鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

モンテネグロ映画史の、この美しさ~Interview with Maja Bogojević

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さて、日本の映画批評において不満なことはそれこそ塵の数ほど存在しているが、大きな不満の1つは批評界がいかにフランスに偏っているかである。蓮實御大を筆頭として、映画批評はフランスにしかないのかというほどに日本はフランス中心主義的であり、フランス語から翻訳された批評本やフランスで勉強した批評家の本には簡単に出会えるが、その他の国の批評については全く窺い知ることができない。よくてアメリカは英語だから知ることはできるが、それもまた英語中心主義的な陥穽におちいってしまう訳である(そのせいもあるだろうが、いわゆる日本未公開映画も、何とか日本で上映されることになった幸運な作品の数々はほぼフランス語か英語作品である)

この現状に"本当つまんねえ奴らだな、お前ら"と思うのだ。そして私は常に欲している。フランスや英語圏だけではない、例えばインドネシアブルガリア、アルゼンチンやエジプト、そういった周縁の国々に根づいた批評を紹介できる日本人はいないのか?と。そう言うと、こう言ってくる人もいるだろう。"じゃあお前がやれ"と。ということで今回の記事はその1つの達成である。

今回インタビューしたのは旧ユーゴ圏の小国モンテネグロを拠点に活動する映画批評家Maja Bogojević マヤ・ボゴイェヴィチである。彼女は批評家として活躍するとともに、大学で映画理論についての教鞭を取り、更にはモンテネグロ初の映画雑誌Camera Lucidaの編集者としても活動するなどしている。実は私も今回知り合ったことが縁で、Camera Lucidaに大林宣彦の追悼記事を寄稿したりと、とてもいい経験をさせてもらった。モンテネグロの映画雑誌に寄稿した日本人評論家なんて私だけじゃないだろうか。という訳で今回はモンテネグロ映画史、この国で最も偉大な映画作家Živko Nikolić ジヴコ・ニコリッチ、期待の新鋭作家たちなどについて聞いてみた。モンテネグロ映画史に関する情報は貴重だと思うので、ぜひインタビューを読んでほしい。それではどうぞ。

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済藤鉄腸(TS):まずどうして映画批評家になりたいと思いましたか? それをどのように成し遂げましたか?

マヤ・ボゴイェヴィチ(MB):映画批評家になるというのは全くプロとしての計画ではありませんでした。思うに生きるには何かへの愛や情熱が必要ですが、ユーゴスラビア(昔も今も、最も尊敬される国の1つです)で過ごした10代の頃は芸術に埋没していました。TVでは素晴らしい映画が放映され、古典映画も上映され、さらにはユーゴの著名な批評家たちが映画を紹介してくれたりしました。これが当時、私だけでなく文化に興味のあるユーゴスラビア人にとっての映画教育だった訳です。実際誰もが文化に興味があり、暗黙の了解として映画は欠かせない公共の文化でした。なぜならその頃、社会的・経済的格差というものは存在せず、人々には文化や芸術を楽しむたっぷりの時間があったんです。こんにちでは、猛烈なリベラル資本主義が幅を利かせていますが。"Kino Kultura"という映画館(当時はCapital Titogradと呼ばれていました)はチケット代がとても安く(ユーゴスラビアの全ての文化施設においてチケット代は非営利的なものでした)年齢による制限もなかったんです(幸か不幸か、保護者の監督も必要なかったんです)なので学校の前や後にマチネ上映(チケット代は今の値段だと1ユーロでした)に行って、上映後は延々と喋りつづけました。映画館にはカフェがあって、そこで皆が集まり映画やその他の芸術、政治について話し合ったものです。モンテネグロにはその頃カフェやレストラン、クラブが多くなかったので、映画館にいる時が最も興奮しました。

そして言語学を学ぶ者として(ベルギーのブリュッセルで英語とスペイン語を学んでいました)、自分が観た映画の短いレビューを執筆するようになりました。それが更に濃密なものとなったのは、初期のパイオニア的な映画批評家のほとんどは言語を学ぶ人々であったことを知った時です(口語や映像、文学や舞台、ビジュアル・アートなど)ロンドンで修士号を取ろうとしていた頃、ロシア・ソ連のフォーマリズムに親しむことになりました(それに携わるほとんどの人々が言語学者や文学・舞台批評家、構造主義の先駆者たちでした)それからアンドレ・バザンやフランスのヌーヴェルヴァーグ、イタリアのネオリアリズモ、ハリウッドの黄金時代について知りました。そうして映画史・映画理論が自分のなかで回りだしたんです。思うに映画は私にとって最初の、最も長きに渡る愛でした。映画を作りたいとはまだ思ったことはありませんが、それに携わる人々と関わるのは大きな楽しみです。私としては独りで書く時間が好きなので、映画批評家になったんだと思います。

TS:初めて観たモンテネグロ映画は何ですか? その感想はどのようなものでしたか?

MB:面白いのは、実際私にとって初めてのモンテネグロ映画が何かわからないからです。当時のユーゴスラビアでは1つの国営スタジオ、他の地域からやってきた監督や脚本家、ユーゴ中から集まった俳優など、今で言う"共同制作"がメインだったからです。それに私が観ていたのを思い出せるのはゴダール映画、フランソワ・トリュフォー突然炎のごとくアラン・レネヒロシマ・モナムールなどで、私に大きな影響を与えてくれました。それから黒澤明羅生門小津安二郎「一人息子」東京物語などなど、こういった作品が私を作ってくれたんです。しかし18歳の時、ブリュッセルŽivko Nikolić"Lepota poroka"を観ました。私の外交官である父がブリュッセルで100本のユーゴスラビア映画上映を計画し、その1本が本作だったんです。Cinéma Vendômeという映画館で開催されていたので、大学の友人たちを誘って観にいきました。スタッフもそこにいました。ですが映画への反応は苛烈なものでした。"どうして女性をあんなにも酷く描写できるの? モンテネグロでは女性はあんな風に扱われるの?(田舎の男が女性を惨たらしく殺害する場面を観て)"などです。ショックを受けて、どう答えていいかも分かりませんでした。それから何年も経ってからやっとŽivko Nikolićの天才性が分かることになります。

TS:モンテネグロ映画の最も際立った特徴とは何でしょう? フランス映画は愛の哲学、ルーマニア映画は徹底したリアリズムとドス黒いユーモアなどです。ではモンテネグロ映画の場合はどうでしょう?

MB:これに答えるのは難しいですね。なぜなら(ユーゴスラビア崩壊後の)モンテネグロ映画は未だ建設途中で、表現の道筋を探しています。忘れるべきではないのが、ユーゴスラビアが存在した頃、モンテネグロ映画作家たちはアンソロジー的な作品を作ってきましたが、私たち――少なくとも、私は――それをモンテネグロ映画とは見做していません(Veljko Bulajić ヴェイコ・ブライッチDušan Vukotić ドゥシャン・ヴコティッチ(彼は1961年"Surogat"という作品でアカデミー賞を獲得しました)Krsto Papić クルスト・パピッチBranko Baletić ブランコ・バレティチMiša Radivojević ミシャ・ラデイヴォイェヴィチRatko Đurović ラトコ・ジュロヴィッチŽivko Nikolićらです)内戦後のモンテネグロは、他の旧ユーゴ諸国と同じように、製作資金に苦労しました。実際、私たちはゼロから始める必要があったんです。映画の組合などは内戦や"移行期間"に破壊され、消え去りました。しかし今は新しい世代の若い映画作家たちがいて、映画祭でも活躍を収めています。彼らは信頼できる表現と声を探し求めつづけているんです。

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"Jovana Lukina"

TS:モンテネグロ映画史において最も重要な映画は何だと思いますか? そしてそれは何故でしょう?

MB:1つの作品に絞るのは難しいですが、1人の監督には絞りましょう。それはŽivko Nikolićです。彼の作品は全てが素晴らしいものです。他のユーゴスラビア映画には見られないものですが、彼の視点の独創性はそのジェンダー描写にあります。それは家父長制的構造からの直接的生産物として描かれるんです。それは社会的・経済的な権力の関係性だけでなく、そういった支配と従属の構造に対する批評でもあります。準備や距離感ある技術なしに、彼は家父長的構造を開示し、対峙するんです。作品群の悲劇てな結末に関する彼自身のコメントによると、歴史的苦悩は女性と男性両方に科せられるのであり、全てのジェンダーが家父長制の社会的被害者であると表現されるんです。

TS;1作だけ好きなモンテネグロ映画を選ぶとすると、それはどれになるでしょう? その理由は何ですか、個人的な思い出などがありますか?

