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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

ヤン・P・マトゥシンスキ&「最後の家族」/おめでとう、ベクシンスキー

あなたはズジスワフ・ベクシンスキーという画家を知っているだろうか。名前は知らないかもしれないが、この絵を見たならば“ああ!”と恐怖と共に思い出すかもしれない。そう彼は3回見たら死ぬと言われる絵画など、おぞましい作品を多く描いてきた画家なのである。さて、今回はそんな異形の作家を主人公とした伝記映画である、 ヤン・P・マトゥシンスキ監督作「最後の家族」(原題:Ostatnia rodzina)を紹介していこう。

ヤン・P・マトゥシンスキ Jan P. Matuszynski1984ポーランドの都市カトヴィツェに生まれた。シレジア大学カトヴィツェ校映像学部クシュトフ・キェシロフスキ映画学校では監督業について、アンジェイ・ワイダ学校ではドキュメンタリーについて学んでいた。在学中から映画製作を始め"Razem"(2006)、"Myjnia"(2007)、"Wiem kto to zrobil"(2008)、"Afterparty"(2009)、"Niebo"(2011)、"Offline"(2012)などなど短編を精力的に手掛ける。

そんな彼にとって初の長編となったのが2013年製作のドキュメンタリー"Deep Love"だ。60歳のダイバーであるヤヌス脳卒中によって身体の自由を失ってしまう。パートナーであるアーシアの助けを借りて、彼は再びダイバーとして海に潜ろうとリハビリを重ねるが……という作品でクラクフ映画祭とモスクワ国際映画祭において最優秀ドキュメンタリー賞を獲得するなど大いに話題になる。そして彼は2016年に初の劇長編である「最後の家族」を完成させる。

まず「最後の家族」を一言で表すならば、ベクシンスキー家の家族史を30年というスパンで描き出す伝記映画というべきだろう。物語の始まりは70年代後半、50代に差し掛かった画家ズジスワフ・ベクシンスキー(Andrzej Seweryn)は妻のゾシア(Aleksandra Konieczna)や2人の年老いた母親と共に、ワルシャワ郊外にある団地の一室に暮らしていた。書斎に籠りクラシック音楽をかけながら作品を制作する以外は、彼は基本的に没交渉であり、芸術家として世界を旅することがないのは勿論、団地の敷地内からすら殆ど出ない生活を送っている。

そんなズドジラフは自分について語る時に“恒常性(ホメオスタシス)”という言葉を使う。爬虫類が自分の体温を一定に保ち続けることを意味するこの言葉は、住む場所を数十年変えることなく、自分の生活リズムを執拗なまでに同質に保とうとする彼の姿勢に当てはまる所がある。献身的なゾシアらを取り込んで作り上げた世界=アパートの一室は、独立した有機的システムとして駆動するのだ。

しかし彼にとって悩みの種であったのが、一人息子であるトマシュ(Dawid Ogrodnik)の存在だ。トマシュは精神的に不安定で、定職にもつかず日々を浪費している。自分の部屋に家族がやってくると鬱憤晴らしに喚き散らすばかりか物を破壊し、自殺を試みてガス爆発を起こした挙げ句、精神病院にブチ込まれるなど騒動にも事欠かない。彼は父とは真逆の存在、つまりは自分の意思に関わらず変化から逃れられない運命を背負った存在という訳だ。

今作のリズムは、むしろそんなトマシュの変化に共鳴するような速度を誇っている。マトゥシンスキ監督と編集のPrzemyslaw Chruscielewskiは1つの出来事にこだわることはなく、出来事出来事を繋げていくという意識も希薄だ。トマシュが家族に当たり散らす、ズドジラフとゾシアが死についての会話を繰り広げる、トマシュが自殺を試みて病院に運ばれる、そういった出来事の数々が断絶的な感覚を伴いながら淡々と綴られていく。驚くべきはそんな移り変わりの中で、1日1週間どころか数年が一気に過ぎ去っていくことだ。1977, 1980, 1984, 1986.....そういった無機質な4つの数字が画面の端に現れ、時間の経過が語られる。この不可解なほどの淡白さは、時の過ぎ去る速度がいかに早すぎるかを言外に語るようだ。

