鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Samir Karahoda&"Pe vand"/コソボ、生きられている建築

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コソボ映画界がアツいというのは毎度のことこの鉄腸マガジンで言ってきているだろう。が、色々とコソボの最新映画を紹介してきたが、実を言えば私がコソボ映画に嵌ったキッカケの人物を紹介していなかった。そんな中、彼が新作映画を作った訳で、とうとう紹介するべき時が来たと思う。ということで今回はコソボ映画界の新鋭Samir Karahoda サミール・カラホダと彼の新作ドキュメンタリー"Pe vand"を紹介していきたい。

今作の主人公はとある中年男性2人である。彼らはとある卓球クラブに所属しているのだが、ここには問題があった。活動の拠点となる場所がないのだ。なので毎回練習場を変えて活動を行う必要があったのだが、そういう訳でブッキングした会場に毎回卓球台などの運動用具を持っていくのが、この2人の役目だったのだ。

彼らは小型のトラックに卓球台を載せて、コソボの街並みを行く。彼らがめぐるのは台がギリギリで入るほどの家屋、打ち捨てられた廃墟の工場、他の利用者も多くいる公民館など、利用できる場所がどこでもといった風だ。そして彼らが台を設置した後には子供たちが卓球の練習を始める。その目つきは真剣そのもので、もたらされた機会と時間を出来る限り有効に活用しようとする熱意が感じられる。ひたすらにボールを打っていき、その響きが空間に小気味よく、鮮烈に響き渡っていくのだ。

こうして男性たちや子供たちの日常風景が描かれる一方、今作はある種の建築映画としてより際立っていく。卓球台の置かれた家屋は常に影に満たされており、その空間の翳る重みというものが網膜に迫ってくる。公民館などの広々とした空間では卓球台や子供たちが犇めいても余裕があり、その空間に在る余裕を真摯な熱気というものが満たす様を私たちは目撃する。ここにおいて建築こそが映画の主人公ともなるのだ。

振り返れば私が惚れこんだKambaroの初短編"Në mes"も建築にまつわる映画だった。90年代のコソボ紛争によって多くのコソボ人が国外移住を余儀なくされた。一方でコソボに残ることを選んだ人々は、彼らが戻ってきた際に住むことのできる家屋を建て、再会の時を待ち望む。こういった動機で建てられた建築とコソボの人々の関係性を描きだしたドキュメンタリーがこの"Në mes"だった。しかしこの作品が建築のファサード、そして外部に広がる空間を映し出していたのに対し、この"Pe vand"はむしろ建築の内部空間にこそ着目する。

私が今作を観ながら思いだしたのは、アメリカの建築家であるRobert McCarter ロバート・マッカーターの著作"The Space Within"(邦題「名建築は体験が9割」……いやナメとんのか)だ。この"The Space Within"とは彼が近代建築における偉人フランク・ロイド・ライトの建築群を論じる際、使われる言葉だ。彼の建築は外部でなく内部にこそ注意が払われ、それはつまりここで人々が生きることをまず最初に考えている。人々に生きられ、互いに作用しあい、特別な意味を宿す空間をThe Space Withinと呼称する訳である。

この意味で正に今作はThe Space Withinの映画なのである。ここに現れる空間は家屋や公民館、廃墟など何の変哲もない建築の数々である。しかしここに子供たちがやってきて、練習に明け暮れることで、空間が生きられていく。こうして空間が特別な意味を得ていく様が、今作では鮮やかに捉えられていく訳である。だが子供たち以上にこの意味の核となるのが、あの中年男性たちだ。彼らが空間に卓球台を据えることでこそ、空間は、世界は精彩を獲得する。この過程を見据える監督の眼差しは、観察的で明晰でありながら、同時にあたたかいものでもあるのだ。

"Pe vand"は建築という観点からコソボの現在を見据える1作なのだ。たった15分の短い作品だが、これを観ている間、私たちはコソボの人々とともに生きるような感慨を味わうことになるだろう。

そして極個人的に好きな場面があった。男性2人が運転している際、カーステレオから音楽が流れてくるのだが、それがShpat Deda シュパット・デダ"S'ka kurgjo"だったのだ。このSSWはコソボでもかなり人気な人物なのだが、去年のアルバム"Rrugë"は私も聞いていて、その清らかさに思わず2020年のアルバムベストに入れてしまった。それほど好きなアルバムの曲が、映画を観ていたら唐突に流れてくる。いや感動したね、これは。ということでこういう意味でも今作は忘れられない1作になった。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その411 ロカルノ2020、Neo Soraと平井敦士
その412 Octav Chelaru&"Statul paralel"/ルーマニア、何者かになるために
その413 Shahram Mokri&"Careless Crime"/イラン、炎上するスクリーンに
その414 Ahmad Bahrami&"The Wasteland"/イラン、変わらぬものなど何もない
その415 Azra Deniz Okyay&"Hayaletler"/イスタンブール、不安と戦う者たち
その416 Adilkhan Yerzhanov&"Yellow Cat"/カザフスタン、映画へのこの愛
その417 Hilal Baydarov&"Səpələnmiş ölümlər arasında"/映画の2020年代が幕を開ける
その418 Ru Hasanov&"The Island Within"/アゼルバイジャン、心の彷徨い
その419 More Raça&"Galaktika E Andromedës"/コソボに生きることの深き苦難
その420 Visar Morina&"Exil"/コソボ移民たちの、この受難を
その421 「半沢直樹」 とマスード・キミアイ、そして白色革命の時代
その422 Desiree Akhavan&"The Bisexual"/バイセクシャルととして生きるということ
その423 Nora Martirosyan&"Si le vent tombe"/ナゴルノ・カラバフ、私たちの生きる場所
その424 Horvát Lili&"Felkészülés meghatározatlan ideig tartó együttlétre"/一目見たことの激情と残酷
その425 Ameen Nayfeh&"200 Meters"/パレスチナ、200mという大いなる隔たり
その426 Esther Rots&"Retrospekt"/女と女、運命的な相互不理解
その427 Pavol Pekarčík&"Hluché dni"/スロヴァキア、ロマたちの日々
その428 Anna Cazenave Cambet&"De l'or pour les chiens"/夏の旅、人を愛することを知る
その429 David Perez Sañudo&"Ane"/バスク、激動の歴史と母娘の運命
その430 Paúl Venegas&"Vacio"/エクアドル、中国系移民たちの孤独
その431 Ismail Safarali&"Sessizlik Denizi"/アゼルバイジャン、4つの風景
その432 Ruxandra Ghitescu&"Otto barbarul"/ルーマニア、青春のこの悲壮と絶望
その433 Eugen Jebeleanu&"Câmp de maci"/ルーマニア、ゲイとして生きることの絶望
その434 Morteza Farshbaf&"Tooman"/春夏秋冬、賭博師の生き様
その435 Jurgis Matulevičius&"Izaokas"/リトアニア、ここに在るは虐殺の歴史
その436 Alfonso Morgan-Terrero&"Verde"/ドミニカ共和国、紡がれる現代の神話
その437 Alejandro Guzman Alvarez&"Estanislao"/メキシコ、怪物が闇を彷徨う
その438 Jo Sol&"Armugan"/私の肉体が、物語を紡ぐ
その439 Ulla Heikkilä&"Eden"/フィンランドとキリスト教の現在
その440 Farkhat Sharipov&"18 kHz"/カザフスタン、ここからはもう戻れない
その441 Janno Jürgens&"Rain"/エストニア、放蕩息子の帰還
その442 済藤鉄腸の2020年映画ベスト!
その443 Critics and Filmmakers Poll 2020 in Z-SQUAD!!!!!
その444 何物も心の外には存在しない~Interview with Noah Buschel
その445 Chloé Mazlo&"Sous le ciel d'Alice"/レバノン、この国を愛すること
その446 Marija Stonytė&"Gentle Soldiers"/リトアニア、女性兵士たちが見据える未来
その447 オランダ映画界、謎のエロ伝道師「処女シルビア・クリステル/初体験」
その448 Iuli Gerbase&"A nuvem rosa"/コロナ禍の時代、10年後20年後
その449 Norika Sefa&"Në kërkim të Venerës"/コソボ、解放を求める少女たち
その450 Alvaro Gurrea&"Mbah jhiwo"/インドネシア、ウシン人たちの祈り
その451 Ernar Nurgaliev&"Sweetie, You Won't Believe It"/カザフスタン、もっと血みどろになってけ!
その452 Núria Frigola&"El canto de las mariposas"/ウイトトの血と白鷺の記憶
その453 Andrija Mugoša&"Praskozorje"/モンテネグロ、そこに在る孤独

ギリシャのバルコニーから見えるもの~Interview with Aris Kaplanidis & Elias Roumeliotis

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さて、このサイトでは2010年代に頭角を表し、華麗に映画界へと巣出っていった才能たちを何百人も紹介してきた(もし私の記事に親しんでいないなら、この済藤鉄腸オリジナル、2010年代注目の映画監督ベスト100!!!!!をぜひ読んで欲しい)だが今2010年代は終わりを迎え、2020年代が始まった。そんな時、私は思った。2020年代にはどんな未来の巨匠が現れるのだろう。その問いは新しいもの好きの私の脳みそを刺激する。2010年代のその先を一刻も早く知りたいとそう思ったのだ。

