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映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

エストニア映画界に春は来るか?~Interview with Tristan Priimägi

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さて、日本の映画批評において不満なことはそれこそ塵の数ほど存在しているが、大きな不満の1つは批評界がいかにフランスに偏っているかである。蓮實御大を筆頭として、映画批評はフランスにしかないのかというほどに日本はフランス中心主義的であり、フランス語から翻訳された批評本やフランスで勉強した批評家の本には簡単に出会えるが、その他の国の批評については全く窺い知ることができない。よくてアメリカは英語だから知ることはできるが、それもまた英語中心主義的な陥穽におちいってしまう訳である(そのせいもあるだろうが、いわゆる日本未公開映画も、何とか日本で上映されることになった幸運な作品の数々はほぼフランス語か英語作品である)

この現状に"本当つまんねえ奴らだな、お前ら"と思うのだ。そして私は常に欲している。フランスや英語圏だけではない、例えばインドネシアブルガリア、アルゼンチンやエジプト、そういった周縁の国々に根づいた批評を紹介できる日本人はいないのか?と。そう言うと、こう言ってくる人もいるだろう。"じゃあお前がやれ"と。ということで今回の記事はその1つの達成である。

さて、今回インタビューしたのはエストニア映画批評家Tristan Priimägi トリスタン・プリーマギである。読者の方々はエストニア映画と聞いてどんな映画を思い浮かべるだろうか。何人かはこの前日本でも公開された「みかんの丘」を思い出す人もいるかもしれない。だが他の作品を思いつく人はそういないだろう。だからこそこの日本でエストニア映画史を紹介する必要がある訳である。ということで今回はエストニア気鋭の批評家にエストニア映画にまつわる個人的な思い出、エストニア映画史に残る傑作"Kevade"とそれに関連する逸話、エストニア映画のシビアな現状などなど様々な話題について聞いてみた。自国の映画史に対してなかなか厳しい見方をする人物で、答えもかなり興味深いものになった。それではどうぞ。

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済藤鉄腸:まずどうして映画批評家になりたいと思ったんですか? そしてどのようにそれを成し遂げましたか?

トリスタン・プリーマギ(TP):これは意識的な決断ではありませんでした。大学の後にタリンへ移住してから、2002年に"Agent Sinikael"("エージェント野鴨")という新作エストニア映画のレビューを頼まれました。徹夜して書き続けましたが、終わったのは締め切りギリギリでした。その頃にあったプレッシャーが好かなかったのもあると思いますし、長年取り組んでいた音楽批評ほどに敬意を感じていなかったからとも思います。しかし徐々に映画に関する執筆が人生に食いこんできて、2014年には真剣に取り組み始めました。そして職を変えて、週刊の文化誌であるSirpで映画分野のリーダーになりました。今はこの仕事を楽しめるようになりました。

TS:映画に興味を持った時、どんな映画を観ていましたか? 当時エストニアではどんな映画を観ることができましたか?

TP:小さな頃の強烈な映画体験を今でも覚えています。それはいつでもホラーとともにあるのですが、ショックな場面が思い出として焼きついているからだっと思いますね。ソ連産ではない映画は珍しい商品で、そのおかげでより強烈な衝撃を受けましたね。「食人族」は8歳の誕生日に観ました。父のセレクトですが、それ以上聞かないでください。タルトゥ天文台ではエクソシストを観ました(数週間夢に出ましたね)ポルターガイストⅡ」の違法上映から帰ってきた後、停電を経験したんですが、30分ソファーの上から動けなくなって、背後のドアが閉まってるか閉まっていないか狂ったように思い出そうとしてました。ランボー/怒りの脱出」は父の職場で彼の同僚と一緒に隠れて観ました。今作には反ソ連的な内容が含まれていたからです。

その後、高校では芸術映画に興味を抱くようになり、それは情報競争のような状況を呈しました。思い出せるのは6時間のテレビ版「ファニーとアレクサンデル」は同級生と徹夜で観たことですね。問題はそれがスウェーデン語音声・フィンランド語字幕だったことで、半分しか理解できませんでしたが、それでも最高の体験でした。エストニア映画だけが自由に観られる頃は、それらに嫌悪感を抱いていたんですが、それは若く馬鹿げた価値観において政権がそういうものに映ったからでしょう。またエストニア映画と深く関われるようになるには時間がかかったので、たくさんの映画を観る必要がありました。

TS:一番最初に観たエストニア映画は何でしょう? その感想も聞きたいです。

TP:覚えてないですね。とても小さな頃からたくさんのエストニア映画をTVで観てましたから。

TS:あなたにとってエストニア映画の最も際立った特徴は何でしょう? 例えばフランス映画は愛の哲学、ルーマニア映画は徹底したリアリズムとドス黒いユーモアなどです。では、エストニア映画はどうでしょう?