MB:もし1本選ぶとするなら"Jovana Lukina"(1979, Živko Nikolić)です。インタビューによれば監督自身の最も好きな作品でもあります。あの素晴らしい俳優Merima Isaković メリマ・イサコヴィチによるトランス的な舞踏場面は忘れられません。彼女は悲劇的な交通事故によって俳優としての未来を断たれてしまいますが。今作の意味は映画的にもメタ的な意味でも多様です。今作は男性中心主義的な世界で自身のアイデンティティーを探し求める女性の姿を描いた、極めて実験的な映像詩です。その詩情は夢のような場面の繰り返しが基となった構築に裏打ちされています。幻想的なミザンセンの中で主人公の暗いシルエットには白い光が不吉に輝きます。そしてイメージと音の反復は映画の詩的ライトモチーフとしても機能するんです。一時的なプロットでは、今作はアダムとイヴの聖書神話の再構築であると言えます。それはヨヴァナ(Merima Isaković)とルカ(Boban Petrović ボバン・ペトロヴィチ)という主人公たちによって遂行されます。そして二次的なプロットにおいて、映像的・言語学的なコードが絡みあい、女性のアイデンティティーの探求という読解が明らかになるんです。

TS:モンテネグロ国外において、世界のシネフィルに最も有名なモンテネグロ人作家はŽivko Nikolićでしょう。彼の作品"Jovana lukina""U ime naroda"はとても力強く奇妙な傑作であり、モンテネグロの文化がいかに豊かかを教えてくれます。しかし実際モンテネグロではどのように評価されていますか?

MB:上の答えも参考にしてください。

彼は2001年に貧困のなかで亡くなりました。彼のコメディ番組"Djenka"はテレビで未だに延々と放映されつづけていますが、晩年彼は地方のスーパーマーケットで食品部門のマネージャーをしていたそうです。つまり彼は評価されず、モンテネグロ人からも文化的な組合からも忘れられてきた訳です。彼はモンテネグロひいてはユーゴスラビアにおいて最も議論を呼んだ監督であり、ジャーナリストからはあまり地方色が強すぎるし、モンテネグロ人にしか理解できないほど難解だと非難されました。そしてモンテネグロ人からは故郷に関する反愛国的な描写を非難されたんです。しかし彼の芸術的誠実さは時を経て、モンテネグロの"集団心理"を暴き再構築していきました。Mate Jelušić マテ・イェルシッチBožena Jelušić ボジェナ・イェルシッチによって、彼の作品に関する本"Iskusavanje filma"(2006)が執筆されましたし、私が設立した短命の映画祭MOFFEMでは彼の名が冠された賞が若い映画作家に贈られていました(

そして、コロナ禍におけるロックダウンのおかげか、そのせいか、モンテネグロシネマテークがRTCGというテレビの公共放送とともにモンテネグロ映画のプログラムを組み、そこではŽivko Nikolićに対するオマージュも捧げられています。そうして観客たちが再び彼の作品に親しみはじめたんです。

TS;私の好きなモンテネグロ映画の1つはBranislav Bastać ブラニスラフ・バスタッチ"Dječak je išao za suncem"です。今作は思春期の哀しみと喜びを深い郷愁や息を呑む美とともに描きだしています。しかし、今作と監督は今モンテネグロでどのように評価されているんでしょうか?

MB:Bastaćはモンテネグロで初めてのプロの映画監督と見做されており、彼の作品群、特にドキュメンタリー作品(50本以上の作品に数本の長編があります)は歴史的な現実に関する素晴らしい証言となっています。彼の作品はユーゴスラビア国外で様々な賞を獲得しています(彼の初のドキュメンタリー"Crne marame"は1958年フランスでジャン・ヴィゴ賞を獲得しました)彼は時代に先駆けて映画を作ってきましたが、依頼された作品に関しても、繊細にプロパガンダを避けながら、人々の物語を語ってきました。そして人々の人生、心理模様、伝統に関する親密な肖像画を記してきたんです。

あなたが“Dječak je išao za suncem"を気に入ってくれて嬉しいです! この作品は感動的で魅惑的な映像美であり、今にも普遍的に響く稀な信頼性があります。他の不当に無視された映画作家と同様に、Bastaćもモンテネグロシネマテークのおかげで、より一貫した形で再評価が始まっています。

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"Igla ispod praga"

TS:モンテネグロの映画批評の現状はどういったものでしょう? 外側からだと、その批評に触れる機会がありません。しかし内側からだと、現状はどのように見えているのでしょう?

MB:先にも短く記した多くの異なる理由で、モンテネグロの映画批評は映画製作と同じく膠着状態に陥っています。つまり世界の映画について書くばかりで、モンテネグロ産の映画について書くことがあまりない状態にあります。そして忘れてはならないのが、モンテネグロでも世界中でも、特にこんにちにおいては映画批評だけで生計を立てられるのは稀であることです。私たちは(そもそも小国であるモンテネグロには映画批評家は数えるほどしかいませんが)他の職業や文化的な活動に就くことで、生計を立てています。例えば私の場合は20年間、大学教授(映画理論を教えていました)として勤務し、今ではフリーランスの翻訳家として生計を立てています。それから普通もしくは頻繁に、映画のレビューや批評は文学者や詩人、文芸/舞台/ビジュアル・アーツの批評家によって、さらに社会学者や哲学者、ジャーナリストによって書かれています。なのでモンテネグロにおける"プロの"映画批評家については語りません。もう1つの問題は、他の分野の批評とは違い、Camera Lucidaが発刊されるまで、モンテネグロには映画誌が存在しなかったんです。だから努力している映画批評家たちは、大衆に向けた日刊紙以外で自身の作品を発表することができませんでした。

Aleksandar Bečanović アレクサンダル・ベチャノヴィチは脚本家・詩人でもあり、その作品は多くのヨーロッパの言語に翻訳されてきたんですが、彼はモンテネグロにおいて唯一の一貫した映画批評家・理論家であり、自身の批評を新聞に掲載してきました。それから映画作家の百科事典を含めた多くの作品の作家でもあります。

TS:あなたはCamera Lucidaという映画誌の創刊者・編集長だそうですね。日本の読者にこの雑誌について説明してくれませんか? モンテネグロの映画産業においてどういった機能を果たしているのでしょう?

MB:Camera Lucidaはモンテネグロの初めての映画誌であり、初めてのオンライン雑誌です。私や世界の映画批評家によって運営されており、"視覚芸術の政治"や映画の批評的読解に取りくみ、広範囲に渡る映画の話題や理論的な発達をカバーしています。多言語雑誌であ、デザイナーや編集者である私を含め、寄稿者たちはボランティアです。Camera Lucidaは映画の知識、映画機関、制作の境界線に挑戦し、支配的な理論、業界のコンセプトや信条を解体していき、多言語主義、多様性、多文化主義を促進していこうと試みています。

その題名が指している通り、ロラン・バルトに影響を受けていますが、Camera Lucidaの目的は映画の意味を突きつめることです。バルトの仮定への類推によって、止まらないイメージの時代において、情報は氾濫し、娯楽への欲望は留まるところを知りません。私たちは皆、ニュースやイメージへの瞬間の反応(そして快楽!)を経験するよう期待されているんです。Camera Lucidaはテキストの縫合を開き、明らかにし、解明し、映画作家が意図的、もしくは無意識的に明示し隠すものを白日の下に曝すのです。そしてRonald Bergan ロナルド・バーガン言うところの"映画を読解するための適切な道具"、"全ての批評家が知るべき"ものを批評家たちに与え、同時に映画批評の役割を問おうとしているんです。

TS;2010年代も数か月前に終わりました。そこで聞きたいのは2010年代に最も重要なモンテネグロ映画は何かということです。例えばIvan Marinović イヴァン・マリノヴィチ"Igla ispod praga"Ivan Salatić イヴァン・サラティチ"Ti imaš noć"Marija Perović マリヤ・ペロヴィチ"Grudi"などがあります。しかしあなたの意見はどのようなものでしょう?

モンテネグロ映画界において最も注目すべき新しい才能は誰でしょう? 例えば外側からだと、荒涼としながらも美しいリアリズムという意味でDušan Kasalica ドゥシャン・カサリツァと、深いヒューマニズムという意味でSenad Šahmanović セナド・シャフマノヴィチを挙げたいと思います。あなたのご意見は?

