鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

ネイサン・シルヴァー&「エレナ出口」/善意の居たたまれない行く末

ゼロ年代の米インディー映画界に広がっていたのは"居心地の良い閉塞感"と言うべきものだった。ロクに仕事もしないで、仲間たちと何となくずるずると日々を過ごして、その日常がマンブルコアというムーブメントに結実するも、やっぱりそのまま何となくずるずると過ごして、何だか生ぬるいお湯の中で浸かっている感じで、ふわっふわ漂って日々を過ごして……だけどもそんな日々は長く続く訳もないし、というかそれは本人たちが一番良く知っていた、みんな大人になるのだ、彼女/彼らは"居心地の良い閉塞感"から出ていって、それぞれの道を行き、そこに残るのは沈殿物だけ、のはずだった。

放置された沈殿物は独りでに大きくなっていき、それぞれの紋様を宿しながら奥深くで静かに、だが確実に増殖していく……そうしてテン年代に広がったのは"水面下の不穏さ"だ。それを体現するだろう映画作家「女教師」「6年愛」ハンナ・フィデル(この記事この記事を読んでね)、"The Comedy" Rick Alverson(この記事も読んでね)、"Free in Deed"ジェイク・マハフィー(更にこの記事もね)、"The Sleepwalker" Mona Fastvold(そしてこの記事だ)、"It Felt Like Love" Eliza Hitman(この人は記事書いてない……)、そして"Gabriel" Lou Howe(この人も書いてない……)などなど。

こういった文脈を前提とした上でこのブログにおいては"ポスト・マンブルコア世代の作家たち"というシリーズ記事を書いてきたのだが、本当の意味でマンブルコア以降に現れたと断言できる作家は2人いる。1人はジョセフィン・デッカー Josephine Decker、彼女はジョー・スワンバーが変態性愛路線真っ只中にあった頃の作品"Art History"で主演を果たし、その後に彼の後ろ盾を得て2014年に"Butter on the Latch""Thou Wast Mild and Lovely"の2本で鮮烈なデビューを果たした監督だ。しかしその演出はマンブルコアとは全く共有する物がない、どちらかと言えばデヴィッド・リンチのような幻想的なヴィジョンを指向している。そして2人目、彼はマンブルコアと直接の面識はないが、同じような演出を駆使してまた異なる映画を作り上げている作家だ。ということで今回は"水面下の不穏"を体現した作家の代表格ネイサン・シルヴァーと彼の監督作「エレナ出口」を紹介していこう。

ネイサン・シルヴァー Nathan Silver は1983年アメリカに生まれた。子供の頃から映画に親しんでおり、まず最初に作ったのはロス暴動をモデルとしたガンアクションだった。ここからその動画が観られるのだが(このフッテージは後に短編"Riot"の一部となる)、自分の思い通りに役者が動かないとブチ切れ暴力を振るい、自分を呼ぶ母のシンディにも何だよボケ!とブチ切れるなど、後に繋がる独裁者ぶりを遺憾なく発揮している。その果てに役者の一人に耳をつねられ泣き喚くという微笑ましさもあったりする。

しかしその後はかなり早熟な育ち方をしたそうで、12歳の頃からアルチュール・ランボーの詩に親しみ始め、フランス語を習得し自分で詩を書ける程の語学力を得る。だが16歳でフランスを旅をした時、彼らは皆ランボーシャルル・ボードレールについて考えているんだという期待はものの見事に打ち砕かれ、フランス熱が冷めてしまう。それでもアントナン・アルトーなどの著作を読み、高校時代は不条理演劇に傾倒する。

長じてシルヴァーは名門NYUティッシュ・スクール・オブ・ジ・アーツに入学したのだが、もちろん最初は映画監督になるつもりは無かったという。"NYUに通っていた頃、私は劇作家になりたかったんです。映画の脚本を書き始めたのは大学最後の年で、インターンとしてリチャード・フォアマン Richard Foremanの元で働いていたからという理由からでした。彼は実験的な舞台を多く手掛け、Ontological-Hysteric Theaterという劇団を運営している人物で、高校時代から私のヒーローだったんです。しかし彼の元で働く間に言われたのは、舞台を観てくれる客はいない、だから映画を作るべきだという事でした。彼は自分が観るべき監督を勧めてくれて、ちょうどKim's Video*1の近くに住んでいたのでその作品を片っ端から観ていったんです"

