鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Marinos Kartikkis&“Senior Citizen”/キプロス、老いの先に救いはあるか?

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人間は長く生き続けるかぎり老いていく、この運命は絶対に避けることができない。肉体は朽ちていき、精神は磨耗していく。そして最後には全てが朽ち果てるのみだ。そんな老いという最後の旅路のなかに、救いというものは存在し得るのだろうか? 今回紹介するのはそんな避け得ぬ問いをめぐる物語であるキプロス映画、Marinos Kartikkis マリノス・カルティキス監督作“Senior Citizen(原題:Πολίτης τρίτης ηλικίας)だ。

今作の主人公はテオハリス(Antonis Katsaris アントニス・カツァリス)という男性だ。人生も黄昏に差し掛かり、年金生活者として彼は悠々自適な生活を送っているように思われる。だが彼は端から見れば奇妙な生活を送っている。夜、テオハリスは家から病院へと赴き、院内のベンチに横たわるとそこで眠るのだ。朝、目覚める後には家へと戻り、朝食を取ってから、静かな時を過ごす。だが夜になると再び病院へと行き、ベンチに横たわり眠りに落ちる。

映画はまずこのテオハリスの奇妙な生活を淡々と描きだす。一見するところ、彼の生活や健康状態には何の支障もないように思われる。食事をする、ネコに餌をやる、部屋から部屋へと歩いていく。それは何の変哲もない日常の風景だ。それでもテオハリスは病院へ行く。薄暗い廊下、堅苦しいベンチ、そこで縮こまり、そして眠る。一体なぜ、彼はわざわざこんなことをするのか。観客はそれぞれに思いを巡らせざるを得ないだろう。

そんな日々のなか、テオハリスはある出会いを果たす。彼がいつものようにベンチで寝ていると、その姿を怪訝に思ったらしいエヴゲニア(Marina Argyridou マリナ・アルギリドウ)という看護師が声をかけてくる。心配げに色々と尋ねるのだが、テオハリスは理由については一切話すことなく、家へと帰っていく。そしてもう1つの出会いはアテナ(Lenia Sorocou レニア・ソロコウ)という老婦人とのものだ。2人はビンゴ大会で出会い、交流を始めるのだが、アテナが好意を見せる一方で、テオハリスはそれに無視を決めこむように距離を取り続ける。

監督の演出はどこまでも即物的なものであり、一種の冷ややかさすら存在している。撮影監督Yorgos Rahmatoulin ヨルゴス・ラフマトゥリンとともに、彼はテオハリスの日常を静かに見据え、観察し続ける。そこにおいては彼の心理や行動の動機が説明されることは、ほとんどない。この意味では観客に忍耐を求めるような、切り詰められた語りとなっている。だが映画は、テオハリスは内に秘めたる思いを断片として少しずつ、木訥と明かし始める。老いの悲しみ、死への複雑な感情、そして最愛の存在であった妻の死。

おそらくそれらのどれもが、彼を病院へと誘い、ベンチに横たわらせる理由なのだろう。だがどれも決定的な理由ではない筈だ。全てが曖昧に混ざりあったものにこそ突き動かされ、テオハリスは行動しているのだ。その曖昧さこそが、人生の黄昏に広がる孤独というものなのだと。今作はこのように、即物的な演出を徹底しながらも、同時に言葉にはならない曖昧な感情を繊細に捉えられるしなやかさをも、持ち合わせているのだ。

この要となる存在がテオハリスを演じるAntonis Katsarisだろう。老いによって衰えた身体、重苦しさや遅さを伴った挙動、しかし何よりも深き皺の数々が刻まれたその表情。彼はこういった要素を纏いながら、長き歴史としての人生を私たちの瞳へと差し出してくる。そんな彼とともに、監督は“老いの先に救いは存在するのか?”という悲壮な問いへの思考を深めていく。

そして観客である私が、彼らの思考と、それが紡いだ最後の風景に、見出だしたものがある。人生には必ず終わりがある、死によって生は絶対に終わることとなる。だがその周りには数限りない、他者の生が存在している。1つの死の後にも、その無数の生は続いていくのだ……これは希望だろうか、それとも諦めでしかないのか。これはおそらく、私たち自身に死に訪れるまで考え続けなければならないのだろう。少なくともこの勇気を“Senior Citizenという作品はもたらしてくれる筈だ。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その421 「半沢直樹」 とマスード・キミアイ、そして白色革命の時代
その422 Desiree Akhavan&"The Bisexual"/バイセクシャルととして生きるということ
その423 Nora Martirosyan&"Si le vent tombe"/ナゴルノ・カラバフ、私たちの生きる場所
その424 Horvát Lili&"Felkészülés meghatározatlan ideig tartó együttlétre"/一目見たことの激情と残酷
その425 Ameen Nayfeh&"200 Meters"/パレスチナ、200mという大いなる隔たり
その426 Esther Rots&"Retrospekt"/女と女、運命的な相互不理解
その427 Pavol Pekarčík&"Hluché dni"/スロヴァキア、ロマたちの日々
その428 Anna Cazenave Cambet&"De l'or pour les chiens"/夏の旅、人を愛することを知る
その429 David Perez Sañudo&"Ane"/バスク、激動の歴史と母娘の運命
その430 Paúl Venegas&"Vacio"/エクアドル、中国系移民たちの孤独
その431 Ismail Safarali&"Sessizlik Denizi"/アゼルバイジャン、4つの風景
その432 Ruxandra Ghitescu&"Otto barbarul"/ルーマニア、青春のこの悲壮と絶望
その433 Eugen Jebeleanu&"Câmp de maci"/ルーマニア、ゲイとして生きることの絶望
その434 Morteza Farshbaf&"Tooman"/春夏秋冬、賭博師の生き様
その435 Jurgis Matulevičius&"Izaokas"/リトアニア、ここに在るは虐殺の歴史
その436 Alfonso Morgan-Terrero&"Verde"/ドミニカ共和国、紡がれる現代の神話
その437 Alejandro Guzman Alvarez&"Estanislao"/メキシコ、怪物が闇を彷徨う
その438 Jo Sol&"Armugan"/私の肉体が、物語を紡ぐ
その439 Ulla Heikkilä&"Eden"/フィンランドとキリスト教の現在
その440 Farkhat Sharipov&"18 kHz"/カザフスタン、ここからはもう戻れない
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その442 済藤鉄腸の2020年映画ベスト!
その443 Critics and Filmmakers Poll 2020 in Z-SQUAD!!!!!
その444 何物も心の外には存在しない~Interview with Noah Buschel
その445 Chloé Mazlo&"Sous le ciel d'Alice"/レバノン、この国を愛すること
その446 Marija Stonytė&"Gentle Soldiers"/リトアニア、女性兵士たちが見据える未来
その447 オランダ映画界、謎のエロ伝道師「処女シルビア・クリステル/初体験」
その448 Iuli Gerbase&"A nuvem rosa"/コロナ禍の時代、10年後20年後
その449 Norika Sefa&"Në kërkim të Venerës"/コソボ、解放を求める少女たち
その450 Alvaro Gurrea&"Mbah jhiwo"/インドネシア、ウシン人たちの祈り
その451 Ernar Nurgaliev&"Sweetie, You Won't Believe It"/カザフスタン、もっと血みどろになってけ!
その452 Núria Frigola&"El canto de las mariposas"/ウイトトの血と白鷺の記憶
その453 Andrija Mugoša&"Praskozorje"/モンテネグロ、そこに在る孤独
その454 Samir Karahoda&"Pe vand"/コソボ、生きられている建築
その455 Alina Grigore&"Blue Moon"/被害者と加害者、危うい領域
その456 Alex Pintică&"Trecut de ora 8"/歌って踊って、フェリチターリ!
その457 Ekaterina Selenkina&“Detours”/モスクワ、都市生活者の孤独
その458 Barbora Sliepková&“Čiary”/ブラチスラヴァ、線という驚異
その459 Laurynas Bareiša&“Piligrimai”/巡礼者たち、亡霊たち
その460 Romas Zabarauskas&“Advokatas”/リトアニア、特権のその先へと
その461 Hannah Marks&“Mark, Mary & Some Other People”/ノン・モノガミーについて考える
その462

Zvonimir Grujić&“Pomoz bog”/モンテネグロ、お金がない!

