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映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Hüseyn Mehdiyev&"Süd dişinin ağrısı"/ぼくは生まれるべきじゃなかった

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"Süd dişinin ağrısı"("乳歯の痛み", 1987)の主人公はカリム(Pərviz Hüseynov パルヴィズ・ヒュセイノフ)という7歳の少年だ。彼を出産する際に母親が亡くなってしまった故にカリムは深い罪悪感を抱いており、それ故か家に彼女の写真を飾ってまるで女神のように崇拝している。その一方で父(Əlican Əzizov アリジャン・アジゾフ)や兄サリム(Fuad Dadaşov フアド・ダダショフ)はまるで彼女を忘れてしまいたいかのように振舞っており、この態度にカリムは哀しみと怒りを同時に覚えることとなる。

今作はそんなカリムの毎日を描きだそうとするが、この風景は痛ましいまでの残酷に満ちている。先述した理由でカリムと家族の仲は悪く、そこに彼の居場所は存在しない。だがカリムの頑固な性格は学校でも受け入れられることはなく、同級生たちから嘲笑われては虐められる。カリムの人生は苦痛に満ちていた。

撮影監督のAmin Novruzov アミン・ノヴルゾフはこの光景を息を呑むような痛みの詩情とともに綴っていく。ある時海岸線に立った1本の樹木が映しだされる。そこに鳥たちが集まるのだが、実はそこに子供たちが罠を設置しており、これにかかった鳥たちは次々と死んでいく。子供たちが下卑た喜びから歓声をあげる一方、カリムだけは無言を貫く。この世界では余りにも命が軽い、この事実こそが映画に詩を齎す、死と生にまつわる壮絶な詩を。

この詩情が明らかにしていくのは家族間における救いがたい意識の差だ。カリムは片時も母親を忘れることがなく、もはや崇拝の域にまで至っている。だが兄のサリムは恋人に形見のネックレスを贈ってしまったり、父はカリムの学校に勤める若い教師と関係を持っている。この意識の差が、カリムの心に家族への、ひいては世界それ自体への憎しみを宿すのだ。

そしてNovruzovの撮影には物語が進んでいくにつれて闇が満ちていくことになる。当初からその撮影の核には世界に蟠る陰影への尖鋭な意識があるのだが、カリムが置かれる悲壮な雰囲気のなかでこれが深淵の絶望へと繋がっていくのだ。それが最高潮を迎える瞬間がある。カリムの母親への執着に不快感を抱いた父は、彼女の思い出の品が詰まった棚を燃やし尽くすのだ。この灼熱に消えていく母を見据えながら、カリムの絶望もまた頂点へと至る。

今、いわゆる反出生主義という思想が世界でも日本でも話題だ。子供がこの世に生まれるという現象を悪しき災厄として否定し、この世に生まれたことの絶望を綴る思想は、古くはショーペンハウアーからシオラン、最近ではデイヴィッド・ベネターらが提唱している。私自身、ルーマニアの反哲学者であるシオランには深く影響を受けており、反出生主義者を自認している。そしてこの思想を自身の作品に反映させる人物もおり、最近「TRUE DETECTIVE/トゥルー・ディテクティヴ」においてショーランナーのニック・ピゾラットが現代における反出生主義の大家ベネターの著作からの影響を公言したことが話題になった。

意図的にしろそうでないにしろ、今作もまた反出生主義という思想を濃厚に反映した作品の1本と言える。出産が原因で亡くなった母へのカリムの執着は"生まれてこなければ母が死ぬことはなかった"という罪の意識と共鳴する。そして周囲の人間が母を忘れていくという状況に、彼は怒りを抱き、全ての原因が自分にあるという帰結へと至るのだ。こうして彼は7歳にして自殺を、自分の意志で自分の人生を終らせるという選択肢を選ぶのだ。

だが世の作品に私が不満を抱くのは、反出生主義を生半可な"それでも生きていかなくては"という感傷を描くためだけに利用することだ。結局「TRUE DETECTIVE」もそういった温い結末を選んだ。しかしこの"Süd dişinin ağrısı"は違う。家族はカリムを止めようとしながらも、最後には生まれたことの絶望に打ちひしがれたまま、彼は自身の腹部をショットガンでブチ抜くのだ。自殺は恙なく遂行される訳である。

自殺後、私たちは黒い闇のなかに1つの小さな光を見るだろう。その光は徐々に大きくなっていき、最後にはそれが外部からの光を反射したカリム自身の顔だと分かる。その手にはサリムが恋人に贈ってしまったネックレスが握られている。生まれるべきではなかった、だからこそ生を否定する死のなかでこそ、カリムは初めて安らぎを得たのだ。この反出生主義的な傑作"Süd dişinin ağrısı"を誰も救うことはできない、救済はただ死によってこそ成されるのだ。

最後に今作の著名なスタッフを何人か紹介しよう。今作の原作者で且つ脚本を手掛けたのはRamiz Rövşən ラミズ・レヴシャンという人物だ。1946年生まれの彼はソ連時代から脚本家・詩人・小説家として活動しており、今ではその作品は英語やドイツ語、ブルガリア語やトルコ語にも訳されるほどだ。現在でもその作品は人気があり、私の友人であるShovkat Fikratgizi ショヴカット・フィクラトギジは彼の作品を原作に短編"Qadari 06:45"("6時45分到着の列車")を製作している。ネットで検索すれば英語に翻訳された彼の詩が読めるので、ぜひとも読んでほしいところだ。

そして監督はHüseyn Mehdiyev ヒュセイン・メフディイェフ、彼はアゼルバイジャン独立前後に主に活動したが、私としてはそんな監督陣のなかで最も独創的な人物だと言いたい。最初は撮影監督として活動し世界各地の映画祭でその芸術性が高く評価された後、映画監督としてのキャリアを始める。その初期作の1本がこの傑作"Süd dişinin ağrısı"だった。この後にも"Şahid qız"("目撃者の女", 1990)や"Özgə vaxt"("もう1つの時", 1996)などを監督するが、ネットを見る限り2004年制作の"Məkanın melodiyası"("ある場所の旋律")を最後に監督業はしていない。何とも残念だが彼の作品、特に"Özgə vaxt"は相当な1作なので今後ぜひ紹介したい。

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