鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Zeresenay Mehari & "Difret"/エチオピア、私は自分の足で歩いていきたい

さて、エチオピアである、あなたはエチオピアについてどのくらい知っているだろうか。私はアフリカ大陸にあるということしか分からなかった、いや本当に。調べると何かエチオピアエチオピア暦という独自の暦法が採用されており、1年が13ヶ月もあるらしい。さて、今回紹介する映画はだ、このサイトでは何度も取り上げている"誘拐婚"という因習を描き告発する作品"Difret"とその監督Zeresenay Mehariを紹介していこう。

Zeresenay Mehariエチオピアを拠点とする映画作家だ。幼少期をエチオピアで過ごすが、映画について学ぶためアメリカへと移住、ロサンゼルスの南カリフォルニア大学映画芸術学部に入学する。その地でTV番組"Backstory""History vs. Hollywood"などでプロダクション・アシスタントを務めたり、CMを製作するなど映像作家として活躍する。そしてエチオピアアメリカを行き交いながら、制作会社Haile Addisを設立、"Lelia"(2006)や"Africa Unite"(2008)などを製作するなどしていた。

映画監督としてのデビュー作はロサンゼルスで手掛けた短編ドラマ"Coda"だ。主人公は小説家志望のジュリアという若い女性、初めての長編を執筆するために怪しげなアパートへと引っ越してくるのだったが……という作品でパン・アフリカ映画祭で上映された。そして2014年には母国のエチオピアで実際の出来事をモデルにした初長編"Difret"を手掛ける。

1996年のエチオピア、とある学校の教室、教台の前で渋い顔を浮かべる少女が"Difret"の主人公ヒルット(Tizita Hagere)だ。時間と速度についての問題が間違っていると友達の前で訂正され、おかげで彼女は恥をかいてしまったのだ。しかし学校が終わればこっちのものだ、浮かない顔だった彼女にも笑顔が浮かび、ヒルットは家に向かって風のように駆け出す。そんな彼女の元に馬を駆り現れるのは数人の男たち、嫌がるヒルットを拉致し、何処かへと連れ去っていってしまう。

ヒルットの村から30kmほど離れた場所に位置するのがエチオピアの首都であるアディスアベバ、弁護士であるマーザ(Meron Getnet)は夫からのDVに苦しむ人々など弱い立場に追いやられた女性たちを助けるために日々奔走していた。そんな彼女の元に15歳の少女が結婚相手を殺害したという案件が飛び込んでくる。容疑者はいわゆる"誘拐婚"の犠牲者で、誘拐の後にレイプされるも、隙を見計らって男が置いていった銃を盗み逃走、再び捕まえようとする男を殺害したのだという。明らかに正当防衛でありながらも人々は彼女を殺人者だと告発し、憎悪の渦が広がっていく。そして警察に保護されていた被告人の少女ヒルットと対面したマーザは彼女を憎悪から救い出すことを決意する。

ヒルットの暮らしていた村の人々は一連の事件についてこんな声を上げる。私の息子はただ結婚したかっただけなのに、誘拐婚は私たちの伝統だ、ネクタイを着けた町の奴らが俺たちの伝統をブッ怖そうとしてる、そして議論が白熱する最中に男たちの口から放たれるのは殺せ!という憎悪の塊だ。こうした"伝統"という建前の元に弱き者の人権を蹂躙する行為を内部から、そして外部からも鋭い批判を向けること、これは確実に人々の生きづらさを是正する力として"Difret"は機能する。

ヒルットのため立ち上がるマーザだったが、そそりたつ壁は大きく分厚いものだ。いくら少女とはいえ殺人犯であるからと、警察はヒルットを収監し続け、男たちに傷つけられていた彼女は更に衰弱していく。裁判においても目撃者の不在や少女の年齢の不明瞭さ、そもそも裁判官が伝統の側に心を傾けており、マーザ側が不利なのは日を見るよりも明らかだ。ここに息詰まるスリルは殆どない。代わりに淡々と、しかし確実に首は真綿に締められていくと、そんな伝統という名の大いなる闇がマーザたちを押し潰そうとする光景が映し出されていく。

その中でマーザは釈放を勝ち取り、ヒルットは一時的にアディスアベバで過ごすことになる。自然の中に息づいていた村とは何もかも違う光景がこの都市には広がっている。道を行き交う人々に車の数々、マーザの家には見たことのない家具に見たことのない食べ物。そしてやはりヒルットとマーザでは価値観も違う。自分よりも十何歳も年上のマーザが独り身なのが彼女には信じられない、村では十代で結婚するのが当然であり、妻/母として生きていくことがまた当然なのだと。そしてマーザ自身もまたこういった価値観が根強かった村に生まれ、そこから脱け出したサバイバーなのだと分かってくる。この細やかな、温もりある交流が物語に深みを与える。

そしてマーザは誘拐婚という名の闇を振り払うために、エチオピアという国そのものを相手取り、正義とは何かを問う。"Difret"の力強さは、エチオピアに存在してしまっている"誘拐婚"という因習を告発し、変えていかなければならないというMehari監督やこういった問題に対して積極的にコミットしているプロデューサーのアンジェリーナ・ジョリーらの意思に支えられていると断言できる。シンプルだが、だからこそストレートに観る者の心に響く強さがここにはある。

劇中、ヒルットが村にいた時と同じようにベッドではなく床で眠り、そして家族が恋しいと涙を流す印象的なシーンがある。どうして私がこんな目に遇うのだろうとそんな悲哀の滲む表情が、ヒルットの顔には張り付いてる。"Difret"はそんな彼女が世界に対して"自分の足で歩いていきたいから"とそう胸を張って言えるようにまでの物語だ、2人が灯した希望は闇を振り払いエチオピアを暖かく照らしていく。

"Difret"はサンダンス映画祭でプレミア上映、インターナショナル部門の観客賞を獲得する。その後はベルリン、シドニーエルサレムロカルノリオ・デ・ジャネイロなど世界中の映画祭で公開され高く評価された。ということでMehari監督の今後に期待。

参考文献
http://www.difret.com/(映画公式サイト)
http://blogs.indiewire.com/shadowandact/interview-director-zeresenay-mehari-on-difret-and-creating-a-complex-ethiopian-narrative-20141212(監督インタビュー)

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