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世界の映画を観るにあたって最もハードルが高いのは、実はコメディ映画に思える。笑いのセンスくらい各国で異なるものはないし、それが更に地域ごとに細分化していくなかで凄まじく複雑なものになっていく。ゆえに普遍性と地域性のバランスを取るのが一番難しいのがコメディだと私は確信している。そんな中で私の琴線に触れるコメディの数々を生み出している国がどこかと言えば、実はモンテネグロなのである。ということで今回はこの国の新たな才能Zvonimir Grujić ズヴォニミル・グルイチによる短編コメディ“Pomoz bog”を紹介していきたいと思う。

主人公である中年男性ペタル(Stefan Vuković ステファン・ヴコヴィチ)は神父として神に仕える人物なのであるが、勤務の合間にスポーツ賭博にかまけるような不信心人間でもあったりする。ある日、彼は上司から仕事を命じられ家庭訪問を行う。ここでは敬虔に牧師としての職務を全うするのだが、成り行きでこの家族から“チップ”を渡されると、彼はスポーツ賭博に直行、勢いでその全てを浪費してしまう。

今作の笑いの源は間というべき時間感覚の面白さと言える。カメラ担当Blažo Tatar ブラジョ・タタルの撮影は固定かつ長回しであり、時の流れ、そして登場人物たちの行動の流れを丹念に、間断なく撮しだしていく。この撮影とそれに伴うゆったりとした雰囲気はジム・ジャームッシュ諸作を彷彿とさせるものであり、爆発的な笑いでなく、思わず唇が動いてしまうような、そこはかとない笑いを観客にもたらしていく。

とはいえその複雑微妙な間一辺倒で終わることもない。ペタルが家庭訪問をする際は一転、撮影がまるでホームビデオのような手振れや荒さを伴うことになる。プロフェッショナルとしての職務全う、妙に噛み合わない交流、そして現れるお金の誘惑。こうして異なる撮影様式が交わることで、映画に笑いのリズムや緩急が生まれることになるのだ。

今作の脚本が笑いの射程に入れるのはモンテネグロにおける宗教的な価値観である(国教はキリスト教正教)敬虔を気取りながらも、心中では金のことしか考えていない。そして信者から受け取ったお布施はギャンブルにブチこんで、無闇に浪費するのを繰り返す。そんな主人公の行動からその拝金主義を笑いのめす訳である。そして今作のように、正教信仰を題材とした言わば宗教コメディがモンテネグロ映画においては際立っているのだ。以前、私はIvan Marinović イヴァン・マリノヴィチ監督作である長編コメディ“Igla ispod plaga”を鉄腸マガジンで紹介したのだが、今作は敬虔ながら少し頭の固い1人の神父が土地売買の騒動に巻きこまれ暴走していくという作品だった。今作のように正教批判という類の作品ではないが、信仰が生み出す悲喜交々を描いた面白いコメディ映画だった。

そして今作の笑いを背負うのが主演俳優であるStefan Vukovićである。うだつのあがらないオッサン神父がスポーツ賭博に溺れていく間抜けぶりを、彼は何とも苦笑を催すような惨めさで体現していくのだ。その風貌は2000-2010年代のアメリカン・コメディによく出てきたダメダメ中年男たち、例えばセス・ローゲンなどの雰囲気によく似ている(個人的にはルーマニアBogdan Dumitrache ボグダン・ドゥミトラケという俳優に似ているなとも)何だかアメリカのコメディばかり話題に挙げており、それは私が結構好きだからなのだが、モンテネグロのコメディはもっとダークで、皮肉な作風が濃いとも言えるかもしれない。

といった感じで“Pomoz bog”は最近でも特に印象に残ったコメディ映画だった。モンテネグロ映画界の躍進を示す作品として評価したいし、監督であるZvonimir Grujicの動向には今後とも注目していきたいところである。

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1人の死者と流れる時間~Interview with Matic Drakulić

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razzmatazzrazzledazzle.hatenablog.com

さて、スロヴェニアである。1年前に"Oroslan"という作品をを観たのだが、今作には深く感動させられた(詳しくは上記のレビュー記事を読んでほしい)スロヴェニアの田舎町、1人の老人が亡くなり人々は悲しみに包まれながら、それぞれの思い出を紡いでいく。その言葉の数々からは死者への哀惜と親密さが溢れだし、生きることへの小さな、切実な祝福が齎される。2010年代スロヴェニア映画界の最後を飾る、輝ける奇跡のような優しさを今作に見たのだ。だが私が特に惹かれたのはその編集だった。この美しい曖昧さの核こそが編集だと思ったのだ。そうしてインタビューを行った相手が編集者であるMatic Drakulić マティツ・ドラクリチである。ということで今回は彼に"Oroslan"をめぐる編集過程、そして編集という芸術それ自体について直撃してみた。早速、どうぞ。

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済藤鉄腸(TS):まず映画に興味を持ち始めた頃、どういった映画を観ていたでしょうか?

マティツ・ドラクリチ(MD):映画に興味を持ち始めたのは高校の頃からと言えるでしょうね。その頃はたくさんの古典作品を観ていました。キューブリックヒッチコック、黒澤、ベルイマンゴダール……それと同時に現代の、文芸的なアート映画も観ていましたね。

TS:編集という役割の何に最も惹かれたんでしょう? 映画そのもの以上に、編集という技法を初めて意識した、もしくは初めて感銘を受けた作品は何でしょうか? その理由についてもぜひお聞きしたいです。

MD:まず編集に惹かれた理由はその可能性、そしてその決断における不確実性です。カッティングについては毎回様々に異なる方法を試し、簡単にやり直すこともある。撮影段階においては、その可能性はより限られたものでしょう。アカデミーで学ぶ際、私たちはまずドキュメンタリーの編集から始めるのですが、ここでこそ私はある物語を創造し語ることの力を十全に知ることとなりました。これが今でもずっと編集に惹かれる理由です。

映画それ自体よりも、ある特定の編集そのものに惹かれたということについて語るのは難しいですね。普通、私が面白いと思う映画は編集が巧みな作品とは言えます。もし挙げるならヌーヴェルヴァーグの諸作ですね。その編集は映画それ自体を越える何かがあるのではと思えるんです。

TS:編集者には尊敬するメンターがいると公言する人物もいます。あなたには特に編集者のなかに、そういった人物がいるでしょうか?

