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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Andrei Ujică&"Autobiografia lui Nicolae Ceausescu"/チャウシェスクとは一体何者だったのか?

ルーマニアン・ニュー・ウェーブを構成する要素とは一体何だろうか。ルーマニアに生きる普通の人々を主人公に据えていること、彼らのパースペクティブからルーマニアの実情を捉えること、その批判の眼差しには深い地域性と広い普遍性が宿っていること、しかしこの新たな潮流を最も特徴づけているのは何より、ニコラエ・チャウシェスクという独裁者への拘りに他ならない。

例えばクリスティアン・ムンジウパルムドール受賞作4ヶ月、3週と2日「汚れなき祈りにおいては、チャウシェスク政権真っ只中を舞台とし、中絶禁止にしろ宗教的熱狂にしろ彼の独裁時代がいかに人々を抑圧していたかを描いていたし、私がブログで連続して取り上げていたCorneliu Porumboiu(この記事を読んでね)は政権崩壊から20年が経ち、社会主義から資本主義への移行を遂げた現代ルーマニアを舞台に、あの頃からこの国はいかに変わったか、もしくは変わらなかったか?を一貫して描き出している。だが此処で考えるべきことが1つある、チャウシェスクという時代ではなく、チャウシェスクという人物は一体何者だったのか。今回はそれを描き出そうとする3時間ものドキュメンタリー"Autobiografia lui Nicolae Ceausescu"とその監督Andrei Ujicăを紹介して行こう。

Andrei Ujicaは1951年、ルーマニアのティミショアラに生まれた。ブカレストやドイツのハイデルベルクで文学を学んだ後、1981年には独裁政権から逃れるため、西ドイツに居を構えることとなる。カールスルーエ造形芸術大学で教鞭を取りながら、2003年にはZMKフィルム・インスティチュートを設立し所長に就任するなどドイツを拠点に幅広く活躍している。

映画界に携わり始めたのは1990年、ドイツという故郷の外からチャウシェスク政権の崩壊を目撃した直後からだ。彼は、クリスティアン・ペッツォルト「東ベルリンから来た女」「あの日のように抱きしめて」の脚本を手掛けた映画作家ハルン・ファロッキ(惜しくも2014年に死去)と共同監督で、1992年に初の長編ドキュメンタリー"Videogramme einer Revolution"を手掛ける。本作は1989年末のルーマニア革命をデモや一般市民のインタビューなどフッテージ映像から描き出す作品であり、この続編とも言うべきTVドキュメンタリー"Kamera und Wirklichkeit"は監督2人がルーマニア革命や自身の作品について、実際に革命に関わった人々と議論を重ねるトークショーを収録した作品である。

次回作の"Out of Present"はロシアの宇宙飛行士セルゲイ・クリカリョフを描いており、無重力の中で生活する訓練を続ける10ヶ月のうちにソ連が崩壊してしまうという驚きの状況が描き出される。その奇抜さから90年代の知られざるカルト映画として評価する向きもあるそうだ。その後しばらくのブランクを経て、構想・製作に4年の歳月をかけて彼の"Videogram of a Revolution"三部作の掉尾を飾る3時間のドキュメンタリー"Autobiografia lui Nicolae Ceausescu"を完成させる。

白と黒の陰影深い映像に立ち上るのは、悲哀に満ちた光景だ。誰もがうつむき、顔に憂いを浮かべながら巨大な建物へと吸い込まれていく。そして1人の男の安らかな表情が撮された後、電工掲示板には"ゲオルギュ=デジ死去"という文字が並び立つ。1965年3月19日、戦後ルーマニアを支えてきた最高権力者であるゲオルギュ=デジ第1書記の死は国中を深い悲しみで包み込んだ。葬儀がしめやかに行われる中、悼辞捧げる人物こそがニコラエ・チャウシェスクその人である。私たちは壇上に未だ若いチャウシェスクの顔を初めて目撃することとなる。

