鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

スロヴェニア、この孤立の時代に~Interview with Maja Prelog & Blaž Murn

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さて、このサイトでは2010年代に頭角を表し、華麗に映画界へと巣出っていった才能たちを何百人も紹介してきた(もし私の記事に親しんでいないなら、この済藤鉄腸オリジナル、2010年代注目の映画監督ベスト100!!!!!をぜひ読んで欲しい)だが今2010年代は終わりを迎え、2020年代が始まろうとしている。そんな時、私は思った。2020年代にはどんな未来の巨匠が現れるのだろう。その問いは新しいもの好きの私の脳みそを刺激する。2010年代のその先を一刻も早く知りたいとそう思ったのだ。

そんな私は、2010年代に作られた短編作品を多く見始めた。いまだ長編を作る前の、いわば大人になる前の雛のような映画作家の中に未来の巨匠は必ず存在すると思ったのだ。そして作品を観るうち、そんな彼らと今のうちから友人関係になれたらどれだけ素敵なことだろうと思いついた。私は観た短編の監督にFacebookを通じて感想メッセージを毎回送った。無視されるかと思いきや、多くの監督たちがメッセージに返信し、友達申請を受理してくれた。その中には、自国の名作について教えてくれたり、逆に日本の最新映画を教えて欲しいと言ってきた人物もいた。こうして何人かとはかなり親密な関係になった。そこである名案が舞い降りてきた。彼らにインタビューして、日本の皆に彼らの存在、そして彼らが作った映画の存在を伝えるのはどうだろう。そう思った瞬間、躊躇っていたら話は終わってしまうと、私は動き出した。つまり、この記事はその結果である。

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済藤鉄腸(TS):まず、どうして映画監督になろうと思いましたか? そしてそれをどのように成し遂げましたか?

マヤ・プレログ(MP):最初は映画監督になるなんて思いもしていませんでした。写真にとても興味があって、面白いと思ったものは何時間でも眺めていられました。人間同士の関係性や心理、人生の異なる哲学にも惹かれていましたね。少なくとも未来の計画なんて存在していませんでした。時は過ぎて、ある日私は目覚めて、16mmカメラを片手に学生映画を作り始めたんです。

ブラシュ・ムルン(BM):自分は建築学を勉強していて、セット・デザイナーとして映画製作に参加しました。その後映画について古典的に、芸術体系として考えるようになりました。自分は物事を概念的に、文脈を踏まえながら考えることに長けていて、脳みそも何より構成を考える際に奇妙な感じになります。だから映画を実際に作ったし将来の計画もありますが、自分を映画監督であるとは言えません。それでもMaja Prelogとともに何かやっていきたいとは思っています。

TS:映画に興味を持ちだした頃、どんな作品を観ていましたか? 当時スロヴェニアではどんな映画を観ることができましたか?

BM:自分が7歳の時、ユーゴスラビアが解体されましたが、その時までは"Kekec"や、イタリアのTVでバッグス・バニートムとジェリーなどのカートゥーンを観ていました。それらはノンストップのイタリア語で放映されていたので、子供の頃の第1言語はイタリア語でもありました。それからターミネーターバック・トゥ・ザ・フューチャーなどの娯楽映画も好きでした。シリアスな映画を観始めたのは20代半ばからと認めざるを得ません。10代後半にはずっとスポーツをしていて、考えることは建築学のことばかりでした。なので作家主義的な作品が入る余地がなかったんです。

MP:スロヴェニアではどんな新しい作品、どんな芸術的な作品でも観ることができました。検閲なんて存在しなかったんです。公共の図書館からタダで映画を借りることもよくありましたね。映画に興味を持ち始めた頃観るのはほとんど70年代のアメリカ映画でした。例えば「卒業」「真夜中のカーボーイ」「タクシードライバー」「セルピコ」「地獄の逃避行に西部劇(例えばアラン・ドロン三船敏郎が出演していた「レッド・サン」です)イージー・ライダー」「バニシング・ポイント」「フォクシー・ブラウン」「ジョーズ」「未知との遭遇」「マッド・マックス」「TXH 1138」「地獄の黙示録」「ゴッドファーザーなどなど、全てが異なるジャンルです。しかし成長してから2000年代前半、2つの映画に出会いました。ラース・フォン・トリアーダンサー・イン・ザ・ダークの残酷な迫真性、デヴィッド・リンチマルホランド・ドライブの幻想性はとても印象に残っています。それからパク・チャヌクの「オールドボーイ」には骨まで震わされましたし、宮崎駿の「ハウルの動く城」に恋に落ちたんです。

TS:ブラシュさん、あなたはまず映画を勉強する前に建築学を勉強していましたね。この建築学の知識は映画製作に影響を与えていますか? もしそうなら、どのようにでしょう?

BM:もちろん影響はあります。それが弱みでもあり強みでもあるでしょう。映画製作の初期段階においてはより活躍できていると思います。例えばあらすじ制作やプレプロなどです。しかし俳優を演出したり編集をしたりする段階になると難しいです。技術面の方が得意なんです。だからポスプロ段階になると画面より音の編集が強くて、例えば色彩や音、グラフィック・デザインなど上手くこなせるようになります。

TS:映画を作る際、あなた方はコラボしながら映画製作を行っていますね。どのようにこの関係は始まったんですか。1人で映画を作るのと、2人で作るのではどう違いますか?

MP:真相としては彼は私のフィアンセなんです。数年前スケート場で会いました。彼はその頃建築学を勉強していて、私は映画を勉強していました。同じ大学を卒業し、労働力の市場へと飛びこみました。2人とも映画という芸術を通じて自分を表現したかったんです。なので時間を作ったりお金を稼いで、自分たちのゲリラ的な映画製作会社RÁを作りました。友人のおかげで、スロヴェニアのバンドであるライバッハのMVを2作作ることにもなりましたね。何度も細部について話し合うのは時間がかかりましたし、疲労もとても溜まります。しかしそれによって作品のコンセプトはより強く、洗練されていきました。

正直言えば、私にとっては1人で映画を製作する方が楽です。しかし共同制作においてはデュエットで踊るように、芸術家としてのエゴを抑えられます。1つの考えを様々なアングルから見ることができるし、常に考えることができる。よりよい解決策を探せるし、調整することもできるし、そして妥協すること(かしないことも)ができます。つまり共同作業によってよりよい芸術家になれるし、映画の可能性をより強化できるんです。

BM:彼女は私のソウルメイトです。彼女に多くのものを負っています。彼女がいなければ映画監督何てしていなかったでしょう。私はそういう種類の人間じゃなかったんですからね。あまりにも直接的で控えめすぎるんです。映画監督であるためには卑劣で自分の性格を隠さなきゃならない。それか彼女のような才能を持って生まれるしかない。彼女は笑顔を絶やさずに映画を作るので、誰も言うことに背こうとはしません。そういったコミュニケーションの問題もありますし、自分はそこまで我慢強くないんです。だから比べるのは烏滸がましいかもしれませんが、偉大なスタンリー・キューブリックが成したように、最小限のスタッフでこそ私は監督ができます。