MD:特定の人物がいる、ということはありませんね。

TS:ここからはあなたと、スロヴェニアの映画監督であるMatjaž Ivanišinとの共同作業についてお聞きしたいです。IMDBによると、2017年制作の"Vsaka dobra zgodba je ljubezenska zgodba"からコラボレーションが始まったようですね。これは本当でしょうか? 今回の主題となる"Oroslan"前の、今作や"Playing Men"での経験についてまずお聞きしたいです。

MD:そうですね、"Vsaka dobra zgodba je ljubezenska zgodba"から共同制作が始まったんですが、編集が行われたのは2014年からでした。今作はある有名演出家と3人の俳優による舞台劇にまつわるドキュメンタリーです。こういった観察的な作品の常として相当時間のフッテージ映像が存在したので、私とMatjažは多くの時間を共に過ごしながら、映像を選んでいった訳です。そして"Playing Men"も同時期に編集を行っていて、両方とも2017年にプレミア上映されました。"Playing Men"はまた異なる映画となっています。フッテージ自体は少なく、章立てされた2部構成の作品となりました。しかし同じ暖かみというべきものを2作は共有しています。

TS:ということで"Oroslan"の編集に映っていきましょう。まず、どのようにしてIvanišin監督と再びこの"Oroslan"で共同作業を行うことになったんでしょう? どの段階で今作に参加することになりましたか? 編集にあたって監督や他のクルーからどのような要望をもらい、それにどのように取り組んだでしょう?

MD:"Playing Men"の編集終り、既に私たちは"Oroslan"の制作に取り組んでしました。共同で脚本を執筆していたんです、その時は最初の部分を。編集の際にも監督で共同で行っており、アイデアについて話しあいながら、編集の異なる手法を試していた訳です。

TS:"Oroslan"の冒頭、村における日常がかなり断片な形で描かれますね。濃霧が静寂とともに村を包みこみ、草原を白い車が駆けていく、席で運転手が食事を行い、繊維工場では女性が仕事を行っている。そして村人たちがある老人の死体を見つけることになります。ここにおける省略的な編集が今作において頗る重要なのは、ある小さな、しかし代えがたい断片が村から失われ、この喪失、もしくは死が"Oroslan"の不可欠な核となると観客が知るきっかけとなるからです。この美しくも悲痛なシークエンスをどのように構築していきましたか? ここについて監督から何か要望がありましたか?

MD:その言葉に感謝します。先ほども言った通り、冒頭をどういう風に作り、そのためにどう撮影を行えばいいかについては明確なプランがありました。この場面に関してはですが、撮影した全てが多かれ少なかれ、意図した通りに映画に組み込まれました。編集において残された課題は村においてゆっくりと流れる時間の感覚を作りだすことでした。つまり日常の何気なさ、しかしそれと真逆の、とある1日を描く理由となるあの出来事の重みについてです。

TS:先述の場面の後、村に住む2人の男の会話が描かれますね。この会話は固定カメラでの、丹念な長回しによって構成されており、男たちの動きや表情が子細に描かれながら、親密さというものが徐々に表れることとなります。そしてこの親密さが彼らの、もしくは村人たち皆が抱く、"あなたがいなくて寂しいよ"という深い悲しみを表現していると言えますね。ここで聞きたいのは編集のプロセスについてです。作業中、最も重要だったことは何でしょう? この長回しで表現された場面1つ1つを繋げていくにあたり、最も難しかったことは何でしょう?

MD:Matjažはこの場面を撮影するにあたって、俳優たちがある話を語る様を1つの途切れない流れを描くため、長回しを使おうと決めていたので、編集は俳優に寄り添ったものでなくてはなりませんでした。撮影した中でもベストのものを見つけ出し、そうしてからテイクを変えるか否かについて決断する必要がありました。長回しの構成が固まった時、また難しい決断として、どこで、どのように切り返しを挿入するかを考えざるを得ませんでした。テイクが長くなればなるほど、カットの瞬間があからさまになるからです。故にショット同士がうまく組み合わさるその瞬間を見つけ出すという、正確な仕事が求められた訳です。

TS:"Oroslan"においては多様な語りのリズムが存在しています。後半において、今作は突如トークキング・ヘッド様式のドキュメンタリーに変貌し、村人たちがカメラに対してあの死者について語り始めます。彼が生きていた頃の村を懐かしむような感慨とともに。ここであなたの編集は村人たちの言葉や身振りに、大いなる誠実さと優しさと共に対峙します。これに触れる度、私の目には涙が現れるほどでした。親密で、郷愁深いリズムを伴ったこのシークエンスをどのように編集していきましたか?

MD:この場面における鍵は最初の部分だと私は思っています。前の冬を舞台とした場面と対になる夏の雰囲気、それに音楽、そして映画において初めて見ることになるだろう村人たちの日常生活。そして私たちは村人たちが暖かみを以て、真実の物語を語る光景を見ることになります。ここでは編集で付け加えるべきものは殆どありません、ただ語りの流れを正せばよかっただけです。そうすれば自ずと彼らはあの死者のことを語ってくれるという訳でした。

TS:全体として"Oroslan"はフィクションとドキュメンタリーの境を喜びを以て漂っていき、そのリズムや雰囲気は開かれた可能性を伴いながら常に移ろっていきます。その理解をすり抜けていくような曖昧さは今作の要でしょう。しかしこういった曖昧な作品に一貫性を与えるというのは頗る難しいように思えます。どのようにしてあなたはこの"Oroslan"という作品に語りの一貫性を与えたんでしょう?

MD:あなたの仰る曖昧さというのは、今作の撮影中に下した決断そのものであり、編集中にも心に刻んでいました。そして語りの一貫性に関しても常に焦点が当てられており、キチンと理解できるような作品を作ろうと心掛けていたんです。もしこうして一貫性がなかったとすれば、観客は映画から何も得られず、流れに身を任せる気はなくなり迷ったままになるでしょう。故に先述した冒頭のシークエンスは直接的な演出が成されていたんです。しかし今作の語りを受け入れるかに関して決断を成すのは観客でもあるとも私は同意します。

TS:もし新しい計画があるなら、ぜひ日本の読者にお伝えください。IMDBによれば、Darko Sinko ダルコ・シンコが監督するスロヴェニア映画"Inventory"の編集を行っているそうです。興味深いことに彼はMatjaž Ivanišin"Vsaka dobra zgodba je ljubezenska zgodba""Hiske"に同じく参加していますね。この計画が本当ならワクワクしますね。

MD:そうです、正しい情報です。"Inventory"の編集は既に終え、9月にサン・セバスティアン国際映画祭でプレミア上映されました。選出されて喜んでいます。現在はDamjan Kozole ダミヤン・コズレ監督が手掛ける、先日亡くなったスロヴェニアの俳優Peter Musevski ペテル・ムセフスキを描くドキュフィクションの編集を手掛けています。

TS:おそらくこれは曖昧で焦点が合わなすぎているかもしれませんが、質問させてください。あなたにとって映画編集とは一体どんな"芸術"だと思いますか?

