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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

アンドリュー・ヒューム&"Snow in Paradise"/イスラーム、ロンドンに息づく1つの救い

映画にとって編集は重要だ、時によっては撮影や音楽よりも。シーンとシーンを繋ぐ編集はそのまま映画全体のリズムを決める、余計な部分を容赦なく切り捨てれば勢いよく物語は進む、むしろ余計な部分をそのままにして意図的な間延び間を生み出すことで逆に魅力を放つ作品だってある、この案配は重要だ、編集のリズムを誤れば全く救いようのない廃棄物の出来上がり。そうして編集の巧拙は映画の出来を左右する訳だが、そんなこと思いながらまたこんなことも思う、そういえば編集技師から映画監督になった人ってどのくらいいるの?と。

一番有名なのはウォルター・マーチだろう、地獄の黙示録などのフランシス・フォード・コッポラ諸作やイングリッシュ・ペイシェントなどを手掛けた巨匠はオズの魔法使いの続編「オズ」という作品を監督してもいる……のだがこれ一本だけで他は脚本か音響編集のみ。あとは……あと、いる?って感じだ。あれだ、金がないインディー監督が予算削減のため撮影とかと兼任して編集もやってるとかはノーカウント、少しは他のことやっているとしても編集が主な仕事の奴、それで思いつくのはというと、以前このブログで取り上げた"Tu dors Nicole"の監督であるステファーヌ・ラフルールである。「ぼくたちのムッシュ・ラザール」も担当している彼は編集技師としてキャリアを積んでから2007年の長編デビュー作"Continental, un film sans fusil"から本格的に映画監督の道を歩み始めたのである。で、他には……………………

と思ったら、こんな"編集から映画監督になった12人の人物"というページがあって、ロバート・ワイズとかデヴィッド・リーンとかジム・スタージェスとか錚々たるメンバーが並んでいた、これじゃ編集から映画監督になるって珍しいよね〜ということで今回は云々かんぬん、って前提が台無しだ。こうして無知を晒してしまった所で改めて行こう、ブリテン諸島映画作家たち第3弾は、編集技師から映画監督となったアンドリュー・ヒュームと彼の監督デビュー作"Snow in Paradise"を紹介していこうと思う。

アンドリュー・ヒューム Andrew Hulme は1964年にスコットランドに生まれた。彼の家庭は厳格なクリスチャンの家庭だったが、大人になってからはその信仰を捨てたという。リーズの美術大学で学び、映画界で編集技師としての活動をスタートさせる。ヒューム監督のフィルモグラフィを見てみると分かるのが、彼はポール・マクギガン監督と共にキャリアを積み上げてきたということだ。

アーヴィン・ウェルシュ原作でマクギガンの監督デビュー作「アシッド・ハウス」がヒュームの長編デビュー作でもあり、そこから「ギャングスター・ナンバー1」「仮面の真実」ホワイト・ライズ「ラッキーナンバー7」に何故か「PUSH/光と闇の能力者」(ていうか、私も観てない)だけは除いて、最新作"Victor Frankenstein"まで彼の映画作品をほぼ全て手掛けているのだ。マクギガン監督はどんでん返しなどギミック重視の映画作家だと思っていて「ギャングスター・ナンバー1」なんかはこのクリップの流れが絶品、「ラッキーナンバー7」も初見時は完全に騙されてヒュームの編集の手の内だった訳だが、彼の妙技を1番豊かに味わえるのは「ホワイト・ライズ」だろう、とにかく検索する前に、唯一予告を張っていないのだが、予告を見る前に観よう、とにかく、主演は今を全くときめかないジョシュ・ハートネット、共演はダイアン・クルーガーローズ・バーンと結構豪華だ。そしてアントン・コービン「コントロール」「ラスト・ターゲット」も手掛けており、その編集の手つきは緩急自在といった感じだ。そんな監督、実は音響編集も手掛けており、そういう意味ではウォルター・マーチを継ぐ存在、というのは言い過ぎかどうか、ここからは彼の監督デビュー作"Snow in Paradise"のレビューに入っていこう。

デイヴ(「名もなき塀の中の王」Frederick Schmidt、これがデビュー作)はガラス越しにカフェでくつろぐ人々を見つめる。「あいつらと俺とは違う人間なのか?」そう友人のタリク("My Brother the Devil" Aymen Hamdouchi)――パキスタンの移民2世でイスラム教徒、ここが重要だ――に喋りかけるがつれない反応だ。デイヴはガラスを拳で叩きながら向こうの人々に吐きかける、ここで俺は生きてるんだよ!

そして2人はドライブに出掛けるが、それには目的がある。後部座席にはバッグが1つ、タリクがそれを開くと中には袋に包まれた麻薬の数々、つまりは運び屋の仕事、デイヴの叔父であるジミー(Martin Askew)が指定した先に届けろとの命令だった。相手と一触即発の状況に陥りながらも何とか取引を無事に終えたデイヴたち、タリクは「もうこんな仕事降りてやる!」と泣き言を吐き捨てながら帰っていくが、デイヴは車に残る。運転席の下には一袋分の麻薬、ナイフで封を開け、彼はヤクの夢の中へとまどろむ。

デイヴとタリクの下らない駄弁りが一瞬止まり、フロントガラスの空白に現れる"Snow in Paradise"というタイトルに、もしかしたなら古きよき犯罪映画の紫煙を嗅ぎとる人も多いかもしれない。赤みがかった画面――それへの既視感は同じく70年代を指向していた"Queen of Earth"に抱く物と同じだ――に紡がれるのは、ガイ・リッチー以降の英国産犯罪映画が映す類いの心躍る暴力ではなく、懐かしくテンポで進行していく禍々しい何かだ。 今あるギャング映画と何処か違う、そう漠然と思いながら、しかし、時系列を無視して挿入されるデイヴの鍛練風景、タリクが口ずさむ軽快なライムの数々、謎めいた男ミッキーの存在、そして陽光の屈折に歪みゆく画面……今あるそれとは違うがかつてあったそれとも違っている感触を湛え、歩くような早さで物語は進んでいく。