MB:この2問には同時に答えましょう。若い世代の映画作家にはDušan KasalicaNemanja Bečanović ネマニャ・ベチャノヴィチBranislav Milatović ブラニスラフ・ミラトヴィチ(彼らは皆映画学校での私の生徒です)、Ivan Marinović イヴァン・マリノヴィチSenad ŠahmanovićMarija Perović マリヤ・ペロヴィチJelena-Lela Milošević イェレナ=レラ・ミロシェヴィチNikola Vukčević ニコラ・ヴクチェヴィチAndro Martinović アンドロ・マルティノヴィチIvan SalatićIvan Bakrac イヴァン・バカラなどがいます。モンテネグロ映画は世界的に認められ、多くの作家が映画祭で賞を獲得し、新たな作品を製作しようという段階にあります。彼らの新作を観るのが待ちきれません。コロナ禍が彼らの作品にそこまで深刻に影響しないことを祈ります。

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"Ti imaš noć"

Ismet Sijarina&"Nëntor i ftohtë"/コソボに生きる、この苦難

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第2次世界大戦後にユーゴスラビアが成立した時、コソボ一帯はアルバニア人が多かったゆえに、セルビア自治州となった。それからアルバニア人たちは幾度となく独立運動を行い、2008年にはとうとう独立を獲得することになるが、そこまでには険しい道を歩まねばならなかった。

特に90年代はコソボにとって冬の時代だった。90年代前半には独立の機運が再び高まりながら、セルビアスロボダン・ミロシェビッチ大統領によって自治権が大きく制限される。そうしてコソボ解放軍の活動がきっかけで紛争へと大きく傾くのだが、今回紹介する作品は、その扮装前夜である1992年のコソボを描いた、Ismet Sijarina監督作"Nëntor i ftohtë"だ。

今作の主人公はプリシュティナに住むアルバニア人男性ファディル(Kushtrim Hoxha)だ。彼はセルビア人の元で建築士として働きながら、家族を支える日々を送っていた。だがセルビアコソボ自治権を大きく制限したことで、放送局など様々な施設が閉鎖され、仕事をするにも不利益を被る書類にサインを行わなければならなくなる。彼の周囲のアルバニア人たちはセルビア人たちに抵抗し、次々と仕事を辞めていくのだが、ファディルは家族のため仕事を続けることを決意する。

今作の演出は徹底したリアリズムである。90年代の寒々しく鬱屈した空気に満ちたコソボにおいて、ファディルが細々と日常を生きようとする様を淡々と描きだしていく。リビングで家族と団欒をする姿、ギターで清冽な音色を響かせる様、オフィスで孤独に仕事を続ける様。そういった些細な光景の数々が静かに綴られていくのだ。

仲間が次々辞めるなか、ファディルは家族のため仕事をするが、それはセルビア人に魂を売った、コソボにとっての裏切者になったことを意味する。彼は常にアルバニア人の群衆から卵を投げられ、時には暴力の餌食ともなる。子供たちも学校で"裏切者の子供"と虐めを受けることになり、ファディルは日に日に追いつめられていく。

コソボ映画界の規模はとても小さいものだ。周囲の東欧諸国は映画の年間製作本数が10, 20本というのは珍しくないが、コソボはそれ以下である。国自体が若く小さいこともあって、それは仕方がないことだが、その小ささゆえか、現代のコソボ映画は短くも濃密な歴史を登場人物の半径5mの視点から描きだすミニマルな作品が多い。

そして私がコソボ映画に触れる時、いつも驚かされるのは、そんな逆境のなかでも、いやだからこそか、鋭く深く人間を見据える稀有な観察眼が存在していることである。この先鋭な観察眼が徹底したリアリズムと組みあわさることによって、コソボ映画にしか作りだせない密な雰囲気が現れるのである。

その人間味を象徴する存在が、主人公のファディルを演じるKushtrim Hoxhaの存在感である。彼は全くもって、うだつのあがらない中年男性であるが、この作品においては常に名誉か家族を選ぶか社会に試されることになる。あまり内面については吐露することはなくとも、疲労感の濃厚な表情からは彼の名状しがたいまでに複雑な懊悩が滲みわたる。

"Nëntor i ftohtë"は90年代前半に広がっていたコソボの苦難の歴史を、1人の中年男性の視点から描きだした寒々しくも濃密な作品だ。この作品を通じて、私たちは知られざる小国の知られざる歴史を知ることともなるだろう。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その381 Fabio Meira&"As duas Irenes"/イレーニ、イレーニ、イレーニ
その382 2020年代、期待の新鋭映画監督100!
その383 Alexander Zolotukhin&"A Russian Youth"/あの戦争は今も続いている
その384 Jure Pavlović&"Mater"/クロアチア、母なる大地への帰還
その385 Marko Đorđević&"Moj jutarnji smeh"/理解されえぬ心の彷徨
その386 Matjaž Ivanišin&"Oroslan"/生きることへの小さな祝福
その387 Maria Clara Escobar&"Desterro"/ブラジル、彼女の黙示録
その388 Eduardo Morotó&"A Morte Habita à Noite"/ブコウスキーの魂、ブラジルへ
その389 Sebastián Lojo&"Los fantasmas"/グアテマラ、この弱肉強食の世界
その390 Juan Mónaco Cagni&"Ofrenda"/映画こそが人生を祝福する
その391 Arun Karthick&"Nasir"/インド、この地に広がる脅威
その392 Davit Pirtskhalava&"Sashleli"/ジョージア、現実を映す詩情
その393 Salomón Pérez&"En medio del laberinto"/ペルー、スケボー少年たちの青春
その394 Iris Elezi&"Bota"/アルバニア、世界の果てのカフェで
その395 Camilo Restrepo&"Los conductos"/コロンビア、その悍ましき黙示録
その396 José Luis Valle&"Uzi"/メキシコ、黄金時代はどこへ?
その397 Florenc Papas&"Derë e hapur"/アルバニア、姉妹の絆と家父長制
その398 Burak Çevik&"Aidiyet"/トルコ、過ぎ去りし夜に捧ぐ
その399 Radu Jude&"Tipografic majuscul"/ルーマニアに正義を、自由を!
その400 Radu Jude&"Iesirea trenurilor din gară"/ルーマニアより行く死の列車
その401 Jodie Mack&"The Grand Bizarre"/極彩色とともに旅をする
その402 Asli Özge&"Auf einmal"/悍ましき男性性の行く末
その403 Luciana Mazeto&"Irmã"/姉と妹、世界の果てで
その404 Savaş Cevi&"Kopfplatzen"/私の生が誰かを傷つける時

Andrei Cătălin Băleanu&"Muntele ascuns"/田舎の安らぎ、都市の愛

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山はルーマニア人にとって心の故郷である。私の友人である20代の女性も、小さな頃には裸足で山を駆けまわっていたそうである。悲しいがルーマニアは貧しい小国で、地方にはリソースが少ないので、ブカレストやクルジュ=ナポカなどの都市に移住する者が多いが、最後には心は山へと帰っていくのである。今回紹介するのはそんな思いが濃厚に反映された作品、Andrei Cătălin Băleanu監督のデビュー長編"Muntele ascuns"である。

今作の主人公はペトル(Horațiu Mălăele)という眼鏡の青年だ。彼は両親の離婚とそれによる不在によって傷つき、傷心の日々を送っていた。だがある日、彼は一念発起し、母が現在住んでいる山岳地帯のペトリマヌへと赴く。そして彼はここに位置する鉱山で働き、生計を立てることを決意したのだった。

最初、ペトルは優男ということで同じ鉱山の労働者たちから馬鹿にされてしまうのだが、持ち前の頑固さを以て彼らの信頼を少しずつ獲得していく。鉱山での生活は疲労困憊にさせられることばかりであったが、労働者たちに囲まれながら生活を続けることで、ペトルは家族の暖かみを知っていく。

都市生活で疲れた心が、自然に溢れた田舎での暮らしによって少しずつ癒されていく。そんな田舎幻想に裏打ちされた芸術作品は古今東西多く存在するが、最初"Muntele ascuns"は正にそんなジャンル映画の1作のように思われる。ここで描かれる田舎町は都市部に比べてもちろん不便ではありながら、自然が輝き、人々の繋がりもとても密なものだ。つまりは都市で生活している人々が忘れてしまったものが、そこには存在しているといった風である。

そして今作で特筆すべきなのは、70年代におけるルーマニアの鉱山生活が活写されていることである。鉱山での採掘作業はドス黒い闇のなかで行われる、すこぶる危険なものでありながら、炭鉱の人々はそれを苦にしてはいない。仕事が終われば賃金をもらい、仲間同士で酒を酌みかわすのである。古きよき関係性という奴である。Băleanuはペトルを中心に群像劇的な様式で鉱員たちの生活ぶりも描きだすことで、その雰囲気を豊かに浮かびあがらせる。

だが70年代が過ぎ去ると、こういった古きよき情景も徐々に姿を消しはじめる。特に共産主義政権崩壊後の90年代は不景気によって鉱山の閉山が連なり、鉱員たちの仕事が無くなっていく。そんな労働者たちは、政府によって反体制デモを潰す作業員として雇われるなどもはや古きよき情景など存在する余地もなくなるのだ。この危機的な状況は、後にLucian Pintilie ルチアン・ピンティリエ"Prea târziu"という作品で描くことになるが、それに関しては今作についてのブログ記事をどうぞ。

さらに、この"Muntele ascuns"もただ郷愁一辺倒に陥ることはなく、今後の未来を予感させるような世知辛い展開へと舵を切っていくことになる。鉱山における中間管理職の悲哀、凄惨な事故によって失われていく命、仕事の微妙さを反映して不安定なる夫婦の関係性などなど負の側面も丹念に描かれている。こうして全編に満ちるのは、全てがいつかは消え果ててしまうのではないかという曖昧な哀しみなのである。そしてそれは遠くない過去に結実してしまう。

"Muntele ascuns"は鉱山に広がる労働者たちの生活を通じて、失われゆくものへの哀愁を描きだした作品だ。ラストにはBăleanu監督が託した精いっぱいの希望が宿っている。が、今作後に起きた鉱山の閉山や労働者たちの搾取を考えると、色々な意味でより濃厚で物悲しい郷愁に襲われる類の映画でもあるのである。

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さて次に紹介するのはBăleanu監督の2作目であり、悲しいことに最終作でもある"E atât de aproape fericirea"である。"Muntele ascuns"を観た人は驚くかもしれないが、今作はブカレストというルーマニアで最も巨大な都市を背景とした愛の物語である。

