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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

サシャ・ポラック&"Zurich"/人生は虚しく、虚しく、虚しく

さて、オランダである。オランダと言えばお下劣残虐大将のポール・ヴァーホーヴェンな訳で新作のレイプ・リベンジ映画"Elle"が楽しみな訳だが、新鋭で注目作家というとまず真っ先に挙げるべきはナヌーク・レオポルドだろう。彼女の作品は1本だけ「裸の診療室」という文芸エロ映画扱いでソフトスルーになっているのだが、そのショット1つ1つの絵画的な完璧さには他の追随を許さない凄味がある。

そしてこのブログでも紹介したUrszula Antoniak(この記事を読んでね)はポーランド人だがオランダ映画界の重要人物だろう。第2長編"Code Blue"は性的に満たされない孤独な中年女性が凄まじいまでに堕ちてゆく姿を表現主義的なアプローチで綴る傑作だ。そしてもう1人、文芸エロ映画枠で「誘う処女」という映画がソフトスルーになっているタルマ・ファン・デン・ドップも忘れてはならないだろう。さてさて今回はそんな才能の数々に連なる期待の新人監督サシャ・ポラックと彼女の第2長編"Zurich"を紹介していこうと思う。

サシャ・プラック Sacha Polak はオランダの映画作家だ。継母は同じくオランダの映画監督Meral Usluオランダ映画テレビアカデミー(NFTA)出身で、卒業制作として手掛けた短編"Teer"で2006年にデビュー、オランダ人若い女性とスーダンから不法移民の交流を描き出した今作は各地の映画祭で上映され話題となる。2007年には"El mourabbi"を製作、ピザ配達人の青年が道に捨てられた赤ちゃんを拾い、何とか自身で育てようとする姿を綴るドラマでオランダ映画祭で上映された。2008年には"Drang"とTV放送用の短編"Onder de tafel"を製作した。

そして2012年には彼女にとって初長編となる「アブノーマル」(原題:Hemel)を手掛ける。「アブノーマル」って何だよってこのブログではお馴染み、文芸エロ映画として今作はソフトスルーになっている訳である。家族を裏切り続ける父親を憎みながらも、彼の愛に飢え、自分よりも年上の男性と次々肉体関係を重ねる女性の彷徨を描き出した心理ドラマで、ベルリン国際映画祭FIPRESCI賞を獲得するなど話題になる、いやだから文芸エロ映画は本当に良い作品揃ってるんだからこの「アブノーマル」もマジで邦題で敬遠しないで是非とも観て欲しい訳である。

2012年には短編"Broer"を製作した後、2013年に彼女は第2長編であるドキュメンタリー"New Boobs"を手掛ける。ポラック監督、実は遺伝性の乳ガンを患っており、母親は彼女が生まれて11ヵ月後にガンで亡くなっていたのである。そしてポラック監督は生きるために乳房の摘出を決意、"New Boobs"はその記録なのだ。そして2015年には第3長編"Zurich"を監督する。

ニーナ(Wende Snijders)は感情が凍りついたかのような表情を浮かべる、ニーナは高速道路の上をさまよう、ニーナはヒッチハイクでトラックの運転手をつかまえる、ニーナは着いた先で再びさまよう、ニーナはトラックの運転手をつかまえる、ニーナは着いた先で再びさまよう、ニーナはふと満杯の酒場に入る、ニーナは響きわたる英語の歌に聞き惚れる、ニーナは壇上に上がってそれを歌うことになる、彼女の歌声は美しい、ニーナは大勢の客の中にかつて愛した人の背中を見つける、ニーナは駆け出しその姿を追うが見つけることは出来ない、ニーナは彼を見つけることが出来ない。

ニーナはヒッチハイクを止めてレンタカーを借りる、ニーナは高速道路を走る、ニーナは高速道路を走る、ニーナは高速道路をさまよう、ニーナはある時ヒッチハイクをする青年を乗せる、ニーナは自分がコーラス隊の一員であることを話す、ニーナは自分がオランダ出身なのだと話す、ニーナは結婚しているんですか?と尋ねられる、離婚したの、ニーナは言う、彼は私を置き去りにした、ニーナは言う、中央分離帯に突っ込んで死んだの、ニーナはそう言って泣き始める。

