鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

コスタリカ映画史という海へ~Interview with Alonso Aguilar

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さて、日本の映画批評において不満なことはそれこそ塵の数ほど存在しているが、大きな不満の1つは批評界がいかにフランスに偏っているかである。蓮實御大を筆頭として、映画批評はフランスにしかないのかというほどに日本はフランス中心主義的であり、フランス語から翻訳された批評本やフランスで勉強した批評家の本には簡単に出会えるが、その他の国の批評については全く窺い知ることができない。よくてアメリカは英語だから知ることはできるが、それもまた英語中心主義的な陥穽におちいってしまう訳である(そのせいもあるだろうが、いわゆる日本未公開映画も、何とか日本で上映されることになった幸運な作品の数々はほぼフランス語か英語作品である)

この現状に"本当つまんねえ奴らだな、お前ら"と思うのだ。そして私は常に欲している。フランスや英語圏だけではない、例えばインドネシアブルガリア、アルゼンチンやエジプト、そういった周縁の国々に根づいた批評を紹介できる日本人はいないのか?と。そう言うと、こう言ってくる人もいるだろう。"じゃあお前がやれ"と。ということで今回の記事はその1つの達成である。

今回インタビューしたのは中央アメリカはコスタリカ映画批評家Alonso Aguilar アロンソ・アギラルである。最近、私は中央アメリカの映画史探求に嵌まっており、前にホンジュラス映画作家Manuel Muños マヌエル・ムニョスへインタビューしたのもその関心が理由だった。私が考えるに今、中央アメリカで最も評価されているのがコスタリカ映画界である。規模はあまり大きいとは言えず、現在でも長編製作数は相当少ないが、三大映画祭やロッテルダムなど新人作家の登竜門となる映画祭に多くの作品が選出される快挙を現在進行形で成し遂げているのはもちろん、評価される作家にこれほど女性作家が多いというのは他にコソボくらいしか思いつかない。ということで今回はこの国の若手批評家にコスタリカ映画界躍進の理由や、コスタリカ映画史について直撃、10000字にも渡る熱い返答をもらった。それでは早速どうぞ!

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済藤鉄腸(TS):まずどうして映画批評家になりたいと思いましたか? どのようにそれを成し遂げましたか?

アロンソ・アギラル(AA):思うに私は映画における表現というものにいつだって敏感でした。物心ついた頃から、レンタルショップのホラー映画ブースで色々眺めるのが楽しみだったんです。学校が休みになるとワクワクしたのは、エイリアンシリーズを全部借りて一気見するなんてことができたからですね。そのうち、より知られていなかった作品、というかアートハウス的な要素も持ち合わせる1作(例えばトリアー、ハネケ、パゾリーニキューブリックなどの作品)を発見し、こうして私はより一般的な意味でのシネフィルになっていた訳です。

批評に関してですが、書くことに関わることを常にやりたいと思っていて、映画との関係性はまずこういった欲求からジャンプするように始まったんです。実際最初の頃に書いていたのは音楽についてで、高校生の時からですね。媒体は、今はまあ有難いことに機能していないTumblrのブログで、ビースティ・ボーイズテーム・インパラの曲について書くと同時に、例えばウェス・アンダーソンアスガー・ファルハディといった映画作家の作品についても書いてました。こういう過程で自分の音楽ブログがよく知られるようになって、こうして書く力を鍛えていった訳です。

ジャーナリズムや視聴覚コミュニケーションについて学ぼうと決めたのは、ある種映画に自分の人生を捧げようとしたからですね。文化ジャーナリストというのが私が最もなれそうな職業と思えたんです。しかし2015年に2つの映画批評ワークショップの告知を見つけました。1つはコスタリカのアリアンスフランセーズ、もう1つはコスタリカ国際映画祭のものでした。当時、映画に関する文章はまだどこかに掲載されたことはなかったんですが、ここで私はラブ・ディアス“Norte: The End of Historyを観て、これについて書こうと思ったんです。コスタリカの映画好きの多くは明らかにフィリピンのスローシネマのファンではなかったので、物珍しさで注目されましたね。そしてワークショップに参加できることとなり、この国のとても小さな文化産業で活動する人々と知り合うことになったんです。ここから全てが始まりました。

TS:映画に興味を持ち始めた頃、どういった映画を観ていましたか? 当時のコスタリカではどういった映画を観ることができましたか?

AA:先にも言った通り、私のお気に入りはホラー映画でした。禁じられたものが宿す魅力というのに私はいつも惹かれていて、Googleで“最もイカれたホラー映画”だとか“最も奇妙なホラー映画”だとかで検索して、出てきた名前をメモしてから地元のレンタルショップへ探しにいったんです。

それから言及したいのは父はいつもハリウッド映画ではない作品を楽しんでいたので、その影響で私も黒澤やフェリーニタルコフスキーといった映画作家の作品を観ていたということです。私が映画に興味を持っているらしいと気づくと、彼はコスタリカにたった1つだけあるミニシアターに連れていってくれて、アートハウス映画の古典を観るようになったんです。映画への興味の過渡期において、本当に重要な経験でしたね。

そして最後に語りたいのは、この国では映画館で観られる作品が本当に限られていて、今でもその状況が続いているということです。コスタリカは基本的に文化という意味でアメリカに植民地化されており、それがもう数十年続いているんです。子供の頃はレンタルショップなども当然あったんですが、中央アメリカではどこでも観られない作品を違法ダウンロードする術も学ぶ必要があった訳です。ラテンアメリカのような場所では海賊行為とシネフィル文化が手に手を取り合っていたと言わざるを得ないでしょう。何が配給されるかを左右するヒエラルキーが厳然と存在していたからです。

TS:初めて観たコスタリカ映画は何でしたか? その感想もお聞きしたいです。

AA:振り返るに私が初めて観たコスタリカ映画はEsteban Ramirez エステバン・ラミレス“Gestación”(2009)ですね、おそらくですが。10代の妊娠にまつわる極めて教条的な映画で、これを観にいくために遠足といった感じで、クラス皆で映画館まで行きましたね。その時までに13歳にはなっていたと思いますが、それまでの10年、いかに自国の映画を観られる機会が少なかったかを示しているでしょうね。思い出すのは、自分の知っている場所がスクリーン上に現れるのが興味深く思ったことですね。でもその時はまだ映画の様式や語りにそれほど興味はなかったんです。

TS:もし1作好きなコスタリカ映画を選ぶなら、どの作品を選びますか? その理由もお聞きしたいです。何か個人的な思い出がありますか?

AA:思うにその作品はAlexandra Latishev アレクサンドラ・ラティシェフ“Medea” (2017)になるでしょう、今のところは。コスタリカ映画界はその時既に好調の兆しが見えていましたが、今作は観客が違和感を抱くような、形式的な選択をすることを怖れなかった最初の国産映画だと私は思いました。それでいて肉体性という主眼になるテーマの探求において、美学的な意味で顕著な一貫性を持ち続けることもできていたんです。

個人的な思い出で言うと、私は今作のレビューも執筆したんですが、映画について書いたもので初めて監督や他の読者から反応をシェアしてもらったものとなったんです。

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TS:まずお聞きしたいのは1930年に製作された“El retorno”についてです。今作はコスタリカで製作された初の長編映画と言われていますが、これは本当でしょうか? そして興味深いのは監督のAlbert-Francis Bertoni アルベルト=フランシス・ベルトーニはイタリア人であり、まずイタリア、そしてフランス、最後にコスタリカへ辿り着き、今作を作ったということです。何故彼はコスタリカへとやってきて、“El retorno”を製作することになったんでしょう? 最後の質問は、今作は今のコスタリカ、ひいてはコスタリカのシネフィルにどう評価されているかということです。

AA:“El retrono”はコスタリカ映画史において初めてのフィクション映画というのは本当です。しかし1910-1920年代にも幾つか作品が作られていました。その多くは政治的出来事や国家的な祝典を映し出したドキュメンタリーであり、その監督はAmando Céspedes アルマンド・セスペデスManuel Gómez Miralles マヌエル・ゴメス・ミラリェスWalter Bolandi ワルテル・ボランディといった写真家たちでした。彼らのアプローチは現在のニュース報道に近く、客観性としてのイメージを明確に強調するものでした。

当時のコスタリカにおいて、人口統計学的に重要な事実として、例えば先のBolandiという名字から分かるように、19世紀後半から第2次世界大戦までに行われたイタリア人の移住が挙げられます。彼はそのドキュメンタリー撮影の技術を買われ、“El retorno”の撮影監督として雇われます。そして監督のA.F. Bertoniが今作を製作するために、イタリアからコスタリカへとやってきた訳です。

