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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

アリアーヌ・ラベド&「フィデリオ、あるいはアリスのオデッセイ」/彼女の心は波にたゆたう

先日"ギリシャの奇妙なる波"を代表する作家ヨルゴス・ランティモスの初英語作品「ロブスター」が上映された。コリン・ファレルレイチェル・ワイズレア・セドゥーなど日本でも有名な実力派俳優が多く出演しているが、そんな中であのメイドを演じていた俳優は誰だ?あの何か滅茶苦茶クネクネしたダンスを踊る俳優一体誰だ?と思った方は少なくない筈だ。ということでここでは今注目の新人俳優アリアーヌ・ラベドについて紹介していこう。

アリアーヌ・ラベド Ariane Labed (本当の表記はアリアンヌ・ラベらしいが取り敢えず広く使われているこっちで)は1984年5月4日ギリシャアテネ生まれの32歳、現在はロンドンのハイベリー在住でプロのダンサーとしても活躍している。ギリシャ語や英語に加え、両親とも仏人ゆえフランス語も堪能でプロヴァンス大学では演劇を学んでいた。そんな彼女が映画デビューしたのは2010年、アティナ・レイチェル・ツァンガリ監督作"Attenberg"でだった。詳しくは紹介記事を読んで欲しいのだが、世界に居場所を見出だせず、自分の肉体にすら嫌悪感を催しながらも、性と死を学びとり肉体と精神を重ね合わせようと足掻く女性の姿を好演、ダンサーとしても活躍する彼女の身体感覚とツァンガリ監督の奇想は化学反応を起こし、"ギリシャの奇妙なる波"がその始まりを告げることとなる。今作でラベはヴェネチア国際映画祭の女優賞を獲得、デビュー作での受賞は「ポネット」ヴィクトワール・ティヴィソル以来14年ぶりの快挙だった。

そして彼女は"Attenberg"では俳優として出演していたランティモス監督の次回作"Alpeis"(この紹介記事も読もう)に出演する。まず冒頭、ラベはリボンをその手に持ち舞台に佇む。流れるのはカール・オルフによるカンタータ「おお、幸運の女神」だ、そして意を決して彼女は身体を躍動させ、その類稀な感覚を私たちに惜しげもなく披露する。この作品において主演の座こそ「籠の中の乙女」のアンゲリキ・パブーウァに譲ってはいるが、ラベの一挙手一投足は"奇妙なる波"に宿る身体性を前進させている。終盤においても、ギリシャのエレクトロニックデュオMarsheauxによる"Popcorn"リミックスに乗せたダンスは正に神業としか言い様がない(ちなみに日本のユニットで"Popcorn"をリミックスしているのがあの電気グルーヴ、最初は彼らの楽曲が流れたと勘違いして一人で興奮してしまっていた)。実生活でもラベはランティモス監督と親交を深めて結婚、順風満帆な彼女はギリシャだけではなく欧米へと活躍の場を広げる。

まずはサラエボ、希望の街角」でお馴染みボスニア人監督ヤスミラ・ジュバニッチ"Love Island"に主演、ラベドは夫と共にやってきたバカンス地で謎めいた女性に恋をしてしまう妊婦を演じ高評価を受ける。さらにツァンガリ監督が製作を務めたビフォア・ミッドナイトではイーサン・ホークジュリー・デルピーと共演など話題作への出演が続き、2014年には母国フランスに戻り今回紹介するフィデリオ、あるいはアリスのオデッセイ」で主演を果たす。ラベドは今作によってロカルノ映画祭の女優賞を獲得したのと同時に、セザール賞の新人俳優賞にノミネートされるなど気鋭の俳優として話題となる。

その売り出し期に出演した作品で重要な作品が1本。そのほとんどが未公開作か出ていても出演時間は少しというのが多いながら、日本でもラベドの確かな演技力を味わえる作品がiTunesYoutubeでのみネット配信されているベルギー映画「それぞれの場所をさがして」だ。ラベが演じるのは海洋学を研究しながら少年院ではボランティアとして働く若い女性だ、彼女は心に傷を抱えアパートから飛び降り自殺を図るのだが、窓からその光景を見ていた中年男性(「ありふれた事件」ブノワ・ポールヴールド)に助けられ交流が始まる。世界の隅に踞る2つの孤独が触れあい癒されるというドラマの常道を行きながらも、ラベはその癒しに身を任せることが出来ないほどの絶望に蝕まれた女性を熱演している。"あなたの孤独はわたしの孤独と相容れない"と、観た後にはそんな彼女の悲痛な叫びが静かに響く、苦くも余韻深い作品ゆえに必見だ。

そして夫ランティモスの最新作「ロブスター」に出た後も出演作には事欠かない。まずカナダの変人ガイ・マディン"The Forbidden Room"と彼の次回作"Seances"に連続出演、2016年には方やベルギーの鬼才フィリップ・グランドリューの新作"Malgré la nuit"、方やベルギー気鋭の新人Antoine Cuypersのデビュー長編"Prejudice"(この紹介記事も読んでね)に出演、更には同名ゲームを映画化したマクベスジャスティン・カーゼル×マイケル・ファスベンダー主演作"Assassin's Creed"のヒロインに抜擢されるなど快進撃は続いている。ということでザッと彼女のキャリアを見ていった所でリュシー・ボルルトー監督作フィデリオ、あるいはアリスのオデッセイ」(原題:Fidelio, l'odyssée d'Alice)のレビューに入っていこう。

