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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Ramon Zürcher&「ストレンジ・リトル・キャット」/映画の未来は奇妙な子猫と共に

全くもって突然だが、ここで超アートハウス指向でラインナップがキレまくってる配信サイトFandor、そのサイトのスタッフであるKevin B. Leeが挙げた、2014年長編デビュー作ベストを観てみよう(全て題名から予告に飛べます)

10位"At Li Layla" (イスラエル)監督 Asaf Korman
9位 "Obvious Child" (アメリカ)監督Gillian Robespierre(この記事で取り上げているので読んでね)
8位 "It Felt Like Love" (アメリカ)監督Eliza Hitman
7位 「マナカマナ 雲上の巡礼」(ネパール・アメリカ)監督ステファニー・スプレ&パチョ・ヴェレス
6位 "Butter on the Latch"(アメリカ)監督Josephine Decker
5位 「花咲くころ」(ジョージア・ドイツ・フランス)監督ナナ・エクチミシヴィリ&ジーモン・グロス
4位 "Historia del miedo"(アルゼンチン・フランス他)監督Benjamín Naishtat
3位 "Ha-shoter"(イスラエル・フランス)監督Nadav Lapid
2位 "Dear White People"(アメリカ)監督Jusitn Cimien
1位 "Das merkwürdige Kätzchen"(ドイツ)監督 Ramon Zürcher

どれもこれも何その映画、という感じだ。だがその中でも私は1位の"Das merkwürdige Kätzchen"にかなり興味が湧いた。何かただ家族の風景を取っているだけにこの求心力はなんだろうと。そう思ったのが2014年12月のこと、この時点では観る術が全くなく興味だけで終わっていたのだが、北米版iTunesの外国映画カテゴリーを見ているとこれがあった訳だ、じゃあ観るしかないだろう!と意気込んで鑑賞したら、これが、何と言うか、素晴らしかった……ということで今回はドイツ映画界の超新星Ramon Zürcher監督と、彼のデビュー作"Das merkwürdige Kätzchen"について紹介していきたい。

Ramon Zürcherは1982年スイスに生まれた。1行前にドイツ映画界とか書いたが、実は彼、スイス人である。何でドイツに行くかは後述するとして、双子の兄弟にはSilvanがいる(彼は後に"Das merkwürdige Kätzchen"で製作を担当)学校ではビデオ・アート、実験映画、パフォーマンス、更には絵画や写真についても学ぶ。そのうち彼は映画学校に通うことを決意するが、スイスには良い映画学校がないという理由で、ドイツ・ベルリンへ。そしてドイツ映画テレビアカデミーベルリン(dffb)に入学。かつては「プラスティック・ナイトメア」ウォルフガング・ピーターゼンや「東ベルリンから来た女」や「あの日のように抱きしめて」のクリスティアン・ペツォールトも在籍していた名門学校だ。*1ここで7年間、彼は映画について学びながら4つの短編を監督したが、転機はハンガリーの巨匠タル・ベーラのワークショップに通った時のことだった。

“彼(タル・ベーラ)はワークショップのため1ヶ月この学校にいました。会ったのは6,7回ほど。脚本は書き終えていましたがまだ撮影前で、ほぼプレ・プロ段階の時のことです。俳優、人相学、彼らの顔つきなどについても話しましたが、殆どはカメラについてです。(中略)彼はシャンタル・アケルマンの「ジャンヌ・ディエルマン」を観るよう言いました(中略)彼はplanimetric camera――カメラと壁の間に角度をつけない撮影法(説明難しいのでこの動画参照)で以て空間を捉えるやり方について教えてくれました”

監督はこうも語っている。“彼はフランツ・カフカの小説を幾つか渡してくれて、その中から「変身」を選びました。この作品をインスピレーションの元として使い(中略)そしてテキストを抜け出し私は旅立ったんです。そうして出来た作品は「変身」からは遠く隔たってしまいましたが”*2

そうして彼は長編デビュー作"Das merkwürdige Kätzchen"(英題:"The Strange Little Cat")を完成させる。

この映画が描き出すのはとある家族の1日の風景だ。朝、もう既に起きている者もいればやっと起き出す者もいる。その中でクララ(Mia Kasalo)はキッチンに響くミキサーの音に合わせてアーーーーーーーーーーーアッハアーーーーーーーーーーーと叫んだりと元気いっぱいだ。しかしそんな彼女に母(Jenny Schily)は渋い顔で眺める。そして久し振りに実家に帰ってきたクララの姉で皮肉屋なカリン(Anjorka Strechel)や人の好い兄のシモン(Luk Pfaff)が起き出し、キッチンにやってくる。更には父( Matthias Dittmer)に祖父(Armin Marewski)に変な乳首で変なヘソしたいとこのヨナス(Leon Alan Beiersdorf)にどんどん人が増えてくる。ある者はミルクを飲み、ある者はミキサーを動かし、ある者はオレンジの皮を剥き、家族が飼っているワンちゃんにネコちゃんもうるさく吠えたりテーブルに我が物顔で乗っかってくる……

