鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

集まれ、あぶない看護婦たち!~めくるめくNurseploitationの世界

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エクスプロイテーション映画、セクスプロイテーション映画、ブラックスプロイテーション映画、そういったジャンル名に聞き覚えのある方は多いかもしれない。だがNurseploitation ナースプロイテーション映画という名前を聞いたことがあるだろうか。その名の通り今作は看護師を主人公としたエロ映画を指し示すジャンル名であり、アメリB級映画界の巨匠であるロジャー・コーマンが金を稼ぐためにこのジャンル作品を作りあげたのである。そしてあまりの人気ゆえにこのシリーズは5作作られることになる。だがこういったB級映画の常として、これらは映画史の闇に消えてしまった。だがマイナー映画が好きな私としては、こういった作品群にこそ隠された映画史があるのではないかとワクワクが抑えられなくなる。という訳で私はこの5作全てを鑑賞、70年代前半に綺羅星のごとく輝いたNurseploitation作品の歴史を今から語りたいと思う。そんなん知りたい奴はそんなにいないと思うが、この記事を読んで1人でもNurseploitation映画に興味を持った物好きがいればそれほど嬉しいことはない。それではめくるめくNurseploitation映画の世界へ。

とはいえ、まず書くべきなことが1つある。このNurseploitation映画は全てが日本でVHS化されているのだが、この邦題がかなりの問題だ。先述通りこのシリーズは5作まで続いたのだが、日本では受容がバラバラであった故に邦題がおかしなことになっている。ここでそれを並べてみよう。

1作目"The Student Nurses"→「またまたあぶない看護婦」
2作目"Private Duty Nurses"→「あぶない看護婦」
3作目"Night Call Nurses"→「もっともあぶない看護婦」
4作目"The Young Nurses"→「もっとあぶない看護婦」
5作目"Candy Stripe Nurses"→「帰ってきたあぶない看護婦」

おそらく「あぶない刑事」シリーズに便乗したのだろうが、全く紛らわしいことこの上ない訳である。この5作はコンセプトだけが一緒で全てが独立しているので、どう並べてもいいだろうが、正直気持ちが悪い(とはいえおそらくアメリカ人もこの題名でシリーズ順に並べろと言われても無理だろう)なので、この後からは全て原題で紹介していくことをご了承いただきたい。

さて、早速Nurseploitationの1作目である"The Student Nurses"(「またまたあぶない看護婦」)の成立までを見ていこう。監督としてもプロデューサーとしても大いに活躍していたロジャー・コーマンは、弟であるジーン・コーマンとともにAIPを離脱、自分たちの制作・配給会社New World Picturesを設立する。彼らがまず最初に制作したのがリチャード・コンプトン監督作"Angels Die Hard"(1970)だった。炭鉱街に生きるバイカー集団の姿を描きだした今作は予算12万5000ドルのところ、70万ドルを稼ぎだし大成功を収めた。ちなみにコンプトンは後に"Macon County Line"という異形のジャンル映画を作る、注目すべき映画作家であるので名前を覚えていて損はない。

そしてコーマンたちは2作目の制作に入ろうとするのだが、そのアイデアを齎したのはNew World Pictures設立の立役者Larry Woolner ラリー・ウールナーだった。看護師を主人公としたセクスプロイテーション映画を作るべきだと提案したのだ。看護婦は男性たちにとって人気のファンタジーであり、それで彼らの妄想を満たそうと考えたのである。彼らは出せるだけの裸を出せるR-rated映画の計画を立て、それに適任の監督を探しだそうとする。そこで白羽の矢が立ったのがStephanie Rothman ステファニー・ロスマンという女性だった。

ここで彼女の経歴について紹介しよう。1936年ニュージャージーに生まれた彼女は、ロサンゼルスで子供時代を過ごすが、映画制作に興味を持ったきっかけはイングマール・ベルイマン「第七の封印」を観たことだった。カリフォルニア大学バークレー社会学を学んだ後、彼女は南カリフォルニア大学で映画製作を学びはじめる。そして卒業後、彼女はコーマンから仕事のオファーをもらい、彼のアシスタントとして働くこととなる。「踊る太陽」や「原始惑星への旅」といった作品の現場で働き、1966年には彼女が大部分の再撮を行ったことで"Blood Bath"の監督としてロスマンの名が冠されることになる(共同監督はあの「コフィー」「スウィッチブレイド・シスターズ」を作ったジャック・ヒルである)

