鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Lucian Pintilie&"Balanța"/狂騒と不条理のチャウシェスク時代よ

Lucian Pintilie&"Duminică la ora 6"/忌まわしき40年代、来たるべき60年代
Lucian Pintilie&"Reconstituirea"/アクション、何で俺を殴ったんだよぉ、アクション、何で俺を……
Lucian Pintilie&"De ce trag clopotele, Mitică?"/死と生、対話と祝祭
ルチアン・ピンティリエのデビュー長編および第2長編についてはこちら参照。

1989年チャウシェスク政権崩壊、これによって当局から不穏分子としてマークされていた映画作家たちは再び故郷の地を踏むことを許されることとなった。ルチアン・ピンティリエ監督もその1人だ。1981年に“De ce trag clopotele, Mitică?”を作った以外はルーマニアで映画を製作することは出来ず、20年もの間主にフランスを拠点として舞台演出家として活動する日々を送っていた。そんな彼がルーマニアへと帰還し、まず最初に作り出したのが1992年製作の第5長編“Balanța”だった。あの忌まわしい過去と対峙する今作は、しかし一筋縄では行かない作品となっている。

チャウシェスク独裁政権が終りを迎えようとしていたいつかの時代、20代のネラ(「パッション」マヤ・モルゲンステルン)はブカレストのアパートで病気の父と寂しい日々を送っていた。そんなある日の朝、彼女は父がとうとうこの世を去ったのを見届けることとなる。彼が灰になるのを見送った後、ネラはブカレストを発ち、自分探しの旅に出るのだったが、これが彼女の人生を一変させてしまう……

前半において私たちはネラがルーマニアの現状に抱く複雑な思いを目の当たりにするだろう。冒頭、彼女はまだ元気であった父と自分が映るホームビデオを眺める。誕生日パーティーで誰かから渡された銃を持って“虐殺ごっこ”に勤しむ、そんな自分の姿を嫌悪感と確かな郷愁の滲む眼差しでもって眺めていくのだ。そしてこの眼差しは父を弔う時にも現れる。遺影には“資本主義と闘った英雄に永遠の栄光を!”という文字が並び、それを彼女はまた苦々しげに見つめる。自分を愛してくれた父、体制におもねっていた憎むべき男、ネラは相反する彼のイメージに対してどう対峙していいか考えあぐねている。今まではこういった描写ですら許されなかったはずだ。

だがピンティリエはそんな父と娘の物語を思わぬ方向へと進めていく。ネラの旅路はどこかおかしな物だ。列車で目的地へ向かう途中で何故かそこを追い出され、ロマや神父らと共に寒空の下で夜を過ごす羽目になり肺炎にまでなりかける。何とか列車に戻れたかと思えば、駅で労働者が大挙して乗車し肉体の洪水に巻き込まれることとなる。序盤にあったような息詰まる現実が、杳として正体の知れない非現実に少しずつ侵食されていくような感覚が現れ始めるのだ。

そしてこの違和感はある瞬間に凄まじい形で私たちの前に現れることとなる。ロプシャ・ミカという町に立ち寄ったネラは突然暴漢に襲われ、傷を負ってしまう。担ぎ込まれた病院で出会うのがミティカ("Marfa și banii"ラズヴァン・ヴァシレスク)という医師だった。彼は今の時代には珍しく賄賂になど目も向けない誠実な男であり、傷が癒えていくにつれネラは彼に惹かれていく。2人は草原へピクニックへと赴くのだが、そこでミティカは爆撃でトラウマを負った男の笑い話を披露する。するとこの話に呼応するように、彼らは本物の爆撃に晒されることとなる。鼓膜に炸裂する爆音、草を焼きながら噴出する爆炎、近くにいた家畜は無惨に爆殺され、世界はまるで第2次大戦の再来かのような様相を呈する……

“Balanța”は全く一筋縄では理解のし難い1作だ。ただ普通の日常が広がっていたかと思えば、全く予想もつかない非日常が暴力的なまでの唐突さでネラや観客を襲う。だが観客が当惑する一方、ネラ自身も共に驚き戸惑いながら、それでもこれもまた現実とばかりに対処し非日常は何事もなかったかのように過ぎ去る。これはいわゆる日常と非現実が同一線上に存在する魔術的リアリズムのようであり、ある面ではピンティリエの前作“De ce trag clopotele, Mitică?”の作風を引き継いだような感触がある。しかしそれ以上に今作が共鳴するのはアレックス・コックスの作品群かもしれない。例えば19世紀に起こったウィリアム・ウォーカーによるニカラグア統治の道を描いた「ウォーカー」の終盤、全く時代を無視した形でヘリコプターが登場しながらウォーカーは当然という風にそれに乗り込んでいく。あの時に満ち渡っていた奇妙な感覚を今作は共有しているという訳だ。