MD:思うに編集とは構成、感情、そして時間の創造と言えるでしょう。

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コソボという母国、人々、建築~Interview with Samir Kumbaro

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razzmatazzrazzledazzle.hatenablog.com


さて、このサイトでは2010年代に頭角を表し、華麗に映画界へと巣出っていった才能たちを何百人も紹介してきた(もし私の記事に親しんでいないなら、この済藤鉄腸オリジナル、2010年代注目の映画監督ベスト100!!!!!をぜひ読んで欲しい)だが今2010年代は終わりを迎え、2020年代が始まった。そんな時、私は思った。2020年代にはどんな未来の巨匠が現れるのだろう。その問いは新しいもの好きの私の脳みそを刺激する。2010年代のその先を一刻も早く知りたいとそう思ったのだ。

そんな私は短編作品を多く見始めた。いまだ長編を作る前の、いわば大人になる前の雛のような映画作家の中に未来の巨匠は必ず存在すると思ったのだ。そして作品を観るうち、そんな彼らと今のうちから友人関係になれたらどれだけ素敵なことだろうと思いついた。私は観た短編の監督にFacebookを通じて感想メッセージを毎回送った。無視されるかと思いきや、多くの監督たちがメッセージに返信し、友達申請を受理してくれた。その中には、自国の名作について教えてくれたり、逆に日本の最新映画を教えて欲しいと言ってきた人物もいた。こうして何人かとはかなり親密な関係になった。そこである名案が舞い降りてきた。彼らにインタビューして、日本の皆に彼らの存在、そして彼らが作った映画の存在を伝えるのはどうだろう。そう思った瞬間、躊躇っていたら話は終わってしまうと、私は動き出した。つまり、この記事はその結果である。

さて今回インタビューしたのはコソボの映画監督Samir Kumbaro サミル・クンバロだ。彼の新作短編"Pa vend"コソボ人と建築の関係性を描きだす1作だ。コソボにはある卓球クラブが存在するのだが、決まった練習場を持っていないという問題がある。主人公となる2人の中年男性はこのため卓球台をその時空いている建物へと運んでいき、そこでクラブは練習を行うことになる。こういった日々の営みを映し出す1作がこの"Pa vend"という訳である。今回は彼にこの今作について、建築にまつわるアレコレ、そして黄金期がやってきたコソボ映画界について直撃した。それではどうぞ。

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済藤鉄腸(TS):まずどうして映画監督になろうと思ったんでしょう? どのようにそれを成し遂げましたか?

サミル・クンバロ:(SK):実際、映画監督になるというのは人生の目的ではありませんでした。撮影監督にこそなりたかったんです。私が所属する映画界では撮影監督として活動する余地があまりなく、自分自身の映画を作り、そこで撮影を行おうと決意しました。なので42歳で初めての監督作を作りましたが、今までの2作ともその撮影が讃辞を受け、国際的な映画祭を渡り歩く素晴らしい旅に出ることもできたんです。1作目はベルリン、2作目はカンヌでプレミア上映されたんです。

TS:映画に興味を持ち始めた頃、どんな映画を観ていましたか? 当時のコソボではどういった映画を観ることができましたか?

SK:子供の頃から映画には興味を持っていました。しかしDokufest(コソボのドキュメンタリー&短編映画祭)にプログラマーとして所属してからの20年、世界中の短編を観る機会があり、この経験こそ私が映画作家としての学びを得られる最良の学校でした。ここでこそ異なる国々の映画的なアイデンティティを理解することができたんです。

TS:あなたの新作"Pa vend"の始まりは何でしょうか? あなた自身の経験、コソボのニュース、もしくは他の何かでしょうか?

SK:この物語は、私が多くの時を過ごした友人の実体験に基づいています。この体験は紛争が終った後、2003年頃に始まっています。このピンポンチームは練習するための拠点を持っておらず、未だにその問題は解決されていませんでした。コソボにおいて最も成功したチームであるのに、彼らは即席の会場で練習せざるを得ないんです。そして付け加えるべきは、コソボにおいて練習場が足りないのはピンポンだけでなく、ほぼ全てのマイナースポーツがそういう状況にあります。私の息子はテニススクールに通っていますが、冬には練習がありません。私たちの住む町(首都に位置しながら)には屋外のテニス場がないからです。これも、この問題に私が敏感になってしまう要因でした。

TS:まず印象に残ったのは、このドキュメンタリーにおいてあなたが人々の生活というものをいかに親密に、魅力的に捉えているかです。カメラは静かな観察的スタイルで被写体に近づいていき、彼らはカメラとその眼差しを深く信じているかのように、感情、人生、そして真実を見せてくれます。お聞きしたいのは、今作を撮影する際、どのように被写体と交流したかということです。彼らから感情と真実を引き出すため最も重要なことは何でしたか?

SK:映画の主人公たちはみな実在の人物なので、プロの俳優は起用しませんでした。まず私はプロを起用すべきか、実在の人物を起用すべきか考えました。彼らと長い話し合いをした後、自分自身を演じるべきだ、あなた以上に演じられる人はいないと説得しました。その判断はフェアだったと思いますし、実際彼らの貢献は相当なもので、物語を今在るベストの形にしてくれました。リハーサルは要りませんでした、どこを見るかだとかどう演じるかを教える必要もありません、ただ彼らに過去に戻ってもらい、その時に抱いた感情を表現してもらえばよかった訳です。この感情的な反映が言葉で表せないほど重要でした。

TS:先述した魅力的な親密さは、あなた自身が担当した撮影によって高められています。静かで、盤石で、だからこそ力強い撮影によって、あなたの尖鋭な視線を体感しながら、登場人物たちの人生へと観客は浸っていくことになります。この静かな撮影様式にはどうやって辿りついたのでしょう? あなたは写真家でもありますね、これは撮影に影響しているのでしょうか? もしそうなら、どのような影響があるかお聞きしたいです。

SK:ええ、写真家であることは確実にこの映像による語りに影響を与えています。ここでは写真を脚本を完成させ、そこに私の内的かつ感情的表現を投影するための道具として採用しました。台詞を書く代わりに、写真を通じて脚本を書いた訳です。映画のほとんどはクロースアップで構成されていることに観客は気づくでしょうが、それは登場人物に可能な限り肉薄し、その感情の状態を表現するためでした。そしてこれを成し遂げるため更に、画角を1:1、もしくは四角にしました。こうすることでフレーム内に空間がなくなり、登場人物によりフォーカスできる訳です。

TS:私にとって最も印象的な要素は、建築と建築空間へのあなたの極めて鋭敏な意識です。振り返ると、あなたの第1短編"Në mes"も建築とコソボの人々の関係性を描きだした作品で、感銘を受けました。そして今作においてあなたの意識は更に鋭く、洞察深いものとなっていますね。この建築へのセンスと関心をどう培ってきたか興味があります。写真や映画と共に、大学かどこかで体系的に建築を学んだことがありますか?

SK:私は建築家ではありませんが、建築は好きです。それでもこの映画で魅力的だったのは映画以上にシンメトリーというものでした。最初の映画"Në mes"において私は自分自身の映画的なスタイルを発見し、物語を語るに相応しい限りはこれを続けようと思いました。思うに監督はみな自身のスタイルを持つべきです。私自身、とても困難な状況を経て、映画にアイデンティティというものを創造できたことに誇りを持っています。ですから将来も映画を作り続けられるなら、この様式を続けていきたいですね。

TS:そして今作を観たとき頭に思い浮かんだのは、"生きられた空間 / The Space Within"という言葉です。これはアメリカの建築家・建築史家であるRobert McCarter ロバート・マッカーターという人物が、フランク・ロイド・ライトの建築の素晴らしさを形容する際に使っていた言葉です。これが意味するのはその内部を人々によって生きられることで、豊穣な意味を獲得する建築ということです。今までは人々と建築をそれぞれ独立して捉える方法についてお尋ねしましたが、この2つを同時にフレームへ収める、つまりは2つの関係性を描く時に重要だったものは何か、ということです。