これらの仕事に大いに満足したコーマンは、ロスマンの初の単独監督作を任せることになる。それが"It's a Bikini World"だった。今作は先述の「踊る太陽」に代表されるBeach partyというジャンルに属する1作で、海岸を根城とするモテ男がフェミニストの少女と出会い変わってゆく姿を描いた作品だった。だが今作の撮影は困難を極めたようで、ロスマンは自分が映画監督を続けられるか疑問に駆られ、しばらく映画制作から離れることになる。しかし映画監督として活躍する夢を再確認した後、映画界に復帰、再びコーマンの元で「ガス!」(1970)のプロダクション・アシスタントを務めることになる。ここでコーマンから任されることになった仕事が"The Student Nurses"だった。コーマンから創作的な自由を与えられ、彼女は時代の空気感を反映した意欲的作品を完成させることになる。

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"The Student Nurses"のレビューに入る前に、まずNurseploitationの伝統について記そう。主人公はもちろん必ず看護婦である、しかも複数。"The Student Nurses"は例外的に主人公の看護婦は4人だが、これ以後は最終作まで3人が続く。そして彼女たちがそれぞれ別々の事件に遭遇することになる。コーマンの言葉によれば"コメディ的な事件、エロい事件、政治的な事件"である。"The Student Nurses"は4人なので重複があるが、2作目"Private Duty Nurses"からはこの3つの事件がそれぞれに割り振られる(が、最終作"Candy Stripe Nurses"では面倒臭くなったのか放棄されている)そして2作目から看護師の1人が黒人もしくはヒスパニックといわゆるPoCがあてがわれるのだが、彼女たちにはかならず"政治的な事件"が割り振られる。例えば黒人差別やブラックパワーなどだ。そして例えどんな暗い展開があろうと、基本的に最後は大団円である。まあエクスプロイテーション映画を観にきて、最後に暗い気持ちで劇場を去りたい人間はいないだろう。そういうのは文芸映画に任せておけと。という訳でNurseploitation映画のお決まりについて書いてきたが、もちろん作品ごとにその取り組み方は微妙に変わってくるので、そこはぜひレビューを参考にしてほしい。

ここからは"The Student Nurses"のレビューに入っていこう。今作の主人公は同じ病院で働き、住む家も共有している4人の看護婦フレッド(Karen Carlson)、プリシラ(Barbara Leigh)、シャロン(Elaine Giftos)、リン(Brioni Farrell)だ。彼女らは病院で勤勉に働きながら、若さを謳歌している。だがある時、4人はそれぞれ人生の試練に直面することになる。

その試練というのがこれだ。フレッドは病院のセクシーな医師ジム(Lawrence P. Casey)に恋をして、騒動を巻きおこすことになる。プリシラは麻薬の密売人と恋人同士になるのだが、妊娠した直後に彼は逃走、中絶を決意することになる。シャロンは末期患者である青年を担当するのだが、彼の運命を知りながら愛を育みはじめる。そしてリンはヒスパニックの革命論者ビクトル(Reni Santoni)と出会い、ヒスパニック社会の苦しい現実を知る。

ロスマンはこの4人の看護師をめぐる群像劇を、職人的な手捌きによって捌いていく。序盤においてそれは悪く言えば無難なものであり、特筆すべきものはあまりない。乳房やお尻が時々現れる、普通のエクスプロイテーション映画といった印象を抱く訳である。

それでも物語が進むにつれて、監督の手腕が少しずつ解放されていく様を私たちは目撃するはずだ。例えば普通の劇映画的な撮影のなかに、ふと異物が現れる瞬間がある。例えばヒッピーたちの公園での会合が描かれる時、今作は限りなくドキュメンタリーに肉薄する。はしゃぐ子供たち、ギターを掻きならす青年、ただただ芝生のうえで休む女性、そしてその光景を見ながら笑みを浮かべるプリシラ。そんなドキュメンタリー的映像が劇映画に挿入される瞬間、今作は時代の空気感というものを反映するのである。

