鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Z-SQUAD filmmakers and critics poll 2021!!!!!

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ということで、2021年は散々な年だった。コロナウイルスもまあそうなのだが、クローン病という腸の難病だと診断されて、今後一生食事が普通にできなくなった、特に油いっぱい使ってる系のやつと菓子パンが喰えなくなった。そんなわけで、別に命に関わる難病という訳じゃないが、さすがにちょっと死もチラついたので、他人の作品を紹介する映画批評家としての仕事より、自分の作品を残す小説家の方に軸足を置いて活動する1年だった。が、他の日本の批評家さまよりは映画を観て、レビューを書いて、世界の映画作家や批評家にインタビューを行ったとは思っている。そして今日ここにお披露目するのはそんな1年の集大成、Z-SQUAD Filmmakers and Critics Pollである。まず企画説明だが、去年書いたのをほぼ引用する。

年末年始、世界の映画雑誌では批評家や映画作家を集め、その年の映画ベストを集計する記事が掲載される。カイエ・デュ・シネマやSight & Soundといった老舗雑誌からLittle White LiesやDesist Filmといった歴史は長くないながらキレた映画誌までそれぞれに所縁のある人物を集め、興味深いリストの数々を掲載する。ここで知った作品を新年に観るというのも何度かあった。こういうのやってみてえなあ、そうは思いながら別にコネもないのでただ普通の記事を書くだけだった。が、時は来た訳である。私はこの実現のために知り合った人々にメッセージを送ると、特に有名である訳でもないこの鉄腸マガジンのためにリストやコメントを送ってくれた、何とも有難いことだ。

去年はコロナ禍で新作が観れなかったという人物も多かったので、選出できる作品は新作から旧作、長編から短編、フィクションからドキュメンタリーまで何でもありにした。のだが今年も状況はほぼ変わらずなので、これは変わっていない。そしてこれをこの鉄腸マガジンの基本ルールにしていいのでは?と今では思っている。来年やるとしても、多分この感じで行くだろう。なのでまとまりなさはもはや混沌レベル、集計とかも最初の時点でやる気がなかったのでやらなかった。という訳で純粋にそのリスト、映画の並びを楽しんでほしい。

前も書いたが目標はアルゼンチンの映画批評家Roger Kozaが主催するCon los ojos abiertosの総括記事だ。ここはラテンアメリカを中心に世界中の名だたる映画作家や批評家が集結しているゆえ、正に圧巻の風景。今後続けていくにあたって、この鉄腸マガジンZ-SQUADをここまでの規模に押し上げたい。とはいえこのサイト運営は全てにおいて自分1人でやっているので、実際は増えたり減ったりって感じだろう。まあぼちぼち続けていくという感じだ。

そして最後に書かせていただきたい。日本の映画雑誌のベストは日本人だけで構成された時代遅れな単一民族主義みたいな風景ばかりが広がっている。このZ-SQUAD Pollはこれに対するカウンターにはなっていると思う。まあ私は東欧が根城なので東欧ひいてはヨーロッパ過多なのは否めない。若い人々が東南アジアやラテンアメリカ、アフリカの映画作家や批評家を集結させるPollを作ってくれるのを私は願ってる。それでも鉄腸マガジンはいつだって日本にある既存の映画雑誌への幻滅と怒りが原動力だ。ここで日本の映画批評家陣、映画雑誌に礼を言いたい。あなた方が日本語字幕つきで日本の映画館で上映する作品しか取り上げない権威主義、拝金主義、古典主義、そして何よりただただ徹底的にダサい、野心の欠片もない凡であるおかげで、それを反面教師として、この鉄腸マガジンをやってこれた。感謝したい。と!いうわけで、ぜひこの記事を楽しんでほしい。それではどうぞ。

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Sofia Elena Borsani (スイス、“Über Wasser”主演)

“The Tsugua Diaries”
(モーレン・ファゼンデイロ、ミゲル・ゴメス 2021)

「兄が教えてくれた歌」
(クロエ・ジャオ 2015)

“Red Rocket”
(ショーン・ベイカー 2021)

“Summer Planning”
(Alexandru Mironescu 2021)

“Lili Alone”
(Zou Jing 2021)

“Taming the Garden”
(Salomé Jashi 2021)

「世界で一番美しい少年」
(クリスティーナ・リンドストロム、クリスティアン・ペトリ 2021)

“TECHNO, MAMA”
(Saulius Baradinskas 2021)

“Junior”
(ジュリア・デュクルノー 2011)

“Summer hole”
(Moris Freiburghaus 2019)

このリストに載っている映画を繋げるものは、人の脆さ、そして自分の人生に対する責任に宿るのだろう希望というモチーフだと、私は思います。

今年最も好きだったスイス映画“Summer Hole”はどれほどの真実に友情は耐えうるのか?を問う1作です。“Techno, Mama”は強靭な映画的美学と、いつか乗り越える必要のある複雑な関係性の描きこみ、この2つをとても巧く組み合わせた作品と思いました。“Red Rocket”は私を爆笑させながら、それが大丈夫なのか戸惑ってしまう映画でしたね。そして私のベスト1は"The Tsugua Diaries"です。暖かさやワクワクを与えてくれる、映画製作というものへの頌歌でした、特にこのパンデミックにおいては。

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Juan Mónaco Cagni フアン・モナコ・カーニ (アルゼンチン、"Ofrenda"監督)

「メモリア」(ウィーラーセタクン 2021)
“dark light voyage” (dirdamal, 2021)
「小石」(ヴィノートラージ 2021)
「ひかり」(シセ 1987)
「ロンリエスト・プラネット」 (ロクテフ 2011)
悪魔の陽の下に (ピアラ 1987)
ラルジャン(ブレッソン 1983)
「国境の夜想曲 (ロッシ 2020)
“first cow” (ライカート 2020)
「黒衣の刺客」 (シャオシェン 2015)

アルゼンチン映画“piedra sola (tarraf, 2020)

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CHE BUNBUN (日本、映画の伝道師・"チェ・ブンブンのティーマ"管理人)

1.ある詩人(ダルジャン・オミルバエフ、2021)
今年の映画業界最大の事件は、第34回東京国際映画祭ダルジャン・オミルバエフ監督の新作がワールド・プレミアで上映されたことであろう。哀愁と鋭さをもった彼の眼差しは、英語に駆逐され衰退していくカザフ文学界に目を向けられ、読書すれば没入できる広大な大地にまで魔の手が忍び寄る辛辣さを形成する。オミルバエフ監督特有の、ぬるっと夢が侵食する場面の滑稽な禍々しさ含めて力強い映画であった。

2.アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ(ラドゥ・ジューデ、2021)
新型コロナウイルスが国際的に蔓延してから、映画界は「今」をどのように捉えるかを暗中模索していた。その中で生まれた傑作が第71回ベルリン国際映画祭金熊賞を受賞した『アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ』である。ノーマスク、顎マスク、鼻マスクする人で行き交うコロナ禍のルーマニアを淡々と映す第一章から始まり、突如映像のスライドショーが始まる第二章、そして学校裁判が始まる第三章と展開されていく。この歪な構成が、鑑賞後に重要な意味をもってくる。学校裁判の場面でお洒落マスクを装備した人が、セックス動画流出事件を媒体に持論を投げつける。マスク=SNSのアイコンであることを象徴し、SNSの持論による暴力を肉付けするために第二章が存在することに気づかされるのだ。このユニークな構成、マスクをSNSの象徴にするアイデアの面白さに魅了された。

3.洞窟(ミケランジェロ・フランマルティー、2021)
死への欲動をここまで刺激される冒険旅行はないだろう。洞窟の深淵を目指して、少し進んでは立ち止まってポジションを立て直していく連動が面白い。名撮影監督レナート・ベルタの撮影により、闇の中にほっと明かりが灯る美しさと、見えない部分への好奇心が常に刺激され、没入の映画とはまさしくこれのことだと感じた。

4.ドライブ・マイ・カー(濱口竜介、2021)
村上春樹の原作はルッキズムがキツかったり、男らしさのアピールが酷かったりする。それを彼の「シェヘラザード」の引用から始めるところに濱口竜介の鋭さがある。これは千夜一夜物語におけるシェヘラザードのように、男らしさの塊である西島秀俊演じる家福悠介にエピソードを話す、それも多言語演劇を介することでその塊を溶かしていくものとして機能している。原作ものの映画でありながらも批評があり、その上で濱口竜介の会話によるドライブを堪能することができよかった。

5.仕事と日(塩尻たよこと塩谷の谷間で)(アンダース・エドストローム&C・W・ウィンター、2020)
8時間もある本作は、観る人、観る環境によっては地獄の8時間になるだろう。本作は京都の田舎町が舞台の作品であるにもかかわらず、会話を聞き取るのが非常に困難だからだ。まるで留学した時のように、言っていることはよくわからないが、空間でなんとなく状況が分かる感覚を8時間かけて描く。監督の一人アンダース・エドストロームが写真家である為、ショットがどれも美しく、特に仄暗い部屋にある介護ベッドと微かな光の空間に介護する者を配置する構図が圧巻である。土地の長い歴史と、長い人生の終焉をじっくり魅せてくれる怪作である。

6.ディア・エヴァン・ハンセン(スティーヴン・チョボスキー、2021)
人間は誰しも信じたい真実を見ようとしてしまう。SNS時代において、勢いに乗った歪んだ真実はあっという間に拡散する。その人間の気持ち悪さを意地悪に描いたこの修羅場映画は監督がスティーヴン・チョボスキーというところが重要だったりする。『ウォールフラワー』で陰日向にいる者に手を差し伸べた彼が、そのまま心臓を抉りとるような不気味さがあるのだ。精神衰弱しているエヴァン・ハンセンに降りかかる不良生徒の自殺。親族が信じたい真実を押し付けたことにより運命の歯車が回り始め、いつしかクラウドファンディングで偽りの果樹園が爆誕しそうになる展開に爆笑と涙の洪水が押し寄せた。真面目な話をすると、本作はミュージカル映画にありがちなバークレーショット(万華鏡のようにマスゲームを撮る手法)を挿入していないところが素晴らしい。スマホの画面を無数に並べて、肖像を作るバスビー・バークレーの別技術を援用しているところに好感を持った。

7.Exile(Visar Morina、2020)
コソボ映画がここ数年力をつけており、第34回東京国際映画祭では『ヴェラは海の夢を見る』が東京グランプリを受賞、第94回アカデミー賞国際長編映画賞ショートリストに『HIVE』が選出された。私が推したいコソボ映画はEXILEである。パワハラ、セクハラ問題が国際的に白熱しているが、本作は被害者がそこで受けた暴力を別ベクトルにぶつけてしまう加害の面に向き合った作品。職場で嫌がらせを受けている男が、暴力を家族や警察にぶつけてしまう様子を描いている。被害者の意識が強まると視野が狭くなり、理不尽な目に遭っているイメージが強くなる。そのせいで暴力に気づけなくなっていく感覚を生々しく描いているのだ。

8.The Card Counter(ポール・シュレイダー、2021)
ハンガリーのことわざに「逃げるは恥だが役に立つ」という言葉がある。これは「恥ずかしい逃げ方だったとしても生き抜くことが大切」という意味である。ポール・シュレイダーの新作は、カジノ映画にもかかわらず、少し稼いでは逃げる男の話でとにかく安全確保のために危険な賭けにでない。ファム・ファタール的存在も華麗にスルーしていく。でもって運命が彼を闇に連れ去ろうとする。この駆け引きがとても面白く、まさしくポール・シュレイダーの「逃げ恥」といった作品だ。

9.Mr. Bachmann and His Class(マリア・スペト、2021)
日本には3年B組金八先生があるが、ドイツには「6年B組Bachmann先生」がある。AC/DCの服を着てだらしなく授業するBachmann先生に最初こそ不信感を抱く。しかし、彼と生徒の関係を観ていくうちにBachmann先生の魅力に気づかされていく。移民が集まるクラス。モチベーションも人それぞれだ。そこで大事なことは、「自分の言葉で論理的に話す」ことである。徹底的に、「なぜ?」「どうして?」と掘り下げ、生徒に歩み寄る。その過程で生徒たちは外国語であるドイツ語を使って自分の意見を言い、内なるモヤモヤを解消できるようになっていくのだ。これは日本の学校現場でも教科書になり得る重要なドキュメンタリーであろう。

10.映画 おかあさんといっしょ ヘンテコ世界からの脱出!(監督なし、2021)
ここ数年、幼児向け映画が軽視されていることが問題だと思っている。日本ではアンパンマン、しまじろうの映画がたくさん作られているのだが、観ると奥深かったりエンターテイメントとして丁寧に作られていたりする。アート映画の監督がドヤ顔で第四の壁を破っていたりするが、幼児向け映画の世界では当たり前のように使われていたりする。ここに目を向けなくてどうすると私は言いたい。今年は『映画 おかあさんといっしょ ヘンテコ世界からの脱出!』が素晴らしかった。アニメの世界の住人が異世界転送スイッチのようなものを持って、うたのお兄さん、お姉さんたちの元へやってくるがそれが暴発し、四散バラバラとなってしまう。その中には擬似長回しをつかったクイズがあったり、フレームの外側や奥行きを使ったアクションパートなどがある。そして小池徹平演じる門番パートが大人にとっても唸らせられる場面となっている。クイズが出題されるのだが、それが「あなたは犬派?猫派?」といった脈絡がないものだ。これに対して疑問を投げかけると、「そういうルールだから」と開き直る。トップダウンで降りてきたものに疑問を持たない者とそれに対して疑問を持つ者のディスカッションは涙なくして観られないだろう。

【イチオシの日本映画】FRONTIER(服部正、2020)
立教大学大学院映像身体学科の『彼女はひとり』が好評でしたが、自分が注目している作品は服部正和『FRONTIER』である。低予算でSF映画を作ろうとすると、どうしても妥協してしまう。『偶然と想像』第三話「もう一度」のようにテロップでSF的概念を語って済ませることが起こる。しかし、本作は大学院制作の作品でありながら、クリストファー・ノーランの壮大なSF映画に追いつけ追い越せと言わんばかりに美しくも現実っぽくない画を作り、機械も手作り感を思わせない丁寧なものとなっている。確かに荒削りな内容であるが、服部正は将来、日本のSF映画を牽引する人物になるであろう。

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Csiger Ádám ツィゲル・アーダーム (ハンガリー映画批評家)

映画という意味で、私にとって2021年はいい年ではありませんでした。パンデミックに個人的なイベントに(娘が生まれたのが1番の出来事でした)私は今までも平均的な映画マニアのリストには全く敵わないリストしか作ってきませんでした。しかしおそらく普通すぎるからこそのユニークさもあると思い、今年もリストを作ってみました。ここで要約すると、今年は落胆の年でした。いい意味でも、悪い意味でも。M・ナイト・シャマラン「オールド」ジェームズ・ワン「マリグナント 狂暴な悪夢」エドガー・ライト「ラスト・ナイト・イン・ソーホー」などには期待していましたが、全部期待外れでした。それでも5つのポジティヴな落胆について見ていきましょう!

「最後の決闘裁判」(リドリー・スコット、2021)
初めてのセット写真を見た時、ベン・アフレックマット・デイモンの髪型にゾッとしました。しかしこの羅生門方式の1作は迫真性があり、緊迫して、感情に満ち、そして今日的なんです。リドリー・スコットという生けるハリウッドの巨匠によって成される古典的映画製作の結実です。

「DUNE 砂の惑星(ドゥニ・ヴィルヌーヴ、2021)
最初、良作になるとはとても思えませんでした。「メッセージ」はここ10年でも最良の映画の1本だと思う一方で、同じくヴィルヌーヴブレードランナー2049」は嫌悪していて、今作もただただ退屈なのではと恐れていたんです。しかし今作はスクリーンへと正しく投影された、SF小説の映画化でも最良のものとなっていました。

「ノー・タイム・トゥー・ダイ」(キャリー・フクナガ、2021)
馬鹿げたタイトルのせいでダニー・ボイルと決裂したのは先行き不安でしたが、最終的にはダニエル・クレイグ版でも(私にとって)ベストなボンド映画となりましたね。私自身ボンドファンではないですが、こんな物語は100万回見たにも関わらず驚くほど楽しい時間を過ごせました。

「フリーガイ」(ショーン・レヴィ、2021)
ビデオゲームの構造というものがスクリーンに映しだされるのを観るのは楽しかったですね。そういえばオール・ユー・ニード・イズ・キルも好きでした。今作はそれと同じくらい良かった訳ではないですが、この年でも最もオリジナルで、だからこそ最高にエンタメな娯楽大作でしたね。

「プロミシング・ヤング・ウーマン」(エメラルド・フェネル、2021)
失敗も幾つかあって、脚本に小さな問題があると私は感じた(皮肉なことにオスカーで賞を獲得しましたが)んですが、いわゆるレイプリベンジ映画への現代的なアプローチという今作を好きでいないのは難しいことでした。

2021年のハンガリー映画"Natural Light" (nes Nagy, 2021)
ベルリンで監督賞を獲得した1作であるこの映画は、ハンガリーにオスカーをもたらしたサウルの息子のインスパイア元となったソ連映画「炎628」(エレン・クリモフ)への解答の1つともなっています。

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Jon Davies ジョン・デイヴィス (USA, “Topology of Sirens”監督)

5つの新作

1.「ドライブ・マイ・カー」(濱口竜介)
あらゆるところで語られ、もう言うべきことは少ししかないですが、今作は他の“明白な”賞以上に、2021年において最も素晴らしい音響デザインと評される1作だとは明記する価値があるでしょう。

2.「仕事と日(塩谷の谷間で)」(C.W.ウィンター & アンダース・エドストローム)
巨大であるのと同じくらい静かな1作であり、記録されているのは人生の終りだけでありながらも、人生全てを経験したように思えるんです。

3. “Short Vacation” (Kwon Min-pyo, Seo Han-sol)
私の好きな廣木隆一作品の数々、それはつまり登場人物たちがただ歩きながら写真を撮っていくなんて作品を思い出しました。監督たちがここで成し遂げていることには深く嫉妬してしまいます。事も無げに高められた自然主義が、登場人物たちの受け継いだ世界をほどいていき、ファンタジーを煽ることは全くないままに、魔術的リアリズムの感覚を染みださせていくんです。

4. “Winter's Night” (Jang Woo-jin)
夜、くるくると歩いていく。それは一夜だけのこと、もしくは幾つもの夜を跨いでいるのか? 観てからしばらく経つのに、今でもその捉えどころない、不気味な感触に動揺しています。

5.「偶然と想像」(濱口竜介)
第2話、ある登場人物がモノローグとしてフィクションを朗読する。この場面は濱口作品で私が好きなものを象徴しています、つまり俳優たちの演技に彼がもたらす抑揚です。ある女優と共演者が対立的な官能性に直面し、突然ほとんどロボットのような存在となってしまうと。

5つの旧作

1.“VERTICAL FEATURES REMAKE” (ピーター・グリーナウェイ)
陳腐で乾いているのに、私たちを取り囲む世界における神秘的というアイデアを指し示しているようです。こういったのはあまり見たことがありません。

2. “Christmas, Again” (Charles Poekel)
煩いだけなカサヴェデス研究の成果を越えて、マンブルコアという潮流からこういった静謐と熟考こそ選びとる作品が現れており、心が暖まりました。

3.「愛と平成の色男」(森田芳光)
1人の女たらし、昼は女性しか雇わず患者にも受け入れない歯科医を経営、夜はサックス奏者として月光を奏でる。そんな奇矯なコンセプトだけでもこのリストに入るに相応しいでしょう。しかし今作はその攻撃的な滑稽さを越えて「卒業白書」のような思慮深い1作ともなっているんです。

4.「(ハル)」(森田芳光)
森田は間違いなく今年最良の発見でした。バーチャルな恋愛にまつわる最も信頼性ある1作、最も“90年代的な”映画の1本でしょう、たぶんいい意味で。

5.夏至(トラン・アン・ユン)
雨の日に観る映画として完璧です。

今年はおそらく韓国ドラマを映画よりも長く観ていた年でした。私のシネフィル的生活にこれも不可欠だったので、簡潔にですがここにトップ5を挙げる必要があるという訳ですね。

1.「マイ・ディア・ミスター〜私のおじさん〜」
笑って泣いて、その狭間にある全てを体感しました。IUイ・ソンギュンは完璧な主演コンビですね。去年観たどの映画よりも良かったです!

