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映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

これは疑いではなく、確信なんです~Interview with Jancsó Miklós by Michael Chanan

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ということでJancsó Miklós ヤンチョー・ミクローシュのインタビュー翻訳第3弾をお届けする。今回は1968年制作の"Fényes szelek"("輝ける風")がイギリスで上映された際、映画批評家Michael Chanan マイケル・チェイナンが行ったインタビューである。前半にはChananの"Fényes szelek"のレビュー、そして後半にはインタビューが掲載という構成になっている。このインタビューは、いわゆる60年代の傑作群から70年代の迷走期に入る過渡期に行われているので、この時期にどういう意識を持ってJancsóが映画を製作していたかが分かるような記事となっている。まあ御託はいいだろう、とりあえず他のインタビューと併せて読んでいただきたいと思う。それではどうぞ。

Jancsó Miklósにとって初のカラー映画"Fényes szelek"共産主義が国を支配した後、1947年に起こったネコシュ運動(NEKOSZ)、そこに参加していた典型的な左翼的学生団体を描いた作品である。Jancsó(彼は法学を学んだソ連の捕虜であり、1946年には共産党に入党した)と脚本家であるHernádi Gyula ヘルナーディ・ジュラがこの運動に参加しており、教育において変化を起こそうと革命的な活動を行っていた。"Fényes szelek"における学生団体は、カトリック教会が歌や踊りなど創造的・理想的方法論を使って経営する中等学校に所属しており、教室では自由な議論が行われていた。しかしこれが何にも繋がらなかった時、これらの非論理的な方法論の主な主唱者であるリーダーを団体は罷免、懲罰的な方向へと舵を切った。新しいリーダーは生徒たちの行動――つまりは彼らの沈黙や反応の欠如――は受動的ファシズムであり、革命的な恐怖で対抗されなければならないと主張した。しかし党中央オフィスのメンバーたちは徹底的なまでに全体主義的やり方で、元々のグループのリーダーを再任命した。彼らは元リーダーの方法論をサポートしていたからでも、新しいリーダーの主張する恐怖を認めていなかったからでもなく、党のメンバーによる独立した、公式な許可なしの活動を食い止めるためだった。

カンヌ公式のプレスシートによると"Fényes szelek"共産主義の国から現れた共産主義的モラルに関する、最も精緻に調査された検討であるという。共産主義国家における"'革命的な力の孤立'、もしくはその利益を受けるはずの人々や民主的・自由意志的な理想からの孤立"を描いていると。これらの事象は頗る真実であり、平均的な批評家によって曖昧にサポートされている。彼らが熱心なのはおそらくその教条主義的先導のためだろう。実際物語はシンプルなもののように見えるが、より綿密な調査が露にするのは多くの複雑微妙さと曖昧さであり、映画がありふれて素朴であるという傾向への理解がない。加えてJancsóのスタイルはいつものように難解で、物語における多くの"真実"は作品を通じて間接的に現れるのみである。

ほとんどの批評家はまるで真実の数々が目立った形で与えられたかのようにレポートする。だが実際、彼らは無意識的に物語をシンプルにしているように見える。スタイルの曖昧さや間接性が映画の核心を含んでいるのだと。私にとってJancsóの映画はベルイマンやアントニオーニ、フェリーニやレネの作品とともに、難解さや両義性を共有しているように思われる。これに関してスーザン・ソンタグベルイマン「ペルソナ」についてこう書いている。"映画から1つのもっともらしい寓話を描きだそうとうする最も技巧的な試みにおいてですら、その鍵となる部分やイメージ、手順を除外するか、矛盾させなくてはならない。試みの技巧性が鈍くなると、それは殆どのレビュアーや批評家によって広められたベルイマン映画への平坦で貧相、部分的に不正確ですらある伝聞を呼び込んでしまう"と。思うにこれらの発言は"Fényes szelek"にも等しく適用されるだろう。しかしその曖昧さ――十全に説明されないままに暗黙の了解となっている――は芸術の構築において絶対的に重要なものだ。