そしてこの奇妙な作風に欠かせないもう1つの存在が、脚本を執筆するRobert Bolestoだ。彼がこのブログに出てくるのは実は3度目だ。以前紹介したテン年代ポーランド映画の異形たちアニエスカ・スモチンスカ監督作「ゆれる人魚」Krzysztof Skonieczny監督作"Hardkor Disko"を執筆した人物が、他ならぬBolestoであったという訳である。今作の脚本構成はミア=ハンセン・ラブ「EDEN/エデン」ディアステムの「フレンチ・ブラッド」と似た部分が多くある。この3本は20, 30年スパンで個人史/文化史を描き出す作品であり、それを描くにあたり物事の過程はことごとく省略され、無数の点ばかりが繋ぎ合わされていく。ゆえに物語的な起伏が排される代わりに、時が過ぎ去る感覚、言い換えれば諸行無常の感覚が残酷なまでの濃厚さで観る者に迫ってくることとなるのだ。

だが2作と今作に決定的な違いがあるとするならば、ここには諦念や虚無感だけではなくスペクタクルと見紛う高揚感すら宿っている点だろう。劇中において描かれる出来事はいわば衝撃的な事件の導入部ばかりだ。観客の脳髄を一発ブン殴るような事件が発生し、これからどうなる?という観客の期待をまるっきり無視した上で、脳髄をブン殴る事件がまた勃発する、この繰り返しだ。その手捌きたるや、事件に次ぐ事件で観客の興味を引こうとするハリウッド産ブロックバスターもかくやだが、そういった意味で今作はハリウッド産文芸映画という語義矛盾的な映画として無類の輝きを誇る。暴力あり、華麗なる成り上がりあり、セックスあり、往年の名曲あり、死体あり、爆発あり、墜落まであり、ある意味で同じハリウッド×文芸映画という場を志向していると言える007シリーズへの目配せもこれを考えれば確信犯的だ。私がここ数年観てきた作品でもテーマパーク性は随一で、まるでユニバーサル・スタジオワルシャワでワールド・オブ・ハリーポッターならぬワールド・オブ・ベクシンスキーを体感するような素晴らしさだった。“自分が思うに、素晴らしい映画とは素晴らしいスペクタクルなんです”という監督の言葉には納得しかない。

そして物語はジェットコースターのような凄まじい勢いを保ちながら、深遠なる死へと突っ込んでいく。容赦なく過ぎゆく時の中では、人々の間にいとも容易く死が訪れる。それに対してベクシンスキーはビデオカメラを持って死を撮影することで対峙しようとする、恒常性という観点からすれば生にとって死とは最悪の変化だろう。だがカメラで撮影するという行為は映し出される風景にある程度の恒常性を宿すこととなる。それでもカメラを通じて死を見つめるにあたって気づかされるのは、死の後に広がる無とはある意味で究極的な恒常性でもあるということだ。ベクシンスキーは死を拒みながらその実死に見入られている。故に生活態度とは全く矛盾した、死と破滅に彩られた作品を作っていたのかもしれない。

だがベクシンスキーの姿勢とは違い、監督はもっと死に対して楽観的な態度すら見せる。劇中においてトマシュは父に対して英国バンドであるジェネシスの名前を挙げながら、死は家族からの“脱退”だと嘯くのだ。この一種の軽さは映画それ自体にも適用できるだろう。アトラクションさながらに破滅と死が訪れるうち、それ自体は深刻も深刻な状況ながら、こういう風に死という奴は訪れるんだから抵抗も何も意味ねーよ、人間死ぬ時は死ぬんだからまあ好きにやろーぜという、投げやりな楽観主義が力強く現れる。劇中である人物が死んだ時、その人物には“おめでとう”なんて言葉が投げ掛けられる。もちろんそれは皮肉でありながら、字義通りに受けとるというのも本当なのだ。そして「最後の家族」のラストもそんな形で幕を閉じてしまう。観客はおそらくどう反応していいか解らないだろうが、まあ多分“おめでとう!”と言ってあげるべきなのだろう。時間なんて恐ろしいほど早く過ぎ去るし、何だかんだ言って人は死ぬ時は死ぬのだ、まあそういうものなんだろう。ハハハハハハハ…………

「最後の家族」は2016年のポーランド映画界を席巻、ポーランド映画作家批評家賞組合で作品賞、ポーランド映画賞では脚本・女優・男優・新人賞を獲得する。その他にシカゴ、ロカルノヴィルニュス、ソフィア、リスボンなどなど欧米中の映画祭で話題となった。その後の監督はドラマ界を中心に活躍している。TVプロデューサーであるカリスマ女性の姿を描いた"Druga szansa"国境警備隊が仲間の死の謎を追跡するクライムドラマ"Wataha"などのエピソード監督を担当していた。しかし現在彼は新作長編"Leave No Traces"(原題は不明)を製作中、1983年のポーランドを舞台にとある犯罪を目撃した若者が直面する悲劇を描いた作品なのだそう。ということでマトゥシンスキ監督の今後に期待。

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