興味深いのは今作がコスタリカ映画を学んだり、コスタリカ映画界で活動する人々以外からがほぼ忘れ去られていることです。そして今作は何よりも一種のアネクドート、逸話として捉えられています。今作は歴史の一部なんです。映画自体は1930年代の作品頗るに典型的なロマンスであり、現在の感性から見れば登場する女性たちの表象に問題があると思われるかもしれません。それでも今作はコスタリカ映画において関心を向けられるテーマの1つ、つまり都市での生活、田舎での生活という二分法を描くうえでの基盤を作りあげたんです。

TS:このインタビューを準備するにあたり、2000年代以前には作られたコスタリカ映画が相当少ないことに気づかされました。そしてWikipediaにはこんな記述があります。“歴史的に見て、コスタリカで映画を製作する機会というのは限られていた。撮影機器やフィルム撮影に必要な装置の数々が法外な値段であったり、個人と政府両方においてサポートが欠けているというのもあり、この国、もしくはこの地域で映画産業が実現すること自体が難しかったのだ。国立の映画センターであるCentro de Cineは1973年に設立されはしたが、数十年の間、ほとんど機能していなかった” この状況は実際のものだったのでしょうか? もしそうなら、そういった状況がコスタリカで起こった理由についてお聞きしたいです。

AA:これは実際にあったことです。“El retorno”の後、フィクション映画が作られるのは20年待つ必要があります。それは1955年製作の“Elvira”ですが、今作も製作はメキシコ人監督Alfonso Patiño Gómez アルフォンソ・パティニョ・ゴメスと外国人だったんです。この空白、そして全般的な一貫性のなさの理由は撮影コストです。当時、映画製作の全てが個人的な努力で賄われており、Centro de Cineが設立されるまで、映画製作を後押しするといった国が関わるプログラムが一切存在しなかったんです。

Centro de Cineもまた海外からの介入で実現することになりました。1970年に設立された訳ですが、当時は社会民主主義が政府のイデオロギー的な基礎でした。アメリカはCentro de Cineへの投資をサポートしてくれた訳ですが、その条件としてプロパガンダ映画の製作は避けるというものがありました。中央アメリカでは冷戦の影響が顕著で、武装集団や革命思想を持った団体が地域に溢れていた時代ですからね。

Centro de Cineの製作作品のほとんどは16mmで撮影されたドキュメンタリー短編で、コスタリカにおける社会的、政治的問題、それに環境問題を描いたものでした。この時代の重要人物としてはIngo Niehaus インゴ・ニエアウスCarlos Saénz カルロス・サエンスCarlos Freer カルロス・フリアーAntonio Yglesias アントニオ・イグレシアスという名前が挙げられます。経済不振で製作が滞り始めたのは1980年代で、いったん停滞するとコスタリカ社会民主主義福祉国家というモデルから、よりリベラルで私有化を推し進める国家へと移行していきました。その世代の映画作家、例えばHilda Hidalgo イルダ・イダルゴJurgen Ureña フルヘン・ウレニャEsteban Ramirez エステバン・ラミレスといった重要人物は海外で映画製作を学び、1990年代末から2000年代初期に戻ってきて、コスタリカ映画の新時代を築いていくこととなります。

TS:そしてこの時期に作られたコスタリカ映画の数少ない1本がMiguel Salguero ミゲル・サルゲロ監督が1968年に製作した“La apuesta”ですね。今作の興味深い点として、過渡期にあるコスタリカの風景を描くにあたって、コメディ調の独特なモキュメンタリー様式を取っていることです。そして監督も興味深い人物で、映画監督だけでなく、政治家や写真家、ジャーナリストとしても活動していたそうですね。ここで聞きたいのは“La apuesta”と監督のSalgueroがコスタリカ映画史においてどういう立ち位置にあるかということです。

思うにSalgueroのドキュメンタリー作品、そして特にIngo Niehausといった同世代の作家たちの作品は当たり前にあるものといった風で、顧みられることは時々でしかないです。彼らはドキュメンタリーを作り有益な情報を広めるだけでなく、それを想像力豊かかつ軽妙洒脱なやり方で成し遂げていたんです。あなたの言う通り、Salgueroは映画作家であっただけでなく、全てに手を出しながら多方面に渡って活躍した有名人だったんです。Centro de Cineのもたらした黄金時代、そこで作られたドキュメンタリーの多くは今や忘れられています。フィクション長編の歴史にばかりより大きな焦点が当てられてしまうからです。しかしSalgueroはコスタリカの地理、その自然に広がる風景の数々に着目した人物であり続けることで、映画を越えていったんでした。

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TS:おそらく現代のコスタリカ映画作家のなかで最も有名な人物の1人がPaz Fábrega パス・ファブレガでしょう。2010年製作のデビュー長編“Agua fría de mar”ロッテルダム映画祭で大賞を獲得した後、第2長編“Viaje”はトライベッカやカルロヴィ・ヴァリで、第3長編“Aurora”サン・セバスチャンや再びのロッテルダムで上映など、その存在感は現代のコスタリカ映画界にとってとても重要なものに思えます。しかし実際コスタリカにおいて彼女やその作品はどのように評価されているのでしょう? そしてあなたの正直な意見もお伺いしたいです。

AA:Paz Fábregaはより芸術的なコスタリカ映画に起こってしまう現象の顕著な例となってしまっています。彼女は世界的によく知られた映画作家ですが、ここコスタリカではほぼ海外映画として見なされているんです。彼女はよくある“ヨーロッパの映画祭”的ともいうべき、形式的な文脈とはまた別の場所にいる作家としてとても興味深い人物と、私は思っています。例えばマンブルコアや現代のアルゼンチン映画からの影響がより特徴的なんです。ゆえに彼女はコスタリカでこそ異国的と扱われていますが、彼女がコスタリカ映画に果たしていることには感謝しています。

私の個人的な意見ですが“Agua Fría de Mar”はとても楽しみました。彼女の肉体性に対する形式的関心を最良の形で反映した1作でしょう。他の作品に関してですが、正直に言うと“Viaje”“Aurora”は観る価値のある作品と思いながら、それほど評価していないといった風です。その感性が不自然すぎるというのを何度も感じてしまい、デビュー作のミニマルさに比べると、語りといった意味でフラフラしてしまっていると思えるんです。

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TS:Paz Fábregaが世界的に評価された後、コスタリカの女性作家たちが次々と劇的な形で現れているように感じられます。例えばベルリンのLaura Astorga Carrera ラウラ・アストルガ・カレラAntonella Sudasassi Furniss アントネッラ・スダサッシ・フルニス、カンヌのSofía Quirós Ubeda ソフィア・キロス・ウベダValentina Maurel バレンティナ・マウレルNathalie Álvarez Mesén ナタリエ・アルバレス・メセンらです。2010年代以降の、この女性作家の台頭をどう見ているでしょう? これは突然始まったのか、それとも既に起こっていたのに無知ゆえに今まで私たちが気づいていなかったのか。そしてこの現象は女性作家たちが素晴らしい映画を作っているからというのは当然として、コスタリカには彼女たちをサポートする補助金制度や組織も存在しているのでしょうか?

AA:実際この現象は有機的な形で起こっている、とても興味深い流行です。数年前、コスタリカは女性監督による作品の割合が最高になったのですが、それは監督という領域だけに留まりません。撮影監督、編集技師にプロデューサーも(中央アメリカとしては)非常に高い割合を誇っています。思うにこの現状はコスタリカ映画界の異端性によって可能となっているのでしょう。私たちには成熟した映画産業というべきものを持たず、これゆえのヒエラルキーの欠如が女性作家を歓迎するような環境を作りあげており、そうして彼女たちがアート映画や国際的な映画界で活躍するようになっているんです。しかしもし商業的、もしくは地産地消の娯楽映画に目を向けるなら、男性監督による作品が1つの規範さながらたくさん見られることでしょう。そういった訳で、この成熟した体系の欠如というものが、ジェンダーという面でより多様な環境を作りあげている、そんな皮肉な状況が現れていると私は思うんです。

それからこのトレンドは2010年代以前から始まっていると思います。例えば2008年のベルリンで上映されたIshtar Yasin イシュタル・ヤシンEl caminoや、2010年製作のイルダ・イダルゴ監督作「愛、その他の悪霊について」などからですね。しかしそれ以前にもKitico Moreno キティコ・モレノPatricia Howell パトリシア・オウェルといったパイオニアがいます。コスタリカ映画史は常に才能ある女性作家とともに築かれてきたのであり、最新のトレンドはその1つの極です。女性作家に対する目立った補助金制度などがある訳ではなく、当然の成り行きとして起こった現象なんです。

TS:ここでお聞きしたいのは2010年代において最も重要なコスタリカ映画は何かということです。例えば先述したPaz Fábrega“Agua fría de mar”や、私にとって初めて観たコスタリカ映画の1本であるNeto Villalobos ネト・ヴィリャロボス“Por las plumas”、ベルリンで上映され後にはMUBIを通じて世界に配信されたAntonella Sudasassi Furniss“El despertar de las hormigas”などがありますが、あなたのご意見を聞きたいです。

AA:私としてはAlexandra Latishev“Medea”に立ち返りたいと思います。女性性をめぐる肖像画表現主義的、かつ鮮烈に描きだすことで、同時にコスタリカ社会そのものを描きだした、重要な1作です。

TS:2010年代が終わった後、コロナウイルスの影響によって、予測不能なまでに過酷な形で2020年代が幕を開けましたが、私たちは映画について話していきましょう。真の意味でコスタリカ映画界の2020年代を始めたと思える1作は何だと思いますか? 例えばNathalie Álvarez Mesén“Clara sora”はこのインタビューを思いついたきっかけともなった作品ですし、IDFAに選出されたCarolina Arias Ortiz カロリナ・アリアス・オルティス“Objetos rebeldes”も面白い1本でした。しかしあなたの意見はどういったものでしょう?