今作は学生グループが学校へ向かう場面から始まる――しかしこれはまだ観客が理解していない事実だ。私が目の当たりにするのは生き生きとした若者の一団がいることだけである。不可解なことに、彼らは道を走る警察を止めて、彼らと一緒に歌ったり踊ったりし、楽し気に飛び跳ね、互いを道の脇にある用水路へ落としたりするのだ。そして生徒の1人――彼がリーダーの書記官だと分かるのだが――と警察の1人――彼は若い警察官だと分かる――が知り合いだと観客は悟るのだ。そしてここから大分後に彼らが同じ大学に通っていたことが明かされる。ここにおいて私たちは、私たちと警察の間の関係性によって条件づけられた友情の感覚以上のものに意識的になるだろう。生徒たちと警察の関係性は映画における主なサブテーマであり、警察官自身が特に両義的な役を演じているのだ。

学校において生徒たちの中から反革命的な者を取り除くため、警察官が生徒たちに力を借りる時、この仮の友情は崩れ始める。リーダーの書記官は警察に協力するのを見られることを深く躊躇う。彼は警察官に自身の信じていた信頼の最初の痕跡を消すようなことはしないで欲しいと訴えた後、生徒の中から該当者を探しはじめる(この場面は後のインタビューでJancsóが引用するのだが、フォーク歌手に合わせて皆が歌って踊る中で警察官が"君たちは同じ人間の子供たちだ"とコメントする。彼はこの"君たち"という言葉を使ったことで効果的に自分自身を除外したのだろうか? もしそうなら、これは際立った宣言だ)警察官は強情で、自身の仕事だけを気にし、実際には生徒たちの助けなど要らないという思いを強くしている。助けを求めるという行為は彼らのご機嫌を取るということなのだ。しかし書記官が解任され、グループが懲罰的なカウンター行為に出始めた時、彼はそれを表立って認めているようには思えない。それでも彼の行為は明らかにこの政局の変化における原因の一端なのだ。そして新しい政局を率いていた女性が党員たちによって解任され、彼女が映画のOPで描かれた用水路の近くを彷徨う時、若い警察官は将来演じることになるだろう役割についての謎めいた発言で彼女を慰めるのだ。生徒たちの揚々たる魂以外には何にも邪魔されない静謐の水面はおそらく幻影の役割を象徴している。それは元々の探検と内在したクーデターの両方において、生徒たちを強く刺激した、彼ら自身のヴィジョンの中にある衝動的な信条を映す鏡のようなものだ。

2つ目に重要なサブテーマはユダヤ人である生徒の1人が戦争の間にカトリック教徒から逃げ隠れていたことだろう。彼は運動を行う人々に対して実際に返答を行う唯一の生徒であり、彼の返答はクリティカルなものだ。ユダヤ人として典型的に象徴的な役であったかもしれないが、生徒たちが自身の活動を本当の意味で問い直す状況に追いこまれたのは彼の代理性を通じてだ。彼が説いた問題に比べて、開かれた議論において活動家たちが生徒たちに押しつけた問い――"歴史の意味"とその先についてのイデオロギー的な問い――からは唯一の怠惰さと想像力の欠如が露になっている。

"Fényes szelek"のスタイルがJancsó作品の常として難解であることは先にも言及した。ある批評家はこのJancsó初のカラー映画において新たなスタイル的出発があると説こうとした。しかし後述のインタビューで彼自身がハッキリさせているように"Fényes szelek""Sirokkó"("冬の風")において現時点での頂点に達した発達途中の技術に属している。その技術とはカメラがアクションを規定しながら動き、境界線を描くように俳優の周囲を回り、ほとんど無感動にその役割に奉仕させるとそんな長回しである。Jancsóにその技術について尋ねた時、彼は頻繁に即興を行っていると答えたので私は驚いたと告白せざるを得ない。それでも既に、私を魅了するある種の事象の例として、Jancsóが計算していたと認めた1つの要素を引用している。カメラがある登場人物に技術的・物語的な意味において、突然フォーカスを当てるその方法論である。明確なのはイメージの一貫性、つまりカメラの――Jancsóが言うには――偶然的な構成における宿命的出現を保証するためにロケ地によって醸造される雰囲気に多くを負っているということである。しかしこれは、学校の包囲されたエリアが"Szegénylegények"("ならず者たち")や"Csillagosok, katonák"("星たち、兵士たち")における水平線上における拡大とは似通ったスタイルであることを意味していない。むしろ逆に空間に関するスタイル的機能の同一のコンセプトが初期の作品と同じようにここでも披露されている。ゆえに初期作において空間は、放され荒野を野性的に駆ける者と、馬に乗り彼を追う者たちの関係性を定義している。例えば思い出してほしいのは"Szegénylegények"において逃走者が遠くまで行けないと知る故、彼らを逃がした後にしばらく泳がせる追跡者たちのことだ。"Fényes szelek"における閉じられた空間の数々において、運動家たちは言葉なき命令によって完璧なまでに軍隊のような隊列で動き、その遊び場では生徒たちの列を統御し、ある時は民族舞踏の有機的に流れる列で満たされていた空間を横切っていくのである。

