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映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Noah Buschel&”Glass Chin”/持たざる者、なけなしの一発

ボクサーのバド・ゴードン(ミッドナイト・イン・パリ」コリー・ストール)、昔は“ザ・セイント”とあだ名される元チャンピオンだったがその面影はもうない。仏教に凝っている恋人エレン(「31年目の夫婦げんか」マリン・アイアランド)を愛してはいるが“こんな筈じゃなかった”とそんな思いを振りきれないでいる。ある日彼は働いているボクシングジムで期待の新人キッド・サンシャインのトレーナーを任されるのだが、時を同じくして気鋭の実業家であるJ.J.(「君と生きた証」ビリー・クラダップ)にとある仕事を依頼される。彼の部下ロベルト(キャプテン・フィリップス」ユル・バスケス)についていって借金取りの用心棒として働いてほしいと言うのだ。YESともNOとも言わずに取りあえず言葉を濁すバッドだったが、否応なしにJ.J.の“仕事”に巻き込まれていく。

この映画をジャンルで括るならば“フィルム・ノワール”にカテゴライズされる類いの映画だろう。“フィルム・ノワール”そしてボクシング、この2つの言葉を念頭において上記のあらすじより先を思い浮かべるとしたら、予想する者の殆どが同じような道筋を思い浮かべるだろうし、実際この映画は堂々とその道を辿っていく。だが繰り広げられる風景の数々はどの人の頭にも浮かばなかったと断言できる。語るという行為に対し徹底的に真摯であることが出来たなら、良く言えば伝統的な、悪く言えば陳腐な物語の中に新しい地平が開けることを"Glass Chin"は教えてくれる。

劇中ではアメリカを示しだす様々な固有名詞が矢継ぎ早に繰り出されていく。例えばレナ・ダナムがクリエイターのHBOドラマ"Girls"、白人で初めてダライ・ラマに認められたという仏教学教授バート・サーマンソニー・リストンアンディー・ウォーホルウータン・クラン……これらの名は白々しいまでに“私たちはアメリカ映画を観ている”とそんな気分にさせるだろうし、バッドが生きる世界にもアメリカ映画好きにはお馴染みのNYのあの風景――降りしきる雪、深夜の街を照らし出すネオン――が広がっている。だが作品を見るうちに抱くあの違和感はんんなのだろう、確かにそこはNYなはずだ、なのに、何か一つボタンをかけ違えてしまったような、些細だがこの決定的な違和感はなんだ?と、私たちはそんな疑問に直面することとなる。

Bushel監督が“フィルム・ノワール”というジャンルに、NYという街に向ける眼差しは、他の作品とは一線を画す。殊更にカットを重ねたり、カメラをみだりに動かしたりすることはなく、被写体を真っ正面から映し出そうとする。固定、そして長回しシャンタル・アケルマンやコルネリユ・ポルンボユが世界を描こうとする時に用いる方法論に彼も同調している。この撮影がもたらすのは、現実と非現実の奇妙な混交だ。劇中で流れる時間をそのまま切り取ることでリアルを志向しながら、また、生きている限り一度も安定することはなく且つ瞬きという名のカットで以て常に断絶を繰り返す私たちの視界とは真逆の世界が立ち現れてくる。Bushel監督の経歴を踏まえるならば、これを禅的世界と呼ぶべきなのかもしれない。

そんな世界で語られるのは、しかし驚くほど単純な二項対立だ。大きく言えばその対立は主人公バドと実業家J.J.の関係に集約される。まずアナログとデジタル、今やiPodすら時代遅れになった時にウォークマンを使い続ける男と、iCloudに自分の人生の全てを保存したとのたまう男。そして普通さと異質さ。J.J.は自身がペットとして飼っている雪豹を奇妙に思い出しながらこう語る。「雪豹はこの世界で最も“普通”から隔たった存在だ。我々にとって不倶戴天の敵こそ“普通”なんだよ、“普通”の人々は“普通”のことしか成せない、洗濯機と同じだよ……だが、君はそんな人間じゃあない、そうだろ?」そんなJ.J.の異質さを、ビリー・クラダップは完全に体現している。出演時間は短いが、飄々たる余裕と圧倒的な存在感は映画に格調を織り込んでいく。そして持つ者と持たざる者の対立。J.J.は所有する、小洒落たバー、狂暴だが忠実な部下、アートギャラリー、2人の美女(1人は「インヒアレント・ヴァイス」ブレイク前夜のキャサリン・ウォーターストン)、そして人を殺すための駒……しかしバドが持つ物といえばアパートの一室だけだ、恋人エレンは勿論持つだとか所有するだとかそういう関係ではないからこそ彼にとっては希望であり、しかしその光すら陰りゆく。

そして追い込まれたバドがJ.J.に捨て身の反撃を繰り出すかと思えばそうではない、あるのは生々しい当惑だ。終盤に現れる崇高さすら伴う2つの長回しの中で、バドは惨めなほどに弱々しい姿を晒す。ここでこそコリー・ストールという俳優の秘めていた切実さが映画を動かし始める。彼は転げ落ちてゆく、静かに転げ落ちてゆく、転げ落ちてゆくことを止められない、だがちっぽけでなけなしの意地がある。転落のその時バドは、それでも持たざる者は生きていたという証を静かに、しかし強く観る者に刻みつける。


ということでいつだか出したキャサリン・ウォーターストンクイズの答えは"Glass Chin"でした。

私の好きな監督・俳優シリーズ
その1 Chloé Robichaud &"Sarah préfère la course"/カナダ映画界を駆け抜けて
その2 アンドレア・シュタカ&“Das Fräulein”/ユーゴスラビアの血と共に生きる
その3 ソスカ姉妹&「復讐」/女性監督とジャンル映画
その4 ロニ・エルカベッツ&"Gett, le procès de Viviane Amsalem"/イスラエルで結婚するとは、離婚するとは
その5 Cecile Emeke & "Ackee & Saltfish"/イギリスに住んでいるのは白人男性だけ?
その6 Lisa Langseth & "Till det som är vackert"/スウェーデン、性・権力・階級
その7 キャサリン・ウォーターストン&「援助交際ハイスクール」「トランス・ワールド」/「インヒアレント・ヴァイス」まで、長かった……
その8 Anne Zohra Berracherd & "Zwei Mütter"/同性カップルが子供を作るということ
その9 Talya Lavie & "Zero Motivation"/兵役をやりすごすカギは“やる気ゼロ”
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