2.「恋のスケッチ~応答せよ1988~」
ああ、甘いノスタルジー!何度もこれは80年代に撮られたんじゃないかって思いました。

3.「恋愛体質~30歳になれば大丈夫」
チョン・ヨビンは今活躍中の女優でも大好きな1人になりましたね。

4.「それでも僕らは走り続ける」
ロマコメのお約束を思慮深いまでに押しあげる1作です。

5.「ヒーラー〜最高の恋人〜」
プロット重視の物語が上手くいったなら、ここまでの力を持つというのを思い出させてくれましたね。力強い!

そして今年1番のアメリカ映画はRob Rice監督作“Way Out Ahead of Us”です。プレミア上映は2022年ですが先に観る機会があり、最近観たどんなアメリカのインディーズ映画よりも素晴らしかったので、今後注目されるべきと思ったんです。カリフォルニアの田舎町にある小さな共同体を描く自由奔放な映画であり、初期のハーモニー・コリンが体現しながら、今は失われてしまったように思われる、アメリカ産インディーズ映画の血統にある作品なんです。

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Flavia Dima フラヴィア・ディマ (ルーマニア映画批評家・映画祭プログラマー)

年末において悩ましいことといえば、それぞれ異なる映画リストを送る必要があるということです。Roger Kozaが毎年開催する壮大なLa International Cinefiliaにも私はリストを送っていて、これをコピペすれば事は早く進むと分かっています(実際にそういう風にリストを再利用している人もいるでしょう)しかし第一にそれは怠惰ですし、何より頗る退屈です。

なので、ここには今年観た旧作のリストを送ろうと決めました。今年は映画祭における回顧上映にはあまり参加できませんでしたが(あるとっても明白な理由で)代わりに、私たちにとって古くからの愛しい友人であるCinemateca Eforie チネマテカ・エフォリエに、ここ4年では最も多く通いつめることになりました。

リストを載せる前に1つだけ。2020年という悪夢の只中、私が自分自身に言い聞かせたのは“パソコンの液晶画面で旧作を観て、映画体験を台無しにするのは止めよう。シネマテークが再開するのを待とう”ということでした。そして、この選択は正しかったなと思います。シネフィルとしての人生において、家での映画鑑賞以前以後で映画というものが分断されたかに、私は今最も意識的となっています。30年代の映画を家で観るというのは、想定されていた鑑賞法で観るのを否定する以上のものなんです。現象学的な意味で映画を殲滅しているんです(ここにおいて私は、シネフィル的人生のごく初期に家で観ていた映画を、やっと大きなスクリーンで観ることで“修正した”んです)

こういった訳で、下に載っている監督名簿は伝統的な聖典にかなり重なるものと感じられるでしょう。正直にいえば、それはルーマニアや、そのシネマテークみおける回顧上映のプログラムがほとんどの場合と同じく保守的だからなんです。しかしこのリストを作るという作業においては、大きなスクリーンで鑑賞した映画にこだわろうと思いました。それは映画という子宮にやっとのことで戻れた2021年、その最後における、象徴的な行為でもあります。世界の原子化が進行していく中で、映画体験の共有が存続していくための砦、そこで勇気ある戦いは確かに続いているのだと思うために。

2021年に(再)鑑賞した古典映画ベスト10
1. “The Long Day Closes” (監督:テレンス・デイヴィス、1992)
2.「大いなる幻想」(監督:ジャン・ルノワール、1939)
3.ニノチカ(監督:エルンスト・ルビッチ、1939)
4.「はなればなれに」(監督:ジャン=リュック・ゴダール、1964)
5.赤ちゃん教育(監督:ハワード・ホークス、1938)
6.「満月の夜」(監督:エリック・ロメール1984)
7.マルホランド・ドライブ(監督:デヴィッド・リンチ、2001)
8.ブエノスアイレス(監督:ウォン・カーウァイ、1997)
9. “Bildnis einer Trinkerin” (監督:ウルリケ・オッティンガー、1979)
10. Das Lied der Ströme” (監督:ヨリス・イヴェンス、1954)

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Arman Fatić (ボスニア, 映画批評家・小説家)

1.「ある結婚の風景」(ハガイ・レヴィ)
2.「アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ」(ラドゥ・ジューデ)
3.「偶然と想像」(濱口竜介)
4. “The Worst Person in the World”(ヨアキム・トリアー)
5. 「Hand of God -神の手が触れた日-」(パオロ・ソレンティー)
6. “Juste un mouvement” (Vincent Meessen)
7. “Petite maman (セリーヌ・シアマ)
8. “Landscapes of Resistance” (Marta Popivoda)
9.「世界で一番美しい少年」(クリスティアン・ペトリクリスティーナ・リンドストロム)
10. “Bergman Island” (ミア・ハンセン=ラブ)

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Jela Hasler イェラ・ハスラー (スイス、"Über Wasser"監督)

外国映画

  • A l’abordage (All hands on deck) by ギョーム・ブラック、フランス 2021
  • A night of knowing nothing by Payal Kapadia, インド 2021
  • Herr Bachmann und seine Klasse (Mr Bachmann and his class) by マリア・スペト、ドイツ 2021
  • Hayaletler (Ghosts) by Azra Deniz Okyay、トルコ 2020
  • North Pole by Marija Apcevska北マケドニア 2021
  • Selfie by Agostino Ferrente、イタリア 2019
  • The Coast by Sohrab Hura、インド 2021
  • The Moon, 66 questions by Jacqueline Lentzou,、ギリシャ 2021
  • This day won’t last by Mouaad el Salemチュニジア 2020
  • Titane by ジュリア・デュクルノー、フランス 2021

スイス映画

  • Les Nouveaux Dieux (The New Gods) by Loïc Hobi, 2020

このリストは間違いなく不完全ですが、これからも私と共にあってくれる、そして映画や世界の見方を変えてくれるとそんな映画を選ぶよう最善を尽くしました。そういった作品はもっとあり、そんなことは多くは起こらないので素晴らしかったですね。という訳で映画を観て経験するということにおいて、2021年は私にとってとても良い1年でした。

今年はあまり多くのスイス映画は観なかったので、この選出はかなりトリッキーです。それでも来年は2021年に制作されたスイス映画を観るチャンスがあればと思います、面白い映画はたくさんありますからね!

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Mariana Hristova マリアナ・フリストヴァ (ブルガリア映画批評家)

ここに挙げた映画は私の好みという風で、必ずしも“ベスト”という訳ではなく、互いに比べるというのも難しいです。なので2021年に私が感銘をうけた10作+1作ということにしておきます。

1. The North Wind (ロシア, 2021, Renata Litvinova)
2. France (フランス, 2021, ブリュノ・デュモン)
3. The Worst Person In The World (ノルウェー, 2021, ヨアキム・トリアー)
4. Petrov’s Flu (ロシア, 2021, キリル・セレンブレニコフ)
5. Celts (セルビア, 2021, Milica Tomović)
6. The Winged (Armenia, 2021, Naira Muradyan, アニメーション短編)
7. Sandra Gets a Job (エストニア, 2021, Kaupo Kruusiauk)
8. Forest – I See You Everywhere (ハンガリー, 2021, ベネデク・フリーガウフ)
9. Acariño galaico (de barro) (スペイン, 1961-95, José Val del Omar, 実験短編)
10.  Passacaglia y fuga (アルゼンチン, 1975, Jorge Honik, 実験短編)

ブルガリア映画ベスト:“January” (Andrey Paounov)

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今野芙実 (日本、映画ライター)

今年のTOP10は順不同で、新作と旧作を分けずに選びました。

フリー・ガイショーン・レヴィ/2021)
Mr.ノーバディイリヤ・ナイシュラー/2021)
コレクティブ 国家の嘘アレクサンダー・ナナウ/2019)
アデューマティルド・プロフィ/2019)
ヒポクラテスの子供達トマ・リルティ/2014)
奇跡是枝裕和/2011)
音のない世界でニコラ・フィリベール1992)
ノーマ・レイマーティン・リット/1979)
SF核戦争後の未来・スレッズミック・ジャクソン1984
アルジェの戦いジッロ・ポンテコルヴォ/1966)

SNSで映画情報を集めるようになってから「こういう映画なんだろうな」と予測した上で確認するかのような鑑賞の流れになってしまうことが増え(もちろんこれは単純にデメリットというわけではないのですが!)、事前のイメージというものから自由になることの難しさを常に感じています。

そんな中で、ベストに挙げた映画はいずれも「確認」にならなかった作品だったな、とこうして並べてみたことで気づきました。特に旧作で選んでいるものは、いずれも「見たときに初めて」私はこういう映画が見たかったんだ、と目の前がパッと開けていくようなそんな喜びが得られた作品です。

映画はたくさんの人が見て、たくさんの人が評価を下すもの。もともとレビューを読むのが好きな私は、ある程度そこでの「今のコンセンサス」を理解し、誰が何をどう評価する/しないかについては(それなりに)納得していることがほとんどです。でも「そのときの自分が必要としているのはどんな映画なのか」だけは、心を動かされた瞬間に初めてわかるものなのですよね……ってまあ、当たり前のことなんですけど。その原点に立ち戻れるような作品に、2022年もたくさん出会えるといいなと思っています。

1つだけ具体的に「今だから」出会えて良かった、という作品の話をしましょう。良かったらベスト邦画も挙げてね、というリクエストもいただいてたのでちょうどよさそうな話。

是枝裕和監督の『奇跡』は製作された2011年当時には全く食指が動かない映画でした(そもそも私はもともと是枝作品自体の甘さが苦手で、あまり興味がなかったので……)。ところが、この映画の主な舞台になっている鹿児島に東京から引っ越してきて5年目を迎えた私には、ものすごく特別な作品になったのです。

ここに映っている世界ーー駅、道路、火山、こどもたちの制服、かるかん、商店街ーーは、今の私にとっては本当に身近で、よく知っているものです。けれど、公開されていた時には自分にとってそうした親しさを覚えるものだとは「知るよしもなかった」ものなのだということが、映画の中でこどもたちが「永遠に続くものはないし、続かなくたっていいんだ」を無意識に学び取る様子と重なって見えたんですね。結果として「時は流れる」という当たり前のことに胸がいっぱいになって、涙が止まらなくなってしまいました。

映っている世界は10年前なので今私が見ている景色とは少しずつ違っている。それに、このとき幼い目的のために全力疾走していた子役たちの中から何名かが「若手俳優」として活躍している「今」の姿を知っている。そんなこともすべて時の流れについて考える理由になりました。

知っているけれど、知らないものが映っている。懐かしいのに新しい、新しいのに懐かしい。個人的な背景抜きに語ることができない。自分でも気づいてなかった感情に触れてきた映画は、ときとして「映画以上」の存在になるーーそんな経験ができたことは、とても幸せだと感じています。

未来の自分は常にわからないもの。既に見た最近の映画も、これから見るかもしれない有名な旧作も、まだ作られていない未来の映画も「見るときの自分にとってその映画が響くタイミング」かどうかだけは、見るときまで決して本人以外にわからないもの。今、大して興味がない映画も、いつかあなたに本当の意味で「出会う」日を待っているかもしれません。

批評を本業にする人がこうあるべきとも思いませんし、表現面での一定の標準をクリアしているかの指標はあるべきと考えていますが、この体験を経たことで「自分がどんなふうに映画を見ていきたいのか」が定まってきた気がしている2021年最後の夜です。

ちなみにドラマでは『真夜中のミサ』マイク・フラナガン/2021)が素晴らしかったです。照明の的確さという点でこれ以上に驚かされた作品はありません。ここまで語ってきたこととは全く逆方向になるんですが(あれ?)、こちらは描かれていること以上に「ひたすら巧みな話術を堪能できる」という点で最も純粋な喜びを得られた作品でした。

てなわけで、2022年も謙虚かつ図々しくあーだこーだと「どこまでも個人的な感情の反射」としての映画感想を言っていきたいなと思っています!

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Katerina Lambrinova カテリナ・ランブリノヴァ (Bulgaria, film critic)

1.「ドライブ・マイ・カー」(濱口竜介):その喪失と孤独にまつわる、深遠ながら感情の面で節制された語りを評して。
2.「ロスト・ドーター」(マギー・ジレンホー):その女性たちをめぐる普遍的なテーマに対する優雅な心理的アプローチを評して。
3.ヴェルヴェット・アンダーグラウンド(トッド・ヘインズ):その純粋で剥き出しの前衛に対する讃歌であることを評して。
4. “The Worst Person in the World”(ヨアキム・トリアー):30代における愛と生活への陽気でエレガントな姿勢を評して。
5.「見上げた空に何が見える?」(アレクサンドレ・コベリゼ):その悲喜劇と不条理に満ちた、詩的な映画世界を評して。
6. “January” (アンドレイ・パウノフ):そのYordan Radichkovによって執筆されたブルガリアにおける現代の古典戯曲への大胆なまでに超現実的な解釈を評して。
7.「二月」(カメン・カレフ):その存在に調和を与える技巧を評して。
8. “February”(Laura Wandel):その力強い映像スタイルと大胆なテーマを評して。
9. “The North Wind” (Reneta Litvinova):そのバロックで退廃的なおとぎ話のスタイルを評して。
10. “Divas” (Máté Kőrösi):その私たちの世代の誠実な肖像を評して。

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Dora Leu ドラ・レウ (ルーマニア映画批評家・Film Menu編集)

「ドライブ・マイ・カー」 (2021, 濱口竜介)
このリストに載っている他の映画は頭に浮かんだ順に記したものですが、この「ドライブ・マイ・カー」に関しては今年1番好きだった映画と、安心して言うことができます。もちろんそれは私が村上春樹の大ファンであることが主な理由なんですが(まあミーハーですね、言われなくても分かってます)これと同時に濱口は村上作品の魂を本当の意味で捉えることのできるとても少ない監督の1人で、西島秀俊は村上作品によく出てくる主人公の視線や振舞を、私が想像していた通りに実現してくれる人物だと思いました。そして西島はとても村上的な、教養ある男の内的な憂鬱を完全に体現してもいますね。村上は文学というメディア独特のギミックをよく使うゆえに、その作品を映画化するのは普通とても難しいことです。それを頗る満足いくように成し遂げている点で濱口は称賛されるべきでしょう。「ドライブ・マイ・カー」はエッセイ的な映画とはならないままに、コミュニケーション、言語、そしてテキストに関する聡明な映画となっています。長台詞こそが傑作を作る、ロメールも私たちに教えてくれていたでしょう。そして濱口は2021年を生きる現代的な人々を描くのも長けていると思いました、彼の対話はとても自然で今と深く共鳴しているという意味で。結論として、濱口は、必ずしも革新的ではないにしろ、保守的などではない現代の生き方をめぐる傑作を作りあげたと言えます。

ここからは特に順序はなく、頭に浮かんだ順です。

「カム・ヒア」(2021, アノーチャ・スイッチャーゴーンポン)
この映画は2021年の始めに観たんですが、忘れ難いほど美しく今でも心に長く残っています。若者グループがカンチャナブリーという町へ赴き、歴史的な悲劇が起こった鬱蒼たる森を彷徨います。詩的で実験的、常に境界線上にある映画で、ここでは現実と夢は空間が変化するごとに織りあわされていきます。水上住宅から現代のバンコクへ、劇場のようなスタジオからアーカイヴ映像に現れる動物園へ。人生がランダムですり抜けていく、出来事の集合体のように思えてくるんです。「カム・ヒア」における形式の厳格さは観客を映画の本質と真剣に向き合うよう誘うんです。

「家族の波紋」(2010, ジョアンナ・ホッグ)
監督のベスト映画という訳ではないですが、これは"The Souvenir Ⅱ"以外では前に私が観たことがなかった1作で、今まで観てこなかったことに自分で驚くような1作でした。今作の主演はまだ爆発的な人気を獲得していなかった頃のトム・ヒドルストンであり、イギリスの上流階級が過ごす穏やかな生活、その単調なリズムというものが描かれています。機能不全に陥った家族や特権性を、寡黙ながら強烈に批判するとともに、ゆっくりと燃えたぎる速度で綴られる静かで緊迫感ある美しさは正にジョアンナ・ホッグの作品というべきものです。"The Souvenir Ⅱ"の枠に今作が入っているとも言えますね。前作の「スーヴェニア 私たちが愛した時間」は正に傑作でしたから、これもきっと好きになるでしょう。

"To the Moon" (2020, Tadhg O’Sullivan)
月とその美を祝福する私的映画に、また1つ素晴らしい作品が増えました。監督は世界中のアーカイブ映像とオリジナルな映像を合わせ、月がいかに時代と文化を越えてきたかについて観客に静かに考えさせる、とても感動的なエッセイ映画を作りだしました。ジョイスベケットなどの古典的な作家から、より最近の詩や音楽まで引用しており、とても博学な1作とも言えます。そして人と映画を1つにする美しいトランス、仙薬のような作品でもあります。そして今作が特に琴線に触れたのは、私がアイルランド映画が大好きだという他にも、子供の頃に母が歌ってくれた子守歌を想いださせてくれるからなんです。

「彼女と彼」(1963, 羽仁進)
私は羽仁の後期作がより好みで、この映画は今まで観たことがなかったんです。他の作品よりは大人しめなのは当然ですが、今作では甘さ、穏やかさ、それにペシミズムと政治性が興味深く組み合わさっているんです。演出も素晴らしく濃厚に60年代を感じさせる、家庭生活をめぐる繊細な肖像画と言えるでしょう。ジェントリフィケーションや階級差についてのメッセージは今に思い出される必要があるものと私は思います。そして深く共感できる人物ではないにしろ、左幸子演じる直子には印象的な場面が幾つもあります。山下菊二の伊古奈さんと犬たちには泣かされましたね。ああ、世界というのは何て惨めなんでしょうか。

"Compartment no.6" (2021, ユホ・クオスマネン)
思うにこのリストにももっとクオリティの高い映画は幾つもありますし、今作は傑作という訳ではありません。しかし電車で長距離旅行をする時に"Voyage, voyage"を聞きながらこの、2人の男女が巡り会うという古典的なお約束をめぐる軽やかでスウィートなコメディを思い出さざるを得ませんでした。Yuriy Borisovはこの役を笑えるものにしてくれた、頗る才能ある俳優でしょう。東欧人としてはああいう人物はあるあるといった感じで更に笑えました。激しい吹雪を越えてペトログリフを見に行くというのが、美しく理想的なことというのもここで証明されましたね。

「アヘドの膝」(2021, ナダヴ・ラピド)
怒りと苦痛に満ちた悲鳴を挙げた時感じるアドレナリンを思わせる1作です。劇中でも、砂漠の丘に立つ主人公がこれと同じようなことを凄まじい形で行っていました。作品と作品の間で、映画監督は外的な要因の数々によって個人的な不満を抱えることになってしまう訳ですね。今作は幾度となく政治的なものとなりながら、イスラエルを越えて、より普遍的な視点での検閲についても映画ともなります。"自分の立つ場所が敵意しか呼ばないなら、自分はどんな存在になっていくのか?"というのが今作がもたらす問いの1つでしょう。そして"これにどう抵抗するか、そしていつかその抵抗に疲れ果ててしまったとするなら?"というのがもう1つの問いでしょう。

「アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ」(2021, ラドゥ・ジューデ)
この映画について長い記事を書いたので、もう殆ど言うことがないです。笑えて、論争を呼んで、しかも冒涜的? 他に? そりゃルーマニア的でしょう!

