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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

コルネリュ・ポルンボユ&"A fost sau n-a fost?"/1989年12月22日、あなたは何をしていた?

ということで、ルーマニア映画である。現在映画界のトップをひた走る国が何処かと聞かれたら、私は真っ先にルーマニアだろ!と答えるくらいルーマニア映画は好きなのだが、いかんせんルーマニア映画は観る機会が全くなくて、かと言ってクリスティアン・ムンジウとかもう既に日本で作品が公開されている監督を紹介しても別にって感じなので今までブログに書くことはなかった。だがとうとう私が一番好きなルーマニア人監督のデビュー長編を観る機会に恵まれた訳だ。なので今回はルーマニア、いや世界の最先端を行く映画監督Corneliu Porumboiuと彼のデビュー作"A fost sau n-a fost?"を紹介して行こう。

コルネリュ・ポルンボユ Corneliu Porumboiuは1975年9月14日ルーマニアのヴィスルイに生まれた。ブカレストの演劇映画アカデミーで映画について学ぶ。在学中の2000年に短編"Graffiti"で映画監督デビュー、2001年には"Love ... Sorry"を、2002年には"Post Telefonic Suspendat Temporar"と閉塞的な村から出ようとする若者のドタバタ劇を描いたコメディ"Pe Aripile Vinului"を監督する。

2003年にはコメディ"Calatorie la Oras"を手掛ける。辺境の村出身の教師と運転手が、村長に頼まれて近くの都市へとおつかいに行くという作品で、ルーマニアチェコ、イタリア、ドイツなどで上映され、カンヌ国際映画祭のシネフォンダシオン部門では銀賞に輝くこととなった。翌年には中編"Visul Lui Liviu"を製作、思い出せない夢の残滓が1人の青年の人生を変えていく様を描き出した幻想と現実が交わりあうドラマ映画でトランシルバニア国際映画祭、ベルリン国際映画祭などで上映され話題を集めた。そして2006年、彼は初の長編映画"A fost sau n-a fost?"を監督する。

青い闇に包まれたヴィスルイの街並み、観ているこちらまで震えてしまいそうな程に寒々しい2005年12月22日の風景からこの"A fost sau n-a fost?"は幕を開ける。主人公はブカレストに住む3人の中年男性たちだ。まずは歴史教師のティベリウ・ロメスク氏(「4ヵ月、3週と2日」Ion Sapdaru)、彼の目下の悩みは借金のことだ。アテはないのだが妻にどやされるので仕方なく、昨日酒場で喧嘩した中国人の友人の所へ行き、頭を下げて金を恵んでもらったりする。2人目はエマノイル・ピスコッチ氏(Mircea Andreescu)、仕事はとうに退職して隠遁生活を送っている。だが暇ならサンタになって店の宣伝をして欲しいと頼まれ、くすみきった赤と白のコスチュームを着て町を行く、道すがら若者に「あのじいちゃんキチガイだぜ」とかそんなことを言われながら。3人目はヴィルギル・ジュデレスク氏("One Floor Below" Teodor Corban)、トークショーの司会を勤めているのだが、今日のショーにゲストがブッキング出来なくてかなり焦っている。あちこちに電話をかけてはブチっと切られ、罵倒の言葉を吐くとそんな繰り返しに観客である私たちがブチ切れそうだ。

物語の前半は彼らの姿を通じて、ルーマニアの一都市に広がる日常をありのままに切り取っていく。3人の生活はお世辞にも裕福なものとは言えない。借金に首が回らない者もいれば、明かりも点けないでスープを啜り続けるちっぽけな背中を私たちに晒す者もいる。だが惨めに映るのは彼らだけではなく、ブカレスト全体が何とも言えない空気に満ちている。撮影監督Marius Panduruはこの街に流れる時間と世知辛さを、長回しで以てレンズに青く焼き付けていく。3人の住む部屋は一様にみすぼらしく、軒を連ねる建物からは色彩が刈り取られ、そのクセ革命記念日だからか何なのか、若者たちがあらゆる場所で爆竹を炸裂させており、寒々しさにゆるみに爆音にとチグハグな祝賀ムードが私たちにどう反応して良いものか分からないユーモアを運んでくる。

そんな最中、やっとのことでジュデレスク氏がトークショーのゲストに呼べたのがロメスク氏とピスコッチ氏という訳である。3人と、ピスコッチ氏が買いたいんだよ!とごねて買ったクリスマスツリーを載せ、車はブーンとTV局へと向かう。そしてテレビカメラの前に男たちは並び座りトークショーが始まる、今回の議題は"この街で革命は起こったのか、起こらなかったのか"である。

ここで少し注釈を。ルーマニアでは毎年12月を迎えると、革命に関わった人々を呼んでTV討論会を行うことが通例となっている。何故かというと、ルーマニア革命という過去をまだルーマニアの人々自身も整理できていない所があるからだ。例えば、ルーマニア革命は国民による革命であったのか?という議論は今でも盛んに行われている。国民が蜂起し起こった革命か、はたまた数ヵ月前からチャウシェスク政権に不満を持っていた者たちによって入念に準備されていたクーデターか、それともハンガリーソ連の秘密警察による国家的陰謀なのか、そんなテーマを有識者たちが議論するといった風に。

