
テレビ映画というのは得てしてナメられる。低予算で低質、規制がキツくて描写もテーマも穏当なものばかり。そういった固定観念(まあ、ある程度は当たってもいるが……)に加え、映画にとってテレビは自分たちの客を奪った敵であり、そんな敵であるテレビ局が主体で作られた作品は映画として認められないという恨みつらみもあるわけで、映画史においてテレビ映画は侮られ、無視されてきた。有名監督だっていわゆる劇場用映画を作る前にドラマのエピソード監督はもちろん、短編や長編を作っていたりする。だがそういった作品は無視され、その結果劇場用映画として作った作品こそが“デビュー長編”として扱われるなんていうのもザラである。
私はそんな風潮に映画批評家として対抗するため、特にアメリカで連綿と作られてきたテレビ映画についてTwitterで取りあげてきた。Twitterで“TV映画”と検索してもらえれば色々な作品の呟きが出てくるが、そんなテレビ映画の過小評価によって歴史に埋もれた作品や映画監督はポルトガルにもあったりする。ということで今回はそんな知られざる傑作テレビ映画“A Princesinha das Rosas”と“Tiaga ou a Reencarnação Deliciosa”、そしてその監督であるNoémia Delgadoを紹介していこう。
まずは“A Princesinha das Rosas”から紹介していこう(字幕無しだがここから鑑賞可能)本作の舞台は昔々のポルトガルのアルガルヴェ地方、広大な海に面した村にレアンドロ(Rui Baptista)という若い漁師が住んでいた。彼が船を漕いでいると美しい歌声とともに1人の美しい女性レオニス(Suzana Borges)が現れて、自分を誘うように周りを泳ぎ回る。実は彼女はこの地に住む人魚だったのだ。2人は岩礁にできた洞窟で愛を交わしあい、そうしてナイーデという娘が生まれたのだった。
前半においてはこの2人の視点から物語が描かれていく。人魚の視点から描かれるそれは大人のためのおとぎ話といった官能的なファンタジーである。大いなる自然に包まれながら、人魚たちは裸のままで大地や水の中で戯れあう。こういった耽美で幻想的な風景の数々は観る者の感覚を優しく撫でるような雰囲気に満ちている。
かと思えば漁師の視点では崇高なドキュメンタリーが繰り広げられていく。村落においては男たちは老いも若きも関わらず漁師として海へと出ていくが、そんな彼らが海岸に停めた船を押して海へと出ていく、石でできた家屋の前に集まって会話するといった場面が描かれていく。大自然と対峙する男たちの毎日が生々しい息遣いとともに映し取られていくのだ。ポルトガルにはAntónio Camposという映画監督がおり、彼は周縁部に広がる伝統文化や崇高な自然についての、主にドキュメンタリーを多く制作していた。そんなCampos作品に呼応する人類学的姿勢がこの部分には見えるのだ。
Delgadoはこうして2つの異なる方向性で世界を見据えるわけだが、撮影監督であるMário Cabrita Gilはその2つの世界を自身が作りあげる映像美の中で交わらせていく。ここにおいては完全に混じりあっている時があれば、どこか違和感をも抱かせる瞬間も存在している。このすこぶる複雑微妙なバランス感覚の中で物語は展開していく。
2つの世界が交わりあう中で生まれる狭間の存在こそが漁師と人魚の娘であるナイーデというわけである。そんな状況でしかし彼女は生まれた後、人魚の呪いから解き放つために2人と離れ離れになることとなる。運よく王家の人々に拾われて養子となり大切に育てられる。大人になり立派な姫として成長したナイーデ(Ana d'Orey)だったが、ある時何処かから自分を呼ぶ声が聞こえてくるのに気がつく。そしてそれは母の、人魚たちの呼び声だった……
今作は19世紀ポルトガル文学史における重要人物Fialho de Almeida、彼が故郷であるアレンテージョ地方に伝わる民話を基に執筆した短編小説が原作となっているそうだ。そういった民話などに特有だろう、語りにおける現実離れした不思議な飛躍が随所に存在している一方で、同時に漁師たちの生を映すことを通じドキュメンタリー性をも取り入れることで、その現実離れした物語が確かにこのポルトガルの大地に根づいているものだという感覚を観客は味わうことになるだろう。これを他のポルトガル映画とは全く異なる形で成し遂げているのがこの“A Princesinha das Rosas”という小さな宝石のような1作なのである。
