鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Alex Pintică&"Trecut de ora 8"/歌って踊って、フェリチターリ!

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私は今、ルーマニア映画界の新人の動向に2つの潮流を見ている。片方に"ルーマニアの新しい波"以降の、例えば長回しや徹底的なリアリズム描写など、いわば新しい伝統を継承し、新しい局面へ進めていく存在がいる。例えば今年のカンヌ批評家週間に出品された"Interfon 15"とその監督Andrei Epure アンドレイ・エプレがその代表的存在だ。もう片方にはこの新しい伝統から隔たった、全く別の場所から現れる存在がいる。カンヌの監督週間に出品された"When Night Meets Dawn"とその監督Andreea Cristina Borțun アンドレーア・クリスティナ・ボルツンは、ルーマニアの批評家から"この国にもアピチャッポンが現れた"と賛辞を受ける、そんなルーマニア映画界の特異点として評価されている。さて今回は、その後者に属するだろう新たな才能、Alex Pintică アレックス・ピンティカの短編作品"Trecut de ora 8"を紹介していこう。

主人公はアンドレイとロクサナ(Ionuţ Grama ヨヌツ・グラマ&Ana Udroiu アナ・ウルドイユ)という同棲中のカップルだ。しかし既に倦怠期に陥っており、どちらにもカタリンとデリア(Cezar Antal チェザル・アンタル&Andreea Şovan アンドレーア・ショヴァン)という好きな人がいる。実はその2人もまたカップルであり、今日アンドレイたちの部屋で夕食を楽しむこととなっていた。逸る気持ちを抑えながら、2人は彼らを出迎える。

今作はそんなカップルの悲喜交々を描きだす作品だが、こう説明すると、またルーマニア流のドス暗いユーモア混じりの笑えないコメディと思われる読者もいるかもしれない。だが冒頭からその予想は全く覆される。アンドレイとロクサナがリビングでぬるい口喧嘩をした後、それぞれシャワー室と部屋に籠るのだが、そこでいきなりカタリンとデリアへの愛を歌い始めるのだ。そして歌って踊って、愛の素晴らしさ、愛のスレ違いを高らかに叫ぶ。そう、つまりは今作、ミュージカルなのだ。

監督自身がジャック・ドゥミに影響を受けた公言する通り、今作はいわゆる"ルーマニアの新しい波"が指向するものとは全く真逆の、極彩色の輝きというものを目指している。陰鬱さというものが微塵も存在しない、愛のややこしさに七転八倒するスラップスティックな笑いの感覚がそこかしこに存在しているのだ。

私にとっては今作にルーマニア映画史において殆ど潰えた"古い伝統"というものを観たくなる。共産主義下のルーマニアにおいてはファンタジーやミュージカルなどの子供映画が一時期隆盛していたのだが、そこにおいて今でも称えられる映画作家Ion Poepscu-Gopo ヨン・ポペスク・ゴーポだ。彼はアニメーション、SF、ミュージカルなど生涯に渡って子供たちの楽しめる映画を作ってきた。この影響は相当大きく、2000年代に設立されたルーマニアアカデミー賞には彼の名字をとってPremiile Gopo(ゴーポ賞)という名が冠されているほどだ。今作と関連づけて思いだしたくなるのは、1965年制作の"De-aș fi harap-alb"だ。ルーマニアの古いお伽噺を基にしたファンタジー作品で、この煌びやかさを今作は継承しているように思われる。

そしてもう1本想起する作品がある、もしかすると監督自身は良く思わないかもしれないが。その1作がElisabeta Bostan エリサベタ・ボスタン監督の"Veronica"だ。今作は1人の少女を描きだしたファンタジー/ミュージカル映画で忘れ難い曲が幾つもある、もう本当に頗るキュートな作品だ。20代以上のルーマニア人は皆観ているといっても過言ではないほど国民的だが、テレビであまりに放送され過ぎたゆえに"ウンザリする"とか"嫌い"とか公言する人も少なくない、私と同世代の親友もそんな1人だ。だがこの監督BostanはGopoとともに子供映画を作り続けた偉大な人物で、しかしGopo以上に彼女を継ぐ人物はついぞ居なかった。そこから突然、この映画が現れた訳である。

部屋にはもう1組のカップルがやってきて夕食会が始まるが、こっから4人で歌って踊ってのミュージカルが開幕するのだ。撮影のMişu Ionescu ミシュ・ヨネスクルーマニアにおけるアパートの内装を計算しながら、登場人物たちが歌いに歌い踊りに踊る光景を溌溂に捉えていき、そこには色とりどりの喜びが宿っている。

しかしそれ以上に監督自身が手掛ける編集が絶品だ。冒頭の長回しによってカップルのぎこちない雰囲気を紡いだ後、歌が始まるとカット割が突然細かくなり、テンポやリズムが軽妙になっていく。この緩急のメリハリというものが、このミュージカルの歌と踊りを容器に高めていく。

監督は映画やその予告編の編集をしてキャリアを紡いできたそうだが、そうしてキャリアを通じて編集の美というものを理解しようとしてきたものができる練熟のものだ。ミュージカルはただ歌って踊ればいいというものではない。むしろ歌って踊っていない場面との兼合いが重要だ。そうしてこそ現実から逸脱する瞬間の数々に"現実離れ"の感覚が生まれ、非現実が輝くのだ。

これが特に際立つ場面がある。主人公たちが歌って踊っていると、いつも隣人の訪問で中断され、彼は"午後8時以降に騒音を出すな!"と通達してくる。これは言ってみれば自己言及的な、ミュージカルのセルフパロディ的なネタだ。普通はこれに鼻白むところだが、この場面が何度も繰り返されるうち、これこそがミュージカルにおける"現実"と"現実離れ"の橋渡しとして機能していくのが分かる。これがリズムとテンポとして有機的に機能するのだ。

そしてこの巧みなミュージカルを通じて、監督は愛の何とも言えない複雑さを浮かびあがらせていく。そこには"ルーマニアの新しい波"仕込みのダークな皮肉も感じさせられるが、それ以上にジャック・ドゥミへの愛や、GopoやBostanなど"古い伝統"への愛着すらも感じさせる。そうして"Trecut de ora 8"はルーマニア映画史において新鮮な輝きを放っているのだ。

実を言うとこの監督のAlex Pinticăは私の友人だ。いや、友人の映画観るというのはマジで怖いことだ。何故ならそれがクソつまんなかったり、倫理的にアカンものだったら、批評家として冷徹に批判するか、もしくは黙して語ることを放棄するしかない。だからそれを観る時、私はマジで心の底から"面白くあってくれ!"と超越的存在に祈らざるを得ない。今回はそれが通じたという訳で、彼の成した喜びを素直に祝福したい。Felicitări, Alex!

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