そして今作はどちらかと言えばリアリズム重視の演出が成されているが、先述のやり方でふと魔術的リアリズムを彷彿とさせる演出が現れる瞬間がある。例えばプリシラが砂浜で幻視する光景、いるはずのない医師や看護師たちが恋人と肌を重ねる彼女を酷薄な視線で眺める。そしてこの光景は彼女が中絶を行う際にも反復されるのだ。彼らの視線は、まるで社会にそぐわない行為を行うプリシラを罰するようだ。ロスマンはこうして不満や悲しみを抱く4人とそれを取り巻く社会を描きだす訳である。

そして今作はその精神において、少しずつ真価を発揮していく。ロスマンはメインストリームの映画において女性の描かれ方が画一的なこと、注目されるべき社会問題が描かれないことに不満を持っていた。それ故に彼女は問題意識を以て脚本を執筆する。今作の物語はそんなロスマンの抵抗の記録でもある。彼女が描く女性たちは思想においても実際の行動においても独立したものであり、そんな彼女たちが深い問題と対峙していく。フレッドは愛の複雑に苦悩し、シャロンは愛と命のタイムリミットに苦しみ、リンはアメリカが弱者を抑圧する現実に衝撃を受ける。その懊悩は全て同じところが存在しない。彼女がアメリカにおけるフェミニスト映画作家のはしりと呼ばれるのはそういった姿勢が基だろう。

そしてこの精神が最も如実に現れているのはプリシラの物語である。当時アメリカにおいて中絶は違法行為であり、様々な意味で命を懸けざるを得なかった。だが映画は時代の影に隠れた女性たちの苦しみに目を向けてこなかった。それ故に今作は当時における中絶を真正面から描いた貴重な作品という訳である。

上述したプリシラの物語と同じように、看護師たち皆の物語の結末は苦い。フレッドはジムとの恋に破れ、傷心に打ちひしがれる。シャロンは運命づけられていた患者の死に直面し、失われた愛への悲しみに暮れる。そしてリンはビクトルが警察に襲撃されたことを受け、彼と逃亡することを決意する。しかしロスマンは彼らの人生に祝福を与える。題名の通り4人は看護師学校の生徒であり、卒業する時がやってくる。その時、彼女たちの顔に悲壮感は全くない。苦悩の後の不確定な未来に向かって、4人は笑顔で進んでいくのである。

最後にロスマン自身の言葉を引用しよう。"ステファニー・ロスマンの映画は自己決定にまつわる問題と対峙しています。私が描く登場人物は人間存在の移り変わりにおける、人道的で合理的なやり方を築きあげようとしています。私の映画はいつもその続きを描いている訳ではありませんが、良き戦いを戦うということにいつだって関心があるんです"

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さてここからは少しロスマンの今後について見ていこう。彼女は今作を作り終えた時、何とエクスプロイテーションという概念を知らなかったそうだ。批評家に指摘されて、初めてこういった映画が存在するのを知ったのだ。困惑しながらもロスマンは今後エクスプロイテーション映画を作り続けることを決意する。彼女は今作の続編(つまり"Private Duty Nurses"だ)やいわゆる女囚映画の1つである「残酷女刑務所」の監督仕事を持ちかけられるが、自分の作りたい映画のために就任を固辞し(結局後者の監督には先述のジャック・ヒルが就任する)、1974年には第3長編「ベルベット・バンパイア」を監督する。今作は将来カルト的な人気を博するが、当時は興行的に失敗してしまった。

これを機に金に関してケチ臭いロジャー・コーマンを見限り、公私におけるパートナーであるCharles S. Swartz チャールズ・S・シュワルツとともにNew World ProductionからDimension Picturesに移籍する。ここで彼女は"Group Marriage""Terminal Island"といったB級映画群を作るのだが、エクスプロイテーション映画を作ることに限界を感じ、Dimension Picturesを去ることを決意する。だが過去に作った作品が仇となり、まともに仕事にありつけない状況に陥ってしまう。それでももっと革新的な映画を作ろうと彼女は奔走するのだが、最後には諦め、映画界を去ってしまった。

だが後年、彼女の作品は"男性のファンタジーで構成されたエクスプロイテーション映画というジャンルを転覆した"と再評価され、特に"The Student Nurses"フェミニズムという文脈から高く評価されてカルト的な人気を博することになる。その人気は"Stephanie Rothman: R-Rated Feminist"という研究本が発売されるほどだ。彼女は"エクスプロイテーション映画界のアイダ・ルピノ"という偉大なる評価を獲得した訳である。そしてその出発点が"The Student Nurses"だったのだ。