今作の主人公はパウル(Albert Kitzl)という青年である。彼は労働者として工場で働きながら、将来は大学へ行き、勉学に励むことを夢見ていた。そんなある日、彼はクリスティーナ(Diana Lupescu)という同年代の女性に出会い、すぐさま恋に落ちる。そして急速に距離を深めて、恋人同士になるのだったが……

まず今作はパウルの日常の風景を豊かに綴っていく。今作での工場での勤務風景はとても溌溂としたものであり、ここには夢と友情がある!とばかりに明るい光景が描かれる。そこは共産主義政権のプロパガンダのようだが、観ながらなかなか心が躍らされるのもまた事実である。

そしてRadu Goldișの手掛ける音楽がなかなかに瀟洒で、刺激的なものだ。まず冒頭、ブカレストの街が切りとられていく中で、彼のファンク音楽が流れるのだが、それによってブカレストは当時パリやベルリンを越えて最もお洒落だった都市のように見えてくる。さらにその音楽が工場勤務中に流れると、工場はまるでディスコである。ここには希望がある!といった風に。

こうして本作は都市に生きることの楽しさを鮮やかに描いていくのである。前作"Muntele ascuns"は都市生活に疲れた主人公が、田舎の炭鉱での生活に癒されていく様を描きだしたが、今作は真逆である。むしろ都市部にこそ生の歓びはあると高らかに語るのである。

その後、物語はパウルとクリスティーナのロマンスに移行していくが、この様が何と甘いことか。崖に立つパウルと、安らかに流れる波の上に立つクリスティーナ、彼らは名前を呼びあい、急速に惹かれあう。このロマンティックな名前の交錯を皮切りに、彼らの距離は急速に近づいていくのだ。

しかしその愛には問題があった。パウルは労働者階級に属する人物であるが、クリスティーナの家庭は中産階級に属しており、つまりここには階級差が存在しているのだ。そんな中で彼らは結婚を決めるのだが、当然クリスティーナの両親はそれに猛烈に反対する。そして2人は駆け落ちを決意するのだった。

今作にはチャウシェスク政権がドン詰まりに陥る前の、自由の気風が溢れている。描かれる全てが瑞々しい感触を湛えているのだ。とはいえ描かれる内容は思い通りにならない愛の行く末についてだ。愛しても階級差という差がつきまとい、愛しても不満と不安とともにすれ違う日々が続く。こうして今作はブカレストという巨大都市を背景に、共産主義の時代の愛の構図を描きだしているのだ。

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ルーマニア映画界を旅する
その1 Corneliu Porumboiu & "A fost sau n-a fost?"/1989年12月22日、あなたは何をしていた?
その2 Radu Jude & "Aferim!"/ルーマニア、差別の歴史をめぐる旅
その3 Corneliu Porumboiu & "Când se lasă seara peste Bucureşti sau Metabolism"/監督と女優、虚構と真実
その4 Corneliu Porumboiu &"Comoara"/ルーマニア、お宝探して掘れよ掘れ掘れ
その5 Andrei Ujică&"Autobiografia lui Nicolae Ceausescu"/チャウシェスクとは一体何者だったのか?
その6 イリンカ・カルガレアヌ&「チャック・ノリスVS共産主義」/チャック・ノリスはルーマニアを救う!
その7 トゥドール・クリスチャン・ジュルギウ&「日本からの贈り物」/父と息子、ルーマニアと日本
その8 クリスティ・プイウ&"Marfa şi Banii"/ルーマニアの新たなる波、その起源
その9 クリスティ・プイウ&「ラザレスク氏の最期」/それは命の終りであり、世界の終りであり
その10 ラドゥー・ムンテアン&"Hîrtia va fi albastrã"/革命前夜、闇の中で踏み躙られる者たち
その11 ラドゥー・ムンテアン&"Boogie"/大人になれない、子供でもいられない
その12 ラドゥー・ムンテアン&「不倫期限」/クリスマスの後、繋がりの終り
その13 クリスティ・プイウ&"Aurora"/ある平凡な殺人者についての記録
その14 Radu Jude&"Toată lumea din familia noastră"/黙って俺に娘を渡しやがれ!
その15 Paul Negoescu&"O lună în Thailandă"/今の幸せと、ありえたかもしれない幸せと
その16 Paul Negoescu&"Două lozuri"/町が朽ち お金は無くなり 年も取り
その17 Lucian Pintilie&"Duminică la ora 6"/忌まわしき40年代、来たるべき60年代
その18 Mircea Daneliuc&"Croaziera"/若者たちよ、ドナウ川で輝け!
その19 Lucian Pintilie&"Reconstituirea"/アクション、何で俺を殴ったんだよぉ、アクション、何で俺を……
その20 Lucian Pintilie&"De ce trag clopotele, Mitică?"/死と生、対話と祝祭
その21 Lucian Pintilie&"Balanța"/ああ、狂騒と不条理のチャウシェスク時代よ
その22 Ion Popescu-Gopo&"S-a furat o bombă"/ルーマニアにも核の恐怖がやってきた!
その23 Lucian Pintilie&"O vară de neuitat"/あの美しかった夏、踏みにじられた夏
その24 Lucian Pintilie&"Prea târziu"/石炭に薄汚れ 黒く染まり 闇に墜ちる
その25 Lucian Pintilie&"Terminus paradis"/狂騒の愛がルーマニアを駆ける
その26 Lucian Pintilie&"Dupa-amiaza unui torţionar"/晴れ渡る午後、ある拷問者の告白
その27 Lucian Pintilie&"Niki Ardelean, colonel în rezelva"/ああ、懐かしき社会主義の栄光よ
その28 Sebastian Mihăilescu&"Apartament interbelic, în zona superbă, ultra-centrală"/ルーマニアと日本、奇妙な交わり
その29 ミルチャ・ダネリュク&"Cursa"/ルーマニア、炭坑街に降る雨よ
その30 ルクサンドラ・ゼニデ&「テキールの奇跡」/奇跡は這いずる泥の奥から
その31 ラドゥ・ジュデ&"Cea mai fericită fată din ume"/わたしは世界で一番幸せな少女
その32 Ana Lungu&"Autoportretul unei fete cuminţi"/あなたの大切な娘はどこへ行く?
その33 ラドゥ・ジュデ&"Inimi cicatrizate"/生と死の、飽くなき饗宴
その34 Livia Ungur&"Hotel Dallas"/ダラスとルーマニアの奇妙な愛憎
その35 アドリアン・シタル&"Pescuit sportiv"/倫理の網に絡め取られて
その36 ラドゥー・ムンテアン&"Un etaj mai jos"/罪を暴くか、保身に走るか
その37 Mircea Săucan&"Meandre"/ルーマニア、あらかじめ幻視された荒廃
その38 アドリアン・シタル&"Din dragoste cu cele mai bune intentii"/俺の親だって死ぬかもしれないんだ……
その39 アドリアン・シタル&"Domestic"/ルーマニア人と動物たちの奇妙な関係
その40 Mihaela Popescu&"Plimbare"/老いを見据えて歩き続けて
その41 Dan Pița&"Duhul aurului"/ルーマニア、生は葬られ死は結ばれる
その42 Bogdan Mirică&"Câini"/荒野に希望は潰え、悪が栄える
その43 Szőcs Petra&"Deva"/ルーマニアとハンガリーが交わる場所で
その44 Bogdan Theodor Olteanu&"Câteva conversaţii despre o fată foarte înaltă"/ルーマニア、私たちの愛について
その45 Adina Pintilie&"Touch Me Not"/親密さに触れるその時に
その46 Radu Jude&"Țara moartă"/ルーマニア、反ユダヤ主義の悍ましき系譜
その47 Gabi Virginia Șarga&"Să nu ucizi"/ルーマニア、医療腐敗のその奥へ
その48 Marius Olteanu&"Monștri"/ルーマニア、この国で生きるということ
その49 Ivana Mladenović&"Ivana cea groaznică"/サイテー女イヴァナがゆく!
その50 Radu Dragomir&"Mo"/父の幻想を追い求めて
その51 Mona Nicoară&"Distanța dintre mine și mine"/ルーマニア、孤高として生きる
その52 Radu Jude&"Îmi este indiferent dacă în istorie vom intra ca barbari"/私は歴史の上で野蛮人と見做されようが構わない!
その53 Radu Jude&"Tipografic majuscul"/ルーマニアに正義を、自由を!
その54 Radu Jude&"Iesirea trenurilor din gară"/ルーマニアより行く死の列車
その55 Șerban Creagă&"Căldura"/あの頃、ぼくたちは自由だったのか?
その56 Ada Pistiner&"Stop cadru la masă"/食卓まわりの愛の風景

Savaş Cevi&"Kopfplatzen"/私の生が誰かを傷つける時

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小児性愛は欧米においては絶対的なタブーであるだろう。それ故にこれを描きだした芸術作品というのはあまりに少ないし、これから新しい作品が作られることもほとんどないだろう。そんな中で、ドイツからこの社会的タブーを描きだそうとする映画が現れた。それがSavaş Ceviz監督による初の劇長編"Kopfplatzen"だ。