TP:それはおそらく苦悩を通じた贖罪でしょうね。伝統としてこれは世界的伝統における宗教的なテーマに属していますが、エストニアでは違います。何故ならソ連に宗教というものは存在しなかったからであり(共産党はこの立ち位置を消し去りました)その後に宗教は残らなかったからです。エストニア人は主に無神論者ですが(最終的に自分たちをそう考えるようになった訳です)ゲルマン民族プロテスタント的労働倫理を成功裏に受け継ぎました。エストニアにおいて勤勉さは宗教的褒章、来世として返ってはきません。もっと存在論的な愉悦として、ある種の哲学的理解として返ってくるのです。主として、結論は無意味でどこにも行きつくことはありません。

我々の映画は荒涼として、存在論的で、時おり極めて象徴的なものです。同様の伝統における新しい映画群について、私の友人である映画批評家Carmen Gray カルメン・グレイはそれを"エストニアン・ゴシック"と定義づけました。とても正確なものだと思います。新しい映画群は語りの手法として黒いユーモアを採用しました。ソ連時代、皮肉的な文脈でユーモアを駆使することはほとんど不可能でした。アニメーション以外は検閲を突破できなかったんです。

TS:最も重要なエストニア映画とは何でしょう? そしてそれは何故でしょう?

TP:答えるのは難しいですね。今日と明日で答えは変わってくるでしょうから。しかし無から生まれた完璧な傑作として"Georgica"(Sulev Keedus スレヴ・ケードゥス, 1998)を挙げたいです。90年代という10年間、エストニア映画は予算や一般的な方向性なしで何かを成し遂げようと必死でした。そして今作が天啓のように現れたんです。"Georgica"は全ての時代におけるトップクラスのヨーロッパの芸術映画に匹敵する作品です。今でも何が起こったのか理解できずにいます。今作1つで信仰は取り戻されたんです。全てが消え去った訳ではありませんでした。

それから、例えば"Triangle"などのPriit Pärn プリート・パルンの初期アニメーションを挙げたいと思います。彼の初期作はエストニアと世界のアニメーション両方に不朽の影響を与えています。今でもアニメーション映画の中に彼の痕跡を観ることができるでしょう。彼は世界の映画に影響を与えた唯一のエストニア映画作家と言えるでしょう。

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"Georgica"

TS:もし1本だけ好きなエストニア映画を選ぶなら、それは何でしょう? 理由はありますか、個人的な思い出などは?

TP:先の質問が答えの代わりですね。1本だけというのはないです。10から15本は挙げなくてはいけません。

TS:海外において世界のシネフィルに最も有名なエストニア人作家はArvo Kruusement アルヴォ・クルーセメントでしょう。彼の"Kevade"("春")がいかに豊穣で瑞々しいかには驚かされました。しかし実際に彼と彼の作品はエストニアでどのように評価されているでしょう?

TP:Kruusementは伝説です。未だに存命でとても尖鋭な人物でもあります。"Kevade""Viimne reliikvia"("最後の遺物")という作品と、最も重要で人気のエストニア映画の座を争っています。この2作が1969年という同じ年に作られたことを考えると、郷愁に呑みこまれそうな思いに駆られます。エストニア映画に関心のある批評家として、その思いとは戦う必要があるでしょう。世界は常に変わり続けており、批評家が時とともに変わるのを躊躇う様には心配になります。だからこそ私たちは60年代のヨーロッパの作家たちを偶像化しようとするのでしょう。もちろんその頃にも傑作は作られましたが、フェリーニベルイマンを到達できない存在として語るのは狭量だと思います。世界は動いているんです。留まるべきではありません。

TS:そしてとても興味深いのはKruusementが"Kevade" "Suvi" ("夏"), "Sügis" ("秋")というOskar Luts オスカル・ルッツによる三部作を同じスタッフとキャストで制作していることです。驚くべきはこの三部作がリチャード・リンクレイターによるビフォア三部作を先取りしていることです。どのようにこの三部作は作られたのですか。エストニアではどのように受け入れられているのですか?