という訳で本筋に戻ろう。そして"The Student Nurses"が好評だったことで、すぐさま2作目の計画が立ちあがる。コーマンは1作目に激怒した付添い看護師協会(Private Duty Nurses Association)から抗議の手紙を受け取り、これを2作目の構想に利用したのである。そしていざ映画を製作しようという段階になるのだが、この時期、ピーター・ボグダノヴィチフランシス・フォード・コッポラといった才能がコーマンの元から巣立っていったことによって、コーマンは新たな人材を探していた。そこで目をつけたのがジョージ・アーミテイジだった。彼はコーマンの監督作「ガス!」の脚本を執筆、ちょうど映画監督としてデビューしたいという野心を持っていた。コーマンは彼に"看護師の映画とCAの映画、どっちが撮りたい"尋ねる。アーミテイジは"CAの映画が良いです"と答えながら、コーマンは"じゃあ、まあ看護師の映画なら作っていいぞ"とだまくらかし、アーミテイジは初監督作として"Private Duty Nurses"(「あぶない看護婦」)を手掛けることになる。

主人公はスプリング(Katherine Cannon)、ローラ(Joyce Williams)、リン(Pegi Boucher)という3人の女性だ。彼女たちはサウスベイに引っ越してきたばかりなのだが、付添い看護師として近隣の病院で働きはじめる。そんな中で3人はそれぞれに試練と直面することになる。

まず観客の目を奪うのはOPの息を呑む美しさだ。70年代初頭に活躍したロックバンドSkyの叙情的な音楽を背景に、カメラはサウスベイを彷徨う3人の姿を見据える。砂浜に愛撫する波、その傍らをのほほんと歩くカモメたち。3人は笑顔を交わしながら、海岸から街中へと向かう。車の群れが穏やかに走り、人々が能天気に道を歩くとそんな光景は、橙色の優しい色彩に包まれている。その中をフラフラと彷徨う3人の姿はまるで無邪気な妖精だ。

ここにおいて先述のロックバンドSkyの存在感も重要だ。アーミテイジは彼らが高校で演奏をしているところに立ちあい、映画に起用したのだという。彼らの紡ぐ切ない音楽は黄昏の彩りと共鳴することで、私たちを在りし日のアメリカへの郷愁に誘う。観客は、まるで自身も70年代初頭のサウスベイにいたという錯覚を覚えるはずだ。この言葉を越えた切なさは映画全体の雰囲気をも予告している。

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病院で働くなか、3人は騒動に巻きこまれることになる。スプリングは部屋の大家と懇意になるのだが、彼が麻薬組織と繋がっていたことから泥沼に嵌ってしまう。リンはサウスベイのゲットーで働く黒人医師エルトンと出会い、彼と働くうちに黒人差別の実態を知る。そしてリンはベトナム帰還兵であるドミノの担当を任されるが、仕事を越えて彼に恋をしてしまう。

当然だが、前作に続いて今作は直球のセクスプロイテーションとして展開する。女性たちの日常を描きだしながら、セックスを通じて気軽に乳房や裸が露になり、観客の目を楽しませていく。が実際鑑賞するとそういったエロ描写は少ないので、好事家は不満に思う面もあるかもしれない。

だが今作を、後に「恐怖の暴力自警団」「マイアミ・ブルース」を完成させるアメリカ・ジャンル映画界の異才ジョージ・アーミテイジ作品として見ると、彼の刻印が濃厚に焼きついていることに驚くだろう。彼の持ち味はジャンル映画の即物的快楽から遠ざかった緩慢なるリズムだが、これが正に息づいており、頗るゆっくりとしたペースで物語が紡がれていく。

さらに形式上の主人公は存在しながらも、実際の主人公は彼女たちが住む街、もしくは共同体それ自体というのも一貫している。これは"サウスベイを行く主人公たち"というより、むしろ"主人公たちが行くサウスベイ"に撮影の比重が置かれたOPからも明らかだ。そして撮影監督John McNicholはオープニング以後もサウスベイを魅力的に映しとる。自転車に乗った人々が爽やかに走る海岸沿いの道、潔癖的で硬質な威圧感を伴った病院の廊下、Skyが演奏をするクラブの鮮烈な赤の色彩……