「ルクス・エテルナ 永遠の光」(2019, ギャスパー・ノエ)
映画館が再開してから、まず初めに観た映画の1本ですね。この映画が何についてかなんてどうでもいいでしょう。強いて言うなら、映画そのもの? そしてとてもギャスパー・ノエという感じで、観客への凄まじい強襲です。構造映画を思い出させる1作でもあり、強烈な頭痛とともに映画館を後にしました。あの映画にイライラさせられるのは快感でしたね。

「ウォールデン」(1968, ジョナス・メカス)
これは再見作なんですが、暗い暗い時代における解毒薬になってくれる1作でしたね。ジョナス・メカスはもう紹介する必要ないでしょうし、このリストに載せるべきはスポットライトの当たるべき、他のもっと無名な映画作家だとは思います。しかしメカスに戻ってくるたび、彼の映画がいかに啓示的であるか再確認するんです。純粋さ、人生、そして映画にまつわる鋭敏なセンスがありますよね。「ウォールデン」とその日記的なスタイルは今年の私にとって、際立ったインスピレーションとなってくれました。今生きている時代に意味を見出そうと試み、自分の作品を作ろうとしていた私は、世界や私の周りにいる人々を撮影し、だからもう彼らを失うことはないと思えるようになったんです。私が深く信頼を置いているこういったパーソナルな映画は、私たちの世代により共鳴するのではないかと思うんです。何故って私たちはカメラを手にして生まれてきたようなもので、全てを映すことが本当に簡単になってきていますから。「ウォールデン」は、私の大切な人が亡くなった時、とても平凡なものこそ、実際はそうではないから撮っておくべきと彼が勇気づけてくれたことを思い出させてくれた1作でもあります。手遅れになる前に行って、撮るべきなのだと。

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Thomas Logoreci  トーマス・ロゴレツィ (アルバニア、映画監督・批評家・プログラマー)

2021年はまるでスローモーションの飛行機墜落のようでしたが、今年最も私が誇れる達成は、チリの映画作家ラウル・ルイスの作品へと飛びこんでいったことです。長年、彼の作品は、未完成作も含めて全く手に負える量ではなく、圧倒されてきました。しかし世界に響きわたるノイズを掻き消すため、私はこの12ヶ月間ルイスの作品や執筆した文章、レクチャー、インタビュー、日記までも深く読み込んでいきました。このラウル・ルイスという魅惑的で、私を狂わせるような迷宮に迷いこむ、これこそが魔術的で神々しい、私にとっての達成でした。

2021年を耐えられるくらいマシにしてくれた10本の新作と旧作

Albert, Berger (Philippe Van Cutsem、ベルギー、2021)
Can't Get You Out of My Head (Adam Curtis、2021、イギリス)
Freestyle to Montenegro (Ardit Sadiku、2021、アルバニア)
Hive (Blerta Basholli、2021、コソボ)
「不思議なクミコ」(クリス・マルケル、1965、フランス)
Letter to the Editor (Alan Berliner、2019、アメリカ)
Little Palestine (Diary of a Siege) (Abdallah Al-Khatib、2021、レバノン/フランス/カタール)
「メニルモンタン」(ディミトリ・キルサノフ、1926、フランス)
Three Crowns of the Sailor (ラウル・ルイス、1983、フランス)
Terra Femme (Courtney Stephens、2021、アメリカ)

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Jurgis Matulevičius ユルギス・マトゥレヴィチウス (リトアニア, “Izaokas”監督)

1. ギャスパー・ノエ - “Vortex”
2. ヴィタリー・マンスキー -「太陽の下で -真実の北朝鮮-」
3. アンドレア・アーノルド -「アメリカン・ハニー」
4. ツァイ・ミンリャン -「日子」
5. クロエ・ジャオ -「ノマドランド」
6. Juri Rechinsky – “Sick fuck people”
7. Saulė Bliuvaitė – “Limousine”
8. ヤスミラ・ジュバニッチ -「アイダよ、何処へ?」
9. モハマド・ラスロフ -「悪は存在せず」
10. Wojciech Smarzowski – Clergy

これが私の2021年のベスト10です。皆が、時間を取ってこの美しい映画たちを観てくれたらと思います。解説は批評家に任せます。

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Andrjia Mugoša アンドリヤ・ムゴシャ (モンテネグロ、"Ječam žela"監督)

これが2021年のベスト映画です。良かった悪かったという順番ではなく、頭に浮かんだ順番です……

2021年を振り返るにあたって、まず最初にお勧めしたいのはキャリー・ジョージ・フクナガ監督のビースト・オブ・ノー・ネーション(2015)ですね。なぜ今年まで私がこれを観てなかったのか、神のみぞ知るですね。しかし新しい007を観る準備としてその作品に親しむため、今作も観たんです。まるで現代の「炎628」(エレン・クリモフ)を観たようで、"何てこった!"といった感じでした。

2作目は今年制作の"Pig"ですね。Michael Sarnoskiのデビュー長編ですが、映画界への何という登場の仕方でしょうか。ニコラス・ケイジは今もやはり巧みな演技を魅せてくれますね。そしてこのSarnoskiという監督は今後も作品を追っていくべき才能ですね。

3作目はクリスティアン・ペッツォルト「未来を乗り換えた男」です。今年初め、彼の作品を発見したんですが、今作は私にとって現代のカサブランカですね。今作の後にペッツォルトの作品群を観ていって、映像も語りも頗る興味深いスタイルを持っていると感じました。彼の作品を観れば間違いはないですね。それでも1本選ぶなら「未来を乗り換えた男」です。

4作目はValdimar Jóhannsson"Lamb"ですね。このリストにおけるもう1本のデビュー長編ですね。2021年でも特にユニークな映画でした。親であるということにまつわる、とても勇敢で、驚くほど奇妙な1作なんです。それ以上のものでもあるでしょうね。

5作目は今年のベストドキュメンタリーであるFirouzeh Khosrovani"Radiograph of a Family"です。2020年のIDFAで作品賞を獲得しており、写真とアーカイブのみでこんなにも力強い物語を描けるなんてと本当に驚きです。

6作目はパオロ・ソレンティー「The Hand of God」です。ソレンティーノについて語る時は客観的になれません。何故って私はおそらく「ヤング・ポープ 美しき異端児」の最も熱烈なファンの1人、それから彼の演出スタイルについてもです。なので「パワー・オブ・ザ・ドッグ」とともに今作は私のために作られたような映画です。そして今までもベストのNetflix制作映画でしょうね。

そして今年観た古典に移りましょう。

「火葬人」(ユライ・ヘルツ 1969)
第2次世界大戦時の中欧、ある狂った火葬人が、火葬は現世の苦痛を和らげるものと信じ、世界を救おうと試みる、そんな1作です。ドイツの表現主義や、シュヴァンクマイエルを思わすゴシック建築の不条理性に明確に影響を受けている作品で、どのイメージも丹念に組み立てられ、目に突き立てられる刃のようでもあります。クエイ兄弟の作品も思いだしました。映画史において最も印象に残る編集でもあります。

アメリカの影」(ジョン・カサヴェテス 1958)
言葉では今作を表現できません。そして映画ではなく、あらゆる意味においてジャズなんです。

そしてここからはバルカンの映画を紹介しましょう。

「アイダよ何処へ」(ヤスミラ・ジュバニッチ 2020)
殺人を直接見せることなく、虐殺というものの感覚を描いています。

"Ples v dezju" (Bostjan Hladik 1961)
間違いなくスロヴェニアで最も素晴らしい映画ですね。

そしてモンテネグロ映画ですが、1本だけは選べべず2本選ばざるを得ませんでした。2作とも長編デビュー作です。
"Elegy of laurel" (Dušan Kasalica 2021)
"After Winter" (Ivan Bakrač 2021)

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Jaume Claret Muxart ジャウメ・クラレ・ムシャルト (スペイン、"Ella i jo"監督)

ベスト10
1. クリスティアン・ペッツォルト監督の作品群
2. マニ・カウル監督の作品群
3.「ザ・デッド/『ダブリン市民』より」(ジョン・ヒューストン 1987)
4. ギイ・ジル監督の作品群
5. "Bergman Island" (ミア・ハンセン=ラヴ 2021)
6. "Benediction" (テレンス・デイヴィス 2021)
7. "The Souvenir II"(ジョアンナ・ホッグ 2021)
8. "If It Were Love" (Patric Chiha 2020)
9.「ホーム/我が家」(ウルスラ・メイヤー 2008) & "La maison de la radio" (ニコラ・フィリベール 2013)
10. "Tre Piani" (ナンニ・モレッティ 2021)

  1. α「あなたが欲しいのはわたしだけ」(クレール・シモン 2021)

このリストにおいて、2021年に発見した映画作家に関して1本だけ選ぶというのは無理というものでした。彼らの映画を1本に、彼らの成した仕事をたった1本に集約するなんて考えられません。そうして、クリスティアン・ペッツォルトマニ・カウルギイ・ジルといった映画作家たちの作品をこの12か月のうちに総覧したという訳です。

ペッツォルトに関して、これらの映画はもう既に観ていました。「水を抱く女」(2020)、「あの日のように抱きしめて」(2014)、「東ベルリンから来た女」(2012)の3作です。しかし今年その前の作品をとうとう観ることができ、更に上述の3作も再見しました。そんな時は時々起こることですが、1人の監督が私が作る映画にとって本当に重要であったと再認識することとなりました。振り返れば去年、そんな人物はペッツォルトと同じベルリン派のアンゲラ・シャーネレクでしたね。「イェラ」(2007)や「幻影」(2005)、「治安」(2000)を観るのはどんな映画監督においても、素晴らしいレッスンになるでしょう。個人的には映画的な身振り手振り、登場人物それぞれの動きや視点を彼がどう描いているかに、特に興味があります。そしてもう1つが古典的な物語構成を持ちながら、望むならそこから自由になる、その絶妙さです。

もう1つの素晴らしい発見は2021年の最初に起こりました。 外出許可証をごまかし、コロナの外出禁止令を避けてバルセロナに行ったんですが、Filmoteca de Catalunyaがその時に、羨むほどの詩情と自由を持つインドの映画作家マニ・カウルの回顧上映をしていたんです。Revista LumiéreのFrancisco AlgarinCarlos Saldañaのおかげでプリントの保存状態は全てとても良好で、上映は生演奏つきでした。この旅路は魅力的な"Uski roti"(1970)、その白と黒、そして霧のコントラストから始まったんです。

他方、今年でも随一に素晴らしかった上映は同じくFilmoteca de Catalunyaで行われたジョン・ヒューストン「ザ・デッド」(1978)でした。ここにおいては言葉と感情が全てなんです。35mmプリントの美しさ、色彩、映画から現れるクリスマスの雰囲気は全て驚異的で、映画館から出て歩いている時も、自分たちは映画のなかにいるのでは?と錯覚してしまうほどでした。

ギイ・ジルに関しては予期せぬ出会いでしたね。ヌーヴェルヴァーグから遥か隔たった、全く未知の映画作家で、今やっと光が当たり始めている人物です。Filmoteca de Catalunyaは2月に作品の回顧上映を行ったんですが、同時代の作家に比べ活力に満ち、自由で、よりエモーションに溢れた、恐るべき子供による映画だと思いました。編集は衒学的で大袈裟ながら、それにも関わらず深遠で輝かしいんです。

2021年はとても良い映画が何本もありましたが、ここでは長い間敬愛していた6人の映画作家による6本の映画を挙げたいと思います。ミア・ハンセン=ラブの内省的な"Bergman Island"テレンス・デイヴィスの悲しく繊細な"Benediction"ジョアンナ・ホッグの自伝的な"The Souvenir Ⅱ"Patric Chihaのダンス映画"If it were love"ナンニ・モレッティの過小評価されている"Tre Piani"、そしてクレール・シモンの驚くべき1作「あなたが欲しいのはわたしだけ」です。この全てが、現代の映画において恐ろしい流行と化した冷笑主義、その跡すらない意図して人間性に溢れた作品なんです。

また1人の過小評価されている映画監督であるウルスラ・メイヤー「ホーム/我が家」には、最初から最後まで魅了されていました。この映画は公共・私的空間における習慣性を描いていますが、私が建築学校で授業をする際は今作から始めました。ニコラ・フィリベール"La Maison de la radio"は私にとって"Ella i jo"に続く、ラジオがテーマの第2、第3短編にとってとても重要な1作になるでしょう。

スペイン映画
"Zehn Minuten vor Mitternacht"(Mario Sanz 2021)
"The noise of the universe" (Gabriel Azorín 2021)
スペイン映画には偉大な未来があるでしょう。サン・セバスチャンのElías Querejeta Zine Eskolaで学んだ世代の映画監督が輝かしく活動を始め、近い将来には世界的な結果を残すでしょう。最初の世代はとても特別で、例えば"I don't sleep anymore"(Marina Palacio 2020)や、私の"Ella i jo"(2020)、Julieta Juncadella"Prophecy"(2020)、"Blood is white"(Óscar Vincentelli 2020)などは世界的な映画祭で上映され、他にも"I'm vertical but I'd like to be horizontal" (Maria Antón Cabot 2022)や"For us pain is tender"(Patxi Burillo 2022)などが上映を待っています。この中でも"Zehn Minuten vor Mitternacht""The noise of the universe"、そして"What are our years?" (Clara Rus 2022)は特に素晴らしい作品です。

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Knights of Odessa (日本、東欧映画愛好家)

1. 無限 (マルレン・フツィエフ、1992)

ソ連崩壊直後に公開されたフツィエフ版永遠と一日のような遺作。"伝統を失ってしまった"という台詞とともに物質的記憶を奪われた老人は、過去の自分を案内人として街に残った精神的記憶を探し歩き、時空を逆走していく。世紀/人生/ソ連の終焉を重ね合わせつつも過度なノスタルジーに溺れず、ロシアがソ連崩壊で失ったものとソ連帝政ロシア崩壊で失ったものを重ね合わせて新たな国家の誕生に希望を託す。今のロシアはフツィエフが思い描いた国になったのだろうか。

2. Love Massacre (パトリック・タム, 1981)

徹頭徹尾不気味で異様な映画。貧血でも起こしそうな青白い画面の中で、異様に目立つ真っ白な服を着たブリジット・リンの存在感が凄まじい。今年はパトリック・タムに出会った年だと胸を張って言える。

3. The Strange Little Cat (Ramon Zürcher, 2013)
3. The Girl and the Spider (Ramon&Silvan Zürcher, 2021)

昨年がソフィア・ボーダノヴィッチとカナダ新世代に出会った年だとすると、今年はツュルヒャー兄弟に出会った年だと言える。初長編『The Strange Little Cat』では、狭いアパートに集まった親戚一同が同時並行的に様々なタスクをこなしながら、言葉や行動が徹底的に繰り返される。一見カオスに見えるが、厳格な交通整理がなされてきれいに舗装されている危うさと精巧さは、他の追随を許さない。次作『The Girl and the Spider』は前作から人数も場所も会話も小道具も犬猫も倍増し、とても100分とは思えないほどカオスが広がっている。映像は会話するABとそれを観ていたCの切り返しというワンパターンをシステマチックにひたすら繰り返すだけだが、表情やタイミング、ABCの関係によって無限とも言える分岐が生まれていくのが凄まじい。このシステマチックな緊張感とライブ感の中に危ういバランスで保たれた精巧な美しさがある感じ、ジャルジャルの"ピンポンパンゲーム"を思い出した。

4. Petite Maman (セリーヌ・シアマ, 2021)

今年のベルリン映画祭コンペは例年と少々異なり、中々レベルの高い布陣だった。セリーヌ・シアマの新作はそんな中でも一際輝いていた。本作品は72分の短尺の中で、祖母を亡くした少女が母親の生家で少女時代の母親と出会う物語である。実際の双子姉妹が演じたことで、過去と現在がシームレスに繋ぎ合わされているのが上手い。一つの家に流れる二つの時間をマジカルに飛び越える瞬間が素晴らしい。