30歳のアリス(アリアーヌ・ラベド)は船員として1年の殆どを海の上で生活している。陸ではノルウェー人の恋人フェリックス(「リプライズ」Anders Danielsen Lie)が自分を待ってくれているが、否応なしに離れ離れの日々が続いている。そんな中アリスは勤務中に事故で亡くなった船員の代わりに、貨物船フィデリオに乗り込むこととなる。しかしそこにはかつての恋人ガエル(「誘惑/セダクション」メルヴィル・プポー)の姿もあった。

前半においてフィデリオはアリスの船上での生活を淡々と映し出していく。エンジニアである彼女はエンジン室で油にまみれながら機器の検査やメンテナンスを行っているが、テープでグルグル巻きにされた配管を愛おしげに撫でる姿にはプロとしての矜持が宿っている。船内には新人からベテラン、ルーマニア人からフィリピン人まで様々な人々が集まり、様々な文化が混じりあっている。その中で女性はアリスたった1人だ。しかしだからといって今作は男性社会における性差別の実態やそのような場所での奮闘を描く訳ではない。女性であるからとプロとしての資質が問われる展開にも勿論ならない。

今作の主眼はアリスの抱く性の移ろいにある。フェリックスとの仲は良好で、港に着く度スカイプで愛の言葉を語り合うが、会いたい時に会えないという日々に彼女たちの関係性は絶えず揺らぎ続ける。そんな状況でアリスはガエルと再会を果たすのだが、元鞘は御免だと距離を取りながらも昔の甘い記憶が彼女の心を絡めとる。ある時アリスはフェリックスのことを想いながら性欲を解消しようとするが、自分に笑いかけるのは彼ではなくガエルなのに彼女は気づいてしまう。

この彼女の移ろいと呼応するのが事故で亡くなったという船員パトリックだ。彼の死体はアリスも交えた葬儀の最中、遺言に従って海へと葬られていく。その後アリスが見つけたのがパトリックの日記だ。そこには彼の思いがとりとめもなく綴られている。船員という因果な仕事、苦境にある妹に何もしてやれない辛さ、だがアリスや私たちの耳に最も痛ましく響くのは愛の欠落だ。彼は港に着くたび娼婦を買うが、欠落は満たされることがない。彼には何をどうすれば良いのか全く分からず、その当惑を娼婦との無意味な交流で慰めるしかない。そうして最後には死に導かれたパトリックの深い孤独は、日記を読むアリスの心に入り込むと同時に、物語それ自体に色濃い影を投げ掛ける。

つまり監督の描こうとしているのは関係性を築くことの耐え難い困難さについてだ。アリスが女性であること、それは仕事に作用することはないが、誰かと関係を築くことには大きな影響がある。船員の男性たちは壁のあちらこちらに女性のヌード写真を張り、猥談に華を咲かせ、港に着けば女漁りに繰り出す。彼女は彼らの価値観を共有しようと努力するが、この価値観において女性ーー少なくとも異性愛者の女性についてはーーは主体でなく客体であり、男性たちが密な関係性を維持するために眼差される対象でしかないのだ。その事実が彼女と船員たちの間に横たわり、信頼は確かに存在しながら固い絆を結ぶには行かない微妙な関係だけが残る。

それは愛についても同じだ。アリスは一旦はガエルを拒みながらも、ベッドを共にし心地よい時間を過ごす。だがその行動はフェリックスをもう愛していないことを意味する訳ではない。アリスは陸と海にいる2人の男性の間を彷徨い続ける。あるきっかけでガエルとの関係がフェリックスにバレて怒りを告げられた後、1人涙を流すアリスを自業自得と取る観客も少なくはないだろうが、監督の描き出す移ろいには一面的ではなく、言葉にはされない感情の機微というべき複雑さが織り込まれている。

その複雑さを支えるのがある2つの要素の重なりだ。撮影監督のシモン・ボフィス(「真夜中過ぎの出会い」)は貨物船フィデリオの周囲を取り巻く大海を雄大な美しさそのままに捉えていく。どこまでも広がる青の色彩は優しさと苛烈さを等しく抱きながら世界に満ちている。波に震える船体の傍らには1人の難民が乗ったゴムボート、遠くに見えるのは濃厚な霧に覆われた港の灯火、そして甲板で煙草を吸うアリスが見つめるのは、フィデリオが引き裂いていった海面にたゆたう波と泡の抽象画。一瞬一瞬にその姿を変え、同じ彩りに戻ることはない。

この風景こそが正にアリスの心に浮かぶ風景でもあるのだ。アリスは海の人間だ。生きるとはつまり波にたゆたうこと、1つの場所に落ち着くことはなく永遠の旅を続けること。愛についても同じだ。1つの愛に身を置き続けることはなく、その時信じられる愛へ彼女は向かっていく。だがそれは多くの場合裏切りと見なされ、傷つくことから逃れられない。アリス自身そんな自分に苦悩し、孤独に絡め取られていく。そんなアリスをこの物語は深い愛情と共に肯定する、彼女の生き方を、彼女のたゆたう心を抱きしめる、それが"アリス"なのだと。

ラベドはそんな彼女の心を薄くしなやかな肉体によって演じていくのだが、注目すべきなのはラベドは主演作の殆どで海と様々に関わりあっている点だ。"Attenberg"では彼女にとって大事な物を海へと投げ捨て、フィデリオでは波打つ海に自身の愛の揺らめきを投影し、「それぞれの場所を探して」では彼女の最終目的地こそが海なのだ。つまりアリスだけでなくラベドもまた海の人間なのだ。彼女はいつも海と共にある、激しさは叩きつける波、静かさは果てしない凪、彼女の演技からは私たちにとって親しみあるだろう海の響きが聞こえてくるのだ。

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