"オリヴェイラ、アケルマンなど様々な監督の作品を観ましたが、特に気に入ったのはパゾリーニファスビンダーでした。小さい頃は映画を好きになることはあっても愛するというレベルには至らなくて、でも2人の作品を観た後に「これが自分のやりたい全てだ」と思い、演劇から映画作りにシフトしたんです。専攻も演劇から映画に変えたのですが、自分にはあと2学期しか残されていなかったので、1学期中に長編3本分の脚本を執筆する羽目になりました"

面白いのが彼の大学時代に活躍していた、90年代から台頭し始めたクエンティン・タランティーノスティーヴン・ソダーバーグらインディー映画界の作家たちへのシルヴァーの評価だ。"私はアメリカ映画を芸術と思ったことはありません。ランボーのような芸術こそ私にとっての理想なんです、芸術家であるためにはジャン・ジュネのように日々苦しみながら闘い続ける存在でいなくてはならない。大学時代、皆がポール・トーマス・アンダーソンブギーナイツを観ろと薦めてきましたし、実際面白いとは思いました。それでもタランティーノや彼のような存在を見習いたいとは思わなかったし、芸術家とも思わなかった。私にとって彼らはただ金を稼ぐのに長けた人間というだけなんです"*2

こうして主にヨーロッパの文化に親しみ、NYU卒業後からシルヴァーは作品製作を始め、2006年の"Natalie Bonn"で映画監督として本格的にデビューする。売れない俳優志望の女性が、とある少女が溺死したというラジオニュースを聞いた事から現実と妄想の区別がつかなくなっていく……という作品だそう。2007年には姉の結婚を前にした弟の心模様を描き出した"With or Without Reason"を、2008年には"Anecdote"を監督する。後者は将来に希望を見出せない女性がハウスクリーニングの仕事に就くのだが、何の解決策も見いだせないまま無意味に時間だけが過ぎていく……という悲喜劇を白黒の端正な映像で描き出した作品で、スラムダンス映画祭で上映され話題となる。

2009年には初の長編作品"The Blind"を監督する。建築家のマーカスは不遇の時を過ごしており、その不満を恋人であるケイトに向ける日々が続いていた。そしてそんな歪な関係性は徐々に悍ましい破綻へと近づいていく……という日常に潜む恐怖を描き出した作品なのだが、彼自身は"大失敗"と形容しており、誰にも見せるつもりはないのだという。そしてこの時代のことを彼はこう語っている。

"最初の頃、私は独裁者のような存在でありたいと思っていた、全てを自分の手で掌握したいと思っていたんです(中略)なので自分のする何もかもに不満を抱えることになってしまいました(中略)いつだって自分の作品を恥さらしと感じていたんです。長編に取り掛かる間、私は40人という過剰としか思えない人数のスタッフと仕事を共にしていましたが、こんなの制御できないしそうする気も自分にはないと気付きました。あれでは私の性に合うような作り方が出来ないと分かったんですよね。基本的に私は自分を破綻に追い込むタチなんです。なので作業の後は深い憂鬱に陥ってしまった故に、全く逆のやり方に打って出てその時気付いたんです、カオスな状況に身を置いた方が自分は楽しめるのだと" そして彼はそのカオスを体現した第2長編「エレナ出口」を監督する。

19歳の少女エレナ(Kia Davis)には帰るべき家がない、頼るべき友人も家族も居なかった。しかし何とか介護士の資格を得た彼女は住み込みで働ける職を探し、フローレンス(Gert O'Connell)という体の不自由な老女の在宅介護という仕事を手にする。エレナは早速彼女の元へと向かうのだが、その家にはフローレンスの息子ジム(Jim Chiros)と彼の妻であるシンディ(Cindy Silver, シルヴァーの実母)も住んでいた。2人の仲は険悪で、エレナの目の前で壮絶な口喧嘩を繰り広げる始末。それでも居場所のないエレナは、ここで働くしか道がなかった。

シルヴァーは作品全編に何処となく居心地の悪いムードを漂わせる手捌きに長けている。エレナは蝋人形のようなフローレンスを付きっきりで世話するのだが、まだ初心者である彼女の行動の端々にはぎこちなさが宿る。ベルトの使い方も熟知していない、アクシデントの数々に対し見る間に疲弊する、彼女にしてみれば見られたくないだろう場面をシルヴァーは嫌がらせの如くカメラで捉えていくのだ。そして彼女たちの肉体の営みをDavid Dahlbomのカメラは気味の悪い距離感で見つめていく。例えばプールにおいてエレナがフローレンスを介護する姿、椅子に座る、プールサイドに腰を落ち着ける、少し水に浸かる、これらどの所作にも老いという名の危うさが宿り、エレナの献身によって何とか脆いバランスを保たれる訳だが、この時カメラは彼女たちの真正面にいるかと思えば、プールサイドの逆側に位置が移りジーッと眺めるような撮影となり、かと思えば周りに建つ家の屋上からエレナたちを監視する。こうしてあらゆる位置からあらゆる感触を以て2人の姿をレンズに焼きつけるとそんな気味の悪さが「エレナ出口」には汪溢しているのだ。