さらに彼の脚本には芯の通った物語が存在する訳ではない。アーミテイジは主人公たちの日常を無数の断片として素描することで、幾つもの人生が息づく街それ自体を描く野心を持っている。この試みがデビュー長編から貫かれているのである。そして見逃せないのは前作"The Student Nurses"とは違い、看護師の1人が黒人になっていることである。アーミテイジは第2長編"Hit Man"や脚本執筆作ファンキー・モンキー・ベイビーズなど黒人文化への深い傾倒が見られるのだが、今作で彼は看護師の1人を黒人に変え、この伝統は4作目の"The Young Nurses"まで続くことになる(そして5作目の"Candy Stripe Nurses"も看護師の1人はヒスパニックである)

"Private Duty Nurses"はジャンクフード的な快楽を提供するべきセクスプロイテーションとしては少し退屈かもしれない。だがジョージ・アーミテイジという偉大なる映画作家の作品として観るなら、"デビュー作には作家の全てが詰まっている"という言葉がこれほど当て嵌る作品はないと思われる。この緩慢なるリズムのなかに宿る切ない多幸感をぜひ味わってほしい。

そして第3作目"Night Call Nurses"(「もっともあぶない看護婦」)である。3作目の計画に乗りだした。コーマンが適任の監督を探していたところ「明日に処刑を…」を完成させたばかりのマーティン・スコセッシにある人物を勧められる。その人物ジョナサン・カプランニューヨーク大学でのスコセッシの教え子で、短編"Stanley"が学生映画祭で賞を獲ったばかりだった。コーマンは、ニューヨークで編集技師として活動しているカプランを呼びだし、監督に就任させる。カプランはNurseploitation映画を1本も観ていない状態で、今作の伝統である"複数の看護婦を出す"という条件とともに、"ディック・ミラーに役を用意する"、"ブローバの時計を宣伝する"、"ジェンセン・モーターズの車を活躍させる"など様々な注文をつけられながら、友人であるJon DavisonDanny Opatoshuと脚本を執筆、そして15日間で初長編を完成させる。これが"Night Call Nurses"制作の顛末である。

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さて今回も前回に続いて3人の看護師バーバラ(Patty Byrne)、ジャニス(Alana Hamilton)、サンドラ(Mittie Lawrence)が主人公である。彼女たちが勤めるのはとある精神病棟だ。ここには相当な問題を抱える患者たちが多くいて、3人は手を焼いている。更に彼女たちは奇妙なヒッピー集団、ストーカー、黒人革命家と遭遇し、騒動は更に複雑なものになっていく。

私は前作"Private Duty Nurses"を激賞したのだが、そこにあったアーミテイジの野心はジョナサン・キャプランに監督が代わるにあたって消滅していると言っていい。アーミテイジに比べるとキャプランの手腕は新人監督相応に未成熟なものだ。彼はコーマンの制作条件に職人として応答しながら、そこに彼独自の刻印を焼きつけることはできなかった風に思える。今作はかなり無難な出来だ。

この記事を書く前にアーミテイジ論を執筆していた故、彼の痕跡に注目してしまうのだが、今作で彼は脚本を担当している(共同執筆は「ハリウッド・ブルバード」も手掛けたDanny Opatoshu)強引にアーミテイジの作家性を探すと、彼の作品は妙にキャラの濃い脇役が多く登場、この無数の声を作品の複層性へ昇華していくのだが、今回は舞台が精神病棟ということで序盤には奇妙な患者が多く登場する。が、物語が展開するにつれ彼らはほぼ出番なしになるので作品の完成度に寄与することはない。

それでもこのNurseploitationの特色は70年代前半という時代の空気を濃厚に反映している点だ。例えばバーバラはヒッピーの自己啓発セラピーに参加し、リーダーの言葉に従って参加者たちが次々全裸になっていく姿を目撃する。最初はこの自己解放に反感を抱くバーバラだったが、徐々にリーダーに深く魅了され、彼と肌を重ねあわせることになる。1972年といえばヒッピー文化が退潮の兆しを見せていた時期だが、未だにこういう出来事は起こっていたのだろう。

そんな本作、最後には3つのプロットが乱雑に1つになって妙なアクション絵巻が繰り広げられることになる。銃撃戦、トリップ状態でへっぽこドライブ、ダイナマイト炸裂などなどやりたい放題である。セクスプロイテーション映画としての枠を出ることはないが、このご機嫌なラストを体感するためだけでも今作を観る価値はあるかもしれない。

