皆さんはボリ・ケラというスポーツを知っているだろうか。これはバングラデシュの伝統的レスリングである、投げ技、関節技などといった組み技を主としたコンバットスポーツの一つだ。砂と土の競技場で、半裸になった筋骨隆々の男たちが全力でぶつかりあうことで、力を競い合う様はなかなかに圧巻だ。ベンガル語で“力持ちのゲーム”を意味する“ボリ・ケラ”とは正に名が体を表していると言うに相応しいだろう。さて、今回はそんなボリ・ケラを通じて傷ついた男性性の行く末を描きだす、バングラデシュの新鋭Iqbal H. Chowdhuryによる初長編“The Wrestler”を紹介していこう。
夜も更けた海岸線、それに沿うように群れて生える細長い木々、その幹を黙々と両手で打ちつける男がそこにはいる。彼の肉体は老いさらばえて、木々と同じく弱々しい印象を与える。しかしそんな老いの印を吹き飛ばすかのように男はその両腕を、そして更には全身を木の幹へと激突させていく。
この中年男性こそが今作の主人公であるモジュ(Nasir Uddin Khan)だ。舞台となるのは1990年代後半、バングラデシュの海岸沿いに位置する村、彼はここで漁師として生計を立てていた。だが漁も、鶏の飼育もうまく行かないという状況で、その鬱屈から目を背けるように熱中するのがボリ・ケラだった。彼は余暇をボリ・ケラのための鍛錬に注いでいるのだが、鬱屈が深まるごとにその熱中を執念へと姿を変えていく。
まずこの映画はそんなモジュの日常を綴っていく。海岸において独り鍛錬に打ちこむ、鶏が全く卵を産まないので思わず悪態をついてしまう、シャフ(Angel Noor)という最近結婚した息子と口論を繰り広げる、そして再び海岸で鍛錬に打ちこむ……こういった風景の数々を断片的に連ねていくことで、監督はモジュという男の日常をスクリーンに立ちあげていく。
撮影監督Tuhin Tamijulは静かにかつ盤石に、目前の光景を見据えている。さらに登場人物たちとは常に一定の距離を取ったうえで、その一挙手一投足をストイックにレンズへと焼きつけていく。Rakat Zamiによる音楽はとても控えめなもので、際立つのは登場人物たちの声と日常の響きが主だ。それも相まりTamijulが映し出す風景やショットは、シンとして淡々とした印象を与える。
ここにおいてはその色味がまた印象的だ。色調は常に抑えられており、スクリーンにおいて色彩それ自体が際立つことはあまりない。スクリーンを覆うのは、掠れたような灰色ばかりだ。実際、舞台となる村はそれほど経済状況が芳しくないらしく、村全体には得も言われぬ閉塞感が漂っている。それがこの色味のなかで増幅され、観客の瞳により生々しさを以て迫ってくるのだ。
そしてこういった閉塞感のなかでモジュの執念もまた膨張を遂げていく。ある日彼は、村の若きチャンピオンであるドフォル(A K M Itman)に挑戦すると宣言する。息子のシャフは無謀だと彼を止めようとし、村民たちは自分の老いも考えない狂人だと彼を笑い者にする。だがそんな外野の声などは一切無視し、モジュはただひたすら鍛錬につぐ鍛錬を行い、己の肉体を限界まで鍛え抜かんとする。
今作ではそんな彼と並行して、周囲の人々の姿も描きだされる。例えばモジュの息子であるシャフ、彼は妻(Priyam Archi)を娶った後から妙になったとそう友人から言われるほど陰鬱に時を過ごしている。妻の方も自分に指一本触れようとしないシャフに不満を抱いているようだ。そして例えばドフォル、彼は村のチャンピオンとして村民からも尊敬を集めている存在だ。しかしある事件をきっかけに選手としての名誉と自負が揺らいでいき、苦悩の巷に落ちていくことになる。
このように作品の視線はモジュから周囲にまで広がっていき、こうして映画には男たちの葛藤や孤独というものが立ち上がってくる。自分の本心を他人に簡単に吐露することができず、自然と孤立を深めていってしまう。己の暴力性を自らで御することができず、他者を傷つけてしまい、時には取り返しのつかない事態にまで陥る。こういった男性性の過酷な道行きを、しかし扇情的な形でなく、その撮影がそうであるように静かに、そして繊細に今作は描いていくのだ。まずは、そのあるがままを見据えようとでもいう風に。
そして描かれるもの自体は壮絶ながらどこか鷹揚な雰囲気すら感じられる一因として機能し、かつ物語に新しい層をも与えるのが今作が宿す神話性である。村ではイスラム神秘主義、つまりスーフィズムに根ざした伝説が語られている。それによると海には自らを天使と名乗り人を惑わす怪物が住んでいるというのだ。ある事件をきっかけとして、こういった超常の存在がシャフたちの日常に介入していき、彼らは超越的な恐怖、驚異、さらには救済を体験することとなる。序盤は淡々としているからこそ、この超常性への飛躍がダイナミックに現れるのだ。
男性性というものを親密かつ繊細に、かつその日常に根ざした神話性とともに描く作品はそう多くはない。その少ない作品の1つこそは、バングラデシュの伝統を背景として、人々の日常と、そして傷ついた男たちの行く末を描きだしてた“The Wrestler”というわけだ。ここにこそバングラデシュ映画の可能性があると、私は言いたい。