SK:とても複雑な質問ですね。写真家としてまず、私は母国であるコソボをめぐりながら、異なるプロジェクトを並行しながらロケーションを探しています。秋や冬の時期、最初に際立つものといえば、田舎の地域における空っぽさや静かさです。読者の方に伝えたい情報として、この国の35%以上の人々は移民として他国で暮らしています。夏、彼らは家族の許に里帰りを果たして、冠婚葬祭などに参加します。私の作品においては、こういった空間の数々が異なる季節のなかでどう見えてくるのか、そして母国へ自身の子供たちが帰ってくる時を待ち続ける家族の孤独はどういうものなのか、これらを描いていました。この意味で映画は多くの重要な社会的背景を持っていますが、それでも物語の鍵となる要素として最後に存在するのは希望であり、どことも比べられない母国という場なんです。

TS:あなたのプロフィールにこんな文言を見つけました。あなたは"Dokufest国際ドキュメンタリー映画祭において短編部門のプログラマーをしている"というものです。Dokufestはこのバルカン地域において最も重要な映画祭の1つで、地域の映画作家たちを世界へ巣立たせる重要な役割を果たしていますね。しかし日本ではあまり馴染みがない映画祭でもあります。ここではこのDokufestについてお聞きしたい。Dokufestとはそもそもどんな映画祭でしょう? コソボ映画界においてどのような機能を果たしているでしょう?

SK:Dokufestはコソボにおいて最も重要な文化イベントでもあり、バルカン地域において最も大規模なものの1つです。私は20年間Dokufestに参加し、これがコソボ映画界の発展を助ける様を見てきましたが、これは本当に素晴らしいものでした。2002年にこの映画祭に参加し始めた時、まだ紛争から2年しか経っておらず、コソボで映画館としての機能を果たしている場所が全くなかったのを今でも覚えています。私たちはまず映画館を再開することから始め、同時にこの国のローカルな映画製作をサポートする手筈を整えていきました。Dokufestの第1回目はたった1つの映画館しか会場にできませんでしたが、今では9つの映画館で開催されるほどになりました。そして組織としては1年を通じて若者たちに映画を教え、毎年高校生たちと数十単位で映画を製作することも行っています。

TS:もしシネフィルがコソボ映画史を知りたいと思った際、どういった映画を観ればいいでしょう? その理由もお聞きしたいです。

SK:コソボ映画は難しい時代を過ごしてきました。特に紛争前の10-15年間は、セルビア政府から映画製作を禁止されていたんです。ゆえにコソボにおける映画史の発展はセルビアに阻止されていた訳ですね。戦前世代のほとんどの映画作家はユーゴ時代の学校で学ぶことができました。しかし戦争が終わり状況が落ち着くまでの数年間、政府の活動は組織の再構成、インフラの再建などに充てられ、文化が優先事項になることは一切ありませんでした。コソボ映画界のピークは2010年代以降から始まった、つまり新しい世代の映画作家が異なる国々で学び、そして首都プリスティナの映画学校でも学ぶようになった時代から始まったのだと私は思います。戦争という経験、国家再興のプロセス、時代の移り変わり、こういった物が私たちに無数の物語をもたらしてくれたんです。この結果、こんにちの世代は芸術的な観点、物質的な観点両方からより大胆な形でこれらのテーマを描くようになりました。これこそが、コソボで今起こっていること、戦争の影響が今後何を意味してくるかを世界は注視すべきだと私が思う理由なんです。戦争は個人だけでなく、社会そのものに様々な形で影響を与えるということです。

TS:もし1本だけ好きなコソボ映画を選ぶとしたら、どの作品を選びますか? その理由もお聞きしたいです。何か個人的な思い出がありますか?

SK:1つ選ぶならIsa Qosja イサ・テョシャ"Kukumi"ですね。今作は戦争、そしてセルビア政府による禁止が解禁された2003年、初めて作られた長編映画でした。Qosjaには特別のリスペクトを抱いています。コソボ映画界において多大な貢献をした人物であると共に、この国の数百の映画作家を指導した存在でもあるからです。彼の作品は例外なくコソボにおいて特別な重要性を持ち、映画史においても重要な意味を持つはずです。そして"Kukumi"が個人的に思い出深いのは、スチール写真の撮影者として、初めて映画製作というものに参加したからなんです。

TS:コソボ映画界の現状はどういったものでしょう? 外側から見れば、空前の状況にあると思えます。新しい才能が次々と有名映画祭に参加しています、例えばサンダンスのBlerta Basholli ブレルタ・バショリロッテルダムNorika Sefa ノリカ・セファ、ベルリンのVisar Molina ヴィサル・モリナ、カンヌのLuana Bajrami ルアナ・バイラミ、そしてあなたです。そして彼らの多くが数々の賞を獲得しているのも驚くべきことです。個人的にコソボ映画には深く魅了され、もっと深く理解するためにアルバニア語を勉強し始めたほどです。コソボ映画界は未来、もしくはもう既に2020年代において世界のトップにあると言えるでしょう。コソボ映画界がここまで素晴らしい結果を成し遂げている理由は何だと思いますか? もしくは、内側からだと現状はどういった風に見えているでしょう?

SK:2021年はコソボ映画界にとって最も成功した年であると思います。あなたが言及した作家たちはみな新しい世代に属する人物であり、機会自体は少ないにも関わらず、素晴らしい仕事を成し遂げています。世界の批評家たちも私たちについて"コソボ映画の新しい波"と言っているほどです。思うに、コソボ映画センターが再建され、多くの若い映画作家がその恩恵に浴せるようになった時から、この成功が始まったのでしょう。前にも言った通り、彼らは私たちの社会が直面する現実を背景とした、複雑なテーマや物語に取り組んでいます。同時に彼らの視点や問題に対する思いは普遍的なものであるんです。

TS:新しい短編や長編を製作する計画はありますか? あるなら、ぜひ日本の読者にお伝えください。

SK:カンヌに参加した際、フランスの様々な制作会社から共同制作のオファーを受けました。しかし今は幾つかの物語の研究や分析に時間をかけており、まだ自分にプレッシャーはかけたくないところです。この物語が私の感情に直接繋がり、私自身のスタイルやマナーに見合うような描き方ができると思えた時までは、急ぎたくありません。

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Hannah Marks&“Mark, Mary & Some Other People”/ノン・モノガミーについて考える

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性指向にしろ性自認にしろ、性というものが多様になってきている。いや、多様な性を持つ人々というのは以前から存在していたに決まっているが、彼らが“私たちはここにいる!”と叫んできた行動の数々がとうとう実を結んで、多様性が可視化されてきたという方が正しいだろう。その中で、では例えば異性愛だとか男性/女性のバイナリー的価値観、1対1の関係を示すモノガミーなど、そういったマジョリティ的な概念を持つ人々は一体どこへ向かうのだろう、どこへ向かえばいいのだろうか? Hannah Marks ハンナ・マークス“Mark, Mary & Some Other People”はその答えをもたらしてはくれない。だがマジョリティが進んでいくべきなのかもしれない道をいかに模索していけばいいのか? これを考える、考え続ける勇気をくれるのではないか……とか思ってたんですけど、このレビューを書き進めているうちに、ちょっと疑問を持ち始めてきたというか、いや取り敢えず読んでほしい。文章がどんどん揺らいでいくのが分かるはずだ。

今作の主人公はメアリーとマーク(Hayley Law へイリー・ロウ&Ben Rosenfield ベン・ローゼンフィールド)という男女である。彼らは幼馴染みであったのだが、偶然の再会を果たす。旧交を暖める、なんてレベルを速攻で突き抜けて、2人の関係性はあれよあれよと発展、あっという間に恋人同士になる。だが蜜月も束の間に、メアリーはマークに驚きの提案をする、“ちょっとオープン・リレーションシップ試してみない?”と。