そんな私は短編作品を多く見始めた。いまだ長編を作る前の、いわば大人になる前の雛のような映画作家の中に未来の巨匠は必ず存在すると思ったのだ。そして作品を観るうち、そんな彼らと今のうちから友人関係になれたらどれだけ素敵なことだろうと思いついた。私は観た短編の監督にFacebookを通じて感想メッセージを毎回送った。無視されるかと思いきや、多くの監督たちがメッセージに返信し、友達申請を受理してくれた。その中には、自国の名作について教えてくれたり、逆に日本の最新映画を教えて欲しいと言ってきた人物もいた。こうして何人かとはかなり親密な関係になった。そこである名案が舞い降りてきた。彼らにインタビューして、日本の皆に彼らの存在、そして彼らが作った映画の存在を伝えるのはどうだろう。そう思った瞬間、躊躇っていたら話は終わってしまうと、私は動き出した。つまり、この記事はその結果である。

さて今回インタビューしたのはギリシャのアニメーター・映画監督の Αρη Καπλανίδη / Aris Kaplanidis アリス・カプラニディスΗλίας Ρουμελιώτης / Elias Roumeliotis エリアス・ルメリオティスだ。彼らの最新短編"From the Balcony"サラエボ映画祭でプレミア上映されたのだが、これが興味深い映画だった。バルコニーから見つめる謎のおばちゃんに近所の人騒然!というコメディ作品で、ラフで生命力ギンギンのアニメーションに、ギリシャ社会においていかにバルコニーが共同体形成に寄与するか?という風景が浮かびあがるのだ。建築映画として独特の視点を持つ逸品だ。そしてバルコニーがめちゃデケえ。ということで彼らには今作に関し、アニメーションのスタイルやギリシャの建築について質問してみた。早速、どうぞ。

済藤鉄腸(TS):まずどうして映画監督になりたいと思いましたか? どのようにそれを成し遂げましたか?

アリス・カプラニディス(AK):僕らは自分たちが笑える物事を記録したかったんだ……基本的にね! それからこの映像を皆に見せてた訳だな!

エリアス・ルメリオティス(ER):そうそう! それが積み重なったってこと! 今だってこれが創作の燃料だね。それから僕らはおかしいことだけに笑ってたんじゃなく、魅力的で不条理に満ちてて、サスペンスフルで真に迫るものにも笑ってたし、そういうものが組み合わさってある何かが創造されてるって時にもだな。それでこれを互いに話してたら「これを映画で観れたら面白くない?」ってことになったんだ。

AK:そして僕らはこう言ったよ。「じゃあ撮りに行こう!」って。

TS:映画に興味を持った頃、どんな作品を観ていましたか? 当時のギリシャではどういった映画を観ることができましたか?

ER:最初の脚本を書いていたのは2000年代中頃だ。その頃は、40年代のハリウッド映画をたくさん観ていた。マルクス兄弟とかね。それから気分が乗ったら、ピエル・パオロ・パゾリーニの映画やハンフリー・ボガートが出演している映画を一気見してた。ギリシャ映画だとΝίκος Νικολαΐδης Nikos Nikolaidis ニコス・ニコライディスの映画かな。それから僕らは2人とも、ポール・シュレイダーが脚本だったり監督をやってる映画にゾッコンだったね。

AK:そう、ポール・シュレイダーを貪ってた。同じ頃、僕なんかはセルジオ・レオーネ黒澤明の映画を観て、何度も見返してってことをしてた。それから1970年代のアメリカとイギリス映画を深堀りしてたんだ。サム・ペキンパーモンテ・ヘルマンジョン・ブアマンニコラス・ローグ、マイク・ホッジス、シドニー・J・フューリー、アラン・J・パクラ、ジョン・ミリアスなどなど。ギリシャ映画だとΝίκος Περάκης / Nikos Perakis ニコス・ペラキスΓιώργος Πανουσόπουλος / Giorgos Panousopoulos ヨルゴス・パヌソポロスのキャリア初期の映画を観てた。

ER:一緒に観てた映画はほとんどが1970年代のスラッシャー映画だった。例えばトビー・フーパー悪魔のいけにえルッジェロ・デオダートの「食人族」に、ダリオ・アルジェントの全て! 他にもマルコ・フェレーリ「最後の晩餐」にもかなり影響を受けたよ。諷刺映画の傑作だ! そして挙げるべきなのはギリシャの監督Σταύρος Τσιώλης / Stavros Tsiolis スタヴロス・ツィオリスの作品だ。私たちにとっては、このメディア媒体の可能性を解放してくれた作品なんだ。僕たちに馴染みある人々について面白い映画を作れるって証明してくれた。

TS:この"From the Balcony"の始まりは一体何でしょう? あなた方自身の経験、ギリシャのニュース、もしくは他の何かでしょうか?

AK:この映画は実在する人々を基に作ったと言えるだろうね。僕らの両親、いとこや叔父叔母、友人にクラスメート、隣人や彼らの同居人たち。彼らの意見や情熱、狂気や目先のことしか考えない姿勢が基になってる!

ER:実際の始まりはちょっと普通とは違った。最初にやったのは彼らの言葉をメモに書きつけていくことだったんだ。登場人物たちの個性を作りだすものな訳で、一番重要だった。それから、その個性の数々に最適な物語を考えた。この過程で書きあげた脚本は主観的な真実と誇張に溢れたものになった……つまり登場人物たちのボイスオーバーみたいなね! 僕らが観客たちを招待し、見せたいものがこれだった――行動のサーカスってものだ!

TS:その魅力的なアニメーションには一目で心惹かれました。粗削りで爆発的ながら、そこには人々や彼らが生きる共同体を捉える、溢れるようなエナジーが宿っています。今作のアニメーションの様式をどのように組み立てていったんでしょう? 以前の作品と、その様式や質感で異なるところはあったでしょうか?

ER:僕らの映画は3D的な背景を持った、伝統的な2Dアニメだ。フレーム1つ1つがバラバラに描かれ、デジタルで彩色されている。ここでは、俳優が演技する映像をロトスコープで合成したり、バラバラに描いた3Dショットを繋げたり、色々な技術を使ったね。

AK:基本的には、映画が可能な限り手書きで粗削りに見えるように、現代のデジタル技術は全部使ったよ! それが登場人物たちにピッタリと思ったからね。粗削りなアニメーションは僕らと一緒に育った人々を描くのに最適だった訳だね。彼らは面白おかしくて不合理、不作法で暖かな人々だった。いつも粗削りでぶっきらぼうだったってこと!

僕らの映画では僕らの好きな人々を描きたいと思っていて、そしてこのメディア媒体なら、彼らの表情を日常から芸術へ押しあげることで、その精神を不朽のものにできるチャンスがあった。だから矛盾を持ってる彼らの姿をアニメーションで描こうと決めたんだ。

ER:究極的には、芸術的なメディアで生の人々を捉えたかった訳だね。

TS:そしてこのアニメーションには独自の爆発するようなリズムがありますね。登場人物や彼らの人生を極端なまでの速さで描きだし、この加速していくリズムは先述したエナジーにおいて最も重要な核の1つになっています。プレスキットにおいてこれを"加速したペース"の語りと説明していますが、これについてお尋ねします。どうしてこの"加速したペース"という演出を選び、どのように構成していきましたか? そしてプレスで言及していた"ひと目反応"("first-glance response")とはどういったものでしょう? このアニメーションにおいてそれはいかに重要なものでしたか?

ER:この映画の脚本は43ページもあったんだ! 細部の殆どが描かれる必要があったけども、初めて観る観客にとっては重要じゃなかった。それでも雰囲気を作るためには重要だった。解決法は僕たち言うところの――それはつまりうってつけの言葉がないって意味だけど――"動く表現主義"だった。

それからこれを解決できる方法は速度だけだとも思った。観客にはその炸裂するような行動の数々を通じて、登場人物たちと出会って欲しかった。観察するとかではなくね。"ひと目反応"っていうのはこういうことだ。運転中の車に乗って近隣の風景を、細部を見渡すことなく通り過ぎていく、みたいな感じだな。

AK:だから12分のなかに200もショットがあるんだ!

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TS:あの印象的な人物であるリナについてお聞きしたいです。彼女は共同体全体とそこに根づく人々の生活を見渡す監視カメラのようです。そして彼女の存在(不在もですが)は、共同体がどう拡大していくかに影響を及ぼしていくんです。映画における彼女の性格や役割をどのように構築していきましたか?

AK:僕らは彼女の性格を構築するなんてしなかった、彼女の周りの人々の性格を構築していったんだ!

ER:ずっと思っていたのは"From the Balcony"プロパガンダ映画だってことだね。観客は、この地域の訪問者としてゴシップやコメンタリー、隣人たちの偏見に満ちた意見を通じてリナを知っていく。リナは物語の主題だけども、発言権はなかった訳だね。だからしばらく、隣人の言葉から押しつけられる彼女のイメージについて疑う必要があるんだ! 例えば8人の人物があるテーマについて熱心に、向こう見ずに話している時、人は彼らが話しているテーマより、彼らについてより知ることになるってこと!

