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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Ignas Jonynas & "Lošėjas"/リトアニア、金は命よりも重い

さてリトアニアである。あなたはリトアニアについて一体どのくらい知っているだろうか。映画的な意味ではリトアニアバルト三国の中でおそらく最も有名な国だろう、だって考えてもみて欲しい、あのニュー・アメリカン・シネマの立役者ジョナス・メカスシャルナス・バルナスの生まれた国なのだから!とは言え、バルナス以外は現代リトアニア映画について殆ど知られていないのが現状だろう。ということで今回はそんなリトアニア映画界の新鋭Ignas Jonynasと彼のデビュー長編"Lošėjas"を紹介していこう。

Ignas Jonynasは1971年リトアニアに生まれた。A.Vienozinskis美術学校でTV監督について学び、リトアニア音楽アカデミーでは演劇の修士学位を獲得する。建築作業員、バーテンダー、港湾労働者、病院の用務係、ラジオDJなど職を転々としながら、広告製作など映像作家としても活躍していた。

監督デビューは2003年の短編"Sekmandienis Toks, Koks Yra"(英題: As Sunday It Is)、犯罪者と捜査官の心の彷徨を描き出した作品だ。2006年には第2短編"Sokantis Kirminas"(英題: Dancing Worm)を監督、不遇の内にあったオペラ歌手が、ある日代役として突然ステージの中心に立つこととなってしまう……というコメディで話題を博す。2010年にはティムール・ベクマンベトフらと共同監督として長編ロシア映画"Yolki: Six Degrees pf Celebration"を手掛ける。ロシア西部の都市カリーニングラードを舞台に、大晦日に巻き起こる騒動を描き出した群像劇で2010年のロシアで大ヒットを果たした(監督は関わっていないが、翌年2も製作された)そして2013年には脚本執筆に4年、予算獲得・撮影に2年を費やした長編デビュー作"Lošėjas"を監督する。

この物語の主人公はヴィンク(Vytautas Kaniusonis)という中年男性だ、彼は救命隊の有能なリーダーであり、同僚たちからの信頼も厚い。だが彼は1つ深刻な問題を抱えていた。彼はギャンブル狂いで、そのせいで借金を抱えていたのだ。しかしヴィンクは止められない、救命隊員として人を助けた後、あらゆる場所に出向き賭けを行い金を失う、金を失う、金を失う……

まず冒頭に映し出されるのがヴィンクが仲間と共に賭けに興じる姿だ、制服を着た男女が現れる番号に一喜一憂するその姿をカメラは生体学的不動を以て観察し続ける。次に現れるのはホテルの一室で意識を失った若い女性を救助するヴィンクたちだ、女性の嘔吐物を顔に喰らうヴィンク、ベッドに散らばるのは老人と女性のセックスを写した数十枚の写真。その帰りに彼は同僚を連れだってドッグレース場へ向かう、金を浪費したヴィンクは待ち伏せしていた借金取りに暴行を受け、金を毟り取られる……""の前半は仕事と賭けの2つを延々と反復するヴィンクを描いていく。この荒んだ日常は、しかし彼だけの物ではないと映画は示し始める。

ある時、カメラは疾走する救急車を追跡することとなる。空には息を呑むほど美しい蒼が広がる中で、ヴィンクたちが降り立つのはとある川縁だ。彼らは何気ない休憩とばかり、芝生にボードゲームを置いて賭けをやり出すのだが、そんな救命士たちと生気をとうに失った患者の横顔をカメラは同じフレームに捉える。浮かび上がるのは救命隊の驚くべき腐敗だ。患者の命などどうでもいい、優先するべきは自分たちの金と賭けのスリルのみ。そしてヴィンクたちは新しい趣向として、どの患者がまず先にくたばるか?を賭けの対象とし、大金を彼らの死に注ぎ込む。

このモラルという概念が粉々になった、余りにも異常すぎる状況に対し、監督は撮影監督のJouis Eglitisと共に低体温な観察の眼を向け続ける。物体的・心理的な隔たりの感覚はヴィンクたちの行動を異化し、自分たちもまた観察者に仕立てあげられた私たちは冷静さの中で問い続けることとなる、何故彼らはあのような行動をするのか、何故彼らにはあのような行動が出来るのか、いや、同じ状況にあれば私たちもあのような行動をしないとは言えないのではないか?