この映画にストーリーらしいストーリーは存在しない。私たちの生きる日々にも似ているだろう日常が本当に淡々と綴られていく。それなのにこの映画は他に類を見ないほど奇妙であり、信じられないくらいの独創性に充ち溢れているのは、監督が“日常”という物に向ける眼差しの異様さにある。彼は家族の姿をカメラをある地点に固定&長回しで映しとっていく。先にもインタビュー抜粋という形で記したが、シャンタル・アケルマンの「ジャンヌ・ディエルマン」の撮影がこれに近いかもしれない。しかしこちらがジャンヌ・ディエルマンという存在の一挙手一投足を禁欲的に徹底的に描いていたのに対し、こちらが撮すのは家族だ。序盤は主にキッチンに集まる家族を描く訳だが、複数の人物の行き交いがそのまま撮されていく。ある人物が座っている時にある人物は歩いていて、ある人物が現れたかと思えばある人物が消える、フレーム内で誰も彼もが好きなことをやり、絶えずフレームインフレームアウトが繰り返される、それがずっと、本当にずっと続く。多くの出来事が同時に起こり続けるので、余りにも視覚的な情報が溢れすぎてどこに視線を落ち着ければいいのかが全く分からない、しかも監督の意地が悪いのは、戸惑う観客の心臓を絶対零度で鷲掴みにするような予測不可能性すら周到に用意している所だ。それを担うのがアーーーーーーーーーーーーーアッハアアアアアアアアアアーーーーーーの少女クララであり、のそのそ部屋をうろつきまわるネコちゃんである。正直、一瞬たりとも目を離していい時がこの映画には存在しない。

“冒頭からカメラを固定して撮影するのにこだわっていました。カメラを動かせば信頼性や真実味が生まれるなんて誤解が見受けられる時もありますが、私は日常の語り方に興味があったんです。手持ちカメラで描く日常というのはリアルに映るかもしれません、ある種ドキュメンタリー的な側面を持つことになりますから。しかし私は日常の世界を人工模型のように組み立てていきたかった、カメラを固定しそこに見える物全てを利用して話を展開させていきたかったんです”*3

更に洪水のように押し寄せるのは視覚情報だけではない。"Das merkwürdige Kätzchen"は音すらも私たちに押し寄せてくる。

“脚本は2つの色を念頭にして書かれました。スクリーンに映るものは全て黒、逆にスクリーンに映らないものは全て緑、つまり全てが音声のみで表現されている状況です。脚本を書くならば早い内から音声について考えておくことが重要でした。何故なら映画という媒体は視覚・聴覚に訴えかけるメディアであり、どちらも同じくらい大切だからです。音声について考えるのが早ければ早いほど、映画の出来に貢献してくれるという訳です”と語る。*4

先にも書いたクララの嬉しそうな叫び声に続いて、部屋をまたいで聞こえてくる洗濯機の音、窓の外から聞こえてくるおそらく工事の音、更に同じ部屋に家族が集まっていれば誰かが誰かに喋りかける訳で、話し声すらそこに加わる。こうなったらもう情報の氾濫は凄まじい。目と耳の両方をフル稼働させて情報を処理していきながら、映画が終わるのが先か、それともこっちの脳髄がへばるのが先か、これまでにないスリリングな映画体験が観客と監督の間で繰り広げられる。その合間合間、これに似ていたかもしれない体験を思い出すとしたならジャック・タチを置いて他にいないのではないかと思う。綿密に計算されたセットのなかで矢継ぎ早に繰り出されるネタの数々、何を見ていればいいのか分からない、何を聞いていればいいのか分からない、そして作品を鑑賞したあとにはどっと疲れがこめあげてくるが、もちろん不快なものである訳がなくむしろ素晴らしく心地が良い。つまりこの映画はシャンタル・アケルマンの禁欲性とジャック・タチの過剰さを両方とも持ち合わせた作品であり、それは矛盾としてではなく、光ある映画の未来として提示される。

再三書いているがこの"Das merkwürdige Kätzchen"はとある家族の日常しか描くことはない。だがこの日常の何てスリリングで、何て滑稽で、何て不穏で、何て魔術的で、何てリアルなんだろう!監督の瞳を通して観る日常は豊かさでいっぱいだ。だからこそ画面に行き交う人々を目の当たりにして、私たちは彼らが“生きている”と心の底から思うことになる。ドキュメンタリーだとかそういう意味ではなく、真の意味で彼らは今もまだあの日常を続けている、日々を生きているとそう思える。もう言ってしまいたいが、私はこの作品に映画の新たな可能性を観たんだよ本当に、映画という存在が今後歩んでいくだろう明るい未来を観たんだよ、本当に……

ということで熱くなったが、"Das merkwürdige Kätzchen"は本当に素晴らしい映画だった、マジで。インタビューで次の作品はと聞かれ“もう動き出してます”と答えていたので、監督の今後、絶対注目である。


ぼくたち双子です(どっちが監督だかは私にも分かりません)

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http://d.hatena.ne.jp/razzmatazzrazzledazzle/20150702/1435834874
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参考資料
http://filmmakermagazine.com/86974-animal-portraiture-an-interview-with-the-strange-little-cat-director-ramon-zurcher/(撮影)
http://cineuropa.org/ff.aspx?t=ffocusinterview&l=en&tid=2653&did=249144
http://www.takeonecff.com/2014/interview-ramon-zurcher(インタビュー)
http://indietokyo.com/?p=844(学校について)
http://www.filmcomment.com/blog/interview-ramon-zuercher/(タル・ベーラとのこと)

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