AK:だから僕らは疑問に思われることを目指して、こういう風な作り方をしたんだ。登場人物たちはそこに存在し、近隣のエコシステムに影響を与えていく。これは否定できないよね。でもリナの人間性や共同体における彼女の価値についての結論は自分に委ねられるんだ。

TS:そして私にとって最も興味深い要素は、今作がギリシャにおいて共同体がいかに構築されるかを描いており、題名にある通りその鍵はバルコニーであることです。建築や都市計画という文化が好きゆえに興味深く思える訳ですが、更にああいったバルコニー、特にあそこまで大きなものというのは日本では稀で、つまりこのアニメーションで描かれるような形で日本に共同体が発展するのもまた稀な訳ですね。ここに日本とギリシャの印象的な違いが見いだせるんです。個人的な会話内でこれについては話しましたが、ここで再び、ギリシャにおいてバルコニーがどのように共同体に影響を及ぼしているかとその建築的歴史についてお聞きしたいと思います。

AK:僕らは自分たちが住んでいた近隣を描きたかったんだ。この地域は1922年の小アジアでのギリシア人虐殺を逃れた難民の手で作られた場所(例えば映画の舞台になったニューフィラデルフィアなど)で、建築は屋根瓦つきの一戸建て住宅が主なものだ。

ER:でも注目は、1970年代前半より前はバルコニーなんかまったくなかったってことだ。でも1990年代までには、中流から労働者階級の地域がほぼだけども、マンションと集合住宅が映画で描かれる通り混在するようになったんだ。

AK:そうなんだよ! バルコニーは難民の建築を起点に侵略してきたスペースで、それは登場人物たちの日常におけるリナの立ち位置と同じく、侵略者だった訳だね。

TS:建築について2つ目の質問です。このアニメーションからは建築的空間や都市計画という文脈においての共同体、これらへの尖鋭な意識を感じました。そして私たちの会話の中で、建築を勉強していた訳ではないが都市建築に興味があったと仰られていますね。そこでぜひお聞きしたいのは、どのようにこの建築への興味を培ったか、そしてこれを"From the Balcony"というアニメーションへ昇華したかということです。

AK:小さな頃から人々を観察してくると、環境と人とを分けて考えられなくなるんだ。心のなかでは、人が立っている空間こそがその人の存在そのものを表現しているんだな。そして精神に馴染んで、その意見を証明したり、時には矛盾を齎すこともある。こうして観察してきた結果、僕らのなかに、都市における建築的な参照項が積み重なってきたんだ。

今作の建築はアテネブルーカラー労働者が住む郊外、そこに広がる都市空間から細部をいただいてる。1920年代に建てられた建築が2000年代に建てられたマンションと隣りあって多様な混淆が生まれてる訳だけど、これこそがこういった共同体がゆっくりと、どのように未来へ移り変わっていくかを示しているんだ。古い舗装、近隣で行われるビジネス、地震でできたファサードの亀裂、綺麗に整いすぎたマンションの外観、最近アスファルトで処置された道、大きな高速道路に続く幹線。この混ざり合いが共同体が持つ価値観の進展をも映し出している訳だ。

ER:これから10年の間、リナのような人物は少なくなるだろうね、彼女が住んでる建築と同じように。

TS:日本のシネフィルがギリシャ映画史に興味を持った時、どういった映画を観るべきでしょうか? その理由もお聞きしたいです。

AK&ER:まずはΘανάσης Βέγγος / Thanassis Veggos タナシス・ヴェゴス"Επιχείρησις Γης Μαδιάμ"だ。僕らが観たなかで一番実験的なコメディだからね。

それからΝίκος Περάκης ニコス・ペラキス"Άρπα Colla"だ。今のギリシャにも通じる風刺劇なんだ。

最後はΣταύρος Τσιώλης スタヴロス・ツィオリス"Ας περιμένουν οι γυναίκες"だ。映画で見られる最もリアルなギリシャ人という存在がここで描かれてるんだ。

TS:もし1作だけ好きなギリシャ映画を選ぶなら、どの映画を選びますか? これも理由をお聞きしたいです。個人的な思い出がありますか?

AK&ER:僕ら2人とも、選ぶのは"Αλαλούμ"と言わざるを得ないね。今作のスターであるΧάρρυ Κλυνν / Harry Klynn ハリー・クリンギリシャのとても活動的なコメディアンでユーモア作家なんだ。彼のコメディを収録したアルバムが家のレコードプレーヤーから流れていて、彼のユーモアからギリシャという国の社会経済的、政治的現実への問い方を子供ながらに知ったんだ、それがどういうことを意味するかも知らなかった頃から! でもこのアンソロジー映画は大人になった今でも観てる作品だ。創作するうえで未だに深く影響を受けているし、諷刺とは哲学、人生のコード、そして武器だということを日々思い出させてくれるんだ。

TS:1年前よりコロナ禍が本格化し始めましたが、ギリシャ映画界は現在どういった状況にあるでしょう? おそらく世界の人々はある程度までその苦しみを共有できると思いますが、それぞれの国に特有の状況もあるでしょう。例えば日本ではオリンピックが始まったせいでコロナ罹患者が爆発的なまでに増え、東京では撮影が困難になっています。ギリシャではどういったことが起こっているでしょう?

AK&ER:ここも同じだ。今日までに患者の数は毎日増えていき、結果的にロックダウンを繰り返している。撮影も一時停止、遅れ、延期の連続で、以前からの経済危機に加えて状況は深刻だ。

TS:新しい短編や長編の計画はありますか? もしそうならぜひ日本の読者にお伝えください。

AK&ER:Brosinarts Animation Studiosという僕らの制作スタジオを通じて、今かなり多くのプロジェクトを抱えているよ。1本目は子供向けの短編アニメで、題名は"Fairytales Bore Sleep"だ。"From the Balcony"の制作者 Ιωάννα Σουλτάνη / Ioanna Soultani ヨアナ・スルタニ(所属はSoul Productions)とまた仕事をしているよ。あらすじはこんな感じだ。

"子供たちを眠りに導く魔術的な何か、でも彼らにとってそれは親たちが毎日読む、同じようなつまらないおとぎ話のせいで損なわれてしまう。そんな時に現れたのはマリオスのお父さん、素晴らしい語り手である彼が紡ぐオリジナルなおとぎ話の数々にとても魅了されてしまう。そうして子供たちは眠らなくなってしまったのだ"

このプロジェクトには興奮してるよ。脚本、キャラクターデザイン、主なアニマティックは既に完成済みだ。そこに命を宿す時が待ちきれないよ!

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Andrija Mugoša&"Praskozorje"/モンテネグロ、そこに在る孤独

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今、個人的にマジにモンテネグロがアツい。以前からモンテネグロには注目しており、この鉄腸マガジンでも何作かレビューを書いたり、モンテネグロ映画批評家にインタビューを行っていたりはした。そしてつい先日、Svetlana Kana Radević スヴェトラーナ・カナ・ラデヴィチという、70年代に黒川紀章の東京のアトリエで働いていた建築家モンテネグロ人の存在を知り、俄然モンテネグロが近くなった。これをきっかけにモンテネグロ映画史を様々な面から検証しており、新世代の作家にも興味が湧いている。という訳でいつもながら監督たちに"モンテネグロ映画大好きです、あなたの映画もぜひ観たいです!"と直談判し、嬉しいことに見せてくれる監督いるんですよ、これが。今回はそんな流れで触れた1作、モンテネグロ映画界の新鋭Andrija Mugoša アンドリヤ・ムゴシャの短編"Praskozorje"を紹介していこう。

主人公はマリヤ(Milica Šćepanović ミリツァ・シュチェパノヴィチ)という若い女性だ。彼女はモンテネグロ北部の山間部で、両親とともに暮らしている。彼女の日常は料理や洗濯など日々の雑事だけで終ってしまう平坦なものでありながら、その裏側にはある秘密が隠されていた。

まず監督はマリヤの日常の風景を丹念に描きだしていく。台所で料理を作る、両親と野原で日光浴をする、群青色の闇に包まれながら眠りにつく。そういった日常の親密な時間の数々が浮かんでは消えていく。撮影監督であるIvan Cojbasic イヴァン・コイバシチはクロースアップを駆使しながら、その空気感をもレンズに焼きつけていく。

だが逆に彼女たちを取り囲む自然は息を呑むほどに壮大だ。豊穣なる緑が広がる山間の土地、ここには存在する全てを優しく抱擁するような雰囲気が満ちている。そこで際立つのは"黒い山"の存在だ。野原で心を落ち着けるマリヤ、その背後には山が聳え立っているが、影に包まれてそれは黒く染まる。この国の名前はヴェネト語でモンテネグロモンテネグロ語でツルナゴーラというが、両方とも"黒い山"を意味している。正にこれが実際の壮大な風景として映画には現れるのだ。

