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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

ガブリエル・マスカロ&"Boi Neon"/ブラジルの牛飼いはミシンの夢を見る

ちょっと前から三大映画祭の1つヴェネチア国際映画祭が始まった。今年もいつものように英米の評論家が流す映画評を読んで疑似的に映画祭を楽しもうかと思っていたら、なんとヴェネチア国際映画祭オリゾンティ部門で公開される15作品が配信され、家でも観れるのだという(詳しくはWebDICEのこちらのページを参照)そんな訳で、私、15作品中14作品のチケットを買ってしまった訳なのだ。ということで今回からは"今後期待の監督・俳優"ヴェネチア国際映画祭特別編として、私が好き嫌い関係なく、ヴェネチア国際映画祭に選ばれた世界の才能ある監督たちについて書いていこうと思う。

2003年、経済の低迷していたブラジルでルーラ政権が発足する。彼は飢餓ゼロ計画の一環として、最低賃金の値上げ、低所得層への手当“ボルサ・ファミリア”を創設するなど貧富の格差是正に取り組み、ブラジル経済は順調に回復を遂げていった。が、次第に都市部では家賃が高騰、インフレに物価上昇と約10年で経済は再びの停滞を迎える。フランシスコ・ガルシア監督「聖者の午後」はそんな停滞でもがき苦しむ若者の姿を描きだし、日本でも話題になったが、そんなブラジルの現在を冷徹な観察眼を以て描く監督がもう1人、特別編その1ではガブリエル・マスカロ監督と彼の最新長編"Boi Neon"を紹介していこう。

ガブリエル・マスカロ Gabriel Mascaroは1983年9月24日、ブラジルのレシフェに生まれた。ペルナンブコ連邦大学で社会的コミュニケーションについて学ぶ。卒業後はビジュアルアートを製作、MACBA, MOMA, Athens, サンパウロビエンナーレに出品されるなど広く評価されている。そして彼は2008年ドキュメンタリー"KFZ-1348"でMarcelo Pedrosoと共に映画監督としてデビューする。1965年にサンパウロで製造されたフォルクスワーゲン・ザ・ビートル、40年後のとある鉄屑置き場にKFZ-1348というナンバープレートの付いたその車が1台。この作品はKFZ-1348のオーナーとなった8人の人生を追うことでブラジルの40年を浮き彫りにしていくドキュメンタリーだ。そしてマスカロ監督はサンパウロ国際映画祭でSpecial Jury Awardを獲得することとなる。2009年にはリオデジャネイロサンパウロレシフェに住む富裕層へのインタビューを通じて階級、地位、権力を描き出すドキュメンタリー"Um Lugar ao Sol"、2010年には沿岸に作られる幹線道路の存在が住民の生活に影響を与えていく様を綴る"Avenida Brasilia Formosa"と現時点では唯一のアニメーション作品"As Aventuras de Paulo Bruscky"(予告観るかぎり、これヤバくない?感が否めないが……)、2012年には7人の若者が自身の家で働いている家政婦の姿を撮影、その映像をマスカロ監督が編集するという形を取った階級差についてのドキュメンタリー"Domestica"レシフェに生きる耳の聞こえない青年ロドリゴを追った"A Onda Traz, O Vento Leva"を監督した。

2014年マスカロ監督は初の劇映画"Ventos de Agosto"を手掛ける。Shirley(Dandara de Morais)は祖母の世話をするため故郷の小さな町へと帰ってきた。ココナッツ畑で働く彼女はロックとコカコーラが好きで、将来はタトゥー・アーティストになりたいと思っている。だが何か閉塞感を抱いているShirleyの前に現れたのはJeison(Geova Manoel Dos Santos)だ、死にとり憑かれたその青年に彼女は惹かれていく。しかし8月のある日、今までは静寂を守っていた自然が牙を剥き2人に襲いかかってくる。ドキュメンタリー製作で培われた観察的スタイルと若さや自然、そして時に対する叙情的な眼差しが混ざりあったこの作品はロカルノ映画祭を皮切りに、バンクーバー国際映画祭、ハンブルク映画祭で上映され、ロカルノではマルカノ監督がSpecial Mentionを、Brazilia Festival of Brazilian Cinemaでは主演女優、撮影賞を獲得することとなった。そして間髪いれず彼は2015年、第2長編"Boi Neon"を監督する。

ブラジル、特に北東部には“ヴァケジャダ Vaquejada”という文化が今も残っている。ヴァケジャダとはロデオの一種で、2頭の馬で牛を挟み込みながら小さな闘技場を駆け抜け、ラインを越えるまでに牛を豪快に引き倒す、そんな見世物文化のことだ。主人公のイレマール(「360」Juliano Cazarré)は物心ついた時からずっとこのヴァケジャダに携わっている。ドライバーでダンサーもやっているガレガ(「ブラジル、女医ヴェロニカの欲望」Maeve Jinkings)、彼女の娘でいつもイレマールを手伝ってくれるカカ(Alyne Santana)、ちょっと鈍臭いところもあるお人好しのゼ(Carlos Pessoa)たち、イレマールと血は繋がっていなくとも家族同然の彼らと共に牛のたくさん詰め込まれたトラックに乗り、あちらこちらとブラジル中の闘技場をめぐりつづける。