今作はこうした現代的なスピード感を伴いながら突っ走っていくロマンティック・コメディであり、まず最初にテーマとなるのがこのオープン・リレーションシップだ。詳しくはまあググってほしいが、恋人が他の人物と恋愛関係やそれに準ずる親密な関係をもつことを受け入れる、そんな関係性のことだ。先述したモノガミー、その逆のノン・モノガミー的な関係の1つという訳である。メアリーたちは自分たちの愛を見つめ直すため、割と軽薄な形でこれに打ってでて、恋愛にセックスにと楽しむのであるが、行き当たりばったりゆえ早々に行き詰まりを見せて、この開かれた関係を真剣に見据えざるを得なくなる。

さて、このオープン・リレーションシップ、映画に限らず物語芸術においては便利な道具として扱われがちだろう。軽薄、非人間的、嫉妬の後に瓦解といった風に、ほとんどがネガティヴな形で終わり、これを乗り越えた先に真のモノガミー的な愛が……みたいな風だ。何にしろ物語芸術で描かれるこの関係性は実体が感じられない思考実験のようで、想像力不足ゆえの地に足ついてなさばかりが際立つ。

だが今作におけるこの関係性の描かれ方はまた異なるものだ。最初こそかなり軽薄な意図からメアリーたちはこれを実践する訳だが、徐々にその切実さは増していく。私自身モノガミーなので偉そうなことは書けないし、調べてはいるが未だ無知なことには変わりないので、このレビュー内で“いや、それは違うだろ”という記述があればぜひ指摘してほしいが、私としては、今作におけるオープン・リレーションシップはまず他人の性に誠実であるための姿勢というのが印象に残った。そしてこれは自分の性に誠実であることにも繋がっていき、そういった性における七転八起の真摯さの象徴として際立つのである。これがまた良いと思った訳だ。だがこれはいちモノガミー者の意見というのは強調しても、しすぎることはないだろう。当事者から見れば、自分たちの関係性を芸術として搾取してんじゃねーよという意見が出るかもしれない。今も、この映画はノン・モノガミーに対して搾取的だったか否かを現在進行形で考えながら、このレビューを書き進めている。

で、1回、多様性とマジョリティの話に戻っていきたい。私が思うに不平等をなくす、世界を変える、そういったことを成すためには、マイノリティでなく、まずマジョリティ側が変わる必要がある。そして、そこにおいて芸術家は何ができるか。多様性に学び、自身の無徴性を相対化によって有徴性に押し上げながら、マジョリティであることの意味を内省する作品を作ることだと私は考えた訳である。

2020年、感銘を受けた作品に「クワイエット・プレイス 破られた沈黙」がある。アメリカの白人健常者男性が真摯な加害者意識を以て、この世界で善くあらんとする様を描く白人映画、健常者映画だと私は思ったんだった。その文脈で今作は、今の時代を異性愛者として自分たちはどう生きるか?をめぐる映画だと、今作は多様性に学びながら自分たちの明日を探す、正にヘテロ映画というべき1作だと思えた次第なのだ。

がそのために、実際にノン・モノガミーの人々がこの映画を観て搾取されていると思ったら意味がないだろう。いや、Twitterには “アメリカン・コメディの2020年代が始まった!”なんていってはしゃいでいたが(しかもポリアモリーって書いてるが明らかにこの関係性はオープン・リレーションシップだ)もしかすると所詮モノガミーの悪ふざけ的反応かもしれないとも思えてきた。今そのラストを振り返ると、正直初見ではその切なさに大分感動したのだが割と“軽薄、非人間的、嫉妬の後に瓦解といった風に、ほとんどがネガティヴな形で終わり、これを乗り越えた先に真のモノガミー的な愛が……”って正にそれでは?とすら思えてきた。オープン・リレーションシップが主人公の成長のダシに使われたみたいな。いやあどうなのか、考えても答えがでない。

何にしろこれに関してはとにかく学んで、考えを深めていく義務がマジョリティの私にはあるだろう。ということで、そこに至るまでの思考の流れをここに残しておこうと思う。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その421 「半沢直樹」 とマスード・キミアイ、そして白色革命の時代
その422 Desiree Akhavan&"The Bisexual"/バイセクシャルととして生きるということ
その423 Nora Martirosyan&"Si le vent tombe"/ナゴルノ・カラバフ、私たちの生きる場所
その424 Horvát Lili&"Felkészülés meghatározatlan ideig tartó együttlétre"/一目見たことの激情と残酷
その425 Ameen Nayfeh&"200 Meters"/パレスチナ、200mという大いなる隔たり
その426 Esther Rots&"Retrospekt"/女と女、運命的な相互不理解
その427 Pavol Pekarčík&"Hluché dni"/スロヴァキア、ロマたちの日々
その428 Anna Cazenave Cambet&"De l'or pour les chiens"/夏の旅、人を愛することを知る
その429 David Perez Sañudo&"Ane"/バスク、激動の歴史と母娘の運命
その430 Paúl Venegas&"Vacio"/エクアドル、中国系移民たちの孤独
その431 Ismail Safarali&"Sessizlik Denizi"/アゼルバイジャン、4つの風景
その432 Ruxandra Ghitescu&"Otto barbarul"/ルーマニア、青春のこの悲壮と絶望
その433 Eugen Jebeleanu&"Câmp de maci"/ルーマニア、ゲイとして生きることの絶望
その434 Morteza Farshbaf&"Tooman"/春夏秋冬、賭博師の生き様
その435 Jurgis Matulevičius&"Izaokas"/リトアニア、ここに在るは虐殺の歴史
その436 Alfonso Morgan-Terrero&"Verde"/ドミニカ共和国、紡がれる現代の神話
その437 Alejandro Guzman Alvarez&"Estanislao"/メキシコ、怪物が闇を彷徨う
その438 Jo Sol&"Armugan"/私の肉体が、物語を紡ぐ
その439 Ulla Heikkilä&"Eden"/フィンランドとキリスト教の現在
その440 Farkhat Sharipov&"18 kHz"/カザフスタン、ここからはもう戻れない
その441 Janno Jürgens&"Rain"/エストニア、放蕩息子の帰還
その442 済藤鉄腸の2020年映画ベスト!
その443 Critics and Filmmakers Poll 2020 in Z-SQUAD!!!!!
その444 何物も心の外には存在しない~Interview with Noah Buschel
その445 Chloé Mazlo&"Sous le ciel d'Alice"/レバノン、この国を愛すること
その446 Marija Stonytė&"Gentle Soldiers"/リトアニア、女性兵士たちが見据える未来
その447 オランダ映画界、謎のエロ伝道師「処女シルビア・クリステル/初体験」
その448 Iuli Gerbase&"A nuvem rosa"/コロナ禍の時代、10年後20年後
その449 Norika Sefa&"Në kërkim të Venerës"/コソボ、解放を求める少女たち
その450 Alvaro Gurrea&"Mbah jhiwo"/インドネシア、ウシン人たちの祈り
その451 Ernar Nurgaliev&"Sweetie, You Won't Believe It"/カザフスタン、もっと血みどろになってけ!
その452 Núria Frigola&"El canto de las mariposas"/ウイトトの血と白鷺の記憶
その453 Andrija Mugoša&"Praskozorje"/モンテネグロ、そこに在る孤独
その454 Samir Karahoda&"Pe vand"/コソボ、生きられている建築
その455 Alina Grigore&"Blue Moon"/被害者と加害者、危うい領域
その456 Alex Pintică&"Trecut de ora 8"/歌って踊って、フェリチターリ!
その457 Ekaterina Selenkina&“Detours”/モスクワ、都市生活者の孤独
その458 Barbora Sliepková&“Čiary”/ブラチスラヴァ、線という驚異
その459 Laurynas Bareiša&“Piligrimai”/巡礼者たち、亡霊たち
その460 Romas Zabarauskas&“Advokatas”/リトアニア、特権のその先へと
その461 Hannah Marks&“Mark, Mary & Some Other People”/ノン・モノガミーについて考える

