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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Jean-Luc Mitana&“Uje”/ルワンダ、神はそこにいるのか?

さて、ルワンダである。アフリカ東部に位置するこの国は、映画的な側面ではあまり顧みられることはないだろう。おそらく広く思い出されるのは大量虐殺を扱った「ホテル・ルワンダ」くらいではないだろうか。ルワンダ人によるルワンダ映画はシネフィルにすら知られていないし、斯く言う私ですら、この鉄腸ブログでは2作しかルワンダ映画を取り上げられていない。お恥ずかしい限りである。だが知名度は低いルワンダ映画界からも新たなる才能は確かに現れだしている。ということで今回はこの国の新鋭Jean-Luc Mitanaによる短編作品“Uje”を紹介していこう。

主人公はマリアムという中年女性だ。彼女は夫とともに牧場つきの邸宅で幸せな家庭を築いている。ある日、彼女が家の周りを散歩していると一人の少年が自分についてくるのに気がつく。彼は家にまで来てしまい、ホームレスなのかもしれないと不憫に思ったマリアムは食事まで提供することになる。しかし少年はそのまま家に居座ってしまい、マリアムは妙な状況に陥ってしまう。

まず目につくのはその端正で美しい撮影だ。Mitanaは撮影監督でもあるので自身が撮影も担当しているのだが、冒頭からルワンダに広がる風景を撮す手捌きが印象的だ。どこまでも広がっている豊かな自然、それを畏敬を以て見据え、レンズに焼きつけていく。特にマリアムが少年と出会う大地の、どこか神秘性すら宿った様は全ての始まりに相応しい雰囲気で満ち満ちている。

そしてこの強度と並ぶような重みを以て、マリアムの日常もまた撮しだされている。例えば牧場で牛のミルクを搾る、例えばキッチンで夫のための料理を作る、例えばその最中に椅子に座って休む。こういった日常の風景は侮られがちでありながらも、マリアムの人生においては崇高な自然と同じくらい家事などの日常が重要なのだとMitanaによる撮影は主張するかのようだ。

物語が展開していくにつれて、マリアムのある側面が明らかになっていく。彼女はキリスト教信者でもあり、就寝前に夫と祈りは欠かさないほどだった。しかしある時ラジオで高らかな説教を聞くなかでその表情はどんどん曇っていく。そして最後には苦悶の表情を浮かべて、ラジオのスイッチを切ってしまう。何が原因かは定かではないが、その信仰が震わされている状況にマリアムはあるらしい。

この状況において、Mitanaが長回しで夫婦の祈りを映し出すという場面が存在する。微動だにしないカメラによって捉えられるのは、熱意を以て祈りの言葉を捧げる夫、その熱意とは対照的に祈りの言葉を聞いているうちにどんどん飽きていって、あちらこちらと頭を動かすマリアムの姿だ。彼らの間にはもはや埋めがたいスレ違いが存在している、この場面はそれを残酷なまでに露わにしている。

この映画で最も重要な存在は、しかしあの謎の少年だろう。彼を演じる俳優の、生命力に溢れながらも、同時にどこか幽霊のような存在感は間違いなしに今作における核であり、彼の存在によって全編に神秘的な雰囲気が満ちている。加えて彼は観る者によって万華鏡さながら様々な比喩として表れるだろうが、先述した要素を踏まえるのなら少年はマリアムが抱く神への不信の擬人化なのかもしれない。そして不信に確固たる理由がないのと同じく、少年がそこにいる理由もまた不明瞭なものである。もしくは少年こそが、神そのものであるか。

少年という脅威によってマリアムと夫の関係は急速に冷えこんでいき、そうして短編がゆえに背景が全く明かされないまま、今作は突き放したようなラストで幕を閉じてしまう。だが“Uje”においてこの曖昧さが、怠惰な解釈可能性を見越した優柔不断の結実ではなく、鑑賞後に残ってしまう心にこびりつくような不穏な余韻として昇華されているのは、監督のその才覚ゆえだろう。ということで、これからルワンダの新鋭Jean-Luc Mitanaに要注目である。