今作は大ヒットを果たし、ここからカプランはNurseploitationの便乗作である、女性教師を主人公とした作品「いけない女教師」「爆走トラック'76」など着実にキャリアを重ね、果ては告発の行方を監督し、今作において主演のジョディ・フォスターがオスカー主演女優賞を獲得するまでになる。おそらくNurseploitation映画では最も出世した監督ということになる。が、もちろんここにおいて深堀りはしない。

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そして4作目"The Young Nurses"(「もっとあぶない看護婦」)である。まずは監督のClint Kimbrough クリント・キンブロウについて語ろう。1933年にオクラホマ・シティで生まれたキンブロウは学生時代から舞台にのめりこみ、演出家や戯曲家として活動する。兵役後、20歳でプロデビューを果たし、アメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティック・アーツやリー・ストラスバーグアクターズ・スタジオで学びながら俳優として活躍する。彼は舞台から映画、テレビドラマにまで手を広げるのだが、1960年代後半、ニューヨークから新天地ハリウッドへ移住を果たす。ここで彼はロジャー・コーマンと出会い「血まみれギャングママ」レッドバロン(実は今作には俳優として先述のジョージ・アーミテイジが参加している)そして"Night Call Nurses"に出演した後、監督として抜擢され1973年に"The Young Nurses"で監督デビューを果たすことになる。

今回の3人はキティ(Jeane Manson)、ジョアン(Ashley Porter)、ミシェル(Angela Elayne Gibbs)である。キティはドナヒュー(Zack Taylor)という患者と恋仲になるのだが、彼の傲慢な父親(William Joyce)がその障壁となる。ジョアンは病院の劣悪な状況に義憤を抱き、その状況を変えるために奔走を始める。そしてミシェルは病院内で麻薬が横行しているという事実を知り、その真相を突き止めようと試みるのだった。

今作はいわゆるセクスプロイテーション映画として圧倒的に正しい作劇となっている。冒頭オープニング直後のショットからいきなり登場人物の全裸が現れ、黄色のビキニ姿で事故にあった人物を助けたキティはその格好のまま病院を走り、婦長に叱責される。その後も3人は無意味に裸になり、セックスにかまけ、乳房を露にする。前作はコーマンの要請で仕方なくエロ描写を重ねていた印象があるが、今作はそのエロ描写の演出を楽しんでいる節がある。

そしてシリーズの中でも今作は完成度が高い(とは言えB級映画の枠内においてだが)例えばロスマンやアーミテイジらと同じく、キンブロウも新人監督であるのだが、演出に腰が据わっている印象を受けるのだ。もしかすると舞台演出家としての経験がこの盤石ぶりに貢献しているのかもしれない。

Nurseploitation映画には様々な要素が箱のなかの玩具のように犇めいているが、この捌き方もなかなか優れている。先述の大盤振る舞いのエロ描写、キティとドナヒューが繰り広げる甘ったるいメロドラマ、麻薬組織と勇敢に戦うミシェルのアクション、病院の腐敗を変えようとするジョアンの社会派ドラマ、こういった要素の数々が無駄なく同居しているのだ。

さらに本筋からは外れるが驚きなのは今作にあの映画監督サミュエル・フラーが出演していることである。出演場面は極端に少ないが、悪役医師として印象的な姿を見せてくれる。そして劇中でまで葉巻を咥えているのである。70年代は映画作家としての活動はほぼなかったが、一体何ゆえにフラーは今作に出演したのか、その真相が知りたいところである。

もしNurseploitation映画を1本だけ観てみたいという奇特な方がいるとするなら、私はこの"The Young Nurses"をオススメしたい。監督の特色を感じさせない職人性に溢れるとともに(1作目と2作目は監督らの作家性を理解した後の方が十全に楽しめる)、Nurseploitationの神髄が理想的な形で成就しているからである。という訳で"The Young Nurses"はNurseploitationの枠内においてなかなかの佳作である。