そしてこの映画が提示する議題が"この街で革命は起こったのか、起こらなかったのか"という物。ルーマニア革命は1989年12月16日、秘密警察セクリターテによるハンガリー系のトケシュ神父の逮捕に始まる。抗議のために集まった信者と警察の小競り合いがティミショアラ市民による反チャウシェスクを掲げる大規模デモに発展、これ自体は軍によって制圧されるがその衝撃はルーマニア全土へ飛び火し、1989年12月22日を以てチャウシェスク政権は崩壊を迎える。そういった背景を踏まえた上で、この討論会では"この日の12:08にテレビで政権崩壊が伝えられた訳ですが、それを知る前からデモを行うなど革命に参加していた勇気ある国民はいたのか?"を議論することとなる訳である。

この問いに対して真っ先に手を挙げたのがロメスク氏である。自分は仕事帰りに同僚の教師と一緒に近くの広場へと赴いて、チャウシェスク打倒を叫んでいたとそう主張するのである。ほうほうと司会のジュデレスク氏は聞くのだが、事態はそう単純な物ではない。ある時、視聴者から電話がかかってくる。そしてその人物は言うのだ、彼が広場にいたという時間に私もそこにいましたが、ロメスク氏のような人物は何処にも居なかったと。

こうしてトークショーは予期せぬ方向へと転がっていくのだが、私たちはこの討論会をリアルタイムで体感することとなる、つまり観客一人一人がいち視聴者として仕立てあげられるのだ(この時間感覚は次回作""などにも受け継がれていく)ここでPorumboiu監督が描くのは、革命という名の過去が市井の人々それぞれの中でどのように受けとめられているのか、そして革命によってルーマニアはどのように変わったのか、もしくは変わらなかったのかということだ。

チャウシェスク政権が崩壊したという歴史教科書の記述をルーマニア人ではない私たちが読む時、それは歴史的事実として受け取られ他の何かが介在することは殆どない、あったとしてもチャウシェスクって独裁者だったんでしょ、潰れて良かったねくらいのものだろう。だがこの作品にはルーマニアで実際に経験した人々の声がある、教科書の無味乾燥な記述にはない実感が存在しているのだ。とはいえ監督はそれを全て肯定する訳ではなく、むしろその声に批判の目を向けすらする。政権崩壊にしろ何にしろ、過去が記憶となる時、それは完全なる真実は消え去ったことを意味する。得てして記憶は美化されるものだし、表現としてはむしろ積極的に美化しようとする方が正しいかもしれない。監督はこの記憶の滑稽なまでの複雑さを"A fost sau n-a fost?"によって描き出しているのだ。物語の終わりは冒頭に映ったものと殆ど同じ風景で以て締め括られる。だが1つだけ付け加えられた物がある、おそらく多くのルーマニアの人々にとって忘れられない物が。

今作はカンヌ国際映画祭で上映、優れた新人監督に送られるカメラドールを獲得し、コペンハーゲン国際映画祭では作品賞と脚本賞トランシルバニア国際映画祭ではルーマニア映画部門の作品賞、ルーマニアアカデミー賞と言われるゴーポ賞では作品・監督・脚本・主演男優賞の計4部門を制覇するなど大きな話題となった。ということで今回はPorumboiu監督のキャリア初期を追っていったが、時期を分けて後何回か記事を書こうと思っているので、今日のところは此処まで!

私の好きな監督・俳優シリーズ
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その5 Cecile Emeke & "Ackee & Saltfish"/イギリスに住んでいるのは白人男性だけ?
その6 Lisa Langseth & "Till det som är vackert"/スウェーデン、性・権力・階級
その7 キャサリン・ウォーターストン&「援助交際ハイスクール」「トランス・ワールド」/「インヒアレント・ヴァイス」まで、長かった……
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その9 Talya Lavie & "Zero Motivation"/兵役をやりすごすカギは“やる気ゼロ”
その10 デジリー・アッカヴァン&「ハンパな私じゃダメかしら?」/失恋の傷はどう癒える?
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その13 ヴェロニカ・フランツ&"Ich Ser Ich Ser"/オーストリアの新たなる戦慄
その14 Riley Stearns &"Faults"/ Let's 脱洗脳!
その15 クリス・スワンバーグ&"Unexpected"/そして2人は母になる
その16 Gillian Robespierre &"Obvious Child"/中絶について肩の力を抜いて考えてみる
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その22 David Wnendt&"Feuchtgebiete"/アナルの痛みは青春の痛み
その23 Nikki Braendlin &"As high as the sky"/完璧な人間なんていないのだから
その24 Lisa Aschan &"Apflickorna"/彼女たちにあらかじめ定められた闘争
その25 ディートリッヒ・ブルッゲマン&「十字架の道行き」/とあるキリスト教徒の肖像
その26 ハンナ・フィデル&「女教師」/愛が彼女を追い詰める
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