AA:“Clara Solaはこの国で最も評価されたコスタリカ映画の1本だと思っています。コロナ禍の長い間、今作は劇場で公開され続け、映画祭でも長きに渡って上映されています。“Objetos Rebeldes”コスタリカ映画において、国というアイデンティティを豊かな表現によって描きだす創造的なドキュメンタリーとして重要でしょう。今作やÁlvaro Torres アルバロ・トレス“Nosotros Las Piedras”のような作風の作品は、私としてももっと観たいと思っています。それから製作自体は2019年ですが、同じくIDFAでプレミア上映されたNatalia Solorzano ナタリア・ソロルサノ“Avanzaré Tan Despacio”も挙げたいと思います。これは自然な成り行きで現れたと思うのですが、コスタリカにおいては創造的なノンフィクション作品が徐々に流行の兆しを見せ始めていて、歓迎したいところです。おそらくCentro de cineが1970年代に製作していた作品のDNAが今の創造性豊かな産業にも残っているのでしょうし、これをポジティブに捉えたいところです。何故ならコスタリカという国はこの地域において最も人種差別的、外国人嫌悪的、そして階級主義的な国であり、冷戦期にアメリカの影響下に自身を置くことで、何不自由ない時を過ごしてきたからです。歴史において最も問題含みな側面を探求していき、新しい対話を生み、“公式の歴史”というものに疑義を向けるというのは良いことだと思います。

TS:コスタリカの映画批評の現状はどういったものでしょう? 外からだとその批評がどういうものか殆ど見えてきません。ゆえに内側からはどう現状を見ているでしょう?

AA:とても悲惨なものですね。歴史を通じて、主流メディアに映画批評の居場所があったことがないんです。少なくとも私が生まれてから、そういった存在は2人だけです。巨大な国営テレビ局に勤める人物、巨大な国営新聞社に勤める人物、この2人しかプロの映画批評家はいないんです。残りの私たちにとって映画批評は趣味か副業であらざるをえないんです、残念ですが。私の場合は国際的な雑誌に英語で執筆する幸運に預かることができましたが、それも主にコスタリカに批評の場(特に支払いのある)がないゆえです。そこで私は同僚たちとKrinegrafoという、中央アメリカの映画批評家を集めた独立系のウェブサイトを立ち上げましたが、編集や執筆はとても散発的なものです。この国には批評のための場がないので、自分自身でそれを作っている人々が殆どです。コスタリカ国際映画祭が統合されることで、大局的に新しい世代の批評家たちが育っていくことを願っていますが、プロによって運営されるメディアが存在しないのを鑑みると、期待するのは難しいですね。

TS:おそらくこれは曖昧で焦点の合っていない質問ですが、あえてさせてください。まずコスタリカ映画史において最も重要な映画とは何だと思いますか、その理由もぜひお伺いしたいです。そして、あなたにとってコスタリカ映画の最も際立った特徴とは何でしょう? 例えばフランス映画は愛の哲学、ルーマニア映画は徹底したリアリズムとドス暗いユーモアなどなど。ではコスタリカ映画はどうでしょう?

AA:最初の質問は当然とても主観的なものになりますが、Paz Fábrega“Agua Fría de Mar”になるのではないでしょうか。ロッテルダムで最高賞のタイガーアワードを獲得した初めてのコスタリカ映画であると同時に、今作はここ10年におけるコスタリカ映画のテーマ的、美学的柱の数々を固めたからです。それは親密さ、カメラと主人公の肉体的な関係性、演出と語り双方における女性的な視点、そしてもう1つ“El retorno”から直線的に続くコスタリカ映画のテーマ、つまり先述した都市と田舎という二分法の更なる進展です。

そしてこれらの要素はコスタリカ映画の最も際立った特徴といえるでしょう。Centro de cine製作のドキュメンタリーや先ほども言及したテーマ的な偶然の一致の他、コスタリカ映画の独自性というものは2010年代になってやっと形になったと思えます。それがラテンアメリカの伝統としての寓話性と戯れる寡黙で瞑想的なトーンで、これは“Clara Sola“Medea”, “Violeta al fin”“El despertar de las hormigas”、それに先述したドキュメンタリー作品にも見られますね。私たちの歴史、そして社会的環境の間に横たわる不確かな関係性が、魔術的リアリズムというフィルターを経て、コスタリカ映画と周辺国の映画とを分けているように私には思えるんです。

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メモリア、或いはコロンビアをめぐるノイズ by Diana Martinez Muños

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3月4日からタイの映画作家アピチャッポン・ウィーラセタクン監督作「メモリア」が日本でも上映されている。今作は彼がタイ国外で撮影を行った初めての作品だが、彼が撮影地に選んだ国こそが南米のコロンビアだった。

私は映画批評家としても、いち映画ファンとしてもいつも不満に思うことがある。日本ではマイナーな国の映画が話題になる際、それは英語圏か、よくてヨーロッパの批評家の言葉を通じてのものばかりになることだ。もしそれが日本で上映されるなら日本人の文章も読めるには読めるが、私としてはその国の批評家や映画作家が何を言っているのか、どう思っているのかを聞きたいと思っている。

「メモリア」も正にそうだ。聞くのは英語圏の人々による賛辞、日本人による批評、欧米の映画史に絡めた言葉。日本にはほとんどそれしかない。私はそういう怠惰な言説には興味が全くない。私が聞きたいのはタイとコロンビアを股にかけた「メモリア」という映画を、他ならぬタイとコロンビアの人々がどう思っているのかということだ。

ということで、今回ここに掲載するのはコロンビア人の音響デザイナーDiana Martinez Muños ディアナ・マルティネス・ムニョス「メモリア」批評だ。彼女に執筆をお願いしたのは、“Pirotecnia”というコロンビア内戦をめぐるドキュメンタリーを観た時、その音響デザインがとても印象に残っており、それを担当したのが他ならぬ彼女だったからだ。そんな彼女に音という側面から「メモリア」について執筆してもらえたのは感無量だ。御託はここまでにして、ここからはぜひ彼女の文章を楽しんでほしい。

MEMORIA BY APICHATPONG - NOTES ON SOUND
By: Diana Martinez Muñoz. AKA: Kin_Autómata

誰かに「メモリア」の印象について聞くたびに、異なる答えが返ってくる。それこそ今作が何についての映画なのかを教えてくれると、私には思える。つまり人間の心のなかで記憶というものがどう作用しているか、これを「メモリア」は美しく描きだしているという訳だ。日々のなかで私たちは経験を、イメージを、状況を、音を、匂いを、形を、人々を、動物たちを、自然を、存在を、空間を集めている。私たちはその時点での心理的、精神的状態に影響されながら、ある特定の方法である一瞬を知覚する。しかし年月を経るにつれ、その一瞬への私たちの見方そのものが変わっていくことになる。記憶はぼやけ始め、他者からもたらされた物語と溶けあうことで、意味も変わっていく。そして更新され、異なる存在へと姿を変える。

記憶は、人生において重要な瞬間に現れるもの、例えばトラウマや幸福、痛みや充足感を宿している。それらによって私たちは自分自身を規定していくこととなる。そして記憶を共有する時、私たちは集合的記憶を創りだし、同じ時間、同じ歴史がまた共有される。「メモリア」は自身の記憶に迷いこんだ女性が、そこに意味を成そうと試みる物語だ。今作に特有の側面というのは、彼女に思い出すという行為を強い、記憶のコレクションと向き合わせ、そして自身を理解させるものが音であることだ。音の記憶は正確に思い出すのがより困難なものだが、環境において私たちはいつであっても音に晒されている。そして音によってこそ他の生物、空間、物体、状況、動きというものを私たちは感知させられるのだ。音は私たちに物語を語る。そして私たちは音に触れられ、存在をも震わされていく。