ここから掲載されるインタビューはアカデミー・シネマにおいて"Fényes szelek"が上映されるにあたりJancsóがイングランドへ訪問した際、ロンドンで(通訳の助けを借り)行われたものである。

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Jancsó自身が映画で描かれる団体のメンバーだったこともあり、まず彼がグループ内でどんな役割であったかを尋ねた。

"20年から25年前ですが、映画で描かれた役割と実際のそれは全く同じではありませんでした。映画は経験、そして25年をかけたレッスンを象徴しているんです"

しかし彼は映画において解任されたグループの元書記官により共感を抱いているように思われる。彼は他のどのグループや個人よりも、創造的な方法論で進歩的な革新を達成しようと望んでいた。

"私はより民主主義に共感を感じるんです、当然ですが"

彼にとって民主主義という言葉は何を意味するのだろうか。

"私にとって民主主義とは最も可能性の低い暴力の行使、普通の人々によって成される成功です。最終的な分析において民主主義は、大多数が反対の立場にいる人々の声が聞こえるようにする力を持つ状態を言うのです"

これはこんにちのハンガリーに広がる現状なのだろうか?

"この問いに直接的に答えるためには、あなた自身がハンガリーやその歴史についてとても多くのことを学ぶ必要があります。しかし今言えるのは現状がここ数十年でベストであるということです"

問いはチェコスロヴァキアにも及んだが、もしこの類の問いが続くなら答えるのは難しいと主張する故、私たちは"Fényes szelek"の話に戻った。今作は非常に複雑な映画だ。今作を作る時、彼は解釈のまた異なる可能性に意識的だったのだろうか?

"後になって自分自身の映画を解釈するというのは好きではありません。他の監督が作った映画を解釈するのは好きですが。しかし質問にはこう答えさせてください。私が友人であるHernádi(脚本を執筆)と作品を作った時、今作はタイムリーな映画だと分かっていましたし、歴史的な映画だとも思っていました。今作が個人的な意味を持つのは、私たち自身がこの時代を生き抜いたからです。しかし私たちは時代にまつわる様々な問いに関連したレッスンを行うため、今作を敢えて教訓的なものにしたかったんです"

そのレッスンというのは共産主義下の国に生きる人々にとってより直接的なものか、もしくは西側諸国の人々にも等しく適用できるものなのだろうか?

"それに関しては答えられませんね。しかし1つ分かることがあります。全ての革命的活動はある種の相似性を露にします。そしてそれは革命的活動だけでなく、一般的に人々が形成するグループにおいてもそうなんです。権力の座にいることの意味、権力の下で粉砕されることの意味、どこにおいてそれが現れるにしろそこには似たものがあるんです"

西側諸国にも、映画に登場した書記官がそうしたかったように物事を行う、理想主義的な左翼青年たちが多くいる。JancsóとHernádiはハンガリーにおけるこの主題の歴史的重要性だけでなく、西側諸国の左翼たちにとっての現代的重要性にも意識的だったのだろうか?

"ええそうです"

しかし書記官は差し迫ったファシズムによって解任させられてしまう。Jancsóは今同じものを、理想主義が脅かされる光景を見ていたのだろうか?