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TS:短編作品"2045"の始まりは何でしょう? 自身の経験、スロヴェニアのどこか、もしくは他の出来事でしょうか。

MP:"2045"はこれらの要素が集まってできました。私はBlažと朝のコーヒーを飲むという儀式があります。そうして、コーヒーがいかに酸っぱいか、昨夜どんな夢を見たか、蜂が全滅したら何が起こるか、スロヴェニアと日本の自殺率がなぜ似ているか、南極の氷が全て溶けるのはいつかについて語るんです。そしてこれに対する考えを短い実験映画として表現しようと決めたんです。最終的に、考えは世界が崩壊する瞬間に至りました。それについて書き記し、ストーリーボードを作りました。機材を携えていても、スロヴェニアの自然に容易に辿り着けたし、ガスマスクを着けてくれる芸術家の友人にも恵まれました。なので霧が現れるのを待った後、スロヴェニア中を回り現実を越えた風景を探しました。

BM:今作は私たちが共有する世界的な状況への考えを反映したものです。例えば私たちは人類としてこの地球に、他の種族に、そして私たち自身に何をしたか。そして私たちはどこへ向かっているのか。何か大きなことが起こるのではと今感じています。巨大な戦争か、環境の崩壊か、それとも何か別の世界的な危機か。しかし予算無しで黙示録を描くのはとても難しいので、個人的な親密な経験について描こうと思いました。黙示録の影響下、行かれる母なる大地の偉大さを背負いながら、主人公が諦めに陥り、故郷へと帰っていく姿です。

TS:まず最初のショットから、今作の崇高なる風景の数々に惹かれました。今作を観た人はみなこう思うでしょう――一体この崇高な場所はどこなんだ?と。この場所は一体どこでしょう? スロヴェニアの有名な場所なんですか? "2045"でこの場所を起用した最も大きな理由は何でしょう?

MP:それはここ、Jezersko地方の山の1つです。とても有名ですが、一番という訳でもありません。私たちは"人工的な"自然、遠く神秘的なイメージを探していました。見覚えがありながら、記憶に焼きつくものです。実はここにはテスト撮影のためやってきたんですが、カメラを置いた途端、マジックが起きたんです。天気は完璧で、岩に残る雪の度合いも丁度いい、2本の松も正しい場所にあると。こう思いました。映画の神がここにはいると。

BM:これらは1つの場所として編集されていますが、実際はスロヴェニアの幾つかの場所を巡っています。しかしスロヴェニアは東京ほどの大きさしかないという視点に立てば、1つの場所と言ってもいいでしょうね。私たちが赴いたのはリュブリャナから1時間ほど離れた、厳重に保護された4つの地域です。この近くに住んでいたので、ロケ地探しは楽だったのは喜ばしいことでした。そうする必要があるなら日本とこの場所はトレードしても構いません。10年前に廻った地を行くのは素晴らしいと思います。

TS:今作で最も印象的なのは世界の崇高さです。あなた方はこの世界に宿る息を呑むような崇高さを、とても効果的に映しとっています。自身の映画の撮影監督として、これをどのように成し遂げたんでしょう?

MP:私たちは生の残骸を映し出すような映画のイメージを探し求めていました。そうして世界を映し出すために固定のロングショットを使おうと決めたんです。最初のショットは特に、観客がこれは写真なのでは?と疑うほど異様に長くしました。そして観客は催眠状態に陥り、未来世界への旅へ誘われるんです。

BM:自分は壮大な古典的作品が好きと言ってもいいです。映画に対する古典的なアプローチが好きなんです。現代の軽々しい、コンピューターによる演出とは真逆の、固定ショット、ステディカム撮影、移動撮影、その他の重々しい撮影技法を強く信じているんです。そこには不動のものがあり、100年以上の時を生き抜いてきた訳です。他方で私たちは今作をフル・フレームのデジタルカメラで撮影しましたが、そういう訳で両方のアプローチの中でも最善を尽くせたと思います。崇高さの多くは練り上げられたコンセプトと編集の技法によって達成できました。

TS:私が感銘を受けたのは崇高なイメージと不吉な音響の大胆な組み合わせです。自然の中の音がイメージと重なる時、あなたが表現する世界はより豊かに荘厳なものとなります。どうやってこのイメージと音響の組み合わせを達成したんですか?

MP:ありがとう。まず今作のコンセプトは技術的な状況や芸術的な欲望から始まりました。初めに、カメラは音のない"生の"フッテージのみを切り取り、同時に音を録音はしないことを決めました。そして第二に全てのイメージが現実の自然由来なら、音は不自然なものであるべきだと思いました。それである日、自転車でリュブリャニツァ川を走っていて、通風装置の音を耳にしました。そこでこの騒音が"2045"の音だと気づいたんです。録音と音響デザインは全てBlažがしてくれました。

BM:音は機械で作ったものです。病院の外にある巨大なエアコンの音を録音し、音響をデザインするにあたってそれを孤立における異なる周波数のレベルに適用していきました。強固に編集を行おうとしてきたので、無声映画として完成させても良かったですが、それでも映画の効果は画よりも音に多くを負っていると思います。今作において画はある意味背景であり、音こそがもっと複雑な在り方を呈していると思っています。

TS:あなた方は"2045"を2016年に作りましたね。しかし今作を2020年に観た私にとって、コロナウイルスが蔓延していることも相まって、今作の不吉さや孤立の感覚はより近いものに思えます。あなたは2016年にこの状況を予測していましたか? このコロナウイルスの時代に"2045"を観ることはどんな意味を持つでしょう?

MP:現在の状況を見たり、全ての選択肢においてネガティブな方を選び取ることで、私たちは黙示録的な世界を予測してきました。そして考えうる限り最悪の結果に辿りついたんです。私たちの心の中では、世界は大きな難民キャンプであり、地球には存在していません。今作を今観るなら、観客は災厄の孤立的な感覚により共感しやすくなるでしょう。

BM:思うに今作はパンデミックの終り、もしくは世界的恐慌の後に私たちが直面する終りに強く共鳴していると思います。そう悲観的になりたくはありませんが、私たち人類はこれからの未来に母なる自然と共生するため、多くのことを変えなくてはならないと思います。彼女は私たちに愛想を尽かしているんです。

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TS:スロヴェニア映画界の現状はどういったものでしょう? 外側から見るとそれは良いものに思えます。新しい才能が有名な映画祭に現れていますからね。例えばロカルノMatjaž Ivanišin マチャシュ・イヴァニシンや、トロントGregor Božič グレゴル・ボジッチなどです。しかし内側からだと、現状はどのように見えるでしょう?

