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映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Șamil Əliyev&"Etiraf"/アゼルバイジャン、狭間の歴史

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アザド(Elşən Rüstəmov エルシャン・リュスタモフ)は彼の所属していたギャング集団と友人に裏切られ、無実の罪で刑務所へと収監されることになった。数年の後、彼は釈放されながらも怒りが収まることはない。アザドは復讐を果たすために、バクーという都市を彷徨い始める。

粗筋から伺える通り"Etiraf"("告白", 1992)はギャング映画・犯罪映画という体裁を持っている。だがその観点から観てしまうと満足度はかなり低くなるだろう。監督であるŞamil Əliyev シャミル・アリイェフの演出は独特の間を伴っており、ある種の弛緩をここからは感じることになる。故に例えば暴力シーンや銃撃シーンには緊張感が微塵も存在せず、何とも味気ない雰囲気だけがそこには存在している。

だからこそそこは主眼ではないと考えるべきだろう。なら見据えるべきはどこか。1992年は、ソ連の崩壊によってアゼルバイジャンが独立を果たした翌年であり、その不安定さが今作には直截に反映されている。アザドは今まで監獄に入っていたので、ソ連の植民地であった時代しか知ることがない。その状態で彼は突然独立したアゼルバイジャンへと投げだされたのである。前の社会にも受け入れられることはなかったが、その境遇によって新たな社会でも彼は除け者としての人生を運命づけられてしまった。つまり彼は植民地としてのアゼルバイジャンと独立国としてのアゼルバイジャン、その狭間に居る存在なのだ。

彼はまず身体をバクーという都市に彷徨わせながら、心をも彷徨わせることになる。彼の恋人であるヌリッヤ(Nara Nağıyeva ナラ・ナグイェヴァ)と、そしてAxund アフンドと呼ばれるイスラム教の宗教指導者であるアリ(Süleyman Ələsgərov シュレイマン・アラスガロフ)との会話に彼の心の彷徨が象徴されるが、前者が主人公の独善性や都合の良い存在としてのヌリッヤの性格が際立つ意味で、今作ひいてはアゼルバイジャン映画における女性表象の貧相さが反映されている一方で、後者は興味深い。アゼリー人の大部分はイスラム教徒であるが完全に世俗化されており、信仰はかなり緩やかで自由なものだ。それでもこの宗教はアゼリー人の精神の大きな影響を与えていること自体をアリとの対話は象徴しているのだ。部屋の隅に座しながらこれを頼りに、アザドは自身の人生と移ろいゆくアゼルバイジャンへの思索を深めていくのである。

Rövşən Quliyev レヴシャン・ギリイェフによる撮影は硬質な感触を伴ったものであり、彼は過渡期にあるバクーという都市の風景を一種の凍てつきとともに捉えていくのだ。そして硬質さは宗教的対話のなかで崇高さを湛え始めるのである。が先述したような監督の演出の緩みや鷹揚さもあって、彼の撮影が暴力を捉える時は奇妙な迫力のなさが付きまとう。これを瑕疵と取るか、作品の精神性に寄与する重要さと取るかは観客次第である。

そして今作の核となるのはアザドを演じるElşən Rüstəmovの存在だ。当時は21歳でありこれが初出演かつ初主演作だったが、確かに一種の蒼い幼さを纏いながらも、同時にどこか浮世離れた雰囲気をも纏っていることに観客は気づくだろう。これはそのまま2つのアゼルバイジャンの狭間で彷徨うアザドの居場所のなさ、その人生のままならさを体現しているのだ。これ以後、彼は舞台俳優としても活躍を見せ、映画俳優としても"Özgə vaxt"("もう1つの時", 1996)や"Nə gözəldir bu dünya..."("何て美しいこの世界", 1999)などに出演後しばらく舞台に専念するが、2004年頃から再び映画界に復帰し多数の作品に出演を果たした。であるからして、この"Etiraf"アゼルバイジャンの歴史の狭間を描きだすとともに、1人の迷える若者に未来を齎したとも言える。そしてそれがひいては2020年代におけるアゼルバイジャン映画の躍動を用意した、かもしれない。

最後に監督Şamil Əliyevについて記していこう。1960年に生まれた彼は映画を学んだ後、1990年から映画界で活動を始める。80年代から90年代のアゼリー映画界を代表する人物Hüseyn Mehdiyev ヒュセイン・メフディイェフ"Şahid qız"("目撃者の女", 1990)や、Əliyevより年下ながら先に監督デビューを果たしていたCəmil Quliyev ジャミル・グリイェフ"Şirbalanın məhəbbəti"("シルバラの愛", 1991)の助監督経験を経て、1992年制作の"Etiaf"で監督デビューを遂げた。だがこの後はテレビ局で短編ドキュメンタリーを製作するなど、監督長編はかなり少ない。そんな中で2012年に監督した長編作品"Çölçü"チェルチュという青年の愛をめぐるお伽噺的な1作だったが、今作は2014年のオスカー国際作品賞のアゼルバイジャン代表にも選出され話題となった。まだまだ今後が期待される中堅作家である。

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