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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Noah Buschel&"The Missing Person"/彼らは9月11日の影に消え

Noah Buschel&"Bringing Rain"/米インディー映画界、孤高の禅僧
Noah Buschel&"Neal Cassady"/ビート・ジェネレーションの栄光と挫折
Noah Buschelの略歴およびデビュー長編"Bringing Rain"と第2長編"Neal Cassady"についてはこの記事
参照

2001年9月11日、テレビの前で世界中の人々が、崩れるツインタワーを成す術もなく見守っていた。アメリ同時多発テロによって余りにも膨大な数の命が奪われ、アメリカの風景は一変してしまった。この事件はアメリカの何もかもに甚大な影響を与えたが、映画も例外ではなかった。ツインタワーの影は何処からも消え去り、娯楽映画から牧歌的なムードが排され、登場する悪役の首はイスラム教の過激派集団にすげかわっていく。

そんな中で映画作家たちは他ならぬ自分たちの当惑と哀しみを整理するため9.11を題材とした作品を作り始める。オリヴァー・ストーンワールド・トレード・センターを、ポール・グリーングラスは「ユナイテッド93」を作り、そしてNoah Buschelは2009年に第4長編としてマイケル・シャノン主演のネオ・ノワール映画"The Missing Person"を作り上げる。

この物語の主人公はうらぶれた中年男ジョン・ローソ(「ラブコメ処方箋〜甘い恋の作り方」マイケル・シャノン)、ある事件がきっかけで警察を辞職し私立探偵になり果てたアル中男。朝5時、酒浸りには些か酷な時間、ジョンの元に1本の電話がかかってくるーー朝7時、"カリフォルニアのそよ風"という名前の列車に乗り込め。矢継ぎ早に部屋に現れるのは電話主の秘書だというMs.チャーリー("Neal Cassady"から続投のエイミー・ライアン)、彼女はその列車に乗るという男性の写真を渡し、彼を追跡して欲しいという言葉を残し部屋から去っていく。何が何だか状況が飲み込めないジョンだが取り敢えず彼は列車へと乗り込む、行く先はロサンゼルスだ。

Noah Buschelが今回選んだジャンルはノワール、しかも舞台がロサンゼルスと言えば「深夜の告白」「チャイナタウン」「L.A.コンフィデンシャルなど錚々たる傑作群が並ぶが、Buschelがただそういった偉大な先人の行った道筋をなぞる訳がない。今作はあの傑作群に引けを取らないゼロ年代の刻印が強く刻まれた作品となっている。Buschelの眼に映るロサンゼルスには独特な味がある。鮮やかさなど刈り取られた東海岸、陽光と熱の残滓は16mmの不穏な粒子に濁りたち、セピア色の世界には爽やかな陽気など一切感じられない。代わりに此処では苦く陰鬱な物語が繰り広げられるのだろうという予感が観客の心に満ちる。

本作の撮影監督は前2作のヤーロン・オーバックからライアン・サムル(「ステイク・ランド」「肉」などジム・ミックル作品常連)に交代したが、これがBuschel作品が真の意味で覚醒するきっかけとなったと言っても過言ではない。少し上にも記したが、まずノワールの雰囲気を醸造する手捌きが抜群に巧みだ。ジョンとチャーリーがセピア色の部屋で対面する時、2人の間に見える窓のブラインドから、轟音と共に外を通り過ぎる電車の灯りが乱暴に瞬く光景は正にノワール映画の始まりに相応しい。そしてジョンの踏み込む世界には何処にでも陰影が刻み込まれており、彼の内面世界がいかに暗澹たる様かが手に取るように分かる。

だがジャンル的な枠組み以上に、彼の撮影はBuschelの精神性・作家性と共鳴しあう物となっているのが重要だ。サムルの撮影はワンカットワンカットが前作に比べてかなり長くなっているのだ。ジョンが列車の廊下を千鳥足でフラつく、ロサンゼルスのホテルで2階の部屋から男を監視する、そして座席でジョンがゆっくりと眠りに落ちる。こういったシークエンスをサムルはじっくりとレンズに焼きつけていく。此処には時間が過ぎ去るものであるという感覚、そしてその流れに身を任せながら環境や人生に対して内省を重ねていくという感覚が濃厚だ。それ故に物語の速度はひどく遅々としており、そこに拒否反応を示す人々は少なくないだろう。だがこの禅的な感覚がBuschelを他の作家たちと一線を画している理由であることに疑いの余地はない。

