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映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Jure Pavlović&"Mater"/クロアチア、母なる大地への帰還

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ユーゴ紛争が勃発してから約30年もの時が経つことになった。この頃に祖国から去らざるを得なかった若者たちも、今や中年世代となっている。そして故郷に残った親世代の人々は老いて、独りで行動することも難しくなったゆえに、彼らは自身の親を介護せざるを得ない時が来たのである。今回紹介する作品はそんな旧ユーゴ圏の現実を描き出した作品、Jure Pavlović監督のデビュー長編“Mater”である。

今作の主人公である中年女性ヤスナ(Daria Lorenci)はユーゴ紛争の際、故郷であるクロアチアを去りドイツへと移住してきた人物だ。彼女はそこで家族を作り幸せに暮らす一方で、故郷には戻ろうとしなかった。しかし母であるアンカ(Neva Rosic)が病床に倒れた時、彼女の介護をするためにヤスナは故郷へと戻らざるを得なくなる。そして彼女は数十年ぶりに母との再会を果たす。

故郷でのヤスナの生活は慌ただしいものだ。アンカの身の回りの世話を行わなくてはならないし、彼女の見舞いにやってきた友人たちをもてなす必要もある。さらには土地をめぐってご近所トラブルが巻き起こっており、それに対処する必要もある。その全てを引き受けなくてはならないヤスナは疲弊する他ない。

監督の演出は、ダルデンヌ兄弟を彷彿とさせるリアリズム指向だ。撮影監督であるJana Plecasが担当するカメラは常にヤスナの顔を映し続け、彼女の行動の1つ1つを克明に描き出していく。その閉所恐怖症的なカメラワークからは空間に満ちる淀んだ空気感が滲みだすとともに、ヤスナの抱く疲労感や鬱屈すらも饒舌に伝わってくるのだ。

さらに彼女はドイツに夫と2人の子供を置いてきている。彼らとはタブレットの液晶越しに、ドイツ語で話すのだが、子供たちは“ママはいつ帰ってくるの?”とねだるように問いかけてくる。“すぐに帰るから”と言葉では伝えながらも、母親であるアンカへの心配は尽きることなく1週間、2週間と期間はどんどん延長されていく。

今作にはクロアチアの現在が映し出されている。ヤスナはある時偶然幼馴染みに再会し、楽しい時を過ごすのであるが、自分たちの関係性は既に変容してしまったことをまざまざと認識させられることになる。その一方でアンカの周りでお喋りにかまける彼女の友人たちの姿は昔から変わらないようでいて、しかし彼らもまた老いてしまっていることは一目瞭然だ。

そして物語が進むにつれて、ヤスナの心の中でクロアチアと母親であるアンカの姿が重なり始めることになる。2つは今朽ちていく過程の最中にある。ヤスナは1度はそれに背を向けて新しい場所に自身を委ねながらも、彼らが黄昏の時に差し掛かったこの時、再び舞い戻ることになり、複雑な感情が現れるのを認識せざるを得なくなる。

私たちはヤスナの苦闘を目撃するうちに、思うかもしれない。彼女が本当に望んでいることはクロアチアという故郷に再び生きることなのかもしれないと。彼女が抱いていた疲労感はだんだんとクロアチアと母親への切実なる愛着へと変わっていくからだ。“Mater”はこの旧ユーゴに生きていた人々が今抱くことになった、余りにも繊細で微妙な愛の距離感についての物語なのだ。

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