さて、カーボベルデである。映画界においてはペドロ・コスタの作品でカーボベルデが舞台になったり、カーボベルデ移民が主人公になるなどしているので、そこからこの国を知った人も多いかもしれない。最近では「クレオの夏休み」というフランス映画で、カーボベルデが舞台になっていたりもした。だがその多くが外部の人間によってカーボベルデが描かれるというものになっている。ということで今回紹介する映画は、それらとは異なるカーボベルデの血を引く映画作家によるカーボベルデ映画であるDenise Fernandesのデビュー長編“Hanami”を紹介していこう。
今作の主人公はナナという少女(Sanaya Andrade)だ。ナナには、母であるニア(Daílma Mendes)は彼女を産んだ直後に故郷を捨ててしまったという過去がある。それからは父の家族に育てられていたのだったが、彼らのおかげでナナは健やかに成長していく。幸福感を抱きながらも、しかしナナはふとした瞬間、海を眺めながら母への想いに耽ることを止められないでいた。
今作はまずゆったりとしたテンポで以て、ナナが生きている日常を描きだしていく。家がひしめきあう親密な場所、ここでは女性たちの楽しげなお喋りが絶えることがなく、ナナも親戚や友人の少女たちと騒ぎ回っている。時にはそこで飼われているニワトリたちと遊んだり、時には家のなかで食事をしたり。しかしその最中にこそ、ふと母への想いが心に浮かびあがるのだ。
そしてこの親密な空間から一歩出るとなると、すこぶる熾烈な自然が広がっていることを観客はすぐ知ることになるだろう。切り立った断崖と白い飛沫の爆ぜる海が向き合い、そしてその狭間を焦げ茶色の砂浜が満たしている。ここから抱く印象は、包みこむような優しさではなく張り詰めた厳しさだ。少しでも油断するのなら、人間一人などあっという間に呑まれてしまうとそんな緊張感すら感じられるかもしれない。
Alana Mejía Gonzálezが担当する撮影は、その自然の厳しさに宿る美というものを鮮やかに捉えており、見る者の心から畏敬の念を引き出さんとするような強度がある。これと同時にGonzálezは日常の風景にも同じ姿勢でカメラを向けている。例えばナナの祖母が、ベッドでおとぎ話を聞かせてくれるという場面、陰影がこれでもかと彫り込まれたような照明や空間設計は日常にも自然に宿るような崇高さが存在すると示すかのようだ。
そんなある日、奇妙な熱病に見舞われたナナはカーボベルデの火山地帯へと送られて、叔母のもとでしばらく過ごすことになる。この火山地帯はより熾烈な環境であり、火山によって生まれた焦土と、そこで逞しく生きようとする草花のせめぎあいが繰り広げられており、異様な光景が広がっている。ここでナナは様々に奇妙な人々と遭遇する。バイオリンを常に持つ口のきけない叔母、草花と同じく逞しく生きる子供たち、外国からやってきた見知らぬ男……そしてここは祖母が語ったおとぎ話のようなことが実際に起こる場所でもある。そんな幻想と現実の狭間で、ナナは彷徨う。
今作は大きく分けて、先述した通り子供時代のナナを描く前半と、十代になったナナを描きだす後半とに分かれている。この後半において主眼となるのは故郷に戻ってきた母との関係性だ。ナナは長年疎遠で記憶すらない母との再会に動揺しながらも、失われた時間を取り戻そうと少しずつ距離を近づけようとする。
前半と後半で見据えるものが異なるように思えながらも、しかしどちらも根底にあるものは変わらない。それはつまり一人の少女の、カーボベルデというアイデンティティとの対峙である。カーボベルデには自然とともに貧しい生活環境も相まって、この国を出ていく者も多い。例えば小さな頃に離れ離れになった少女とナナが再会するのだが、都会育ちの友人に囲まれ都会風の洗練をまとった彼女とは自然と距離ができてしまう。他にも、親戚の集まりに帰ってきた人物が英語で喋り、クレオール語で喋れ!と年長者から言われる場面もある。こうして出ていった者と残った者の価値観の相違もまた繊細に掬いとられていく。
そしてナナもまたこのアイデンティティとどう対峙すべきか苦悩する。ナナ自身の母親も故郷を捨てた存在であり、そんな状況で自分はどこにいるのか、どこにいるべきなのか途方に暮れるしかない。監督であるFernandesは両親及び祖先がカーボベルデ出身だが、生まれたのはポルトガルであり、スイスのイタリア語圏で育ったという複雑な出自を持っている。彼女はカーボベルデにおいて内部の存在でも、外部の存在でもあるのだ。ある程度はこの出自が反映されているのか、今作はアイデンティティ探求の側面がすこぶる際立っている。
そうして苦悩を抱くナナを、Fernandesは、“Hanami”という作品は優しく抱きしめる。愛着と反感のどちらもありながら、その間を寄せては返す波のようにたゆたうこと、それもまた1つの向き合い方ではないか。そう静かに呟くのである。
最後に書いておきたいのが、上述したアイデンティティの探求に日本文化が関わってくることであり、日本人としては気にならざるを得ない。冒頭から“金継ぎ”の概念が紹介されたと思うと、ナナは火山地帯で謎の日本人と出会い、会話する。そこで語られるのが“Hanami”つまり“花見”なのである。あえてその会話内容については語らないが、何にしろ日本が他にない形で関わってくるのが今作の魅力でもある。題名が日本語なカーボベルデ映画なんて、これまでもこれからも、そうは存在しないだろう。