この作品には観客を居たたまれない心地に陥れる一瞬が多く存在している。ある時エレナはフローレンスのためコーヒーショップに赴くのだが、飲み物を受け取って10秒後にそれを店の床にブチ撒けてしまう。ごめんなさい、いや大丈夫ですよ、そんな声が響く中で茶色い染みが路上の嘔吐物さながら広がっていく。観てるこちらとしてはエレナ側にも店員側にもなりたくないし、そもそもこんな状況には絶対に居合わせたくないだろう。シルヴァーはそういう事態を嬉々として起こしまくり、エレナと観客の心を居たたまれなさで追い詰めていく訳だ。

そういった意味で印象的なのは、本作にはある空間で繰り広げられている会話を別の場所にいるエレナが聞いてしまうといった場面が多いことだ。庭でフローレンスの世話をしている時にはリビングからシンディたちの激しい口論が聞こえ、部屋で寝転がっている時には何か話すヒソヒソ話が否応なく耳に入る。そこで何が話されているかは重要ではない、何か声が聞こえることそれ自体が重要なのだ。その時カメラはエレナの顔に浮かぶ表情を捉える、絶えず不安に怯える小動物のような、勘弁してよと声にしたくとも心の内に留めるしかないもどかしさが滲む表情を。

更にシンディの息子であるネイサン(シルヴァー監督が兼任)が帰ってくると事態は深刻さを増す。彼はいわゆる放蕩息子という奴で、彼から電話が掛かってくる度にシンディの怒声が家中に響き渡り、緊張感がピアノ線さながら張り詰めるのだが、彼の帰還はやはり波紋を巻き起こすのだ。一家が全員揃ったディナーの時間、最初は平穏なムードで食事が進むのだが、ヘラヘラした態度を咎められたネイサンは"いつ何に笑うかは俺の勝手だろ!"とブチ切れ一瞬にして食卓は修羅場と化す。その時カメラは当然のようにエレナの顔へとズームしていき、苦虫を潰したかのような渋い面が画面一杯に浮かび上がる。その後も我が物顔で家に居座り続けるネイサンは彼女に手を出そうとし、思わぬ事件すら巻き起こり、エレナの神経は新たな家族という名のヤスリによって削り落とされていく。

劇中においてはシルヴァーは"ネイサン"役、母のシンディは"シンディ"役と本名がそのまま役名ともなっているが、これに関連して自伝的要素の有無、家族との共同作業についてシルヴァーはこう語っている。"自分たちの本名を使ったのは互いに別の名前で呼ぶのが馬鹿らしく思えたからなんです。作品には自伝的要素が確かに存在していますし、誇張した形ではありますが自分自身を演じてはいます。ですがこの物語自体、私たちの身に起こったという訳ではありません。祖母は私たちの家に住んでいたことはありませんし、介護士がいたということもないんです。それでも描かれる感情の数々は私の、そして俳優たちの人生に根差した物なんです。母について言うと……彼女は一番のサポーターでしたが、自分がやりたいことについて伝えてすぐ、母はお前は独裁者かと私に抵抗し始めたんですよね。私たちはいつもするように喧嘩して、勿論愛してあってるからこそなんですが、それでも撮影は快調という訳には行きませんでした。家族でも友人でもないクルーが1人だけ撮影途中で止めてしまったんです、セットに来るとパニックの発作に襲われるからと"*3

シルヴァーをポスト・マンブルコア世代の筆頭的存在として挙げているのは、双方の演出に相似点が多く見られるからだ。超低予算、家族を含めた素人の起用、即興演技中心の筋立て、閉じられた世界における"関係性 Relationship"というテーマをシルヴァーとマンブルコアは共有している。だが彼が根本的にはマンブルコアと異なり次世代の存在とも言うべき映画作家である理由はその価値観にある。マンブルコアの作家陣は友人や恋人、家族などの関係性を自明の物として扱い、その繋がりを良好に保ち続けることがいかに難しいかという苦闘の記録を描いてきた。しかしシルヴァーはそんな"関係性"に猜疑の目を向け、こういった概念は社会によって仕立てあげられた虚構であると示唆する。