「メモリア」においてジェシカはコロンビア中をめぐる。そこは彼女の母国ではないし、そこは彼女の“文脈”でもない。ジェシカは音にとり憑かれ、答えを探し求めている。コロンビア、この国は混沌と狂気から響く音を享受してきた。ボゴタの霧深い早朝は車の警報に掻き乱される、ダウンタウンの路地では人々があらゆることに耽っている、しかしいつしか慈悲なき雨が到来して、突然に全てを静まり返らせる。風、虫、鳥、小川の音の交わり、それがある男を包みこむが、彼も魚を洗うという動きによって固有のサウンドスケープを立ち上がらせている。そしてまた突然、静寂が空間に満ちる響きを捉えることになり、そうしてあなたは自分の呼吸、自分の思惟、つまりは自分自身を聞けるようになるのだ。

「メモリア」の音は登場人物と監督の外部的知覚を描きだしている。彼らは、己に耳を傾けることに苦心するこの国の外部にいる存在だ。私たちコロンビア人はとてつもない量の音でできたサウンドスケープに埋めこまれ、もはや自分たちが音を、声を持っていたことを忘れている。ノイズは私たちに、暴力と戦争に傷ついたこの国、生き抜くために記憶から耳を背けたこの国が持つトラウマ、そのやり過ごし方を教えてくれる。私たちは痛みを隠すためにノイズを必要とし、そうして様々なノイズでできた巣に育まれ安心感を抱くという風に。

一方でジェシカは全く逆のことを行う。彼女はただ耳を傾ける。ノイズに満ちた環境でただ今を生きる。そして生は大量の情報とともに前を通りすぎていく。静寂のなか、彼女は理解しようと試みる、彼女は意識を集中する、音を通じて感覚を研ぎ澄ましていく。音は彼女とエルナンを繋げ、交感を促すものでもある。互いに耳を傾けるという機会が訪れた時、2人は理解しあい、ジェシカの聞くノイズも意味を成すことになるのだ。

現代の映画において音は感覚や感情を語り伝える力を持ち、音響デザインは観客にその経験をもたらしていく。「メモリア」はこの素晴らしい例ともなっている。今作はある場所に見出だされる特異性を捉え表現していくが、ここにおいてその場所とはコロンビアにおいて全てが成される舞台、つまり日常生活の場ということだ。今作が喜びとともに語るのは、静寂や音の鳴り響く複層といった記憶の場なのであり、これによって登場人物や観客は自分自身の記憶を問うための旅路に出ることになる。今作は“聞く”を深める機会、そして音を認識し、想起し、受容し、果ては音を楽しむための時間をくれるのだ。

私が思うに今こそ自分たちの声を理解する必要がある。今までとは別の方法で、“私たちは何者か?”という隠されたささやかな細部から自身を理解し、見出だすことが必要なのだ。ここ数年のコロンビアにおいて音は多くのアーティストたちと彼らの好奇心を刺激してきた。彼らにとって音は耳を傾けるのを許さないノイズまみれの環境から人々を目覚めさせ、何かを表現する方法を授けるものなのである。コロンビア映画の音が文化を描き、環境に思索を重ね、共感共苦の念を生み、そして私たちの所属する共同体がもたらす豊かさを受け入れるための実験的な方法として発展してきたのは、やっと最近になってからだ。

ジェシカがエルナンの眠っている姿を眺め、場について、エルナンについて考え、この場に存るという状態をただ素朴に生きる、そんな場面がある。それが象徴するように「メモリア」は自分自身に耳を傾ける場への招待状ともなってくれる作品だ。そして聴覚的な世界こそが物語を語り、記憶とともに私たちを形作ってくれるものなのだと、観客に教えてくれる。

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ここではないどこか、いつか~Interview with Manuel Muños

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さて、このサイトでは2010年代に頭角を表し、華麗に映画界へと巣出っていった才能たちを何百人も紹介してきた(もし私の記事に親しんでいないなら、この済藤鉄腸オリジナル、2010年代注目の映画監督ベスト100!!!!!をぜひ読んで欲しい)だが今2010年代は終わりを迎え、2020年代が始まった。そんな時、私は思った。2020年代にはどんな未来の巨匠が現れるのだろう。その問いは新しいもの好きの私の脳みそを刺激する。2010年代のその先を一刻も早く知りたいとそう思ったのだ。

そんな私は短編作品を多く見始めた。いまだ長編を作る前の、いわば大人になる前の雛のような映画作家の中に未来の巨匠は必ず存在すると思ったのだ。そして作品を観るうち、そんな彼らと今のうちから友人関係になれたらどれだけ素敵なことだろうと思いついた。私は観た短編の監督にFacebookを通じて感想メッセージを毎回送った。無視されるかと思いきや、多くの監督たちがメッセージに返信し、友達申請を受理してくれた。その中には、自国の名作について教えてくれたり、逆に日本の最新映画を教えて欲しいと言ってきた人物もいた。こうして何人かとはかなり親密な関係になった。そこである名案が舞い降りてきた。彼らにインタビューして、日本の皆に彼らの存在、そして彼らが作った映画の存在を伝えるのはどうだろう。そう思った瞬間、躊躇っていたら話は終わってしまうと、私は動き出した。つまり、この記事はその結果である。

さて、今回インタビューしたのはホンジュラス映画作家Manuel Muños マヌエル・ムニョスである。最近、よりマイナーなラテンアメリカ諸国の映画史に興味を持ち始めたなかで、出会ったのが彼の短編“Rubicón”だった。世界のどこかに存在する町、そこに広がる景色や記憶をめぐる美しい1作に私は魅了され、彼にインタビューを行った訳である。その作品については勿論だが、日本ではあまり知られていないホンジュラス映画史についても質問をぶつけてみた。それでは早速どうぞ。

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済藤鉄腸(TS):まずどうして映画監督になりたいと思いましたか? どのようにそれを成し遂げましたか?

マヌエル・ムニョス(MM):物心ついた頃から、いつだって映画を作りたいと思っていました。9歳の時には父と最初のスターウォーズを観て、家にあったミニDVカメラで映画を自作していたんです。独学で編集も学びながら、TVに映るイメージを自分で再現してみて、VHSテープに記録するなどもしていました。これが映画製作の第1歩でしたね。

TS:映画に興味を持ち始めた頃、どういう映画を観ていましたか? 当時のホンジュラスではどういった映画を観ることができましたか?

MM:子供の頃は父と一緒にスティーヴン・スピルバーグ作品を観ていましたね。E.T.インディ・ジョーンズシリーズに未知との遭遇などです。ホンジュラスではインディーズ映画を観られる場所がなかったので、主にハリウッド映画を観ていました。アルゼンチンに移住し映画学校に通いだしてから、Sala LugonesやMALBAといった映画館に行き、今までとは異なる映画を観始めました。アッバス・キアロスタミアルタヴァスト・ペレシャンペドロ・コスタLuis Ospina ルイス・オスピナといった映画作家の大ファンになったんです。ブエノスアイレスではEl Pampero Cineといったグループから、私自身の作品をインディペンデントな体制で構想していくにあたって、美学や製作のアイデアなど、多くを学びましたね。

TS:“Rubicón”の始まりは一体どういったものでしたか? あなた自身の経験、ホンジュラスのニュース、もしくは何か他の出来事ですか?

MM:映画の始まりは恋人であり今作の主演でもあるSofia Grisales ソフィア・グリサレスを撮った写真からです。アパートのバルコニー、そこの窓越しに彼女を撮ったんです。光の反射がガラスに当たり、部屋の内側とその外側に広がる街が同時に写っているというイメージが気に入りました。ここを始まりとして映画を作りたいとすぐさま思いました。次の1歩はこの中心となるイメージから連なる別のイメージを見つけだし、物語を創りだすことでした。今作はこのように撮影されていったので脚本は存在しなかったのですが、イメージや音の数々が互いに繋がりあい、映画がある種構築されていったんです。

TS:今作は印象的な長回しから始まりますね。カメラが黄昏の街並みに広がる風景を見据える一方で、観客はフレーム外から登場人物たちの会話を響いてくるのに気づくことになります。この風景と会話には一見して繋がりはないように思えますが、徐々に2つが混ざりあうことで、途切れなき長回しのなかに黄昏の美しさが現れるんです。このシークエンスをどのように撮影していきましたか? 何故、そしてどういった流れでこの場面を最初に据えようと思ったのでしょう?

MM:このショットも先の質問で答えたのと同じプロセスで撮られています。日が立ちあがるなかで街へと続く高速道路が見えるという場面を長回しで撮りたいと初めから思っていました。撮影する時もこれが映画に馴染むのかすら分からないまま撮っていましたね、ただ撮影すること自体が快かったというのもあります。編集段階であの郷愁に満ち満ちた曲(Toquinho&Vinicius“Tristeza”)で、これで映画を始めるのはいいなと思いました。同時に何か語りにおいてフックとなるものに欠けてるなとも感じてたのですが、SofiaがFela Benjumea フェラ・ベンフメアのインタビューを入れたらどうかと提案してきました、あの冒頭で観客が聞く声の主ですね。そしてSofiaの演じる人物がFelaが語る、国から国へと渡り歩いてきた過去を聞くという場面ができた訳です。

TS:この場面の後、映画はある男女がいっしょに時を過ごす姿を映し出しますね。彼らの微笑みや会話、親密さは今作の核でもあり、彼らを演じるSofia GrisalesAriel Sosa アリエル・ソサの存在感によって静かに、複雑に力強いものともなっていきます。この素晴らしい俳優たちはどのように会ったのでしょう、そして今作で協同しようと思った最も大きな理由は何でしょう?