Frederick Schmidt、茶髪に合わせて顔の一部がマイナーチェンジしたアダム・ドライヴァーって感じ。
監督は彼についてこう語る。“Schmidtは今まで演技をしたことはありませんでした。元々は美術の専門家であり、上司と口論した後、イライラした様子でタバコを吸いに来た所を捕まえてオーディションに招いたんです。かなりナーバスな様子でしたが、彼の中には私たちの求める何かがあったんです。それでしばらく演技の勉強をしてもらって後はご覧になった通りです。彼の演技は素晴らしかった!

麻薬と酒、そしてテレーズ(Claire-Louise Cordwell)という女とのセックス、デイヴはそんな無意味な日々を過ごしていたのだが、ある日ジミーから再び仕事の依頼を受け、タリクを呼びつけるのだがずっと留守電だ、しかしそんな時彼のに送りつけられたのはスーツケースだ。何か危険を感じながら自宅へとそれを持って帰る。そしてシャワーを浴びながら再び電話をかけると、近くから耳慣れた音楽が聞こえてくる、音の鳴る方へと近付いていくと、そこには紺色のスーツケースがある――ここにはルールがあるんだよと、そんなジミーの声がデイヴの脳髄に響き渡る。

狂気がデイヴの元へと訪れる時、ヒューム監督のディレクションは鋭くなっていく。デイヴはコカインに溺れ始め、現実と妄想の区別がつかなくなる、そんな光景を監督は錯綜する編集によって画面に焼き付ける。画面は屈折の歪みを増していき、サックスの音色はアヴァンギャルドな響きに身を捩らせ、デイヴの憔悴とFrederick Schmidtという俳優の抱く焦燥感は重なりあい、物語がフルスロットルの狂気で疾走する、中でも3つの時間軸が交わり合い、1つの過ちへと収斂していくシークエンスは監督の編集技師としての才覚が光る瞬間だ。だがこそのまま突っ走るかと言えばそうではなく、物語は大きく、大きく転換していくこととなる。

デイヴをその場所へと導いたのはタリクの魂だ。裸足で入らなければならないモスクへとデイヴは足を踏み入れるが、彼を迎えるのはアムジャド(Ashley Chin)という男だ。最初デイヴはイスラム教という物に反発するがアムジャドの教えがその固定概念をゆっくりと解していく、そして友を失った心を平静へと導いてくれる存在が何であるかをデイヴは知る。そう、"Snow in Paradise"は途中からモロに宗教映画と化すのだ。宗教的な洞察や哲学的な問いが映画を満たしていく、この大きすぎる転換に胡散臭さを感じ、拒否反応を覚える者は必ずいるはずだ。

私の考えを書くと、今までディートリッヒ・ブルッゲマン「十字架の道行き」ジェイク・マハフィー"Free in Deed"をレビューした時に書いたので覚えている方もいるかもしれないが、この"Snow in Paradise"は広義の意味において、イスラムバージョンの"Faith-Based Movie"、つまりイスラム教を信仰すれば救われるよ映画であるとは思う。だがアメリカで流行っているキリスト教版"Faith-Based Movie"とは違い、こちらに対して私は肯定的な立場をとりたい。理由は幾つかある、

まず1つ、イスラム教(徒)は9/11を引くまでもなく、自爆テロや聖戦という言葉が一人歩きし、世界にとっての絶対悪と見なされがちだ。それを利用して映画は気軽にイスラム教徒を悪の権化的に表象させ、そのイメージを広めていく。こういう状況がある中で、主人公を救いに導く存在としてイスラム教を肯定的に描くことはそれだけでも意味がある。そして2つ目、このイスラム教の存在は劇中の舞台であるロンドンに多くの文化が息づいている証左として描かれる、イザベル・コイシェ監督の諸作がそうであるように多文化社会の一側面にデイヴは触れて、それを理解し、そして救いを得るとキチンと段階を踏んでいくのだ。3つ目はイスラム教によってもたらされる洞察や問いが映画の完成度に寄与していることだ。これはジミーを演じるに加え脚本も執筆したMartin Askewの功績もあるだろう。彼は映画界に足を踏み入れる前、実際ストリートギャングに属していて、そんな彼を救ったのが正にイスラム教だった、つまりこの作品はAskewの実体験を元にした作品なのである。正直、正直に言えば何の宗教も信じていない私としては胡散臭さも否めない、だが監督の才覚がそれを補って余りある、今までの犯罪映画とは一線を画した映画であることもまた確かだ。

"Snow in Paradise"は私たちを思いもかけぬ場所へと導いていく。そして今まで考えもしなかったような数々の事象について、考えを巡らすきっかけを与えてくれる筈だ。[B]

参考文献
http://www.standard.co.uk/goingout/film/interview-andrew-hulme-on-his-directing-debut-snow-in-paradise-9374306.html(監督・製作者インタビュー)
http://www.asff.co.uk/interivew-director-andrew-hulme-snow-in-paradise/(監督インタビュー)

ブリテン諸島映画作家たち
その1 Cecile Emeke & "Ackee & Saltfish"/イギリスに住んでいるのは白人男性だけ?
その2 Sally El Hosaini&"My Brother the Devil"/俺の兄貴は、俺の弟は
その3 Carol Morley&"Dreams of a Life"/この温もりの中で安らかに眠れますように