MP:才能という意味においてはスロヴェニア映画界は輝いていますが、国家的なサポートは欠けています。財政的に現状はとても貧しいものです。しかし私はスロヴェニア映画界を若く才能ある芸術家や批評家の共同体だと思っています。彼らは自分の居場所のために戦い、とても賢く優雅に立ち回っています。それはほとんど武道的な美徳です。

BM:認めざるを得ないのは、私がこの国における芸術の現状にとても怒りを抱いており、その事実に曖昧でいざるを得ないことです。今作はその1つの例です。私たちは自分の銀行口座から貯金をはたいて制作せざるを得ず、なので官僚主義の硬直性にうんざりしています。国立の映画補助に参加するため時間を費やしても、この国の有名人に対してルーキーである私たちは無力なんです。ですから全て自分でやらなくてはならないんです。そして私は自分のお金で映画を作るのが難しいのと同様に、上映されるのも難しいと思っています。多くの国際映画祭に応募していますが、全く採用されず、それは国立映画センターからしか応募できないからだと思っています。もちろん今作は最善の出来ではないですが、より良いクオリティのため多くを改善しています。それでも全てが悪い訳ではないと思っています。その後、今作が国際的に上映され、このMy Darling Quarantine Short Film Festivalではローカルの短編映画祭FeKK――ここで最優秀賞を獲得しました――でプレミア上映されてから、4年越しおそらく3回目の上映を果たしました。それでも言うべきなのは、他の若い監督たちが海外で成功したと聞くのは嬉しいですし、それが世界的にもローカル的にもより良い明日がやってくるという希望をもたらしてくれます。

TS:日本の映画好きがスロヴェニア映画史を知りたい時、どんな作品を勧めますか? その理由も教えてください。

MP:私はVinci Vouge Anžlovar ヴィンツィ・ヴォウゲ・アンシュロヴァル"Babica gre na jug"をお勧めします。今作はスロヴェニアが独立して初めて作られた作品で、ドロップアウトした学校の生徒が日本で脚本賞を獲得した後に作ったものです。ロードムービーで、おばあちゃんが老人ホームから逃げ出す姿を描いた美しい物語です。

BM:認めざるを得ないのは、私はこの国の映画については未だ無知で、この質問に答えるのに適した人物ではないことです。ここ3年、健康に問題を抱えており、オンラインでしか映画を観れなかったんですが、スロヴェニア映画はそこでは観ることができません。健康状況のせいで時間も限られていたので、時間を慎重に使ってきました。だから私にとっては観たことのない作品を観るより、面白い黒澤映画を10回観たほうが有益です。リスクがありますからね。これが映画批評家や他のシネフィルには受け入れ難いとは分かっています。誰か信頼する人が勧めてくれるなら、その映画も観ますけども。

TS:もし1作好きなスロヴェニア映画を選ぶなら、どの作品を選びますか? その理由はなんでしょう?

MP:やはり"Babica gre na jug"ですね。悲しくて面白い映画です。それにスロヴェニア映画の中でもサウンドトラックが随一に素晴らしいんです。

BM:私はJože Gale ヨジェ・ガレ"Kekec"(1951)を挙げます。今作は強いメッセージを持った子供映画で、スロヴェニア人の血の源を強く反映してもいます。ある意味で娯楽映画のようでもあり、観ていると心配事を全て忘れることもできます。中国やユーゴスラビア含め共産主義国家の至る所でヒットしました。今は深い映画というものを観れない状況にあります。それはそういった作品が全て過度に皮肉的に思われると共に、今起こっていることが複雑すぎるように思えるからです。今はこの現実のような非現実的で親密な作品を作れる脚本家や映画監督はいません。深い映画というものは"平和な"時代にはいいと思います。人々は自分の生き方をそこに反映できますからね。なので娯楽映画は"四季的な"映画であり、映画史を眺めるとなると娯楽映画の大部分は忘れられ、最高の作品だけが思い出されるんです。"Kekec"はそんな作品だと思います。

TS:新しい短編やデビュー長編を作る予定はありますか? あるなら是非とも日本の読者に教えてください。

MP:今は初長編の編集をしています。Blažと私についての物語です。彼は3年前に重度の白血病と診断されました。2人にとってとても辛い時期でした。彼は生きようと必死に戦い、私は自分自身に内にいる悪魔と和解しようとしていました。しかし骨髄の移植をし白血病を生き抜いた後、彼は自分のバイクで有名なジロ・デ・イタリアに参加し、健康を取り戻そうとしたんです。私もカメラを携え彼についていき、自分たちの経験を映画という芸術を通じて映しとっていきました。この旅路はお伽噺のようになると思いましたが、生々しい現実として迫ってきました。自分たちが病気の影響のもとにあることを思い知らされるとともに、世界でも最も美しい風景を巡ったんです。

BM:今はMajaのデビュー長編に深く関わっていた状況から回復しつつあります。あの作品には人生を吸い取られましたからね。なのでゼロから自分を建て直す段階にあります。

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Burak Çevik&"Aidiyet"/トルコ、過ぎ去りし夜に捧ぐ

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最近、実録犯罪ものが流行している兆しが見える。例えばNetflixアメリカを中心としてこの国で繰り広げられる前代未聞の犯罪をドキュメンタリー化し、世界中に配信している。だが今回紹介する作品はただの実録犯罪ものではなく、この鋳型を巧みに使い、様々な感情を喚起する実験的な傑作となっている。それこそがトルコ人監督Burak Çevikによる第2長編"Aidiyet"だ。

今作の語り手となる存在はオムールという人物だ。彼は自身の身に降りかかった奇妙だが忘れえぬ犯罪について語り始める。その始まりとなった人物がペリンという女性だ。彼はペリンととあるバーで出会い、会話をする。そして一夜を共にして、もう二度と会わないことを約束した後、オムールは彼女の元から去っていく。

だが事態が急転するのはここからだ。兵役を終えた後、オムールはペリンから連絡を受ける。そうして心変わりをした彼女と恋人関係になり、両親とも顔を合わせるであるが、しばらくしてからある告白を受ける。両親は自分にとって邪魔な存在だ、だから殺してほしいと。オムールは驚きながらも、危ない世界に片足を突っこんでいる友人を頼り、殺人を遂行しようとする。

まず今作で驚かされるのは、圧倒的な語りの速さである。オムールはこの奇妙な語りにおいて脇道に逸れることは一切なしに、事実だけを朴訥と語り続ける。だからこそ事態が急速に進んでいくことに、観客は唖然とするだろう。淀みなく嘱託殺人にまで話が行く頃には、私たちの脳髄はこの静かなる激流に芯まで巻き込まれていることだろう。

そして撮影監督であるBaris Aygenが映し出す画面も異様なものだ。私たちが観るのは登場人物が一切存在しない虚無的な空間のみである。誰もいないバルコニー、誰もいないバー、誰もいない玄関。ただ冷ややかで即物的な空間だけがそこには存在している。この奇妙な空白が激流の語りと合わさることで、唯一無二の世界が立ち現れることとなる。こうして物語は不気味な硬質さに支配されたままに、残酷なまでの淡々さで終着点へと至るのだ。

