鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Lucian Pintilie&"O vară de neuitat"/あの美しかった夏、踏みにじられた夏

Lucian Pintilie&"Duminică la ora 6"/忌まわしき40年代、来たるべき60年代
Lucian Pintilie&"Reconstituirea"/アクション、何で俺を殴ったんだよぉ、アクション、何で俺を……
Lucian Pintilie&"De ce trag clopotele, Mitică?"/死と生、対話と祝祭
Lucian Pintilie&"Balanța"/ああ、狂騒と不条理のチャウシェスク時代よ
ルチアン・ピンティリエの作品群についてはこちら参照。

さて、ルチアン・ピンティリエは前作“Balanța”においてチャウシェスク政権の闇を独創的な筆致で描き出していった。だがルーマニアの忌まわしい暗部はその時代だけに広がっていた物だったのだろうか? そこが全ての始まりであったのだろうか? Petru Dumitriuの執筆した長編小説“Cronică de familie”を元とし、彼が1994年に監督した第6長編“”は社会主義体制よりも更に以前、ルーマニアが栄華を誇ったいわゆる大ルーマニア時代に広がっていた闇を暴き出そうとする一作だ。

舞台は1925年、ルーマニアが大ルーマニアとしてこの世の春を謳歌していた時代だ。ハンガリーの貴族階級出身であるマリー・テレーズ(「熟れた本能」クリスティン・スコット・トーマス)は夫である陸軍将軍のドゥミトリユ("Pas în doi"Claudiu Bleonț)に付いてドナウ川のほとりにある南ドブロジャへと赴く。ここはブルガリアとの国境近くに位置し、彼らとの緊張状態が続いている。ドゥミトリユはここの警備にあたるためドブロジャへやってきたのだ。そんな場所でマリーは子供たちと共にしばらくは楽しい日々を過ごしていたが……

ピンティリエは彼女たちの日々を南ドブロジャの美しくも寒々しい風景と共に紡いでいく。砂埃が沙のヴェールさながら世界を覆い尽くす場所で、馬やアヒルたちが陽光を浴びながら大地を駆けていく。家の向こうには聳え立つ大きな山が見え、マリーはそれを“フジヤマ”と呼んでいつもウットリと眺めている。こういった要素から、今作を観ながら真っ先に思い出される作品はクレール・ドゥニ「ショコラ」だろう。マリーの成長した息子がこの地での出来事を懐かしむ言葉の数々から幕を開け、彼の視点から当時を描き出していく。だが懐かしさの裏には国同士の被支配/支配関係(後者はフランス/カメルーン、前者はルーマニア/ブルガリアなどの周辺国)など抜き差しならない問題が存在している。

そして私たちはルーマニア軍の暴虐を目の当たりにすることとなる。例えばハンガリー人が経営する娼館を身勝手な理由で荒らし回りある日、国境を警備していた兵士たちが何者かに惨殺されるという事件が起こる。犯人はブルガリア人や当地に住むマケドニア人からなる反体制派と目されていたが、杳としてその足取りは掴めない。そのため軍内には緊張が走り、使用人として働くブルガリア人たちに疑惑の目を向ける。彼らは罵倒と暴力によって罰を与えていき、マリーはそれを苦々しく見つめるしか出来ない。

彼らの所業には否応なく当時のルーマニア情勢が関わってくる。シリーズ記事で何度も記してきたが、この時代のルーマニアは大ルーマニアと呼ばれ、元々のルーマニア王国固有の領土全てを統治することに成功した最盛期であり、文化や経済など様々な面においてこの世の春を謳歌していた。そしてこの南ドブロジャは第2次バルカン戦争の結果として1913年にルーマニアからブルガリアへ割譲された場所であるのだが(現在はブルガリア領)、劇中でドゥミトリユは襲撃者の目的が“この土地を取り戻すため”と断じ、“自分たちの領地”を侵犯する者たちに怒りを募らせる。国力が増強され固有の文化が成熟していくということは人々の間で国家への帰属意識/愛国心が育まれることであり(明治時代の日本が正にそうだ)、それは必然的に排外主義へと繋がっていく。ブルガリア人たちを軽蔑する兵士たちの姿にも明らかだろう。