"Boi Neon"はイレマールたちの日常を本当に淡々と――しかし退屈などではない――描いていく。牛たちをケアし雄叫びでもってヴィケジャダへと送り出す、牛舎を洗いながら歌を唄い、カカとはアイスクリームは牛の脂肪から作るんだとそんな話をしたりする。監督がドキュメンタリー出身とあって、長回しを主体とした緩やかなカメラの動きを以てあるがままの風景に迫る、独特の眼差しが息づいている。だがあるのは写実性だけかと言えばそうではない、それと相反する叙情的な演出も監督は心得ていて、弛緩した日常に彼はハッと息を呑むような美しい――時には困惑するような――情景を描き出す。スポットライトのような光を浴びながらイレマールが馬と戯れる姿、馬のマスクを被りダンスするガレガ、トラックの行く先に広がる自然と人工物が奇妙に混ざりあった風景、マスカロ監督はドキュメンタリー作家でありながら優れた映像詩人でもあり、2つの要素が糾われ"Boi Neon"は無二の魅力を湛える。

ヴィケジャダに携わりながらも、イレマールには1つだけ夢があった、ファッション・デザイナーになるという夢が。彼は干潟に捨てられたマネキンの残骸を持って帰り、彼女に名前をつけ自分だけのファッション・モデルにしている。時々帰る自分の部屋にはピンナップが貼り付けられ、イレマールは黙々とミシンで布と布とを繋げてゆく。出来たドレスをガレガに誉められるとやはり嬉しくもある。そんなささやかな彼の夢はブラジルの今ともまた繋がってくる。今、ヴァケジャダという文化は衰退の一歩を辿っている。スペインでも闘牛が残酷だという理由で衰退していっているそうだが、ヴァケジャダもそうだ。この映画でも何度もヴァケジャダが映し出されていくが、馬によって牛が引き倒され砂ぼこりが舞う光景、私はこの映画で初めて見たがおおお……と思わず言葉が出てしまう、そんな暴力的な迫力があった。で、なぜヴァケジャダを映画で描こうと思ったかについて監督はこう語る。

“急速な経済成長という波の真っ只中で、この映画は現代のブラジル北東部――私が生まれ育ち、今も住んでいる場所です――における人間関係がどう理解されているか、それを政治的にも象徴的にも新しいものにしていこうという試みともなっています。“ヴァケジャダ・ロデオ”ブラジルの農業事業でも最も広く行われるイベントの1つですが、地方が今迎えている変化の寓話として見るに相応しいように思うんです(中略)“ヴァケジャダ”に携わって牛を運んだりイベントの舞台裏で働く牛飼いたちの人生を通じて"Boi Neon"が社会経済的な、そして文化的な変化へと光を当てられていたとするならこれほど嬉しいことはありません。この映画は身体、光、人々の生きる風景の移り変わりについての作品なんです”*1

ヴァケジャダという文化は野蛮だから無くなった方がいいだとか、伝統だから残すべきだとかいう問いはこの映画に一切存在していない。マスカロ監督は根っからの観察者であり、彼はヴァケジャダの今を、衰退しゆく文化の中で夢を抱く青年の姿を綴るだけだ。そしてその観察的スタイルゆえに、物語はどこへも収束していかない。何かに相応のオチがつくだとかそういうことは全くない。だからこそ映画は終わっても物語は終わらず、観客おのおのの心の中で広がりを得るだろう。"Boi Neon"は驚くほど淡々と今を描くが、その中にこそ豊かなる世界は見出だせるのだと力強く語ってくれる[B+]


参考文献
https://boxoffice.festivalscope.com/film/neon-bull
http://www.action-peli.com/cores/intro.html
http://www.murc.jp/thinktank/economy/analysis/research/report_140620

私の好きな監督・俳優シリーズ
その1 Chloé Robichaud &"Sarah préfère la course"/カナダ映画界を駆け抜けて
その2 アンドレア・シュタカ&“Das Fräulein”/ユーゴスラビアの血と共に生きる
その3 ソスカ姉妹&「復讐」/女性監督とジャンル映画
その4 ロニ・エルカベッツ&"Gett, le procès de Viviane Amsalem"/イスラエルで結婚するとは、離婚するとは
その5 Cecile Emeke & "Ackee & Saltfish"/イギリスに住んでいるのは白人男性だけ?
その6 Lisa Langseth & "Till det som är vackert"/スウェーデン、性・権力・階級
その7 キャサリン・ウォーターストン&「援助交際ハイスクール」「トランス・ワールド」/「インヒアレント・ヴァイス」まで、長かった……
その8 Anne Zohra Berracherd & "Zwei Mütter"/同性カップルが子供を作るということ
その9 Talya Lavie & "Zero Motivation"/兵役をやりすごすカギは“やる気ゼロ”
その10 デジリー・アッカヴァン&「ハンパな私じゃダメかしら?」/失恋の傷はどう癒える?
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その14 Riley Stearns &"Faults"/ Let's 脱洗脳!
その15 クリス・スワンバーグ&"Unexpected"/そして2人は母になる
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