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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

チャイタニヤ・タームハネー&「裁き」/裁判は続く、そして日常も続く

2015年の中頃、ロニ・エルカベッツ監督作"Gett"というイスラエルの法廷映画を観た。レビューを書いているので詳しくはこちらの記事を読んで欲しいのだが、今作は主人公の女性が夫と離婚するために裁判へと望むが、ユダヤ教の戒律に則った裁判がいかに女性差別的でいかに人々を疲弊させるかを身を以て体験する様を描いた作品で、ランタイム120分中の9.5割は裁判を繰り広げている、正に離婚調停版マッドマックス 怒りのデス・ロードといった凄まじい代物だった。

そして昨日、あるインド映画を観た。つい最近、新感覚インド映画と題したインド映画ガイドブックも読んだのだが、その作品は間違いなくその新感覚インド映画の系譜にある作品であり、それどころか映画界の新世代を代表する作品だろコレ!くらいの確信を抱かせるくらいに素晴らしき映画だった。ということで今回は"Gett"が陽ならこちらは陰といった異色の法廷映画「裁き」とその監督チャイタニヤ・タームハーネーについて紹介していこう。

チャイタニヤ・タームハーネーは1987年3月1日、インドのムンバイに生まれた。17歳から演劇に親しんでおり、執筆した戯曲は幾つもの賞を獲得するなど若い頃から既に才能を発揮していた。Mithibai大学では英文学を専攻していたのだが、在学中の2006年に早くも初長編であるドキュメンタリー"Four Step Plan"を友人のSudeep ModakSamir Lukkaと共に監督する。内容はボリウッドがいかにして他国の映画をパクってきたかで、例えばサンジャイ・リーラー・バンサーリー監督の"Black"アーサー・ペン「奇跡の人」を、ラケーシュ・オームプラカーシュ・メヘラー監督の"Rang De Basanti"ドゥニ・アルカン「モントリオールジーザス」をパクっているだとかetc.....その量はかなり莫大だそうで、これを通じてタームハーネー監督はボリウッド著作権法が軽視されている実態に切り込み、議論を巻き起こしたそうだ。この時で19歳、末恐ろしい存在である。

そして2011年には単独での初監督作である"Six Strands"を手掛ける。舞台はとある人里離れた丘陵、そこで1人の女性がある茶葉を栽培していた。この茶葉から作られる紅茶の美味といったら極上のもので、瞬く間に有名となるのだったが……というミステリードラマでインド本国以外でも、スラムダンス映画祭で上映され話題になる。そして2014年には初長編「裁き」を監督することとなる。

とあるアパートの一室、床に座って一生懸命勉学に励んでいるのは十数人もの子供たちだ。そして窓辺の台には白髭を蓄えた男が腰を据えており、子供たちに地理を教えている。そして教師としての仕事を終えると、男はある場所へと向かう。カメラはそんな彼に近付こうとはしない、街を歩く、バスの座席で電話をする、そんな姿を一定の隔たりを以て映し出す。それはまるでカメラがインドに生きる人々や息づく空気を捉えようとしていた所に、たまたま男が映り込んでしまっているとでもいうように。

男の目的地は、野外のコンサート会場だった。司会者がナラヤン・カンブレ(Vira Sathidar)という名を叫んだ時から、その幕は上がる。歌声は高らかに響き、彼の心の言葉を伝える。真実は声を失っている!今こそ敵を知る時だ!今こそ敵を知る時だ!巨人は赤子に、赤子は巨人に!……このコンサートの模様をも私たちは遠くから眺めることとなるが、画面の端から現れ、続々と数を増やしていく者たちの存在にも気付くこととなる。

そして次に映されるのはヴィネイ(Vivek Gomber)という人物、弁護士であるヴィネイは警察署の一室に通され、被告人であるナラヤンの罪状を聞くこととなる。先日、下水労働者の死体がムンバイのマンホールの中から発見された。調査では男の死は自殺と見られる。この自殺の原因が被告のナラヤンである。彼は自殺を扇動するような歌を男に披露し、悲劇は起こってしまった云々かんぬん。数日後ヴィネイは下級裁判所へと赴き、法廷に立つ。「裁判官、こちらは被告人の釈放を求めます」「それは認められない」30秒ほどで裁判は終わる、ヴィネイは車で家に帰る、ヴィネイは書類に目を通しながらご飯を食べる、仕事しながら食事するんじゃありません!と母がキレる、うるさい黙っててくれ!とヴィネイもキレる、母さんになんて口の聞き方をしてるんだ!と父がキレる、3人が互いにキレまくり食事どころではなくなる。

"法廷劇"を期待していた人々は、物語の奇妙な舵の取り方におそらく当惑するしかないだろう。なんだ、何で裁判が始まったと思ったら1,2分で終了してるんだ、それから何で自分は彼女がいるとかいないとかいう話題を親に振られてブチ切れている弁護士の姿を観ているんだ、自分はなんか違う別の映画を観ているのかと。いや、あなたが観ているのはチャイタニヤ・タームハーネー監督作「裁き」で間違いない。そしてこの映画の魅力は正にこの当惑の中にこそ存在しているのだ。