この今にも連綿と続く忌まわしい過去は、ピンティリエにとっては殊更悲劇的なものだ。彼は南ベッサラビア(現在はウクライナ領)で生を受けたが、この地はルーマニア人やウクライナ人、ロシア人は勿論のこと、ルーシ人やガガウズ人、トルコ人タタール人にユダヤ人と様々な人種が暮らすモザイク社会だった。この豊かな多様性の中で育った彼はコスモポリタン的な価値観を育むが“O vară de neuitat”において描かれている通り、ルーマニアの状況は全く逆の趨勢を見せていた。第2次世界大戦時にはロマの大量虐殺が、社会主義政権下においてはドイツ系やハンガリー系など少数民族への抑圧(前者については小説家であるヘルタ・ミュラー諸作参考)が行われることとなる。

更に注目すべきなのは、今作が作られた1994年がユーゴスラビア紛争の真っ只中であったということだ。一時は自身も腰を据え長編“Pavilijon VI”を製作した場所で、人種が違うというだけで大虐殺が巻き起こっている。この凄惨な状況がピンティリエにこの“O vară de neuitat”を作らせたのが間違いないだろう。彼は今作を通じて、ルーマニア人の視点からバルカン半島において繰り返される血の歴史を見据えようとしているのだ。

そんなピンティリエの良心を担う存在がマリーに他ならない。陸軍の差別的な態度に反抗して、マリーはブルガリア人たちにも分け隔てなく接し、彼らの待遇を変えようと軍の上層部に楯突いていく。マリーを演じるクリスティン・スコット・トーマス、彼女は日本でもお馴染みな存在だが、今作ではオックスフォード訛りのルーマニア語を披露している。そしてマリー繰り広げられる不正義に対して果敢に立ち向かっていくが、聳える不気味な現実に無力な彼女はだんだんと疲弊していくしかない。そうして憔悴していくマリーの姿は、ピンティリエ自身の絶望感にも繋がっているのかもしれない。“O vară de neuitat”社会主義以前のルーマニアに、既に根づいていた病巣を抉り出す一作だ。終盤、私たちは多様な文化が肥大する排外主義によって潰されていく無惨な光景を目撃することになるだろう。そしてその果てに響く断末魔の叫びは余りにも深すぎる憎悪として、永遠の呪詛としてこの国の全てを苛むと、私たちは予感することともなる。

ルーマニア映画界を旅する
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その4 Corneliu Porumboiu &"Comoara"/ルーマニア、お宝探して掘れよ掘れ掘れ
その5 Andrei Ujică&"Autobiografia lui Nicolae Ceausescu"/チャウシェスクとは一体何者だったのか?
その6 イリンカ・カルガレアヌ&「チャック・ノリスVS共産主義」/チャック・ノリスはルーマニアを救う!
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その10 ラドゥー・ムンテアン&"Hîrtia va fi albastrã"/革命前夜、闇の中で踏み躙られる者たち
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その13 クリスティ・プイウ&"Aurora"/ある平凡な殺人者についての記録
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その16 Paul Negoescu&"Două lozuri"/町が朽ち お金は無くなり 年も取り
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その19 Lucian Pintilie&"Reconstituirea"/アクション、何で俺を殴ったんだよぉ、アクション、何で俺を……
その20 Lucian Pintilie&"De ce trag clopotele, Mitică?"/死と生、対話と祝祭
その21 Lucian Pintilie&"Balanța"/ああ、狂騒と不条理のチャウシェスク時代よ
その22 Ion Popescu-Gopo&"S-a furat o bombă"/ルーマニアにも核の恐怖がやってきた!