MM:Sofiaは私のパートナーで、作品の殆どをいっしょに製作しています。Arielは仲のいい友人で音響回りの仕事もやっているので、今作では音響を担当してもらっています。ここで協同しているクルーたちは近しい友人たちばかりなので、物事を進めていくのに居心地がいい空間ができますし、間違いを恐れる必要もなければ、何かを決める時に不安になることもないわけですね。

TS:そしてもう1人の重要な主人公は映画の舞台となる町それ自体でしょう。カメラが部屋にいる男女を撮す一方で、同時に現れるのは窓から見えてくる景色です。天井に干された洗濯物、道やそこに行き交う人々、青空に抱かれたタワー。あなたと撮影監督Juan Fernando Collazos フアン・フェルナンド・コリャソスは町に浮かぶ様々な表情を撮しとり、その数々は写真アルバムのようになり、観客それぞれが持つ、自分の町についての記憶と繋がっていくんです。ここでお聞きしたいのはこの町がどこかということ、そして何故ここを撮影場所に選んだのかということです。この町に何か個人的な思い出がありますか?

MM:この町はブエノスアイレスですね。ここ7年間住んでいるんです。クルーの殆どはこの町に住む外国人でもあります。例えばニカラグアやコロンビア、メキシコ、ホンジュラスドミニカ共和国出身の人々が集まっていて、ブエノスアイレスとそれぞれの付き合い方をしているんですね。そこで私は、皆の心のなかに存在しながら、同時に誰の心にも存在しない町を創りたいと決めた訳です。つまり国籍に紐付けされたアイデンティティー、そんな考えが通用しない場所ですね。そして外国人であるという感覚が音やイメージによって経験されていくと。これがブエノスアイレスを舞台にしながら、デジタルの山を追加したり、かなりフィクション化された音響デザインを付け加えることで、この場所を虚構の場に変えた理由ですね。ある意味で私は町を、とてもぼやけて混沌に満ちた、登場人物たちの心の投影のように思っていたんです。

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TS:今作の音響デザインにも感銘を受けました。複雑で、心地よさに満ちた音、もしくは響きが、あの会話を描きだした冒頭から満ち溢れていますね。そしてより印象に残ったのは部屋の場面で、ここで観客は町の日常に深く根差した音を幾つも聞くことになります。車、風、ラジオなどなど。この豊かな音響はフレームの外、映画の外にも世界が無限に広がっていることを予感させてくれますね。この音響や音響空間をどのように構築していったでしょう?

MM:ある意味で私たちは映画の視点を町そのものに接続したかったんです。町こそが登場人物たちの物語を経験し、逆ではないといった風に。これが登場人物を見るより先に道端に広がる音の数々を観客が聞くことになる理由です。Arielとの協同は興味深いもので、というのも彼がドミニカ共和国で仕事をしていた際に録音していた音のライブラリーを持ってきてくれたんです。音響編集のÁngeles López アンヘレス・ロペスとも協同を密にして、映画に現れる出来事を創りだそうと模索していました。ラテンアメリカの異なる場所に響いていた音を集めて、カオスな交わりを作った訳です。

TS:この作品を観るのは暖かな午後に白昼夢を見るような経験でした。10分もの間、快い永遠のように広がっていく映画という名の幻影を漂っていくんです。この立役者はあなたとClara Vieiro クララ・ビエイロによる編集でしょう。どのようにこの夢見心地なリズムや雰囲気を編集によって作りだしたんでしょう、そこにおいて最も難しかったことは何でしょう?

MM:編集作業は脚本の執筆作業とも重なっていました。多くの試行錯誤があり、今作がなるかもしれない幾つもの構成を考えることになりました。ドキュメンタリー的な映像と、もっと綿密に演出された他の場面を行き来する構成に合うような、ある1つのリズムを探しだすためにはかなりの努力を費やしましたね。


TS:この“Rubicón”という作品において欠かせないと思う要素が車ですね。冒頭が車のなかで繰り広げられるのは勿論ですが、より重要なのはそこに続く部屋の場面でも観客は車の音を聞き続けるということでしょう。カメラはそこまで直接車を撮すことはありませんが、フレーム内外両方においてその存在感は興味深いほど忘れがたいものとなります。今作を観ながら、ゴダールが言ったとされる言葉を思い出しました。“男と女と銃があれば、それが映画だ”と。“Rubicón”は正にそんな映画でしょう。ご自身、今作に現れる車についてどうお考えでしょう? 意識的に車の存在を中心に映画を組み立てていったということはありますか? そもそもの話、車はお好きですか?

MM:多分これは無意識でしょうが、車が動いているという現象それ自体が何かとても映画的だと思えるというのはあります。おそらくこれはテグシガルパという、車が毎日続く日常やリズムにとってとても重要な都市に住んでいたという経験からくる考えでしょうね。ブエノスアイレスに越してきてから、車から地下鉄に乗るようになったというのも私にとって興味深い経験でした。この意味であなたの言った言葉は正しいでしょう。車と電車はいつだって映画の良き友なんです。

TS:日本の映画好きがホンジュラス映画史について知りたいと思った際、どの映画を観るべきでしょう? その理由もお聞きしたいです。

Sami Kafati サミ・カファティホンジュラス映画の父と言われています。彼は1964年に初の短編“Mi Amigo Ángel”を撮影しましたが、1984年に初長編“No Hay Tierra sin Dueño”を完成させる前に亡くなってしまいました。チリの映画編集者Carmen Brito カルメン・ブリトのサポートを受け作品は完成し、2003年にやっと上映されることになりました。Katia Lara カティア・ララ監督の“Corazon Abierto”というドキュメンタリーはその裏側にあった信じられない物語を描いた作品です。Samiは撮影監督としてRaul Ruiz ラウル・ルイス監督作“Utopia”にも参加しています。1976年にホンジュラスで撮影された1作です。“No Hay Tierra Sin Dueño”を除いて、全ての作品がオンラインで簡単に鑑賞できるので、ぜひ観てほしいですね。

TS:もし1作、好きなホンジュラス映画を選ぶなら、どれを選びますか? その理由もぜひお聞きしたいです。何か個人的な思い出がありますか?

MM:ホンジュラス映画における流れを考えるにあたって、私は“Mi Amigo Ángel”を選びたいですね。今作が撮影された時代、世界ではどんな映画が作られていたかを考えるとより重要なんです。例えばゴダール勝手にしやがれは今作の4年前に作られていた訳ですが、その頃には映画というメディアは現代性という言語に関して実験を始めていた。そしてそんな時代にホンジュラスでは初めてフィクション映画が作られようとしていたんです。私が思うに今作にはとても興味深い現代的な側面を持っていました。つまり頗る自由なドキュメンタリー形式で、いかに都市をめぐり、それを映画にしたかということですね。ホンジュラスという国は60年代から今日までに相当な変貌を遂げましたが、ではテグシガルパが、映画がそのイメージの神話を構築してきた都市、例えばパリやベルリン、ニューヨークといった都市のようになったかというと違いますね。私としては“Mi Amigo Ángel”を、もはや存在しない都市のドキュメントとして観るのが好きなんです。

TS:ホンジュラス映画界や映画産業の現状はどういったものでしょう? 外からだとその状況はほとんど見えてこず、日本語での情報もほぼ存在しません。なので内側から見るなら、それはどのように見えているのでしょう?