キンブロウはこの後には映画を監督していない。そしてジョナサン・デミ監督作クレイジー・ママに出演、原案を担当したFrances Doel フランシス・ドール(彼女も興味深い経歴を持っている。アーミテイジが脚本担当の「ガス!」で制作のアシスタント、"The Young Nurses"ではスクリプト・スーパーバイザー、そしてあの「スターシップ・トルーパーズ」では共同製作を務めている)と結婚、これを機に映画界から姿を消し、1966年には63歳でこの世を去った。

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さてとうとうNurseploitation5作目にして最新作である"Candy Stripes Nurses"(「帰ってきたあぶない看護婦」)だ。今回コーマン一派が目をつけた新人作家はAllan Horeb アラン・ホレブである。ニューヨーク大学を卒業したばかりの彼に、その短編に感銘を受けたジュリー・コーマン(コーマンのパートナー)が仕事をオファーしたのである。そして彼は初監督作として"Candy Stripes Nurses"の制作に取り組むのだが様々な困難が付きまとった。制作側は今作の題名を"Angels of Mercy"と偽り撮影を続けていたが、病院が繁忙期だったゆえにスタッフと病院側の間では諍いが絶えなかった。さらに裸の場面を撮影している時、それを病院側の人物に見られ、さらに脚本のコピーが流出してしまう。これが問題になり病院を追いだされたHorebたちはかつて病院として使われていた建物を借り、撮影を再開することになる。こうした紆余曲折を経て"Candy Stripes Nurses"は完成したのだった。

今回の3人はサンディ(Candice Rialson)、ダイアン(Robin Mattson)、そしてマリサ(Maria Rojo)である。マリサは大学で教授に暴行を働いたことから、ボランティアの看護師として病院で働くことになる。サンディはイケメンの恋人がいながら、ある患者に恋に落ちてしまう。そしてダイアンは恋の相手であるバスケットボール選手クリフ(Rod Hasse)に麻薬を止めてもらおうと奔走しはじめる。

今作は前作に続いてなかなかテンポが良い。そして看護師学校の生徒だった1作目"The Student Nurses"以上に今作は青春映画的な感触を伴っている。社会問題などに主眼を置いていた過去作に比べ、内容が全体として恋愛に寄っているのだ。マリサは患者の1人カルロス(Roger Cruz)に恋をするし、サンディの物語は恋愛における倦怠期と浮気について物語だ。特にダイアンの物語はこの雰囲気を最も顕著に表している。彼女とバスケ選手の青年の恋の描かれ方はとても瑞々しく、今までにはなかったものだ。彼女らのセックスシーンにも爽やかさが宿っている。これが作品のテンポの良さにも寄与しているように思われる。

そして興味深いのは5作目にして"The Student Nurses"において登場したヒスパニック文化が再び現れるのだ。2~4作目はアーミテイジが規定した黒人文化が多く描かれることになるが、今作は原点に立ち戻る。マリサとカルロスがヒスパニックであり、彼女はカルロスの願いを聞くためにヒスパニック居住区へ赴く。そこにはスペイン語の響きや極彩色の落書きが存在している。ここには彼らの人生や文化が宿っているのだ。今作はこれを強みとして取りこんでいる。

過去4作は主人公たちが積極的に交錯しあい、物語は群像劇的な様相を呈していたが、徐々にその繋がりは薄れはじめ、今作ではほとんど看護師たちは関係しあわない。ゆえにこの映画は3つの短編映画が絡みあっているといった方が正しい。5作続けて観ていくと、良きにしろ悪きにしろこの流れが興味深く思える訳である。とは言え出来は特に良いとはいえない。エクスプロイテーション映画として及第点といったところだろうか。最終作がこんな感じで悲しいところだが、この一気見を通じて"Private Duty Nurses"がいかに傑作かを知れたので良しとしよう。

ということで最後にNurseploitation個人的トップ5を紹介したい。

1. "Private Duty Nurses" ("あぶない看護婦")
2. "The Student Nurses" ("またまたあぶない看護婦")
3. "The Young Nurses" ("もっとあぶない看護婦")
4. "Candy Stripe Nurses" ("帰ってきたあぶない看護婦")
5. "Night Call Nurses" ("もっともあぶない看護婦")

興味が湧いたらどれでも良いのでぜひともNurseploitation映画の世界に触れてほしい。ここにはアメリカジャンル映画史の秘められた歴史があるのだから。2020年にもなってNurseploitation映画なんか振り返ってる馬鹿は自分くらいだろうな。まあ楽しかったから良しとしようか。

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