と、私たちはまた新たな物語が始まることに気づくだろう。1人の青年がバーで静かに過ごしている。だがある女性を見つけた時、帰ろうとする彼女を追っていくことになる。川辺に座る女性に話しかけ、青年は自分の名前を語る、オムールと。そう、私たちは物語がまた初めから幕を開けたことに気がつくだろう。

今回は一転して、監督はオムールとペリンが交流を深めていく様を劇映画として丁寧に描き出していく。彼らの視線の移ろい、他愛ない会話の数々、月明かりに照らされた道の輝き、群青色に染まった闇。そういったものに抱かれながら、若い2人が少しずつ距離を深めていく様が本当に丁寧に描かれていくのである。

私たちは驚くしかないだろう。先ほどまであれほどの異様な語りの速度を誇っていた今作が、まるで芋虫の這いずりのような遅さに侵食されてしまったことに。この遅さはある意味で、あまりにも冗長で永遠のように引き延ばされた感覚のようにも思えてくる。少なくとも前半の無駄を一切省いた速さは全く存在していない。

だが監督の演出の丹念たる様を目の当たりにしているうち、この遅さは意図的なものであるのではないかと思われてくる。だがしかしそれを指向した意味は一体何であるのか。2人の若者の瑞々しいロマンスを観ながら、私たちは沈思黙考を余儀なくされるのである。

その遅さに見えてくるのは語り手が抱える過去への哀惜だ。時は遠くに過ぎ去りながらも、ペリンという謎の女へ、あの親密な夜への郷愁を彼は捨てることができないのだ。前半のドキュメンタリーという形式では冷酷に切り捨てられる情感を、後半のメロドラマティックな遅さは湛えているのである。これがいかに深いものであるかは前半が存在しなければ、認知しえなかっただろう。この特異な構成が作品に稀に見る情感を宿していくのである。

"Aidiyat"はその挑戦的で実験的な構成により、1つの残酷な夜に引き裂かれた1人の男の心を饒舌に示唆する。この大胆不敵な挑戦によって、Burak Çevik監督は映画界の最前線へと躍り出たと言っても過言ではないだろう。

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その397 Florenc Papas&"Derë e hapur"/アルバニア、姉妹の絆と家父長制

Florenc Papas&"Derë e hapur"/アルバニア、姉妹の絆と家父長制

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東欧映画は伝統的に女性が主体である語りの作品が少ない。そもそもの話、共産主義に支配されていた東側諸国では映画という芸術体系は抑圧を余儀なくされたが、その中ではマイノリティである女性にスポットライトが当てられることも少なかった。そして共産主義崩壊後は新たな資本主義的家父長制の到来により、女性主体の作品の増加は微々たるものだった。今回紹介するのは、そんな中で姉妹という関係性に焦点を当てた珍しい、Florenc Papas監督作であるアルバニア映画"Derë e hapur"だ。

今作の主人公はルディナ(Luli Bitri)という中年女性だ。彼の夫は今現在ギリシャへ出稼ぎ中であり、息子のオリオン(Maxwell Guzja)とともに義理の両親を介護しながら日々を過ごしている。昼は縫製工場での仕事、夜は介護と心が休まらない日が続くのだが、ある時妹であるエルマ(Jonida Vokshi)が故郷に帰ってきて、彼女の人生は大きく揺れ動くこととなる。

エルマはイタリアに移住していたのであるが、彼女はそこで犯罪者の恋人と一緒になり、妊娠することになる。だが恋人が刑務所に収監されてしまったことにより、故郷へ帰ることを余儀なくされてしまったのだ。しかしアルバニア婚外子はタブーである。その状態でルディナはエルマを父の元へ送らなければならない。不安を抱えながら、彼女たちは故郷の村へ向けて出発する。

監督はまず姉妹の関係性に注目する。タブーを犯した妹に対して、ルディナは終始イラつきながら眉間に皺を浮かべる。そんな姉に対して、エルマも負けじと反抗的な態度を取り、車中の雰囲気はどんどん悪いものになっていく。監督はその姉妹間の剣呑な空気感というものを丹念に切り取っていくのである。

Sevdije Kastratiによる撮影は現実指向のものであり、頗る荒涼たる雰囲気が常に広がっている。そして彼の視線は明晰な物であり、カメラと被写体の距離は近くとも、精神的な距離は保たれ、観察的な筆致が持続している。それによって私たちは姉妹たちが吸っては吐く空気を、実際に呼吸するような感覚をも味わうことになるだろう。

撮影の荒涼たる有様とは裏腹に、彼女たちを包みこむアルバニアの自然たちは豊かで悠々たるものだ。ルディナたちは山間の道を進んでいくのであるが、新緑の木々や鮮やかな青の空は、観客の心に爽やかな風を運んでくれる。そう大袈裟なものである訳ではないが、監督らが眼差すアルバニアの自然には素朴なる美が宿っているのである。

故郷の村が近づくにつれて、ルディナたちの不安は膨れあがっていくが、そこである考えを思いつくことになる。誰か知人の男性をエルマの夫に仕立てあげ、その状態で父親に会おうというのだ。彼女たちは知人たちに会って、提案を飲んでもらおうとするのだが……

そして姉妹は父親と再会することになる訳だが、彼の強権的な態度は最初から明らかだ。夫の言い分は絶対であり、娘たちの言葉には聞く価値がないように振る舞う。食事の用意に関しても気遣いは一切見せずに、全てを娘たちに丸投げする。この大いなる脅威の存在はとても致命的なものであり、監督はこれこそがアルバニアの家父長制を象徴するものなのであると語っていることが私たちにも分かるだろう。ルディナとエルマが対峙しなければならないのは、こういった脅威なのである。

"Derë e hapur"はこうしてアルバニアの家父長制に直面する姉妹の静かな対峙を描くことになる。ここには絶望しかないのだろうか。いや、違うだろう。ルディナとエルマという姉妹の間に存在する確かな絆が、希望となってくれることを監督は指し示している。これこそが小さくとも力強い希望であるのだと。

