鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Lucian Pintilie&"Dupa-amiaza unui torţionar"/晴れ渡る午後、ある拷問者の告白

Lucian Pintilie&"Duminică la ora 6"/忌まわしき40年代、来たるべき60年代
Lucian Pintilie&"Reconstituirea"/アクション、何で俺を殴ったんだよぉ、アクション、何で俺を……
Lucian Pintilie&"De ce trag clopotele, Mitică?"/死と生、対話と祝祭
Lucian Pintilie&"Balanța"/ああ、狂騒と不条理のチャウシェスク時代よ
Lucian Pintilie&"O vară de neuitat"/あの美しかった夏、踏みにじられた夏
Lucian Pintilie&"Prea târziu"/石炭に薄汚れ 黒く染まり 闇に墜ちる
Lucian Pintilie&"Terminus paradis"/狂騒の愛がルーマニアを駆ける
ルチアン・ピンティリエの作品群についてはこちら参照。

第2次世界大戦時代、ルーマニアソビエト連邦の侵略を受けたことにより、戦後この国は社会主義国家としての道を歩むことになった。そして過渡期においてルーマニアには戦前に共産主義者を弾圧していた権力者を含む反体制派を収容するグラグが作られ、非人道的な行為の数々が繰り広げられることとなる。ルチアン・ピンティリエが2001年に手掛けた第8長編“Dupa-amiaza unui torţionar”はその忌まわしい過去と真正面から対峙する一作となっている。

物語は、ある若い女性と老紳士(Ioana Ana Macaria&Radu Beligan)の会話から幕を開ける。老紳士は世界で巻き起こる出来事には全て因果関係があり、その裏側には神が存在しているのだ、そんな哲学的な言葉の中で時は過ぎてゆき、彼らはフラント(Gheorghe Dinică)という老人と駅で落ち合うこととなる。ルーマニアの田舎町で養蜂業を営むというフラントと共に、2人は彼の自宅へと赴くのだが、ガタガタと揺れる車の窓からはゴッホが描いたような美しいひまわり畑が広がっている。

まず最初、今作は謎めいた雰囲気を湛えながら展開していく。冒頭における哲学的な対話、いまいち素性が掴めない登場人物たちと彼らの行動の理由、彼らの語る言葉は車の中でとりとめもなく浮かんでは消えて、運転途中に突然泣き始めるフラントの涙もすぐ消えていく。彼の自宅には忙しなく働く妻(Coca Bloos)の姿が見えるが、黒い眼鏡をかけた彼女の顔からは表情を読み取ることが出来ない。空気感が上手く捉えきれない、全てが不穏な何かに彩られた世界、それでも私たちはいつしかこの不穏さの根源を目の当たりにすることとなる。

ある時、女性は鞄からテープレコーダーや筆記用具を取り出す。その慣れた手つきから彼女が記者か何かということが伺える。そして彼女は“加害者と犠牲者”という言葉を発した後、フラントに言葉を促す。彼はしばし口ごもりながら、自身の過去を話し始める。戦前の惨めな子供時代、第2次大戦が終結した後に共産主義者となった経緯、そしてある人物の導きに従って辿り着いた場所で行った罪について……

今作の題名“Dupa-amiaza unui torţionar”とは“とある拷問者の午後”という意味のルーマニア語であり、この作品はそんな拷問者の告白を映し出していく映画だと言える。最初は狭苦しい部屋の中で、それから暖かな日差しに満たされた広い庭で、彼は朴訥と悍ましい罪を語っていく。収容所で行っていた拷問法、例えば鉛筆を使った凄惨なものや収容者の口を割るに手っ取り早いものについて、そこでどんな人間を拷問していたかなどについて詳細に告白していく。素朴な口ぶりと吐き気を催す内容の乖離具合が、その異様さを際立てていく。

本作でのピンティリエの演出に言及していくと、以前の作品にあった溢れんばかりの生命力は完全に影を潜め、ここには不気味な静謐が広がっている。カメラは真正面からフラントたちの姿を見据え、省略をほぼ介さない長回しによって彼の告白をレンズに映しとる。その時例えば電話が鳴り告白が中断される、老紳士が告白の最中に眠ってしまう、そんな場面も編集で切り落とすことはない。登場人物の感情の流れや過ぎ行く時間をそのまま撮すことで場の空気感を捉える、ピンティリエたちはこれに拘っているような演出指向なのだ。