この日常を映すクロースアップと、モンテネグロの自然を捉えるロングショット、この2つを行きかうダイナミクスが今作の要ともなっている。ここにおいて先述したIvan Cojbasicの存在感は絶大なものだ。彼の技術を初めて体感したのは、2020年のサラエボ映画祭で観たモンテネグロ映画"Velika dostignuca"だった。精神病院を舞台としたこのダーク・コメディは間というものを大事にしており、彼は固定長回しを多用し、時間の流れを大胆に切り取ってみせることで、絶妙な間の笑いを醸造してみせた。今作では距離感を自在に操りながら、モンテネグロの日常へ親密さと崇高の両方を観客に齎すという技を行っている。

そして夜、マリヤは山を下り、町へと赴く。そこで何をするかといえば酒場で男を誘惑し、セックスするのだ。それは自身の肉体を傷つける行為にしか見えず、頗る悲痛に映る。この哀しみの核が主演のMilica Šćepanovićの存在感だ。最新のモンテネグロ映画を観ると必ずといっていいほど顔を見る俳優だが、その人気ぶりも頷けるほど纏う空気感は印象的だ。彼女は拭い難い孤独そのものとして、この映画に在るのだ。

以前、今作に関しては監督のAndrija Mugošaインタビューを行ったので、ぜひそちらを読んで欲しい。そして今年は2本の新作を既に制作済みで、そのうちの1本である"Ječam žela"サラエボ映画祭でプレミア上映され、話題を博した。ということでMugoša監督の今後に期待。

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その450 Alvaro Gurrea&"Mbah jhiwo"/インドネシア、ウシン人たちの祈り
その451 Ernar Nurgaliev&"Sweetie, You Won't Believe It"/カザフスタン、もっと血みどろになってけ!
その452 Núria Frigola&"El canto de las mariposas"/ウイトトの血と白鷺の記憶

Núria Frigola&"El canto de las mariposas"/ウイトトの血と白鷺の記憶

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ペルーに住むインディオに、ウイトト人と呼ばれる人々がいる。ヨーロッパ人入植者が来る前まで彼らは平穏な暮らしを送っていたが、20世紀初めより彼らは入植者によってゴム栽培の労働力として搾取され、その人口は劇的に減少することになる。それでも独自の文化を保ちながら、彼らもまたペルーという国で生きている。今回紹介する、Núria Frigola ヌリア・フリゴラ監督のデビュー長編"El canto de las mariposas"は、そんなウイトト人の文化と誇りを描き出した1作だ。

今作の主人公はレンベルという男性だ。彼はウイトト人の子孫であり、中でも"白鷺"と呼ばれる一族に属している。だがこの一族はペルーに2家族しか残っていないのだという。今、レンベルはペルーの首都リマに住んでおり、そこで画家として絵画を制作しながら、生計を立てていた。今作はそんな彼の姿を追ったドキュメンタリー作品という訳である。

まず監督はリマにおけるレンベルの生活風景を描きだしていく。薄暗い部屋で、彼は絵画制作に没頭する。まずキャンバスを黒に塗り潰した後、そこに様々な色彩の絵具を重ねていく。アマゾンの密林、鳥の頭を持った人間、奇妙な笑みを浮かべる珍獣。亡くなった彼の祖母マルタから聞いた話に触発されたイメージだ。そういったものが、彼独特の、繊細でしなやかな線によって紡がれていく。

芸術が生まれる部屋の静寂とは真逆に、外では不穏な騒擾が巻き起こっている。人々は腐敗した政治に対して抗議活動を行っており、これを抑えるために警察が厳重な警戒をしている。そこには常に一触即発の緊張が張りつめている。レンベルの住むアパートメントの前にも警官隊が犇めいており、外に出るにも彼らの視線を浴びることになるのだ。

この不穏な状況から逃れて、彼はしばらく故郷で休養することを決める。アマゾンの奥地に住む父や母、きょうだいたちとの再会を喜び、アマゾンの鬱蒼たる豊かな自然に触れ、自分を癒していく。そして両親もまた芸術家であり、彼らとの対話は自身の芸術への思惟というものを更に深めていくことになる。

監督の演出はとても素朴なものだ。目前に広がる風景を、彼女は一切の虚飾なくレンズに焼きつけていく。それ故に出来事の数々は淡々と浮かんでは消えていき、時の静かな流れというものがありのまま紡がれていく。だがその抑制のなかでも際立つのは手の存在だ。Nicolás Landa Tami ニコラス・ランダ・タミのカメラは、特にレンベルたちが芸術を創造しようとする時の手に注目する。絵筆を持つ、絵具に塗れる、マスクを作るため木材を処理する。指の動き、筋の動き、皮膚の動き。こうして芸術という営みにおける手の存在がいかに重要かが、ここに表れる。

先述した通りレンベルの両親もまた芸術家であり、父は彼と同じく画家である。しかし作風は全く異なっている。レンベルの絵画は繊細な印象を与える一方、父の絵画は描写や書き込みの省略を伴った壁画のようなものだ。そして彼が描くのは、ウイトト人が入植者によって奴隷扱いされ、虐殺された歴史である。様々な形で彼らが殺されていく風景は、ヒエロニムス・ボッシュの絵画を彷彿とさせる悍ましさを宿している。しかし2人の絵画はある要素で共鳴する。絵画に描かれる歴史とは彼の母、つまりレンベルの祖母が実際に経験した出来事でもあるからだ。マルタを通じて、彼らの芸術は繋がるのだ。

こうして見てきた通り、レンベルの家族にとって芸術とは無くてはならない存在だ。両親は芸術を以て未だ幼い子供たちに生とは何かを教え、それはこの映画において何度も描かれる。そしてある時、レンベルは父と煙草を吸いながら、芸術のインスピレーションについて語る。何か新しいテーマを探すべきという父の助言に対して、レンベルは答える。ここずっと僕は同じものを描き続けてる、僕は絵画のなかで自分自身というものを繰り返してるんだ。私は映画批評家として以外にも小説家としても活動しているが、この言葉には深く共感してしまう。この言葉にこそ、彼の信念があると思える。

そして彼の芸術への信念とウイトト人たちの文化が繋がっていく。家族のもとを去った後、レンベルが向かうのはコロンビアのラ・ショレラという地だ。ここには彼と同じ"白鷺"一族が住んでいるのだ。彼はここで、同胞たちの高らかな踊りや歌に触れることになる。自分と同じ血が流れている人々が、こんなにも豊かな文化を持っていることの感動、それはレンベルにとって途方もなく重要なものだと彼の表情から悟るはずだ。"El canto de las mariposas"という作品はこのアイデンティティの探求が、いかに芸術と生を繋げ、そこに美しさと誇りを宿すかについての物語なのである。

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都市計画と不動産、建築とオブジェクト~「イン・ザ・ハイツ」&「映画クレヨンしんちゃん謎メキ!花の天カス学園」

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最近、建築学に嵌まっており、建築や都市計画という面から映画を観たりしているのだが、そういった意味でかなりしっくり来る映画に映画館で2本連続出会った。「イン・ザ・ハイツ」と「映画クレヨンしんちゃん謎メキ!花の天カス学園」だ。

まず「イン・ザ・ハイツ」から。私にとってミュージカル映画は、ディテールの映画だ。一旦歌い始めると登場人物が自分の気持ちを1曲使ってまるまる歌いながら表現するといった風に語りが停滞する故に、その停滞にどんな細部を描きこむかが私にとっては重要となってくる。そんな中でこのミュージカル映画は完全に開き直って、停滞を2時間半に引き延ばしているのだが、そこに何を描きだすといえば不動産と都市計画のシビアな地政学的エピックであり、予期せぬ壮大さに圧倒されたと言わざるを得ない。

不動産と都市計画のエピックというのは、つまりは金と地政学叙事詩な訳である。これほどまでに金の話が全編に現れかつ、引っ越し/移住 (主人公のドミニカ共和国移住、ラストも引っ越しの枠内で物語が進行)、店舗移転 (最後にはあの3バカの美容室がブロンクスに移転する)、土地買収 (エリートの娘と叩きあげの父のスレ違いは個人的に最も興味深い)といった不動産売買によって、登場人物や語りが駆動する映画はなかなかないのではと感じた。そして今正にジェントリフィケーションの時代なんだなと、凄く思ってしまった。

去年観た映画に“Residue”という映画がある。気鋭の黒人映画作家である主人公が故郷であるワシントンD.C.に戻ると、住宅街は白人たちによって埋めつくされていたという物語だ。黒人やラテン系などPoCの人々が居住していた住宅街が、白人の富裕層によって奪われ土地は高級化、彼らは故郷を捨て別の場所に移住せざるを得ない。このジェントリフィケーションはアメリカにおいてかなり深刻な現象になっているのだろう。ちなみに“Residue”の監督は、L.A. Rebellion運動を代表する作家Haile Gerima ハイレ・ゲリマの息子Merawi Gerima メラウィ・ゲリマだ。「イン・ザ・ハイツ」はゲリマ父の代表作“Bush Mama”とも絡めて語れるかもしれない。