物語はそんな問いを宿しながら、徐々に新たな面を見せる。誰もが賭けの熱狂に心を奪われる中で、イエヴァ(Oona Mekas, 名字で分かる通りジョナス・メカスの娘だ)という女性だけはその心を売り渡さないでいた。ヴィンクとイエヴァは救助中の事故を切っ掛けに惹かれあい、いつしか愛しあうようになる。彼女との日々が賭け狂いだったヴィンクを癒していく。だがヴィンクとイエヴァの海を舞台とした愛が、シングルマザーである彼女の一人息子の異様な嘔吐の風景を呼ぶ時、""のモラルへの問いはメロドラマ的な愛を取り込んで更なる切実さをも獲得する。

前半はこの展開への御膳立てに過ぎなかったとばかり、Jonynas監督は登場人物たちを殺伐たる世界の断崖へと追い詰めていく。イエヴァへの愛はヴィンクを賭けの狂気へと引き戻し、眼前には冷ややかな地獄絵図が広がる。ここでPaulis Kilbauskasらが奏でる音楽は金属の断末魔さながらの響きを宿し、Eglitisによる観察的な撮影はヴィンクやイエヴァの抱える絶望へドラスティックなまでのシンクロを果たす。そして"Lošėjas"は、過度なグロテスク描写もなしにセルビアン・フィルムが提示したモラルへの答えなき激烈な問いを成し遂げるに至るのだ。

"Lošėjas"は英題を"The Gambler"という。この単語が据えられた作品は数多く存在しながら、カレル・ライスによる「熱い賭け」を越えられる作品はーールパート・ワイアットによるリメイク作品は勿論ーーついぞ存在したことはなかった。だがこの作品の登場はその高き壁をついに倒したと言えるだろう。

Jonynas監督は今後のリトアニア映画界の展望についてこう語っている。“最近までリトアニア映画界では詩的な演出が優位を占めていました。リトアニアのドキュメンタリーや文芸映画はジョナス・メカスシャルナス・バルナスという名と共に世界で受容され称賛を受けてきたんです。しかしこの事実によってエストニアの人々が彼らの映画を観るかと言えば違いました。それでも何本ものリトアニア映画が興業収入の記録を塗り替えた時から、全てが変わり始めたんです。今、私たちの国はルネサンスを迎えています。ジャンルやスタイルの多様さはリトアニア映画界の顔を徹底的に変えていっている、それは整形手術の類いではなく、非常に重要で、意味深い変化なんです。人々は自分の国の映画を観るために劇場へと戻ってきています。プロダクションやジャンルの多様性が増していくことで、私はリトアニア映画界が世界の観客を魅了するまでに成長すると信じています”*1

"Lošėjas"サン・セバスティアン国際映画祭、ワルシャワ映画祭、サンタ・バーバラ国際映画祭で上映、リトアニアアカデミー賞であるシルバークレーン賞では作品・監督・主演男優・音楽・美術など計5部門を獲得するなど多大なる評価を獲得した。次回作としては盲目のダンサーを主人公としたスリラー映画が計画されており、2014年のインタビューの時点で来年の夏撮影と言っていたので予定通りであれば今ごろ撮影中ではないかと。ということで監督の今後に超期待。

参考文献
https://www.festivalscope.com/director/jonynas-ignas(監督プロフィール)
http://www.cineuropa.org/ff.aspx?t=ffocusinterview&l=en&tid=2747&did=264129(監督インタビュー)
https://vimeo.com/user21884596(監督公式vimeo)

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