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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Álfrún Örnólfsdóttir&“Band”/悲痛と悲哀のアイスランド音楽界

ビョークシガー・ロスオブ・モンスターズ・アンド・メン……その国の規模に反してアイスランドの音楽超大国ぶりたるや、他に並ぶ国を思いつかないほどだ。私がルーマニア映画をきっかけにルーマニア語を学んだのと同じように、アイスランド音楽に触れてアイスランド語を勉強し始めたなんて日本人も少なくないのではないか。意外と日本語でも教材がたくさん出ているわけで。そんな中、私はそんな自国の音楽業界を描きだしたアイスランド映画を見つけたのだが、これがなかなか痛烈な映画だった。ということで今回はこの国の新鋭Álfrún Örnólfsdóttir アールフルン・オェルノールースドウティルによるデビュー長編“Band”を紹介していこう。

この映画の主人公はサーガ、フレフナ、そしてアールフルン(Saga Sigurðardóttir, Hrefna Lind Lárusdóttir, そして監督本人)という3人の中年女性だ。彼女たちはThe Post Performance Blues Band、略してPPBBという3人組バンドを結成しており、ポップスターとして有名になる日を夢見て、日夜バンド活動に明け暮れていた。しかし子育てなど家庭生活も忙しく、既に30代も終わりが見えかけている。そうして彼女たちは決断する、40までに夢を叶えられなければバンド活動はもう終りにすると。

今作はまずそんな3人の日々を描きだしていく。夜にはバーで奇矯な衣装を着て“機能不全性!”という訳の分からない歌詞をがなりたて、前衛的なパフォーマンスを繰り広げる。その翌日は子供を学校に送り届けて、家事をこなした後には子供を学校へお迎え。その合間に時間を作って作詞や作曲を行うわけだが、その暮らしぶりは大分ハードなものだ。

そしてこのPPBBというバンドの音楽性だが、何というかなかなかにエキセントリックなものだ。演奏や風貌が前衛的ならば、歌詞から作っているPVから全部イカレた感じで、良く言えばキッチュ、身も蓋もない言い方をすれば正直ダサい。こういう妥協がない音楽性なので一般受けは良くないし、40手前でこれはイタいと腫れ物扱いされているのも自分らが一番分かっている。彼女らとしてはこの音楽性こそを信じ突き進んでいるわけだが、それでもさすがに限界を感じ始め、あの決断をせざるを得なくなったのだった。

今作の興味深い点はそんな彼女たちの姿をモキュメンタリー形式で描いているという点だろう。虚構ではあるのだがカメラクルーがPPBBに密着という体で、どんな場所でもカメラがその傍らに厚かましくも居座っている。一歩引いてPPBBの活動を観察するならかなり滑稽な面があるのだが、彼女たちは真剣も真剣に活動している。その真剣さゆえにそこには常に息詰まるような空気感が満ちている。観客は臨場感ってやつを感じざるを得ない。

モキュメンタリーという体裁に相応しく、今作には虚実が入り乱れている。サーガとフレフナ役のSigurðardóttirとLárusdóttirはパフォーマンス・アーティストが本業であり、劇中でもそうなのだが正直あまり成功しているとは言えない。そしてアールフルン役は監督のÖrnólfsdóttirが兼任しているのだが、実生活でも劇中でも俳優としての活動がメインで、しかし劇中ではそのキャリアはやはりパッとしていない。こういった鬱屈がゆえ、アイスランドの芸術界でも最も成上りやすい音楽業界に縋って、ポップスターという夢に一発逆転の希望を託しているというわけだ。

こういった一応アイスランドの芸術界に片足は突っ込んでいるのだがキャリアはパッとしないままそこにしがみついている中年たちの視点から、今作はアイスランド音楽界の内幕を描きだしていく、外から見れば才能の塊が群雄割拠で上り調子以外の何物でもない光景が繰り広げられているといった風だが、実際にはイマイチ突き抜けられない人々が燻りに燻り泥臭い失敗があちこちで起こっているとそんな目も当てられない状況だったりする。

そして興味深いのは他の領域で成功しているのに、音楽業界で成功できなかったことを未練としている存在すら現れることだ。劇中、日本でも有名な現代芸術家Ragnar Kjartansson ラグナル・キャルタンソンが本人役として登場するのだが、彼も昔はバンドを組んで音楽業界での成功を夢見ていたと語るのだ。だがそれには挫折し、アート界で成功したにも関わらず未練を吐露する。自分のレーベルも作ったけど台所で運営してるようなヘボいやつだよ……彼の語りからは、アイスランドの芸術界において音楽界は最も特権的な世界であり、ここでの成功以外は“成功”ではないくらいの圧を感じさせる。だからこそ3人もここでの成功に執着しているのだろう。

今作は“失敗の数々をめぐるコメディ”と公式側から紹介されている。だが作風としてはそのリアリズム重視の演出も相まってかなりシリアスなものであり、私としてはあまり笑えなかった。Sebastian Zieglerのカメラに克明に焼きつけられていくアールフルンたちの表情には強ばった笑みや必死さ、そして何よりも苦悩が満ち満ちており、その生々しさたるやそもそも笑う気になれないし、監督自身も笑わせようという気もないのでは?と思わされる。

確かに3人の行動の数々は大分痛々しい。バンドに新しい要素を取りこもうと男性メンバーを入れたりするのだが、自分たちは“ガールズ・バンド”なのだからと一方的に彼をクビにしたりする。そして音楽性の違いで脱退した元メンバーを引き戻そうと、彼女を説得しようとするなど、すこぶる身勝手な行為を幾度となくやらかす。そして必然的にバンドは崩壊の危機を迎えるわけだが、この無様さを痛々しい、痛々しすぎると最も思っているのは他ならぬ3人だというのはその真剣な表情から痛いほど分かる。それでも捨てられないのが夢というものなのだ。

今作からは笑いよりも何より悲壮さこそが感じられる一因は、これを描きだす監督が傍観者の立ち位置にはなく、主演の一人としてこの痛々しさをむしろ自らが前のめりとなって体現しているからではないかと思える。今作において痛々しさは笑いのめせる他人事では断じてない。もしかしたなら自分もこうなっていたかもしれないと思わされる、あったかもしれない未来なのだ。であるからして今作はコメディとしては笑えない失敗作と言わざるを得ない。だがそれは監督の真摯さの表れでもあるのかもしれない。

“Band”は40手前でポップスターになる夢を叶えようと足掻く中年女性たちを追う作品だが、彼女らのバカっぷりを嘲笑うものではない。むしろ今作は“ポップスターになるのを諦める”という道をどうしても選ぶことができなかった不器用な者たちにこそ捧げられる、壮絶なる鎮魂の歌なのだ。