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映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Chloé Mazlo&"Sous le ciel d'Alice"/レバノン、この国を愛すること

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レバノン映画はいつであってもその激動の歴史を見据え、傑作を生みだしてきた。例えばMaroun Bagdadi マルーン・バグダディ"Les petites guerres""Hors la vie"などレバノン内戦をテーマとした作品を作り続けたし、日本でも著名なNadine Labaki ナディーン・ラバキー「キャラメル」「存在のない子供たち」などでレバノンの現在を深く見据え続けている。今回はそんな映画作家の系譜に連なるレバノンの新たな才能Chloé Mazlo クロエ・マズロによるデビュー長編"Sous le ciel d'Alice"を紹介していこう。

50年代初頭、今作の主人公であるアリス(Alba Rohrwacher アルバ・ロルヴァケル)はスイスの山間部に住んでいたが、その閉塞した状況に嫌気が差していた。心機一転、彼女が新天地として選んだ場所が中東に位置するレバノンだった。アリスは新たな人生を始めるが、その時に出会ったのがジョゼフ(Wajdi Mouawad ワジディ・ムアワッド)という風変わりな科学者だった。

今作の演出はおもちゃ箱をひっくり返したかのような極彩色の奇想に満ち溢れている。アリスの人生を描くにあたり、アニメーターでもある監督は可愛らしいストップモーションを駆使すると共に、印象派を思わす絵画を書割としてレバノンのめくるめく街並みを描きだす。この愛おしい、まるでお伽噺に出てくるような世界のなかで、アリスはその生命を輝かせるのだ。

この演出法を観ながら想起したのはエリック・ロメール「聖杯伝説」だった。奇妙なまでに簡略化されたセットに放りこまれた登場人物たち、彼らが過剰なまでに演技がかった挙動で伝説を語る様が、アリスたちの人生に重なるのだ。センスの先鋭かつ豊穣な芸術家が、全身全霊を懸けて創りあげた学芸会といった雰囲気を2作は共有しているのだ(鑑賞後に、監督とFacebookで話したが実際「聖杯伝説」は参考にした作品の1つだという)

ジョゼフと時間をともに過ごし相思相愛となったアリスは2人の部屋を借り、娘であるモナ(Isabelle Zighondi イサベル・ジゴンディ)を生み、レバノンという大地にその魂を深く埋めることになる。優しい家族と陽気な親戚たちに囲まれて、アリスは幸福な時間を過ごすのだったが、それは長くは続かなかった。レバノン内戦が始まったのだ。

私たちはアリスたちの幸せが少しずつ崩壊していく様を目撃することになるだろう。ニュースでは不穏な破壊と死の報が伝えられる一方で、路上には布をかけられた死骸の数々が横たわっている。布に蟠る血の赤色は、かつて彼らが生きていたという悲壮な証だ。アリスはこの突然訪れた過酷な現実がすぐに過ぎ去ることを願い、アパートの1室で密やかに生活を続けながら、むしろ状況は悪化の一歩を辿る。Mazlo自身とYacine Badday ヤシーン・バッダイによる脚本はこの風景を丹念に描きだしている。

序盤においては監督の出自が存分に発揮された、現実を軽やかに越える色とりどりの演出が私たちの瞳を楽しませてくれるが、物語が展開するにつれその彩りは影を潜めることになる。この内戦状態において安心できる場所は自身の部屋しかないが、これが徐々に息苦しい監獄へと変わっていくことになる。この現実を反映して監督の演出もまた閉所恐怖症的なものとなり、アリスやジョゼフの身体を圧迫し、観客の心をも圧し潰していくことになるのだ。

そして内戦が激化するにつれて、皆がこの国に生きることの意味を考えざるを得なくなる。アリスの親戚たちは已むなくレバノンからの脱出を選び、それぞれ異なる国へと赴く。アリスは彼らの背中を見据え、また会える日を願いながら、自身の部屋へと戻ることになる。だが彼女やジョゼフはレバノンから出ていくことを選ばない。何故、彼女たちはレバノンに残り続けるのか?

今作の核はアリスとジョゼフを演じる2人の俳優だろう。まずジョゼフを演じるWajdi Mouawadレバノン系カナダ人の劇作家であり、日本ではドゥニ・ヴィルヌーヴの傑作「灼熱の魂」の原作者として有名だが、ここでは俳優として印象的な演技を魅せてくれる。ジョゼフは人づきあいを得意としない科学者だが、その才能を惜しみなく宇宙探索のためのロケット制作に注ぎこむ。彼にとってはこれがレバノンで生き続ける理由の1つであり、国の未来を信じ、そしてアリスとの明るい未来を信じている。

そしてアリスを演じるアルバ・ロルヴァケル、ヨーロッパを股にかけ活躍するイタリアの名俳優だが、ここでは流暢にフランス語を操りながらアリスの人生を体現していく。最初は水色のドレスを纏う夢見心地の少女、家族を想いながら幸福を噛みしめる中年女性を経て、死に満ちたこの国に生きることの意味について苦悩を続けるレバノン人。こうして様々な表情を見せるアリスをロルヴァケルは力強く演じてみせるのだ。

今作において監督が深く見据えているのはレバノン内戦が齎したあまりにも残酷な傷だ。私たちはベイルートの町が死によって浸食され、アリスたちの心が少しずつ殺されていく痛ましい現実を見ることとなる。だがその壮絶の真っただ中を進み続ける幾多の生の根底には、それでも故郷を愛するのだという強靭な意志が存在している。だからこそ今作に現れる生は小さくも、力強い輝きを放っているのだ。

"Sous le ciel d'Alice"レバノンへの大いなる愛を、アニメーションと実写の融合を基とした独創的な様式によって美しく描きだした1作だ。現在、レバノンは甚大な被害を与えた爆破事故などで危うい状況に陥っている。だがここに描かれる愛を原動力として、レバノンの人々は再び前に進んでいくだろう。描かれる風景は心引き裂かれるような物であっても、今作にはそれを突き抜けるだろう希望が存在しているのだ。

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