TP:製作には多大な労力を要しました。何故ならスタジオであるTallinnfilmが第2部である"Suvi"を新しいキャストで作れとKruusementに迫ったからです。他のキャストでスクリーンテストが何度も行われましたが、最終的にKruusement側が勝ちました。最初の2作は紛れもない古典、10点中10点です。3作目である"Sügis"は郷愁に満ちた後知恵であり、不安定なスタイルとリズムに歪まされています。しかし作られる必要がありました。原作が存在したし、Kruusementによれば、彼は50年間禁止された青・黒・白のエストニア国旗が映る映画を作りたかったというんです。実際に国旗は映し出され、彼の願いは叶ったというべきでしょう。

ところで4作目である"Talve"が今年プレミア上映されました。何人かは同じ俳優が出演していますが、Kruusementが監督している訳ではなく、原作もOskar Lutsの思想が反映されているか怪しい、ほとんど他の人物によって書かれた作品です。魅力的な映画ですが、けばけばしさもあります。それでもリンクレイターに30年は先行している訳ですし、4部作のスパンは50年にも渡るんです。

TS:個人的に好きなエストニア人監督の1人はGrigori Kromanov グリゴリ・クロマノフです。彼のカルト的な傑作"Hukkunud alpinisti hotell"("死んだ登山者のホテル")は私含め世界のシネフィルの血に印象的に刻まれています。しかし彼は一体誰なのでしょう? 彼はカルト的な映画を頻繁に作っていたんですか?

TP:Grigori Kromanovは古いタイプの紳士であり賢者です。素晴らしいのは少しだけしか映画を作らなかったことです。彼は劇場でこそ頻繁に働いており、権威に作品の計画の数々を認められなかったこともあり、映画を作るのが難しかったんです。しかし大胆なまでに異なる映画の数々を作っています。"Hukkunud alpinisti hotell"は純粋なSF映画であり、原作を執筆したのはストルガツキー兄弟です(彼らの本の1つは「ストーカー」の原型でもあります)"Viimne reliikvia"は純粋な"剣とケープ"の冒険映画であり、エロール・フリンによく似合う作品ともなっています。最も人気なエストニア映画でもあり、1970年だけで4500万人を動員しました。

その前に製作した"Põrgupõhja uus vanapagan"("新たなサタンの災難", 1964)は重要な形而上学的寓話で、Jüri Müür ユーリ・ミュールと共同で監督しています。"Meie Artur"("我らがアルトゥル", 1968)はドキュメンタリー制作において新たな地平を切り開きました。新しいシネマ・ヴェリテ的様式でArtur Rinne アルトゥル・リンネを描き出し、そこにイデオロギー的重荷はありません。彼の短いフィルモグラフィには強烈な魅力があります。少なくとも世界的なレベルのものです。

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"Kevade"

TS:あなたは今"エストニア映画101本"という本を書いていると聞きました。この本について日本の読者に説明してくれませんか? そういった本が出版されることにとても興味を抱いています。

TP:この本はエストニア映画を代表する101本の作品を選び、それについて書いたエッセーを集めたものです。基本的に自分の好きな作品ですね。長編、ドキュメンタリー、アニメーション、短編。これらを年代順に並べています。願わくば今作がエストニア映画史への短いイントロダクションになればと思います。すぐに出版されればと願うとともに、日本語でも他の言語でも翻訳されることにはオープンでいようと思っています。エストニア映画やその文化はとても小さなものでありながら、特有の言語を持っているので、他の誰も私たちについて紹介することはできません。私たちが世界に向けて私たち自身を紹介する必要があるんです。

TS:2010年代も数か月前に過ぎ去りました。そこで聞きたいのは2010年代最も重要なエストニア映画は何かということです。例えばMartti Helde マルッティ・ヒル"Ristuules"("十字路")、Veiko Õunpuu ヴェイコ・オウンプー"Free Range"("放し飼い")、Rainer Sarnet ライネル・サルネット"Rehepapp"("11月")などがありますが。

