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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

デヴィッド・ゴードン・グリーン&「スノー・エンジェル」/哀しみの雪、絶望の痕

デヴィッド・ゴードン・グリーン&"George Washington"/僕は世界で一番強いヒーローになりたい
デヴィッド・ゴードン・グリーン&"All the Real Girls"/侘しい冬の日に灯る愛は……
デヴィッド・ゴードン・グリーン&「アンダートウ 決死の逃亡」/南部、熱と死の鬱蒼たる迷宮
デヴィッド・ゴードン・グリーン及び彼の過去作品についてはこちら参照。

「アンダートウ 決死の逃亡」の完成前後、デヴィッド・ゴードン・グリーンは次なる一歩としてジョン・ケネディ・トゥール“A Confederacy of Dunces”の映画化を進めることになる。一時は出演者としてウィル・フェレルドリュー・バリモアらが内定していたが計画は頓挫してしまう。ここから彼の裏キャリアというべき、ともすれば表と比肩するほどの興味深さを誇る“デヴィッド・ゴードン・グリーンによって作られなかった映画列伝”の幕を開ける。

長編3作目から4作目完成までの、2004年から2007年の間ですら幾つもの計画が立っては消えている。例えばモトクロスライダーであるジェームズ“ババ”スチュアートを描いた青春映画を、ゴードンはトム・クルーズの制作会社Cruise/Wagner Productionの元で製作、プレプロ段階まで行ったが結局頓挫してしまった。更にブラッド・ランドの回想記を元に、大学友愛会の壮絶な通過儀礼を描いた“Goat”はエミール・ハーシュ主演で話が進んでいたが暗礁に乗り上げてしまう(それでも後にグリーンはプロデューサーとして10年越しに今作を完成させた)更にダニー・マクブライドと共に脚本を執筆したデモリッション・ダービーが主題の作品“The Precious Few”リリィ、はちみつ色の秘密映画化などなど、様々な計画があったが全て頓挫という結果に陥ってしまう(これらについてはこの記事を参照、すごい沢山あります)

そんな苦境でグリーンが関わることになったのが、スチュアート・オナン(日本でも唯一「スピード・クイーンの告白」が邦訳済み)のスリラー小説“Snow Angels”の脚色だった。だが予定されていた監督が降板したことで、その出番が彼の元に回ってくる。何か新しい一歩を踏み出さなくてはと思っていたグリーンは南部を離れ、カナダはノヴァスコシア州へと赴く。そして彼は新たに書き直した脚本を元にして、第4長編である「スノー・エンジェル」を2007年に完成させたのである。

舞台はノヴァスコシアの雪深い田舎町、アニー(「フォービドゥン/呪縛館」ケイト・ベッキンセール)は夫だったグレン(「N.Y少女異常誘拐」サム・ロックウェル)と離婚し、実家に戻って3歳の娘タラ(Gracie Hudson)を育てる日々を送っていた。しかしタラは全く言うことを聞かず、グレンは何度も何度も復縁を迫ってくるという状況が続く中、救いを求めるアニーは仕事場の上司であり、友人の夫であるネイト(ナイトライダー2010」ニッキー・カット)と関係を持ってしまう。

そしてもう1人の主人公というべき高校生のアーサー(「45歳からの恋の幕アケ!!」マイケル・アンガラーノ)もまた辛い状況にあった。両親であるルーとドン(「墜落!ポトマック河の惨劇」ジャネッタ・アーネット「遺伝子組み換え食品」グリフィン・ダン)が長年の不和の後に離婚、その直後にドンが新しい恋人と連れ立っているのを見てしまい、鬱屈ばかりが心に募っていく。だがそんな中で彼が出会ったのが転校生ライラ(「ベストマン-シャイな花婿と壮大なる悪夢の2週間-」オリヴィア・サールビー)だった。写真が好きな彼女の姿にアーサーは惹かれ、二人の距離は出会った瞬間から急速に近づいていく。

George Washingtonから“All the Real Girls”そして「アンダートウ 決死の逃亡」を経て、グリーンの世界には「スノー・エンジェル」という名の再びの冬がやってきた、そう言えるだろう。4度目の登場である(そして今後も欠かすことの出来ない存在)撮影監督ティム・オールが今回捉えるのは凍てついた白の世界だ。辺り一面には雪が積り、陽光の元でそれらは宝石のような煌めきを見せている。そして町を行き交う人々の唇からは、真っ白い息が漏れ、冬の空気に煙のごとく揺らめいている。

だが町に広がる実情はその白と同じく美しいものではない。グリーンにとっては初めての試みであろうこの群像劇においては、人々の負の感情が這いずるように渦巻いている。シングルマザーという状況に追い込まれたアニーの苦悩と疲弊、愛する娘と引き離されたグレンの心に広がる白い廃墟、不倫という名の安らぎと裏切り……その中でアーサーとライラの間で紡がれていく初々しい愛だけが、微かな灯火として観る者の心に希望を運んでいく。

そんな錯綜した状況を描くため、グリーンはトレードマークである映像詩的なアプローチを最小限に抑えた上で、語りに注心している様が見て取れる。そしてそれは新しく参加した編集技師ウィリアム・アンダーソンとのタッグによって、目覚ましい成果を見せている。視点は絶え間なく人物から人物へと切り替わりながら、彼らの何気ない挙手挙動から性格を簡潔に語った上で、目まぐるしい物語を些かの混乱もなく、静かに鮮やかに描き出していく。そして事件が起こる。ある日育児にウンザリしたアニーが、外で遊びたいというタラを無視した結果、彼女が居眠りしている間にタラが姿を消してしまう。町を上げての捜索が行われるが、他でもないアーサーがタラの死体を発見することになる……

ここから物語は急転直下で悲劇へと転げ落ちていくが、そこで重要な役割を果たすのがグレンの存在だ。敬虔なキリスト教徒でありながら、離婚によって酒に溺れ定職にもつかない日々を送っていたグレンだが、娘の死が彼を狂気へと導いていく。この道行きにはキリスト教のメタファーが多く浮かび上がる。道に迷った羊の逸話、許されざる不貞行為、冷水によって誰かの足を洗うことの意味。そしてグレンの信仰は不気味な形でネジ曲がっていく。彼は、だが殉教者でもなければ、例えばフォーリング・ダウンマイケル・ダグラスのように凄まじい爆発を遂げることもない。グレンはこの中間、日常という枠の中でジワジワと狂気に支配される、そんな息詰まる生々しさがあり、それが今作を牽引していく。

冒頭、私たちは二発の銃声を聞くこととなる。故にこの物語は悲劇によって幕を閉じると最初から分かっている。そうして絶望が「スノー・エンジェル」の全編を支配する中に、それでも灯り続ける希望がアーサーだ。私たちはアーサーと共に銃声を聞き、アーサーの瞳から事件の行く末を目の当たりにしていく。そんなアーサーの心では虚無感と生の喜びが常にせめぎあい続けている、私たちはそれをも知ることになる。だからこそ来るべき悲劇の余韻の中で、私たちは願うことになるだろう。アーサーが、この町に住む全ての人が幸せでありますようにと。

参考文献
http://collider.com/david-gordon-green-exclusive-interview-snow-angels/(監督インタビューその1、前半は「スモーキング・ハイ」について)
https://www.femail.com.au/david-gordon-green-snow-angels-pineapple-express-interview.htm(監督インタビューその2、こちらも「スモーキング・ハイ」込み)
http://www.cinemablend.com/new/Interview-Snow-Angels-Director-David-Gordon-Green-8079.html(監督インタビューその3、こっちはほぼ「スノー・エンジェル」)