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その376 Dag Johan Haugerud&"Barn"/ノルウェーの今、優しさと罪
その377 Tomas Vengris&"Motherland"/母なる土地、リトアニア
その378 Dechen Roder&"Honeygiver among the Dogs"/ブータン、運命の女を追って
その379 Tashi Gyeltshen&"The Red Phallus"/ブータン、屹立する男性性
その380 Mohamed El Badaoui&"Lalla Aïcha"/モロッコ、母なる愛も枯れ果てる地で
その381 Fabio Meira&"As duas Irenes"/イレーニ、イレーニ、イレーニ
その382 2020年代、期待の新鋭映画監督100!
その383 Alexander Zolotukhin&"A Russian Youth"/あの戦争は今も続いている
その384 Jure Pavlović&"Mater"/クロアチア、母なる大地への帰還
その385 Marko Đorđević&"Moj jutarnji smeh"/理解されえぬ心の彷徨
その386 Matjaž Ivanišin&"Oroslan"/生きることへの小さな祝福
その387 Maria Clara Escobar&"Desterro"/ブラジル、彼女の黙示録
その388 Eduardo Morotó&"A Morte Habita à Noite"/ブコウスキーの魂、ブラジルへ
その389 Sebastián Lojo&"Los fantasmas"/グアテマラ、この弱肉強食の世界
その390 Juan Mónaco Cagni&"Ofrenda"/映画こそが人生を祝福する
その391 Arun Karthick&"Nasir"/インド、この地に広がる脅威
その392 Davit Pirtskhalava&"Sashleli"/ジョージア、現実を映す詩情
その393 Salomón Pérez&"En medio del laberinto"/ペルー、スケボー少年たちの青春
その394 Iris Elezi&"Bota"/アルバニア、世界の果てのカフェで
その395 Camilo Restrepo&"Los conductos"/コロンビア、その悍ましき黙示録
その396 José Luis Valle&"Uzi"/メキシコ、黄金時代はどこへ?
その397 Florenc Papas&"Derë e hapur"/アルバニア、姉妹の絆と家父長制

José Luis Valle&"Uzi"/メキシコ、黄金時代はどこへ?

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うらぶれたスパに置かれたラジオ、そこからニュースが聞こえてくる。過去のメキシコには栄光が広がっていた。しかし今ではどうだろう。記録的な暴力と殺人によって、この国は悍ましい状況へと陥ってしまった。あの黄金時代は一体どこへ行ってしまったのだろう……この問いこそがメキシコの新鋭Jose Luis Valleの第4長編"Uzi"に通底する問いなのである。

今作の主人公はウシ(Manuel Sorto)という名前の老いた男だ。彼は郊外でひっそりとスパを経営しているのだが、状況はあまり芳しくない。常連客を除けば、客は皆無に等しく、もう既に倒産寸前だった。しかしウシは特に対策をするといった風もなく、緩やかな自殺でもするように日々を過ごしている。

まず監督はウシがめぐる些細な日常の数々を丹念に描き出していく。彼はスーパーマーケットと個人商店の両方を行き交い、生活用品を買っていく。さらに荷物を持って、街中をゆっくりと歩き続ける。帰ってきてからはうらぶれたスパを掃除するなどしている。そして最後には、テレビの通販番組を見ながら眠りにつくのである。

この日常の中には、メキシコという国の逼迫した現在が浮き彫りになっていく。ウシが目の当たりにする建物の数々は惨めに朽ち果て、大きなひび割れや極彩色のグラフィティが白日の下に晒されている。猥雑なエネルギーも存在しながら、それらはいつか消え去ることを運命づけられているようだ。朽ちて穢れ果てる過渡にあるようなその様子は、観る者の心に悲哀を齎していく。

特にスパの荒廃具合は異様な悲哀に満ち溢れている。壁は腐り落ち、空気には腐臭が充満している。もはや修復するのは不可能であると悟ったのか、ウシは天井から垂れ下がる鬱蒼たる緑をただただ呆然と見つめることしかしない。そしてそんな光景に、冒頭で紹介したラジオのニュースが重なるのである。この崩壊目前の荒廃はメキシコの現在を象徴しているのだろうか?

そんな中で現れるのがゴルド(Mauricio Pimentel)という男性である。彼はスパの常連客であり、ウシの旧知の友人でもあるのだが、それ以上に昔の仕事相手でもあった。ゴルドはウシに対して、仕事に戻るようにと懇願してくる。ウシは昔、凄腕の殺し屋でもあったのだ。しかし何らかの理由で隠居生活を送っていたウシは、直面する貧困のせいで、再びその仕事と向き合わざるを得なくなる。だが彼は殺す手前になって、その仕事を放棄してしまう。

この選択にはある出来事が関わっている。ウシはある時、市場で小さな蟹をもらい受けることになる。本当は食材として殺してしまうはずだったのだが、ウシは心変わりをして蟹をペットとして育て始めることになる。しかも殺しのターゲットであるネルソンの名前を彼に授けることになる。

ネルソンをめぐって、ウシと友人であるグマロ(Diego Jauregui)がこんな対話を繰り広げる。昔は鶏といった家畜を自分たちの手で殺して、その肉を食べていた。子供たちはそうやって死に触れていたのである。今はカルテルなどの虐殺やそれを報じる新聞などによって子供たちは死に触れる訳であり、この状況では過去は郷愁深く映る。だが果たして本当にそうなのだろうか。

ウシという男は生と死に激しく引き裂かれている存在である。彼は生きながらにして亡霊のようにしか在ることができず、常に死に憑りつかれている。何故なら彼の過去は血に染まっているからだ。ウシはそれから逃げることができない、というよりもう逃げることを諦めてしまったかのようにすら見える。

しかし監督はウシの人生のその先を見据えていく。彼は蟹のネルソンを大切に育て続け、初めて優しさを見せるようになる。そしてこの優しさは同じ名前を持つ殺しのターゲット・ネルソンとの友人関係、そして行きつけの個人商店の主人ソル(Regina Flores Ribot)との恋人関係に繋がっていく。そうして彼が生を手繰り寄せようとしていく姿は、静謐に満ちながらも感動的なものだ。

"Uzi"は過去への郷愁と目前に広がる現在、血にまみれた死と輝ける生の間で引き裂かれた男の姿にメキシコの行く末を託した作品だ。私たちはメキシコの闇の深さに絶望することともなるだろう。それでもその先に希望があると、私は信じたい。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その371 Antoneta Kastrati&"Zana"/コソボ、彼女に刻まれた傷痕
その372 Tamar Shavgulidze&"Comets"/この大地で、私たちは再び愛しあう
その373 Gregor Božič&"Zgodbe iz kostanjevih gozdov"/スロヴェニア、黄昏色の郷愁
その374 Nils-Erik Ekblom&"Pihalla"/フィンランド、愛のこの瑞々しさ
その375 Atiq Rahimi&"Our Lady of Nile"/ルワンダ、昨日の優しさにはもう戻れない
その376 Dag Johan Haugerud&"Barn"/ノルウェーの今、優しさと罪
その377 Tomas Vengris&"Motherland"/母なる土地、リトアニア
その378 Dechen Roder&"Honeygiver among the Dogs"/ブータン、運命の女を追って
その379 Tashi Gyeltshen&"The Red Phallus"/ブータン、屹立する男性性
その380 Mohamed El Badaoui&"Lalla Aïcha"/モロッコ、母なる愛も枯れ果てる地で
その381 Fabio Meira&"As duas Irenes"/イレーニ、イレーニ、イレーニ
その382 2020年代、期待の新鋭映画監督100!
その383 Alexander Zolotukhin&"A Russian Youth"/あの戦争は今も続いている
その384 Jure Pavlović&"Mater"/クロアチア、母なる大地への帰還
その385 Marko Đorđević&"Moj jutarnji smeh"/理解されえぬ心の彷徨
その386 Matjaž Ivanišin&"Oroslan"/生きることへの小さな祝福
その387 Maria Clara Escobar&"Desterro"/ブラジル、彼女の黙示録
その388 Eduardo Morotó&"A Morte Habita à Noite"/ブコウスキーの魂、ブラジルへ
その389 Sebastián Lojo&"Los fantasmas"/グアテマラ、この弱肉強食の世界
その390 Juan Mónaco Cagni&"Ofrenda"/映画こそが人生を祝福する
その391 Arun Karthick&"Nasir"/インド、この地に広がる脅威
その392 Davit Pirtskhalava&"Sashleli"/ジョージア、現実を映す詩情
その393 Salomón Pérez&"En medio del laberinto"/ペルー、スケボー少年たちの青春
その394 Iris Elezi&"Bota"/アルバニア、世界の果てのカフェで
その395 Camilo Restrepo&"Los conductos"/コロンビア、その悍ましき黙示録
その396 José Luis Valle&"Uzi"/メキシコ、黄金時代はどこへ?

