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映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Martin Turk&"Ne pozabi dihati"/この切なさに、息をするのを忘れないように

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兄と弟の関係性を描いた作品というものは男らしく、武骨なものが大半を占めるだろう。それは実際の兄弟関係を反映しながらも、多様性という意味では少しつまらなく感じる。だが今回紹介するスロヴェニア期待の映画作家Martin Turkの第3長編"Ne pozabi dihati"はそんな従来の兄弟映画の枠組みを更新する試みに満ち溢れている。

今作の主人公は15歳の少年クレメン(Matija Valant)だ。彼はテニスの有望選手として期待されながらも、何よりも好きなのは兄であるペテル(Tine Ugrin)と一緒にいる時間だ。彼らはどこへ行くにもいつも一緒であり、その絆は簡単に断ち切れないように思われる。

まず今作はクレメンたちの日常を丹念に描きだしていく。例えば2人でバイクに乗って麦畑沿いを駆け抜ける、母であるアルマ(Iva Krajnc)を交えて夕食を食べる、離れて暮らす父親であるミロ(Nikola Djuricko)とともに車の運転を練習する。そういった他愛ない日常の数々が、深い慈しみを以て淡々と綴られていくのだ。

そこにおいて目を惹くのは撮影監督であるRadislav Jovanov Gonzoのカメラが映しだす、スロヴェニアの田舎町に広がる風景の美しさである。そこには常に夕焼けのような橙色が満ちており、それはこの地の夏がいかに豊穣なものであるかを雄弁に物語っている。

実を言うと、私はTurk監督が以前に制作した2つの長編も観ているのだがあまり感心しなかった。デビュー長編である"Nahrani me z besedami"は難解さが、ボスニアで撮影した第2長編"Dobar dan za posao"では素朴さが極端すぎて、観客の解釈に身を委ねすぎなような気がしたのだ。それ故に今作も期待はしておらず、それでもスロヴェニア映画と聞いたら観ざるを得ない質で落胆を承知で鑑賞を始めた訳である。

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しかしその鮮やかな撮影を一見すれば分かる通り、今作は明らかに前作から進歩を遂げていた。風景の鮮烈さが語るのは、監督の研ぎ澄まされた現実への解像度である。彼の視線は頗る明晰なものであり、以前の難解さや素朴さを越える、観客を魅了する豊穣さがそこからは立ち現れてくるのだ。今までと監督が見ている風景が違うと確かに感じられるのだ。

クレメンの望みとは裏腹に、彼の日常は少しずつ変化していく。母親であるアルマに新しい恋人ができたかと思えば、同じ時にペテルにまでソーニャ(Klara Kuk)という恋人ができる。ペテルは彼女にご執心であり、そのせいで徐々に兄との時間が減っていくことにクレメンは気づく。そして彼は孤独になっていく。同年代の友人たちはいるが、それでは満たされない何かが心で蟠るのだ。

そして今作はクレメンの渦巻く不満へと迫っていく。彼はとても寡黙な少年であり、自分をうまく表現できないでいる。ゆえに心に存在する荒波も、自分では到底理解することができない。それが仇となって、彼は無表情で不満を湛えるままで何も言わず、他者を傷つけてしまう。

その中で、彼は兄の恋人であるソーニャと奇妙な交流を果たす。最初は彼女たちのキスを遠目で見るばかりだが、ある時クレメンは彼女が風呂に入っている場面に遭遇する。その裸を目の当たりにしながら、クレメンはソーニャからキスや恋人の作り方について教えてもらう。見かけは初々しい出来事でありながら、しかしクレメンの顔には淡い憎しみのような感情が浮かんでいる。まるで彼女が自分から兄を奪ったとでもいう風に。

さらにクレメンの兄への微妙な感情も印象的だ。最初彼の抱くものは兄弟ゆえの恋慕のように思われる。それでも静かな、しかし熱烈な執着を見るうち、彼は兄にそれ以上の感情を抱いているかもしれないと思わされるのだ。つまり同性愛的な感情である。今作ではその未分化な感情に列記とした言葉が与えられることはない。しかしだからこその豊かさがクレメンの姿には宿っていると言ってもいいだろう。

Turk監督の眼差しは頗る真摯なものだ。彼は曖昧さに確固たる答えを与えようとはしない。曖昧さを曖昧なままに提示しようと試みるのだ。今作において言葉を越える美や人間心理の複雑さというものが柔らかく浮かびあがる鍵がこの真摯さなのである。

そしてクレメンの不満と怒りが頂点を迎える瞬間があるのだが、それは静かな驚きに溢れたものだ。登場人物たちの感情が結集し、胸を打つ光景がここには生まれるのである。"Ne pozabi dihati"は兄弟という関係性を新たな視点から描きだす美しい作品だ。

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