鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

工藤梨穂&「オーファンズ・ブルース」/記憶の終りは世界の終り

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このサイトでは数々の日本未公開映画を紹介してきたが、今まで1度も日本映画は紹介してこなかった。何故なら日本未公開の日本映画を観る機会は当然少ないからだ。ながらも先にぴあフィルムフェスティバル(PFF)が開催されたのだが、有難いことに青山シアターで同時ネット配信も行われている故に、今後期待の新鋭の作品を観る機会に恵まれた。ということでこの恩恵に預かり、ここでは初めての日本映画を紹介したいと思う。その記念すべき第1本こそが工藤梨穂監督作「オーファンズ・ブルース」だ。

今作の主人公はエマ(村上由規乃)という若い女性、彼女は路上で本を売りながら生活をしている。煙草を片時も離さない彼女は、しかし徐々に記憶が失われてゆくという原因不明の病に罹っていた。そのせいで毎日の生活にすら支障が出る中で、エマは失われていく記憶と共に日々を静かに生きていた。

物語の序盤においてはエマが浸るゆったりと流れる日常を丹念に描き出していく。路上で本を売りおじさんと談笑する、料理をした後に鍋からそのままラーメンを啜る。だがそんな何気ない日常の中に時おり不穏な何かが兆すことにも観客は気づく筈だ。客に本の注文を頼まれたのにその全てを忘れてしまっている、記憶障害のために記したメモが隙間なくビッシリと壁を覆っている。ここにおける断片的な編集はそんな記憶の移ろいをそのまま表現しているようだ。

ある日、エマは壁に張られたメモの群れの中に、ヤンという名前の書かれた紙を発見する。それはエマにとって古い幼馴染みの名前だった。この名前に突き動かされ、彼女はヤンにもう1度会うため旅に出ることとなる。道中で友人であるバン(上川拓郎)と彼の恋人であるユリ(辻凪子)もひょんなことから合流し、3人での旅が幕を開ける。

旅を彩るのは美しい風景の数々だ。それらは日本というよりもアジアの文化が交わる地を旅しているような感覚を私たちに味あわせてくれる。極彩色のネオンに日本語とは異なる言語が飛び交う中華街、南国の樹木が立ち並ぶ活気に満ち溢れる昼市、そして日本的なと形容したくなる田舎街のだだっ広い道筋。その全てが1つの旅路に収斂する様には奇妙な魅力が宿っている。

そして風景が美しいだけでなく、谷村咲貴による撮影自体も頗る美しい。その眼差しの中では鮮やかな色彩がどこにおいても際立つのだ。沸騰して細かに震えるヤカンや産毛がそばだつエマの背中、田舎町に広がる広大な深緑や停電になった宿に満ちる闇の黒、静謐にたゆたうような海の青さ、そういった物が並列に並べられていき、美しさを見出だされる様には喜びが汪溢していると言うべきだろう。

そんな中でエマたちはヤンの友人が経営する民宿に流れ着き、そこで緩やかな日々を過ごすことになる。ビールを飲み、遅くまで眠り、海で遊ぶとそんな怠惰で楽しい日々。だがそこにおいても失踪したヤンの存在が不穏に浮かんでは消え去り、それと共にエマの記憶障害も悪化していく。彼女たちの元に、旅の終結は確実に近づいてきていた。

監督はその日々に現れる何気ない動作や表情の数々に、登場人物が抱える切実な思いを滲ませていく。誰もが真実の思いを心の奥底に隠しながらも、思いもよらない瞬間にそれが現れる。それを目撃してしまった時、私たちの胸を複雑な思いが打つのだ。そしてその思いの数々が夕陽の柔らかな橙に包まれる時、それらは郷愁へと接続されていく。ここではない何処かへの胸を締めつけるような郷愁へと。

今作にはロードムービーとしての興趣の他に、SF的な意匠をも施されている。冒頭から世界が少しずつ終末を迎えようとしている現状がラジオの音声などから仄めかされていく。故に旅路には失われゆく世界への切なさが滲み渡るのだが、それはまるでエマの記憶障害と共鳴するような感覚があるのだ。そうして「オーファンズ・ブルース」が失われゆく記憶と共に辿り着く先にあるのは、暖かなる世界の終わりなのである。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その201 Yared Zeleke&"Lamb"/エチオピア、男らしさじゃなく自分らしさのために
その202 João Viana&"A batalha de Tabatô"/ギニアビサウ、奪われた故郷への帰還
その203 Sithasolwazi Kentane&"Woman Undressed"/ Black African Female Me
その204 Victor Viyuoh&"Ninah's Dowry"/カメルーン、流れる涙と大いなる怒り
その205 Tobias Nölle&"Aloys"/私たちを動かす全ては、頭の中にだけあるの?
その206 Michalina Olszańska&"Já, Olga Hepnarová"/私、オルガ・ヘプナロヴァはお前たちに死刑を宣告する
その207 Agnieszka Smoczynska&"Córki dancingu"/人魚たちは極彩色の愛を泳ぐ
その208 Rosemary Myers&"Girl Asleep"/15歳、吐き気と不安の思春期ファンタジー!
その209 Nanfu Wang&"Hooligan Sparrow"/カメラ、沈黙を切り裂く力
その210 Massoud Bakhshi&"Yek khanévadéh-e mohtaram"/革命と戦争、あの頃失われた何か
その211 Juni Shanaj&"Pharmakon"/アルバニア、誕生の後の救いがたき孤独
その212 済藤鉄腸オリジナル、2010年代注目の映画監督ベスト100!!!!!
その213 アレクサンドラ・ニエンチク&"Centaur"/ボスニア、永遠のごとく引き伸ばされた苦痛
その214 フィリップ・ルザージュ&「僕のまわりにいる悪魔」/悪魔たち、密やかな蠢き
その215 ジョアン・サラヴィザ&"Montanha"/全てはいつの間にか過ぎ去り
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その231 スヴェン・タディッケン&「熟れた快楽」/神の消失に、性の荒野へと
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その233 Syllas Tzoumerkas&"A blast"/ギリシャ、激発へと至る怒り
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