Camilo Restrepo&"Los conductos"/コロンビア、その悍ましき黙示録

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さて、コロンビア映画界において私が注目してきた映画作家が2人いる。まずはLaura Huertas Millánだ。彼女はフランスを拠点としながらも、コロンビアに広がる現在や過去を見据える作品を多く作ってきた。そしてもう1人がCamilo Restrepoだ。彼はコロンビアとカリブ地域を中心に、異様なまでに幻惑的な実験的作品を作り続けてきた。彼ら2人に共通するのは、活動歴は長いながらも短編だけを製作してきたことだ。このコロンビアの新鋭2大巨頭であるが、先に長編制作に打って出たのはRestrepoであった。今回紹介するのは、先ごろのベルリン国際映画祭で上映されたばかりのRestrepoの長編デビュー作"El conducator"である。

今作の主人公は謎の男ピンキー(Fernando Úsaga Higuíta)である。彼は昼間はTシャツ工場で黙々と働き続ける労働者だ。しかし夜になると、彼は活動を開始する。闇に包まれた街中を暗躍し、何か危険な計画を進める。その先にあるものは圧倒的な破壊なのか、それとも……

まずこの映画で印象的なものは、ここに広がる夜の風景である。男はこの濃厚なる闇に紛れて、様々な活動を行う。バイクに跨り夜の街を駆け抜け電気の供給を止めるために発電所に潜入し、時には銃を以ての殺人行為にまで及ぶ。そういった過激な行為の数々が、監督自身による光の点滅を彷彿とさせる激しい編集で紡がれていく様は異様でおり、剣戟さながら観客の心臓を切りつけてくる。

そしてGuillaume Mazloumによる撮影も特徴的だ。彼はフィルムを用い、メデジンの闇を撮影することで、そこに奇妙な効果が生まれる。描かれる光景は危険で不気味なものでありながら、そこには催眠的な魔術すらも宿るのである。その魔術は影と光のコントラストが濃厚であり、引力さながら眼球を惹きこんでいく。これが先述した激烈な編集と交わりあうことで、凄絶な効果が生まれることになる。

だが逆に昼間の世界は頗る緩慢なものだ。男はただただ淡々と他の労働者とともにTシャツ工場で働き続けるのだが、監督はその光景を静かに眺める。Tシャツにロゴをつける。カーテンを鮮やかな色彩で染める。昼休みには休憩を取る。そういった光景の数々が、些かの虚飾もなくありのままに提示していく。

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過去のRestrepo作品において際立っていたのはその民族誌学的なアプローチである。例えば"La impresión de una guerra"ではコロンビア内戦を、"Cliaos""La bouche"ではカリブ地域に広がる極彩色の文化を、Restrepoは透徹なる視線で以て観察し続け、映画を製作してきた。

そしてこの視線は今作にも適用されている。今作において観察の対象となるのは資本主義である。Restrepoは社会の周縁に生きるピンキーという存在を通じて、コロンビアに広がる資本主義の現在を描き出そうとする。デパートで風船を配るピエロたち、テレビで放映されるニュースの数々、ピンキーが食べるファストフード。それらがフィルムという異化効果を経て、資本主義を奇妙に浮かび上がらせるのである。昼に現れる緩慢ながら尖鋭な観察の眼差し、夜に現れるコロンビアの闇を切り裂く緊迫感。この2つの巧みな交錯が今作の要という訳だ。

そもそもピンキーとは一体何者なのか。彼はTシャツ工場で働く労働者でありながら、怪しい活動を行う危険人物でもある。そんな中、劇中で紡がれる言葉はある組織の存在を語り、その頂上の君臨する"父"の存在を指揮する。彼の言葉に従い、ピンキーは動き続けているのか。それとも他に理由があるのか。私たちはそれを見極めるために、この映画を見据え続けなければならない。

そしてピンキーは夜のメデジンへと飛び出していく。誰にもいない空っぽの街並み、真珠のような無数の光が輝く都市の夜景、闇よりも濃厚な黒煙を噴き出す工場の煙突。そういった風景の中を掻き分け、ピンキーが進むうち、物語には異様なまでに不穏な緊張感が張り詰めることになる。私たちはテロリズム、大いなる破壊の予感をも感じ取るだろう。

今作の要は、髭面の謎めいた男ピンキーを演じたFernando Úsaga Higuítaの存在に他ならないだろう。彼の鬱蒼たる髭面の中には野性的な神秘が存在しており、都市に生きる人物というよりも洞窟に住む隠遁者か、ジャングルに潜む部族の住人に見えてくる。私たちは周縁に住まう彼の瞳からこの世界を眺め直すことで、資本主義やテロリズムの根本を問い直すことになることともなるのだ。

"Los conductos"はコロンビアが直面する悍ましき黙示録の光景を、幻惑的な形で描き出した唯一無二の作品だ。にも関わらず本作は2020年代におけるコロンビア映画界の輝ける躍進をも予告する、新人作家のデビュー作ともなっている。

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君はアゼルバイジャン映画史を知っているか?~Interview with Firuza Mammadova

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さて、日本の映画批評において不満なことはそれこそ塵の数ほど存在しているが、大きな不満の1つは批評界がいかにフランスに偏っているかである。蓮實御大を筆頭として、映画批評はフランスにしかないのかというほどに日本はフランス中心主義的であり、フランス語から翻訳された批評本やフランスで勉強した批評家の本には簡単に出会えるが、その他の国の批評については全く窺い知ることができない。よくてアメリカは英語だから知ることはできるが、それもまた英語中心主義的な陥穽におちいってしまう訳である(そのせいもあるだろうが、いわゆる日本未公開映画も、何とか日本で上映されることになった幸運な作品の数々はほぼフランス語か英語作品である)

この現状に"本当つまんねえ奴らだな、お前ら"と思うのだ。そして私は常に欲している。フランスや英語圏だけではない、例えばインドネシアブルガリア、アルゼンチンやエジプト、そういった周縁の国々に根づいた批評を紹介できる日本人はいないのか?と。そう言うと、こう言ってくる人もいるだろう。"じゃあお前がやれ"と。ということで今回の記事はその1つの達成である。