ピンティリエがこの手法で描き出そうとするのは、あの社会主義の時代がいかに不条理の塊であったかということだ。脈絡もなく全てを蹂躙する軍事爆撃が当時の恐怖を象徴的に示唆する暗喩ならば、院長の権限によって手術を禁じられ年若い友人を失うミティカの姿には不条理でありながら、現実を物語が模倣するような生々しさをも宿している。しかしネラやミティカは持ち前の生命力や楽観主義で不条理を乗り越えていく。彼らの姿は痛快なものにも見えてくる。今作には翻弄されるがままの恐怖だけでなく、これを吹き飛ばすような陽的な笑いも存在しているのだ。彼らを演じるモルゲンステインとヴァシレスク(彼は今後多くのピンティリエ作品に出演を果たす)の魅力も、それを支える一因となっている。

それでもそんな彼女たちすらも押し潰すような黒い闇はある明確な形を、つまりは秘密警察セクリターテという形を取って映画に現れる。普段彼らの存在は日常の中に浸透しており、一見しては気づくことは出来ない。だが彼らは隣人として、病院の重役として、様々に姿を変えながら現れて人々を踏みにじり、私利私欲を貪っていく。時には手段すら選ばず不当逮捕に及んだかと思えば、酸鼻に耐えぬ虐殺にまで打って出ることともなる。住民たちは何処に紛れ込んでいるか分からないセクリターテに恐怖し、その猜疑心によって自然と相互的な監視社会が築かれていく。この住民たちの心情が露になる場面が存在する。ある時ネラとミティカは友人を弔うため彼の故郷へ赴く。そこでパーティーが行われるのだが、人々がアメリカや資本主義に騒々しく不満をぶつける中、ミティカは公然と“この国で一番の特権を持ってるのはセクリターテの連中でしょう”と発言すると、水を打ったような気まずい静寂が訪れる。つまり恐怖は人々に沈黙をもたらすのだ。

そんな沈黙に対抗するためにピンティリエはこの“Balanța”を作ったと言えるだろう。今作において目立つのは、社会主義体制やセクリターテの凶行は先述した通り、ほとんどが現実離れした不条理として描かれる点だ。ここには敢えてこの方法論を取ったというよりも、今はこういった奇想の形でしか描けないという監督の当惑のような物が感じられる。実際物語には一貫性がなく、不条理のパッチワークといった印象を受けるのだ。だが、今作はこういった作りだからこそ意味があると言わざるを得ない力強さに満ち溢れている。

劇中、ミティカと結婚しロプシャ・ミカに定住したネラは、心理療法士として小学校に勤めることとなる。そこで彼女はある少年と出会う。何処かの王国の妃とロマの英雄との間に生まれた子供と自称する彼の中に、ネラは類い希な才能と未来を見出だしていく。しかし同時に彼女はセクリターテによって無惨に踏みにじられる人々の姿をも目撃する。光ある未来とドス黒い絶望に引き裂かれる果てに辿り着く楢の木(題名はこれを指している)で、彼女はミティカと共にある対話を果たす。ルーマニアのこの先には一体何が待っているのか? 希望はそこに存在してくれているのか? 答えのない問いを胸にした彼女は、私たちの心をその視線で貫いていく。

ルーマニア映画界を旅する
その1 Corneliu Porumboiu & "A fost sau n-a fost?"/1989年12月22日、あなたは何をしていた?
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その4 Corneliu Porumboiu &"Comoara"/ルーマニア、お宝探して掘れよ掘れ掘れ
その5 Andrei Ujică&"Autobiografia lui Nicolae Ceausescu"/チャウシェスクとは一体何者だったのか?
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その13 クリスティ・プイウ&"Aurora"/ある平凡な殺人者についての記録
その14 Radu Jude&"Toată lumea din familia noastră"/黙って俺に娘を渡しやがれ!
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その17 Lucian Pintilie&"Duminică la ora 6"/忌まわしき40年代、来たるべき60年代
その18 Mircea Daneliuc&"Croaziera"/若者たちよ、ドナウ川で輝け!
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その20 Lucian Pintilie&"De ce trag clopotele, Mitică?"/死と生、対話と祝祭
その21 Lucian Pintilie&"Balanța"/ああ、狂騒と不条理のチャウシェスク時代よ

Ion Popescu-Gopo&"S-a furat o bombă"/ルーマニアにも核の恐怖がやってきた!

最近ソ連のカルトSF不思議惑星キン・ザ・ザが日本でも再上映されるなど、社会主義国が作った変なSFへの人気は今でも根強い。自由が著しく規定されていたからこそ、その抑圧と制約の中で出来上がる作品の数々は西側諸国は勿論のこと、日本などとも全く違う味わいを持っていたりする。ということで今回は社会主義ブロックの一員であったルーマニアから現れた、何だかおかしなSF映画“S-a furat o bombă”を紹介していこう。

まず現れるのは、だだっ広い野原を歩くスーツ姿の青年(Iurie Darie)の姿だ。彼はある時一輪の美しい花を見つけ近づいていくのだが、そこに謎の集団がやってくる。頭にはデカいバケツ、体にはダボダボのレインコートみたいな制服を纏った彼らは有無を言わさず青年を車に閉じ込めてしまう。そして彼らが何をするかと言えば、野原で秘密兵器の実験を行おうとしていたのである、ドカーーーーーーーーーーーーーーン!