Romas Zabarauskas&“Advokatas”/リトアニア、特権のその先へと

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最近よく特権について考える。例えば私は日本国籍を持って生まれてその意味では日本に生きる日本人であり、セクシャリティに関してはシスジェンダーかつヘテロセクシャルの男性ゆえ、この意味で日本においてかなりの特権を持っている。一方で自閉症スペクトラム障害と腸の難病であるクローン病を患うゆえに、健康面において私は障害者でもある。こういう風にある部分では特権を持ちながら、ある部分ではむしろ差別を被るという状況は人間に付き物だ。人は誰でも、己自身が差別する側と差別される側に引き裂かれるままに生きていく必要がある。ここにおいて特権とは何を意味するのか? これを考えるにあたって、今年最も重要な作品の1つと私が思う作品がリトアニアの新鋭Romas Zabarauskas ロマス・ザバラウスカス監督作“Advokatas”だ。

今作の主人公はマリユス(Eimutis Kvoščiauskas エイムティス・クヴォシュチャウスカス)という男性だ。彼は国際派の辣腕弁護士として、富も名声も手に入れた存在だ。同時に彼はゲイでもあり、リトアニアにおけるLGBTQが置かれる立場は楽観視できるものでもないが、彼が持つ富、そしてシスジェンダーの中年白人男性という特権を行使することで、順風満帆な日々を送っている。ある日、彼はネット上でアリ(Doğaç Yıldız ドアチュ・ユルドゥズ)という男性と知りあう。液晶越しのセックスで戯れながら、アリとの時間を楽しみながら、マリユスは彼にいつもとは違う感情を抱くことになる。

まず今作が見つめるのはマリユスという男がいかなる生き方を行ってきたかということだ。彼は自身の特権に意識的で、かつそれゆえの傲慢を隠すことがない。冒頭においてそれを象徴する場面がある。マリユスはある男性を口説き始めるのだが、ある時に彼がトランス男性と知る。そうしてやんわり見せてしまった拒絶反応を気取られ、男性は離れていくこととなる。翌日、運転中に主人公は電話越しに友人にこう言うのだ、ぼくは男よりチンコが好きなんだろうな。この無思慮の塊のような言葉はマリユスのシスジェンダーゆえの特権性と傲慢を象徴するものだろう。そしてこれはLGBTQ間の力関係に意識的でないと書けない言葉でもあり、監督自身が手掛けるこの切れ味ある脚本は今作の要ともなっていく。

マリユスはアリと関係を深めようとするのだが、ここで明かされる事実がある。彼はシリア人の難民であり、バイセクシャルでもある。そして今はセルビアの難民キャンプに居住しているというのだ。だが愛は何もかも越えるとばかりに、マリユスの心は彼へ急速に接近していくのだが、ここで愛すらも越えられない障壁が無数に存在することを、彼は思い知らされることとなる。

ここから物語は加速度的に複層性を増していく。まずマリユスはリトアニア国籍を持つリトアニア人で、アリはセルビアに辿りついたシリア人難民という埋めがたい格差が存在する。東欧においても難民問題は切迫した問題であり、シリアなど中東からの難民たちは最終的な目的地はドイツなどの西欧としていることが多いが、そこにおいてボスニアハンガリーなどの東欧諸国が通過点となる。ここで様々な軋轢や衝突が存在する訳である。リトアニアなど北欧に程近い国々はこの問題に直接関与はしていないが、難民問題に関しては最近でもベラルーシからの難民がポーランドに押し寄せるなどがあり、地理的に肉薄したリトアニアも他人事ではいられない。こういった東欧独自の難民問題が、マリユスとアリの間には横たわっている。

そして先述したがリトアニア含めた東欧、つまりは社会主義ブロック下にあった国々において、LGBTQの人々が置かれる状況は全く芳しくない。社会主義においても彼らの権利は殆ど保証されていなかったが、ソ連崩壊と社会主義体制それ自体の崩壊の後、弾圧されていたキリスト教信仰が凄まじい勢いで復活を遂げ、その保守的な価値観が浸透することで、LGBTQ差別が表だって繰り広げられることになる。ロシアにおける法による弾圧はその一例だ。リトアニアにおいてもかなりシビアな状況が広がり、マリユスのように何の気兼ねもなくゲイであることを公言することは、悲しいことに富を持った白人中年男性の特権であると言わざるを得ない状況がある。

だが今作で驚くべきは、そこで絶望に陥ることなく、現実的な解決方法を模索し続けるその誠実さだ。傲慢な既得権益の権化といった風なマリユスだが、弁護士としての理知を働かせ、それを幾つもの行動に移していく。セルビアの難民キャンプへと赴き、アリが置かれる立場について聞き取り調査を行っていくのは勿論だが、難民について知るにあたって、マリユスはNGO団体や難民を支援するアクティビストの許へと、直接話を聞きにいくのだ。この描写が何度もあり、そこで疑問やアリを救う糸口について根気強く尋ねていく。映画に限らず何らかの物語において、こういった難民問題などを感情的行動によって解決しようとしたり、実際解決されたりといった展開をよく見るが、こうしてNGO団体やアクティビストにこそ頼り、現実的な解決法を模索するという展開は正直初めて観たかもしれない。監督のZabarauskasもまたリトアニアのLGBTQの権利のため働くアクティビストでもあるそうで、この地味ながら、だからこそ大切な過程にまつわる描写は、そんな彼こそ入れられる描写であると私には思えた。

この過程のなかでマリユスの心は少しずつ変わっていく。弁護士かつ白人ゲイ男性である自分、シリア難民であるアラブ系のバイ男性であるアリ。2人の関係性には白人特権と倫理的な不均衡がまずもって必ず存在してしまう。以前から特権自体は意識しながらも、マリユスは軽薄な形でしかこれを考えていなかった。しかしアリへの愛が芽生え、彼を助けたいと思った時から特権性を、そしてこれに否応なく内在してしまうだろう加害性を自己反省し、少しずつ解体していくのだ。

今作はこうして高度なまでに社会的、政治的な要素が関わってきながらも、同時にロマンス映画としても珠玉の出来を誇っている。この状況ゆえに稀にしか会えない2人であり、表だって2人きりでも会えないが、キャンプの片隅で密やかに、互いに触れあい、愛を囁きあう。それでも障壁によって本当の意味で心は触れあわない、どちらももう1歩というものを踏みだすことができない。そのもどかしさには胸が締めつけられながら、私が本当に心打たれたのは、2人がキスするまでの本当に、本当に長きに渡る時間だ。今のロマンス映画というのはむしろキスをしてからが始まりだ、そういう流れを感じないだろうか。キスの後、それはかなりの確率で恋人同士になった後にこそ愛の難しさ、面白さが出るとでもいう風だ。別にこれが悪いと言っている訳ではないが、恋愛というものを描く速度があまりに速すぎると思う時があるのだ(例外はディズニー映画くらいだろうか?)