"これはより複雑な問題ですね。私はファシズムの危険を世界に、そして左翼グループの中に見出しています。例を挙げましょう。私には、フランスで銃撃される前のルディ・ドュチュケに関する映画を作る若い友人がいます。その作品はとても感動的なものでした。ドゥチュケは頗る理知的で正直な、本物の革命家であるゆえ、あなたも彼に熱狂するしかないでしょう。しかし映画にはとても居心地悪くなる場面がありました。ドゥチュケと彼の友人たちがある大きな会議に出るのですが、そこには何千もの若者たちが出席していました。彼の友人も、反対者も等しく発言を行うんです。その反対者の中には当然過激派もいます。彼らを極右と呼ばせてください。その反対者の1人が若い教師で、突然ドゥチェケの友人たちに包囲され会場から引きずりだされてしまいます。彼らは全員の賛意を得て、まるで教師が動物であるかのように扱い、その場から追いやったのでした。その時、喜びが失われていくのを感じました。そうして暴力を行使する人々にとって本物の革命だけが効果を持つのは知っています。民主主義を信奉する者たちを殺す若い将軍たちとは暴力以外を使っては戦えません。平たく言えば私は暴力の敵対者という訳ではありません。しかし非人道的な暴力には気分を害されます。そして非人道的な暴力に対抗するためには、非人道的な暴力を行使せざるを得ないんです"

これは"Fényes szelek"に登場する警察官が書記官を指してロマンティックだと言ったことにJancsóが同意するということか、それともJancsóはロマンティックな理想主義は機能しないと言っているのだろうか。

"私の意見では、人々は物事をロマンティックにしか行えないんです。思うに直接的民主主義の可能性はいつだって少しばかりロマンティックなんです。私たちは他に何もできない、私たちが常にこのことと共にあるのは人類にとってそれが唯一の可能性だからです"

Jancsóにとって"ロマンティックな"という形容辞は歴史的なものか、それとも哲学的なものか?

"歴史的なものです"

つまり19世紀初期に使われたものか?

"そういった側面も少し"

ならそれはもう1つの質問に繋がっていく。書記官が学校で使おうとしていた芸術や創造的活動を通じて自由に達するという美学的教育のロマンティックな考え、言い換えればフリードリヒ・フォン・シラーから考えを受け継いだヘルベート・マクルーゼの文章、そこから西側諸国の左翼学生たちが学んだ考えを創造的と認識するのは正しいことなのか?(マクルーゼの「エロス的文明」における"美学的次元"の章を参照)

"そうとはあまり言えません。私はシラーの考えを支持するのは死を呼びこむことなしに自由に達するという考えを支持しているからです。芸術は自分自身を表現し、自分自身を満たすにはうってつけの方法です。というのも誰かを殺したり傷つけたりしないからであり、シラーの考えは政治に関与していない者にとっては頗る正しいんです。しかし社会を形成そうとしたい者に関してシラーはあまり語っていません。何故なら芸術で自由に達するのはとても簡単なことですが、社会生活においてそれは難しいことだからです。書記官は社会において自由を達成したかったのですが、それは遥かに難しいことなんです。彼は社会を新たに形成そうとしていた訳です"

しかしJancsóは自身の映画を教訓的なものにしたかったと語っている。これはある意味で自身の芸術を通じて社会を形成したいと望んでいるということではないか。

"そうです。いつだってそうなんです"

なら彼がロマンティックの類を言う時、それはこの感覚を意味しているのか?

"そうです。この感覚においてなんです"

彼の映画において音楽はどのような役割を果たしているのか。作品には大量の歌や踊りが現れるが、人々の相違は音楽の中に沈んでいくと考えているのだろうか。

"彼らがダンスを一緒に踊るある場面において、彼らの相違は沈んでいきます。フォークソングの歌い手が現れた時、彼らが団結という感覚に達するのは、結局同じ国の子供たちであるからでしょう。これを表現するセリフもあります。警察官がこう言うんです。'君たちは同じ人間の子供たち'だと"

作品内においてJancsóは音楽にはどのような価値があるのか。

"音楽は雰囲気を醸造する力であり、観客の心がフィットするようなムードを作る力以外の何かとは思いません。音に'哲学的'価値はないですが、もっと古い価値を持っています。儀式のようなものなんです"

では彼自身の人生において音楽にはどのような価値があるのか?