こういった意味で、とにかく原作・脚本のキアラ・アレグリア・ヒューディーズの地政学的な描きこみが圧巻だった。語り自体は割に断片的といった印象なのだが、無数の点の集積としての群像によってワシントン・ハイツ、アメリカ、ラテンアメリカと地図を加速度的に拡大させていく。しかし視線は常に個それぞれへとある。最後に美容室のオーナーが発破をかける大々的ミュージカル場面においてラテンアメリカ各国の国旗が舞ったり、美容室の3バカの1人が“私のママは○○系○○人で、パパは○○系○○人。でも私は○○生まれで○○系○○人!”(あの下り覚えたかったけど覚えられなかった。それくらい複雑だ)といかに自分たちのルーツが複雑かというのを意識的に提示している様からもヒューディーズの眼差しがどこへ向いているか分かる。大局と小局の行交いにおいて息を呑むような巧みさがあった。

そして、ラストの苦さで言えば、元気の出る歌唱で紛らわされる節はありながらも「プロミシング・ヤング・ウーマン」すら彷彿させた。終盤、登場人物たちが行う決意の数々たるや悲壮なもので、希望と絶望がない交ぜになった最後には思わず“こうするしかないのか……?”とやるせなさすら抱く。白人の富裕層によって強引な形で都市が整備されていくなかで、ウスナビたちの反抗があれなのだろう。

観てからこりゃすげえ都市計画の映画だったなと思いながら色々考えているうちに、思いついたのがジェイン・ジェイコブズだった。彼女は多様性を都市計画の軸にした訳だが、今作において旧来の住民は追い出され、古い建物は奪われ建て替えられ、ジェイコブズの謳う多様性から加速度的に遠ざかっていく。そして彼女は何より遊歩道を重視したが、ジョン・M・チュウ監督の提示する風景においてはむしろダンスや歌より、ウスナビが家から自身の店まで歩いたり、友人とともにプールへ歩きながら談笑したりとそういった歩く場面の親密さが印象的だった。という感じで「イン・ザ・ハイツ」は個人的にジェントリフィケーションの時代の地政学的エピック、トランプ以降の都市計画映画としてかなり楽しんだ。

で2日後に「映画クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園」観に行った訳だけども、こっちは建築の映画というか、オブジェクトの映画と思わされる1作だった。今作ではエリートを育てる進学校が舞台になる訳だが、その敷地はしんちゃんの住む家から明確に隔たった場所にあり、隔絶の感覚が濃厚だ。そして建築自体もマッシブかつ装飾過多な代物で、内部も生徒たちを育む、もしくは生徒たちに生きられる相互的影響を喚起する空間というよりも、生徒たちの思考を制限し、エリートに仕立てあげる暴力装置のように機能している。

このかなり建築の存在に意識的と思わされる作劇を楽しみながら、想起したのが建築家である隈研吾のオブジェクト/反オブジェクト論だった。この先の論立ては稚拙かもしれないが、私の一解釈ってことでご寛如、ご寛如。私の解釈として、建築は環境から断絶し、人間を規定するオブジェクトであるべきではない。その対局にあるのが、環境に溶けこみ、時にはもはや埋没し、そして時の流れの中で移ろっていくような建築が反オブジェクトだと。今作においてはメインの巨大校舎や食堂がオブジェクトで、時が経つにつれ流れのなかで朽ちていく図書館と時計塔が反オブジェクトだろう。

しかし今作の場合はじゃあ反オブジェクトが善きものとして現れるかといえば異なる。反オブジェクトは朽ちることを前提としているとはいえ、ケアが成されなければ危険も孕む。そしてオブジェクト的、エリート的意識は、この危険を宿した反オブジェクトを悪用して肥大していく。黒幕はこの反オブジェクト建築を隠れ蓑として利用し、恐ろしい計画を進めていく訳である。作り手がこういった展開に先に提示するのは、ここにおいて私たちは悪用された反オブジェクト、その廃墟から始めなくてはならないのかもしれない。時計塔の崩壊と同時に、黒幕によってケツを弄られた挙げ句に風間くんは選民思想に裏打ちされたスーパーエリートと化し、同時にしんちゃんとそのケツは進化を遂げ、黒幕の正体に辿りつく圧倒的知性を獲得する。今作は廃墟の先に、新しい人類、ケツ人間の可能性を見出だすのだ。

こうして前半は隈研吾のオブジェクト論を彷彿とさせる建築映画として出色なのだが、途中からはケツによって今作に独自の理論が展開していく。だが個人的に惜しむべきことが1つある。終盤において映画はこのケツ人間という新たな人間存在と、風間くんとしんちゃんの姿に象徴される2つの可能性を提示する。だがこの2つが雌雄を決する際に、肝心のケツ・アクションが不在なのだ。無い物ねだりかもしれないが、風間くんが持つ王座に座すことにしか使われないケツを、しんちゃんがその得意のケツ・アクションで凌駕する場面が欲しかった。それこそ序盤の焼きそばパン争奪戦で行ったケツ爆走を、この最終決戦にこそ使うべきだったと思うのだ。そういう意味で建築映画としてかなり興味深かったが、ケッ作とまでは行かなかった。今年は既に「劇場版 ポリス×戦士ラブパトリーナ!~怪盗からの挑戦!ラブでパパッとタイホせよ!」という、弩迫のケツネタをかました大ケッ作があり、その後塵を拝した結果と言わざるを得ない。

と、いう感じで、私にとって「イン・ザ・ハイツ」は観ながらジェイン・ジェイコブズのニューヨーク都市計画論を思いだすアーバン・デザイン映画だったし「映画クレヨンしんちゃん謎メキ!花の天カス学園」は隈研吾のオブジェクト論を思い出す建築映画だったのだ。今週のシネコンは、建築/都市学映画でアツいぜ!

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セイレーンたちの響き~Interview with Jonathan Davies

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さてさて"2020年代、未来の巨匠との対話"のお時間である。今回インタビューしたのはアメリカ実験映画界に颯爽と現れた新鋭監督Jonathan Davies ジョナサン・デイヴィスだ。彼のデビュー長編"Topology of Sirens"は正に驚きの1作だ。亡くなった叔母の家に引っ越してきた主人公が、彼女の所有する楽器の中に小さなカセットテープを見つけ、その謎を追う……というあらすじだが、そんな探偵もののようなあらすじから想像もできない領域へ本作は展開していく。広がっていく空間、その中に満ちていく響き、そして心は安堵と不穏のあわいを揺蕩いながら、音に溶けていく。実験音楽への胸を打つ愛が、記憶を追い求めるささやかな旅路を通じ、世界への大いなる優しさへ変わっていく。本当に、本当に私にとってかけがえのない1作になった。

この後、彼に今作がいかに素晴らしかったかについてメッセージを送り色々と会話した訳だが、日本の芸術作品、特にアニメを本当に沢山観ているし(特にARIA THE ANIMATIONで話が盛り上がった時には感動した。私にとってオールタイムベストな1作だからである)、更に日本語も勉強していて、書き言葉内でひらがな・カタカナ・漢字の使い分けがしっかりしていたりと本当に流暢なのには驚かされた。ということでインタビューを申し込み、以下に訳出した。いや本当に素晴らしい1作なので、ぜひ日本でも上映されて欲しい。という訳で、どうぞ。

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済藤鉄腸(TS):まずどうして映画監督になろうと思いましたか? それをどのように成し遂げましたか?

ジョナサン・デイヴィス(JD):映画を作ることになるとは想像もしていませんでした、自分としてはその傍らで仕事をしていたまでなんです。しかしあるアイデアが浮かんだ時、自分をサポートしてくれる友人たちに恵まれました。その機会や当時手に入れることのできたリソースを利用するべきだと思った訳です。

TS:映画に興味を持ち始めた頃、どんな映画を観ていましたか?

JD:高校の終り頃から映画にどっぷりと浸かり始めましたね。まず最初はデヴィッド・リンチジム・ジャームッシュといった映画作家に興奮しましたし、今でもその影響が私のなかにあると言えるくらいです。それから大学時代に更に映画を掘っていき、ツァイ・ミンリャンケリー・ライヒャルトタル・ベーラといった映画作家たちと出会い、そこから全てが爆裂を遂げた訳です。

TS:あなたのデビュー長編"Topology of Sirens"の始まりは何でしょう? あなた自身の経験、アメリカのニュース、もしくは他の何かでしょうか?

JD:私が夢見ていたのは、ホウ・シャオシェンのような映画監督が90年代に流行った"Myst"などのいわゆるポイント・アンド・クリックゲームを映画化したらどうなるか?ということです。しかしそういったことは全く起こらず、だから私が想像したものと似た何かを私自身が作ってみようと思ったんです。私は映画製作においてはミュージック・スーパーバイザーとして活動する(著者注:何とあのデュプラス兄弟がクリエイターのドラマ"Togetherness"やアニメーション"Animals"を担当)とともに、ミュージシャンでもありました。今作の制作者であるTyler Taormina タイラー・タオルミナとFjordsというドローン/アンビエント・デュオとして活動しています。今作でも少しだけその音楽が紛れこんでいます。こういった経験の数々がどんな映画を作ればいいのかという考えの強固な基盤となっており、映画製作時にも自然とこの経験が頭に浮かんだんでした。

TS:今作において最も重要なものは当然音楽でしょう。今作では実験音楽が全編通じて流れており、これほどまでに奇妙ながら心地よい音の小波に満ちた映画は初めて観たと思えるほどです。映画としてこういった実験音楽を捉える時に重要だったこと、チャレンジングだったことは一体何でしょう?

