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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Mira Fornay & "Môj pes Killer"/スロバキア、スキンヘッドに差別の刻印

さて、スロバキアである。あなたはスロバキアについてどのくらい知っているだろうか。私は良くチェコ・スロバキアと聞くから2つは同じ国かと思ったらとっくに独立していたし、正直スロバキアスロベニアどっちがどっちだかも余り理解していない。そんな国に映画で触れることは本当に楽しいことという訳である。

Mira Fornayは1977年5月8日、スロバキアのブラスチラヴァに生まれた。チェコプラハ芸術アカデミー映像学部(FAMU)やイングランドのビーコンズフィールドにある英国国立映画テレビ学校(NFTS)で映画について学んでいた。

1995年から2001年までに10本以上の短編を精力的に手掛けるが、彼女の名が一躍有名となったのは2002年の短編"Malá nesdelení"(英題: Small Untold Things)だ、今作はFAMU映画祭で監督賞、ドイツ・コトブス国際映画祭で短編賞を獲得するなど話題になる。2004年の"Alzbeta"を経て、2009年にアイルランドで初長編"Fox"を手掛ける。20代の女性が故郷のスロバキアを捨て姉夫婦のいるダブリンへと移住するのだが、過去は容赦なく彼女を捕らえようとする……というドラマ作品で、ヴェネチア国際映画祭でプレミア上映後、釜山、ワルシャワストックホルムロッテルダムなどで公開され話題になる。そして2013年にはスロバキアへと戻り第2長編"Môj pes Killer"を監督する。

薄いオレンジの陽光が、徐々に大地へと染み渡る暁の光景。それに続くのは唸り声を上げる犬と、彼をけしかけるスキンヘッドの青年の姿。枝に吊るされた木の塊へ、キレールと名付けられたブルテリアは体を躍動させ、その鋭い歯を食い込ませる。青年はキレールの毛並みを擦りながら、彼の獰猛さを褒め続ける。この風景が青年マレク(Adam Mihál)にとって1日の始まりを意味する、彼の1日は不穏な唸り声と共に幕を開けるのだ、いつであっても。

私たちはこの"Môj pes Killer"を通じて、マレクの1日を追うことになる。朝の儀式を終えた彼は、父からある頼み事をされる。彼らは二人暮らしなのだが、寒々しい貧困に苛まれ、そして自身の病気もあり、父は家具を売り払い生活費の足しにしようと決めたのだ。しかし事態はそう単純なものではない。ある理由でマレクの母であるマリカ(Irena Bendová)は2人を置いて家を出ていったのだが、キリスト教の厳格さに沿って離婚はしていない、それ故に家具は2人の共有財産として扱われ、書類に彼女がサインがしなければ家具を売ることはできないとそういう事情がある。手続きの諸々を父に押し付けられたマレクは否応なく、数年間会っていない母の元へと赴くこととなる。

監督は物理的にも精神的にも一歩引いた距離感から、マレクの姿を見つめる。使いの最中、彼は友人たちのいる場所へと立ち寄る。男たちはある種ユニフォーム的にスキンヘッドを外気に曝し、マチズモ的な価値観をも言葉の端々に滲ませる。マレク自身の中にも例えば貧困など様々な要素が絡み合い、そういった人種差別的、排他主義的な思想を抱えていることを映画は提示し、スロヴァキア郊外に広がる殺伐たる灰色のランドスケープに彼の鬱屈が寒々しく浮かび上がっていく。

そしてもう1つ、マレクは母が働いているという店に行き、彼女が現れるまでベンチに座って待つことになるシーンにも監督の姿勢を垣間見ることができる。監督はこの待つという行為に些かの省略も入れない。ステディカムの微かな揺れの中で、マレクの姿を見据え続けるのだ。彼はこちらに顔を向け、殆ど表情は変えることがないが、本当に少しずつだが待つことに倦み始めると、そんな微妙な変化を克明に捉えていくのだ。この待ち時間を登場人物の時間の感覚そのままに撮す演出は、Corneliu Porumboiu監督の"Politia, Adjectiv"などにも見られる演出だが、こういった徹底した観察的スタイルを駆使し、今作はスロヴァキアに内在する暗部を浮き彫りにしていく。