今作の主人公であるマルクス(Max Riemelt)は29歳の建築士であり、順風満帆な日々を送っている。だが彼には誰にも言うことのできない秘密があった。彼は子供に性的な欲望を抱く小児性愛者なのだ。マルクスはこの秘密をひた隠しにしながら、平凡な幸福を壊さないように生きつづける。

今作はそんなマルクスの日常を静かに見据える。仕事場などでは頼れる同僚としてみなに愛され、家族からも深い愛情を受けている。だが路上で少年を見かけると、心の底に隠した欲望が首をもたげ、時にはマスターベーションを行わなければ逃れられないほど、心を掻き乱されてしまう。そんな子供に性的に惹かれる自分をマルクスは呪いながら、彼らを求めることを止めることができない。

Cevizと撮影監督Anne Bolickの眼差しは徹底して観察的なものである。マルクスの一挙手一投足に凍てついた視線を投げかけつづけ、彼の行動が起こす小さな波紋を映しとっていく。ジムで鍛える、街を歩く、バスに乗る、家族と会う。そんな他愛ない日常の光景にも確かに濃厚な影が存在しているのだ。

そんな中でマルクスの住むマンションにジェシカ(Isabell Gerschke)というシングルマザーが引っ越してくる。彼女の荷物運びを手伝ったことで彼らは仲良くなり、急速に交流を深めていく。だがマルクスの視線が注がれる先はジェシカの息子である少年アルトゥル(Oskar Netzel)だった。

ここから本作はマルクスの欲望が絶望的な形で発露を遂げていく様を描きだす。彼はジェシカと距離を近づけていくたび、暖かな幸福の感触を知る。彼はこの幸福を大事にしようとしながら、アルトゥルへの欲望は加速度的に膨れあがっていく。彼の身体を性的に眼差し、闇のなかでマスターベーションを行う。その様には狂気にも似た悲痛な叫びが宿っている。

こうして壮絶な自己反省、欲望への敗北が繰り返される訳だが、この核となるのがマルクスを演じる俳優Max Riemeltの存在感だ。彼はあまり表情を露にすることはないが、すこぶる微妙な表情の移りかわりにマルクスの痛みが哀しいまでの豊かさで以て現れる。小児性愛者という難しい役柄を、Riemeltは丹念に魂をこめながら演じているのだ。

ところで、小児性愛とは病であるだろうか? 今作に出てくる医師はそれを否定する。小児性愛性的指向の1つであり、治すことのできる類の概念ではない。ケアをしながら一生付きあいつづける必要のあるものだ。そう医師はマルクスに説く。"治らない"という言葉に激昂するマルクスだが、医師は根気強くその意味を説く。本作の特筆すべき点は、こうした医療的な対話をも積みかさねていくことで、小児性愛の脱スティグマ化をも行っていることだ。

そして今作が最も私の心を震わせた点は、例えばルーマニアの反哲学者シオランが説くような"この世に生まれ落ちたことの絶望"を壮絶な形で描きだしていることだ。そしてこの絶望はマルクスの懊悩によって更なる深みへと至る。その絶望とは"私が生きることは誰かを傷つけることを運命づけられている"というものである。

私は小児性愛者ではないにしても、この絶望については常に考えてきた。例えば私が男性として生まれ生きるならば、それは女性やその他の性別にある人々を抑圧することに繋がる。例えば私が日本人として生まれ生きるならば、それは在日韓国人やその他の外国人らを抑圧することに繋がる。私たちは生まれながらにして、誰かを抑圧し差別することを運命づけられている。それを理解するべきだろう。

マルクスもまたそんな存在だ。小児性愛者として生まれた彼は、生きるだけで子供たちに欲望を向けることになり、例え実際に傷害行為を行わなかったとしても、彼らを傷つけることを運命づけられている。監督はこの小児性愛者特有の痛みを、監督は普遍的な苦しみにも重ねながら、凄まじい密度で以て描きだしているのである。

それでもマルクスはこの深い絶望を乗り越えて、生きようとする。その様は私の心を深く震わせるのである。今作の最後はいわゆるオープン・エンディングではあるが、私はマルクスが死ではなく、生きることでもって絶望の先に行くことを願っている。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その381 Fabio Meira&"As duas Irenes"/イレーニ、イレーニ、イレーニ
その382 2020年代、期待の新鋭映画監督100!
その383 Alexander Zolotukhin&"A Russian Youth"/あの戦争は今も続いている
その384 Jure Pavlović&"Mater"/クロアチア、母なる大地への帰還
その385 Marko Đorđević&"Moj jutarnji smeh"/理解されえぬ心の彷徨
その386 Matjaž Ivanišin&"Oroslan"/生きることへの小さな祝福
その387 Maria Clara Escobar&"Desterro"/ブラジル、彼女の黙示録
その388 Eduardo Morotó&"A Morte Habita à Noite"/ブコウスキーの魂、ブラジルへ
その389 Sebastián Lojo&"Los fantasmas"/グアテマラ、この弱肉強食の世界
その390 Juan Mónaco Cagni&"Ofrenda"/映画こそが人生を祝福する
その391 Arun Karthick&"Nasir"/インド、この地に広がる脅威
その392 Davit Pirtskhalava&"Sashleli"/ジョージア、現実を映す詩情
その393 Salomón Pérez&"En medio del laberinto"/ペルー、スケボー少年たちの青春
その394 Iris Elezi&"Bota"/アルバニア、世界の果てのカフェで
その395 Camilo Restrepo&"Los conductos"/コロンビア、その悍ましき黙示録
その396 José Luis Valle&"Uzi"/メキシコ、黄金時代はどこへ?
その397 Florenc Papas&"Derë e hapur"/アルバニア、姉妹の絆と家父長制
その398 Burak Çevik&"Aidiyet"/トルコ、過ぎ去りし夜に捧ぐ
その399 Radu Jude&"Tipografic majuscul"/ルーマニアに正義を、自由を!
その400 Radu Jude&"Iesirea trenurilor din gară"/ルーマニアより行く死の列車
その401 Jodie Mack&"The Grand Bizarre"/極彩色とともに旅をする
その402 Asli Özge&"Auf einmal"/悍ましき男性性の行く末
その403 Luciana Mazeto&"Irmã"/姉と妹、世界の果てで
その404 Savaş Cevi&"Kopfplatzen"/私の生が誰かを傷つける時

Ada Pistiner&"Stop cadru la masă"/食卓まわりの愛の風景

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ゼロ年代より以前、女性監督というものは極端に少なかった。だがその映画産業の規模に比べて、ルーマニアには割かし多くの女性監督がいた。外国人の私ですら4人も名前を挙げられる。子供映画の名手Elisabeta Boștan エリサベタ・ボシュタン、アントニオーニの後継者Malvina Urșianu マルヴィナ・ウルシアヌルーマニアの職人監督Cristiana Nicolae クリスティアナ・ニコラエ、そしてもう1人がたった1本の長編を残して映画界から姿を消したAda Pistiner アダ・ピスティネルである。今回はそんなPistiner唯一の長編映画"Stop cadru la masă"を紹介していこう。

今作の主人公は中年男性フィリップ(Aleksandr Kalyagin)である。彼は建築士として名を馳せ、娘のドリナ(Estera Neacsu)や妻のクララ(Dorina Lazăr)に囲まれて幸せな家族生活を送っていた。だがその裏側で彼は自分よりもずっと若い、デザイナーの女性ヌサ(Anda Călugăreanu)と不倫をしていた。彼は自分の素顔を隠しながら、そんな二重生活を送っていたのだ。

Pistiner監督はドキュメンタリー畑出身ゆえに、その演出はリアリズムを指向したものである。虚飾などは一切なしに、彼女は家庭生活の平凡さやブカレストに広がる日常を淡々と描きだしていく。その淡々さが静かに積みかさなっていくことで、80年代のルーマニアに広がっていた真実性が立ちあらわれてくるのである。

フィリップは秘密が妻にバレそうになるのも気にせず、二重生活を享受する。時には仕事の合間に、近くの砂浜へと赴き、寝転がりながらヌサと愛を語りあうのである。その果てに彼はとうとうヌサとの同棲を決め、クララたち家族を捨ててしまうのだった。そんな状況に追いこまれたクララは独りで娘のドリナを育てることを決意するのだが、その道は険しいものだった。

その意味でフィリップは第1の、クララは第2の主人公と言えるが、第3の主人公はブカレストという都市それ自体であるだろう。撮影監督のAnghel Deccaはこの魅力的な都市の光景を豊かに切りとっていく。人々がひしめく色とりどりの市場、古さと新しさが共存する瀟洒な通り、どこか心地よく弛緩した雰囲気の漂う砂浜。そういったものが印象的に切りとられているのである。

80年代はルーマニアにおいてはチャウシェスク政権の末期であり、貧困が国全体に蔓延していた。それを反映してか、映画自体もかなり規模が縮小していく(もしくは反体制的な作家は追放されるか検閲の犠牲になる)印象であり、今作もそういう意味では登場人物の半径5mだけを描く小さな映画だという印象を受ける。

