鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Alireza Khatami&"Los Versos del Olvido"/チリ、鯨は失われた過去を夢見る

チリは1989年まで軍政によるピノチェト独裁政権が続いていた。その後政権が崩壊して民主化が進行する中で、しかし忘れられていくものも存在していた。失われた文化、失われた命。今回紹介するAlireza Khatami監督作“Los Versos del Olvido”はチリの過去と現在を交錯させながら、生と死への洞察を深めていく真摯な一作だ。

Alireza Khatamiは1980年イランに生まれた。4年間映画・広告業界で働いた後にマレーシアへ移住、マルチメディアの学位を取りVFXスーパーバイザーとして勤務する。2010年にはサバンナ芸術大学フェローシップに選ばれ、アメリカでファインアートの修士学位を獲得する。在学中から映画製作を始め、2009年には短編"Focal Point"でシネマニアラ国際映画祭の短編賞を獲得、2011年には短編"Elephant in the Street"を手掛け、2013年には2作の短編"When the Curtain Falls""Rain Dog"を製作すると同時にオムニバス映画"Taipei Factory"に参加する。先述した国は勿論のこと台湾やフランスなど世界中を巡りながら映画製作を行っていたが、2017年にはチリに渡って完成させた初長編"Los Versos del Olvido"ヴェネチア国際映画祭オリゾンティ部門でプレミア上映されることとなる。

今作の主人公となる存在は名もなきモルグの管理人(Juan Margallo)だ。彼は死体の確認作業や墓地の手入れを孤独に毎日毎日続けるという日々を送っている。だが彼には謎の空白がある。日々の記憶はハッキリしているのだが、自分の名前についてどうしても思い出すことが出来ないのだ。

物語は管理人の静かなる1日を淡々と描いていく。モルグでの雑務をこなす一方で、同僚である墓掘り人(Tomás del Estal)の話に耳を傾け、霊柩車の運転手(Manuel Morón)と共にお喋りを繰り広げ、そして墓地の壁に巣食う蜜蜂の姿を眺めて思索に耽る。そういった日々の光景が物語に連なっていく。

それでもこの作品が観客を退屈させないのは、Antoine Héberléによる詩的な撮影が頗る美しいものだからだ。何の変哲もない日常の中で、植物たちや墓碑の色彩が鮮やかに浮かび上がる姿は息を呑むほどに美しい。そして例えばラドゥ・ジュデの“Inimi cicatrizate”や日本でも公開されたリサンドロ・アロンソ「約束の地」のように画面は四角でなく丸枠となっている。その不思議な形が淡々とした日常をまるで幻惑的な白昼夢のように見せていくのだ。

そんなある日近隣でデモ活動が行われることとなる。その余波で軍隊がモルグを襲撃、保管されていた死体が強奪されるという事件が発生する。だが唯一残った若い女性の死体が、管理人の記憶を震わせ始める。そして物語には不気味な過去が浮かび上がる。事件を受けて人々は軍政時代に起きた様々な事件やその醜悪さを語り、管理人自身その時代に失踪した今でも行方不明の娘がいることが分かってくる。その傷がまだ彼を苛んでいることは明白だ。何故なら彼は女性の死体に娘を重ね合わせ、葬式を行おうと決意するからだ。

そこから管理人の奇妙な旅路が幕を開ける。その中で観客の目を惹くのは、Jorge Zambranoによる精緻に作り込まれた美術の数々だろう。モルグの侘しくも美的な姿に加えて、埃を被ったモルグの地下室に広がる禍々しくも魅力的な全容。管理人はその中を進んでいくが、その歩みは個人の記憶やチリの歴史の奥へと潜行していくような感覚に似ている。

そして今作を語るに欠かせないのが“鯨”の存在だ。管理人はTVで岸辺に打ち上げられた哀れな鯨についてのニュースを聞いてから、その幻影にとり憑かれることとなる。だが実際には彼らこそが管理人を真実へと導いていく存在なのだと、私たちには分かってくる。旅路の最中、空を悠然と泳いでいく鯨の姿がいわゆる魔術的リアリズム的に現れる様は息を呑むほどの壮大さを誇っているだろう。

“Los Versos del Olvido”は1人の男の心の中で混ざりあう生と死についての物語だ。チリがかつて経てきながら、今にすら蔓延する凄惨な悲劇のように、世界には理由なき暴力や死が満ちている。だがその最中に生の歓びと死の悲しみを想いながら、失われていった命を癒そうと奔走する管理人の姿には確かに希望の手触りがあると、この映画は私たちに語りかけてくる。

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その205 Tobias Nölle&"Aloys"/私たちを動かす全ては、頭の中にだけあるの?
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その207 Agnieszka Smoczynska&"Córki dancingu"/人魚たちは極彩色の愛を泳ぐ
その208 Rosemary Myers&"Girl Asleep"/15歳、吐き気と不安の思春期ファンタジー!
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