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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Beinta á Torkilsheyggi&“Heartist”/フェロー諸島、こころの芸術

さて、フェロー諸島である。デンマーク自治領であるこの地域にも、実は固有の映画産業が存在している。まず70年代後半にフェロー諸島舞台、フェロー人キャスト、この地域で話されるフェロー語を使用した数本の映画がスペイン人監督Miguel Marín Hidalgoによって作られた。そして1989年にはこの地域出身であるKatrin Ottarsdóttir“Atlantic Rhapsody - 52 myndir úr Tórshavn”を監督するのだが、今作が初めてのフェロー諸島映画と見做されている。その後にも細々とフェロー諸島映画は作られているとはいえ、私のような日本未公開映画ばかり観ている存在ですらこの国の作品を観られる機会は本当に少ない。しかしとうとう、そんな珍しい機会が巡ってきた。ということで今回Beinta á TorkilsheyggiMarianna Mørkøreというフェロー人映画作家たちによる長編ドキュメンタリー“Heartist”を紹介していこう。

今作の主人公となるのはSigrun Gunnarsdóttir シグルン・グンナルスドッティルという人物である。日本においてはほとんど無名であるが、彼女はフェロー諸島では最も有名な画家として有名であり、デンマークなどの北欧においても高名だそうだ。“Heartist”はそんな彼女の作品や人となり、そして今年74歳になる彼女の人生を60分という短い時間ながらも、観客に小気味よく紹介していくという体裁を取っている。

まず彼女の絵の作風なのだが、本人が形容する通りなかなかに“シュール”なものである。彼女は風景にしろ物体にしろ人間にしろ、意図して平面的な描き方をしており、どれもこれも不思議にのっぺりとした見た目をしている。特にどこを見ているか分からないジトーっとした目をした人々は一番のっぺりしている。これらの絵画を眺めていると、まるでおとぎ話の世界がキャンバスにそのまま描き出されているような不思議な印象を受けるのだ。これが彼女の作品の魔力なのだろう。

今作はまずそんな彼女の日々の暮らしぶりを追っていく。朝は早く起きて朝食を摂った後、愛犬を連れて散歩に行ったりとその生活は規則正しい。それらを終えてからは作品作りを始めるのだが、独りで黙々と作業をしている時もあれば、近所の人々や政治家を招いてお喋りをする時もある。夫からのサポートも厚く、離れて暮らす娘も子供に囲まれ幸せそうでその人生は順風満帆といった風だ。

撮影監督であるRógvi Rasmussenはそんなグンナルスドッティルの暮らしぶりを映す際、その作品をなぞるようにかなり平面的な画作りをしている。人々や風景を真正面から捉えていき、むしろ奥行きを丁寧に取り除くような撮影を行っているわけである。この撮影越しに見える世界はどこかメルヘンチックでもあり、見る絵本を体験しているような感覚に陥る。だがそもそもフェロー諸島、正確に言えばフェロー諸島を形成する島の1つエストゥロイ島、そこに位置する彼女の故郷エイジ Eiðiという町それ自体がメルヘン的な雰囲気を宿しているのかもしれない。この町から彼女の作品が生まれたというのに、観客は納得せざるを得ないだろう。

さらに実写映像に加えてKaty Beveridgeによるアニメーションも挿入されていくことで、今作のメルヘン性はさらに深まっていく。彼女はグンナルスドッティルの絵を層のように幾つも重ねていき、独特の世界を構築していく。そこでは妙な表情をした人々や動物たちが思い思いに動き回っているのだが、その妙な可笑しみに満ちた風景はそのまま彼女の作品が宿す精神性を観客に伝えてくれるのだ。

そして話はグンナルスドッティルの人生へと映っていく。祖父もまたフェロー諸島で有名な芸術家の家庭に生まれた彼女は子供の頃から画家を志し、長じてはデンマークの美術学校で芸術制作について学ぶことになる。そこでスランプに陥ることになりながらも、試行錯誤の末にシンボリズムという天啓を得て、彼女は今のシュールな作風を確立していくことになる。このシュールで素朴な作風が注目されて、彼女は一躍有名になったそうだ。大衆からの人気はもちろん、今では政治家からも肖像画の依頼が届き、果てはデンマーク王女の肖像画まで描くことになるほどだ。劇中ではその行程も描かれている。

しかし北欧を股にかけて注目されながらも、彼女にとって一番重要な場所はフェロー諸島という故郷であるのが映画からは伝わってくる。彼女はここでこそ家族や友人たちとともに生き、作品を創り続けている。ゆえにその作品を最も愛しているのはフェロー諸島の人々なのである。劇中ではアトリエ兼ギャラリーである場所で展覧会が何度も開かれ、来場者とちへグンナルスドッティルが交流する姿が描かれている。彼女と同世代の人々から娘よりさらに若い若者たちまで幅広い層の人々がここに来場し、時にはコンサートまで開かれているのだ。ここは人々にとって交流の場にもなっているのだ。

さらに彼女の絵を基に大きなオレンジ色の鳥の像が作られ、それがお披露目されるという場面がある。これがなかなか巨大でトラックで運ばれている風景がまたシュールなのだが、このシュールさに子供たちはおおはしゃぎ。そうして小さな少年少女が像の周りで遊びに遊びまくる姿はこの映画でも随一に微笑ましいものだ。ここで分かるのはグンナルスドッティルの作品のある場所、いやその作品自体がもはやコミュニティの場ともなっていることだ。エイジという人口700人ととても小さい町において、彼女の絵画は共同体意識を培うための重要な存在としてそこに存在しているのだ。

“Heartist”というタイトルは“芸術というのは心なんです”という言葉から取られている。絵画として表れたグンナルスドッティルの心が、人と人とを繋げていくなんてとても素敵なことじゃないか。今作はそんな風景を余すところなく映しとりながら、芸術の在るべき形の1つを観客に提示してくれるのである。