5. The Stone Wedding (Dan Pița & Mircea Veroiu, 1973)

本作品は二部構成になっている。第一部は採石場で働く老女とその病弱な末娘の寡黙な物語、第二部は結婚式に招かれた音楽家と花嫁の物語である。全編を通して、真っ白な石、真っ白なロバ、ウェディングドレスなど白いものに"死"のイメージが、逆に夜の闇に"希望"のイメージが宿っており、その逆転した構造の中に抗えない運命のようなものを感じる。第二部の野外結婚式会場は新郎の目の前に柱があって、音楽家からは新郎だけが見えないというショットが上手すぎる。普通はそんな席配置にせんよ。

6. 見上げた空に何が見える? (アレクサンドレ・コベリゼ, 2021)

足しか映らない一目惚れ、広角で顔すら判別できない真夜中の再会、そして悪魔によって変えられた容姿。物語と映像が乖離していく描写の中に、出会いの奇跡が散りばめられるマジカルな一作。ちなみに、フィルメックス前に色々な人に紹介しまくったら感謝と苦情がたくさん届いて楽しかった。

7. Forest: I See You Everywhere (フリーガウフ・ベネデク, 2021)

映画学校に落ちたフリーガウフが完全自主映画として撮った初長編『Forest』の精神的続編。同作では顔が画面からはみ出るほどのクローズアップだったが、本作品ではそのスタイルを踏襲しながらも少しだけ控えめになり、代わりに"何を映して何を映さないか"という選別が明白になった。それによって、物語と空間を徐々に広がっていき、感情的な罵り合いは予期せぬ方向へと飛んでいくことになる。そして、明けない夜に変えられない出来事を語る絶望的な時間は、予期せぬ希望で回収される。

8. 牡蠣の王女 (エルンスト・ルビッチ, 1919)
8. ハタリ! (ハワード・ホークス, 1962)

ルビッチxオスヴァルダは『花嫁人形』を昨年のベストに入れたが、同作がオスヴァルダ劇場だったのに対して、『牡蠣の王女』は物量戦である。大量の執事が玄関ホールを埋め尽くし、大量のメイドがオスヴァルダの身体を洗い、大量の給仕係が料理を運ぶ。ずっとイカれた映像が続くが、ラストが一番イカれているという期待を超え続ける凄まじい一作。『ハタリ!』『コンドル』のセルフリメイクなのではないかというほどの社畜系お仕事映画。動物を追いかけるシーンは回を重ねても鮮度が落ちず、ジョン・ウェインはひたすら転びまくる。1年を通して何度も元気を貰った一作。

9. Hello, It's Me! (Frunze Dovlatyan, 1966)

戦争に行ったまま戻ってこなかった恋人の最後の言葉は期せずして"待たなくていいよ"だった。しかし、遺された人々は立ち止まることしか出来なかった。スターリン時代もフルシチョフ時代も感じさせないような隔絶された研究所で戦後の20年を過ごしたアルメニア人物理学者の"時間"は、アルメニアがモスクワ中心的な構造から転換を始めた60年代中盤に再び動き始める。"迷ってない、私はこの土地を良く知っている"という感傷的な締めくくりに目頭が熱くなる。

10. 魅せられたデズナ河 (ユリア・ソーンツェワ, 1964)

血のような赤で水面を染めながら顔を出す太陽、そして地上1mで花火をやっとんのかというくらいの爆発と黒煙に爆走する戦車。開始1分で純度100%のソーンツェワ世界が目に飛び込んでくる。真っ暗で俳優の顔も判別できないような暗闇の中でも背景の黒煙だけはきちんと映えさせる狂いっぷりに感動。ソーンツェワはドキュメンタリーですらそんな感じだが、映像の美しさとしては現状これがベスト。

今年の日本映画 『春原さんのうた』(杉田協士, 2021)

自分のオールタイムベストが様々融合した作品とでも呼べば良いのか、人生とリンクしすぎて一回観ただけでは支えきれなかった。一つだけ言えることは、叔母と買ったどら焼きが当たり前のように三つ並び、偶然現れた伯父があんぱんを三つ並べたあの瞬間、春原さんはそこに存在していたということ。私はあの開け放たれた玄関の可能性を信じたい。尚、こちらに選出したので敢えて全体のベストからは外した。

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Héctor Oyarzún エクトル・オヤルスン (チリ、映画批評家)

新作:

1. El gran movimiento / The Big Movement (Kiro Russo)
2.「見上げた空に何が見える?」(アレクサンドレ・コベリゼ)
3. Esquirlas / Splinters (Natalia Garayalde)
4. Sol de Campinas (Jessica Sarah Rinland)
5. 「マリグナント 狂暴な悪夢」 (ジェームズ・ワン)

旧作&初鑑賞作:

1.「女たち」(ジョージ・キューカー、1939)
2. El dependiente / The Dependent (Leonardo Favio レオナルド・ファビオ、1969)
3. Cecilia Mangini チェチリア・マンジーの短編群 (Another Gazeありがとう!)
4. 「ヴィンニー=プーフ」 (フョードル・ヒトルーク、1969)
5. 「マリアの本」 (アンヌ=マリー・ミエヴィル、1985)

チリ映画の1本:Al amparo del cielo / Under the Sky Shelter (Diego Acosta)

コロナの時代にこういったリストを作るにあたり、何度も現れる問題の1つは、家での映画鑑賞を映画館での体験と比べてしまうことです。今年は映画館での上映がまた始まったゆえに、去年よりもより多くこれを感じました。そしてこれも去年以上の規模でですが、問題にまつわる議論は、デジタルは全て“本物”とは対極にあるという保守的な道を進んでいるように思います。Roger KozaのInternacional Cinéfilaにおいて、批評家のRodrigo Morenoはこんなことを書いています。ある映画をもう既に観ていたのに、それを忘れてしまっていたのは、その映画をパソコンで観ていたからだと。私が思うに、パソコンでにしろ他の方法でにしろ、そんな集中力で映画を観ているとしたら、わざわざ映画を観る必要などあるでしょうか? 今年最も美しい映画体験は家でのことです。キューカーの「女たち」のなかで幾つもの小さな驚きを目撃しました、クレジットシーンは今まででも1番のお気に入りです。そして他の素晴らしい映画たちとの思い出は、バルディビア映画祭にまた来訪し、映画館に戻ってきたと、そんな美しい体験と切り離せません。それでも家での映画鑑賞を除外したり、敵視せんとする議論は還元主義的であり、無意味に思えるんです。「女たち」や、Leonardo Favioのように重要で興味深い映画作家の作品に触れるには、インターネットを通じてでしかあり得ず、もっと詳しく言うならpiracy、違法配信でした。これは消えゆく映画を保存する1つの方法であり、シネフィルとしての私の経験の要となっています、コロナ禍前よりもずっと。

ボーナストラック:チリのインターネットにおける視聴覚的アジテーション、“La granja de Boric” https://twitter.com/i/status/1468266456358002694

伝統的な左翼には気づいていない者もいますが、インターネット・ミームや素人のビデオ作品はガブリエル・ボリッチの大統領選において基礎的な役割を果たしていました。序盤はナチ的な候補者が誰よりもリードする憂鬱なものでしたが、これらのミームアジテーションが人々を再び奮い立ててくれたんです。素晴らしい作品は多くありましたが、私にとってのベストは、この奇妙で信じられないくらい笑える、ハイパーデジタルな動画作品です。曲自体も素晴らしいながら、デジタル・グロテスクとも言うべき造型の動物たちが今作を反ファシストプロパガンダでも最も創造的な1本へと高めてくれているんです。楽しんで!

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Yoana Pavlova ヨアナ・パヴロヴァ (ブルガリア/フランス、映画批評家)

A RIVER RUNS, TURNS, ERASES, REPLACES - Shengze Zhu
GERMAN LESSONS - Pavel Vesnakov
KHTOBTOGONE - Sara Sadik (short)
LOOKING FOR HORSES - Stefan Pavlović
LOS HUESOS - Joaquín Cociña & Cristóbal León (short)
MAYOR, SHEPHERD, WIDOW, DRAGON - Eliza Petkova
PETROV'S FLU - キリル・セレンブレニコフ
「スペース・スウィーパーズ」 - チョ・ソンヒ
TITANE - ジュリア・デュクルノー
WRAPPING L'Arc de Triomphe - Christo & Jeanne-Claude (YouTube live)

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Alex Pintică アレックス・ピンティカ (ルーマニア, “No Singing after Eight”監督)

1.「ベルエポックでもう一度」/ニコラ・ブドス (映画館で3回観た唯一の映画です)
2.「ボー・バーナムの明けても暮れても巣ごもり」/ボー・バーナム (今年一番ブチかまされた1作で、アルバムも今年一番聞きました)
3.「アネット」/レオス・カラックス (今後何度も立ち返りたくなるだろう作品です。これもサントラをずっと聞いてます)
4. “Aviva” / ボアズ・イェーキン (心躍るような驚きでした)
5.ル・バル」/エットーレ・スコラ (9年が経ってからの再見です。未だに素晴らしさは色褪せません)

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Tahmina Rafaella タフミナ・ラファエッラ (アゼルバイジャン、“Woman”監督)

5.「最後の決闘裁判」(リドリー・スコット、2021)
心臓の弱い方には勧めませんが、3つの異なる視点から“真実”というものを描きだす巧みな映画でした。登場人物が持つ深み、そして映画で描くのは簡単でないテーマ性についても感銘を受けました。

4.「ドライブ・マイ・カー」(濱口竜介、2021)
観客が登場人物たちとともに旅路を歩むことになる、そんな1作です。映画というのは目的地を描く必要は必ずしもなくて、旅路それ自体を描けばいいのだと今作は教えてくれるんです。チェーホフのいちファンとして、物語に平行するように「ワーニャ叔父さん」が現れるのも良かったですね。

3.「パワー・オブ・ザ・ドッグ」(ジェーン・カンピオン、2021)
ジェーン・カンピオンはその作品でトーンや雰囲気を素晴らしい形で築いていっていましたが、今作も例外ではないです。構成において見慣れた作品ではないですが、それを疑問に思わず描かれる物に身を委ねるなら、特に複雑微妙さやニュアンスといった、今作の美を体感できるでしょう。

2.「ナイトメア・アリー」 (ギレルモ・デル・トロ、2021)
ギレルモ・デル・トロはカンピオンと同様、トーンや雰囲気を巧みに築いていく映画作家です。そして今作でも彼のあの想像力が野性味溢れる形で突走っていますね。コミカルではない、地に足ついていない、ジャンル映画を作るとそうならないのが難しいですが「ナイトメア・アリー」は違いました。別世界のような感触を持ちながら、核においては現実味があり普遍的なんです。演技もまた素晴らしいものでした。

1.「スペンサー」(パブロ・ラライン、2021)

伝記映画というのは陳腐なガイドライン的になり、先が予想できるくらい退屈になることがよくありますが、その型に嵌まっていない作品を観ると感銘を受けてしまいます。今作ではその陳腐さの代わり、素晴らしい撮影、ダイアログ、音楽、そして演技によって、私たちは主人公の内的世界へと導かれていくんです。今作の美を堪能するために、今作の基となったダイアナ王妃の人生について関心を持っている必要もないほどです。最後の場面は私の心に長く残り続けるでしょう。

アゼルバイジャン映画
残念ですが2021年は1本もアゼルバイジャン映画を観ることがありませんでした。それでも今年撮影した、私が主演であるElchin Musaogluの長編作品が上映されるのを心待ちにしています。ぜひ注目していてください!

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済藤鉄腸 (日本、映画痴れ者・ルーマニア語小説家)

1. "Dzīvīte" (Aivars Freimanis, ラトビア, 1989)
ラトビアの民謡ダイナスを広めた人物クリシュヤーニス・バローンスの伝記映画。彼の人生、思想、心に浮かぶ風景が取り留めもなく浮かんでは消えて、1つの大いなる詩を紡ぎだす。人間の生を描きだした最も美しい映画の1つが"人生"というタイトルなどできすぎではないか、そう思える忘れ難い輝き。

2.「レミニセンス」(リサ・ジョイアメリカ、2021)
これは詩だな。いや、映像詩とかではない。これは声に裏切られ、声に打ち負かされながら、声を信じ愛しつづけた者だけが書くことのできる、ただひたすら、声を求める朗読詩だ。自らが書いた言葉をどうすればここまで誰かに託せるのか?その悲壮な信頼だけが辿りつける詩。

3. "A Safe Place" (Henry Jaglom, アメリカ, 1971)
あの時、私は空を飛べた、本当に空を飛んでいたんだ。失われた子供時代への郷愁に囚われ心は今にいないのに、どうして"私"は今を生きているの。消えよう、消えていこう、心安らげる場所へ……こんな、こんなにも残酷で、こんなにも切ない映画がこの世界に存在していたのかと。

4. "98 segundos sin sombra" (Juan Pablo Richter, ボリビア、2021)
必死にならなければ世界を生きられない子供たちがいる、抱えるには重すぎる“生まれたことの絶望”に押潰される子供たちがいる。しかし確かに、彼らの心に何とか寄り添おうとする大人たちもいる。今作は、そんな切実さそのものだ。この映画を観れて、本当によかった。

5.新機動戦記ガンダムW Endless Waltz(青木康直、日本、1997)
アニメ49話を懸けて平和という概念を思考し、思考し続けた後、この作品で1つの答えが出された。極論と極論、感情と感情の壮絶な衝突によって形を成す平和という綺麗事の何て崇高なことか。アニメシリーズを見返した後にこの完結編を観て、私は本当にガンダムWに深く影響を受けているなと改めて。

6.「動き出すかつての夢」(アラン・ギロディ、フランス、2001)
アラン・ギロディ、2001年の中編。閉鎖寸前の工場、機械を黙々と解体する青年技師と彼を取り巻くくたびれた工員たち。互いの体臭や息遣いを感じながら近づいては遠ざかり、男たちは愛とも悲しみとも知れない何かを紡ぎあう。切なくも、何て優しい映画なんだろう。

7."Kom hier" (Marieke Elzerman、ベルギー、2021)
今作が描きだしているのは、ペットシェルターで働く女性の日常だ。そこに現れるのは、ペットと共に生きる、誰かと共に生きる、つまりは自分とは違う他者と生きていくことへの苦悩に他ならない。しかし、とある2人の女性の視線がぎこちなく交錯していき、苦悩は少しずつほどけていく。私たちはこの光景に"それでも、誰かと一緒に私たちは生きていきたい"という想いを聞くだろう。そして切ないまでの暖かさに包まれながら、2人の手が繋がれていく。“Kom hier”という作品は真摯な、真摯な愛の映画だった。

8. "Сестра моя Люся / My Sister Lucy" (Yermek Shinarbayev, カザフスタン、1985)
WW2終結後、父を失った少年の現実と初恋を描きだすカザフスタン映画。どこまでも色褪せた荒涼と荒廃に心が徐々に擦り減っていき、一瞬現れた生の歓びもすぐに埋没していく。美しさ、切なさ、そして絶望の見分けが最早つかない1つの極致がここにはある。凄まじい1作。

9. “The Half-Blood”(アラン・ドワンアメリカ、1917)
アラン・ドワン、1917年の1作。ネイティブ・アメリカンへの激烈な差別、白人が盲信する己の優越性、人種の交わりが呼びこむ新たなる憎悪、西部時代のアメリカにこそ根づいた宿痾。それらをメロドラマ西部劇として丹念に、相当な入れ込みで描きながら最後には全て焼き尽くす。呆然、弩迫。

10. "Les petites fugues" (Yves Yersin、スイス、1979)
リタイア間近のおじいちゃん農夫が初めて買ったバイクで村を爆走したり、もらったカメラで写真を撮ったりする。ただそれだけの映画なのに、ささやかな生が奇跡にも似た、超越的な何かへと近づくとそんな息を呑む瞬間が何度も瞬く。あまりにも豊穣なスイス映画

11. "Interfon 15" (Andrei Epureルーマニア、2021)
2021年はルーマニア映画界にとって、再びの躍進の年だったがそんな豊作の2021年において、私が最も感銘を受けたルーマニア映画が、この“Interfon 15”だった。人間存在の虚しさにまつわるこの1作は、仏教における“諸行無常”という感覚を濃厚に湛えており、そこに静かなる感動を覚えた。もし私がルーマニア語で執筆した小説を映画化するなら、監督はこのAndrei Epureしかいない。それほどまでに惚れこんでしまった。

12.科捜研の女 劇場版」(兼崎涼介、日本、2021)
落下で始まり、落下で終るOPから、この落下の倫理をめぐる映画に、襟を正すことになった。落下するが、落下させられるとして、悪に歪められながら、マリコによって、それが落下するへ今再び回帰する。何よりその回帰の核が極端なまでに直球な、映画であろうとする意志であること。これに心打たれた。

13. "Ladybug Ladybug" (フランク・ペリー、イギリス、1963)
"核戦争が来る!焼け死にたくない!"という叫びを親に馬鹿にされ、金魚鉢を抱えベッドの下に隠れる少女の恐怖、心細さ。この世界に新たな命が生まれてくる事実が信じられぬまま「あなたは最高の生徒だった」としか言えない中年女性の絶望。核の時代の壮絶なやるせなさ。

14. "Loos Ornamental" (Heinz Emigholz、ドイツ、2008)
オーストリアの建築家アドルフ・ロースによる作品群をめぐるドキュメンタリー。装飾を削ぎ落とした荒涼の外観と、内部から入り口を見据えた時に現れる凍てついた薄暗さ。風に揺れる枝と対比し顕著だが、ロースの建築は厳として在り、他存在を拒絶する孤高の感覚がある。

15. "Derborence" (Francis Reusser、スイス、1985)
ラミュ原作、険々たるアルプスを舞台として紡がれる愛の物語ですが、80年代の映画というより50年代テクニカラー映画の威風堂々たる色彩と圧、広がりを以て、愛の神話へと高められていく様に脱帽。スイス映画史の愛と生と死、そして厄災、その交錯の1つの極み。圧倒された。

16.「魔の谷」(モンテ・ヘルマンアメリカ、1959)
モンテ・ヘルマン、デビュー長編。内容はコーマン印の巨大蜘蛛映画ですが、この異様な倦怠は何だ?もはや物語を綴る気もなく、蜘蛛の犠牲者になるのかもしれない人々の虚無的生が描かれる描かれ続ける終わらない。そこに宿る致命的なメランコリー、これが映画の魔なのか。呆然としてしまう。