注目すべきはこれが正に“ルーマニアの新たなる波”に属する作家たちの演出法と共鳴する点にある。特にコルネリユ・ポルンボユによる、会話場面においても切り返しを使わず目前の光景をストイックに観察する、それこそ時間の流れをそのまま切り取るある種禅的な長回しスタイルは今作と頗る似たものとなっている。更に注目すべきは今作の脚本にあのクリスティ・プイウが関わっている所だ。彼は脚本コンサルタントを担当しており、更にピンティリエの次回作であり現時点での最終長編“Niki Ardelean, colonel în rezarva”では共同脚本を担当している。ピンティリエが映画学校においてプイウの恩師であったことも関係しているが、これらは前作“Terminus paradis”で記した“新たなる波”の萌芽が育っていることを意味しているだろう。

しかし物語が展開するにつれて、単なるリアリズムを越えた光景がここには現れ始める。フラントは収容所での拷問について語る最中、自分が過ごした子供時代についても語ることとなる。小人症であった叔母と過ごした日々、家の庭のあるブランコを漕いでいた少女の姿、そして樹の上から彼女たちを眺めていた少年の自分、陽光の中で瑞々しい記憶の数々と老いたフラントの姿が混ざりあい、過去と現実が同一線上で存在する瞬間が訪れる。そこには確かに美しい郷愁が宿りながらも、この過去にこそ惨劇へと連なる憎悪が根づいているのだとも私たちは知り始めるだろう。

そして過去が現れるたびフラントの告白は凄まじさを増していくが、それと同時にこの暴力と狂気が今にまで連綿と続いていることが明らかになっていく。ある時記者はフラントに“あなたの過去を息子さんはどう思っているのですか?”という問いを投げ掛ける。彼は些かの言い淀みと共にそれに答えながらも、そんな言葉よりも饒舌な答えが画面に現れる瞬間がある。フラントが残した暴力と蹂躙の記憶は今でも終わってはいない、それどころか様々な形でこれらは受け継がれていくとピンティリエは語っていく。私たちはその光景にただ打ちひしがれるしかないのだ。

冒頭、老紳士は“全てのことに因果関係がある”とジャーナリストに説いた。フラントが行った所業にもまた因果が存在するのか? その中心に存在するのが神だと言うならば、何故神はこんなにも残虐な行為をこの世で引き起こすというのか? 私はこの“Dupa-amiaza unui torţionar”を観ながら、涙を止められなくなった。踏みにじられた者たちへの悲しみのせいか、フラントという拷問者に対する痛みのせいか、忌まわしい記憶が未だ終わらない絶望のせいか、それは分からない。そして確信したのは、これを観た以上私はこの疑問を、この理由をいつまでも問い続けなければいけないということだ。

フラントのような人物が起こした非人道的な犯罪の数々は、最近までルーマニアで話題にされることはなかった。何故ならグラグを設立したのは他ならぬ共産主義者たちであり、この行為の裏側には彼らの存在がある。故に社会主義体制であったルーマニアでこの汚点について語られることはなかった。チャウシェスク政権崩壊後、多くの暗部と共にこのタブーにも光が当てられるかと思いきや、イオン・イリエス政権は前政権から多くの共産主義者を引き継いでいたため、彼らが自身の闇を暴く訳もなく事件は未だ闇に包まれることとなった。

風向きが変わり始めたのは2000年前後である。小説家であるDoina Jelaがこの事件を元にした長編“Drumul damascului”を発表し、更にピンティリエが正にこの長編が原作である今作を完成させ、ルーマニアに是非を問うたのだ。これに続いて2006年には国民自由党の元党首で当時の首相カリン・ポペスク=タリチェアヌ共産主義の関わった犯罪やこれによって国を追われた犠牲者について調査し語り継ぐことを目的とした協会を設立し、事態が動き始める。そしてとうとう2014年には当時事件に関わった容疑者たちの裁判が開始されることとなる、ここまで来るのに70年もの時間がかかったのだ。

グラグにおいて収容された61万7千人のうち、ここで命を落とした者は12万人だと言われている。劇中フラントは“一体何人をその手で殺したのか?”を問われ彼は静かに答える、100人くらいだ、私1人でね。この悍ましい過去の追求は未だ始まったばかりだ。

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