最近Youtubeを散策していたところ、すごいものに出会った。何とアゼルバイジャン映画を英語字幕つきで配信しているYoutubeアカウントというものが存在していたのである。最初は違法配信かと思ったが、調べてみるとアゼルバイジャンの外語大学の生徒や教師が行っているプロジェクトだということが分かった。そこで、一体どんな人が携わっているのだろうか?と興味が湧くのが私である。概要欄を手掛かりに字幕翻訳者を探したところ、いとも簡単にFacebookでその人に行き当たった。こうなればインタビューしなければ損である。ということで今回はアゼルバイジャン映画を英語に翻訳する字幕翻訳家Firuza Mammadova フィルザ・マンマドヴァに直撃、アゼルバイジャン映画史について尋ねてみた。Youtubeアカウントとこのインタビューを手掛かりに、アゼルバイジャン映画史の海に飛び込んでくれたら幸いである。ではどうぞ。

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済藤鉄腸(TS):まず、どうして字幕翻訳家になるほど映画が好きになったんですか? 映画に興味を持ち始めた頃、アゼルバイジャンではどのような映画を観ることができましたか?

フィルザ・マンマドヴァ(FM):映画が好きになったのにはいくつも理由があります。まず映画は楽しみながら何か新しいことを学ぶのにはベストでした。映画を観ている時、私たちは他者の人生を観察し、そこから何かを学び取るんです。問題から逃げ出したい時には、いつも新しい映画を観ていました。この大きな情熱によって私は字幕翻訳家になった訳です。映画への興味は何年も前から始まりました。まだ子供だった頃、TVで色々な映画がやっていたんです。アゼルバイジャンの映画、外国の映画、新しい映画、古い映画……

TS:最初に観たアゼルバイジャン映画はなんですか? どんな感想を持ちましたか?

FM:最初に観たのが何か正確には思い出せませんが、初めて感銘を受け、映画の中毒になったきっかけの作品は覚えています。"Şərikli çörək"(日々のパン)という作品で1969年というソビエト連邦時代に撮影された、第2次世界大戦についての作品でした。映画と劇中で披露される歌に魅了されてしまい、そこから観れるだけのアゼルバイジャン映画を観るようになりました。

TS:アゼルバイジャン映画の最も際立った特徴とはなんでしょう? 例えばフランス映画は愛の哲学、ルーマニア映画は徹底したリアリズムと黒いユーモアなどです。では、アゼルバイジャン映画にはどういったことが言えるでしょう?

FM:私はソビエト時代の作品により興味があるんですが、実例を挙げながら質問に答えましょう。アゼルバイジャン映画には様々なジャンルの作品がありますが、リアリズムは最も一般的なものです。最も際立った例の1つが、"Gün keçdi"(過ぎ去った日々)における最後の主人公のモノローグです。それから"Şərikli çörək""Bizim Cəbiş müəllim"(私たちのカビシュ先生)、"Ölsəm, bağışla"(死ぬのだから、赦して)などは戦争のリアルを反映しています。しかし"Babək""Nəsimi""Nizami"などからはロマン主義を感じることでしょう。"Babək"は19世紀のアゼルバイジャン史において、イスラム帝国と戦った英雄についての映画です。今作に現れる言葉はロマン主義の最も印象的な例です。"1日だけでも誰に従うことなく生きられるのなら、それは何千年もの間奴隷のように生きるよりも素晴らしいことだろう"

TS:アゼルバイジャン映画史において最も重要な映画はなんでしょう。その理由は?

FM:とても難しい質問ですが、私は"Nasimi"を挙げましょう。Imadaddin Nasimi イマダッディン・ナシミという偉大な詩人・思想家の悲劇的な人生を描いています。彼は中世という暗闇で太陽のように輝いていた人物であり、その著作は英語にも訳されています。Nasimiはフルーフィー派の教義を広めていた人物なんですが、この教義は神秘主義を基にしたイスラムスーフィズムの教義であり、14世紀後半から15世紀前半に西ペルシアやアナトリア地域に広められました。Nasimiは無知や帝国に、象徴的な剣――つまりは詩と思想で戦い、歴史上類を見ないほどの人気を獲得しました。NasimiとAmir Teymur アミル・テイムルとの戦いについての歴史的事実について知ったなら、感銘を受けないなどありえません。そして彼は悲劇的な死の直前にも信仰を捨てませんでした。彼の考えは、日本の映画好きにも魅力的に映ることでしょう。今作においてはアゼルバイジャン史と東方の哲学を反映した多くの事実が描かれています。特にRasim Balayev ラシム・バライェフの素晴らしい演技は強調するべきでしょう。

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TS:1作だけ最も好きなアゼルバイジャン映画を選ぶとするなら、何を選びますか? それは何故でしょう。何か個人的な思い出がありますか?

FM:ふむむ、もし1作だけ選ぶならRamiz Azizbayli ラミズ・アジズバイリ"Bəxt üzüyü"(幸運の輪)でしょうか。ジャンルはコメディで、アゼルバイジャン社会の問題が熟練の技量で描かれているんです。今作には社会経済的な状況を映し出した、無数の比喩的な表現が存在します。文化的な瞬間の数々を素晴らしいユーモアとともに描き出したのが、今作が成功した最も大きな理由でしょう。まだ今作の字幕翻訳に取り掛かっていないのは、他の言語では極端に表現の難しい、アゼルバイジャン文化のニュアンスがあるからなんです。しかしプロとしての自覚が芽生えるとともに、今作やその文化を世界に知ってもらうよう頑張れると思います。

TS:アゼルバイジャン国外において、世界のシネフィルに最も有名な映画作家Arif Babayev アリフ・ババイェフでしょう。彼の作品"Gün keçdi"はその複雑さと切なさにおいて最も有名なアゼルバイジャン映画であるでしょう。しかし、彼はアゼルバイジャンにおいてどのように評価されているのでしょう?

FM:アゼルバイジャン映画には長い歴史がありますが、後にまで影響が及んだ作家は少ししかいません。その数少ない1人がArif Babayevです。彼は抒情的でロマンティックな雰囲気をアゼルバイジャン映画界に持ちこみました。彼の作品"Uşaqlığın son gecəsi"(子供時代の最後の1日)や"Gün keçdi""Alma almaya bənzər"(リンゴはリンゴに見える)や"Arxadan vurulan zərbə"(背中への一撃)はアゼルバイジャン映画史における至宝です。

TS:一時期アゼルバイジャンソビエト連邦下にありましたが、1991年に独立を獲得しましたね。聞きたいのは、独立以前と以後において映画は変化したのかということです。もし変化したとしたら、どのように変わったのでしょうか?