事情もよく分からないまま拉致されたかと思うと解放された青年、町に戻ってみると野原で謎の爆発が起こったとニュースで知る。当然ピンと来た彼は町を彷徨い爆発について話を聞いていくが、その末に辿り着いたのが町外れにある謎の建物であった。だが同じタイミングで実験を知ったギャングの一味が建物へ強襲、鞄入りの秘密兵器を強奪していってしまう。それが何故だか色々な出来事が重なり、秘密兵器は何とまあ青年の手にこそ渡ってしまった。事情を知らない彼は持ち主に鞄を返すため、町へと戻るのだが……

今作の背景にある時代は正に冷戦真っ只中、キューバ危機を2年後に控えた1960年である。西側ブロックにおいてキッスで殺せ!」などなど特にアメリカが抱えていた核の恐怖を描いた映画作品は数多いが、それに対し東側社会主義ブロックからこの恐怖を描く作品の存在は余り知られていない(そもそも東側は映画製作数が少なく、且つプロパガンダ映画ばっか作ってたからのもあるとは思うが)そんな中でルーマニアという社会主義国が作った核の時代のSFこそがこの“”という訳である。

とは言え本作はそんな恐怖などどこ吹く風とばかりの、滑稽なSFコメディだったりする。ギャング一味の秘密兵器強奪シーンはピンクパンサーも斯くやのコミカル潜入っぷりで、警備員との追っかけっこに至ると、いりくんだセット内を十数人の良い年したオッサンたちが表情を目まぐるしく変えながら走っていく。そんな様にはカートゥーンを実写に置き換えたようなワクワクが詰まっている。実際この監督Ion Popescu-Gopoは本業がアニメーターだったりする辺りかなり納得の作風であったりする。

という所からも分かる通り、今作は西側諸国の文化に濃厚なオマージュを捧げた快作であるとも言える。台詞を一切排して表情挙動だけで勝負する様にはチャップリンキートンなどサイレント時代の名俳優が容易く思い浮かぶし、ギャング団のボスの身なりなんかはもろアル・カポネ、当時の東側ブロックでは堕落の極み扱いだろうストリップ小屋のエロ踊りもここぞとばかりに表れる。更にアメリカ以外にも目を向けると異常に作り込まれた精緻なセットや人物がとにかく入り乱れる情報量の多さだったりには、明らかにジャック・タチの影響が伺える。それ故に当時のルーマニアでは良い顔をされず、ルーマニア映画史における異色作との評価を獲得するのはかなり後になってからのことである。

物語が進むにつれ、核の恐怖はそっちのけで甘いロマンスなんかは育まれていく。持ち主探しに町を行く青年だったが、彼は通りがかったバスで受付嬢をしている女性(Eugenia Balaure)と出会い一目惚れしてしまう。恋する青年の目には彼女が可憐な天使のように思え、その背中に生える羽根を挑発的に揺らす女性(背中で揺らすメルヘンな感じじゃなく、実際には自分の手でもぎ取って揺らします)を彼は追い続ける。女性も満更ではないようで2人の仲はどんどん近付いていくのだったが……

“S-a furat o bombă”はこのように、描いているのは核の恐怖だけではない。瑞々しいロマンスを描くかと思えば、意外とルーマニアの暗部へとも切り込んでいったりする。秘密兵器を製造するバケツ集団の存在はどこか不気味で、ルーマニアの当時の状況を考えればコミカルに描かれていようと彼らは秘密警察セクリターテ以外の何者でもないし、つまりはバケツ集団はゲオルギュ=デジ社会主義政権それ自体……というのはまあ言い過ぎかもだが、それっぽいことはそれっぽい。更に精緻に組み立てられた活気ある町のセットの裏には、かなりうらぶれたスラム地帯が広がっており、プロパガンダ映画では絶対に観られない類いのルーマニアが隠そうとする根深い貧困が露にされている。

とは言え後半からは監督のやりたいことが多すぎて、かなりとっ散らかっていく感は否めない。基盤となる核の脅威を反映した陰謀SFとサイレント時代の喜劇に、瑞々しいロマンスから秘密警察とギャング団の抗争劇が加わり、二つの勢力間の緊張が頂点に達した時とうとうの殴り合いが繰り広げられる間、何も知らないギャングのリーダーは妻とキュートでお茶目なダンスを踊っていて、その平行モンタージュが5分くらい続く。いくらやりたいことがあってもそこはちゃんと抑えよう?と突っ込みたくなる瞬間が何回かあるのだ。

だがそのとっちらかりぶりが“S-a furat o bombă”においてはオモチャ箱をひっくり返したような輝きを放つ抗いがたい魅力になっているというのも否めなかったりする。そんなおかしなおかしなSF映画がどこへ辿り着くかと言えば、きっと観客は誰も想像できないに違いない。秘密兵器が爆発して主人公たちごと町が消滅だとかそういう安易な結末では全くない。きっとハア?????ってなるだろう、ていうか少なくとも私はハア?????ってなった。しかし同時に、だからルーマニア映画を観るのは止められないんだなこれがとも思った訳である。

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