ジョンは謎の男と、彼が連れているハビエルという少年を追ううちに砂漠へと迷いこむこととなる。痩せ細ったサボテンだけが天を目指す不毛の大地、その荒涼たる様は16mmの粒子と良く似合う。それでも作品は陰鬱一辺倒かと言えばそうではない。脚本は常にBuschel自身が執筆しているが、彼は緊密な内省のムードに妙なユーモアをも絡めていく。ジョンは男を乗せたタクシーの運転手ヘーロ(「恋するための3つのルール」ジョン・ヴェンティミリア)に近づいていくのだが、何故かアル・パチーノが主演したセルピコについての駄話が始まってしまう。父親が実際のセルピコに会ったことがある、セルピコが飼ってた犬種ってセント・バーナードだったか云々かんぬん……まるでタランティーノ映画さながらの無駄話だが、それはまた劇中において正義の定義を問う内政への導きとして機能する。Buschel作品においてはユーモアもまた内省に奉仕する要素なのだ。

そうして内省の迂遠なる道のりを経た後に、私たちは9月11日という日付に辿り着くことになる。Buschel監督は作品の構想源についてこう語っている。"9.11が起きた時、私はマンハッタンの下町に住んでいて、ちょうど家でレイモンド・チャンドラーを読んでいたんです。翌月からあらゆる場所に行方不明者についてのポスターが貼られるようになりました。そこに載っている人々は殆どが亡くなっていたのでしょう。しかしもしかしたら生きている可能性もある……そんな考えから脚本執筆が始まりました"

多くの人々が命を落とし、アメリカが凄まじい暴力の道へと再び舵を切る切っ掛けとなったあの日、一体誰が何を失ったのか、生き残った人々の心にどんなに深い傷が刻まれてしまったのか。ジョンはその答えなど与えられることのない問いへと足を踏み入れることを余儀なくされる。

今作には、何故かセグウェイに乗っているロサンゼルス警察やアクの強いタクシー運転手たち(その中の1人はBuschel作品常連のロドリゴ・ロプレスティ)といった出番が数分にも満たないキャラから、物語における重要人物に至るまで魅力的なキャラクターが多く登場する。例えばノワール作品の常としてジョンは行きずりの女と寝る訳だが、その女性ラナ(火星人ゴーホーム!」マーガレット・コリン)との掛け合いは陳腐な展開に傾くかと思えばジョンが抱く孤独の複雑な構図を浮かび上がらせ、本筋に深く関わらずとも酷く印象的だ。そしてエイミー・ライアン演じるチャーリーは謎めいた存在感でジョンを翻弄する役回りだが、その様は成熟した大人同士の余裕ある戯れといった風でノワールの掠れた黒に華を添えている。

しかしこの作品の中心にいるのは私立探偵ジョン・ローソと彼を演じるマイケル・シャノンに他ならない。アルコールに心を絡め取られ何度も醜態を晒す私立探偵、タバコを吸うたび周囲の人間から注意されるヘビースモーカー、写真機能付き携帯のような最新機器を使いこなせない時代遅れの中年男、ノワール映画の主人公にこれほど打ってつけな人間がいるだろうか? 武骨な風体と飄々たる態度の裏には、だが深い哀しみが横たわっている。いくら言葉を重ねるよりも雄弁にシャノンの岩石のような横顔からは、9.11という名の喪失の痛みが堪らないほど滲み出ている。それを抱えながら前へ進み続けるジョンが辿り着くのは幾つもの切実な思いだ。そして彼は1つの選択を果たす。選択は正しかったのかそうでなかったのか、その問いは恐らく観客はモヤモヤとした心地に陥らせるだろう。だが世界はそういった曖昧さでこそ出来ている、私たちが受け入れる受け入れないとに関わらずそれは揺るぐことなどないのだと、最後かすかにくゆるタバコの白煙は語る。


参考文献
http://www.indiewire.com/2009/01/noah-buschel-the-missing-person-trusting-your-instincts-and-avoiding-indie-cliches-70956/(監督インタビュー)
http://www.ifc.com/2009/01/interview-michael-shannon-on-t(マイケル・シャノンのインタビュー)

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