
さて、東京国際映画祭と合わせてエジプト映画界の重鎮ユーセフ・シャヒーン特集が開催される。日本でエジプト映画がここまで大々的に特集されることはそう多くないので喜ばしいことだ。ちなみに私は行かない、お膳立てされたマイナー映画の上映に趣味はないからだ。こういうのは自分でディグってこそだ。実際、シャヒーンと同時代に活躍したエジプト人監督にはどんな人がいるのかはかなり興味が湧いたのでエジプト映画史探求をしていたわけだが、今回はそんな過程で見つけた驚くべき1作であるSaeed Marzouk監督による1971年製作の初長編“زوجتي و الكلب / Zawgaty wal kalb”(英題:“My Wife and the Dog”)を紹介していきたい。
今作の主人公はモーシー(Mahmoud Moursy)という中年男性だ。灯台守である彼は家に年下の妻であるスアド(Soad Hosny)を残して、勤務先である孤島の灯台へと赴く。ここでしばらくの間、灯台の管理という仕事に従事するわけだ。そして同僚たちと久しぶりの再会を喜んだ後、孤島での生活が再び始まるのだったが……
このように始まる“My Wife and the Dog”が描こうとするのはモーシーという中年男性の生活と、そして心理模様である。事件がない限りは退屈な孤島での生活、仕事がない時は同僚と暇を潰すか、自身の部屋でじっとしているかしかない。そんな状況でモーシーは同僚たちとギャンブルにかまけた後、後輩であるヌーア(Nour El-Sherif)に昔の性的武勇伝を語りだす。
彼の語る武勇伝は人妻を狙って寝取るというメロドラマも斯くやの過激なものである。自身の性的な魅力を世界に誇示するかの如く、モーシーはそんな性的な冒険を若い頃に繰り広げていたわけだ。だがそんなある日、モーシーはスアドに手紙を届ける必要に迫られる。灯台から離れられないゆえその任をヌーアに託すのだったが、独りの部屋である思いに苛まれる。かつての自分のように、ヌーアがスアドを寝取るのではないか?
今作は様々な技術が驚くべき調和を魅せているのが印象的だ。まずはAbdel Aziz Fahmyによる撮影、彼は孤島にある灯台という舞台設定から息を呑むほど格好いいショットを幾つもズバズバと連ねていく。外の浜辺を歩く、灯台の一室でギャンブルにかまける、船着き場から遥か遠くを眺める。モーシーといった登場人物がそういったことを成す姿が印象深いショットとともに描かれるのだ。
さらにAtiya Abdoによる編集はカットが多めであり、表情や風景が軽快なまでの勢いで切り替わっていく様は観客の注意をこれでもかと惹きつける類のものだ。こういった小気味よい編集によって様々な場面が入り乱れていくのだが、それによって今作は眩惑的な雰囲気すらも湛えていく。
さらにNasry Abdel NourとSobhe Al-Gamalによる音響設計にも気合が入っている。灯台のある孤島という舞台設定ゆえ、周囲からは岸に打ちつける波の音、そして激しい海風がノイズさながらに介入してくるのだ。そうして劇中の世界には常に不穏な空気が満ち満ちているのだ。
今作を貫くのは心理模様を言葉でなく画と音で描く表現主義的スタイルだが、特徴的なのはその心理の核にあるのが性欲であることだろう。これは冒頭でも印象的に示唆されている。身体を重ねあわせる男女、その姿が暗闇から光を伴いながら浮かびあがる。光と影が極端に対比されることで、より立体感を以て被写体が迫ってくる。この技法は絵画用語で“キアロスクーロ”と呼ばれているわけだが、これこそ全体を貫く美学であると観客は頭でなく心で理解するのだ。
こうして他者を傷つけてきた過去が巡り巡って現在のモーシーを苛む様を、私たち観客はスタイリッシュかつ眩惑的な形で見せつけられる。年老いて中年になり、魅力や精力が衰えたこと今、自分こそがあの時に寝取られた男たちの位置に置かれていると彼は気付かされるわけだ。物語が残酷なのは、その猜疑心もまた独りよがりであると提示されることだ。スアドもヌーアも実際にはそういった不埒な考えは一切持っていない。寝取られへの恐怖はただの考えすぎであり、他者を信頼できないモーシー自身の不実さの表れでしかない。
とある中年男性の性欲の悶え、これを通じて瓦解していく男性性の行く末を描きだすのがこの“My Wife and the Dog”という作品だ。1970年代のエジプト映画にこれほどまでにゾクゾクさせるような男性映画が作られていたとはと驚かされる。
最後に監督であるSaid Marzouk سعيد مرزوقについて紹介していこう。監督Said Marzoukは1940年に生まれた。エジプトのテレビ局やラジオ局で勤務した後、映画監督として活動を始めるがそんな彼の初長編が今回紹介した“My Wife and the Dog”だったわけだ。今作を皮切りに彼は過激な性描写と政治批判で頭角を現わしていくが、アメリカン・ニューシネマなど反体制的な映画潮流が世界的に流行していた中で、エジプト映画界においてそれに呼応した存在の1人がMarzoukだったのである。最後になるが、初長編の今作に関してはエジプトのシネフィルが“ロバート・エガース、お前「ライトハウス」作る前これ観たろ!?”と言ってるとかいないとか。確かに、似てるかも。