17."The Red Kimono" (Walter Lang&Dorothy Davenport, アメリカ、1925)
愛憎に翻弄されて殺人を犯した女性の贖罪を描きだす、1925年制作のサイレント映画。「緋文字」最初期の映画化で物語は王道メロドラマながら、主演プリシラ・ボナーの存在感が尋常でなく、愛人殺害の、壮絶なまでの遅さの聖性が今作を濃密なまでに高める。瞠目の厳粛。

18.「受取人不明」(ウィリアム・キャメロン・メンジーアメリカ、1944)
ナチスに感化された男の元に送られる謎の手紙。アメリカとドイツ、ギャラリーの入り口と裏口のドア、扉で別たれる中と外、距離というものの残酷さが徹頭徹尾意識された濃密なフィルムノワールで、遠近の躍動に眩暈を起こす、正に距離感の芸術、距離感による壮絶な復讐。

19.「ザ・ハウス/襲われた妻と娘」(ジョン・リュウェリン・モクシーアメリカ、1974)
“悪い建築は闇に消える。だが優れた建築は闇のなかでこそ見える”とは建築家ブーレーの言葉ですが、“家のなかに誰かいる”スリラーも本作においては、監督の冷徹な視線によって、アメリカ郊外の邸宅という没個性の建築が、そんな優れた建築へ高められる。絶品。

20. “Përdhunuesit” (Spartak Pecani, アルバニア、1995)
レイプ・リベンジ、そしてコーマン製作のバイカーものというジャンルの鋳型に映画祭映画の趣を流しこんだかのような、野心的アルバニア映画。ジャンルを踏み台として、共産政権崩壊後の騒擾を描きだし、聖なる暴力によって全てが断絶させられる。かなり異様で面喰らわされた。


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Szöllősi Anna セッレーシ・アンナ (ハンガリー、"Helfer"監督)

1.「モーヴァン」(リン・ラムジー、2002)
深く忘れ難い、独特の雰囲気を持った1作ですね。主なテーマは現実逃避と、現実から隔たっているという感覚であり、これが素晴らしい撮影や興味深く不安定な登場人物たちとともに描かれるんです。その感情を暴力的に揺さぶるトーンに驚かされました。サウンドトラックも素晴らしいんです。「モーヴァン」には大きな衝撃を受けましたね。バレンシアのCinema Jove映画祭での深夜上映で初めて観ることができました。

2."ÆON" (Emmanuel Fraisse, 2021)
息を呑む映像詩に満ちた素晴らしい映画です。内容としてはある若い女性が過去に出会った謎めいた少女の記憶と対峙し、ギリシャ神話やアトランティスという失われた神話都市に思いを馳せるといったものです。ほぼ固定されたショットの数々によって魅力的な映像が作られ、都市と海の関係性が現れるんです。

3."Yndlingsdatter" (Susi Haaning, 2021)
今年最も気に入ったアニメーションです。父と娘の関係性を描きだした1作です。父は愛すべき笑いの絶えない人物なんですが、双極性障害にも苦しんでいるんです。深くこの映画に共感しました。父がベッドで泣いている娘に対して感情をこめて会話するという場面があるんですが、彼はこんなことを言います。"何故か分からないまま、ただ悲しい時がある。そういう時があるんだ"と。

4.「バーニング」(イ・チャンドン、2018)
ある女性と2人の男性の間で紡がれる奇妙で謎めいた関係性のダイナミズムを描いた、美しい韓国映画です。とても複雑で優雅、撮影も美しいんです。

5.脳内ニューヨーク(チャーリー・カウフマン、2008)
フィクションと現実の境界を曖昧にするようなポストモダン心理的ドラマです。その実存主義的テーマはとても憂鬱なもので、鬱病というものが共感を以て描かれるんです。

6.「アナザーラウンド」(トマス・ヴィンターベア、2020)
雄弁でタブーを打ち破るような映画で、アルコールやアルコール中毒と社会との関係性というテーマにはかなり興味を抱きました。

7."I Am Afraid to Forget Your Face" (Sameh Alaa, 2020)
ある男が愛する者と再会するため禁じられた旅路を行くという、魅力的なトーンを持った謎めいた1作です。左右対称のロングテイクを駆使しながら、第4の壁を美しい形で壊していくんです。最良のエジプト映画でもあります。

8."Icemeltland Park" (Liliana Colombo, 2020)
環境破壊への人間の無関心を描いた、頗るオリジナルで不快なほど実験的なドキュメンタリーですね。映画で使われるアーカイヴ映像、観光客が氷山の崩れるのを見て笑っているなんて映像は本物なので、今作を観るのは辛いところです。不条理としか言いようがないです。監督はこのテーマを描くに完璧な方法を使った訳ですね。

9.「燃ゆる女の肖像」(セリーヌ・シアマ、2019)
ある女性画家が肖像画を描くためにある若い女性と出会う、そんな18世紀を舞台とした美しく、心を打つようなラブストーリーです。素晴らしい演技、女性たちの間の性的なテンションはとても激しいものでありながら、その時代においては禁じられていたという面で観るのはとてもメランコリックなものでしたが。

10."Grab Them" (Morgane Dziurla-Petit, 2020)
ドナルド・トランプに顔が似ているという女性が、人生を滅茶苦茶にされながら、幸せと愛を探そうとするという物語です。今年1番のコメディ映画でしたね。

今年のハンガリー映画
"Rengeteg - Mindenhol Látlak" (Fliegauf Bence, 2021)

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髙橋佑弥 (日本、映画文筆)

 以下に提示するのは、わたしが今年(便宜上2021年をこう記す)見た映画に関するふたつのベストリストである。まずひとつは〈初見劇場新作ベスト〉で、文字通り──あいもかわらず、こんな状況ではあるが──映画館という空間で初見を迎えた新作のみを対象とする。いうまでもなく、劇場で見た旧作も、自宅で見た初見の新作も、本邦において“新作”として封切られたが既に別の手段で見ていた作品も含めることはできない。そして、ふたつめが〈初見旧作ベスト〉で、呼称を便宜上 “旧作”としているが、“初見”である限りにおいて、〈初見劇場新作ベスト〉範囲外のすべての映画を対象としている。

ではまずひとつめから。

〈初見劇場新作ベスト10〉
1. 『クーリエ:最高機密の運び屋』ドミニク・クック、2020年)
2. 『ミッドナイト・ファミリー』ルーク・ローレンツェン、2019年)
3. 『イン・ザ・ハイツ』ジョン・チュウ、2021年)
4. 『フレンチ・ディスパッチ』ウェス・アンダーソン、2021年)
5. 『見上げた空に何が見える?』アレクサンドレ・コベリゼ、2021年)
6. 『アイス・ロード』ジョナサン・ヘンズリー、2021年)
7. 『きみが死んだあとで』代島治彦、2021年)
8. 『ビーチ・バム』ハーモニー・コリン、2019年)
9. 『砂利道』パナー・パナヒ、2021年)
10. 『パーム・スプリングス』マックス・バーバコウ、2020年)

今年は、昨年よりも更に劇場から足が遠のく結果となり、ゆえに選定も困難を極めた。情けなくも正直に告白するならば、例年であれば選ぶことなどないであろう水準の作品も混ざっている。年の終わりに顧みると一年間で見た映画の記憶は朧げで、“印象的”な作品すらごく限られた描写を思い出すことさえ難しい。けれど、今年選んだ10本に関しては、かつてほど“端正さ”を重視しなくなった結果ではあるだろう。作家の“署名”よりも、シームレスで“無個性”な語りを。スタイルの貫徹よりも、不確かな逸脱を。未知の作家/既知の作家などという意識のノイズに煩わされず、目の前の作品を心から楽しめたという印象を。凡そ“上出来”とは言えぬカッティングにも積極的に目を瞑り、これらを今年は支持したい。

では、ふたつめ。

〈初見旧作ベスト10〉
1. 『逮捕命令』アラン・ドワン、1954年)
2. 『アウト・オブ・ブルー』デニス・ホッパー、1980年)
3. 『走り来る男』パトリシア・マズィ、1989年)
4. 『ミシュカ』ジャン=フランソワ・ステヴナン、2002年)
5. 『少女暴行事件 赤い靴』上垣保朗、1983年)
6. 『美しき仕事』クレール・ドニ、1999年)
7. 『ルカじいさんと苗木』レゾ・チヘイーゼ、1973年)
8. 『…YOU…』リチャード・ラッシュ、1970年)
9. 『オフビート』マイケル・ディナー、1986年)
10. あんなに愛しあったのにエットーレ・スコラ、1974年)

こちらのリストについては、とくに書き残しておきたいことはない。いずれも、これまで見ていなかったことを恥じるとともに、今年めぐり合うことができた幸運を喜ばしく感じている掛け値なしの作品である。少しでも多くの人が見てくれたなら嬉しい。昨年に引き続き、こんな状況ではあるけれど、来年もたくさん映画が見たい。

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Emilio Silva Torres エミリオ・シルバ・トレス (ウルグアイ、“Directamente para video”監督)

1.「音楽」(2019, 岩井澤健治)
私が今まで観たなかで最もパンクで、しなやかで、カリスマ性に溢れたアニメーション映画の1本です。「音楽」は思春期という、騒ぎを起こすということがたった1つの存在理由だった時代に観客を引き戻し、テクニックではなく、楽器を弾きたいという情熱こそ大事だと教えてくれるんです。素晴らしいアニメーション、素晴らしい脚本、素晴らしいキャラクター、そしてたくさんの魂がここにはあるんです。

2. “Pig” (2021, Michael Sarnoski)
私は探求者としてのニコラス・ケイジを熱烈に信仰している訳ですが、この“Pig”においては彼のユニークな演技、その中でも一番いい場所が表れているように思います。自然主義的な映画でいっぱい世界において、彼の演技を観るのは新鮮な空気を吸うようなものです。しかし“Pig”の魅力はそれだけではないです。ミニマルなのに壮大な物語、極端なまでの人間味、そして溢れるほどの優しさもまた存在します。これこそが、正に芸術なんです。

3. “The Collector” (2002, Pelin Esmer)
私は子供時代からいわゆるコレクターで、そういう性格は両親に植えつけられた訳なんですが、この物を集めるという行為自体を、ここまでの親密さ、視覚的な輝き、そして感性を以て描き出した作品を観たのは、今作が初めてです。何かを置き去りにするほど何かを集めてしまう執念と物への愛がここにはあります。

4.「ドロステのはてで僕ら」(2020, 山口淳太)
最初はシンプルな設定がどんどん膨らんでいき、映画どころか観客まで取り込んでしまう、そんなイカれたギミックを持った映画が大好きです。今作は正にそういった映画で、私たちを取り囲んだと思えば遊び場へと連れていってくれる、複雑な活劇っぷりは、映画にはこういうことができると観客に思い出させてくれるんです。

5. “The Ancines Woods” (1970, Pedro Olea)
“Pig”でニコラス・ケイジの気取った演技を楽しむと同時に、このスパニッシュ・ホラーの古典である狼男映画においては、José Luis Lopez Vázquezによる自然な演技を楽しみました。どの映画にもそれぞれの語りが存在しますが、今作の語りは全く完璧です。静寂と猥雑、露骨さと迂遠さの狭間で、今作はスペインにおけるフォークホラー、その最良の1本となっています。

6.「鵞鳥湖の夜」(2019, ディアオ・イーナン)
夜の場面があります。雨のなか、LEDライトの点いたスクーターを駆り、ギャングたちが走っていく。検察側の主張はこれにて終了です。

7.「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」(2021, 庵野秀明)
エヴァンゲリオン(そして様々なフォーマットで展開されたその派生作品)がいかにして文化的な現象であるか、私たちに何をもたらしたのか。これに言葉を与えるのはあまりに難しすぎて、この説明不能ぶりを何とか説明しようと今もう30分もかけてしまいましたね。エヴァンゲリオンとはマジックミラーのようなもので、そこに私たち自身が成長していく様が見えるとともに、庵野秀明が私たちとともに成長していく姿まで見えるんです。つまり今作はある男の旅の終わりなんです。

8.「83歳のやさしいスパイ」(2020, マイテ・アルベルディ)
年老いること、私たちはこれをどう見ているのか、どう対処しているのか、そして将来どうこれを生きていくのか。フィルム・ノワールと不条理劇のあいだというべき今作の状況は私たちにこういったものへの考えを促し、和解させてくれるんです。そして同時に今作は生への優しさや熱意に溢れた、愛すべき人物たちをも私たちに紹介してくれます。私たちは映画作家として未だドキュメンタリーの可能性を探求し尽くしていないという大いなる証明ともなっている1作です。

9.「ハネムーン・キラーズ」(1970, レナード・カッスル)
2021年は実在する連続殺人鬼を描いた映画を多く観た年でしたが、この作品に出会えたのは幸運でしたね。極めてドス暗くも人間臭い場所から、私たちの皮膚へと潜航してくるような力に溢れた1作です。恐ろしい正確さで描かれ、この残酷で偏執的な世界を観客に眺めさせながら、まるで前から知っている人にでも会うように、登場人物たちの心理へと近づかせもするんです。完璧な映画でしょう。

10. “The Intruder” (2020, Natalia Meta)
当然のように、2021年で最も音響デザインが素晴らしかった映画です。今作は私たちがスクリーンに観るものだけでなく、聞くもの全てに再考を促す作品であり、フレームの中にあるフレーム、音の中にある音、そして私たちの喉の中にいる亡霊たちが宿った世界を描きだしています。

ウルグアイから
“Hilda’s short summer” (2021, Agustín Banchero)
2021年はウルグアイ映画にとって奇妙な年でした。パンデミックのせいで、映画館の再開までに上映が延期されていた国産映画が一気にリリースされたんです。国産映画の上映が1年通じて少ない国においてはそうあることではありません。こういった文脈において今作は上映された訳ですが、ここでは物語が2つの時間で2つの形式で繰り広げられており、主人公の女性は過去の自分に立ち返るとともに、現在においては変化を遂げることになります。繊細な脚本、正確な演出、そしてスクリーンから飛び出してくるのではと思える演技の数々。間違いなく今年最高のウルグアイ映画です。

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Varga Zoltán ヴァルガ・ゾルターン (ハンガリー映画批評家)

3本の新作映画

“Siberia” (アベルフェラーラ 2019)
本物の映像美を持つ1作である“Siberia”は、アベルフェラーラ監督と驚異の俳優ウィレム・デフォーが6度目のタッグを組んだ作品でもありますが、賛否両論を巻き起こした1作といえるでしょう、例えば「ミッドサマー」ライトハウスのように。しかし“Siberia”はより嫌われている(少なくともIMDBのユーザーレビューに拠れば)映画のようです。根本として今作は意識の流れそのものであり、筋の通った物語は存在しておらず、ほとんどデフォーのワンマンショーといった風です。そして彼の最も深い内面とどこまでも広がる現世界への旅路(2つが重なりあっているんです)に焦点が当てられ、そこに時折悍ましいイメージが現れると。シネフィルにとって必見の1作ですね。

「悪なき殺人」(ドミニク・モル 2019)
ドミニク・モルによる知的で、パズルのような1作は一見して魅力的な犯罪ミステリーのようですが、その更に奥底においては欲望、嘘、幻影、そして何より世界を股にかけ、全く異なる人々の人生が繋がってしまうという奇妙な偶然をめぐる物語でもあります。多面的な視点やフラッシュバックによって、プロットには注目すべきサプライズが幾つもあります。それでいて最も大きな仕掛けというのはおそらく、犯罪ドラマのようでいて、その核において今作が人間嫌いのダーク・コメディであるということでしょう。

「マロナの幻想的な物語り」(アンカ・ダミアン 2019)
「ソウルフル・ワールド」ピクサーの全盛期を観客に思い出させ、トム・ムーア「ウルフウォーカー」が全く素晴らしいアニメーション映画として傑出していた一方、私が1番のお気に入り作品として選びたいのはもっと控えめで、しかしより洗練された宝石のような今作です。「マロナの幻想的な物語り」は私たちの罪と美徳、そして生における大いなる問いを、無邪気な子犬の目から描きだす作品でした。可愛らしい子供映画でありながら、苦くて甘い、深遠な1作でもあり、その映像スタイルは本当に素晴らしかったです。

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Mihail Victus ミハイル・ヴィクトゥス (ルーマニア、小説家“Toate păcatele noastre”)

素晴らしかった1作:「パワー・オブ・ザ・ドッグ」
嬉しいサプライズ:“Pig”と主演のニコラス・ケイジ

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東欧映画スペース!第1回~そもそも東欧映画って何だ?備忘録

mobile.twitter.com

Twitterの方で、友人の岡田早由さんとKnights of Odessaさんと東欧映画についてだけ語る“東欧映画スペース!”というのを始めました。上にはアーカイブ。鉄腸マガジンの読者の方も、このゆるゆるなPodcastを聞いてくれたら幸いです。2時間くらい“東欧映画とは何か?”や最近観た東欧映画について話してます。ここに張っておくのは話した内容の捕捉や、それに関するTwitter上の呟きなど。

○中で話した“東欧映画とは何か?”の原稿、というかメモ書き。

東欧スペースで話すこと

個人的には東欧は東側ブロックか共産主義の影響を受けた地域、だからポーランドやらチェコやらからジョージアアゼルバイジャンとかコーカサス地方も入るしこれはあんま納得されないだろうけども中央アジアも個人的に含める(アゼルバイジャンカザフスタンが今一番注目と言ってるけど東欧への興味の派生)
そういえばCalvert Journalっていう最も大きな東欧のカルチャーサイトがあるけどもそこはNew Eastと呼称して中欧と東欧はもちろんバルト三国コーカサス地方中央アジアも含んでいる、個人的にはこの括りが東欧
東欧と中欧問題、東欧の人と話している時に東欧って言っていいのか分からなくなる時がある、例えばハンガリーの人と話していたら中欧及び東欧地域って言い直した方がいいみたいな感じで言われた、バルカンに関してはみんなこれを受け入れている
ポーランドとかチェコとかの中欧という呼称に個人的に複雑な思い、東って本名の一文字だから東に思い入れあるので東欧って呼ばれたくないのは何か何となく寂しい訳で、こっちは東アジアどころか極東でおいおいお前らも俺たちの仲間だろ!と個人的には言いたい感じ
思わぬ援護射撃は中央アジア文化の研究者が中欧という言葉に不満、そこまでしてヨーロッパに含まれたいかとそれは隣接するコーカサス地方中央アジアと自分たちは違うという優越を誇りたいのか?と言っていて個人的にはそうだそうだと言いたい
けども結局は東欧という言葉の持ち主はそこに住む人々であって自分たちはこの呼称を使わせてもらっているという考えでないとはいけないかなと思う、東がいやなのはまあ東欧は西欧のオリエンタリズムを最も近くで味わわされてきたから“東”という言葉に忌避感みたいな、今でも東欧移民とかカス扱いだし(映画に絡めると「マザーズ」って今度未体験ゾーンで上映される映画とか)
あとそこに住んでる人々は東欧がどこからどこを含めているかが単純に分からない、東欧文学がオルタナの教養って話していた際にその東欧ってどこ差してるの?と聞かれたり(ハンガリールーマニアブルガリアユーゴスラビアチェコポーランドは明らかに別格)

○上のメモ書きにもある東欧文化のカルチャーサイト The Calvert Journal
www.calvertjournal.com

○最近観た映画に関する色々

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Z-SQUAD 20 Best Films of 2021!!!!!