それを象徴するシークエンスが存在する。ある時シンディがエレナを誘ってエクササイズに連れていくが、そんな気分ではなかったのだろうエレナは途中で退出してしまう。そんな彼女にシンディは、何がいけなかったの? 私たちはもう家族なんだから言いたいことがあるならちゃんと言ってねと詰問するのだ。相手の善意を踏みにじってしまったと感じるエレナは罪悪感に苛まれる訳だが、この善意が問題なのだ。誰かを助けたいと思う気持ち、言葉にすれば綺麗な物に見えるがシルヴァーの作品においては最も忌まわしい概念がこれだ。他者への配慮もなしに振りかざされる善意はむしろ害悪でしかないが、良かれと思ってやっている存在にとってその否定は身勝手な怒りに繋がり、善意を受けさせられる人間にとっては否定してしまったことへの罪悪感と自己嫌悪に繋がる。それは相互間に横たわる溝を深くし、最後には凄惨な破綻を呼び込むことになる。"地獄への道は善意で舗装されている"とはハイエクの言葉だが「エレナ出口」には小さいながら濃密な地獄が広がっているのである。

そして彼が提示する、人間が2人以上集まった時点でそこには善意が生まれる故に、個と個の断絶以外に"関係性"が存在することは有り得ないという共同体の不可能性、それは以降の作品へも脈々と受け継がれていくこととなる。

参考文献
http://bombmagazine.org/article/1000164/nathan-silver(監督インタビューその1)
http://www.morningtomorning.org/#!nathan-silver-interview/c1rva(監督インタビューその2)
http://revolver-film.blogspot.jp/2015/10/interview-with-nathan-silver.html(監督インタビューその3)

結局マンブルコアって何だったんだ?
その1 アーロン・カッツ&"Dance Party, USA"/レイプカルチャー、USA
その2 ライ・ルッソ=ヤング&"You Wont Miss Me"/23歳の記憶は万華鏡のように
その3 アーロン・カッツ&"Quiet City"/つかの間、オレンジ色のときめきを
その4 ジョー・スワンバーグ&"Silver Bullets"/マンブルコアの重鎮、その全貌を追う!
その5 ケイト・リン・シャイル&"Empire Builder"/米インディー界、後ろ向きの女王
その6 ジョー・スワンバーグ&"Kissing on the Mouth"/私たちの若さはどこへ行くのだろう
その7 ジョー・スワンバーグ&"Marriage Material"/誰かと共に生きていくことのままならさ
その8 ジョー・スワンバーグ&"Nights and Weekends"/さよなら、さよならグレタ・ガーウィグ
その9 ジョー・スワンバーグ&"Alexander the Last"/誰かと生きるのは辛いけど、でも……
その10 ジョー・スワンバーグ&"The Zone"/マンブルコア界の変態王頂上決戦
その11 ジョー・スワンバーグ&"Private Settings"/変態ボーイ meets ド変態ガール
その12 アンドリュー・ブジャルスキー&"Funny Ha Ha"/マンブルコアって、まあ……何かこんなん、うん、だよね
その13 アンドリュー・ブジャルスキー&"Mutual Appreciation"/そしてマンブルコアが幕を開ける
その14 ケンタッカー・オードリー&"Team Picture"/口ごもる若き世代の逃避と不安
その15 アンドリュー・ブジャルスキー&"Beeswax"/次に俺の作品をマンブルコアって言ったらブチ殺すぞ
その16 エイミー・サイメッツ&"Sun Don't Shine"/私はただ人魚のように泳いでいたいだけ
その17 ケンタッカー・オードリー&"Open Five"/メンフィス、アイ・ラブ・ユー
その18 ケンタッカー・オードリー&"Open Five 2"/才能のない奴はインディー映画作るの止めろ!
その19 デュプラス兄弟&"The Puffy Chair"/ボロボロのソファー、ボロボロの3人
その20 マーサ・スティーブンス&"Pilgrim Song"/中年ダメ男は自分探しに山を行く
その21 デュプラス兄弟&"Baghead"/山小屋ホラーで愛憎すったもんだ
その22 ジョー・スワンバーグ&"24 Exposures"/テン年代に蘇る90's底抜け猟奇殺人映画
その23 マンブルコアの黎明に消えた幻 "Four Eyed Monsters"
その24 リチャード・リンクレイター&"ROS"/米インディー界の巨人、マンブルコアに(ちょっと)接近!
その25 リチャード・リンクレイター&"Slacker"/90年代の幕開け、怠け者たちの黙示録
その26 リチャード・リンクレイター&"It’s Impossible to Learn to Plow by Reading Books"/本を読むより映画を1本完成させよう