TP:それらが最も重要でしょうか。いつも思っているのはこの10年は"0歳"という言葉が似合うということです(笑)何故なら文化的なシフトが少しの遅れとともにやってきたからです。当然、コロナウイルスが新しい10年と新しい年の幕開けを飾ったゆえ、何が起こるかには注視する必要がありますが。

とにかく最も重要な作品は「みかんの丘」でしょう。ジョージアエストニアの共同制作で、初めてアカデミー賞にノミネートされた作品であり、エストニア映画界において大きな影響を与えました。一般的に2010年代というのはエストニア人がエストニア映画に対する信条を回復するという年代でした。その一部は芸術的な勇気のための不愉快なトレードオフから起こったものでもあります。映画はより安全で、観客に友好的になってきています。この方向性を完全にサポートできるか定かではありません。ここ10年で個人的に好きな作品はアニメーションですね。"Body Memory""Villa Antropoff""Orpheus"や"Pilots on the Way Home""Toomas Beneath the Valley of the Wild Wolves"などです。

TS:エストニア映画界の現状はどういったものでしょう。外側からだと、良いもののように思えます。新しい才能がとても有名な映画祭に現れていますからね。例えばトライベッカのRainer Sarnet、釜山のMoonika Siimets モーニカ・シーメッツ、カルロヴィ・ヴァリのPriit Pääsuke プリート・パースケなどです。しかし内側から見ると、現状はどのように見えるでしょう?

TP:まあ……トライベッカと釜山はいいものですね。しかしカンヌやヴェネチアと同じではありません、もちろん悪口ではないですよ。エストニア映画はローカル的にとても人気で、2019年には23%の観客を占めました。これは前代未聞のことです。狂ってるとすら言えるでしょう。エストニア映画は脚本執筆や編集など技術的な面においてだと、高いレベルの職人性に達してきました。そのおかげで本物の映画に見えるし、恥ずかしさもなく簡単に観ることができます。しかし次のステップとして映画製作において独自のスタイルを追求することが必要です。おそらくもっと語りに頼らず、省略的であるべきなんです、よく分かりませんが。最近皆が適応しようとする、アングロ系アメリカ人たちによるエンターテイメントの巨大な手法以上のものを目指すべきです。ロシアや中国を見てください。強烈なヴィジョンとそれを見極める勇気が必要とされているんです。今、プロダクションにおいて、エストニアは最も大きな映画祭の"黄金の環"に居場所がありません。何故なら私たちは皆を喜ばせようと必死だからです。

TS:それから映画批評の現状はどういうものでしょう? 外側からだと、そこに触れる機会が全くありません。しかし内側からだと、現状はどのように見えてくるでしょう?

TP:映画批評には成長し発展していく可能性があります。現状を反映した映画についての執筆や分析を受け入れるためのメディア空間が存在していますからね。しかしほとんどの批評家が努力したり、真剣に働くことに乗り気ではありません。それを実践する貴重な数人は黄金のような価値があります。私は執筆を始めたばかりの若い人々を見つけ出そうとしてきましたし、執筆にもっと深く関わらせようと勇気づけようとしてきました。思うに興味深い考えを持つには、文化へのもっと広いセンスや感情が必要なんです。狭い映画の知識だけではダメです。それでは考えが制限されます。

TS:エストニア映画界で最も注目すべき新しい才能は誰でしょう? 例えば外側からだと独自の映画的声を持っている意味で、Anu-Laura Tuttelberg アヌ=ラウラ・トゥッテルベルグChintis Lundgren シンティス・ルンドグレンを挙げたいと思います。あなたのご意見は?

TP:難しいですね。彼らを必要以上に支持したくはありません。が、若い才能は確かに存在します。Moonika SiimetsやEeva Mägi エーヴァ・マギTanel Toom タネル・トームVallo Toomla ヴァッロ・トームラなどです。何人かは素晴らしい短編を作っているというだけで才能というには早すぎるかもしれませんが、希望を持っています。前衛的映画製作の強烈で新しい波が来ているように思われます。彼らが次の10年を形作っていくことを祈っています。

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"Toomas Beneath the Valley of the Wild Wolves"