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As in the previous year, the world was at the calamity of the coronavirus, although one vehement change happened to me. In April, I was diagnosed with Crohn's disease, one of the incurable diseases that, after the immune system had gone haywire, my intestines were perpetually inflamed. Because of it, I must take  severely restricted diet and the action of eating itself got painful. Well, this magazine is a place to talk about movies, so let's not go any further. Still, I must say that, it is an incurable disease that can never be cured, even if not a life-threatening disease, so I couldn't help but think about death for a while.

Then, something interesting happened. After I was forced to take absolute and take a large amount of medicine every day, my health, except for bowels, recovered dramatically, and the unexpected abundance of energy, combined with my fear for illness and death, led to an explosion of desire to leave behind a proof of my own life rather than to introduce other people's works. From April to now, I've written 70 short stories in Japanese, 30 essays on Crohn's disease, translated some of my stories into Romanian which was published on literary magazines, and started writing poetry too in Romanian as a Japanese poet in Romanian language. Looking back, it seems that I was in a desperation to create, even more so than last year.

As I wrote a lot of fiction and poetry, I also read more books than ever before, but I did not read many of the books I had been reading for a long time, such as novels and movie reviews. What I started to read instead were books in fields that are quite far from them, such as architecture, quantum mechanics, zoology and economics. I've read about 600 books so far, and I started writing a memo about books on notebook. I'm currently on my fifth notebook, writing about  thermodynamics and notes on a biography of Michael Faraday and James Clerk Maxwell.

The past years has been marked by the increasing presence of E. M. Cioran, a Romanian anti-philosopher who I have been obsessed with for a long time, and this time his some words have resonated in a prominently strong way with me during my epic binge reading experience.

“What makes bad poets worse is that they read only poets (just as bad philosophers read only philosophers), whereas they would benefit much more from a book of botany or geology. We are enriched only by frequenting disciplines remote from our own.”

The reason I find it to be so true is that this reading experience has had a profound effect on the way I watch and write about films as a film critic too. I believe that I have always seen films that other people, or at least other Japanese people, have not seen and known, but I have found a different kind of film to be fascinating while this curiosity has expanded even further. I've also been influenced by especially architecture, thinking a lot about how to incorporate this knowledge into my film  criticism. But that's a topic for another article.

The twenty films I have selected here have been markers of the vehement upheaval brought by Crohn's disease and the transitional period that began with it, during which I'm transforming into something else. I have relied on these wonderful films to reach the place where I am today. With this article, I would like to express my deepest gratitude to them. Arigatou, mulțumesc.

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20. “Patchwork” (Petros Charalambous, Cyprus)

In this work, the flame of Angeliki Papoulia, one of the bravest, alluring actors in the world, shows an unexpected brilliance. Hala, the protagonist played by her, is a person on the verge of nervous breakdown, and there are sinister moments of her interaction with a repellent, fragile girl Melina, but Papoulia tries to save Hala, who is almost lost in such an impasse of despair. While staying close to her heart, Papoulia leads her like she must look at reality, even if it is utterly painful. In this process, Papoullia's fire in the mind fulfills the screen with irreplaceable warmth which envelops audience's heart. Wonderful is Dir. Charalambous' ability to bring this out, while it is hard to deny that Papoulia's exceptional performance is the best of all. "Patchwork" heralds the arrival of Petros Charalambous, a promising star of Cypriot cinema, as well as a celebration of Angeliki Papoulias, our bravest actor.

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19. “Shang-Chi and the Legend of the Ten Rings” (Destin Daniel Cretton, USA)

Fists and kicks, leaps and sprints, language and culture that China has cultivated from ancient times to the present. The flow of Marvel overlaps with the one of its body and history. While cutting off the stagnant oldness in the blood, it reappears now as elegant newness by the volition to save the important things trapped there, which is open, resilient and beautiful. Filmmaker Destin Daniel Cretton saw the possibility of connection outside the family (“Short Term 12”), but also couldn't cut off his affection to the family (“The Glass Castle”), and it's inevitable that he, torn apart between newness and oldness, has made a new film about trembling conflict for “family”. This is a film that breathed new life into Marvel.

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18.“Senior Citizen” (Marinos Kartikkis, Cyprus)

As long as we continue to live, we will grow old, which is inevitable as our fate. The body decays, the mind wears out, and in the end, everything disappears into voidness. Then, can there be salvation in this final journey of aging? This film presents such a question without easy answer to the audience, and I found one important thing in it. Life always has an end, which is called death. But there are countless other lives around it, and even after one death, these continue to live. Is this hope or just resignation, perhaps it is something we must continue to ponder until our own death comes. At the very least, "Senior Citizen" should give us this courage to continue.

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17. "A nuvem rosa" (Iuli Gerbese, Brazil)

Peach-colored cloud which takes a life. Man and woman who are caught up in a room. This sinister, devastating drama draws out the life at the suffocating apocalypse whose cruelty is how the director discribes landscapes of gloomy futute or reality, which Coronavirus might bring in this decade. I want to advise those who are pessimistic about the future not to watch this film. There are films that directly respond to the Corona disaster, but while these are minimalist works written from a rather small perspective, this film is poignant to depict a never-ending blockage over a span of 10 to 20 years, which is probably because it was made in 2019 when nothing happened about this disaster. Its coincidence makes this film all the more terrifying now.

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16. “From a Distant Place” (You Ishina, Japan)

What makes the film so moving is that while Ishina's direction and accumulation of details are abundant and conspicuous, what she is trying to portray is an extremely ambiguous sense of a Japanese word "warikirena sa / 割り切れなさ". The family, including Iori, cannot simply hate their father, nor can they love him. The theme of the film is what to do with subtle ambiguity between these simple feelings. The director does not give an obvious answer to its theme or question, but, while leaving the ambiguous things still ambiguous, she tries to dive into the ambiguity of emotion deeply. This sincerity in “From a Distant Place” makes our hearts tremble in tranquillity.

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15. "Las vacaciones de Hilda" (Agustín Banchero, Uruguay)

What Agustín Banchero tries to portray in this film is the pain of Hilda, a middle-aged woman, and what we find in it is frigid loneliness, wreckage which may have been called love, and remained scent of a happiness that she used to have. And they might be loneliness of living, the sheer loneliness that we may have, or we will. Will there ever be a time when this wound is healed? The landscape Hilda sees at the final moment strongly rejects an easy answer to this question. Loneliness is such a tremendous thing.

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14. “Crai nou” (Alina Grigore, Romania)

Devastatingly asphyxiated, "Crai nou" fits sinistely into the word "iad", which means "hell" in Romanian. A woman, who has been thoroughly victimized and oppressed, acts as a perpetrator who hurts others in order to survive in this oppressive patriarchial society, and in fact, she is becoming an aggressor as well, lost in the dangerous territory between victimhood and aggressorhood. Here we are forced to ask ourselves, is this the only way the weak can live in this world? Despair at its peak from Romanian contemporary cinema.

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13. "Sweetie, You Won't Believe It" (Ernar Nurgaliev, Kazakhstan)

You can call this film crime-comedy or horror-comedy. However, what is evident from its mise-en-scène is the deep knowledge of not only genre film history, but film history itself. Just learning and following the trends of genre films will probably produce interesting works, but watching films that are outside of these trends and absorbing their techniques can further deepen genre films, not as the deconstruction of it, but enrichment of genre pleasure. Some may laugh, but every time I watched the brilliant tracking shots in this film, which was unobtrusively, neatly fitted into the narrative, I was reminded of the long history of the tracking shot, in other words, I felt the accumulation of film history in this film. “Sweetie, You Won't Believe It” is an extraordinary horror-comedy that goes to great lengths to explore the joys of genre cinema. The film, which received rave reviews at the Sitges Film Festival, and its director, Ernar Nurgaliev, are the shining comets of the 2020's genre cinema, and will surely make the future even bloodier and meatier.

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12. “Blind Love” (Damien Hauser, Kenya)

In a word, this film is too free. The director throws diversely weird elements, about which I don't want to spoil, into this romantic comedy, and presents something explosive while abandoning any sense of consistency. And it takes the audience to an unexpected, unbelievable place. At least for me, the second half of the film was so astonishing that I could only open my mouth stupidly wide, speachless for a long time. I had no idea that such a smiling romantic comedy could turn into pure weirdness like this. Every year I watch so many movies as I watched in this year, but “Blind Love” is definitely the most controversial movie of the year. Seriously must-see, but what the hell was that movie about?

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11. “Super Hero Senki” (Ryuuta Tazaki, Japan)

While relying too much on the old-fashioned idea "the creator of the story is God," this film, utilizing the 50-year history of Kamen Rider series, generates meta narrative at the most extreme level, and its result is a celestial celebration of the will to weave stories in order to live, and the possibility that stories continue beyond its creator's death. This is the infinity that could only be created in Japan. When I saw this work, I felt that a work had appeared that should not be missed when talking about the best of the 2020s in ten years' time. And, very personally, Hiroshi Fujioka, actor of the first Kamen Rider appeared at the end sequence, whose final words made the person sitting next to me cry, and I cried too. My life with tokusatsu really flowed like a phantasmagoria.

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10. “France” (Bruno Dumont、France)

"France" is a creepy film about the karma of white people, and yet I felt not only antipathy but even sympathy for Léa Seydoux as France. I realized that, as an artist, I wanted to get closer to this dangerous space between sympathy and antipathy. No human being is an ideal object of only sympathy or only antipathy because life is a mixture of the two, although we are forced to cut out a part of it when we try to depict life as art, which ends up with these fake ideals. But this is what an artist must avoid, because the place between the two is where the excrement of human psychology appears. So I choose not easy abandonment of sympathy by Carax's "Annette", but this excrement of humans in Dumont's “France”.

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9. “Un endroit silencieux” (Elitza Gueorguieva, Bulgaria/Belarus)

As a person with incurable diseases like Crohn's Disease or Autism Spectrum Disorder, watching world movies and learning languages is like journey into the world itself. In this sense, the greatest journey to me is probably writing in foreign languages, especially Romanian, my beloved language, and being a novelist and poet in Romania. I don't seriously know why I'm in such situation, but I really enjoy writing in a new language, different from Japanese, my own one, with gigantic honor that my work has been recognized by Romanian people. While watching “Un endroit silencieux,” a masterpiece of writing in other language, I was able to feel this joy once again. So I want to thank this film and director Elitza Gueorgieva.

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8. “Directamente para video” (Emilio Silva Torres、Uruguay)

Watching this one-and-only documentary “Directamente para video” is like a journey through the unfathomable labyrinth that exists within human mind. Or should I say the abysmal darkness of human psyche? I can't find right words for it even now, but  at least this is a truly unforgettable work that exposed eye-opening reality and deadly alluring demons in VHS and Z-class movies, with some kind of premonition  that I will never forget this film. I can't help but be amazed at what the director Emilio Silva Torres has created.

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7. “Advokatas” (Romas Zabarauskas, Lithuania)

Marius is a white cis gay man with wealth and fame, and Ali is a bisexual Arab man who became a refugee after fleeing the turbulent Syria. Marius tries to maintain his love for Ali, confronted by the reality of refugee life, and above all by his own white  privilege and self-righteousness. Nevertheless, Marius learns from the words of NGOs and activists, engages deeply in dialogue with his loved one, and goes beyond discrimination and hardship. "Advokatas" is a gem of a gay romance that takes on the sadness and cruelty that fills the world, shining as sincerity itself needed to be made now.

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6. “Topology of Sirens” (Jonathan Davies, USA)

Our protagonist, moving into the house of her deceased aunt, finds small cassette tapes among a musical instrument left by her, and pursues the mystery of the tapes. Still, from such a detective story, this beautiful tale of wandering in mystique  unfolds into unexpected territory where spaces expands tenderly, echoes fill them elegantly, and our heart melts into the sound, wavering between relief and disquiet. And the wholehearted love for experimental music, through a small journey of chasing memories, transforms into a great kindness to the world. This film became an irreplaceable wonder for me.

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5. “Interfon 15” (Andrei Epure, Romania)

The year 2021 was another breakthrough year for Romanian film industry. First, Radu Jude's newest "Babardeală cu bucluc sau porno balamuc" won the Golden Bear in Berlin, five Romanian films were screened at Cannes, and "Imaculat" won the Best Film at Venice sidebar Venice Days and the aforementioned "Crai nou" won best prize in Competition at San Sebastian Film Festival. Among them, the one that impressed me the most is "Interfon 15", a short yet unforgettable gem about the emptiness of human existence, rich in the Buddhist word “shogyou mujou 諸行無常”  ("the impermanence of all things") by which I was quietly moved. If my short story in Romanian becomes a film, its director must be Andrei Epure of “Interfon 15”, I hope.

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4. “Kasouken No Onna The Movie” (Ryousuke Kanesaki, Japan)

From the opening sequence, which begins and ends with a falling, this film about the ethics of “falling” on cinematic context made my mind straighten up. And “Kasouken no onna” is originally tv series and, this “The Movie” is exquisite crystallization of its creaters' earnestness of putting the series on screen and entertaining people as a film. I was genuinely touched by the creator's answer to this question, so ridiculously straightforward and moving that they can take it one time only. This is the film making me want to say that I watched "film" in the truest way.

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3. “Kom hier” (Marieke Elzerman, Belgium)

This film depicts the daily life of a woman who works at a pet shelter and, she experiences the difficulty and suffering of living with pets or living with others who are different from herself. However, as the gaze of the two women intersect awkwardly yet intimately, her suffering gradually dissipates, from which we can hear a whisper with heartbreaking warmth like “still, we want to live with someone”. "Kom hier” is a truly, truly sincere and beautiful film about love itself.

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2. “98 segundos sin sombra” (Juan Pablo Richter, Bolivia)

There are many moments that children have to live desperately because they haven't had much time yet to learn how they live in this world full of pain and sadness, but they can't avoid them while they shouldn't have such moments, of course. If you look at our shitty society now, you will know this only for a moment. And here many children are about to be crushed by the despair of being born, which is too heavy to bear. Still, there are adults who are trying to be close to their heart for sure. And "98 segundos sin sombra," a Bolivian coming-of-age drama, is the fruition of magnificent sincerity with which adults, or the creators of this film, try to fulfill their responsibility to children living in this harsh reality. Austere kindness needed now.

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1. “Reminiscence” (Lisa Joy, USA)

Just one thing I want to say is that “Reminiscence” is a poem. No, it is not a visual poem. This is a poem that can only be written by a person who has been betrayed by the voice, who has been overwhelmed by the voice, and who has continued to believe in voice, nevertheless. And then, how can people entrust the words they have written to someone, like Lisa Joy, whom I envy from the bottom of my heart, as an artist who lives with words? This is a poem about life and beautiful despair within it, which can only be reached by such heartbreaking trust. At the end of 2021, when I was diagnosed with an incurable disease, experiencing other upheavals, I am very glad to watch “Reminiscence”.

1. “Reminiscence”
2. “98 segundos sin sombra”
3. “Kom hier”
4. “Kasouken No Onna The Movie”
5. “Interfon 15”
6. “Topology of Sirens”
7. “Advokatas”
8. “Directamente para video”
9. “Un endroit silencieux”
10. “France”
11. “Super Hero Senki”
12. “Blind Love”
13. "Sweetie, You Won't Believe It"
14. “Crai nou”
15. "Las vacaciones de Hilda"
16. “From a Distant Place”
17. "A nuvem rosa"
18. “Senior Citizen
19. “Shang-Chi and the Legend of the Ten Rings”
20. “Patchwork”

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済藤鉄腸の2021年映画ベスト!!!!!