MM:ホンジュラスにおいて最近とうとう独自の映画法が可決され、映画製作をサポートする組織が結成されました。しかし残念なことに、映画作家としても観客としても、映画について学ぶ確立された方法論が今はまだ少ないんです。映画学校はないですし、インディペンデント映画や大胆なテクニックを持った映画にアクセスするオルタナティブなやり方もまた存在しません。ある種、私たちは現代の映画界、もしくは映画史そのものにおいて、映画作りから排除されているようなものです。それでも少しずつ現状は変わってきています。国立大学のシネマテークに所属するRené Pauck ルネ・パウクといった人物は本当に重要な存在で、彼らはこの国における映画の保存や映画史の発信に努めてくれているんです。

製作がほとんどできない状況で、こんにちにおけるホンジュラス映画は宣伝の論理、もしくはハリウッドの語りや製作基準に影響を受けてしまっています。この国の現実にとって支離滅裂なものであるにも関わらずです。映画とはアメリカの基準を満たせばいいのだという、美学的な植民地主義に陥ってしまっているんです。とても繊細で危うい民主主義とほとんど実体のない中産階級、そんなホンジュラスの現状においては、経済性といった観点から、オルタナティブな映画が作られたり観られたりするというのは難しいということもあります。私が願っているのは、ホンジュラスが映画という意味で外の世界とより繋がりあえる未来です。エルサルバドルの小説家オラシオ・カステジャーノス・モヤはこう語っています。自分のルーツとなる国に参照されるべき文学が存在がないなかで、世界文学の伝統について思考することが、自国の文化を語る場になってくれる。そうなればと思います。

TS:もし次の短編か長編の計画があるなら、ぜひ日本の読者に教えてください。

MM:今は“Los Reinos”(“王国”という語の複数形ですね)という長編の製作を2年ほど続けています。あるカップルの別離を描く作品でパートナーと私自身が主演しています。世界の都市、例えばブエノスアイレス、パリ、テグシガルパ、そしてハンブルクなどを舞台とした作品でもあります。

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Ioana Iacob&“Wir könnten genauso gut tot sein”/ドイツのルーマニア移民たち

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ルーマニア人俳優は、ルーマニア以外でも世界の映画界で活躍している。ハリウッドで大活躍中のセバスチャン・スタンなどはその代表例だろう。他にもドイツのアレクサンドラ・マリア・ララなどがいるが、今同国でも著しく活躍の幅を広げている人物がいる、それがIoana Iacob ヨアナ・ヤコブだ。この鉄腸マガジンを読んでいる方はRadu Jude ラドゥ・ジューデ作品の常連といえば通じるかもしれない。実は彼女はルーマニアとドイツを股にかけ活躍する人物なのだ。ということで今回は彼女が主演を果たしたドイツ映画、Natalia Sinelnikova ナタリア・シネルニコヴァによる監督デビュー作“Wir könnten genauso gut tot sein”を紹介していこう。

今作の舞台となるのはとある高層住宅である。都市郊外の鬱蒼たる森林地帯、その傍らにこの住宅は建設されている。人々は絶対的な安心と安全を求めて、ここに住んでいるという訳だ。中年女性アナ(Ioana Iacob)もまたここに住んでいるが、同時にセキュリティ長として住民たちの平和を日々守り抜くことを使命としている。だが住民の1人であるリヒャルツ(Jörg Pose ヨルグ・ポーゼ)の愛犬が失踪を遂げた時から、その均衡は少しずつ崩壊していくこととなる。

まず描かれるのはアナの過ごす日常である。制服を身に纏いながら、アナは粛々と職務を遂行していく。住民たちへの定期的なアナウンス、来訪者たちのボディチェック、住宅地の見回り、住民たちとの交流など仕事は絶えることがない。そして彼女にはイリス(Pola Geiger ポーラ・ガイガー)という思春期の娘がいるのだが、1つ問題がある。彼女はいわゆる引きこもりで、ここ最近は常にバスルームに籠城しており、その対応に苦慮しているのだ。

だが先述した犬の失踪から、状況が徐々に悪い方向へと転がり始める。愛犬の失踪を嘆くあまり、リヒャルツは幾度となく奇行を繰り広げるのだが、住宅地の平穏を撹乱する不審者を見たとも証言する。セキュリティ長としてその証言を否定するアナだが、その後他の住民からも目撃証言が伝えられ、コミュニティ内には否応なく不安が広がる。事態を妙にややこしくするのがイリスの言葉だ。彼女は自身が“邪眼”を持っており、実はそれが犬を殺したのだととんでもないことを言い出す。この状況下でアナの神経は猛烈なまでにすり減っていく。

今作は建築映画としての趣向がすこぶる際立つものだ。舞台となる高層住宅は清潔で洗練されたデザインを誇り、住民の安全がまず第1であるがゆえに管理は最も行き届き、厳重なものとなっている。こうして安全と憩いが完璧に保証されながらも、どこか無菌的な、安全と居心地よさのトレードオフといった息詰まる雰囲気が広がるのを否定できない。そして外界から隔絶されているという意味で、住宅それ自体が陸の孤島といった様相をも呈していると思える。

これが想起させるものといえば、冷戦時代において東側ブロックの共産国家に存在していた住宅だ。集合住宅の冷ややかな画一性、住むという概念を力任せに圧縮したような狭苦しい感覚。あの時代から数十年が経ち、当然様々な面においてクオリティは格段に進歩しているが、それは住民の管理という側面においても同じなのである。加速度的に発展したテクノロジーによって、管理は激化を遂げているのだ。

この共産時代の住宅という想起は、何も脈絡なしに思い浮かんだという訳ではない。先ほども記した通り、主演であるIacobはルーマニア人俳優で、80年代というチャウシェスク独裁政権末期を地方都市ティミショアラで過ごしていた人物でもある。そして監督であるNatalia Sinelnikovaは1989年のソ連という、共産政権崩壊直前に生まれ、その後7歳でドイツに移住したという過去がある。彼女たちのこうした東側ブロックでの子供時代が作品に反映されている可能性は大いにあり得る。

しかし幾ら厳重に、無菌的な形で住民を管理しようとも、そこは人間である。それぞれの生き方や思惑があり、ただで管理下に置かれるという訳ではない。些細な逸脱、意図的な反抗、そうしたものが積み重なっていき、共同体に混沌や波紋が生まれることは避けられない。それを管理しようとして、むしろ悪化するなど日常茶飯事だろう。そして住民たちはそんな現状に不安を抱き始めるという訳だ。

そこで起きることとは何か? 今作において住民たちは手緩い管理に業を煮やして、自警団を設立することになる。彼らはゴルフクラブを片手に、敷地内を闊歩し、不審者の存在に目を光らせる。当然、アナら管理スタッフへの不信感は相当なものであり、自分たちでセキュリティ設備の増強を図ろうとしたり、スタッフの信任投票なども要求していく。こうしてアナは苦しい状況へと追いやられていくのだ。

この背景には昨今問題となっている、いわゆるゲーテッド・コミュニティの存在があるだろう。住宅地を要塞化することで、外界から積極的に孤絶し、かつ不穏分子を徹底的に排除して、究極の安心と安全を享受する。ここには富裕層と貧困層の断絶など様々な社会的問題が内包されているが、今作においても排外主義が極まった挙げ句、不審者と疑われた人物がリンチされ、即席裁判によって住宅地を追放されるという描写がある。こういった非道な行為の数々が罷り通るようになるのだ。

そして今作が着目するのは人種的な排外主義である。ドイツにおける、ルーマニア含めた東欧移民差別は悪名高いものがある。例えばコロナ禍においては、安い労働力となる彼らを酷使した末、感染クラスタが発生したというニュースも頻発している。更にアナの友人にはトルコ系の人物もおり、トルコ移民はドイツにおける最大の移民グループの1つという意味で排外主義の直接の被害者と成りうる。実際、その人物が自警団の中心メンバーと寝て、家族の安全を確保しようとするという描写も存在する。これはドイツにおける排外主義の1つの現実なのかもしれない。

このテーマの核にいるのがアナ、そして彼女を演じるIoana Iacobという訳だ。アナがルーマニア移民かは劇中で明示されないが、ルーマニア移民というIacob自身の出自は、監督がソ連出身であるということと同じく重要なものだろう。そういった背景を背負いながら、アナはセキュリティ長として冷徹なプロを貫こうとする一方でこの職務のあり方に疑問を抱かざるを得なくなる。プライベートでも娘との関係性を築くのは失敗の連続で、人生それ自体が危うい状況だ。こうして彼女は職務と自身の倫理観、住民たちの安全と自分自身の安全と板挟みになり、神経を磨耗させていく。そしてここに“Wir könnten genauso gut tot sein”が描こうとするドイツの微妙な今が存在するのである。

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Petna Ndaliko Katondolo&“Kumbuka”/コンゴ民主共和国について語る時、私たちが語ること

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Joris Postema ヨリス・ポステマというオランダ人監督がコンゴ民主共和国を舞台に“Stop Filming Us”という作品を製作した。今作はコンゴの現状を映し出したドキュメンタリー作品であり、世界の国際映画祭で評価されることになる。だがこれを疑問に思ったのは他でもない、コンゴ民主共和国に生きる映画作家たちである。彼らはこの作品をコンゴの現実を映し出しておらず、ステレオタイプ的考えを助長すると考えた。よくある西欧諸国によるアフリカに対する植民地主義、そのクリシェという訳である。

この抗議を聞いた製作側は映画作家たちにフッテージ映像を提供、これを使って彼らはこの映像を使い、どのようにすれば自分たちが実際に目の当たりにしている現実を描きだせるかに思考を巡らせることになる。そんな若手作家たちの相談に乗っていたのがこの国で映画製作や教育を行う人物Petna Ndaliko Katondolo ペトナ・ンダリコ・カトンドロだった。彼らとともに映画を作る最中、Katondoloはある計画を思いつく。この製作過程自体を映画にしたらどうだろうか?と。そうして出来上がった作品が、Katondolo自身の監督作“Kumbuka”である。