FM:率直に言って、独立以前と以後では様々な違いがあります。ソビエト連邦が崩壊した後、アゼルバイジャン映画もまた落下を経験し、素晴らしい映画は減りました。それでも近年は若い才能がアゼルバイジャン映画を再生してくれています。

TS:あなたはアゼルバイジャン映画を英語に訳し、Youtubeにアップするという計画を行っていますね。そのおかげで、私もアゼルバイジャン映画史の傑作を観ることができました。どのようにしてこの計画は始まったのですか? 日本の私を含めて、世界から何か反響はありましたか?

FM:アゼルバイジャン映画の熱烈なファンとして、全世界にその作品を観て欲しかったんです。始めた時はたった17歳で経験もありませんでしたが、翻訳しようと決意したんです。この計画を始めた時、世界中からこんなにも大きな反響があるとはおもっていませんでした。この世界からの関心が私を刺激し、気力を与えてくれるんです。

TS:どのように翻訳するアゼルバイジャン映画を選んでいるんですか? 映画史における重要性、個人的な嗜好、もしくは他の要素ですか?

FM:正直に言うと、個人的な嗜好から選んでいます。翻訳しようとしている作品はとても多くて、今ある作品を翻訳しようと思ったのはこれが自分の国について伝えるにベストの作品と感じたからです。

TS:2010年代も数日前に終りを告げました。そこで聞きたいのは2010年代における最も重要なアゼルバイジャン映画です。例えばElmar Imanov エルダル・イマノフ"End of Season"Hilal Baydarov ヒラル・バイダロフ"Xurmalar Yetişən Vaxt"(ザクロが咲く時)etc...

FM:近年の作品で最も好きな作品をいくつか挙げましょう。Ilgar Najaf イルガル・ナジャフ"Nar Bağı"Ilgar Safat イルガル・サファト"İçəri şəhər"(内部の都市)です。"Nar Bağı"チェーホフ櫻の園にインスパイアされた作品で、ザクロの木々に囲まれた家族の慎ましい人生を描いています。"İçəri şəhər"は心理ドラマであり、ある若い少女が抱く、ナゴルノ・カラバフ戦争の帰還兵への愛を描いています。

TS:アゼルバイジャン映画の現状はどのようなものでしょう? 外側からだと良いものに見えます。新しい才能が有名な映画祭に多数現れているからです。例えばロッテルダムElmar Imanov、シネマ・デュ・リールのHilal Baydarovなどです。しかし内側からだと、現状はどのように見えるでしょう?

FM:独立後、アゼルバイジャン映画への関心は小さくなっていきましたが、現代の映画作家たちによって再生期を迎えています。あなたが挙げた2人以外にも、例えばJavid Imamverdiyev ジャヴィド・イマムヴェルディエフIlgar NajafZamin Mammadov ザミン・マンマドフIlgar SafatMirbala Salimliミルバラ・サリムリAsif Rustamov アシフ・ルスタモフElchin Musaoghlu エルチン・ムサオグルShamil Aliyev シャミル・アリイェフなど現在のアゼルバイジャン映画において語るべき作家たちはたくさんいます。最近は70もの短編や長編が国際的な映画祭で賞を獲得していると言えるのは、私としてもとても嬉しいことです。

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Iris Elezi&"Bota"/アルバニア、世界の果てのカフェで

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さて、前回アルバニア映画史を概覧する記事をこの映画誌にアップした。その執筆者であるThomas Logoreciは映画評論家であると同時に、映画作家でもある。アメリカで撮影や編集など様々な経歴を経た後、妻であるIris Eleziとともにアルバニアで監督としてデビューしたのである。2014年に作られたその作品"Bota"は胸締めつけるような暖かさを持った作品だった。

今作の主人公ユーリ(Flonja Kodheli)は祖母であるノエ(Tinka Kurti)と肩を寄せ合いながら、暮らしている。そして彼女は沼地の隣にあるカフェ"Bota"のオーナーでもあり、ここで美味しいコーヒーを淹れながら、お客様を待ち続けている。そして今日も時は経ち、日は暮れていく。

まず今作はユーリの過ごす日常を丹念に描き出していく。ノエは認知症を患っており、ユーリを自身の娘であるアルバだと勘違いしている。そんな彼女をユーリは毎日甲斐甲斐しく世話するのだ。それがひと段落した後は、バイクに乗ってカフェへと向かう。カフェではやってくるお客様と一緒に静かに言葉を紡いでいく。

そして今作は群像劇としての面も持っている。カフェの従業員であるノラ(Fioralba Kryemadhi)はベニ(Artur Gorishti)という中年男性と不倫しており、この関係から抜けられずにいる。ミリ(Alban Ukaj)という青年はイタリア人の上司とともに高速道路建設の仕事をしており、ある日偶然出会ったユーリに恋に落ちることになる。

監督たちが登場人物を見据える様はとても静かながら、暖かみに満ち溢れている。彼らは余計な思考を付け加えることなく、ただ目の前に広がる風景をありのままに見つめているのだ。だからこそ登場人物たちの虚飾なき日常とそこに宿る感情が、柔らかな形で露になっていく。

今作は舞台となる場所も印象的である。アルバニアの田舎町は緑が少ない代わりに、砂色の荒野がどこまでも広がっている。その果てしなさの中にユーリたちが住んでいる団地や打ち捨てられた廃墟がポツンと佇んでいる。そのうら寂しさは心を掻きむしる類のものであり、孤独がそのまま世界として顕現したかのようだ。

そしてその荒野の中にカフェもまた寂しく建っている。だが晴れやかな光の中に佇んでいる時も、暗闇の中で明かりを灯しながら佇んでいる時も、等しく親密な雰囲気を湛えている。さらに内装も微笑ましいものだ。薄い緑の壁に、ユーリお手製の慎ましやかな小物が飾られており、それを見ながらコーヒーを飲めたなら、何と幸せだろうと思わされる。

このカフェでこそ様々な関係性が紡がれる訳である。ノラとベニのグダグダな関係性、ユーリとミリのぎこちない関係性。だが最も印象的なのはユーリとノラの女性同士の親密な関係性である。彼女たちの絆は密接でありながら軽やかであり、そこからは豊かな感情が静かに止め処なく溢れてくる。アルバニア映画における女性2人というと、ナチスと戦い抜いたパルチザン女性2人の絆を描いた"Ngadhnjim mbi vdekjen"を想起させるが、それほど濃密なものだ。

そしてこの関係性の数々が交錯する中で、ここではないどこかへの郷愁が生まれる。それはまるで太陽の光のように暖かで、心地よいものだ。私たちはこの美しい世界へと優しく誘われることになるだろう。それでも今作はそこで終わることがない。私たちはアルバニアの忌まわしき過去が、ゆっくりと首をもたげる様を、そして全てを呑みこんでいく様を目撃するだろう。そこに現れる切なさはあまりにも苦い。"Bota"は暖かな郷愁と苦い切なさが交わりあう、とても美しい一作だ。私たちは今作からアルバニア映画の新風が吹いてきていることに、観終わった後気づくだろう。

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