それをカバーしているのが脚本である。今作はルーマニアの家庭生活、特にインテリ層の日常の風景を描きだそうと試みている。知識階級の独善的な自由さ、その裏側で犠牲になる女性、そういった現実が綿密に書きこまれているのだ。さらにそこに絡みあってくるのが男女の機微というものである。妻がいながら若い女性を愛してしまう男性の身勝手さ、その身勝手さに翻弄されながらそれを受けいれてしまう社会的抑圧に押しつぶされる女性の心……

今作の脚本を執筆しているȘtefan Iureș共産主義下のルーマニアにおいて、社会主義リアリズムの旗手として名を馳せた詩人、小説家である。そして今作は彼の長編小説"Plexul solar"を映画用にIureș自身が脚色したものだ。ちなみに映画に関わったのはこれ1本だけである。

そして注目すべきなのは今作でフィリップを演じているのはロシア人俳優のAleksandr Kalyaginである点だ。この頃ルーマニアソ連の関係性は特に良くはなかったが、どういう訳か彼は他のルーマニア人俳優を差しおいて主演の座に就いている。別にルーマニア語が喋れる訳でもなく、俳優のMarin Moraruが吹替を担当している。とはいえ、中途半端にハゲた何とも哀愁ある風体は今作で味のある雰囲気を醸しだしている。こんなうだつのあがらない風貌の中年男が不倫して家族に迷惑をかけているというのも、なかなかにリアルでそれは万国共通のものかと思わされる。

"Stop cadru la masă"とは日本語で"食卓のスナップ写真"である。それが意味している通り、今作は共産主義末期のルーマニアにおける家族の行く末の瞬間瞬間を切りとっていった魅力的な作品である。監督のPistinerがこれ1本だけを残して、ひっそりと映画界から姿を消したというのは何とも寂しいところである。

最後に少しだけAda Pistinerの経歴を紹介していこう。Pistinerは1938年3月14日に地方都市の1つヤシで生まれた。ブカレスト大学では哲学を、I.L.カラジャーレ演劇映画大学では映画製作を学んだ。そしてドキュメンタリー作家として"Muzeul Storck""O echipă de tineri și ceilalți"などを製作、話題となる。そして1982年には"Stop cadru la masă"を完成させ、批評的に大きな成功を収める。しかしこの頃活躍できた女性作家は限られており、彼女は道を閉ざされてしまう。そして1986年から89年までイスラエルに亡命していたが、ルーマニア革命後、故郷に戻ってくることになる。そしてドキュメンタリー作品"Protecția cui?""Un an ceva mai lung""Performance""Contemporani în București"などを残すのだが、大きな結果を残すことはできず、今に至っている。

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ルーマニア映画界を旅する
その1 Corneliu Porumboiu & "A fost sau n-a fost?"/1989年12月22日、あなたは何をしていた?
その2 Radu Jude & "Aferim!"/ルーマニア、差別の歴史をめぐる旅
その3 Corneliu Porumboiu & "Când se lasă seara peste Bucureşti sau Metabolism"/監督と女優、虚構と真実
その4 Corneliu Porumboiu &"Comoara"/ルーマニア、お宝探して掘れよ掘れ掘れ
その5 Andrei Ujică&"Autobiografia lui Nicolae Ceausescu"/チャウシェスクとは一体何者だったのか?
その6 イリンカ・カルガレアヌ&「チャック・ノリスVS共産主義」/チャック・ノリスはルーマニアを救う!
その7 トゥドール・クリスチャン・ジュルギウ&「日本からの贈り物」/父と息子、ルーマニアと日本
その8 クリスティ・プイウ&"Marfa şi Banii"/ルーマニアの新たなる波、その起源
その9 クリスティ・プイウ&「ラザレスク氏の最期」/それは命の終りであり、世界の終りであり
その10 ラドゥー・ムンテアン&"Hîrtia va fi albastrã"/革命前夜、闇の中で踏み躙られる者たち
その11 ラドゥー・ムンテアン&"Boogie"/大人になれない、子供でもいられない
その12 ラドゥー・ムンテアン&「不倫期限」/クリスマスの後、繋がりの終り
その13 クリスティ・プイウ&"Aurora"/ある平凡な殺人者についての記録
その14 Radu Jude&"Toată lumea din familia noastră"/黙って俺に娘を渡しやがれ!
その15 Paul Negoescu&"O lună în Thailandă"/今の幸せと、ありえたかもしれない幸せと
その16 Paul Negoescu&"Două lozuri"/町が朽ち お金は無くなり 年も取り
その17 Lucian Pintilie&"Duminică la ora 6"/忌まわしき40年代、来たるべき60年代
その18 Mircea Daneliuc&"Croaziera"/若者たちよ、ドナウ川で輝け!
その19 Lucian Pintilie&"Reconstituirea"/アクション、何で俺を殴ったんだよぉ、アクション、何で俺を……
その20 Lucian Pintilie&"De ce trag clopotele, Mitică?"/死と生、対話と祝祭
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その24 Lucian Pintilie&"Prea târziu"/石炭に薄汚れ 黒く染まり 闇に墜ちる
その25 Lucian Pintilie&"Terminus paradis"/狂騒の愛がルーマニアを駆ける
その26 Lucian Pintilie&"Dupa-amiaza unui torţionar"/晴れ渡る午後、ある拷問者の告白
その27 Lucian Pintilie&"Niki Ardelean, colonel în rezelva"/ああ、懐かしき社会主義の栄光よ
その28 Sebastian Mihăilescu&"Apartament interbelic, în zona superbă, ultra-centrală"/ルーマニアと日本、奇妙な交わり
その29 ミルチャ・ダネリュク&"Cursa"/ルーマニア、炭坑街に降る雨よ
その30 ルクサンドラ・ゼニデ&「テキールの奇跡」/奇跡は這いずる泥の奥から
その31 ラドゥ・ジュデ&"Cea mai fericită fată din ume"/わたしは世界で一番幸せな少女
その32 Ana Lungu&"Autoportretul unei fete cuminţi"/あなたの大切な娘はどこへ行く?
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その34 Livia Ungur&"Hotel Dallas"/ダラスとルーマニアの奇妙な愛憎
その35 アドリアン・シタル&"Pescuit sportiv"/倫理の網に絡め取られて
その36 ラドゥー・ムンテアン&"Un etaj mai jos"/罪を暴くか、保身に走るか
その37 Mircea Săucan&"Meandre"/ルーマニア、あらかじめ幻視された荒廃
その38 アドリアン・シタル&"Din dragoste cu cele mai bune intentii"/俺の親だって死ぬかもしれないんだ……
その39 アドリアン・シタル&"Domestic"/ルーマニア人と動物たちの奇妙な関係
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その41 Dan Pița&"Duhul aurului"/ルーマニア、生は葬られ死は結ばれる
その42 Bogdan Mirică&"Câini"/荒野に希望は潰え、悪が栄える
その43 Szőcs Petra&"Deva"/ルーマニアとハンガリーが交わる場所で
その44 Bogdan Theodor Olteanu&"Câteva conversaţii despre o fată foarte înaltă"/ルーマニア、私たちの愛について
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その46 Radu Jude&"Țara moartă"/ルーマニア、反ユダヤ主義の悍ましき系譜
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その54 Radu Jude&"Iesirea trenurilor din gară"/ルーマニアより行く死の列車
その55 Șerban Creagă&"Căldura"/あの頃、ぼくたちは自由だったのか?

Șerban Creagă&"Căldura"/あの頃、ぼくたちは自由だったのか?

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私が世界の映画でも特にルーマニア映画が好きなことはこの鉄腸マガジンの読者ならば知っているだろうが、それ故にたくさんのルーマニア映画を紹介してきた。だが日本においてルーマニア映画の全貌はあまりにも未知すぎる。そこには豊穣たる映画史が存在するのに、知られないというのは余りに勿体ないことだ。ということで今回から、日本ひいては世界にすら知られてないルーマニア映画の古典を集中的に紹介していこうと思う。早速だが、今回紹介するのはルーマニア映画史に埋もれた幻の作家Șerban Creagăのデビュー長編"Căldura"だ。

今作の主人公はセルジュ(Vladimir Găitan)という大学生の青年である。彼には恋人であるラウラ(Emilia Dobrin)や親友のシュメケ(Nikolaus Wolcz)がおり、平凡だが幸せな生活を送っていた。だが彼らにはそれぞれの不安が存在し、この幸せがいつか崩れてしまうのではないかという不穏な予感にも苛まれていた。

今作の演出はすこぶる感傷的であり、瑞々しいものだ。その様は当時隆盛を誇り、東欧にも影響が波及していたヌーヴェルヴァーグを多分に反映しており、同時代に映画を製作していたLucian Bratu ルチアン・ブラトゥなどと共鳴しあうものとなっている。そこには若さへの甘い耽溺の感覚が存在しているのだ。

冒頭においては例えば突然炎のごとくのような三角関係ものを想起させられるかもしれないが、今作はまた別の方向へと舵を切っていく。セルジュは大学を中退し、軍事学校へと入学することになる。ここで彼は厳しい規律に翻弄されながらも、同じ境遇の若者たちと友人関係になり、ささやかな青春を経験することになる。

