作品が何本も作られているとも言えます。ドキュメンタリー映画の重要性も強調すべきでしょう。しかし重要なのは、映画に携わる人のほとんどが孤立していることであり、とても不安定で競争的なファンドシステムに頼らざるを得ないことです。いい映画はありますし、私もその事実に同意しますが、映画人の立ち位置をもっと安定させる抜本的な変化が必要とされています。実際、この隔離は安定性について多くを暴き出し、多くの映画人を無職にしてしまいました。

TS:チリ映画祭で最も注目すべき新たな才能は誰でしょう? 例えば私は独特の映画的な声を持つDiego Céspedes ディエゴ・セスペデスFelipe Gálvez フェリペ・ガルベスMalena Szlam マレーナ・ツラムを挙げたいと思います。あなたの意見はどのようなものでしょう?

HO:私もMalena Szlamには同意です! それから最近知った作家であるCarolina Moscoso カロリナ・モスコソMaría González マリア・ゴンサレスを挙げたいです。彼女たちは去年最も印象的な映画を作り上げました。それから実際寡作ではありますが(最初の作品は2010年のものです)、多くの人は知らないAntonia Rossi アントニア・ロッシを挙げましょう。彼女の"Una vez la noche"(2018)は最近でも最も興味深いながら、不当に無視されたアニメーションであるでしょう。アニメーションの分野ならJoaquín Cociña ホアキン・コシニャCristobál León クリストバル・レオンも挙げるべきでしょう。

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"Una vez la noche"