さて、日本の映画批評において不満なことはそれこそ塵の数ほど存在しているが、大きな不満の1つは批評界がいかにフランスに偏っているかである。蓮實御大を筆頭として、映画批評はフランスにしかないのかというほどに日本はフランス中心主義的であり、フランス語から翻訳された批評本やフランスで勉強した批評家の本には簡単に出会えるが、その他の国の批評については全く窺い知ることができない。よくてアメリカは英語だから知ることはできるが、それもまた英語中心主義的な陥穽におちいってしまう訳である(そのせいもあるだろうが、いわゆる日本未公開映画も、何とか日本で上映されることになった幸運な作品の数々はほぼフランス語か英語作品である)
この現状に"本当つまんねえ奴らだな、お前ら"と思うのだ。そして私は常に欲している。フランスや英語圏だけではない、例えばインドネシアやブルガリア、アルゼンチンやエジプト、そういった周縁の国々に根づいた批評を紹介できる日本人はいないのか?と。そう言うと、こう言ってくる人もいるだろう。"じゃあお前がやれ"と。ということで今回の記事はその1つの達成である。
さて今回インタビューしたのはコロンビアの映画批評家Juan Carlos Lemus Polania フアン・カルロス・レムス・ポラニアである。コロンビア映画界はラテンアメリカでも比較的影が薄かったが「大河の抱擁」によってこの国の若手作家Ciro Guerra シーロ・ゲーラがブレイクした後、続々と新しい才能が現れ始めた。という訳で2020年代に大躍進が期待される国であるが、今回はそんな国の批評家にコロンビア映画史について直撃してみた。それではどうぞ。
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済藤鉄腸(TS):まずどうして映画批評家になりたいと思いましたか? それをどのように成し遂げましたか?
フアン・カルロス・レムス・ポラニア(JP):90年代、私はCine Arteという金曜の午前0時から始まるテレビ番組を通じてたくさんの映画を観ました。そして映画を観て、それについて話し、金を稼げたなら素晴らしいだろうなと思いました。しかしクリストファー・ウォーケンが言うように"人々は私の選択について尋ねてくる。しかし自分は選択などほとんどしたことがない、ほとんど。物事が起こり、それについて"はい"か"いいえ"かで答えるだけ。普通は"はい"だ。それは何かをやらないよりやる方がいいからだ"という訳です。そして6年前、私はEl Tiempo(コロンビアの最も大きな新聞社です)からベルリン国際映画祭に参加しないかと言われました。ここまで言えば答えは分かるでしょう。
TS:映画に興味を持ち始めた頃、どういった作品を観ていましたか。当時コロンビアではどのような作品を観ることができましたか?
JP:物心ついた頃から映画が好きでした。思い出すのは10代の頃、ネイバというボゴタの南にある小さな町の、私の家の角にあるビデオクラブに入り浸っていたことです。そして映画館はコミュニケーションの場でもありました。とても多くの良作が上映されていて、その幾つかは今では古典やカルトと呼ばれる類のものでした。「マッドマックス」「セックスと嘘とビデオテープ」「エイリアン」「ブルー・ベルベット」「ブレードランナー」「カラーパープル」などです。しかし最初に印象に残ったのはアニメ「マジンガーZ」でした。私が「マジンガーZ」を探してどれほどの時間を秋葉原に費やしたか分かりますか。
TS:最初に観たコロンビア映画は何でしょう? その感想も聞かせてください。
JP:コロンビア映画に関して言うと、思い出せるのは"El taxista millonario"(1979)というヒットしたとてもベーシックなコメディ映画です。初めて映画館で観た作品もこれでした。しかし本当の意味で印象に残った作品は"Cóndores no entierran todos los días"(1984)でした。それから1990年の"Rodrigo D: No futuro"がありますね。
TS:コロンビア映画の最も際立った特徴とは一体なんでしょう? 例えばフランス映画は愛の哲学、ルーマニア映画は徹底したリアリズムと暗黒のユーモアです。それでは、コロンビア映画についてはどう言えるでしょう?
JP:私は映画を違う風に捉えています。ある地理学的視点から映画について考え、特徴を特定しようとする人もいますが、私は評論家としてそういった過度の単純化はしたくありません。加えて、私たちの映画は未だ自分自身の声や視点を探している途中であり、個別的にしても普遍的にしても何かを説明できるものを探しているんです。
TS:世界のシネフィルに最も有名なコロンビア人映画作家は間違いなくLuís Ospina ルイス・オスピナでしょう。"Agarrando pueblo"や"Pura sangre"など彼の作品は現代コロンビアの複雑さを描いています。しかし彼や彼の作品はコロンビアで実際どのように評価されているのでしょう?