次は先述作と同年に制作された“Tiaga ou a Reencarnação Deliciosa”(こっちも鑑賞可能)を紹介していこう。今作の主人公はティアガ(Isabel de Castro)という老女だ。彼女は険しい山岳地帯に独りで住んでおり、身寄りはいない。彼女に寄り添うのは飼っている黒いヤギだけという物寂しい生活を送っていた。夜には1人の女性が現れ自身を罵倒する悪夢に苛まれ、もうこれ以上は生きていても仕様がないという絶望に打ちひしがれる。
今作は外交官にして20世紀を代表するポルトガルの文学者Aquilino Ribeiroの短編を基にしているそうだが、ここから物語は「ファウスト」的な様子を呈し始める。ある時ティアガは山で彷徨う巡礼者(Jacinto Ramos)を助けるのだったが、そのお礼に1週間後彼女の1つ願いを叶えたいとの申し出を受けることとなる。彼女は若さを取り戻しもう一度人生をやり直したいと願うのだったが、1週間後現れたのはこの契約を邪魔しようとやってきた悪魔だった……
ポルトガルに広がる崇高な自然を舞台としたおとぎ話なのは前作“A Princesinha das Rosas”と共通しているが、前作の主な舞台が大いなる海だったのに対して、今作は山岳地帯が舞台でまた異なる印象を見せる。ここでも撮影を担当するGilが映し出すこの山岳地帯に宿る、生命がここに生きることすらも拒むような峻険さは観客の、そしてティアガたちの網膜に迫るかのようだ。
しかし驚かされるのは、騙しにやってきた悪魔との契約によって予想とは違う形で老女が若さを得た場面だ。ここから唐突にバレエが始まってしまうのである。闇の中、ティアガの周りだけにスポットライトが当てられ無言で踊り始める。そしてそこに男性が現れて、2人は身を絡め合わせるように踊りだす……その若返るという超現実的な事象をただ真正面から描くよりも比喩的に描こうとするうえで、このような大胆な形で描きだすのかと驚かされたのだ。
Delgado作品において興味深いのは時空間の混在というべき点である。前作は舞台が王制の存在した昔なはずなのだが、明らかに現代的な格好をした漁師たちがカメラに映り、漁に赴くのである。今作においても本筋の物語は古き時代を想起させながらも、前作のようにドキュメンタリー的な形で今に伝わる伝統音楽を若者たちが披露する様を挿入するのである。そして物語の終盤には現代的なバレエを放りこむのだ。このようにしてDelgadoは現在や過去、現実や幻想の垣根を越え何て自由なのか!と嘆息したくなるような、美と当惑に満ちた無二のおとぎ話世界を作りあげている。
そんな才気に満ち満ちた映画監督Noémia Delgadoなのだが、私は正直彼女の作品についてLetterboxdで知るまでは名前すら知らなかった。ポルトガル映画の受容は割合行っている日本でも紹介された形跡は見つからない。そして英語での情報もあまりなく、ポルトガル語の情報ばかりだ。それに関しても多いとは言えない。とはいえ一応はWikipediaページがあり、さらに彼女の経歴や作品群を特集するブログ記事も見つけたゆえ、これらを参考にしてDelgadoについて紹介していこう。
Noémia Delgadoは1933年、ポルトガル植民地下のアンゴラの町キビアに生まれた。その後にモザンビークに移住し視覚芸術を学んでいたのだが、この時にモザンビーク系ブラジル人監督のRuy Guerra ルイ・ゲーハや詩人で文芸批評家のRui Knopfliと親交を深めたという。
さらに彼女は1955年にリスボンへと移住、美術学校であるEscola de Belas-Artes de Lisboaで彫刻などのファインアートを学んでいた。