ポスト・マンブルコア世代の作家たちシリーズ
その1 Benjamin Dickinson &"Super Sleuths"/ヒップ!ヒップ!ヒップスター!
その2 Scott Cohen& "Red Knot"/ 彼の眼が写/映す愛の風景
その3 デジリー・アッカヴァン&「ハンパな私じゃダメかしら?」/失恋の傷はどう癒える?
その4 Riley Stearns &"Faults"/ Let's 脱洗脳!
その5 Gillian Robespierre &"Obvious Child"/中絶について肩の力を抜いて考えてみる
その6 ジェームズ・ポンソルト&「スマッシュド〜ケイトのアルコールライフ〜」/酒が飲みたい酒が飲みたい酒が飲みたい酒が飲みたい…
その7 ジェームズ・ポンソルト&"The Spectacular Now"/酒さえ飲めばなんとかなる!……のか?
その8 Nikki Braendlin &"As high as the sky"/完璧な人間なんていないのだから
その9 ハンナ・フィデル&「女教師」/愛が彼女を追い詰める
その10 ハンナ・フィデル&"6 Years"/この6年間いったい何だったの?
その11 サラ=ヴァイオレット・ブリス&"Fort Tilden"/ぶらりクズ女子2人旅、思えば遠くへ来たもので
その12 ジョン・ワッツ&"Cop Car"/なに、次のスパイダーマンの監督これ誰、どんな映画つくってんの?
その13 アナ・ローズ・ホルマー&"The Fits"/世界に、私に、何かが起こり始めている
その14 ジェイク・マハフィー&"Free in Deed"/信仰こそが彼を殺すとするならば
その15 Rick Alverson &"The Comedy"/ヒップスターは精神の荒野を行く
その16 Leah Meyerhoff &"I Believe in Unicorns"/ここではないどこかへ、ハリウッドではないどこかで
その17 Mona Fastvold &"The Sleepwalker"/耳に届くのは過去が燃え盛る響き
その18 ネイサン・シルヴァー&"Uncertain Terms"/アメリカに広がる"水面下の不穏"
その19 Anja Marquardt& "She's Lost Control"/セックス、悪意、相互不理解
その20 Rick Alverson&"Entertainment"/アメリカ、その深淵への遥かな旅路
その21 Whitney Horn&"L for Leisure"/あの圧倒的にノーテンキだった時代
その22 Meera Menon &"Farah Goes Bang"/オクテな私とブッシュをブッ飛ばしに
その23 Marya Cohn & "The Girl in The Book"/奪われた過去、綴られる未来
その24 John Magary & "The Mend"/遅れてきたジョシュ・ルーカスの復活宣言
その25 レスリー・ヘッドランド&"Sleeping with Other People"/ヤリたくて!ヤリたくて!ヤリたくて!
その26 S. クレイグ・ザラー&"Bone Tomahawk"/アメリカ西部、食人族の住む処
その27 Zia Anger&"I Remember Nothing"/私のことを思い出せないでいる私
その28 Benjamin Crotty&"Fort Buchnan"/全く新しいメロドラマ、全く新しい映画
その29 Perry Blackshear&"They Look Like People"/お前のことだけは、信じていたいんだ
その30 Gabriel Abrantes&"Dreams, Drones and Dactyls"/エロス+オバマ+アンコウ=映画の未来
その31 ジョシュ・モンド&"James White"/母さん、俺を産んでくれてありがとう
その32 Charles Poekel&"Christmas, Again"/クリスマスがやってくる、クリスマスがまた……
その33 ロベルト・ミネルヴィーニ&"The Passage"/テキサスに生き、テキサスを旅する
その34 ロベルト・ミネルヴィーニ&"Low Tide"/テキサス、子供は生まれてくる場所を選べない
その35 Stephen Cone&"Henry Gamble's Birthday Party"/午前10時02分、ヘンリーは17歳になる

*1:アメリカのレンタルビデオ店ケイト・リン・シャイルアレックス・ロス・ペリーがNYU時代にバイトしていた場所でもある。というか作品のサンクス欄に彼らの名前があるので、大学時代に知り合っていた確率濃厚。

*2:http://revolver-film.blogspot.jp/2015/10/interview-with-nathan-silver.html

*3:http://filmmakermagazine.com/47480-five-questions-for-exit-elena-director-nathan-silver/#.V1l9abuLTIU