断片的なさまよいの記録、"Zurich"の前半はそうしたトーンで以て描かれる。彼女を彷徨へと突き動かすのは喪失の哀しみだろう、だが段々とそれだけでは説明しきれない行動に走りだす姿を、監督は突き放したような視線で以て綴ることともなる。ニーナはある時、少年が黒い犬と戯れる姿を見つける。彼女は少年を追いかけ、家にまで辿り着き、彼が居なくなったのを見計らって犬を連れ去ってしまう。この居心地の悪くなるシークエンスの後、彼女は犬をフントと名づけ、再び世界を彷徨い始める。

そして彼女は道の途中でトラック運転手のマティアス(Sascha Alexander Gersak)と出会い、いつしか愛し合うようになる。だが1匹の犬と1人の男がニーナの孤独を癒すかと言えばそうではない、むしろ彼女は自分自身を孤独の奥底へと追い詰める手段として彼らを利用するような素振りを見せる。そんな彼女の旅路を描くポラック監督の筆致はどこまでも冷たく、ニーナの痛みは真冬の風さながら私たちの肌に突き刺さる。それでいて監督は彼女を幻想の水へと沈めようともする、水の底には愛した人の亡骸、ニーナは救いだそうとするが、彼の体は闇の中へと消えていく。彼がいないという孤独から救われたい、彼がいない世界で生き続けたくはない、2つの願いの間をニーナは漂う。

ニーナを演じているのはオランダでは著名なシンガーソングライターであるWende SnijdersIMDBによれば殆ど演技経験はなく今作が初の主演作品だそうだが、彼女の存在がなければこの作品は此処までの切なさを宿すことはなかっただろう。夫の面影を求めて見知らぬ男の体臭を嗅ぎとる姿、マティアスが連れてくる前妻との間の子供たちに投げかける複雑な眼差し、言葉はなくともSnijdersの一挙手一投足がニーナの生きてきた道筋を雄弁なまでに語る、そして劇中に流れる彼女の歌声は孤独を力強くも儚げに響く、生と死に惑うニーナの心を抱き締めるように。

そして後半において、物語はこの彷徨へと彼女を引きずり込むことになった夫の死の直後へと時間を移す。ここで何故ニーナがあのような行動をしているのか?という前半において殆ど不在だった背景が明かされ、糸がほどけるようにその意味が明かされていく。Helena Van der Meulenによる脚本(ポラック監督は前作「アブノーマル」でもタッグを組んでいる)の、時間を逆にしてニーナの人生を語り直す構成は巧みであり、観る者の心すらもビリビリに引き裂いてしまう。

劇中、ニーナは美術館へと赴く。そこでは"動物の死"をテーマとした展示会を開催しており、彼女は家畜が屠殺される風景を映したビデオ・インスタレーションなどを見る。その中に動物の上に逆さまになった人間の頭蓋骨が乗っているとそんな絵画が飾られている。美術に詳しい方ならばこの絵画が"ヴァニタス"という種の絵画だということに気づくだろう。"ヴァニタス"とは16、17世紀のフランドルやネーデルラントで隆盛した絵画であり、この世界に生きる/存在することがいかに虚しいものかを描き出している。その中でよくモチーフとなるのが人間の頭蓋骨、人間どう生きようと最後にはこうなるのだという死と諦めがそこにあるからだ。"Zurich"はつまり、このヴァニタスの映画としての結実なのだ。人生とは苦しく余りにも虚しい、そしてこの場所にある救いとは死以外の他にはない、だが人は簡単に死を選ぶことも出来はしない。

ポラック監督の新作は初の英語作品"Vita and Virginia"だ。今作はアイリーン・アトキンスの戯曲を原作としており、ヴァージニア・ウルフヴィタ・サックヴィル=ウェストの、後に「オーランドー」へと結実する恋愛関係を描き出した作品でサックヴィル=ウェスト役がロモーラ・ガライに決定している以外には情報無し、かなり気になる所だ。ということでポラック監督の今後に期待。

参考文献
https://pro.festivalscope.com/director/polak-sacha(監督プロフィール)
http://www.screendaily.com/news/polak-reveals-vita-and-virginia-details/5083267.article(最新作記事)

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