JD:この類の音楽において、その全体的な効果や生じる感情がどういったものかを言葉で表現することはとても難しいことです。なのでこのような要素を補完する映画を作りたかった訳で、このために音楽の神秘性を壊すのでなく、これを押し広げ、傍らで作用させることを目指しました。興味深いことは、映画のフォーム自体はとても直球で触れやすいものでありながら、現れる音楽は全く主流のものでなはないことです。なのである側面において大切だったことはこの音楽パフォーマンスを日常の一行為として扱い、両方における感情を刺激するような可能性を等しく描きだしていくことでした。

TS:より複雑なのは今作においては先述の実験音楽に、日常音や人々の声が重なっていくことです。例えば海の場面において、船の上である登場人物が主人公と会話を繰り広げますが、その声が劇伴、そして波やカモメたちの響かせる音と交わりあうんです。そういった大量の響きが互いに重なりながら、この組み合わせは不協和音とならず、むしろ私たちの生きる世界がいかに複雑化を表現する、息を呑むようなハーモニーへと変貌を遂げるんです。どのようにこの複雑で無限に広がる音響を設計したのでしょう? どのようにこの複雑微妙なバランスを保っていったのでしょう?

JD:音響設計やミキシングによって物事が均衡を保ちながら関わりあう状態を作るのはとても重要なことでした。なので頻繁に、会話をこの空気感に溶けこませたり、空気感そのものを演奏される音楽のように大きく響かせたりといったことをしましたね。しかしこれは実験音楽、電気音響においてはとても普通のことでもあります。録音を行う空間に満ちる響きが、録音過程においてより"音楽的な"要素として追随してくることが時おりある訳ですね。そこで、コロナ禍でポスプロを外で行うことがあまり出来なかったので、世界各地の野外で録音された音響のメモリー・バンクにアクセスし、そこで見つけた音で映画を満たしていくことに時間をかけたんです。私としてはこの野外での録音が、映画の要素全てを支え、作品を通じて観客や語りそのものを導いていく基盤となって欲しかった。ですから劇伴が鳴っていない時でも、映画内では単調なハム音のようなものが流れ、より大きな構成物の一部として機能するようになっています。

TS:前の質問に関連しますが、劇中には登場人物たちが楽器を演奏する場面が多くありますね。そこで印象的なのはカメラを通じあなたの視線がその楽器を演奏する手というものに優しく注がれていることです。手がバイオリンの絃を揺らす、手がシンセサイザーに触れる、手が演奏を間違えながらもすぐ平静を取り戻す。あなたが音や音楽そのものだけでなく、手が楽器を演奏し動くという動作、そして音が作りだされるという現象にも重きを置いていることに感銘を受けました。この演奏場面を撮影し、監督する上で最も欠かせないことは一体何でしたか? この手の動きというものに意識でしたか?

JD:ある意味でこの演奏場面の数々は今作において最もドキュメンタリー的なものでしょう。スクリーン上でミュージシャンたちが本質的に自分自身を演じるという状況で、監督として私は彼らの演奏に忠実でありたく、あまり干渉はしたくありませんでした。なのでこの場面は長めのロングテイクとワイドショットで撮影を行い、ある種彼らの映画への貢献を称えるようにもなっています。Whitney Johnson ホイットニー・ジョンソン(Matchessという名義で素晴らしい音楽を演奏してくれています)の演奏場面において、どう演奏したいかを尋ね、その通り自由にやってほしいと頼んだのですが、彼女は蝋燭が灯る闇のなかで演奏したいと言ったんです。元々この場面は昼に撮影する予定でしたが、彼女の嗜好というものが場面に作用し、頗る夢見心地の感触を齎してくれたんでした。

TS:加えて、感銘を受けたのはあなたの建築空間への意識がどれほど鋭いものかということです。映画に現れるロケーション全てがそれぞれ異なる形で印象的で、この映画のためにこそ存在しているのでは?と思わされる程です。そしてこの監督は大学かどこかで建築を体系的に学んでいるなと感じました、後に個人的な会話の中であなたは否定していましたが(笑)ここで聞きたいのは今作のためどのようにロケーションを決めたかということです。ロケ地選択のために何らかの基準はありましたか?

JD:そうです、建築に関しては余り知らないんです。もちろんもっと知っていれば!と思っていますけどね。私はボストンで生まれ育ち、この環境が今でもとても鮮やかに迫ってくるので、今作はぜひニューイングランドで撮影したいと思っていました。実際に実行は不可能だったので、ロサンゼルスでロケ地を探し始めました、どういう訳かニューイングランドに似ているんですよね。今振り返るとこれは実りの無い努力でしたが、最終的にここで興味深いロケ地を幾つか見つけたんです。本質的にカリフォルニア的でありながら、いわゆる"ロサンゼルス映画"といった作品ではあまりお目にかかれない場所を見つけた訳ですね。そして最後の段階で重要となったのが、何か場所を特定できない類の、もしくは不可思議に思えるロケーションを複数見つけ出すこととなったんです。ロサンゼルス生まれの人々にも作品を観てもらいましたが、彼らの住んでいた場所近くで撮影されたとは分からなかったそうです、信じられますか?

TS:正直言えば、映画で使われたロケ地全てについてお聞きしたいですがキリがないので、私の中で最も印象に残った場所についてお聞きしましょう。あの地下室です。エレベーターで地下まで下り、ランタンを灯しながら闇を進んでいくと、その空間に楽器が現れる。そしてオレンジ色の光が徐々に満ちていくうち、その全体像が露になり、私たちは楽器や絵画で溢れた、外界とは隔絶された高貴な空間を目撃することになるんです。そしてそこにはまるで儚い幽霊のような店主が居て、大切な何かを語ってくれる……そこには息を呑むような、信じられない美が宿っているようです。この場所はどこでしょう? 一体全体どうやってこの場所を見つけたんですか?

JD:この場所はカーティスという、映画にも出演したハーディ・ガーディという楽器の収集家の所有している空間なんです。彼はチェンバロの製造と修理をしていて、あの空間ではワークショップも行ってるんです! 私たちはここに劇的な照明を加えたり、幾つか内装も変えましたが、彼とこの空間は正に素晴らしい発見でしたね。カーティスはロサンゼルスが活動拠点で、話すのは楽しかったです。チェンバロとハーディ・ガーディについて知るべきことは何でも知っていましたから。当然フィクションではあるんですが、劇中で部屋のオーナーが言ったこと、特に絵画について語っていたことは、カーティス自身の言葉を直接引用しています。

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TS:前の質問群に関連しますが、興味深かったのは主人公やミュージシャンの友人たちが会話を繰り広げる場面です。ここは主人公がインタビュアー、友人たちがインタビュー相手といった風ですが、カメラはその友人たちをドキュメンタリーのように正面映しにする訳ではなく、ミディアムショットで彼らのいる空間自体を捉えていますね。こうしてスクリーンに現れるのはその場の雰囲気、物や人々の存在感、そして時の流れであり、これらが観客と共有される訳です。撮影監督のCarson Lund カーソン・ランドとともに、この会話シーンをどう組み立てていきましたか?

JD:このミディアム/ワイドショットという様式は"The Secret of Monkey Island""Myst"といった90年代のポイント・アンド・クリックゲームに多くを負っています。今は昔ほどプレイしていないんですが、その影響は未だに濃密なもので、映画からの影響にも匹敵しますね、本当ですよ。ショットにおけるフレーミングだけでなく、映画における全ての要素――場面がどう構成されるかや、その他セリフや撮影器具などなど――においてゲームからの影響が溶けこんでおり、普通はマッチしないようなものが一緒に馴染むクオリティが獲得された訳です。例えば主人公キャスの持っているバッグに関する描写は、アドベンチャーゲームにおいて主人公がいつもバッグを持っていて、何故だか道端で拾ったアイテムを無限に収納できるといった場面に影響を受けています。多分いつかサポートしてくれる誰かと一緒に、今作のビデオゲーム版を作るでしょうね。

TS:脚本についてもお聞きしたいと思います。今作のプロットはいわゆる探偵ものといった風ですが、お約束通りには進まず、常にまとまりなく気まぐれに進み、謎は曖昧なままで、観客は当惑と魅惑へと導かれます。この観客の期待を巧みに裏切る曖昧さにはポール・オースターのニューヨーク3部作を思いだしました。そこでお聞きしたいのは脚本を執筆する際、最も大切な核となったのは何でしょう? そして脚本と音楽/音の間にどのように調和させたんでしょう?

