鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Agustín Banchero&"Las vacaciones de Hilda"/短い夏、長い孤独

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さて、私は今、映画批評家としてあることを考えている。2030年代に映画界の頂点を争うのはどこの国かということだ。早すぎるだろうか、いや2030年代に頭角を表すには雌伏の時期、着実に技術を高めていく時間が必要であり、今からそんな原石を探しだしていくのは批評家の義務であると感じる。そこで今のところ4つほど私のなかで注目している国がある。それがモンテネグロ、スロヴァキア、キプロス、そしてウルグアイである。前3つに関しては今年少し鉄腸マガジンにも作品の記事を書いた覚えがあるが、ウルグアイに関してはまだと記憶している。ということで今回はウルグアイ映画界を今後背負って立つだろう重要な新鋭Agustín Banchero アグスティン・バンケロのデビュー長編"Las vacaciones de Hilda"を紹介していこうと思う。

今作の主人公はヒルダ(Carla Moscatelli カルラ・モスカテッリ)という中年女性だ。彼女はウルグアイの地方都市であるコンセプシオンで孤独な生活を送っている。仕事場では同僚たちとも必要最低限のことしか話すことはなく、家に帰っても母親の介護を行った後は、寝室に籠ってパソコンを眺めるばかりだ。序盤においては、そんなヒルダの孤独な姿というものが淡々と描かれていく。

今作において際立つのは、監督が持つ建築への繊細な意識である。まず冒頭においてヒルダが向かうのは、町外れにあるらしい巨大なサイロだ。聳える円柱型のサイロはほぼ放置されて、その偉容にすらもどこか侘しさを感じさせる、まるで取り壊されるのを待っているのに、もはや誰からも見放されてしまったかのように。そしてヒルダの家も印象に残る。かなり年季の入った内装に古びた家具などが犇めき、どこか不安定な印象を観客に与える。

そして家のなかでも特に目につくのは雨漏りだ。眠りに落ちる前のヒルダ、その瞳には徐々に広がっていく雨漏りのシミが映っている。それはこの家自体が少しずつ朽ちていくという状況を語っていく。それは同時にヒルダ自身の心の朽ちをも示唆しているのではないかと、私たちは思うことになるだろう。

ある時、彼女のもとに報せが届く。長年疎遠だった息子が故郷に帰ってくるというのだ。その日からヒルダは彼に心配をかけたくないからか、殆ど無頓着だった身の回りの整理を行い始める。例えば化粧や服装に気を遣ったり、家のなかを丁寧に掃除したり。中でも雨漏りが酷いことになっていながら、今までは悪化するままに放っておいた。しかしヒルダは工務店にその修復も頼み、見る間に時が流れていく。

こうしてヒルダの日常は少しずつ色彩を取り戻すかのように思われる。だが彼女の深い孤独がそんな容易に癒されることもない。あることをきっかけに、ヒルダの心は現実ではなく追憶へと投げこまれることになる。その中で彼女はかつての夫や息子たちとともに、夏のバカンスを楽しんでいる。表面上は家族団欒といった風であり、楽しそうだ。しかしふとした瞬間、ヒルダが抱く夫への不信が画面上から溢れだし、心がささくれだつ。息子たちもまた母親の心を敏感に察知し、不安を抱くようだ。バカンスは徐々に不穏な緊張を宿すことになる。

こうして物語は前半と後半で微妙に異なってくるのだが、これに力強い芯を通していくのがLucas Cilintano ルカス・シリンターノによる撮影だ。寂れたコンセプシオンを舞台とする前半、カメラは距離を取りながらヒルダの姿を映し出していく。サイロの侘しさなどの町の風景もヒルダの心証風景も同じように荒涼としながらも、ふ過酷さのなかで生き抜く凛とした植物のような、生命力を纏った詩情がふとした瞬間に現れることにもなる。これが私たちの心を掴んで離さない。

後半部においては一転、どこかで緩やかで涼しげなバカンス地が舞台となっており、Cilintanoのカメラは手振れを伴いながら、よりヒルダたち登場人物へ肉薄していくような感覚がある。視覚的な意味で、人物同士、もしくは人物と観客の距離が近づくことになる。だがここでむしろ際立つのは心理的な距離感だ。ヒルダや夫は互いに不信感を抱き、そのせいで子供たちの心が揺れ動く。誰かとともに過ごすからこその孤独が、ここには存在するのだ。

ここにおいてはヒルダ役を演じるCarla Moscatelliの存在感こそが要になっているとも言えるだろう。彼女は身も心も過去と現在を行き交いながら、ヒルダという中年女性が抱える痛みを豊かに語っていくのだ。私たちが彼女のなかに見出だすのは凍てついた孤独であり、かつての愛の残骸であり、確かに手にしていたはずの幸せの残り香なのだ。

Agustín Banchero"Las vacaciones de Hilda"によって描きだす、私たちが抱くことになるかもしれない、抱いたことのあるのかもしれない、ただひたすらな、生きることの寂しさを。それが癒される時はいつか来るのか? この問いに対する安易な答えを、ヒルダが最後に見る風景は強く拒むことになるだろう。それほどまでに孤独とは途方もないものなのだ。

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