この映画の構成を詳細に眺めてみると、短い時は1,2分ほどしかない裁判シーン→裁判に関わっている人々の日常(最低でも5分以上)→短い裁判→長い日常→短い裁判→長い日常……と"法廷劇"としては有り得ない構成になっているのが分かる。私たちが目撃するのは、裁判終わりにヴィネイが店へ酒を買いに行く姿、裁判終わりにヴィネイと敵対する検事のヌタン(Geetanjali Kulkarni)が幼稚園に息子を迎えに行く姿、そんなありふれた市井の風景だ。それでいながら此処にはやはり距離がある、タームハーネー監督は彼らを固定カメラ&長回しという動物の生態を観察するような形で捉える、これは正にミヒャエル・ハネケ的な演出法と言っていいだろう。

だがハネケにあってタームハーネーにある重要なものが真顔(deadpan)のユーモアセンスだ。劇中ヴィネイが何処かの教室で講演を行うシーンがある。インド警察の堕落を象徴する"3度逮捕された男"についての話をするのだが、いきなり扇風機を持った用務員が教室を横切り、ヴィネイは何となく居心地が悪くなり講演がうやむやになり、用務員が出ていくまで待つ羽目になる。そんな何だか下らないシーンを監督は真顔でカメラに焼き付け続けるのだ。つまり私たちが観たいと思うシーンはそんなに映さない代わり、私たちが別に観たいとは思っていないシーンは嫌がらせのように延々と見せつけるのだ。ここもハネケ的と言えるが、これを観るあなたの顔にニヤニヤが浮かんでいたとしたら、あなたはもう既に監督の術中にハマってしまっている(って、前もこれと同じこと書いた気がして調べたらジョン・ワッツ監督の"Cop Car"レビューで正に同じ文を書いていた。だが演出はかなり似通っているので「裁き」のレファレンスとして今作を挙げておきたい)

そしてこの映画が更に優れている所はだ、裁判シーンの短さがテーマの根幹、つまり"いかにインドの法システムが腐敗しているか"に直接関わってくる所だ。裁判の短さは編集によって削られている訳ではなく、実際の裁判が余りに短いのをそのまま撮しているまでなのだ。ナラヤンが証言をして反対尋問が行われる、はい今日はこれで終わり、次は1か月後ね、そして1か月後、ナラヤンが被害者の仕事場近くで歌っていたのを目撃したという証人の話を聞く、はい今日はこれで終わり、次はまた1ヶ月後ねとこの繰返し、事件を解決しようという向きは全くない、事務的に裁判は処理され、それでいてナラヤンの状況は明らかに悪化していく。まるでインドという舞台ででカフカの「審判」が上演されているといった風に。

そして恐ろしいのは、ランタイム116分の内でナラヤンが画面に映るのは30分にも満たないという事実だ。特に勾留されている時の彼の姿は法廷に召喚された時以外ほとんど伺い知れない。ヴィネイたちの日常は嫌というほど目にしているのにだ。裁判はナラヤン不在で適当に行われ、月日は異様なほど軽く過ぎ去っていく。この全く諸行無常たる時間の流れにこそ監督の主張がある、誰かがそれぞれの日常を送るその裏で、社会によって人権を踏みにじられている者がいる、それに目を向けていかなくてはならないという力強い意思が。

「裁き」は社会の腐敗とそんな場所で生きる人々のありままの姿を、ドライなユーモアと底冷えするほど明晰な時間の感覚と共に描き出す珠玉の一作だ。この作品のみでチャイタニヤ・タームハーネーはインドどころか世界において、新世代の映画作家を代表する才能として躍り出たと言える。

「裁き」はヴェネチア国際映画祭オリゾンティ部門で上映、いきなり作品賞と新人監督に与えられるルイジ・デ・ラウレンティス賞をW受賞という快挙を果たし、その勢いに乗り香港アジア映画祭で新人監督賞、シンガポール国際映画祭ではアジア長編映画部門監督&作品賞、ムンバイ映画祭で作品賞を獲得し、更にはアカデミー外国語映画賞のインド代表に選出、正直言えばこれに是非とも獲って欲しいと思うほど私は惚れ込んだ。現在28歳、いやいや末恐ろしい存在だよ、本当に。ということでタームハーネー監督の今後に超超超期待。

参考文献
https://www.festivalscope.com/director/tamhane-chaitanya(監督プロフィール)
http://www.dnaindia.com/entertainment/report-a-four-step-plan-to-plagiarise-1071513(デビュー作について)
http://www.indiewire.com/why-court-writer-and-director-chaitanya-tamhane-doesnt-think-you-can-judge-his-intentions(監督インタビュー英語版)
http://www.focus-on-asia.com/films/1050/(監督インタビュー日本語版)

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