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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Gabi Virginia Șarga&"Să nu ucizi"/ルーマニア、医療腐敗のその奥へ

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ルーマニアの医療体制の腐敗は東欧でもかなり悪名高いものだ。患者が置かれる環境が劣悪であることはもちろん、医師や看護師たちの待遇もかなり悪く、優秀な人材が国外に流出しさらの体制が悪化するという悪循環を辿っていっている。ルーマニア映画界においては“ルーマニアの新たなる波”の巨人クリスティ・プイユが2005年に「ラザレスク氏の最期」という作品(レビュー記事を読んでね)を製作している。今作は命の危機に瀕した老人が病院をたらい回しにされる無惨な姿を通じて、ルーマニア官僚主義的な医療を批判していた。さて、今回紹介するGabi Virginia Șarga&Cătărin Rotaru監督作“Să nu ucizi”はまたそんな作品に連なる作品と言ってもいい。

クリスティアン(Alexandru Suciu)はブカレストの病院に勤務する有能な外科医だ。彼は理想家でもあり、ルーマニアの医療を改善しようと日々邁進している。そのせいで同僚の医師たちや看護師たちと衝突することもしばしばある。この前も命令を聞かなかった看護師長に暴力を振るったことで、懲戒免職を喰らってしまう。それでも彼の理想主義的姿勢は揺るぐことがない。

そんな中、最近手術は成功しながらも術後の経過が悪くそのまま亡くなってしまう患者が続出する事態に陥る。この異変について調査を重ねていたクリスティアンはその原因が病院で使われている殺菌剤にあることを突き止める。そして同じ殺菌剤を使っているルーマニアの各都市で同様の事態が起こっていることを知る。それを正そうと彼は動き出すのだったが……

今作は、例えばアメリカ映画の「コーマ」コンテイジョンが属するような医療スリラーであると形容が可能だろう。人を救うはずの医療が人の命を奪うという闇を暴くために、クリスティアンは奔走する。秘密裏に腐敗に関係する書類を集めたり、上司にこの現状を告発するなど可能なことは全て行う。しかし闇は深い。再三の主張にも関わらず状況は改善されることなぃ、クリスティアンは孤立無援となっていく。

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それでも今作はルーマニア映画だ。普通の医療スリラーである訳もない。演出はルーマニア映画の潮流を反映した徹底的なリアリズム指向であり、監督たちは撮影のTudor Platonと共にドキュメンタリー的なアプローチで以て主人公の動きをストイックに追い続ける。ゆえにスリラー作品に典型的な興奮は意図的に排されている。それが原因で、最初は今作を退屈な医療スリラーと見なす人々も多いかもしれない。

しかしその退屈さが映画として結実する瞬間もまた存在している。同僚たちに見捨てられ、妻であるソフィア(Cristina Flutur)に見捨てられ、更には新聞社に記事を送るも、殺菌剤の会社が大手企業ゆえスポンサー関係で掲載を断られてしまう。そんな中でクリスティアンは何とか医療機関の上部組織への接触を成功させる。彼は職員の前で事前に覚えてきた告発文をストイックに暗唱する。だが“上司を呼んでくる”と途中で遮られてしまう。その上司を交え、再び告発文を最初から暗唱する。だがまた“上司を呼んでくる”と途中で遮られ、その人物を待つ羽目になる。

監督はこの異様な光景を、淡々とした長回しで以て、数分間一切の時間の途切れなく描き続ける。クリスティアンが告発文を早口で暗唱する様は鬼気迫る雰囲気がある。しかしこれが度重なる中断を経て繰り返されるうち、それが圧倒的な徒労感へと変容していく。3回目にとうとうその徒労ぶりに痺れを切らしたクリスティアンは、泣いてるのか笑っているのか分からない絶望の滲む声で唸り始める。問題の核はここにあるのだ。ここに宿る徒労感、それを発する退屈さや凡庸さ、それがルーマニアに蔓延る官僚主義の根源だと監督は喝発するのだ。

この大いなる退屈さの中で、クリスティアンは徐々に精神の平衡を失っていく。孤独な彼の中でパラノイア的な思考は高まっていき、この医療の腐敗に対してはもっと抜本的な改革を起こさなくてはならないという危険な考えに取りつかれていく。そして彼は狂気の中で思索を巡らせていき、車を走らせる。

“Să nu ucizi”は医療スリラーという定型ジャンルを、ルーマニアの緻密なリアリズムで解釈し直した、正に“ルーマニアの新たなる波”の本領発揮というべき作品だ。この国に巣喰う闇は、私たちが思うよりも暗く、個人が立ち向かうには余りにも深すぎるのかもしれない。

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