先述通り今作は2人の若手作家が、どうすれば自分たちが見ているコンゴ民主共和国の現実を提示できるか?を探求する様を描いており、そこには様々な映像が現れることになる。例えば2人が映画の計画について会話を重ねる姿、師であるKatondoloに意見を求める姿などだ。そしてこの最中に彼らが観る映像も“Kumbuka”自体に組み込まれていく。Postemaたちが撮影したフッテージ映像は勿論のこと、コンゴ民主共和国が植民地であった頃、宗守国であるベルギーが撮影した古いドキュメンタリーも挿入される。それは動物の生態ドキュメンタリーさながら、コンゴの部族の文化を紹介するという、相当に帝国主義的な色彩を持ち、観ているとかなり居心地の悪い気分にならざるを得ない。だが2人はこれを見据えながら、コンゴの歴史や文化についての考察を重ねていく。

だが考えを重ねるうちに、彼らもだんだんと途方に暮れ始める。もはや自分たちが何を作ればいいのか分からなくなり、その感覚が“Kumbuka”の妙な纏まりのなさにまで表れていくのである。だが2人はその果てにある新しい問いに辿りつく。自分たちは“Stop Filming Us”という作品が西欧諸国によるコンゴ民主共和国クリシェ的な作品だと思った、でも何故ここに描かれるもの、もしくは描かれ方をクリシェと感じたのか? こうなってくると“Kumbuka”は俄然面白くなってくる。今作はつまり人間の認識、もしくは知覚そのものに深く潜航し始めるメタ認知的な領域に入り始めるからだ。そしてそこに植民地主義や言語の問題、様々な歴史を経て移り変わってきたコンゴの文化も絡みあうことになり、事態は更に、更に複雑となっていく。

私はそこまで多くないがいわゆる実験映画と呼ばれる作品も観てきている。そのなかで時折吐き気を催す類いの作品と出会うことにもなる。例えば、外国のどっかで撮影して、そのフッテージを繋げりゃ実験映画(笑)としか言い様のない代物だ。例えば日本でも有名なベン・リバース&ベン・ラッセの下痢便タッグや小田香といったやつらが撮ってる作品だ。これらは民族誌だか人類誌学的とか呼称されるが、私にとっては植民主義的廃棄物でしない。今作を観ながら、最初はそういった作品に対するカウンター的作品と思った。だが私の予想を今作は軽く越えてきた。

これを観る前に、A.S. バーウィック著の「においが心を動かす」という科学書を読んでいた。嗅覚の研究者かつ哲学者でもある著者はこの本で、量子生物学における最新の科学的知見と、ある意味で真逆にも思える哲学的思考を駆使しながら、嗅覚がいかなる感覚なのか、それによって人間の認識がいかに規定されるのか?を探求する。その明晰さが全く見たことのないほどの精緻さで、読んでいて本当に興奮したのを覚えている。そして同じ興奮を“Kumbuka”に味わったのだ。

若手作家2人が映画の製作を進める過程は、コンゴ民主共和国が人々にとってどう認識されてきたか?という社会的・文化的探求と、そもそもの話としてこういった国という概念に対する人間の認識はいかに培われていったのか?というメタ認知的探求を横断している。この様に、私はまず科学に裏打ちされた思考を見出だしたのだ。

そしてこういったより曖昧な、形而上学的な思考は必然的に哲学へと辿りつかざるを得ない部分があるが、ここにおいてはコンゴ民主共和国に根づく土着の文化がその役割を果たす。2人はこの過程において、コンゴに広がる風景をアーカイブとして残すという活動にも着目するのだが、そこでこんな言葉を聞く。物語は何もされなければ忘れられ、その忘れられたことすらも忘れられる。アーカイブ映像を残すのは、忘れてしまっていたということを思い出すためなのだと。堂々巡りの言葉遊びのようにも思われるが、この言葉から新たな思考が始まり、そしていつしか“Kumbuka”という言葉に私たちは辿りつくことにもなる。

“Kumbuka”という作品においては、コンゴ民主共和国という国を舞台として、科学的思考と哲学的思考が溶けあいながら、現実、もしくはあるイメージへの人間の知覚や認識、その根本が鮮やかな形で問い直されていく。そんな今作が一見すれば支離滅裂で、終わりが何の終わりにも見えないのは全く必然だろう。それすらも引き受ける度量の大きさが今作には宿っているのである。

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Stathis Apostolou&“The Farmer”/2つの国、1つの肉体

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まずある1人の俳優との出会いについて語らせてほしい。先日、私はロッテルダム映画祭でプレミア上映された“Broadway”というギリシャ映画を観た。詳しくはレビューを書いたのでそれを読んでもらいたいが、少し内容を書くと、今作は家父長制に挑む反逆者たちの物語だ。しかしこのシステムの恐ろしさは弱き者たちの間にすら抑圧的ヒエラルキーを生みだすことでもあると映画は見据えながら、それでも両方に中指突き立て、生きるクィアなやつらの生きざまを祝福していく。

そのなかで最も印象に残った登場人物は、実は主人公たちでなく、彼女たちに立ちはだかる悪役だった。そのマルコスという男は生臭い性欲と生々しい負の感情を持つ人物であるという意味で、家父長制の立ち向かうはずの集団のなかで再生産されてしまった抑圧そのものだ。同時に、どこか浮世離れした異様なる存在感を持っている。激しいファックによって男性性を誇示しながら、銀髪を揺らす彼の姿からはバイナリー的な性を逃れるような雰囲気もあり、全く正体が掴みにくい。そんな驚くほど複雑なキャラを体現するΣτάθης Αποστόλου スタシス・アポストルという俳優に私は深く魅入られたんだった。

そしていつもやっているように、彼にもまた“あなたの演技、素晴らしかったです!”とメッセージを送ったのだが、彼は速攻で感謝の返信をくれて、しかもここから色々と会話が始まったのでまた驚いた。ギリシャの詩人たち、ギリシャ演劇と日本文学という自分たちが所属する場への不信感、彼が執筆しているという本の内容。ここで私が自分が英語で書いた詩を送ると、これまた即読んで、意見をくれた。いきなり現れたどこの馬とも知れぬ人間にここまで優しくしてくれるというのも珍しいだろう。そして逆にApostolouが6年前に監督したという短編作品を私に見せてくれたのである。ということで今回はそんな経緯で鑑賞した、Stathis Apostolou監督作品“The Farmer”を紹介していこう。

物語はあるギリシャ人男性(Foivos Papadopoulos フォイヴォス・パパドプロス、先述の“Broadway”で主演)が車を駆る場面から幕を開ける。彼は2年もの間、故郷の村に妻子を置いて、ドイツで出稼ぎ労働者として働いていた。そして今、男は新品の高級車と高級スーツを伴い、ギリシャへの帰還を果たそうとしていた。

車を駆る彼の姿に重なるのは、自身の境遇を木訥と語る男自身の独白だ。だが少しずつ様子がおかしくなっていく。ドイツとギリシャという自分が行き交う2つの国について語るなかで、男は車から降り、着替えを始める。高級スーツを脱いだかと思うと、彼は農作業用の素朴なシャツを身に纏うことになる。そしてこの服装のままで、妻子の待つ家へと帰っていくのだ。

設えられた高級スーツは、ドイツという国家が持つ富と名声であり、男はこれを纏うことでそれを手にしている“ドイツ人”としての威光を誇る。だが妻子の前では頑なにこの姿を隠し、農作業着を纏い続けるのだ、まだ自分は“ギリシャ人”であるということをも誇示するように。2つの服、2つの国、男はその狭間を行き交うのだ。

ここにおいて服を着替えるという行動は、彼のアイデンティティーが引き裂かれていることを象徴するようだ。そして引き裂いているのは国家/国民という漠然としながら、頗る強固なイメージに他ならない。近年においても経済破綻によって多くのギリシャ人が国を出ていき、移民として生きていく道を選んでいる(私自身、東京に住んでいるギリシャ人建築家と会ったことがある)男は中でもドイツを選んだ訳だが、EUが経済危機に陥ったギリシャに救済措置を行う一方で、ドイツはそれを批判し緊縮財政を求めていた。近年、2国間の緊張は高まっているのだ。そんな複雑な関係性にある2国の狭間で、彼の心は引き裂かれているのだろう。

そして故郷に戻ってきた男は農作業着を纏ったままに、鍬で農地を耕し始める。彼の肉体が質実剛健であり、一切手を休めることなしに、力強く作業を進めていく。だが広大な大地においては、そんな彼の勇姿もちっぽけなものとしか映らない。案の定、彼は疲れはてることになるが、何度も何度もこの作業を行う。そこまでして男が成したいものは一体何なのか。

私がApostolouと会話している際、彼が執筆中だという本の話題になった。それは“素朴なる人間の進化”という題だそうだ。彼が目指しているのは人種や性といった概念から解き放たれた人間、つまりただただ人間でだけ在ること、その状態で思考することなのだという。あの男は農作業によって肉体を駆動させることで、Apostorouの言う“simple human”を目指している、私はそう思った。しかしそう簡単に、ただ人間でだけ在ることを世界が許さないのである。

