鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Emre Yeksan&"Yuva"/兄と弟、山の奥底で

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 今年もヴェネチア国際映画祭が幕を開けた。今回はカンヌが世代交代を図って割りを喰ったとされる巨匠や鬼才がコンペティション部門に勢揃いし、今までにない盛り上がりを見せているが、ぶっちゃけ私はあんまり興味がない。それよりも、映画配信サイトFestival Scopeがコンペの裏で上映されている様々な作品を全世界に配信している方が私にとっては重要である。だってレビューが読めるだけじゃなく、実際に作品が観れてしまうのだから!ということで今回からヴェネチア期間中、お家でヴェネチア国際映画祭特集2018を開催したいと思う。まず最初に紹介するのはトルコの新鋭作家Emre Yeksanによる第2長編“Yuva”だ。

Emre Yeksanは1981年にトルコのイズミルに生まれた。ミーマル・スィナン美術大学とパリのソルボンヌ大学で映画製作について学び、そのままフランスでプロデューサーとしての活動を始める。携わった作品としては同じくフランスへと留学し映画を学んでいたブルガリア人監督カメン・カレフのデビュー作ソフィアの夜明けや第2長編“The Island”Hüseyin Karabey監督の“Were Dengê Min”などがある。その後、彼は故郷であるトルコのイスタンブールに戻り、映画監督としてのキャリアを歩み始める。まず監督したのが2017年に手掛けた第1長編“Körfez”だ。監督の故郷イズミルを舞台に、町をあてどなく彷徨うモラトリアムを謳歌する若者の姿を追った作品で、ヴェネチア国際映画祭でプレミア上映後、イスタンブール国際映画祭の国際批評家連盟賞(FIPRESCI Prize)を獲得するなど話題となる。そして2018年にはビエンナーレ・カレッジ参加を経て第2長編“Yuva”を完成させる。

とある山の奥深く、霧が濃厚な森の影に何者かの影が蠢いている。ゆっくりとカメラが肉薄していくうち、それが鬱蒼たる髭や髪を纏った男の影だと分かってくる。彼は既に動かなくなっている動物の身体の周りをうろついているのだ。そして突如猿のような雄叫びを上げたかと思うと、その身体を抱えて何処かへと向かう。目的地に着くと、彼は倒れた木の幹を器用に組み上げていき、何かを作っていく。それは死にゆく身体に捧げられる墓標だった。

この映画の主人公は名もなき中年男性(Kutay Sandikçi)、彼は灰色に染まった百獣の王ライオンといった風な容貌をさらけ出しながら、愛犬と共に山の中を駆け回る。彼は一体何者なのか?何の目的で以てこんな生活をしているのか?そんな観客の問いなど気にもせず、森の中で男は自由を謳歌する。

序盤において、映画は彼の生活風景を禁欲的なまでの淡々さで以て追い続ける。男は山の斜面を裸足で登ってゆくかと思えば、川を見つけると全裸になって水へと飛び込んでいく。そして濡れそぼつ身体のままに、まるで彼もまた犬と化してしまったかの如く鳴き声を響かせながら、愛犬と戯れに戯れるのだ。その姿は完全に野生児のそれである。

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 以前私はこのブログで「ドッグ・レディ」という作品を紹介した。今作は何匹もの犬たちと共にアルゼンチンの野原で自給自足の生活を送り続ける女性の姿を描いた作品で、その女性は正に犬のような存在感を湛えながら、資本主義の周縁で以て逞しく生存していた。“Yuva”の男も正にそんな存在である。更にはもはや演技だとかそういう問題ではなく、山に住む本物の野生児を見つけ出してドキュメンタリーを撮っていると、そんな風な印象を与えるほどに本作は迫真性に満ち溢れているのだ。

その印象をより力強くしているのが撮影監督Jakub Gizaによって捉えられるトルコの大自然の美しさだ。そこには森厳なる風景の数々が広がっている。林立する頑健な木々たちが纏う壮大なるオーラ、男が泳ぎに入る清らかな川の流れ、彼が組み上げた木の墓標の無骨で無造作な崇高さ。それらには観る者の心を震わせるほどの力が漲っている。

そんな中で男は森に入ってくる侵入者の姿を目撃する。銃を携えた制服の男たちは、こちらに気づくと苦々しげな視線を向けてくる。そしてある時、彼が自分の住む粗末な小屋へと戻ると、1人の男(Eray Cezayirlioğlu)が待ち構えていた。必死に逃走しながら、敢えなく捕らえられてしまった後、彼は男にこんな言葉を投げ掛けられる。“なあもう十分だろ、兄さん?”

こうして第2幕が始まるのだが、それは第1幕の壮大さに比べると些かミニマルな印象を与えるものとなっている。彼の名はハサン――そして同時に野生児の男の名はヴェイセルだと明らかにされる――といい、兄を連れ戻しにここにやってきたという。この土地は買収され開発される故、彼らに危害を加えられない内に助けにきたという訳だ。小屋の中で兄弟は対峙しながら、しかしヴェイセルは断固として山から出ていくことを拒否する。ハサンも交渉を続けるが、彼自身突然全てを放棄して世捨て人になり、母親の葬式にすら出なかった彼に対して複雑な感情を持ち合わせているようだ。そんな2人の対話は、しかし少し物語の停滞を感じさせてしまう。

それでもこの出来事をきっかけとして、失踪したヴェイセルをハサンが捜索する羽目になる第3幕は最も印象的な輝きを放っている。土地の買収者の圧力は更に強まり、とうとう実力行使に打って出てくる。その中をハサンが彷徨う様は静かなる戦争映画を眺めているようだ。そしてその道行きは崇高なる自然を背景として、やがて兄弟の内面世界へと至る精神的旅路へと変貌する。様々なジャンルの越境を経て、そこでこそ今作は真の姿を観客に披露するのである。それに私たちは茫然とするしかないだろう。

“Yuva”はトルコの大自然を舞台とした、それ自体が深遠なる謎である。これを観る者たちは当惑すると共に、しかし筆舌に尽くしがたい畏敬の念すらも覚える自分の心の移ろいに気づく筈だ。

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