JD:脚本の枠内のみでの答えとなりますが、今作に関しては、ある種映画にとって最も大切な要素だったロケーションを中心に執筆を行っていました。それは2つの面、つまり創造的な意味でも、実践的な意味で大切だったという訳で、後者は例えばどんなリソースが使用可能か?などですね。キャスという人物は自身を取り巻く場所とどう関わっていくか、その場所――現実にしろ想像にしろ――との関係性はどういうものか?なども考えました。今後脚本を書くなら、プロセスは違ってくるでしょうね。例えば登場人物同士の関係性を描いたり、プロット自体に焦点を当てたりするでしょう。オースターの作品は読んでいないですが、実際読もうとは思っていたので、読書リストに入れておきましたよ!

TS:そして主人公を演じるCourtney Stephens コートニー・スティーヴンスの存在感にも感銘を受けました。繊細でアンニュイな表情の数々とともに、彼女は過去と記憶にまつわる旅を繰り広げますが、その光景は美しく切ないものです。日常の中の彼女の動きそれぞれがかけがえのない輝きを持っていますが、これはコロナ禍において忘れてしまいそうなものに思えました。今作を観た後、エンドクレジットに映ったCourtney Stephensという名前に既視感を抱き、Googleで検索した訳ですが、そこで彼女があの"The American Sector"の監督と知り驚きました! 何て才能でしょうか。どのようにこの才能と出会ったのでしょう? 彼女をこの映画に起用した最も大きな理由は何でしょう?

JD:彼女を薦めてもらった経緯に関しては忘れられませんね。共通の友人を介してなんですが、これがMerzbowという素晴らしいノイズ・ユニットのコンサートに行った直後で、私たちは2人とももうクラクラしていましたね。これが映画のテーマとも愉快な形で合っていたと思いますね。彼女は俳優としてよくある訓練を行っていた訳ではない(大分前にJon Moritsugu ジョン・モリツグという監督の作品で主役を演じていましたが)んですが、彼女は今まで会ってきた人々でもベストでしたね。大きな要因は彼女自身が素晴らしいノンフィクション映画作家だったからでしょう。素人の俳優たちとの場面を引っ張ってくれたり、セリフを即興で演じてくれたりと、そういったことを探求する姿勢が自然と備わっていた訳です。

(下の質問は今作において超重要な場面に関するネタバレ質問で、これはぜひ作品を観て知ってもらいたいものだが、個人的には絶対に聞いておかなくてはいけないと思ったものだ。ということで隠したので映画を観た方、もしくはネタバレ上等な方は反転して読んでね)

TS:これは完全にネタバレなのですが、ぜひともお聞きしたいです。エンドクレジットにおいて驚いたのは日本の歌手である青葉市子の「守り哥」が流れることです。ここで耳馴染みある日本語という言語が、しかしアメリカ映画の中で流れたこの瞬間、心から涙が湧きあがってきたんです。本当に忘れられない経験になりました。これに関しては個人的に話しましたが、ここでまた質問させてください。どのように青葉市子の曲に出会ったのでしょう? 今作にその曲を起用しようと思った理由は何でしょう? そして作品の使用許可を取るにあたって、オンラインで彼女と会話した時の経験はどういうものでしたか?

JD:ずっと彼女の音楽の大ファンでしたが、今作の編集段階では必ずしも曲を使おうと思っていた訳ではないんです。他の曲を置く準備も出来ていたんですが、その時に「守り哥」がリリースされたんです。これを聞いて、もう即座に今作の最後に流す必要があると思いました、当時歌詞の意味は分からなかったんですけどね(今は日本語を勉強し始めていて、あの時よりは理解できるようになりましたよ、はは!)そしてインタビューを読んだんですが、そこで彼女はこの曲を船出の無事を祈る曲であると表現していて、映画にも序盤にそういった場面があるのでとてもフィットするなと思いました。ラストの場面には緑の丘から野球場を見渡す時の広がりが捉えられていますが、私としてはそれは海を見渡す風景のようにも見えていて、深さや未知への感覚がどこか似ているように思えます。曲の使用許可を取ろうとした時、彼女と共同作曲の梅林太朗に今作を全編観てもらうことになったんですが、とても感動してくれたようでした。彼女は観て体験したことを個人的に書いて送ってくれたんでした。私は音楽監修という領域で活動してきた訳ですが、曲の使用許可を取るにあたってミュージシャンとこうして交流できるのは稀で、だから彼女が映画についてポジティヴなことを書いてくれたことには私もとても感動しましたね。

TS:そしてあなたとOmne Filmsとの関係性もぜひお尋ねしたいです。私がこの制作会社と出会ったのは2019年のロカルノ映画祭で最も奇妙だった1作"Ham on Rye"を観た時ですね。そしてこの作品を編集したKevin Anton ケヴィン・アントンを通じて、Omne Filmsによる第2作品であるこの"Topology of Sirens"を観ることができ、再び驚かされた訳です。あなたがこの制作会社やその設立者の1人であるTyler Taorminaと出会った経緯には興味があります。どのような流れでこの制作会社で長編を作ることになったのですか?

JD:Omne Filmsのほぼ全員とは大学時代からの友人で、もう長い間互いを知っている訳です。なので"Ham on Rye"の後、最低限のリソースで興味深い映画を作れるシステムや場所があると知っている状態にありました。そうでなくては今でも映画を作れていたか分からないですね、ハハ!

TS:新しい短編か長編映画を作る計画がありますか。あるならぜひ日本の読者にお伝えください。

JD:今取り組んでいる途中の長編が2本あります。どちらかが制作されればと素晴らしいですね。1本目は秋のニューイングランドをめぐる、環境保全にまつわるミステリー映画です。"Topology of Sirens"とスタイル的には似ていますが、プロットよりも登場人物優先の1作ですね。2人の人物が周囲に現れる複雑な不穏さ、それを発見していくにあたり友人関係になっていく様を描いています。

2本目は"Topology of Sirens"とは全く違う1作ながら、音楽テーマであることは共通しています。日本のメディア芸術に多大な影響も受けていますね。アイドルのA&Rエージェントと、同じ複合企業が所有する会社で働く武器製造業のエンジニアとの間のSFロマンスで、未来と過去が曖昧に交わりあった時間の中で物語は展開していきます。もしエリック・ロメールマクロスシリーズのようなロボットアニメを映画化したら……おそらく今作はそんな1作になるでしょう。

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モンテネグロ、黒い山の麓の孤独~Interview with Andrija Mugoša

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さて、このサイトでは2010年代に頭角を表し、華麗に映画界へと巣出っていった才能たちを何百人も紹介してきた(もし私の記事に親しんでいないなら、この済藤鉄腸オリジナル、2010年代注目の映画監督ベスト100!!!!!をぜひ読んで欲しい)だが今2010年代は終わりを迎え、2020年代が始まった。そんな時、私は思った。2020年代にはどんな未来の巨匠が現れるのだろう。その問いは新しいもの好きの私の脳みそを刺激する。2010年代のその先を一刻も早く知りたいとそう思ったのだ。

そんな私は短編作品を多く見始めた。いまだ長編を作る前の、いわば大人になる前の雛のような映画作家の中に未来の巨匠は必ず存在すると思ったのだ。そして作品を観るうち、そんな彼らと今のうちから友人関係になれたらどれだけ素敵なことだろうと思いついた。私は観た短編の監督にFacebookを通じて感想メッセージを毎回送った。無視されるかと思いきや、多くの監督たちがメッセージに返信し、友達申請を受理してくれた。その中には、自国の名作について教えてくれたり、逆に日本の最新映画を教えて欲しいと言ってきた人物もいた。こうして何人かとはかなり親密な関係になった。そこである名案が舞い降りてきた。彼らにインタビューして、日本の皆に彼らの存在、そして彼らが作った映画の存在を伝えるのはどうだろう。そう思った瞬間、躊躇っていたら話は終わってしまうと、私は動き出した。つまり、この記事はその結果である。

今回インタビューしたのはモンテネグロ映画界の新鋭監督Andrija Mugoša アンドリヤ・ムゴシャだ。彼のデビュー短編"Praskozorje"モンテネグロで実際に起こった出来事を元として、モンテネグロの山間部に住む女性の救い難い孤独を描きだした1作である。私は最近、モンテネグロ映画に嵌っており、その無限の可能性に耽溺している訳だが、Mugošaは私が惚れ込んだ才能の1人であり、8月に開催される東欧最大の映画の祭典、ボスニアサラエボ映画祭に新作短編が選出されるなどしている。そんな彼にインタビューを敢行、読者もぜひここからモンテネグロ映画界へと旅立ってほしい。それではどうぞ。

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済藤鉄腸(TS):まずどうして映画監督になりたいと思いましたか。それをどのように成し遂げましたか?

アンドリヤ・ムゴシャ(AM):正直、この質問に対する答えは自分でも分かっていません。高校時代は、強制的に押しつけられた勉強を投げ出して、毎日映画を観ていました。その時から素人としてですが、撮影をしたり編集をしたりしていて、ここで知識を養ったと言えますね。そして高校卒業後はこの道が最適だと思いました。2年後には映画学校に入学したんです。

TS:映画に興味を持ち始めた頃、どんな映画を観ていましたか? その当時モンテネグロではどういった映画を観ることができましたか?