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昨年に引き続き、世界がコロナウイルスという禍に翻弄された年だった。だが私にはそれ以上の激動があった。4月にクローン病という腸の難病と診断されたのだ。免疫が異常を起こし、腸で炎症が起こり続ける、永遠に。このせいで食事が著しく制限され、行為自体に苦痛を抱くようになった。とはいえここは映画を語る場だ、これ以上語るのは止めにしよう。それでも、命に直接関わるような病ではないとしても、難病で一生治ることはない。死について考えざるを得なかった。

そんななかで興味深いことが起きる。そもそもが半引きこもり状態で仕事もほぼしていなかったが、難病によって絶対安静を余儀なくされ、かつ病院で処方される大量の薬を毎日飲むうち、腸以外の健康が劇的に回復したのだ。このありあまる元気、そして病や死への恐怖感、これが私のなかで組合わさることで、他人の作品を紹介するより、自分の生きた証を残したいという欲望が爆裂を遂げた。そして4月から今にかけて、日本語で短編小説を70本、クローン病に関するエッセイのような文章を30本、ルーマニア語にも作品を翻訳し4本が掲載され、かつルーマニア語で詩も書き始め、その果てにルーマニアで詩人としても認められることになった。こう振り返ると、去年にも増して、生き急ぐような創作欲の漲りだったように思える。

小説や詩を大量に書くと同時に、今までになく本も読むようになった。しかし小説や映画批評など、前々から読んでいた本はあまり読まなくなった。代わりに何を読み始めたかといえば建築学量子力学、動物学、経済学といった、2つから相当に遠い分野の書籍だった。今までに600冊は読みこなし、6月からは読書ノートも記し始め、現在は5冊目のノートに熱力学の研究書、それにファラデーとマクスウェルの伝記についてのメモを記している。

この1年は、前々から私がほとんど心酔していたE. M. シオランの存在感がよりいっそう増したが、壮絶な濫読経験において殊更に響く言葉があった。

“駄目な詩人がいっそう駄目になるのは、詩人の書くものしか読まぬからである(駄目な哲学者が哲学者のものしか読まないのと同じことだ)。植物学や地質学の本の方が、はるかに豊かな栄養を恵んでくれる。人は、自分の専門を遠く離れたものに親しまないかぎり、豊穣にはなれない”

これが全く真理だと私が思った理由は、この読書体験が、映画批評家として映画を観て、そしてそれについて書くという行為にも多大なる影響を与えたということだ。今までも他の人間が、少なくとも他の日本人が観ない類いの映画ばかりを観てきたと思っているが、この好奇心というものが更に拡大していき、今までとはまた異なる作品に魅力を見出だすことになった。そして批評に関しても、特に建築学に影響を受け、この知をいかに批評に込められるなどについてよく考えるようになった。だが、これに関しては別の記事に譲ろう。

さて、今回ここに選んだ20本の作品はクローン病によってもたらされた激動と、そこから始まった、私が別の何かへと変貌を遂げる過渡の期において、標となってくれた作品だ。私はこの素晴らしい映画の数々を頼りとして、今ここに辿り着いたのだ。この記事を以て、深く感謝したい。

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20. “Patchwork” (Petros Charalambous、キプロス)

今作において、アンゲリキ・パプーリァの炎は思わぬ輝きを見せる。書いてきた通り、ハラは神経衰弱ギリギリの危険な状態にある人物であり、メリナとの交流に不気味さすら宿る瞬間がある。だがそんな絶望の袋小路に迷いそうになりながら、パプーリァはハラを救おうとする。その心に寄り添いながら、辛くとも現実を見据えなくてならないと諭していく。この過程で、パプーリァの炎はかけがえのない暖かさとしてスクリーンに滲んでいき、そして誰かの心を包みこんでいく。これを引き出す監督の手腕も素晴らしいが、やはり何よりもパプーリァの類い稀な演技が最も素晴らしいというのは否定しがたいだろう。この“Patchwork”Petros Charalambousというキプロス映画期待の星の到来を告げるとともに、アンゲリキ・パプーリァという希代の俳優を祝福するような作品でもある。

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19.「シャン・チー/テン・リングスの伝説」(デスティン・ダニエル・クレットン、アメリカ)

拳撃と蹴撃、跳躍と疾走。古より今に中国が培ってきた言語、文化。その肉体と歴史の流れに、Marvelという流れが重なる。血に停滞した古さを断ち切りながら、そこに囚われた大切なものも救う意志によってそれが新しさとして今再び現れる。その様は開かれ、しかもしなやかだ。映画監督デスティン・ダニエル・クレットン、家族の外に繋がりの可能性を見出す一方(「ショートターム」)で、家族への愛着をも切り捨てることができない(「ガラスの城の約束」)そうして、新しさと古さに引裂かれ、葛藤をそのままブチ撒けざるを得なかった彼が、家族を核とする流れについての物語を描きだすこと、必然だった。Marvelに新しい息吹を宿した1作。

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18.“Senior Citizen” (Marinos Kartikkis、キプロス)

人間は長く生き続けるかぎり老いていく、この運命は絶対に避けることができないだろう。肉体は朽ちていき、精神は磨耗していく。そして最後には全てが朽ち果てるのみだ。そんな老いという最後の旅路のなかに、救いというものは存在し得るのだろうか? 今作はそんな問いを観客である提示するが、そこに私が見出だしたものがある。人生には必ず終わりがある、死によって生は絶対に終わることとなる。だがその周りには数限りない、他者の生が存在している。1つの死の後にも、その無数の生は続いていくのだ……これは希望だろうか、それとも諦めでしかないのか。これはおそらく、私たち自身に死に訪れるまで考え続けなければならないのだろう。少なくともこの勇気を“Senior Citizenという作品はもたらしてくれるはずだ。

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17. "A nuvem rosa" (Iuli Gerbese、ブラジル)

命を奪う桃色の雲、それによって密室へ追いつめられた男女を通じ、今作が描きだすのはなし崩しの生活、なし崩しの妊娠、なし崩しの家族、なし崩しの死。そんなコロナ禍が齎すかもしれない陰鬱な未来が、10年20年単位で綴られる様の残酷さたるや、コロナ禍の将来を悲観する人は絶対観てはいけないと忠告したくなるほどだ。今、コロナ禍へダイレクトに返答する映画も現れているが、それらが割かし小局的な視点から綴られるミニマルな作品なのに対して、今作は終らない閉塞を10年20年スパンで描いているのが痛烈だった。2019年に撮影完了と、コロナ禍とは全く関わりない状況で作られた故だろう偶然が今に、より恐ろしく響く。

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16.「遠い場所から」(石名遥、日本)

大切な人の死の後にこそ広がる風景、これを描きだす芸術作品はそう少なくない。死とは人の生に最も近い他人であるが故に、その他者性に惹かれる者が後を絶たない。だがこのテーマに安易に取り組んだ芸術家の死骸の数々を私たちは幾ら見てきただろうか。だがこの死屍累々から英雄が現れる数少ない瞬間を、私は目撃することになる。それこそが石名遥監督作「遠い場所から」だった。感動的なのは、監督の演出や積み重ねていくディテールは豊穣で明確なものでありながらも、描きだそうとするのは"割りきれなさ"という極めて曖昧なものだからだ。イオリ含め家族は父を単純に嫌うこともできず、かといって愛することもできない。この単純な思いのあわいにあるものをどうすればいいのか?ということが今作のテーマなのである。監督はこれに明らかな答えを与えることはなく、曖昧なものを曖昧なままにしたうえで、その奥へ奥へと深く潜行しようとする。この真摯さが私たちの心を静寂の中でこそ震わせる。

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15. "Las vacaciones de Hilda" (Agustín Banchero、ウルグアイ)

Agustín Bancheroが今作によって描きだそうとするのは、ヒルダという中年女性が抱える痛みであり、私たちがそこに見いだすのは凍てついた孤独であり、かつての愛の残骸であり、確かに手にしていたはずの幸せの残り香だ。そしてそれはまた、私たちが抱くことになるかもしれない、抱いたことのあるのかもしれない、ただひたすらな、生きることの寂しさでもあるのだ。これが癒される時はいつか来るのか? この問いに対する安易な答えを、ヒルダが最後に見る風景は強く拒むことになるだろう。それほどまでに孤独とは途方もないものなのだ。

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14. “Crai nou” (Alina Grigore、ルーマニア)

この"Crai nou"というルーマニア映画には"iad"というルーマニア語が似合う、つまり"地獄"という意味を持つ言葉が。徹底的に被害者として虐げられてきた女性が、この抑圧的社会で生存するがために、他者を傷つける加害者として振舞うことになる。そして実際に加害者ともなり、この2つの概念の狭間、凄まじく危うい領域に迷っていくのだ。ここにおいて私たちは問わざるを得なくなる、こうしてしかこの世界において弱者は生きることができないのか?と。そんな絶対的な絶望がここにはある。

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13. "Sweetie, You Won't Believe It" (Ernar Nurgaliev、カザフスタン)

今作はいわゆる犯罪コメディやホラーコメディと表現できる1作だ。だが演出を見ていって分かるのは、作り手側の映画史への深い造詣だろう。前述のジャンル映画の流れを学び汲んでいくだけでも、面白い作品はできるだろうが、その埒外にある映画を観てその技術を吸収し、取り入れていく、これがジャンル映画を更に深化させることもある。笑う者もいるだろうが、今作において語りに厭味なく嵌った華麗な横移動撮影を観るたび、私は長きに渡るこの撮影法の歴史に思いを馳せた。そういった映画史の蓄積を今作には感じたのだ。"Sweetie, You Won't Believe It"はホラーコメディ、そしてジャンル映画の持つ喜びをトコトン突き詰めた破格の1作だ。シッチェス映画祭でも絶賛された今作とその監督Ernar Nurgaliev2020年代のジャンル映画界に現れた輝く彗星だ、きっと未来を更に血みどろ肉塊まみれにしてくれるに違いない。

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12. “Blind Love” (Damien Hauser、ケニア)

一言で言うならば、今作は自由すぎる。監督は物語に、ここでは絶対にネタバレしたくない様々な要素を闇鍋的にブチこんでいき、整合性などかなぐり捨てたような何だか凄まじいものを提示してくる。そして観客を予想もできない地点へ連れていってしまう。少なくとも私は後半部から驚愕の連続で、口をあんぐり開けるしかなかった。正直今でもその衝撃が抑えられないでいる。あの微笑ましいロマンティック・コメディがまさかこんなことになってしまうなんて、と。毎年、私は自分でも呆れるほど大量の映画を観ており、今年も世界各国の映画を観まくってきたわけだが、“Blind Love”は間違いなく今年1番の問題作だ。本当に必見である。いやマジで何だったんだ、あの映画一体……

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11.「スーパーヒーロー戦記」(田崎竜太、日本)

“物語の作り手=神”という古風な考えに拠りすぎも、仮面ライダーセイバーの設定を縦横無尽に駆使し、メタに次ぐメタの過激な語りを極めていく。果てに、現実を生きるため物語を紡ぐ意志、死の先にこそ続く物語の可能性、その全てへの祝福が語られる。日本でしか作られ得ない無限がここにはあった。今作を観た際、10年後に2020年代ベストを語るにあたり絶対に語り逃してはならない作品が現れたと思わされた。仮面ライダージオウ Over Quartzer」が特撮メタ語りの絶頂かと思えば、終わらねえよと脳髄ブン殴られたような衝撃を喰らわされたんだった。だがそういうのを度外視したとして……最後に現れる藤岡弘、彼のセリフで隣の席の方が泣いていたが、私も泣いたよ。いや、泣くでしょう、あれは。特撮と歩んできた人生が、本当に走馬灯みたいに流れていった。

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10. “France” (ブリュノ・デュモン、フランス)

この"France"という作品は白人の業を描いた、薄気味悪い映画だ。それなのに私はレア・セドゥ演じるフランスに私は反感だけでなく、共感すらも抱いた。そして気づいたのは私は芸術家として、この共感と反感の危うい狭間にこそ近づきたいということだった。人間とは誰しも完璧な共感の対象、完璧な反感の対象とはなり得ない。人生においてこれは混じりあう。だが人生を芸術として描こうとすると、どこか一部分を切り取らざるを得ず、描かれるのは人間であるのに、完璧な共感の対象、完璧な反感の対象に堕してしまう。だが芸術家としてそここそ避けなければならないものだ。何故なら2つの狭間、そこにこそ人間存在という糞便が現れるのだから。ゆえに私はカラックス"Annette"の安易な共感の放棄よりも、デュモンの"France"のこの突き詰められた糞を推す。

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9. “Un endroit silencieux” (Elitza Gueorguieva、ブルガリア/ベラルーシ)

クローン病自閉症スペクトラム障害という不治の病を持つ私が世界の映画を観たり、言語を学んだり、世界旅行のようなものだ。その意味で私にとって最も大いなる旅は、ルーマニア語で小説を書いている、つまりはルーマニアで小説家として活動しているということだろう。自分でもどうしてこんなことになっているのかよく分からないが、そんなことよりもルーマニア語という母国語以外の新しい言語で書くことを私は楽しんでいる。そしてその作品が他でもないルーマニアの人々に認められたことは一生の誇りだ。つまりはそういう喜びを、この“Un endroit silencieux”を観ながら、私は再び感じることができた。だからこの映画に感謝したいのだ。

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8. “Directamente para video” (Emilio Silva Torres、ウルグアイ)

今作を観るというのは、ある人間の心のうちに存在している、底の知れない迷宮を旅するようなものだった。それは人間心理それ自体の暗黒ともいうべきなのだろうか? これを十全に表現できる言葉を私は見つけられていないのだが、いや本当にそれほどの驚くべき現実を“Directamente para video”という作品は提示しているのである。VHS、そしてZ級映画の魔というべきものを炙りだす、私にとって本当に忘れ難い1作となる作品だった。今後もう一生忘れられないのではという予感にすら苛まれている。Emilio Silva Torresという監督は何て劇物を作ってしまったのかと、私は全く驚くしかない。

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7. “Advokatas” (Romas Zabarauskas、リトアニア)

富も名声も手に入れた白人シスゲイ男性であるマリユス、激動のシリアから逃れて難民となったアラブ系のバイ男性であるアリ。アリへの愛を貫こうとするマリユスに立ち塞がるのは難民の現実、何より彼自身の特権性と独善性。それでもマリユスはNGO団体やアクティビストの言葉に学んでいき、愛する人と対話を繰り返し、差別と苦難の先へ手を伸ばす。"Advokatas"は世界に満ちる悲しみと残酷を相手取り繰り広げられる、珠玉のゲイロマンスだ。故に彼らが最後に行う選択、これは本当にずっと、ずっと考えていくしかないものだろう。だがだからこそ、この作品は今作られなければならなかった誠実さについての映画となったと、私は言いたい。

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6. “Topology of Sirens” (Jonathan Davies、アメリカ)

亡くなった叔母の家に引っ越してきた主人公が、彼女の所有する楽器の中に小さなカセットテープを見つけ、その謎を追う……というあらすじだが、そんな探偵もののようなあらすじから想像もできない領域へ本作は展開していく。広がっていく空間、その中に満ちていく響き、そして心は安堵と不穏のあわいを揺蕩いながら、音に溶けていく。実験音楽への胸を打つ愛が、記憶を追い求めるささやかな旅路を通じ、世界への大いなる優しさへ変わっていく。本当に、本当に私にとってかけがえのない1作になった。

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5. “Interfon 15” (Andrei Epure、ルーマニア)

2021年はルーマニア映画界にとって、再びの躍進の年だった。まずベルリンでRadu Judeの新作"Babardeală cu bucluc sau porno balamuc"金熊賞を獲得、カンヌには5作のルーマニア映画が出品され、ヴェネチアでは新"Imaculat"ヴェニス・デイズ部門の作品賞を獲得した。さらにサン・セバスティアン映画祭では先述の“Crai nou”コンペティション部門で作品賞を獲得するなど、その勢いは疾風怒濤だ。そんな豊作の2021年において、私が最も感銘を受けたルーマニア映画が、この“Interfon 15”だった。人間存在の虚しさにまつわるこの1作は、仏教における“諸行無常”という感覚を濃厚に湛えており、そこに静かなる感動を覚えた。もし私がルーマニア語で執筆した小説を映画化するなら、監督はこのAndrei Epureしかいない。それほどまでに惚れこんでしまった。

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4.「科捜研の女 -劇場版-」(兼﨑涼介、日本)

落下で始まり、落下で終るOPから、この落下の倫理をめぐる映画に私は襟を正した。落下するが落下させられるとして悪に歪められながら、マリコによってそれが落下するへ、今再び回帰する。何よりその回帰の核が極端なまでに直球な、映画であろうとする意志であることに、心を打たれた。つまりは科捜研の女という映像作品を、映画という文脈に置き映画として楽しんでもらうにはどうすればいいか? この問いへの作り手の答え、これ1回のみだろうそのてらいなさと、まっすぐさに純粋な感動を覚えたのだ。今年、最も“映画”を観たと言いたくなる作品が、この科捜研の女 -劇場版-」だった。

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3. “Kom hier” (Marieke Elzerman、ベルギー/オランダ)

今作が描きだしているのは、ペットシェルターで働く女性の日常だ。そこに現れるのは、ペットと共に生きる、誰かと共に生きる、つまりは自分とは違う他者と生きていくことへの苦悩に他ならない。しかし、とある2人の女性の視線がぎこちなく交錯していき、苦悩は少しずつほどけていく。私たちはこの光景に"それでも、誰かと一緒に私たちは生きていきたい"という想いを聞くだろう。そして切ないまでの暖かさに包まれながら、2人の手が繋がれていく。“Kom hier”という作品は、本当に真摯な、真摯な愛の映画だった。

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2. “98 segundos sin sombra” (Juan Pablo Richter、ボリビア)

子供たちは生きてきた時間、何かを学ぶ時間がまだ少ないからこそ、必死になって生きなくてはいけない瞬間が多い。そういう時間は当然だがあまりあるべきではない。しかし、どうしたって避けることもできない。今、私たちがこのクソ社会に目を向ければ、これもまた一瞬で分かってしまうことだ。そして、また抱えるには重すぎる“生まれたことの絶望”に押し潰されようとしている子供たちがいる。しかし、彼らの心に何とか寄り添おうとする大人たちも、確かにいる。こうしてシビアな現実で生きる子供たちへの責任を、作り手である大人が何とか、何とか全うしようとする、そんな切実さの結実がこの“98 segundos sin sombra”という1作なのだ。難病と診断されるなど激動を味わった2021年の最後に、私はこの映画を観れて本当によかった、そう思っている。

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1.「レミニセンス」(リサ・ジョイ、アメリカ)

これは紛れなく脚本の映画だ、しかしここまでの賛辞として使いたくなる時は今までなかった。自らが書いた言葉をセリフとして他の誰かに託すという芸術。曲がりなりにも小説家という言葉を扱う芸術家として、監督である以上に脚本家であるリサ・ジョイに深い、深い嫉妬を覚えた。そして、何て残酷なのだろうか、この映画は。誰もが切実に言葉と声を求めて、その果てには呪われるしかない。その厳然たる運命だけが最後に残る。もし私に言葉遊びを許してもらえるならこの映画は“救いがないという救い”そのものだ。だが何よりも言いたいのは、これは類い稀なる詩だということだ。いや、映像詩ではない。これは声に裏切られ、声に打ち負かされながら、声を信じ愛しつづけた者だけが書くことのできる、ただひたすら、声を求める朗読詩だ。自らが書いた言葉をどうすればここまで誰かに託せるのか? その悲壮な信頼だけが辿りつける詩だ、生きるということについての詩なのだ。


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Pablo Alvarez-Mesa&“Bicentenario”/コロンビア、独立より200年の後

2019年はコロンビアがスペインから独立して200年という記念の年であり、コロンビア各地で独立を祝う式典が開催された。そこでその立役者として式典の中心にいた人物がシモン・ボリバルだった。“南アメリカ解放の父”と称されるラテンアメリカ独立運動の指導者であり、彼はコロンビア含めベネズエラエクアドルボリビア、ペルーの独立を達成した英雄だ。さて今回は彼と独立を祝す式典を舞台とした中編ドキュメンタリー作品がPablo Alvarez-Mesa パブロ・アルバレス=メサ監督作“Bicentenario”だ。

彼の瞳が見据える先は各地で行われる式典に広がっていた風景だ。豊かな自然に包まれたのどかな牧畜風景、素朴な家々が並ぶ住宅街、その合間を練り歩くのはコロンビア国旗を持った町民たちだ。彼らは晴れやかな表情を浮かべながら、堂々と道を歩いていく。その楽しげな風景は、観客の目にも微笑ましく映るかもしれない。

そして式典のために、人々は町の広場に集まる訳であるが、そこで興奮はさらなる高まりを見せる。家族みな揃ってボリバル銅像の前で記念写真を撮ったり、群衆のなかには銅像そっくりの軍服を着ている者たちもいる。つまりはボリバルのコスプレをしている訳だ。コロンビアにおいて独立はこのようにして祝われるのかと、日本に住む私たちは思わされるだろう。

だが映画に何か不気味な雰囲気が漂い始めるのも感じるはずだ。群衆の前には軍服を纏った、実際の軍人たちも現れて、指導者らしき人物が高らかなスピーチを始める。独立に関わった全ての人、中でもボリバルの勇気を湛える言葉が叫ばれて、独立を言祝いでいく。群衆や周囲の軍人たちよりも、彼自身が自分のスピーチに酔っているがごとき熱狂が現れる。だがその熱狂は伝染していくのだ。

監督はこれを距離を常に取りながら見据えるのだが、ここに不信を抱いているのは明らかだろう。映画内において最も際立つのが他ならぬ黄・青・赤のコロンビア国旗だ。彼はコロンビアの各都市で撮影を行っているのだが、どの都市も国旗で埋め尽くされている。人々が国旗を振り、ベランダに国旗が飾られ、時にはビルの表面にネオンとして三色旗が浮かびあがるのだ。こうして都市を埋め尽くす国旗の裏側に、監督は不穏な何かを見出だしている。

この意味で冒頭に据えられる映像は象徴的なものだ。古びた映像に現れるのは1985年に起こったコロンビア最高裁占拠事件だ。左派ゲリラ組織4月19日運動(M-419)と軍が銃撃戦を繰り広げ、それを実況する逼迫した音声が観客の耳にも届く。銃撃戦の後には、建物で火災が激発することとなる。軍は容疑者を全員射殺、しかし銃撃戦と火災によって人質も多く亡くなるという悲惨な結果となった。この後に続く独立記念の風景は、それから約30年後の風景と言えるだろう。2019年時点で既に、この地域最大のテロ組織であるコロンビア革命軍(FARC)は政府と内戦終結で合意、テロの時代は過ぎたように思われる。だがその後で来たのが、ここに示唆される愛国者たちの凱歌だとするなら?