そういった道筋を行く本作は、セルジュの成長を見守る教養小説的な性格を帯びることになる。軍事学校でホモソーシャル的な青春を経験した彼は、卒業後に故郷の村に戻り、木こりとして働くことになる。彼をめぐる状況は様々に変わっていくが、そんな風景を監督は慈しみとともに見据え、丹念に描きだしていくのである。

そして今作はTiberiu Olah ティベリユ・オラフによる撮影も印象的だ。例えばセルジュがラウラとの甘美な日々を回想する時に現れる2人が砂浜に並びすわる風景。ルーマニアの伝統酒ツイカを飲んだ後、酩酊しながら雪に満ちる大地でグルグルと回る風景。そういったものからは若さが直面する孤独が詩的に滲みだすのである(ちなみにOlahは他の作品では作曲家としても活躍している)

終盤、物語は冒頭の三角関係へと帰還することになる。ブカレストへ戻ったセルジュはシュメケと、そしてかつての恋人ラウラと再会することになる。彼女は両親の反対に遭い、セルジュと別れて別の人間と結婚しながらも、今は離婚し、ピアノの教師として生計を立てていた。そんな彼女に対して、セルジュは未だ思いを捨てきれず、2人の仲は再び近づいていく。

監督はこの微妙な関係性を叙情的な形で描きだそうとする。確かに愛しあいながらも、やはり道行きには不安が感じられ、関係性は不安定なものであり続ける。再び別れてしまうのか、それともずっと一緒にいるのか、この愛の宙吊りが今作の終盤を彩ることになる。

この作品の要は間違いなくセルジュ役を演じたVladimir Găitanの内省的な存在感だろう。彼は今作製作の前年、未だ新人作家であった未来の巨匠Lucian Pintilie ルチアン・ピンティリエの第2長編"Reconstituirea"(レビュー記事をどうぞ)で映画デビューを飾った。そしてこの勢いで出演した作品が"Căldura"だった。彼は静かなる苦悩を抱えながら、俯きがちに青春の道を歩きつづける青年を印象的に演じている。彼の存在が今作を牽引していることは間違いない。

そして今作の後、Găitanは売れっ子俳優になるのだが、そこで出会ったのが映画監督Sergiu Nicolaescu セルジュ・ニコラエスである。"Zile fierbinti"で初協同を遂げた後、"Accident"(1977)や"Ultima noapte de dragoste"(1980)、"Întîlnirea"(1982)や"Oglinda"(1994)、"Poker"(2010)と約40年に渡って彼と映画を製作しつづけ、国民的な俳優となる。が、映画史的にNicolaescuは右翼の豚野郎として評判の作家であり、国粋主義的な作品を多く作ってきたため、そんな作品に出演したGăitan自身の評判も二分されている。

さて"Căldura"が制作された1969年はニコラエ・チャウシェスクが政権のトップに立った初期である。共産主義国家ながら西側諸国の文化を吸収しており、1968年にはチェコの春へのソ連の侵攻に反旗を翻したチャウシェスクが気骨ある指導者として称賛されていた、未だ自由な時代である。今作にはその自由に若者たちが耽溺していた名残が確かに刻まれている。そして今作は甘くて苦い終りを迎える訳だが、そんな青春の終りはチャウシェスク政権の独裁の始まりを意味するようで、何か痛切なものを感じられてしまうのである。

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その38 アドリアン・シタル&"Din dragoste cu cele mai bune intentii"/俺の親だって死ぬかもしれないんだ……
その39 アドリアン・シタル&"Domestic"/ルーマニア人と動物たちの奇妙な関係
その40 Mihaela Popescu&"Plimbare"/老いを見据えて歩き続けて
その41 Dan Pița&"Duhul aurului"/ルーマニア、生は葬られ死は結ばれる
その42 Bogdan Mirică&"Câini"/荒野に希望は潰え、悪が栄える
その43 Szőcs Petra&"Deva"/ルーマニアとハンガリーが交わる場所で
その44 Bogdan Theodor Olteanu&"Câteva conversaţii despre o fată foarte înaltă"/ルーマニア、私たちの愛について
その45 Adina Pintilie&"Touch Me Not"/親密さに触れるその時に
その46 Radu Jude&"Țara moartă"/ルーマニア、反ユダヤ主義の悍ましき系譜
その47 Gabi Virginia Șarga&"Să nu ucizi"/ルーマニア、医療腐敗のその奥へ
その48 Marius Olteanu&"Monștri"/ルーマニア、この国で生きるということ
その49 Ivana Mladenović&"Ivana cea groaznică"/サイテー女イヴァナがゆく!
その50 Radu Dragomir&"Mo"/父の幻想を追い求めて
その51 Mona Nicoară&"Distanța dintre mine și mine"/ルーマニア、孤高として生きる
その52 Radu Jude&"Îmi este indiferent dacă în istorie vom intra ca barbari"/私は歴史の上で野蛮人と見做されようが構わない!
その53 Radu Jude&"Tipografic majuscul"/ルーマニアに正義を、自由を!
その54 Radu Jude&"Iesirea trenurilor din gară"/ルーマニアより行く死の列車
その55 Șerban Creagă&"Căldura"/あの頃、ぼくたちは自由だったのか?

コロンビア映画史の戦略~Interview with Camilo Andrés Calderón Acero

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さて、日本の映画批評において不満なことはそれこそ塵の数ほど存在しているが、大きな不満の1つは批評界がいかにフランスに偏っているかである。蓮實御大を筆頭として、映画批評はフランスにしかないのかというほどに日本はフランス中心主義的であり、フランス語から翻訳された批評本やフランスで勉強した批評家の本には簡単に出会えるが、その他の国の批評については全く窺い知ることができない。よくてアメリカは英語だから知ることはできるが、それもまた英語中心主義的な陥穽におちいってしまう訳である(そのせいもあるだろうが、いわゆる日本未公開映画も、何とか日本で上映されることになった幸運な作品の数々はほぼフランス語か英語作品である)

この現状に"本当つまんねえ奴らだな、お前ら"と思うのだ。そして私は常に欲している。フランスや英語圏だけではない、例えばインドネシアブルガリア、アルゼンチンやエジプト、そういった周縁の国々に根づいた批評を紹介できる日本人はいないのか?と。そう言うと、こう言ってくる人もいるだろう。"じゃあお前がやれ"と。ということで今回の記事はその1つの達成である。

さて、コロンビア映画界特集は早くも第3弾となった。今回インタビューしたのはコロンビアの映画批評家Camilo Andrés Calderón Acero カミーロ・アンドレス・カルデロン・アセロである。今回もコロンビア映画史上に残る傑作映画についてや、2010年代におけるコロンビア映画界の躍進などなどこの国の映画について様々な話題について聞いてみた。ということで今回もコロンビア映画に浸ってほしい。それではどうぞ。

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済藤鉄腸(ST):まずどうして映画批評家になろうと思ったんですか? そしてどのようにそれを成し遂げたんですか?

カミロ・アンドレス・カルデロン・アセロ(CA):おっと。映画批評家というのは荷が重すぎますね。シネフィルの方が好きです。私は映画が人間の魂を高めてくれる可能性を楽しんでいるんです。それから映画について書いたり読んだり、もちろん観たりするのが好きで、それは映画に限りません。産業それ自体に興味があるんです。映画は芸術ですが、同時に産業でもあるんです。この関係性について書くのが好きなのは、お金が映画の見方に影響するからです。

オーディオ・ビジュアル産業について語るにあたっては映画を観る必要があり、それが唯一の方法なんです。私は26歳の時、このプロフェッショナルな興味に集中すると決めました。映画を観るのはいつだって楽しいです。とても小さな町で育っているので、休日にボゴタへ旅行して映画館に行くのは素晴らしい経験でした。私にとって映画はいつだって他の世界への大きな興奮を伴った窓だったんです。

何かを書くために1つのテーマを決めなくてはならない時、その選択は明確です。2011年に映画について継続して書きはじめ、今でも学びつづけています。たくさんの窓が開かれるのを待っているんです。

TS:映画に興味を持ちはじめた時、どんな映画を観ていましたか? 当時コロンビアではどんな映画を観ることができましたか?

CA:その時期を1つだけ選ぶのは難しいですね。中学の頃には「いまを生きる」シンドラーのリストにはショックを受けました。それから有名なコロンビア映画"La estrategia del caracol"にもです。大学の頃には「マトリックス」を観て、映画を勉強しようという興味が開かれたんです。私はジャーナリズムを学んでいて、クラスで多くの映画を観ました。そして映画への愛は大きくなっていきました。その頃、面白いコロンビア映画はそう多くはありませんでした。しかしここ10年でクオリティは上がっていきましたね。私が好きなのは"Los niños invisibles"ですね。

TS:最初に観たコロンビア映画はなんですか? その感想もぜひ聞きたいです。

CA:確かコメディだったような気がします。先に言った通り、自分は小さな町に住んでいてそこには映画館がありませんでした。だから初めて観たコロンビア映画はTVで観ていて、それは80年代初頭のコメディだったと思います。おそらく"El taxista millonario"だったのではと。この時代のコロンビア映画はほとんどがコメディでした。B級映画に近いものです。低予算、限られた舞台設定、チャップリンのような古典的物語が主です。それから貧しく馬鹿で、それでも幸運な男が騒動に巻きこまれるんです。

TS:コロンビア映画の最も際だった特徴は何でしょう? 例えばフランス映画は愛の哲学、ルーマニア映画は徹底したリアリズムと黒いユーモアです。ではコロンビア映画はどうでしょう?