AM:子供の頃はテレビ番組を観て育ちましたね。それから私たちの国では、映画の海賊行為が高いレベルにありました。私が生まれたのは紛争の後で、それから立ち直る途中にNATOの爆撃を受けました。なので海賊行為がかなり容易に罷り通っていた訳ですね。家にはVHSプレーヤーにたくさんのVHSテープがあったんですが、両親がいつも働きに出ていたので、私はそれを観ながら独りの時間を過ごしていました。例えばディズニーやワーナーブラザーズのカートゥーンを観ていたんです。それからVHSはCDとトレントに取って代わられ、手に入れられるものは何でも観ていました。特に当時興味を持ったアメリカの娯楽大作は殆ど観ていましたね、今でも思い出せます。

TS:"Praskozorje"の始まりは一体何でしょう? あなたの経験、モンテネグロのニュース、もしくは他の何かでしょうか?

AM:残念なことに今作は実際の出来事に基づいています。そのニュースが私に齎された時、それを紙に書き留めていたんですが、2年後に脚本家であるStaša Petrović スタシャ・ペトロヴィチの力を借りて映画が完成しました。モンテネグロ北部は未だ開発が成されていない地域で、近年やっと観光業が機能し始めたところなんですが、本当に最近まで相当の貧困が広がっていました。これが恥と思えるのは、この地域には国有数の本当に美しい自然があるからです。結果として、この地域の人々はより良い生活を求めて都市部へ移住せざるを得ませんでした。

TS:まず最初の場面から作品の作りだす世界に惹かれました。カメラは家族の夕食風景を映しだしますが、そこから少しずつ主人公の表情へ肉薄していき、不穏で力強い雰囲気が紡ぎだされます。これが主人公の挑戦的な性格や、映画のトーンを印象的に象徴している訳ですね。ここで聞きたいのはどのようにこの場面を演出したかということです。そしてこの場面を映画の冒頭に置いた理由は何でしょう?

AM:脚本に取り組んでいた時、私としては主人公が第4の壁を破って、観客と会話する場面が必要だと思っていました。そうでなくてはこの主人公に共感してもらうのは難しいと感じたからです。それでも脚本執筆時や編集の初期、この場面は映画の中盤に置かれていました。しかし編集を経るうちに、今作のスタートはゆっくりとしたもの故、観客の関心を惹くフックのようなものが必要だと分かったんです。そうしてこの場面を冒頭に置くことになりました。

TS:今作の最も重要な要素の1つは、その息を呑むほど美しい風景です。聳え立つ山々、緑輝ける森など大いなる自然がそこには広がっていて、これが人間存在とはいかにちっぽけなものかを語ります。そして主人公の精神的な孤立を言葉なしに表現してもいるんです。ここは一体どこでしょう? モンテネグロでも有名な場所なのでしょうか?

AM:あなたの言葉こそ、私たちがこの場所を撮影に選んだ理由です。今作はドゥルミトル山(Durmitor)にあるジャブリャク(Žabljak)という所で撮影していますが、ここ数年で観光地としてどんどん有名になってきています。

TS:そして撮影も印象的です。撮影監督であるIvan Cojbasic イヴァン・コイバシツのクロースアップが親密かつ息苦しい形で主人公の日常を描きだす一方、そのロングショットは登場人物たちを囲む無限の自然、その崇高さを捉えています。この距離感のダイナミズムが今作をより力強いものにしているんです。このスタイル、ダイナミズムをCojbasicとともにどう構成していったんでしょう?

AM:3か月にも渡るロケ地探しや風景の撮影、幾つかのアイデアの深堀りを通じて、今作のための撮影リストを準備しました。そしてこの準備がテーマや撮影、参考にすべき芸術作品(音楽、絵画、映画、建築など)に関する終りのない議論へと繋がっていった訳です。

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TS:中盤において、とある酒場で1人の女性がモンテネグロの歌を唄いますね。美しくも、悲しげな響きを伴った曲です。そしてこれによって、主人公の個人的な苦悩や孤独がモンテネグロそれ自体の痛みと共鳴していくんです。この歌についてぜひ知りたいです。この曲は有名な作品ですか? 今作のためにこの曲を選んだ理由は何でしょう?

AM:この質問に関しては答えが少し長くなりそうです。撮影の間、この場面に合うだろう曲が幾つか頭に思い浮かんでいました。そんな中で撮影場所に行った際、歌を披露してもらうことになる女性が実は自身のアルバムも出しているような人物と知りました。今は酒場を経営しており、30年は歌っていなかったのですが。アルバムを録音していた頃、彼女は地方の酒場で歌う歌手で、誰も聞いていなかったと。

何度か私が選んだ歌を使ってみた訳ですが、成功には終わりませんでした。そうして彼女に自分の曲を歌ってもらうことになりましたが、理由だとかそんなこと誰が分かるでしょう。5分後、彼女は映画にも登場するあの歌を唄ってくれることになりました。正に作品を彩ってくれるものでしたね。

TS:そして今作の核は主人公を演じた俳優Milica Šćepanović ミリツァ・シュチェパノヴィチでしょう。彼女の演技にはその抑圧された魂を表現する抑制と静寂が宿っていますが、その思考や感情を些細な動きや表現から観客は目撃することになるんです。豊かで、とても雄弁なものです。この偉大な才能をどのように見出したのでしょう? この作品に彼女を起用しようと思った最も大きな理由は何でしょう?

AM:私たちは大学時代から友人でした。彼女に関して興味深いのは、今作を作るまで彼女はスラップスティックなコメディを演じる類の俳優と思っていたことです。しかし主人公を演じてもらうにあたり、顔や最小限の表情で何かを語れる俳優を探していた際、彼女を起用してみようと決めました。そしてこれが正しい選択だった訳ですね。

TS:日本のシネフィルがモンテネグロ映画史を知りたいと思った際、どの映画を観るべきだと思いますか? その理由もお聞きしたいです。

AM:私としては映画史に関わってくるような作品が多くあるとは思いません。モンテネグロは2006年にやっと独立を果たしましたからね。ユーゴ時代にも例えばMilo Đukanović ミロ・ジュカノヴィチŽivko Nikolić ジヴコ・ニコリチVelimir Stojanović ヴェリミル・ストヤノヴィチなどの作家はいましたが。

"Cinema Komunisto"というドキュメンタリー作品でユーゴ映画の歴史に関しては知ることができますが、モンテネグロについて知るにはこの国の映画を観るのが一番でしょう。歴史を通じても、この国はそう多くの映画監督を輩出した訳ではないですが、私としてはŽivko Nikolić"Lepota poroka"("悪徳の美しさ")と"Čudo neviđeno"("見えない奇跡")、それからMilo Đukanović(あの30年間、大統領をしている人物ではないですよ!)の"Ne diraj u srecu"("幸せに口出しするな")と"Palma medju palmama"("ヤシの林のヤシの木1本")をオススメします。彼らの作品は他も、この国の社会や歴史を完璧に映しだしていますね。

TS:もし1作だけ好きなモンテネグロ映画を選ぶとするなら、どの映画を選びますか? その理由も聞きたいです。何か個人的な思い出がありますか?

AM:この国が独立したのは2006年なので、ユーゴ時代の作品から1本選びましょう。先の質問でも挙げた"Lepota poroka"ですね。そしてユーゴ映画のお気に入りを1本挙げるならNikola Tanhofer ニコラ・タンホフェル"H-8..."ですね。今作はアメリカのフィルム・ノワールをユーゴ流に翻案した作品と言えるでしょう。そしてここではフランス映画の会話劇やイタリアのネオ・リアリズモの影響が組み合わさってもいます。ユーゴスラビア映画で最も興味深く、アンダーグラウンド的な1作でもあるでしょう。

TS:モンテネグロ映画の現状はどういったものでしょう? 外側から見ると、現状は良いものに思われます。新しい才能が有名な映画祭に続々と現れていますからね。例えばカンヌのDušan Kasalica ドゥシャン・カサリツァヴェネチアIvan Salatić イヴァン・サラティチなどです。そして私自身、Zvonimir Grujić ズヴォニミル・グルイチNikola Vučinić ニコラ・ヴチニチといった才能には感銘を受けています。しかし内側から見ると、現状はどういったものに見えますか?

AM:Zvonimir GrujićNikola Vučinićは大学の同級生で、彼らについて話すと主観的でポジティブなことしか言えないですね。この質問に関してですがコロナ禍が始まる前の去年に聞かれれば、全て順調だと答えられたでしょう。しかし今モンテネグロは過渡期にあります。30年間続いた政権が交代しようとしてます。そしてバルカン地域において経済が優先される時、文化はいつであってもパイプに残る最後の穴なんです。

しかしそれを除けば、現状は良いものです。映画を理解する才能のある作家たち、その新しい世代が現れていますからね。あなたが挙げた人物以外にもです。ですからこの才能を発展させるため動くことが重要です。映画製作には金がかかりますが、今後どうなっていくか見極める必要があるでしょう。

TS:今後新しい短編、もしくは長編を作る予定はありますか? もしあるならぜひ日本の読者にお伝えください。

AM:"Praskozorje"の後、2本の短編を製作しました。そして今は大学の修士課程で学んでいますが、長編も作りたいところです。前の質問でも言いましたが、今後どうなるか見極めていく必要がある訳ですね。

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