そして1960年代から映画界で編集技師として働きだすのだが、そこで手掛けたのがノヴォ・シネマの代表的存在パウロ・ローシャの「新しい人生」(原題:“Mudar de Vida”)やマノエル・ド・オリヴェイラの「過去と現在 昔の恋、今の恋」(原題:“O Passado e o Presente”)だったという。この一方でパリとリスボンを行き来しながら映画制作を学んでいくとともに自分でも短編作品を作っていたが、1976年に初長編である“Máscaras”をとうとう完成させる。これはトラス・オス・モンテス地方の伝統文化を描き出したドキュメンタリー作品だった。
ここから様々なプロジェクトを並行して進めていくのだが、際立つのがポルトガル国営放送(RTP)での活動だ。例えば1976年のドキュメンタリーシリーズ“As Palavras Herdadas”はポルトガルの名だたる文学者の生涯を追った番組で、ここではCamilo Castelo Branco カミロ・カステーロ・ブランコやEça de Queiroz エッサ・デ・ケイロスらが取り上げられている。ちなみにBrancoはオリヴェイラが1979年に制作した4時間半の大作“Amor de Perdição”の原作者でもある。さらにその原作は「破滅の恋: ある家族の記憶」という邦題で翻訳出版がされている。だのにただ長ったらしいだけな「繻子の靴」と違って日本でほとんど上映されてないのが謎だ。オリヴェイラは「破滅の恋」と「狩り」と「メフィストの誘い」だけ観れば十分……というのはまあ別のお話。
そしてDelgadoはポルトガル・シネマテークの館長だったLuís Pinaからサポートを受け、あるドラマシリーズを手掛けることになる。それこそが“Contos Fantásticos”だった。これはポルトガルの文学者たちによる作品を基にしたファンタジー作品のオムニバス短編集となっておりDelgadoはその全ての監督と脚本、さらには編集までもを手掛けている。ということで上述の2作はこのシリーズ内で放送された作品だったわけだ。“A Princesinha das Rosas”は1979年に制作され映画祭でプレミア上映が成されたが、肝心のポルトガル国営放送での放送は1981年まで待つことになる。ネットを見ると制作年数が媒体によってバラつきがあるのだが、こういったスレ違いが原因らしい。
だがこの後は幾つかの短編と1988年の長編ドキュメンタリーにして遺作“Quem Foste, Alvarez?”を手掛けた後、映画界から姿を消した。1986年には“Jacarandá no coração”という詩集を出すなどもしていたようだが、2016年に82歳でその生涯を終えた。
にしても何故にここまでNoémia Delgadoとその作品は知られていないのだろうか。自分なりに考えてみるとまず長編制作数が少ないのが原因ではないか。彼女が遺したのはデビュー長編の“Mascarás”と遺作の“Quem Foste, Alvarez?”の2作だけで、他はRTPで制作した短中編ばかりだ。さらに後者はもちろん“Quem〜”もテレビ映画なのである。テレビ映画が映画史に残るということは少ないし、オムニバス短編集なんて番組が入ることなんか更に少ないだろう。上述の2作ひいては“Contos Fantásticos”はその煽りを受けたとしか思えない。
そして“Máscaras”と同じ1976年に制作された作品が、あの「トラス・オス・モンテス」だった。トラス・オス・モンテス舞台で、その伝統文化に即した人々の生活を描く……なんて内容が少しばかり被っている。もちろんDelgadoの方はより人類学的なアプローチが取られており作風は全く違うが、後者が世界的に有名になりその影に隠れてしまった感は否めない。さらにその後にポルトガル映画界で天下を取ったのが監督アントニオ・レイスの教え子であるペドロ・コスタだったゆえ、さらに「トラス・オス・モンテス」の知名度が上がり……という。あくまで予想だが、こういう事情もあるのではないか。
ということでTV映画の過小評価、そしてポルトガル映画史の悪戯によって歴史に埋もれたこのNoémia Delgadoについては今後とも取り上げていきたいと思っているので、どうぞ宜しくお願いいたします!

画像が粗いのしかなさすぎて“Mascarás”ので代用。