CA:思うにいくつかあります。例えば都市的リアリズムと暴力の行く末、そして内戦が引きおこしたものについて関心です。他方、娯楽映画は人々を魅了することに関心があります。コメディにおける素朴な物語は映画というよりTVのソープオペラのようです。

TS:世界のシネフィルにとって最も有名なコロンビア人映画作家は間違いなくLuis Ospina ルイス・オスピナです。"Agarrando pueblo""Pura sangre"などの作品は現代コロンビアの複雑さを描いていますね。しかし、実際に彼と彼の作品はコロンビアでどう評価されていますか?

CA:彼の貢献は絶大なものです。彼と彼のグループCaliwoodには先見の明がありました。語りで実験を行い、ラテンアメリカを異国情緒的な場所(未発展の国々)と見做すヨーロッパ中心主義の視点から逃れようとしました。思うにこれこそが実験映画というものであり、後継者たちに影響を与えました。

TS:そしてOspinaのパートナーとしてCarlos Mayolo カルロス・マヨロがいますね。彼はOspinaと実験的な短編を製作するとともに、さらに興味深いことに、"Carne de tu carne"などの奇妙なホラー映画を作っていますね。しかし彼については英語でも日本語でも情報がありません。彼は誰なんでしょう? コロンビアでは有名なんですか?

CA:ええ、彼はまずTV番組やコマーシャルを作っていました。それから彼とOspina、そしてAndrés Caicedo アンドレス・カイセはカリにおいて流行を作り出し、芸術や実験に邁進していきました。しかし最も話題になるのはOspinaですね。Mayoloは2007年に亡くなり、彼のスタイルを受け継いだ人物はそう多くありません。例えばRuben Mendozaなども明らかにOspinaのスタイルを受け継いでいます。

TS:私の好きなコロンビア映画Victor Gaviria"Rodrigo D: No Futuro"です。ここで描かれる過酷な現実は私を心から驚かせます。聞きたいのはGaviriaと"Rodrigo D"のような作品はコロンビアでどう受容されているかです。

CA:いつだって自分たちの悪い面を見るのは難しいことです。暴力の鏡を見る時、私たちは自身を中産階級と見做し、暴力は遠い現実だと思います。なのでそういった現実をスクリーンで観るのは好きではないし、悪いことに外国人ばかりが観ることです。議論を呼ぶ物語に関わらず、Gaviriaは貧困やギャング、ドラッグ中毒、女性への暴力という事実を暴きだしています。新しい作家の多くが彼のスタイルを真似していますが、スクリーンでより生の質感を見せてくれるのはGaviriaなんです。

TS:あなたの意見において、最も重要なコロンビア映画は何でしょう? その理由についても知りたいです。

CA:1本だけ選ぶのは難しいですね。思うに"La estrategia del Caracol"は私たちの文化を再起動させたようです。ここで描かれているものこそコロンビア人なんです。今作は古典になるでしょうし、そうしていつまでも残り続けるでしょう。他方、今世紀に作られた多くの映画は注目すべきクオリティを誇っています。例えば"Monos""Pajaros de verano"などです。それから私自身は"Confesión a Laura"が好きです。とても親密な映画(俳優は3人だけです)であり、コロンビアの歴史を背景に昔ながらの争いについて描きだしています。男、彼の妻、そして隣人の女性の三角関係というものです。

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"La estrategia del caracol"

TS:もし好きなコロンビア映画を1つ選ぶなら、どの映画を選びますか? それは何故でしょう、個人的な思い出がありますか?

CA:いつだってそれは"La estrategia del caracol"ですね。小さな頃に今作を観たんですが、いつでも思い出に残っています。まず今作には前にTV番組で観た俳優がたくさん出演しています。それからユーモアです。ドス黒いユーモアは私たちの不名誉を描くにはベストであり、とても賢いものです。物語の核は15を越える登場人物が出ることです。今作を作るのは歴史的な事件であり、それは90年代、政府は映画産業に一切の補助金を与えなかったからです。なので映画自体を作るのが難しかったんです。

TS:2010年代で最も重要なコロンビア映画界の存在は間違いなくCiro Guerra シーロ・ゲーラでしょう。「大河の抱擁」"Pajaros de verano"といった作品は世界中の映画祭で批評的に成功し、コロンビア映画が世界に躍進するきっかけを作りました。しかし、彼と彼の達成はコロンビアで実際にどう評価されているのでしょう?

CA:彼の才能を疑う者はいません。彼は世界で最も認知されているコロンビア人監督ですが、多くの人々はただ彼が幸運だったと思っています。彼の成功の後、他の映画作家が続いたのは本当です。デビュー作が成功したなら、注目を惹いたり予算をもらったりするのが簡単になりますね。Guerraはコロンビア映画の門戸を開き、外国で認知されるようになりましたが、それだけではありません。これから他の監督が映画祭で作品を上映できるようになったでしょう。彼は大きな功績を達成したんです。この可視性は他の監督にも影響を及ぼしていて、それは作品が評価されるようになったからです。しかしコロンビアには他にも監督がいますし、もっと平等に才能が広められるべきです。

TS:2010年代も数か月前に過ぎました。そこで聞きたいのは、2010年代最も重要なコロンビア映画は何かということです。例えばシーロ・ゲーラ「大河の抱擁」 Franco Lolli フランコ・ロジ"Litigante"Alejandro Landes アレハンドロ・ランデス"Monos"などがあります。しかしあなたの意見はどうでしょう?

CA:自分は"Pajaros de Verano"が好きですね。語りや芸術的側面においてより完璧な作品だと思います。しかし「大河の抱擁」はより素晴らしい撮影であり、"Monos"は"全体図"とも言うべき映画になっています。最終的な評決としては"Pajaros de Verano""Monos"ですね。しかしドキュメンタリーも忘れてはいけません。近年、素晴らしい作品がたくさん作られていますからね。"Todo empezó por el fin""Carta a una sombra""Smiling Lombana""Amazona""Señorita María"などです。

TS:コロンビア映画界の現状はどういったものでしょう? 外側から見ると、とても良いものに見えます。Ciro Guerraの後にも、新しい才能が有名な映画祭に多く現れているからです。例えばトロントLaura Mora Ortega ラウラ・モーラ・オルテガ、ベルリンのSantiago Caicedo サンティアゴカイセ、カンヌのFranco Lolliなどです。しかし内側からは、現状はどのように見えるでしょう?

CA:とても議論を呼ぶテーマですね。コロンビア映画は海外で認知度をあげ、賞を獲得していますが、コロンビアではだれもその作品を観ないんです。それらは"映画祭のための映画"だと言う人もいます。私としてはそれは半々だと思います。映画祭に関してはもっと興味深い物語もあるでしょうし、語りの形式に関して言うべきこともありますが、監督たちが語りたい物語を語っているというのもまた事実です。この状況において欠かせないのは繋がりです。大衆はそういった物語を好まないので、監督は海外の大衆を獲得することに興味を持っています。他方、コロンビアで最も観られる映画はそんなに賢くないコメディなんです(私もアダム・サンドラー作品は好きですけどね)

TS:コロンビアの映画批評の現状はどういったものでしょう? 外側からだと、映画批評に触れる機会がありません。しかし内側からだと、現状はどのように見えますか?

CA:デジタル空間は多くの人々が執筆をしたりポッドキャストを作ったりする余地を作ってくれましたが、アルゼンチンやメキシコに比べると小さなものです。彼らはブログだけでなく、多くのデジタル雑誌やウェブサイトを持っていますしね。コロンビアでは文化を語るメディアが欠けているんです。雑誌も少なく、映画について語る場があまりありません。それでも私たちには雑誌Kinetoscopioや、Juan Carlos Gonzalez フアン・カルロス・ゴンサレスPedro Adrian Zuluaga ペドロ・アドリアン・スルアガSamuel Castro サミュエル・カストロなどの歴史的な批評家がいて、コラムを書いています。

TS:コロンビア映画界で最も注目すべき才能は誰ですか? 例えば外国からだと、独自の映画的言語を持っているという意味でCarla Melo カルラ・メロLaura Huertas Millán ラウラ・ウエルタス・ミジャンを挙げたいです。しかしあなたの意見はどうでしょう?

CA:私にとって最も興味深い存在はIvan Gaona イバン・ガオナですね。彼はこの国では海外より知られており、制作スピードも速いです。それからJuan Sebastian Mesa フアン・セバスティアン・メサLaura Mora Ortegaもいいデビューを飾っています。彼らがどう芸術的・物語的アプローチを遂げるか楽しみです。私たちの国では創造性だけでなく、お金にも左右されますからね(補助金、賞、共同制作による予算などなど)

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"Pariente"