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映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

ヨルゴス・ランティモス&"Kinetta"/人生とは、つまり映画だ

男と女と、そしてカメラマン。3人が空き地に集い、始まるのは何かのリハーサルだ。"女は男の頬に平手打ちを喰らわせる"という声が響くと、女は男の頬に平手打ちを喰らわせる。"男が女を掴み揉み合いになる"という声が響くと、男が女を掴み揉み合いになる。"女は右足を使って男の腹を蹴る"という声が響くと、女は右足を使って男の腹を蹴る。"女は走って逃げるが男に追い付かれてしまう"という声が響くと、女は走って逃げるが男に追い付かれてしまう。"女は再び走って逃げるが男に追い付かれてしまう"という声が響くと、女は再び走って逃げるが男に追い付かれてしまう。カメラマンはそんな2人の姿を撮影する。そしてカメラはそんな3人の姿を撮影し続ける。

前代未聞のムーブメント"ギリシャの奇妙なる波"の幕開けとなった作品籠の中の乙女そして"Alpeis""The Lobster"などを手掛け話題を集めるヨルゴス・ランティモス監督、だが1つ書くべきなのは「籠の中の乙女」は彼のデビュー作である訳ではないということだ。"Kinetta"、2005年に彼が産み出した映画の名だ。ここには"ギリシャの奇妙なる波"の兆し、その全てが詰まっていると言ってもいい。

映画は冒頭に挙げた3人の男女を中心に進んでいく。だが3人には役名が存在しない故に便宜上、男(Costas Xikominos)、女("Attenberg" Evangelia Randou)、カメラマン(Aris Servetalis)として話を進めていこう。カメラマンは写真屋で働いていて、代わり映えもない日々を送り続けている。女はホテルの清掃係をしている、彼女の日々もまた虚ろなものだ。男は杳として身分が知れないが、ただ1つハッキリしていることはBMWに対して言い知れぬ欲望を抱えていることだ。そんな3人は人気のないホテルの敷地内である映画を、正確に言えば映画のワンシーンを撮影している。空き地で、海岸で、声を上げながら、無言で、そのままの服で、土で汚れた服で、男が女を襲うシーンだけを延々と撮影し続ける。

この撮影風景と3人の日常で映画は構成されているのだが、何か事件が起こる訳ではなく、何故こういったシーンを撮っているかという背景も明かされることない、つまり物語性は全くゼロに等しいのだ。撮影監督であるThimios Balatakisによる、手振れを強調したドキュメンタリー的なアプローチも相まって、この"Kinetta"は起こったことを起こった順に編集で繋げてそれを映画として提示したとそんな生身の感覚を宿している。

その一方で妙なのは、主要人物である3人には実在感をほとんど感じられないということだ。"男が女を襲うシーン"を演じている時は勿論のこと、カメラマンがイヤホンをつけながら墓場に佇む、女がゼリーをゴミ箱に捨て段差に座り込む、男がBMWの値段をディーラーに朴訥と問いただす、そんな彼らにとっては日常の風景である筈の場面に嘘臭さを感じる、演技をしているという態度がひどく露骨なのだ。ドキュメンタリー的カメラワークと完全に対立するこの要素は、映画の破綻を意味するかと言えばそうではなく、むしろある1つの仮定を導きだす。生きるとは演じることと同じではないか?

社会学者の言葉をいちいち引くまでもなくこの仮定は様々に議論されているが、ランティモスは映画というメディアを以てこの仮定への洞察を深めていき、徐々に3人の存在意味も浮き彫りとなっていく。男は"生きる=演じる"の信奉者であると同時に、この仮定に誰かを縛り付けることで何者かの神になることを画策している。文章冒頭に記した声の主は彼だ、劇中で同じ言葉を録音している姿が映し出されるが、その時男は不気味な笑顔を浮かべている。対して女は、最初は男の言われるがままでありながら、段々と仮定を拒む者として描かれるようになる。ここに「籠の中の乙女」でも反復される世界に内在する男→女の支配構造が浮かびあがってくる。

ならカメラマンはどういう立ち位置にいるかと言えば、彼は2人の中間にある存在だ。男に従いながらも女に惹かれ、"生きる=演じる"に疲れながらもここから逃れる術が分からない宙吊り状態。そして彼は女が支配を逃れようとする姿の傍観者であり、それはこの映画を観る私たちの視線と重なりあう。カメラマンは女が自身を痛みで苛む姿を目撃する。延々と反復を繰り返す人生の中で彼女には赤い血と痛みだけが唯一の救いともなるという悲鳴。こうして3者が絡み合い、物語は終りへと向けて静かに転がり落ちていく。

"Kinetta"には他とは一線を画する突飛な設定、男性→女性への支配構造など後のランティモス作品に通じる要素が詰まった作品だ。そしてこの作品は私たちに痛烈なメッセージを叩きつけることともなる。人生とは映画と同じだーーその作品は苦痛を伴うほどに退屈なものだが[B+]