JP:私たちの映画史における象徴的意味について考える時、Don Luís Ospinaはトーテムのような存在です。しかし彼の、私たちの、映画という芸術的表現の境界を越えて知られているというには程遠いです。思い出せる限り、彼の最後の作品であるドキュメンタリー"Todo comenzó por el fin"は商業的な形で公開されませんでした。
"Pura sangre"
TS:そしてLuís OspinaはCaliwoodという映画団体を率いていましたね。これについて日本の読者に教えてくださいませんか? この団体はコロンビアの映画産業においてどのような意味を持っていたのでしょう?
JP:Caliwoodはカリというコロンビアで3番目に大きな都市から生まれた、映画にまつわる思想と批評についてのチームです。Caliwoodは決して叶わなかった夢でもありました。何故なら余りに多くのことが経済を中心に回っていたからです。ある時Ospinaは言いました。"コロンビアの映画作家たちは成功を運命づけられている"と。結果として私たちの映画は映画ごとに生まれ変わる赤子であり、失敗することは許されない。そして多くの新しい作家たちはデビュー作しか残せないんです。
TS:個人的に好きなコロンビア映画はVictor Gaviria ビクトル・ガビリアの"Rodrigo D: No Futuro"です。今作の提示する厳しい現実には心から打ちのめされました。そこで聞きたいのは、今作はコロンビアでどのように評価されているかということです。
JP:今作は私たちにとっての象徴です。初めてカンヌのコンペティション部門に選出されたコロンビア映画でもあります。不幸なことに、あなたの仰る"厳しい現実"は私たちの心には余りにも近すぎました。私の意見としては"Rodrigo D"の成功は私たちの現実において比喩的な逸話となっていたことです。カンヌでのプレミア上映は甘くも酸っぱいものでした。"これでは我が国の印象は良くならない"と言われたんです。メッセージの面で生の状態でそれ以上の結果を生みませんでした。
TS:あなたの意見として最も重要なコロンビア映画は何ですか? その理由もお聞きしたいです。
JP:私の意見としては2作あります。まずは"Rodrigo D"、何故なら初めてカンヌに出品された映画だからです。もう1作は"La Estrategia del caracol"、なぜなら深い物語とよくできた構成が興行において合致したからです。
TS:もし1作だけ好きなコロンビア映画を選ぶなら、どの作品を選びますか? その理由はなんでしょう。個人的な思い出がありますか?
JP:今日なら私は"Rodrigo D"と言いますね。10代の頃の思い出や郷愁が溢れてきます。しかし明日には他の映画の名前を挙げるでしょうね。
TS:2010年も数か月前に過ぎました。そこで聞きたいのは、2010年代において最も重要なコロンビア映画は何かということです。例えばCiro Guerra シーロ・ゲーラの「大河の抱擁」やFranco Lolli フランコ・ロッリの"Litigante"、Alejandro Landes アレハンドロ・ランデスの「猿」などがあります。あなたの意見は?
JP:おそらくは「大河の抱擁」でしょう。2015年のカンヌにおいて批評家の反応がとても良かったのを覚えています。
TS:コロンビア映画界の現状はどういったものでしょう? 外側から見ると、とても良い状況にあるように思えます。Ciro Guerra以降、新しい才能が有名な映画祭に多く現れています。例えばトロントのLaura Mora Ortega ラウラ・モラ・オルテガ、ベルリンのSantiago Caicedo サンティアゴ・カイセド、そしてカンヌのFranco Lolliです。しかし内側から見ると、現状はどのようなものでしょう?
JP:告白しなくてはならないのは、私は外国に移住して10年が経っていることです。それを念頭に入れて語ると、私たちの国は映画をその手に持ち始め、国民も映画とはマーケットという形態から遠く離れたものだと受け入れ始めています。文化的、社会的重要性において議論の余地はありません。この10年の始まりに、私たちが国として映画を統合できることを祈っています。
TS;コロンビアにおける映画批評の現状はどうなっていますか?外側からだとその批評に触れる機会がありません。しかし内側からだと、現状はどのように見えるでしょう?
JP:思うにコロンビアでは批評も映画と同じように建設中のようなものです。調べれば分かる通り、この国は国際批評家連盟(FIPRESCI)に加盟する団体がない数少ない国の1つなんです。それでも雑誌やウェブサイトは存在しますし、ドンキホーテ的な難行にも挑戦しています。
TS:今、コロンビア映画界で最も才能のある若い作家は誰だと思いますか? 例えば、独自の映画的なビジョンを持っている意味で、私はCarla Melo カルラ・メロとLaura Huertas Millán ラウラ・ウエルタス・ミジャンを挙げたいです。あなたの意見はどうでしょう?
JP:水晶玉は持っていませんが、注目すべき才能について語るなら、過去について語るのと同じでしょう。しかし1回だけの奇跡を起こした例は枚挙に暇がないですが、デビュー作を越えられる映画作家はいません。それでも挙げるならCamilo Restrepo カミロ・レストレポ、Natalia Santa ナタリア・サンタ、Iván Gaona イバン・ガオナでしょうか。
"Rodrigo D: No Futuro"