“Bicentenario”という作品が見据えるのは、コロンビアの現在だ。ボリバルの偉業によって達成された自由が、国民に愛国心を植えつけるために利用され、この国は不気味な方向へと舵を切っていく。そしてそんな風景には血塗られた歴史そのものが凝縮されている。この不穏さには圧倒されるしかない。

Juan Pablo Richter&“98 segundos sin sombra”/ボリビア、このクソみたいな世界で

最近、児童文学、もしくはヤングアダルト小説をよく読んでいる。クローン病という難病と診断されてから、小説家として様々なものを再考せざるを得なくなった。そこで辿りついたのが児童文学だった。そして私は、まずここから文学への関心や素養が培われた筈なのに、大人になってからこれを見くびるとは言わずとも殆ど無視していたことに愕然するとともに、その豊かさに深い感銘を受けることになる。この流れがあり、映画においてもそんな児童文学の精神を持つ児童映画のような作品を探していたのだが、年の瀬にとうとう素晴らしい1作を見つけた。ということで今回はボリビアの新人作家Juan Pablo Richter フアン・パブロ・リクテルによる第2長編“98 segundos sin sombra”を紹介していこう。

舞台は80年代、主人公はヘノ(Iran Zeitun イラン・セイトゥン)という少女だ。彼女はボリビアの田舎町に暮らしているのだが、ここでの生活はドクソ陰鬱なものだ。父は酒浸りで家族を顧みないクズ人間、母は妊娠しながらももはや人生に希望を持てず無気力、祖母のクララ・ルス(ジェラルディン・チャップリン)は余命幾ばくもないままベッドに横たわっている。ある日、とうとう母が出産を果たすのだが、弟のナチョは障害を持って生まれてくることとなってしまう。

家庭状況がクソであるならば、外の世界もまたクソッたれである。通っている女子神学校では同級生たちにトコトンいびられ、肩身が狭いことこの上ない。イネスという少女だけが唯一の友人と呼べる存在であるが、彼女は病気がちであり心配が絶えない。全てに嫌気が差しているヘノは、軽蔑を込めて自分が生きるこの町を“クソ溜まり”と呼んでいた。

今作を構成するのはヘノが直面するそんな鬱屈の日々だ。映画のリズム自体は鬱屈というよりも、それとは裏腹の不敵なユーモア感覚、舞台となる80年代風の煌めくようなエレクトロ・ミュージックなど、意外なまでに軽やかなものだ。しかしそんな軽めな雰囲気にこそ、町全体に広がる厭な淀みやヘノの抱く切実な不満や孤独が際立ってくるのだとも言えるだろう。

そんなある時、ヘノは夢を見る。ヘノはイネス、そしてもう1人の正体知れぬ存在とともに地球の遥か遠くにある木星、さらにそれを越えた銀河系へと旅立っていくのだ。彼女はそんな日が本当に来ることを願いながら、町での日々を遣り過ごしているように思える。そして同級生に暴力を振るい、罰を受けている最中、彼女はエルナン(Quim del Rio キム・デル・リオ)という謎めいた男性と出会う。彼は母が出入りしている奇妙な宗教団体のマスターらしいが、彼の行動や言葉がヘノの願いを奇妙な方向に誘っていく。

今作において絶品なのはLuis Otero ルイス・オテロによる撮影だ。まず冒頭、ヘノの家で繰り広げられる運命の一夜を、彼は流れるようなカメラワークで映しとっていく。邸宅に満ちているのは空気がピリピリするような不穏、何かが起こりそうな予感だ。Oteroはそれらに包まれるヘノ、その忙しなく移ろう表情や歩みを、切れ目のない長回しによって見据える。これによって空間が物理的以上に、ヘノの心に共鳴する精神的な膨らみを獲得するのだ。

こうして彼は空間を豊かに浮かびあがらせながら、一方でフレーム外に広がる世界にも気を配る。先述した通り、ヘノは宇宙という、町とは真逆の広大な世界への憧れを深めている。それ故にカメラは幾度も空を見つめる。さらにOteroは照明や画郭の技術により、空間と空、もしくは宇宙そのものが繋がっているように風景を描いていく。ゆえに、私たちは直接空が映しだされていない瞬間にすら、宇宙に広がる壮大な闇の気配を感じ取ることになる。ヘノに何が起ころうとも、その黒の色彩は彼女を見つめ、待ち続けている、善きにしろ悪きにしろ。

もう1つ、彼の撮影には重要な要素がある。ヘノは時間というものに極個人的なこだわりを持っている。何かをやる際には、それが遂行されるまでの秒数を数えて、どのくらいの時間が経っているかを常に意識している。Oteroが長回しという技術を多用する理由の1つが、おそらくこの感覚を映画自体に反映させるためといったものなのだろう。

そして時間と空間を濃厚に意識する彼のスタイルが美しく象徴されるシークエンスもまた存在する。ある時、ヘノとイネスが森のなかではしゃぎ、一緒にダンスを踊り始めるのだが、エレクトロに合わせて無邪気に体を動かすうち、フレームから彼女たちが消えたかと思うと、ずっと幼い2人の少女が現れる。彼女たちは幼少期のヘノとイネスなのだ。そして今度は遊んでいる彼女たちがフレームから消えたと思うと、現在のヘノとイネスが現れる。この1つの長回しのなかで時間を行き交う様は、2人の友情とそのかけがえなさを象徴する。そして空間に満ちる親密さ、時間の飛躍があろうとも色褪せないその広大さは、そのまま長回しという技術が持つ美をも祝福するものだ。

だが現実はあまりに非情だ。このダンスの後に、イネスは劇的に体調を崩し、そして祖母の命もまた尽きていく。母は全てに絶望して鬱に沈んでいき、父は酒やギャンブルの金を稼ぐためか、とうとう麻薬密売にまで手を出すことになる。もうここから逃げるしかないという思いが日に日に増していき、ヘノは決断を迫られるのだ。

そしてヘノの心証風景とも言うべき、現実という地面から浮遊したイメージの数々が現れることにもなる。宇宙服を着て好きなアイドルグループに会いに行く妄想、第2次世界大戦時にユダヤ人たちが直面したような凄惨な虐殺の悪夢。それらをGabriel Lema ガブリエル・リマによる煌めくような、揺蕩うようなエレクトロの響きが彩っていきながら、そのどれにもヘノの世界への諦め、ここではないどこかへの切望、もしくは絶望が宿っているのだ。

ヘノを演じるIran Zeitunは間違いなく今作の核となる存在だろう。ヘノは常に不機嫌そうな表情を浮かべ、ふてぶてしげな態度を崩すことはない。だがそれは孤独の裏返しのように思える。自分に関心のない両親、自分に悪意を向ける同級生たち。信頼できる存在は祖母やイネスくらいしかいないが、彼女たちは病に苦しみ、本当の意味で頼れるのは自分しかいない。その孤独を隠すためにこういう強がりを取るしかない、そんな繊細さがZeitunの演技から滲むのだ。

さて、ここからは少し、私が児童文学やヤングアダルトを読むなかで学んだことについて書いていこう。私がこれらを読んでいる時、子供たちが自分なりに頑張って生きていこうとする姿にある1つの言葉が思い浮かんだ、それは“必死”という言葉だ。この日本語がいかに成り立ったかはそこまで詳しく知らない。だが“ひっし”に“必ず死ぬ”という漢字を当てたのは先人の知恵だろう。必死になると実際、死んでしまう。“過労死”なんて言葉が流行語になる日本では、肌身にそれを実感せざるを得ない。そして、児童文学を読み考えたのは、生きてきた時間、何かを学ぶ時間がまだ少ないからこそ、必死になって生きなくてはいけない瞬間が子供たちにこそ多いということだ。

そういう時間は当然だがあまりあるべきではない。しかし、どうしたって避けることもできないだろう。今、私たちがこのクソ社会に目を向ければ、これもまた一瞬で分かってしまうことだ。それゆえの子供たちの必死さに、懸命に、懸命に寄り添おうとする大人としての責任、その結実こそが児童文学なのだ。私にもこれがやっと分かり始めたのだ。

“98 segundos sin sombra”に戻ろう、私は観ながらこんな思いを抱いた訳である。必死にならなければ世界を生きられない子供たちがいる。そして、抱えるには重すぎる“生まれたことの絶望”に押し潰されようとしている子供たちがいる。しかし、彼らの心に何とか寄り添おうとする大人たちも、確かにいるのだ。

今作はボリビアの作家Giovanna Rivero ジョバンナ・リベロの同名小説を映画化した作品で、Rivero自身も脚色に参加している。本国でこれが児童文学/ヤングアダルトとして扱われているかは知らない。これらが持つべき誠実さを映画である本作も持ち合わせていると私が感じたのだ。頗るシビアな現実で生きる子供たちへの責任を、作り手である大人が何とか、何とか全うしようとする映画。“98 segundos sin sombra”は、そんな切実さそのものなのだ。難病と診断されるなど激動を味わった2021年の最後に、私はこの映画を観れて本当によかった、そう思っている。

Angeliki Papoulia&“Patchwork”/彼女が内に秘めたる炎

まずこの文章を書くにあたって、ある俳優に関する個人的な思い出から始めさせてほしい。彼女を初めてスクリーンで観たのは2012年に日本で上映された、ヨルゴス・ランティモス監督作籠の中の乙女でだった。まずこの映画が提示する異常な世界観に驚かされた。既成の常識を否定するような、箱庭的な世界に暮らす家族と、彼らの独自の論理に裏打ちされた生活。それは今までの映画体験を根本から覆すようなものだった。しかし最も衝撃を受けたのは、ある俳優の演技だった。神経質かつ不気味な容貌、独自の論理に支配されながらも、徐々にそれに疑問を抱き解放を求める。その過程で現れるあの激烈なダンス、終盤における犬歯を抜いて、血まみれになった時の笑顔。俳優だとか演技だとかに対する概念が変わる、正にパラダイム・シフトが、彼女の演技に触れることで起きたんだった。

そしてこの異常性に魅了された私は、彼の作品を筆頭としてギリシャ映画、特に“ギリシャの奇妙なる波”と呼ばれる作品を浴びるように観始めた。そこには常にあの俳優がいた。ランティモス監督の次回作“Alpeis”(レビュー記事)において、彼女は社会と自己の軋轢に耐えられず自壊していく女性役だった。そして彼が世界を最もざわつかせた英語作品「ロブスター」では脇役ながら印象深い、冷血ゆえに頗るキュートな修羅役を演じていた。他にも“A Blast”(レビュー記事)においては抑圧の末に爆発を遂げる女性、“The Miracle of the Sargasso Sea”ではハードボイルドな刑事役を演じるなど、様々な表情を見せながら、私を魅了した。ここまで書けば誰だかはもう分かってもらえるだろう。彼女こそ、私が最も尊敬する俳優の1人でもあるAngeliki Papoulia アンゲリキ・パプーリァだ。

先日、ある映画を観た。それはギリシャ映画、ではなくキプロス映画だった。2010年代前半にギリシャはそのタガの外れた奇妙さから世界を席巻するのだが、後半よりその勢いに衰えが見え始める。個人的な観察から言うと、先述のランティモスが図抜けて才能を発揮し、その奇妙さで世界へと羽ばたいていったのだが、あまりにも奇妙すぎて後が焼け野原と化し、後続が育つ余地がなくなったという印象なのだ。そんな中で頭角を表し始めた存在がキプロスなのである。ギリシャ語という言語を共有する、ある種ギリシャの弟分のような国だが、映画界の規模はかなり小さく今までは存在感をあまり感じることができなかった。

しかし徐々に有望な新人が現れていると言ってもいい。例えば"Senior Citizen" のMarinos Kartikkis マリノス・カルティッキスや、"Smuggling Hendrix"のMarios Piperides マリオ・ピペリデス、そして"Pause"が話題になると同時に、有能なプロデューサーとしてもキプロス映画界を支えるTonia Mishiali トニア・ミシャリなど、才能が続々と現れており枚挙に暇がない。“ギリシャの奇妙なる波”と、例えば家父長制批判など受け継ぐ部分はありながら、しかしその影響より離れ、異なる魅力を発揮し始めているのを私は感じるのだ。ということで機会が訪れたら、必ずキプロスの最新映画を観るようにしていたのだが、そこにギリシャの俳優であるパプーリァが現れ、驚いたのである。ここからはそのキプロスの新鋭Petros Charalambous ペトロス・ハラランボスによる第2長編“Patchwork”の紹介を通じて、パプーリァの魅力を記していきたい。

ということでまずはあらすじからだ。今作の主人公はパプーリァ演じるハラという中年女性だ。彼女は夫のアンドレアスや娘のソフィアら幸せな家庭と安定した仕事に恵まれ、何不自由ない生活を送っているように思われるが、実情はそうではない。彼女の顔に浮かぶのは疲労、不満、倦怠ばかりだ。例えば彼女の上司は独身で子供もいないが、仕事では多大な成果を残し、会社の皆から尊敬を獲得している。そんな姿を見るとどうしても嫉妬を抑えきれない。仕事では出席できず、家族も自分の思い通りにならない。家に帰るとアンドレアスやソフィアにその鬱屈をぶつけ、独りになると自己嫌悪に陥る毎日が延々と、永遠と続くのだ。

監督とDoPYorgos Rahmatoulin ヨルゴス・ラフマトゥリンダルデンヌ兄弟を彷彿とさせる不安定な手振れカメラで、ハラの姿を逐一追跡していく。ハラの表情は常に陰鬱なものであり、笑顔を見せることもできないまま、同僚たちともうまく付き合えない。家族に対しても同様の態度を取ることしかできず、自己嫌悪によって負のスパイラルに嵌まっていく。カメラの揺れはそのままハラの不安定な心理を語るゆえ、観客の精神まで共鳴するように磨耗していく。

ある日、ハラはメリナ(Joy Rieger ジョイ・リーガー)という少女に出会う。彼は新しく配属された男性上司の娘であるのだが、海外移住という大きな出来事に順応できず、不登校となっていた。父親にいやがらせを行うため会社にまで押し掛けるのだが、それを見かねたハラが彼女を自身のオフィスルームに招き入れ、少し世話をすることになる。ここからハラとメリナの交流が始まるのだ。

メリナは凄まじく反抗的な少女であり、ハラの助けを少しは受けながらも、大人など信じないという態度は崩すことがない。そんなメリナに根気強く接するハラだが、時には自身の娘であるソフィアに対する以上の感情をメリナに向けるのは何故か。交流の合間に、彼女は父の許へと赴くのだが、その会話の節々にハラの母親の影が現れる。不在の彼女に抱く複雑な感情、これがハラを突き動かすものなのか?そんな疑問が不穏に首をもたげるなかで、物語は大きな局面を見せる。

今作における核となる存在は、ここまで書いてきてそれ以外ないとは思うが、ハラを演じるパプーリァに他ならない。確かに不幸ではない。しかしあの時選び取らなかった、選び取れなかった人生にこだわり続けるあまり、絶望と後悔に苛まれて現実を直視することができない。ハラは常にここではないどこかを夢見ている。そしてそれを現実にしてくれるかもしれないのが、突如目の前に現れたメリナという訳だ。ゆえにハラは彼女に執着し、一線すらも越えようとする。この不安定で、危険な女性の姿をパプーリァは体現していく。

パプーリァという俳優は私にとって謎めいた存在だった。冷ややかで不安定、その感情を容易には理解することのできない存在だ。しかしその凍てつきの奥には常に炎が燃えている。時にはこの炎が燃え盛り、周囲に存在する全てを燃やし尽くそうとする、例えば籠の中の乙女“A Blast”はそんな激烈さが全面に出た1作だった。

だがこの“Patchwork”においてはパプーリァの炎は思わぬ輝きを見せる。書いてきた通り、ハラは神経衰弱ギリギリの危険な状態にある人物であり、メリナとの交流に不気味さすら宿る瞬間がある。だがそんな絶望の袋小路に迷いそうになりながら、パプーリァはハラを救おうとする。その心に寄り添いながら、辛くとも現実を見据えなくてならないと諭していく。この過程で、パプーリァの炎はかけがえのない暖かさとしてスクリーンに滲んでいき、そして誰かの心を包みこんでいく。これを引き出す監督の手腕も素晴らしいが、やはり何よりもパプーリァの類い稀な演技が最も素晴らしいというのは否定しがたいだろう。

この“Patchwork”Petros Charalambousというキプロス映画期待の星の到来を告げるとともに、アンゲリキ・パプーリァという希代の俳優を祝福するような作品でもある。何か彼女へのラブレターのような内容になってしまった気がするが、まあたまにはこういうのも許してほしいところだ。