第1書記の死後、後継者争いが巻き起こりながらも、この争いを止めるために白羽の矢が立ったのがゲオルギュ=デジの長年の親友でもあったチャウシェスクだった。彼は議会において第1書記に就任、最初に行った職務とは党名を"ルーマニア労働者党"から"ルーマニア共産党"へ、そして国名を"ルーマニア民共和国"から"ルーマニア社会主義共和国"へと変えること、彼は高らかにそれを宣言し、議会は拍手に包まれる。チャウシェスクは以前からのソ連ブロックとは一線を引いた独自路線を更に推し進めていき、1968年に"プラハの春"を抑え込むためにソ連が軍のチェコ派遣を要請した際にも、断固拒否を貫いた。彼は壇上でソ連に屈することはないと宣言し、国民たちは熱狂的な支持を彼に向ける、この先にどんな悲劇が起こるかを知らないままに。

"Autobiografia lui Nicolae Ceausescu"最大の特徴は冒頭を除いて、時系列順にひたすらフッテージ映像を繋げている点にあるだろう。チャウシェスクのスピーチや海外への視察映像などのプロパガンダフッテージチャウシェスク家のホームビデオなど体制側が撮影した映像のみ構成され、そこには字幕やナレーションなどの説明要素は一切存在していない。故にこの作品以上にチャウシェスクについて1から学ぶ上で不適切な作品はないとも言えるが、ある程度予備知識を得た後に観たとするならば、他の何よりもここにこそ見えてくるものに気づく筈だ。

1975年、万雷の拍手の中でチャウシェスクは大統領に就任することとなる。そしてその映像の後に連なるのは初めてのカラー映像、チャウシェスクが友人らと共にバレーボールに興じる、それのみからすれば微笑ましいホームビデオだ。色彩豊かに映る人々からは無邪気な幸福すら感じられるが、その裏では既に深い抑圧は始まっている。幾度も挿入される映像にチャウシェスクの海外視察がある。中国や北朝鮮などの社会主義国への視察に行く中、特に北朝鮮における極彩色の歓迎は薄ら寒さすら感じるほどに凄まじい。この歓迎にチャウシェスクは法外の喜びを見せるのだが、その事実は彼がこれらの国を手本として、いわゆる"文化小革命"と呼ばれる言論統制や盗聴などの技術を応用した秘密警察セクリターテの創設に繋がっていく。

先述した通り、今作を構成するのは体制側のフッテージ映像であり、一般市民の生活風景は浮かび上がることはなく、独裁がいかにルーマニアに影響を与えているかが直接映し出されることは少ない。しかしそれでも、選挙前の議会において1人の議員がチャウシェスクを非難すると、その場にいる全ての議員たちが怒りの声を上げ、チャウシェスク!当選!チャウシェスク!当選!と大号令を叫び続ける様は、表面上は議員たちの結束を表すプロパガンダ的要素を宿しながら、その意図を越えて私たちはここに社会主義の熱狂のおぞましさを見出だす筈だ。フッテージのただの連なりだからこそ、徐々に、しかし確実に変わっていっているルーマニアの実状を知ることが出来る、これが監督の目指すものだろう。

そしてドキュメンタリーは政権末期に突入していく。その中で何度も記してきた"チャウシェスクとは一体何者だったのか"という問いは反復を繰り返し、膨れ上がっていく。だが、だがだ、この問いに答えが出されることはない、最後までこれを観たとしても私たちの期待する物はついぞ現れることはない。むしろ今作を観た後、ニコラエ・チャウシェスクという人物の謎はより深まっているのに貴方は気づくだろう。おそらくそれが正しいのだ、この問いに答えを出すには早すぎる、"チャウシェスクとは一体何者だったのか"とはこれからも考え続けていかなけらばならない問いなのだと、この"Autobiografia lui Nicolae Ceausescu"は私たちに語りかける。

参考文献
http://www.filmquarterly.org/2011/03/interview-with-andrei-ujica/
http://filmmakermagazine.com/29388-andrei-ujica-the-autobiography-of-nicolae-ceausescu/
http://artsbeat.blogs.nytimes.com/2010/05/20/a-dictator-in-his-own-words-and-images/(以上、監督インタビュー3つ)

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