そしてマレクは母と再会し、ぎこちない交流を遂げる。しかしそんな中で現れるのは、彼女がもう1つの家族の間に生んだルカシュ(Libor Filo)という浅黒い肌をした少年だ。そこで彼は両親がひた隠しにしていた秘密ーー自分の元から母はロマ人の男と逃げていったーーを知ることになる。

東欧ではロマ人に対する差別が問題となっていることは、Radu Jude監督の"Aferim!"を紹介した時にも少し記した(この記事を読んでね)が、ルーマニアと同じくスロバキアでもこの問題は深刻化している。ロマはスロバキアの全人口の10%以下を占めているが、教育の分離によって低い水準の教育しか受けられない、スロバキア第2の都市であるコシツェにはEUの警告も無視したロマ居住区とスロバキア居住区を分断する壁が作られるなど、露骨な差別が横行している。この物語の舞台はチェコ東部のモラヴィアスロバキアの国境地帯で、ネオナチグループによるロマへの暴行が激化している場所なのである。

秘密に驚き怒りにうち震えるという表立った素振りを、マレクは見せることがない。だが自分に興味を示してチョコチョコと付いてくるルカシュの姿は、マレクの心に巣くう憎しみを煽りたてる。そんな彼を象徴するシークエンスが1つ、ある時彼はボクシング・ジムへと足を運ぶ。グローブを身につけ、細い腕でサンドバッグを殴るが勢いは軽い。しかし何度も何度も拳を打ち付けるうちに、サンドバッグは鈍い悲鳴を挙げ始める。彼の怒りはそれと共に膨張していく。それでいて彼がシャワーで汗を流す時、周りには全身に刺青を入れた屈強な男たちの姿、その中でマレクの細く青白い体はちっぽけで脆い。彼の鬱屈は周りの男たちのようになりたい願いに繋がり、マチズモに傾倒していきながら、肉体も精神もマチズモに成りきれていない。彼の存在は不安定で、ある意味では何をしでかすか分からない最も危険な状態に陥っているとも言える。

差別の刻印が穿たれた激情を己のうちに秘め、今にも爆発しそうなマレクの姿に対して、監督はやはり観察の冷ややかな瞳を向け続ける。この距離感が要だ、そこで何が起ころうとも私たちは彼の姿に何らかの感情をも重ねることは出来ず、凍えた明晰の中で常に考えることを迫られる。思春期の不安定さ、スロバキアに根深く残る差別、繰り広げられる暴力の構図……その上で監督は私たちの感情に訴えかける要素は全て排しており、ある意味で退屈とこの映画を評することも可能だ。だが酷く恐ろしい闇を通過した後に広がる、ある日常の反復は重すぎる意味を持っている。

“恥という感情は最も力強く、痛々しく、そして潜在的に危険なものなんです。特に何故それが沸き上がるのか分からない、それをどうしていいか分からない者たちにとっては。マリクの場合、疎遠だった母親の秘密を知った後、動揺から行動を始めます。彼にとって恥の感覚は馬鹿げた差別主義的考えから来ているんです。マレクはこう考えています、秘密が暴露されることは家族の尊厳を損なうというより、マレク自身の自尊心やスキンヘッドたちのグループでのポジションも危ぶまれることになると”

"Môj pes Killer"ロッテルダム国際映画祭で上映、最高賞のタイガーアワードを獲得することとなった。公式サイトによると最新作の計画は3つほど進んでおり、1つ目がDVなど男性から女性に向けられる暴力について描いた"Bernarda - Frogs With No Tongues"、2つ目が消費主義社会を痛烈に皮肉るブラックコメディ"Cook, Fuck, Kill"、そして3つ目が選挙戦を背景に死に直面する男とその娘の対峙を描いた会話劇"Dad's Record"だ。どれが彼女の第3長編になるのか、楽しみである。

参考文献
http://www.mirafox.sk/news.php(監督公式サイト)

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