鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

ジェシカ・ウッドワース&"King of the Belgians"/ベルギー国王のバルカン半島珍道中

さてベルギーである。正式名称ベルギー王国、フラマン語公用語とするフランデレン地域、フランス語を公用語とするワロン地域とブリュッセル首都圏の3つから成り立つ連邦立憲君主制国家だ。そして首都ブリュッセルにはEUの主要機関が多く置かれているために"EUの首都"とも称されている。と、そういった背景がベルギーにはある訳であるが、今回はベルギー王国ひいてはヨーロッパが抱える複雑な問題を独特のユーモアで描き出した作品"King of the Belgians"とその監督ジェシカ・ウッドワースを紹介していこう。

ジェシカ・ウッドワース Jessica Woodworthは1971年アメリカに生まれた。プリンストン大学では文学を、スタンフォード大学ではドキュメンタリーを学んでいた。卒業後は香港や北京のテレビ局で働きながら、1999年に初の長編作品"Urga Song"を監督し、更に2002年にはモロッコで中編ドキュメンタリー"The Virgin Diaries"を手掛ける。

だが彼女の運命を変えたのはベルギーの映画監督ピーター・ブロッセンとの出逢いだった。2006年に2人は初の共同監督作"Khadak"を製作、モンゴルを舞台とした本作は、放牧生活を行う根無し草の若者が深刻な疫病をきっかけに人生を見つめ直さざるを得なくなる姿を描いた幻想的な作品でヴェネチア国際映画祭で期待の新人監督に送られるルイジ・デ・ラウレンティス賞を獲得するなど大いに話題となる。2009年にはペルーを舞台とした作品"Altiplano"を監督、戦場カメラマンの主人公が医者である夫と共にアンデス山脈の麓にある村へとやってきたことから起こる苦難を綴る作品で、カンヌ映画祭の批評家週間に選出されるなど高く評価された。そして共同3作目はブロッセンの故郷ベルギーを舞台とした「フィフス・シーズン〜春の来ない村」を製作(そう、今作だけWOWOWで放送されているのだ)、ゲン担ぎのお祭りが失敗したのをきっかけに、どんどん貧しくなっていく農民たちの姿を描いた本作はデンヴァー、ヴァリャドリッド、ヴェネチアなど錚々たる映画祭で賞を獲得することとなった。そして2016年には4年振りの新作として"King of the Belgians"を完成させる。

今作はベルギー国王ニコラ3世(「アルデンヌ」Peter Van den Begin)のドキュメンタリーという体で始まりを告げる。英国人映画監督であるダンカン・ロイド(Pieter van der Houwen、実際に映画監督でもある)はトルコ・イスタンブールを訪問する国王に密着中、側近のルドヴィグ(「フィフス・シーズン」Bruno Georis)や秘書ルイーズ(「フレンチ・ブラッド」Lucie Debay)からの監視を受ける故に当り障りのない姿しか撮すことが出来ないが、彼はこの途中で何かが起こると信じて撮影を続けていた。そんな中で彼らの元にある重大ニュースが届けられるーーワロン地域が独立を宣言しました!

ベルギー連邦分裂の危機に国王たちは大慌て、すぐさまベルギーへ帰国しようとしながら、何と時機が悪いことに太陽嵐のせいで飛行機は全便フライト不可能というお達し。足止めを喰らわされ焦燥ばきりが積もる国王たちに、ロイドがある計画を提案する。空はダメ、海を行くには遠すぎる、ならヨーロッパ大陸を横断してベルギーに向かうしかない。そうすると"ヨーロッパの火薬庫"バルカン半島を突っ切る必要がある……しかし背に腹は変えられない。そして国王たちの珍道中が幕を開ける!

今作はバルカン半島諸国を巡るユーモアに溢れたロードムービーだ。まず国王たちはブルガリアの伝統音楽を伝える合唱団に紛れ、花飾りに色とりどりの民族衣装を纏いながらトルコ国境を突破、彼らは首都ソフィアへと向かう。彼らが道中目の当たりにするのは女声合唱団の美しい歌声、全身フサフサで頭が異常に長い謎の生命体ククリ、ヨーグルトの品評会を開催する小さな町と空手4段の黒帯町長……その豊かな文化は国王たちを驚かせて止まない。その一方で国王はある女性からブルガリア語とフランス語には共通する言葉が幾つも存在するのだと教えられ、2つの国の思わぬ近さに思いを馳せる。

だが映し出される文化だけでなく、監督たちが描き出す国王たちの姿も魅力的だ。ルドヴィグは長年国王の側近を務めており彼の右腕的存在ながら、あまり融通が効かずそれが騒動を引き起こすきっかけともなる。秘書のルイーズと雑務係のカルロス(Titus De Voogdt)は若く有能だが、前者がルドヴィグと同じく頭のお堅い人物なら、後者は行動力があり不慮の事態にも臆すことがない、それ故に両者はことあるごとに対立することになる。

そして国王……については後に取っておくことにして、もう1人重要な人物が映画監督ダンカン・ロイドだ。彼はこの降って湧いた珍道中に対して嬉々としてカメラを携え、その全てを撮影していく。緊急事態にも国王たちを巻き込んで、構図を念入りに計算したり、地域住民へのインタビューを敢行したりとかなり自由人だ。今作は彼が撮影したドキュメンタリーという体で話が進む故に、ギャグ演出にリアリズムにと監督たちはそれを利用した演出を随所に挿入し、物語に華を添えていく。

そうして彼らはバルカン半島巡りは続くのだが、今作が巧みなのは民俗誌学的コメディという体裁で以てヨーロッパが内包する複雑な問題を炙り出していく点にある。ブルガリアを越えた国王たちはセルビアへと足を踏み入れる。そこで出会うのがドラガン(Goran Radakovic)というロイドの昔馴染みだ。ドラガンは歓待でもてなすのだが、2人の繋がりの裏側にはユーゴ紛争がチラつく。あの血みどろの内戦は約20年が経った今でも、人々の心には深い傷跡が残り、バルカン半島の歴史に影を投げ掛けているのだ。

そしてもう1つ印象的なシークエンスがある。酒の席に集まってきた人々が酔いの勢いもあってか、"トルコのEU加盟についてのドキュメンタリー"を作っているテレビクルーだと嘘をつくロイドたちに対しトルコを揶揄する発言を繰り広げるのだ。欧州の統合を理念とするEUだが、劇中ではむしろその存在が国同士に軋轢を生んでいると示唆する場面が多く見受けられる。この場面は、おそらく今作を撮影中の監督たちも予想していなかっただろうが、ベルギーと同じく連邦立憲君主制国家であるイギリスのEU離脱問題、トルコにおけるクーデターの勃発とエルドアン大統領による大規模粛清を経た現在では、また更に複雑な意味合いを持つこととなってしまっている。

こういった要素を内包しながらも、"King of The Belgians"の最後のピースとなるのが王政への葛藤である。前半においてニコラ三世は妻である女王の尻に敷かれ、自分が何をするべきか良く分からないまま周りの言う事に従って職務をこなしている。彼は人間である前に国王であり、そこに個は存在していない。だがバルカン半島を突き抜ける旅路の中で、彼はブルガリアの民族衣装を身に纏い、セルビアの酒に酔って意味もなくグルグルグルグル回り、モンテネグロの国境を大型車でブチ抜いていくうち、自分を解放していく。そして自身の王としての振る舞いを内省し、王政そのものへも思索を向けていく。そして王であるよりも前に人間として、彼は決断を果たすことになるのだ。

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