"音楽はとても好きですよ。しかしそういった音楽は映画では少ししか使いません"

もし誰かが映画にミュージカル的な登場人物がいると言われたら、それを誉め言葉として受け取るのか?

"そうですね。誉め言葉として受け取ります。しかしこれを別の形で表現する者もいます。それは誉め言葉とは言えません。彼らは私の作品を詩的だと言うんです。それは理知的であるべきという私自身が決めた目的を達成できていないことを指しているでしょう。逆に彼らは私の作品に考えるべきものなどないと言っているのと同じです。しかし私の目的は人々を考えさせることなんです"

技術に関する問いに入っていく。ある者は全てが周到に計算されているという印象を持つだろう。例えばある瞬間にカメラの焦点が移るとともにある者が現れるといった風に。この種の演出においてJancsóはどれほどカメラマンをコントロールしているのだろうか?

"私の作品は完全な即興主体です。何も計算されてはいません。カメラが回っている時、私は俳優に話しかけ何をするべきか言うんです"(これが意味するのは映画は後録であるということだ。つまりヌーヴェルヴァーグが可能な限り――時には可能でない時でさえも!――ロケ地に流れる実際の音を使うのに対し、音は後で吹替えられているのだ)

カメラが眼差すものに対して何か心配はあるのか?

"事実上、何が映っているのかを知れないことです。カメラマンも私も正確には知れません。物事を破綻させないために1つか2つの技術的トリックはあります。例えばショットの持続時間は長くしています。'Fényes szelek''Sirokko'よりは短いですが。'Fényes szelek'は5分という長さですが'Sirokko'は10分という長さです。このトリックはカメラマンによって焦点が当てられる俳優たちを定義するために使われます。これが意味するのはある人物がショットの中心に居なければならないということです。しかしこれも変わります。時おり私たちは人々を画面から出し、別の人々を映画の中心に据えるんです"

これは前もって決められているのか。

"これに関しては計算されています"

とても複雑なカメラの動きに関しても聞いてみたい。

"実際、私たちはまずカメラの動きを組み立てていき、これに合わせて場面を演出していくんです。ある特定のポイントを固定していくんですが、例えば皆が踊る場面では4つの異なるエリアを設置し、そこでアクションが行われるようにします"

場面は1つのカメラ、もしくは複数で撮影されるのだろうか?

"いつも1台だけですね"

もし撮影が即興としても、私たちには綿密に計算されているもののように思える。これは可能なのか?

"それが撮影の自然的性質なんです。動いている時に偶然カメラのフレームに入ってしまったとしても、その写真は綿密に構成されているように思われる。静止画よりも映画の方がその傾向は強いです。カメラが動くとあなたは全てが構成されているような感覚を抱くんです"

しかし映画の編集におけるカッティングはJancsóにとってどれほど重要になるのか?

"編集はいかなる大きな重要性も持ちません。何故ならショットそれ自体が仕立てあげられているからです。編集用プリントにはほとんど何も残されていないんです。前の作品('Sirokkó')はたった12場面しかないですが'Fényes szelek'には22か27場面あります。ちゃんと思い出せませんけど、それでもカッティングはほぼありませんでした"

なら場面場面における編集は重要ではなく、Jancsóにとって主となる代理人はカメラ自身とその動きになるのだ。Jancsóにとって最も重要な映画作家は誰か?

"アントニオーニが最も重要です。彼からはとても多くのことを学びました。それからベルイマンやワイダ、ゴダールからも。ゴダールが好きなのは観客が自分についてどう考えているかを気にしないからです。彼は彼自身である何かを発明した、そして人類に頗る役立つ政治的映画を発明したんです。しかし使われるべきことにそれを使わないのではという懸念も抱いています。彼にとって無価値な、左翼運動にとって無価値な感情を刺激するのに使うのではないかと"

この疑いはドゥチュケの映画に感じた嫌悪感に繋がっているのか?

"これは疑いではありません。確信なんです。私も同じことをしでかしてしまったことがあります。この過剰に非人道的な方法論を使って人々を最前線へ、ファシズムへと導いてしまったんです"

原文:http://www.putneydebater.com/wp-content/uploads/2014/02/Chanan-on-Jancso.pdf

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