今まで見ていった通り、今作のストーリー自体はギリシャの移民事情を背景とした男の自我の探求と、地に足ついたものとなっている。だがこのローカリティ/土着性をも越えて、Apostolouは国籍や人間という概念そのものを存在論的に問おうとしている。その意味で私には今作がSFに見えてならないのである。彼の“simple human”という試みは、この世界においてもはやポスト・ヒューマン的な思考とすら重なりあうのだ。

“Broadway”における彼の演技、そして“The Farmer”において監督として彼がFoivos Papadopoulosから引き出す演技を目の当たりにしながら“存在感”という日本語を想起したと、Apostlouに伝えた。これは言うなれば人間がそこに在る時に宿す手触りであり、あなた自身が俳優として鬼気迫るほど複雑な存在感を宿すとともに、監督として他の俳優からもこれを引き出していく、その才覚があると。“The Farmer”はそんな才能の降臨を伝えるような超越的な1作なのだ。

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Farkhat Sharipov&“Skhema”/カザフスタン、底知れぬ雪の春

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Farkhat Sharipov ファルハット・シャリポフというカザフスタンの監督がいる。2020年に彼が製作した長編“18 kHz”は瞠目の1作だった。詳しくは執筆したレビューをお読み頂きたいが、そんな彼が2020年代におけるカザフ映画を注目しようと思ったきっかけの1人でもあるのだ。そんなSharipovが新作を携えて、2022年のベルリン国際映画祭に現れた。その新作“Skhema”はやはりと言うべきか、Sharipovという才能の異様な輝きを再び証明する1作であった。

今作の主人公はマーシャ(Victoriya Romanova ヴィクトリヤ・ロマノヴァ)という少女だ。高校生である彼女は友人たちと夜な夜なパーティ三昧に耽る今時というべき少女であり、その度に親たちに叱られては、反抗期特有の不機嫌さを露骨に示しながら、部屋に引きこもる。そしてほとぼりが冷めたなら、また友人たちとパーティへと赴き、酒を飲みまくり、友人たちと喋りまくり、酩酊を楽しむことになる。

まずSharipovはそんなマーシャの日常を丹念に追っていく。彼女にとって高校生としての毎日は退屈の極みだ。授業に関しては聞いているフリをして、実際には友人とメールのやりとりをしている。そんな致死的な退屈から解放され、まるで炸裂でもするかのように、彼女はパーティではしゃいでいく。酒を飲めば、全てが忘れられる。そこにはイケメンのリマ(Tair Svintsov タイル・スヴィンツォフ)も居て、どんどん仲が深まっているような感じだ。しかもパーティに参加した後は大金ももらえる。これは参加しない理由がない!

だがその後が当然最悪なことになる。酔っぱらってほとんど意識がないまま、何とか友人にタクシーに乗せてもらい、家に辿り着くことになるが、そこで待つのは両親の激しい説教の数々だ。この勢いが激越であればあるほど、マーシャは反抗心を抱いてパーティに飛びこんでいく。酷いときにはパーティ会場に警察が踏みこんできて、補導された挙げ句に両親に引き取られる。そして叱られ、しかしマーシャはまたパーティに行く。

こうして彼女は殆ど不毛としか思えない繰り返しを延々と続ける、おそらく両親にとっては不条理な悪夢そのものとして映っているだろう。彼女は何も学ぶことないままにパーティ三昧を享受する愚かな人物と見なす観客も少ないはずだ。そして同時にパーティの裏側で不穏な何かが進行していることにも気づくはずだ。あの妙な金回りのよさ、コソコソ動き回るリマと彼が恭しく対応する謎の男。マーシャもそれには確かに気づいている。だが気づかないフリをする、自分の目を誤魔化すために唇にアルコールをありったけブチこんでいく。

こういった不毛な情景を、Sharipovは撮影監督であるAlexander Plotnikov アレクサンデル・プロトニコフとともに撮しとっていく訳だが、それらが怖気を震わせるほどに荒涼としたものだ。近年、カザフスタンの首都であるアルマティは開発が進み、加速度的にきらびやかさを増しているという状況がある。街並みは整然として、洗練されたショッピングモールは家族連れで賑わっている。だが庶民の経済状況が改善されているとは言い難いようだ。マーシャの父は借金を抱え、母はその対応に苦慮、食卓での喧嘩は日常茶飯事だ。手振れを伴うリアリズム志向でこの口論が描かれる様を見るのは息が詰まる。これを肌身に経験しているマーシャの精神は磨耗していき、この現状から目を背ける意味でも彼女はパーティに逃げ込むのだというのを否応なく思い知らされる。

故にアルマティの街並みに広がる煌びやかな美はただただ表面上のものにしか思えない。色や飾りだけが目に輝くのみで、その奥底にある精神は痩せさらばえて、貧困そのものと化している。そしてアルマティに降り注ぐ真白い雪はその美もその貧困も等しく呑みこんでいく。時にマーシャはリマと一緒にこの雪を投げ合いながら遊んだりする。時にこの雪はただただマーシャの通学の邪魔になる。そういった二面性が常に今作には付きまとっているようだ。

冒頭で記した通り、Sharipovの前作“18 kHz”もまた荒涼の極みというべき青春映画だった。ドラッグ中毒によって袋小路に嵌まりこむ少年たちの姿には、言葉に尽くしがたい虚無感が宿っていた。今作においてマーシャを含めた少年少女はパーティやアルコール、そして何故だか振る舞われる大金に目が眩み、どんどん泥沼にはまっていく。そして1本の踏み越えてはならないだろう線へと肉薄していくのだ。

今作はベルリンのなかでもジェネレーション部門という青少年向けの部門に出品を果たしている。その選出理由は一応青春映画ということもあるだろうが、他にも注目すべき要素がある。前作の“18 kHz”もそうだったが、“Skhema”は表面上“ドラッグ/お酒、ダメ絶対!”という青少年向けの犯罪啓蒙映画のような内容となっているのだ。ドラッグやお酒は一時的には気持ちよくさせてくれるかもしれないが、それの中毒になってしまうと人生が崩壊してしまう。そうした道徳の時間に見せられるような教育映画を彷彿とさせる訳だ。

が普通はあくびが出るほど退屈になるだろう啓蒙映画も、非凡な映画作家が作るならば異様な作品に仕上がる時も存在する。例えば40-50年代ハリウッドB級映画の異才であるエドガー・G・ウルマーの初長編「傷物の人生」(“Damaged Life”)は性病の啓蒙映画として製作された1本だ。しかしメロドラマとしての堂々たる風格はもちろん、放埒な性生活の果て性病に罹かった者たちの末路を示す場面は、次回作「黒猫」ひいてはホラー映画群の片鱗をも感じさせる不気味さを誇っている。この“Skhema”もまたそうした啓蒙/教育映画から逸脱するような風格を持ち合わせているのだ。

何より今作に登場する青少年の無軌道さにはゾッとするものを覚える。当然、啓蒙映画に出てくる登場人物は観客が教訓を得るため、律儀なまでに悪辣な事件を引き起こす訳だが、今作において少年少女は何をしでかすか分からないのだ。酒を飲むなどはそれとして、彼らは例えば盗みや殺人など明確に悪と見なせる行為は表だって行うことはない。だがパーティ会場に鶏を持ちこみ奇妙なおふざけを繰り広げたりと、論理が明確に掴めない行為に打ってでる。この意味の分からなさが観客を落ち着かなくさせる。

マーシャはそんな異常な状況に追い込まれていく訳だが、戻れないと悟った時にはそのパーティ会場で元締めへの少女の“人身供養”が行われていることも知ってしまっている。そして必然的に彼女は次のターゲットになるのだ。金欲しさにリマたちが淡々とお膳立てを整えた後、マーシャは酒とドラッグにまみれながら捧げられることになる。

“Skhema”において子供たちはみな愚かである。だが愚かなのは彼らだけではない。子供を酒や金で釣り、搾取する大人がいる。タクシー内という密室で少女に言葉の暴力を投げ掛ける大人がいる。自分の子供が明らかに危険な目に遭っているのを知りながら、自身の事情にかまけ何もできない大人がいる。大人たちもみな愚かなのである。それはつまり人間という存在自体が救いようもなく愚かなのである。Sharipovは常にこの絶対零度の眼差しを崩すことなく、この世界においてそれらの避けがたい愚がどこへ行き着くかを見据えているのだ。

“Skhema”とは虚無である。そして徐々にこの虚無という言葉自体も生ぬるく思えてくるだろう。だが……終盤において私たちは何とも形容しがたい境地へとも導かれることになる。このどうとでも解釈できてしまう複雑微妙さ、これこそがFarkhat Sharipovという映画作家の底知れなさだと私は戦慄せざるを得ないのだ。

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