そんな中で今作でマリユスとアリがキスするのは……いや、ネタバレなので言いはしないが、そこまでが本当に長い。だがそのキスまでの流れにこそ、世界情勢を多分に反映した障壁を乗り越えていく過程にこそ、複雑で豊かなロマンスが存在しうるのだと監督は信じているのだ。この語りの真摯さはちょっと類を見ないもので、私はただただ素晴らしいとしか言えなかった。

富も名声も手に入れた白人シスゲイ男性であるマリユス、激動のシリアから逃れて難民となったアラブ系のバイ男性であるアリ。アリへの愛を貫こうとするマリユスに立ち塞がるのは難民の現実、何より彼自身の特権性と独善性。それでもマリユスはNGO団体やアクティビストの言葉に学んでいき、愛する人と対話を繰り返し、差別と苦難の先へ手を伸ばす。"Advokatas"は世界に満ちる悲しみと残酷を相手取り繰り広げられる、珠玉のゲイロマンスだ。故に彼らが最後に行う選択、これは本当にずっと、ずっと考えていくしかないものだろう。だがだからこそ、この作品は今作られなければならなかった誠実さについての映画となったと、私は言いたい。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その411 ロカルノ2020、Neo Soraと平井敦士
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その419 More Raça&"Galaktika E Andromedës"/コソボに生きることの深き苦難
その420 Visar Morina&"Exil"/コソボ移民たちの、この受難を
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その459 Laurynas Bareiša&“Piligrimai”/巡礼者たち、亡霊たち
その460 Romas Zabarauskas&“Advokatas”/リトアニア、特権のその先へと

Laurynas Bareiša&“Piligrimai”/巡礼者たち、亡霊たち

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さてリトアニア映画界である。2010年代後半、リトアニア映画史の巨人であるシャルナス・バルタスセクシャルハラスメントで訴えられ、世界に衝撃が走った。現在もその真偽は有耶無耶のままであり、微妙な状況が続いている。だが例え巨星が堕ちようとも、新たな才能は次々と現れていく。例えば2019年にはJurgis Matulevičius ユルギス・マトゥレヴィチユスという新人作家が“Izaokas”というデビュー長編を完成させたが、この作品がリトアニアの現代史を抉る凄まじい傑作だったのは記憶に新しい。そこのところは私のレビュー記事と、長編プレミア前に行ったインタビューを読んでほしい。今年は、以前から注目していた新鋭Romas Zabarauskas ロマス・ザバラウスカスが新作“Advokatas”を製作したが、私にとっては今年1,2を争うほど忘れがたい作品だった。まだ記事を書いていないのだが、気になる方はTwitterの激賞ツイートを読んでほしい。そして今日、また新たな力強いリトアニア映画と私は出会ってしまったのだ。ということで今回はリトアニア屈指の才覚Laurynas Bareiša ラウリナス・バレイシャと彼のデビュー長編“Piligrimai”を紹介していこう。

今作の主人公はインドレとパウリス(Gabija Bargailaitė ガビヤ・バルガイライテ&Giedrius Kiela ギエドリウス・キエラ)という若い男女だ。彼らは幼馴染みだそうだが、映画の冒頭時点で久しぶりの再会を果たす。旧交を暖めたのも束の間に、2人は車に乗ってどこかへと向かう。彼らが辿りついたのは空港のある小さな町だった。目的は観客に明かされないままに、2人は町のあちこちを巡ることとなる。

序盤、私たちはインドレとパウリスが町を探索する様を見続けることになる。空港沿いの道路で何か喋っていたかと思うと、喫茶店へと赴いてここで何者かが口論していたという事実を確認する。その後にはフェンスに囲まれた空き地へと向かうのだが、彼らの口からここで何らかな血腥い行為が行われたという過去が明かされる。こうして歩くような早さで物語は展開していき、2人が心に秘めている目的も明らかになる。

彼らの目的というのは、この町でインドレの恋人とパウリスの弟が何者かに誘拐され、殺害された事件の真相を探ることだ。町をめぐるというのは、つまり警察が殺害現場を検証するというのと同義だ。彼らは1人の女性に接触し、とある邸宅を散策することになる。敷地の隅には長い間放置されたような倉庫があり、躊躇う女性を説得して、この中へと入っていく。そこでパウリスが見るのは、自身の携帯に保存されていた写真だ。

今作の撮影を担当するNarvydas Naujalis ナルヴィダス・ナウヤリスは、底冷えするような静けさを伴いながら2人の動向を観察し続ける。基本的には息の長い長回しが駆使されていく一方、カメラは一点に立脚すると同時に、2人の動きに合わせて首を動かしていき、緩やかなパン撮影を行っていく。その視線はまるで誰にも気づかれないまま不動を保ち、主人公たちを見つめる亡霊のようだ。

Naujalisの撮影はどこまでも即物的な感触を持っている。心理ではなく行動のみを禁欲的に見据えることで作品に生まれるのは、息詰まるほどに不穏な空気感だ。この気が滅入るような雰囲気のなかで、観客は常に暴力が激発するのではないかという予感に苛まれることになる。そして亡霊の視線はむしろそれを願っているのではないかとすら思われるのだ。これはBareišaとNaujalisが持つ、空間への鋭敏な意識をも象徴しているかもしれない。例えば喋る、歩く、掴むといった主人公たちの行動が、常に空間もしくは建築に作用し、逆に影響を受けるような場面も存在する。この2つにおける相互作用こそが作品に目覚ましいまでの緊迫感を与えるのだ。監督が撮影中に空間や場所を意識していたというのはプロダクション・ノートからも伺える。

“妻と私は2人とも映画作家です。空き時間にはヴィルニュスの郊外にある森へと散策に行き、今後の作品に使えそうな、興味深いロケーションに関する情報を集めるんです。4年前のある日、小さな道路に行き当たったんですが、そこで思い出したのが、車の炎上事故が起こった後、トランクから少女の死体が発見されたという新聞記事でした。この事件を詳しく調べた後、1作の短編を製作しました。当然実際の事件現場に行った訳ではないと分かっていますが、悲劇が起こった正にその場所に、被害者に近しい人が立っているのを思い浮かべると、涙が込みあげました。妻は何故私が動揺したのか分からなかったようですが、私はこの感情を基にして映画を作ろうと決意したんでした”

大切な人を殺害されたインドレとパウリスは町をめぐり続ける。その姿にはいつしか聖地をめぐる巡礼者たちが持つ悲壮なる、崇高なる聖性すらも宿り始めるのだ。この大きな核となるのは2人を演じるGabija BargailaiteGiedrius Kielaの存在に他ならないだろう。Kielaは全身から燻った憤怒の匂が漂う危ういパウリスを、Bargailaiteは理性で怒りを抑えながらも喪失の痛みを隠しきれないインドレをその行動の数々によって静かに体現していく。彼らがどこへ辿りつくのか、私たち観客には予想ができない。そして巡礼の道には常に暴力の気配が立ちこめ、亡霊はそこに現れる光景をただただ観察するのみだ。

“Piligrimai”はそんな巡礼者たちの彷徨を描きだす不穏なる1作だ。そして彼らもまた亡霊と化していき、闇と雨へと溶けていくことになる。ゆえに現れる悲しみと怒りの狭間の、筆舌に尽くしがたき余韻は忘れるには重すぎるものだ。

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